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長髄彦は素晴らしい方だったのですね。感動いたしました。最近、TOLAND VLOGさんの動画など観て、日本の本当の歴史に興味を持っているのですが、これは本当に貴重な証言、動画だと思います!体当たりの取材、ありがとうございます🙏
配信ありがとうございました。顔出しインタビューとは、また勇気ある宮司さま本当に感謝します。長年自分なりの歴史を胸に秘めておりましたが、やはりねと涙がにじみました。絶えぬよう守り抜くご苦労はいかばかりかと。ますますのご存続をお祈りします。
ご開示ありがとうございます。おやかたさまのお話感動しました。。。
宮司様の語り口調に何故か泣きそうになりました。神話の中の神々は、伝承の登場人物ではなく、確かに生身の体を持ち、切磋琢磨し、尽力を尽くした日本人の大先輩方だったと痛感致しました。貴重な貴重なお話しと動画をありがとうございます。胸がいっぱいです。
心よりお礼申し上げます。富雄の原住民です。小学生の頃、富雄の名前の由来を調べた事がありました。全て結びつきました。心より御礼申し上げます。
宮司様ならびにうぷ主様、貴重なお話ありがとうございました
長髄彦、崇高な精神の持ち主だったんですね。心から崇敬申し上げます。絶対に会いたいです。時間を作って、必ず参拝させていただきます。素晴らしい動画ありがとうございました。
時きたり 潔く賢者であった方ですね 魂が生き続ける限り この地を守っておられる 勝ち負けではないですが ある意味 勝たれていると 人の心にしっかりと その御心が宿っていると素晴らしいです 宮司様 神旅さん ありがとうございます😊
貴重なお話をありがとうございます。ソフトな表現をなさっていますが、それでもドーンと心に届く生々しいお話です。本当のことが明らかになっていく時代になったと実感します。抑え込まれてきた本当のことを、もうウソでごまかすことができない時代になりました。戦いではなく平和を選択するという精神、それこそがわれわれに受け継がれた宝であり、受け継いでいくべき精神だと感じます。
大変貴重なインタビュー、よくぞ公開してくださいました👏🏻💖ありがたいです🙏出来ますならば、書籍化していただきたいです🌟
感動しました。このような貴重な動画を配信していただきありがとうございます。
その土地に数千年間密かに口伝で伝わるという事の方が古事記、日本書紀に記されている事より遥かに想いが強いと感じるのはわたしだけでしょうか。おやかた様と慕い崇め続ける民の心意気に涙が止まりません。この神社近くの富雄丸山古墳から出土した蛇行剣を軽々と持つおやかた様を想像しています。
この様な神社が他にもあるのかもしれない
貴重なお話、ありがとうございました。文字だけの存在だった長髄彦が、つい数年前まで生きていたような温もりを感じるお話でした。長髄彦の想いと当時の登美の民と妹姫の想いを考えると、そしてそれが2400年もの間封印されてきたかと思うと涙が止まりません。長髄彦は確かに生きていて、間違いなく日本の歴史を紡いでいたんだなと感動いたしました。
宮司様からの貴重な聞き取りを公開していただきありがとうございます。緊張と感動を持って最後まで拝聴致しました。これは、多くの人に見ていただきたいです。富雄丸山古墳の発掘が今も続いていますが、この内容をふまえると発掘結果もますます楽しみになってきました。
迫りましたねえ。宮司様もこの時代だからこそお話くださったのですね。歴史書は勝者によって勝者側の話になります。やっぱり大切な事は口伝なのですね。貴重なお話ありがとうございます。記紀の編纂をした藤原不比等、あったま良いなぁぁぁ!!と思う日々です。
富雄丸山古墳の円墳は 天皇家の前方後円墳ではなく 生駒を治めた長髄彦一族を称えた墳墓と想像していました。生駒に長髄彦をお祀りする神社があるのではないか?と 素人考えでもっていましたが それが地元で 実在した神社があることは大発見のように思いました。富雄丸山古墳から国宝級の東 14:46 南アジア最大の鉄剣の発掘、長髄彦から繋がる大和朝廷の軍事部門の物部氏の氏神である武器庫だった石上神宮の七支刀の存在。言い伝えで 繋がっっていく歴史の楽しさを味わえ このよう動画のUPに 感謝です。
とても勉強になりました🙏✨ありがとうございます!奈良の封印の解放のひとつですよねきっと🥹✨たくさんの知識人の方々にも伝わってほしいです…!長髄彦様の御霊にみなさんの感謝の祈りが届きますように🙏
HISA様 ありがとうございます!活動費に使わせていただきます。
