「怒れない病」の原因と対処法ー無気力からの脱却ー

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  • เผยแพร่เมื่อ 4 ก.พ. 2025

ความคิดเห็น • 12

  • @AlfonsineH
    @AlfonsineH 10 หลายเดือนก่อน +26

    先月入部しました。ダイジョウ部の動画に助けられています。
    私も怒れないです。原因は母親にある気がします。私が怒ると決まって「何で怒るの⁈」と言うのです。おかしくないですか…。怒りたいから怒るんですよ。でもそう言われることを繰り返すうちに、何も言えなくなり、怒りを表現できなくなりました。泣くのも同じで、「泣いてたら話ができない」と言って一方的に切られるので、泣く・怒るは罰せられると自分の中でプログラミングされてると思います。家庭環境の中で感情を素直に表現することを禁止されると、当然外でもうまくいかないですね。

    • @wayamato9226
      @wayamato9226 10 หลายเดือนก่อน +2

      怒りの抑圧か誰かにぶつけるかの違い 連鎖する〜

  • @Ak-vp2tq
    @Ak-vp2tq 10 หลายเดือนก่อน +12

    周りに合わせて生きなければいけない、と思って生きていた時にはパニック発作を起こしていたけど、その考えを否定して自分を肯定しようとし始めたら発作が収まった経験があります
    やはり自分を肯定できないと生きていくのが困難になりますね

    • @wayamato9226
      @wayamato9226 10 หลายเดือนก่อน

      お前は生きるな〜私は生きる自己勝手😂

  • @mmikkmikk5229
    @mmikkmikk5229 10 หลายเดือนก่อน +11

    怒りを身体の中に溜め込んだまま早50年
    心の中では激しく攻撃的です

  • @newsmy-w3f
    @newsmy-w3f 10 หลายเดือนก่อน +5

    怒りが出せない人のプロセスを頭の中でシミュレーションして
    それだけで涙が滝のように一気に流れました
    わたしはぜんぜん怒っていません、淡々としたままで
    でも、涙が一気にいっぱい出て、そうなんだなと思いました
    怒るのは嫌です、もうとおの昔のことです

  • @オリオン-e3x
    @オリオン-e3x 10 หลายเดือนก่อน +5

    いつも配信ありがとうございます楽しく拝見させていただいてます。
    怒りや不安からの回避行動をすると神経症的な行動へと発展するのですね。物語の様に人を脅迫的に攻撃するのも愛されていないと言う絶望を感じない為に行動してしまうのですね…なるほどと思いました。愛されていないと言う絶望を受け入れる事は難しいけれど、それでもそれと向き合って自己を肯定していく力が自己受容を育てるのだとわかりました。今回もとても感慨深いお話でした。ありがとうございます。

  • @amano-affirmation
    @amano-affirmation 10 หลายเดือนก่อน +3

    結局、愛が大事なんですよね・・・。愛がなければ、どんなに良い条件を用意しても、堕落していく・・・

  • @plumeria6653
    @plumeria6653 10 หลายเดือนก่อน +4

    「にんじん」ってそういう話だったんですね。
    実家かと思いました。(両親は病死ですが)
    母はよい妻、よい母を演じていて、そのストレスから私と祖父を言葉で苛めていたのだと思い当たります。
    私は怒りを溜め込んで爆発させるタイプですが、それで母にも「あんたなんか大嫌い」と言えたのは良かったと思う。

  • @ハナミズキ-l5d
    @ハナミズキ-l5d 10 หลายเดือนก่อน +2

    家族の関係が解き明かされたような気がしました
     そうか 人参の立ち位置に身を置いてまんまとその役を演じてきたわ
     家族の中で怒りを一番ふかーく持っているなと感じたひとつ上が怒れないとか言っていたけど やること話すことが家族の誰よりもさいコでゾッとしてます。 怒りは行為と同期に現れると思うのです。

  • @wayamato9226
    @wayamato9226 10 หลายเดือนก่อน +1

    怒りの構造〜ぶっ壊れる世界を食い止めている😂
    ビクトールフランクル

  • @多賀えり
    @多賀えり 10 หลายเดือนก่อน +4

    これからの時代は無能を認める勇気です。(親に対する無力感、対決)無を認めると有になるんです。