誠に腑に落ちるお話。この御開示に関わられたすべての皆様に感謝いたします。
真実だと思います。
続編、公開有難うございます🙏😢が止まりません。このような御方が逆賊な訳がありません😂近々、参拝に行かせて頂きます。
ありがとうございます。本当に素晴らしいお話です。
大変貴重なお話ありがとうございます。やはり口伝や伝承は、大切に次世代に繋いでいかなくてはならないものだと思いました。
ありがとうございます。鳥肌物です。奇跡です。長い時間繋げてくれた方々、調べてくれた方々、宮司様、こうして明かされる時代現在3万8千方が視聴されてますが、全て肯定的でなくとも、多くの人の心を震わせたのは間違いありません。不思議な縁で結ばれているように感じます。本当にありがとうございました。
配信有難うございます。長髄彦のお話、鳥肌がたつ思いでした。神主さん、長老さん、長年、伝え守り続けてきた土地の方々に感謝致します。
特に明治維新後は、こういった改称や改ざんが各所でありました。国つ神の神社が天つ神になってしまったり。。。
すごいですね。素晴らしい!!! 久しぶりにTH-camで感動しました。まさに生ける伝説。こうやって門外不出で仲間内の間だけで語り継がれてきたことにこそ真実が在るんでしょうね。「証拠の品」も「書いた物」も無くていいと思う。「証拠の品」や「書いた物」の方が怪しいことも多いんだから。あの宮司さんもここのup主さんも、きっとこういう巡り合わせ=運命にあったんでしょうね。このお話、日本中にもっともっと広がるといいですね。
貴重なお話しありがとうございます ナガスネヒコ様は人柱になって民をお守りになられたのですね感動しました強いものが正義では無いのですね今の世の中も強いものが正義って何か悲しいですね
貴重なお話を聞かせていただきまして、有難うございました。いつか、現地へ赴いて長髄彦様にお目見えしたく思いました。
ありがとうございます😊幸せです❤感謝してます😂めでたい🎉めでたい🎉😂😊
素晴らしい動画でした。ありがとうございます。私も同じように添御縣坐神社の八木宮司にお話を伺って、TH-camにアップしたのですが、うまく再生回数が伸びず、せっかくお話していただいたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。日本に住むみなさんに伝わりますように。
インタビュー動画拝見しましたよ。広島の蛇腹地区のお話とかもあって良い動画だったと思います。これからも頑張ってくださいね。
@@いちごミルク色の猫 視聴ありがとうございます。感激です!
ありがとうございました🙇♀️🙏
胸が熱くなりました😢
やっぱり、、地元の方々からすれば英雄なんだよね。勝者が歴史を創る…教科書が正しい訳じゃない。うちの辺りじゃ時代は全く違いますが平将門。逆賊なんかじゃない。英雄ですよ。
こんなお話を聴くことができるなんて。感謝です。添御県坐神社さんから富雄川沿いに北へ10分ほどの所に神武天皇顕彰碑があり、そこから西へ5分ほどの所に饒速日命墓と記された石の墓標があります。墓標だけは一度訪れたことがありますが、それも何十年住んで幾度となく通り過ぎていても全く知らず今回のお話も知らないことだらけでした。添御県坐神社さんにて手を合わせたいと思います。
貴重な映像配信に感謝いたします。八木宮司のお人柄がよく伝わる動画でした。以前伺った際に現行のパンフレットでは「長髄彦」の表記が無くなってしまい、長髄彦が祀られていたことがどんどん失われていくと感じ、非常に悲しくて残念な思いをいたしました。パンフレットには載っていませんが、こういった動画が伝承となり、未来へ引き継いでくれればいいなぁと思いました。「おやかたさま」を崇敬する方々によって記紀とともにこの口伝が拡がっていく事を心より願っております。配信ありがとうございました。
長い長い時を経てようやく世に明らかになるときが来たのですね。嬉しく思います。込み上げるものがあります🙏🙏🙏🙏
竹取の翁でもあると言う逸話もありますよね〜御歳大神(かぐや姫)をイワレビコの軍勢から守ったと…素敵な話をありがとうございます。
宮司様に久しぶりにお会いできたようで嬉しいです😂奈良に住んでいるとき、氏神様でかなり通わせて頂きました!饒速日のお墓と神社の位置がレイラインになっているのを、見つけられたお話しをイキイキされて教えて頂いて、すぐにお墓に迷いながら行ったのが懐かしいです😊色々なお話しを楽しくしてくださって、やっとお話も理解できるとこまで、深められました。感謝です🇯🇵✨動画アップして頂け、巡り会えたことにも感謝です!
ありがとうございました。大切に語り継がれてきたこと自体が貴重な遺産だと思います。
なるほど勉強になりました。歴史詳しくないんですが、これはもしかしてもう一つの国譲り⁈…いやむしろこっちがほんとの国譲り?とか妄想止まりませんでした😂 櫛名田比売の父母は足名椎命・手名椎命…土蜘蛛伝説が残るこの辺りの長髄一族だったとしたら櫛名田比売は三炊屋媛?そしたら饒速日は須佐之男?とかニヤニヤしながら楽しく見させていただきました。いろんな方のいろんな見方があるのはほんといいですよね。これからも楽しみにしてまーす。これからも
ありがとうございます。いろいろと明らかになる時ですね。
この時代にこのお話しを伺って、心に魂に響きました宮司さまの誠実な語りも、日本人として誇りに感じました。ありがとうございます
なんだろう…この動画で宮司さんのお話を聞いていたら清々しいと言うか晴れた氣持ちになりました😊ありがとうございました。
尊いお話をありがとうございます。聞いていたら何故だが涙が溢れました。宮司さまの優しいお声にも心が震え、私達日本人の魂が反応したのかと感じています。
勇気ある行動に感謝
自分は京都で母方や妻は奈良、生駒なんですがこの畿内周辺で古い時代から続く集落にある神社の中でスサノオや物部を祭る神社が結構あるんですが、その中にはこの 添御縣坐神社と同じ様に祭神を変えた神社があるように感じていました。
郷土に伝わる口伝の美しさに心洗われたように思います。このような機会に出会えたことに感謝します。
素晴らしい動画、チャンネルに出会えました。配信ありがとうございます。
すばらしい、インタビュー、ありがとうございました。この動画を見せていただいて、私は、ナガスネヒコさんには歓喜天さんが習合しているのではないか、と思いました。この歓喜天さんという神さまは、近くの生駒山にある宝山寺というお寺に祀られており、人々に深く信仰されています。歓喜天さんは、二匹の象が抱き合ったお姿をしておられる神さまですが、こんな言い伝えがあります。怒りと悲しみのために、人々を惑わす悪神となられた雄の象の神様を、雌の象の姿になられた観音さまが抱きしめられた。しだいに、荒ぶる雄の象の神さまのお心も、溶けて穏やかになり、人々を守る神さまになっていかれた、と。怒りと悲しみを乗り越えたところにある平和という感じで、ナガスネヒコさんのお話と被る感じがしたのですが、どうでしょうか。
面白いですね。何か秘められているように私は感じました。なぜなら、出雲族は像が居るインドの方から来たという説、さらに徐福に大国主などが暗殺されたという説もあるからです。出雲には悲しい悔しい歴史があるのではと私は思っております。貴重なお話ありがとうございます。
toland vlogさんからこちらに辿り着きました。歴史とは勝者と敗者の目線で考察すると全く違ったストーリーが浮かび上がりますね。ありがとうございます!
配信ありがとうございます。氏子さん、宮司さん、大切な伝承を語っていただきありがとうございます。ナガスネヒコは先住民だったんですよね。イワレヒコさんは東征に来た一豪族だったんですね。→後に大王になるわけで。
真実を有難うございます、歴史は勝者の歴史であり負けた者たちの生き様を知ることは難しいので有難い
ありがとうございます!
ソラノ様、ありがとうございます。今後の活動費に使わせていただきます。
今の平和を次の世代へ…繋いでゆくのがご先祖の神様への孝行ですね✨素敵なお話ありがとうございました。
大変素晴らしく貴重なお話をありがとうございました。それと同時に…今後、こんな感じの情報開示が増えていく流れを迎えると思われますが、たしかに長髄彦は、今までの古史古伝や神話界隈では隠されたり迫害されたりしてきた、いわゆる出雲系、地祇系の存在の代表だったと思いますが、今度は「長髄彦こそが正当だ!磐余彦が逆賊だ!」とやってしまうと、それこそ結局は白と黒が反転しただけで、対立構造は変わらなくないでしょうか。↑これは、私の思う「和を以て貴しと為す」の精神からはかけ離れたものになります。※あくまでも”私は”で、ありますが💦発信する側も、受け取る側も、より”視点”を問われる時代になったんだなぁと。身が引き締まる思いです。私は、長髄彦も磐余彦も好き。そう言い切れる自分が好き。そして、日本が大好きだし、日本人としてこの世に生を受けた自分を心から誇りに思っています😊
宮司様…ありがとうございます⤴️感動しました✨
ありがとうございます。感謝申し上げます。素晴らしい神社ですね。❤参拝したいです。❤❤❤
ありがとうございます。
偶然見つけた地元の神社のお話だと思い、見始めたのですが、私のお爺ちゃんが彦太郎で、以下私の父、息子達は皆んな彦の付く名前でした。ちょっと嬉しいショックを受けました☺️(身バレしちゃうかな😅)おやかた様に因んだとても良い名前なんだと嬉しく思いました。私は結婚して、更に登美神社に近くの住まいになりましたので、天気が良ければ明日にでもお参りに行きたいなと思います。
大変貴重な動画ありがとうございます。✨
饒速日命の息子神に天香山命という御方が居られ、天香久山とは饒速日命の一族と縁の深い地域だったと思いますが、天香久山の現在の御祭神は天児屋根命です。今回のお話と何かしら繋がりを感じます。貴重なお話をありがとうございました。
宮司さま ありがとうございます✨神旅さま ありがとうございます✨
凄い情報ありがとうございます。
長髄彦は手足が長いからその末裔は全国にいた土蜘蛛族でもあったのかな?長髄彦含む紀州の名草戸部、鬼や妖怪とされてしまった全国各地の女性長の戸部達も浮かばれますように🙏
神旅さん、添御縣坐神社の宮司さん、ありがとうございます❤服従していないのだから逆賊にはあたらない、なるほどそうですよね。長髄彦は亡くなったということにして津軽へ北落したのでしょうか。
有り難う御座います、素晴らしい神社お話し感謝致します。
カタカムナを通して原住民の歴史と言われを伝えております。溜飲が下がりました。貴重なお話をありがとうございました。
心待ちにしておりました😊神旅様、そして勇気を出してお話しして下さった宮司様に感謝、感謝であります😊胸の痞えがスッと取れたような、清々しい気分です😊前回の動画と合わせて、何度か観てみようと思います😊やはり長髄彦は英雄でありました😊 願わくば自害を踏みとどまり、東北の地へと赴いて、そこで善政を敷き、その地の住民にも慕われた、、、我の中ではそう締め括っておくことでしょう、、、😊(笑)また熊野はそれこそ奥が深いので、自分なりに考察しておりますが、神旅様の考察も楽しみにしております😊ニギハヤヒの考察も、尾張の地から続けております。こちらでは天火明となりますが、物部氏の影響が色濃く残る土地柄ですので、ウマシマジ、天香山、高倉下等の由緣のものも沢山ございます。機会があれば、尾張にもご足労下さいませ❗😊そういえば、あの信長も『お館さま』と呼ばれていたかと思います😊素敵な動画をありがとうございました🙇世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように😊
なにか、歴史の大きな転換点に到達した様ですね。今まで、無いものとされてきた、隠されてきたものがどんどんめくれてきている。長髄彦のお話を聴いて、何故かその在り方に共感を覚え、なんの思い入れも知識すら無いのに、涙が溢れてきました。素晴らしい動画をありがとうございます。
クシナダヒメを調べていて長髄彦の妹までたどり着き、その後どうなったのかが分かりました。長髄彦は自害(殺された)にして、東北に落ち延びたと信じたいです。三重に麒麟が移動した頃にでもご挨拶に伺います。八咫烏の「宇井」の苗字は下総国(千葉県の旭、匝瑳、香取など)に多いです。「榎本」の苗字は武蔵国(東京、神奈川、埼玉)に多です。
そうなると、長髄彦→アテルイ、モレやアラハバキなどに繋がっていくのかなと。いずれにせよ天孫族が隠した歴史(神社)が沢山あるのかもしれませんね。ありがとうございました🙏🏻
ただただ願うだけ無く、小さな力でも私自身、皆様、一人ひとりが、立ち上がり、日本や世の中、世界を、より良くしていかなくてはいけない現在の子ども達、未来の子ども達のために。
胸にくる貴重な口伝ですね…大切に大切に守り続けた御祭神への地域の方々の熱い想いに涙が出ます…
仰っていただいたことを昨年知りました。参拝して真に触れたいです。
今日、行って来ました!タケチハヤノミコトさんは、ひょっとして長髄彦さん?と思ってましたが、やはりそうだったんですね!貴重なお話を、ありがとうございます。
藤原氏の祖先とされる天児屋根命「中臣氏が古来よりの豪族」という前提にずっと疑問を抱いておりました。するとこの神様は創作の神様か、別の豪族の祖先神の名前を奪ったのだろうと思っていました。このお話を伺って大変腑に落ちました。その学者さんは本当の事を知っていたのではないでしょうか。本来ナガスネヒコ様の名前であったなら、奪うのにこれ程都合の良い名前はありません。フツヌシは物部、つまりニギハヤヒ比売神はナガスネヒコの妹タケミカヅチはウマシマジそして天児屋根命=ナガスネヒコこう考えれば全く違和感なく理解できます。
🎌🙏おおきに
この神社から2キロほどのところに住んでいます。近くに神主さんがおられない神社があり、そこのお神輿が家のそばを通るので、その神社か、その神社の親となる神社が氏神様と思っていたのですが、奈良の神社庁に確認したところ添御県坐神社が氏神様でよいとのことでした。近々、お参りさせていただこうと思います。
こちらの動画の前編後編大変興味深く面白かったです。長髄彦の神社があるなんて…日本の歴史は本当に不思議ですね。日本の古史古伝をTH-camで見る様になってからはじめて長髄彦のことも知りましたがこの辺の伝承って明らかに辻褄が合わないですよね。多分後から辻褄を合わせてるからチグハグなんでしょうね。こういった伝承がまだ生きてること自体がその裏付けの様に思えます。
神旅さん、お久しぶりです。今回の話は過去一番のインタビューでした。特に、八咫烏の由来や神武東征の最後の戦い(長髄彦の自決)衝撃的でした。よくぞ、ここまで調査された。敬服いたします。
Dr. K様、何とか継続出来ております。この作品は、前編が私の考察。何度か宮司様にその内容をお話しインタビューを了承して頂いたものです。この地域に残された伝承を守られる宮司様に感銘し、このお話を少しでも多くの方にご覧になって頂きたい一心で動画に致しました... できる事なら、少しでも多くの方に参拝して頂き、社の維持にお力添え頂ければ幸いです。
@@kamitabi さん 福神宮遷宮(移設)するので寄進してほしいのですね。近いうちに1口ですが、参加させていただきます。
Dr. K様、暖かいご支援、重ねて心から感謝致します。チャンネル運営に関しましては、紆余曲折ございますがご期待に添える様、努力して参ります。
@@kamitabi 様 本日1口ですが振込ました。 神旅さんの作品は優れたものが多いので、多くの人の目にとまれば、飛躍する時が必ず来ると信じております。まずは登録者10万人目指してください。期待しております。
お力添え、ありがとうございました。チャンネル運営、頑張ります!
私の先祖は高知でよからぬ呪術を広めたりもしましたがその一端もこうして河内に舞い戻り、私にも親方様の血が流れている事を思うと大変誇りに思います。
神社様に伝わる長髄彦は、初代神武天皇磐余彦が即位する前に、大和の地を治める王で郷土防衛の英雄であった。という伝承はおそらく事実だろうと思います。前回の動画にもコメントさせていただきましたが、大元出版の出雲口伝によると、神武天皇とされる第一次、および第二次物部氏垂仁天皇の東征前に、大和における出雲東王家富家を先祖とする欠史とされ無視されてきた磯城王家の皇太子で、長髄彦と呼ばれた『日本書紀』に崇神天皇の頃の四道将軍として架空話に登場する大彦命がやむを得ず自決した。とされた理由は、おそらく将来に渡り、いつかその血筋から担ぎ出される事を防ぐために、長髄彦は自ら自決の道を選び滅んだ。という物部政権を牽制する既成事実を作る事で一応の決着がつく事により、お互いに争いから手を引く事ができて、大和に残された親族や、部下達を物部氏の追及被害から守り、自らは最果ての地津軽十三湊まで落ち延びたものだろうと思います。氏子の方々が口伝で現在まで受け継がれている神社様の長い歴史の伝統の確かさが伺えますね。同時に出雲の伝承の確かさをも裏付ける伝承だと思います。貴重な歴史の生き証人とも言うべき神社に伝わる伝承を今後も大切に継承していただきたいと願っております。
始めましてkenと言います。古代出雲族こそが縄文から続く日の本。親方様ことナガスネヒコ様こそが日の本の王。逆賊で有るはずがないです。賊は徐福。
ありがとうございます🙇♀️🙇♀️
興味深いお話を有難うございました。残念なのがバックの音楽が少し大きいことです。
素直に感動しました人世を思い自分を犠牲にされた長髄彦様に🙏
やっとほんとの事が言える時代になりました。ありがとうございます。長髄彦は、東北に逃げた?と言われてることも有るそうですが?
🙏🙏🙏
饒速日様の妻は長髄彦様の妹戦いは磐余彦はまだ即位してない時の話古事記日本書記は中臣氏の中の鎌足の子孫が藤原の姓を名乗り以外の中臣氏は大中臣と名乗り別の家系になり藤原不比等からが問題で故意に編纂され律令制国家設立の中で歴史的に歪められ都合の良い事に書換えられていると思います饒速日様と長髄彦様の関係も裏切る様な方とは信じられません歴史はその時代の権力者の都合の良い事に書換えられて来てますから二次大戦後と前の日本の歴史と思想も同じで米国の教育と思想になり戦争前のことは学ぶ事が極めて少なく判らなくなっているのと同じではないかと思います本当の歴史的真実が解明され早く濡れ衣が晴れる事をお祈りします
ワシはニギハヤヒの民なのでこれは嬉しい動画です❤
この物語りだと、饒速日って微妙な立場だけど……やっぱり何があっても、饒速日推しでしょうね。……それでこそ、長髄彦の目指された、大和(大調和)の国。
初めてコメントします。この話、神人さんの〝またまたの対話〟の本の中に長髄彦の御霊との対話が書かれておりその内容とほぼ同じ内容でした。
明治からの神武天皇万歳から、ようやく、長脛彦万歳に変わりそうですね!
此処に出てくる地元のお方とは、大倭神宮の社家の関連の方と思われます。この方は元々ナガスネヒコの子孫を名乗り、物部守屋を倒したトミノオビトイチイの系譜で、八尾の語源になったとても古い家柄の方の筈です。元々、平岡の神社で社家をやっていたとの事で、その関係で平岡のとある神社と神紋が同じになっていると考えられます。枚岡の地から、出雲に縁の深い、出雲井地籍をとおり、南生駒を通過し、富雄村入ると当神社になります。枚岡神社の真東が富雄丸山古墳になります。もしかしたらですが、ミカヅチは長脛彦が祀っていた平岡の元春日と呼ばれる神社の祭神だった可能性があります。元々藤原氏はミカヅチ祭祀を奪ったとされています。先代旧事本紀の出雲系の代4代にミカヅチが出てきます。出雲系の祭祀が磐余彦に奪われた後も、トミの霊璽を守ってきた前政権の系譜で、厳密に言うと母系が出雲の、所謂海部家(尾張家)の人物ではないかと思います。とある伝承に、この近くの地籍の大曾根に因んだ、「中曽大根彦」という名前があります。この名前は二つに分けられ、ナガスネヒコ(中曽根彦)と、大彦に分けられたとも。だからこの地で亡くなったと頑なに言い続けたと考えられます。彼を守る為に。実際には琵琶湖通って北陸に行ったとも言われています。最終的に長野の松代の長者久保にて亡くなったともされています。
本来の日本の姿を取り戻したいものですね
山陰神道の表さんの本を読んだり動画を見てると長髄彦は十和田湖でアラハバキを立ち上げて東北全体に広め日高見国をつくったけれど第2の出雲日高見国も侵略されたそうですよ
古事記は、勝者側が書いたものです。神武天皇は、英雄のごとき記されていますが、武力で国譲りを迫って初代天皇になりましたがこれから真実が表に出てくることでしょう。配信有り難うございます。😳
声が聞きづらいのでマイク🎙️があれば更に良かったと思います✨
国の舵取りにまつわるお話にはこうしたエピソードがつきませんね。σ(´・ε・`*)それでも真心込めてお祀りする。決して完全になかったことにしない。そうした積み重ねが我国の民度をかつて古今無双の位まで押し上げたんじゃないかなと思いました。d(>ω<。)神語りに感謝します(*>∇<)ノいにしえの 威風宿せし 社みしお館偲ぶ 民の畏み
自決はないと思います。恐らく、殺したということになると仏教の教えに反するのでそれを避けるために、後にそういうことにしたのだと思いますね。長髄彦はこの神社の境内に埋葬されているということですかね。でも墳墓ではないということですから、やはり近くにある富雄丸山古墳との関係が気になりますね。ただ伝承と築造年代が合わないのが謎です。
長髄彦は素晴らしい方だったのですね。感動いたしました。最近、TOLAND VLOGさんの動画など観て、日本の本当の歴史に興味を持っているのですが、これは本当に貴重な証言、動画だと思います!体当たりの取材、ありがとうございます🙏
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ご開示ありがとうございます。
おやかたさまのお話感動しました。。。
宮司様の語り口調に何故か泣きそうになりました。神話の中の神々は、伝承の登場人物ではなく、確かに生身の体を持ち、切磋琢磨し、尽力を尽くした日本人の大先輩方だったと痛感致しました。
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心よりお礼申し上げます。
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素晴らしいです 宮司様 神旅さん
ありがとうございます😊
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長髄彦は確かに生きていて、間違いなく日本の歴史を紡いでいたんだなと感動いたしました。
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富雄丸山古墳の発掘が今も続いていますが、この内容をふまえると発掘結果もますます楽しみになってきました。
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富雄丸山古墳の円墳は 天皇家の前方後円墳ではなく 生駒を治めた長髄彦一族を称えた墳墓と想像していました。生駒に長髄彦をお祀りする神社があるのではないか?と 素人考えでもっていましたが それが地元で 実在した神社があることは大発見のように思いました。富雄丸山古墳から国宝級の東 14:46 南アジア最大の鉄剣の発掘、長髄彦から繋がる大和朝廷の軍事部門の物部氏の氏神である武器庫だった石上神宮の七支刀の存在。言い伝えで 繋がっっていく歴史の楽しさを味わえ このよう動画のUPに 感謝です。
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特に明治維新後は、こういった改称や改ざんが各所でありました。
国つ神の神社が天つ神になってしまったり。。。
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あの宮司さんもここのup主さんも、きっとこういう巡り合わせ=運命にあったんでしょうね。このお話、日本中にもっともっと広がるといいですね。
貴重なお話しありがとうございます ナガスネヒコ様は人柱になって民をお守りになられたのですね感動しました
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貴重なお話を聞かせていただきまして、有難うございました。いつか、現地へ赴いて長髄彦様にお目見えしたく思いました。
ありがとうございます😊幸せです❤
感謝してます😂めでたい🎉めでたい🎉😂😊
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感謝です。
添御県坐神社さんから富雄川沿いに北へ10分ほどの所に神武天皇顕彰碑があり、
そこから西へ5分ほどの所に饒速日命墓と記された石の墓標があります。
墓標だけは一度訪れたことがありますが、
それも何十年住んで幾度となく通り過ぎていても全く知らず
今回のお話も知らないことだらけでした。
添御県坐神社さんにて手を合わせたいと思います。
貴重な映像配信に感謝いたします。八木宮司のお人柄がよく伝わる動画でした。以前伺った際に現行のパンフレットでは「長髄彦」の表記が無くなってしまい、長髄彦が祀られていたことがどんどん失われていくと感じ、非常に悲しくて残念な思いをいたしました。パンフレットには載っていませんが、こういった動画が伝承となり、未来へ引き継いでくれればいいなぁと思いました。「おやかたさま」を崇敬する方々によって記紀とともにこの口伝が拡がっていく事を心より願っております。配信ありがとうございました。
長い長い時を経てようやく世に明らかになるときが来たのですね。
嬉しく思います。込み上げるものがあります🙏🙏🙏🙏
竹取の翁でもあると言う逸話もありますよね〜御歳大神(かぐや姫)をイワレビコの軍勢から守ったと…素敵な話をありがとうございます。
宮司様に久しぶりにお会いできたようで嬉しいです😂
奈良に住んでいるとき、
氏神様でかなり通わせて頂きました!
饒速日のお墓と神社の位置がレイラインになっているのを、
見つけられたお話しをイキイキされて教えて頂いて、
すぐにお墓に迷いながら行ったのが懐かしいです😊
色々なお話しを楽しくしてくださって、
やっとお話も理解できるとこまで、深められました。
感謝です🇯🇵✨
動画アップして頂け、
巡り会えたことにも感謝です!
ありがとうございました。
大切に語り継がれてきたこと自体が貴重な遺産だと思います。
なるほど勉強になりました。
歴史詳しくないんですが、これはもしかしてもう一つの国譲り⁈…いやむしろこっちがほんとの国譲り?とか妄想止まりませんでした😂
櫛名田比売の父母は足名椎命・手名椎命…土蜘蛛伝説が残るこの辺りの長髄一族だったとしたら櫛名田比売は三炊屋媛?そしたら饒速日は須佐之男?とかニヤニヤしながら楽しく見させていただきました。
いろんな方のいろんな見方があるのはほんといいですよね。
これからも楽しみにしてまーす。
これからも
ありがとうございます。
いろいろと明らかになる時ですね。
この時代にこのお話しを伺って、
心に魂に響きました
宮司さまの誠実な語りも、日本人として誇りに感じました。
ありがとうございます
なんだろう…この動画で宮司さんのお話を聞いていたら清々しいと言うか晴れた氣持ちになりました😊
ありがとうございました。
尊いお話をありがとうございます。
聞いていたら何故だが涙が溢れました。宮司さまの優しいお声にも心が震え、私達日本人の魂が反応したのかと感じています。
勇気ある行動に感謝
自分は京都で母方や妻は奈良、生駒なんですがこの畿内周辺で古い時代から続く集落にある神社の中でスサノオや物部を祭る神社が結構あるんですが、その中にはこの 添御縣坐神社と同じ様に祭神を変えた神社があるように感じていました。
郷土に伝わる口伝の美しさに心洗われたように思います。このような機会に出会えたことに感謝します。
素晴らしい動画、チャンネルに出会えました。
配信ありがとうございます。
すばらしい、インタビュー、ありがとうございました。
この動画を見せていただいて、私は、ナガスネヒコさんには歓喜天さんが習合しているのではないか、と思いました。
この歓喜天さんという神さまは、近くの生駒山にある宝山寺というお寺に祀られており、人々に深く信仰されています。
歓喜天さんは、二匹の象が抱き合ったお姿をしておられる神さまですが、こんな言い伝えがあります。
怒りと悲しみのために、人々を惑わす悪神となられた雄の象の神様を、雌の象の姿になられた観音さまが抱きしめられた。
しだいに、荒ぶる雄の象の神さまのお心も、溶けて穏やかになり、人々を守る神さまになっていかれた、と。
怒りと悲しみを乗り越えたところにある平和という感じで、ナガスネヒコさんのお話と被る感じがしたのですが、どうでしょうか。
面白いですね。何か秘められているように私は感じました。なぜなら、出雲族は像が居るインドの方から来たという説、さらに徐福に大国主などが暗殺されたという説もあるからです。出雲には悲しい悔しい歴史があるのではと私は思っております。貴重なお話ありがとうございます。
toland vlogさんからこちらに辿り着きました。歴史とは勝者と敗者の目線で考察すると全く違ったストーリーが浮かび上がりますね。ありがとうございます!
配信ありがとうございます。氏子さん、宮司さん、大切な伝承を語っていただきありがとうございます。
ナガスネヒコは先住民だったんですよね。イワレヒコさんは東征に来た一豪族だったんですね。→後に大王になるわけで。
真実を有難うございます、歴史は勝者の歴史であり負けた者たちの生き様を知ることは難しいので有難い
ありがとうございます!
ソラノ様、ありがとうございます。
今後の活動費に使わせていただきます。
今の平和を次の世代へ…繋いでゆくのがご先祖の神様への孝行ですね✨素敵なお話ありがとうございました。
大変素晴らしく貴重なお話をありがとうございました。
それと同時に…
今後、こんな感じの情報開示が増えていく流れを迎えると思われますが、
たしかに長髄彦は、今までの古史古伝や神話界隈では隠されたり迫害されたりしてきた、いわゆる出雲系、地祇系の存在の代表だったと思いますが、今度は「長髄彦こそが正当だ!磐余彦が逆賊だ!」とやってしまうと、それこそ結局は白と黒が反転しただけで、対立構造は変わらなくないでしょうか。
↑
これは、私の思う「和を以て貴しと為す」の精神からはかけ離れたものになります。
※あくまでも”私は”で、ありますが💦
発信する側も、受け取る側も、
より”視点”を問われる時代になったんだなぁと。
身が引き締まる思いです。
私は、長髄彦も磐余彦も好き。
そう言い切れる自分が好き。
そして、日本が大好きだし、日本人としてこの世に生を受けた自分を心から誇りに思っています😊
宮司様…ありがとうございます⤴️
感動しました✨
ありがとうございます。感謝申し上げます。素晴らしい神社ですね。❤参拝したいです。❤❤❤
ありがとうございます。
偶然見つけた地元の神社のお話だと思い、見始めたのですが、私のお爺ちゃんが彦太郎で、以下私の父、息子達は皆んな彦の付く名前でした。ちょっと嬉しいショックを受けました☺️(身バレしちゃうかな😅)おやかた様に因んだとても良い名前なんだと嬉しく思いました。私は結婚して、更に登美神社に近くの住まいになりましたので、天気が良ければ明日にでもお参りに行きたいなと思います。
大変貴重な動画ありがとうございます。✨
饒速日命の息子神に天香山命という御方が居られ、天香久山とは饒速日命の一族と縁の深い地域だったと思いますが、天香久山の現在の御祭神は天児屋根命です。今回のお話と何かしら繋がりを感じます。貴重なお話をありがとうございました。
宮司さま ありがとうございます✨
神旅さま ありがとうございます✨
凄い情報ありがとうございます。
長髄彦は手足が長いからその末裔は全国にいた土蜘蛛族でもあったのかな?長髄彦含む紀州の名草戸部、鬼や妖怪とされてしまった全国各地の女性長の戸部達も浮かばれますように🙏
神旅さん、添御縣坐神社の宮司さん、ありがとうございます❤服従していないのだから逆賊にはあたらない、なるほどそうですよね。長髄彦は亡くなったということにして津軽へ北落したのでしょうか。
有り難う御座います、素晴らしい神社お話し感謝致します。
カタカムナを通して原住民の歴史と言われを伝えております。溜飲が下がりました。貴重なお話をありがとうございました。
心待ちにしておりました😊
神旅様、そして勇気を出してお話しして下さった宮司様に感謝、感謝であります😊
胸の痞えがスッと取れたような、清々しい気分です😊
前回の動画と合わせて、何度か観てみようと思います😊
やはり長髄彦は英雄でありました😊 願わくば自害を踏みとどまり、東北の地へと赴いて、そこで善政を敷き、その地の住民にも慕われた、、、
我の中ではそう締め括っておくことでしょう、、、😊(笑)
また熊野はそれこそ奥が深いので、自分なりに考察しておりますが、神旅様の考察も楽しみにしております😊
ニギハヤヒの考察も、尾張の地から続けております。こちらでは天火明となりますが、物部氏の影響が色濃く残る土地柄ですので、ウマシマジ、天香山、高倉下等の由緣のものも沢山ございます。機会があれば、尾張にもご足労下さいませ❗😊
そういえば、あの信長も『お館さま』と呼ばれていたかと思います😊
素敵な動画をありがとうございました🙇
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように😊
なにか、歴史の大きな転換点に到達した様ですね。今まで、無いものとされてきた、隠されてきたものがどんどんめくれてきている。
長髄彦のお話を聴いて、何故かその在り方に共感を覚え、なんの思い入れも知識すら無いのに、涙が溢れてきました。
素晴らしい動画をありがとうございます。
クシナダヒメを調べていて
長髄彦の妹までたどり着き、
その後どうなったのかが分かりました。
長髄彦は自害(殺された)にして、
東北に落ち延びたと信じたいです。
三重に麒麟が移動した頃にでも
ご挨拶に伺います。
八咫烏の「宇井」の苗字は下総国(千葉県の旭、匝瑳、香取など)に多いです。
「榎本」の苗字は武蔵国(東京、神奈川、
埼玉)に多です。
そうなると、長髄彦→アテルイ、モレやアラハバキなどに繋がっていくのかなと。いずれにせよ天孫族が隠した歴史(神社)が沢山あるのかもしれませんね。ありがとうございました🙏🏻
ただただ願うだけ無く、小さな力でも私自身、皆様、一人ひとりが、立ち上がり、日本や世の中、世界を、より良くしていかなくてはいけない
現在の子ども達、未来の子ども達のために。
胸にくる貴重な口伝ですね…
大切に大切に守り続けた御祭神への地域の方々の熱い想いに涙が出ます…
仰っていただいたことを昨年知りました。参拝して真に触れたいです。
今日、行って来ました!タケチハヤノミコトさんは、ひょっとして長髄彦さん?と思ってましたが、やはりそうだったんですね!貴重なお話を、ありがとうございます。
藤原氏の祖先とされる天児屋根命
「中臣氏が古来よりの豪族」という前提にずっと疑問を抱いておりました。
するとこの神様は創作の神様か、別の豪族の祖先神の名前を奪ったのだろうと思っていました。
このお話を伺って大変腑に落ちました。
その学者さんは本当の事を知っていたのではないでしょうか。
本来ナガスネヒコ様の名前であったなら、奪うのにこれ程都合の良い名前はありません。
フツヌシは物部、つまりニギハヤヒ
比売神はナガスネヒコの妹
タケミカヅチはウマシマジ
そして天児屋根命=ナガスネヒコ
こう考えれば全く違和感なく理解できます。
🎌🙏おおきに
この神社から2キロほどのところに住んでいます。
近くに神主さんがおられない神社があり、そこのお神輿が家のそばを通るので、その神社か、その神社の親となる神社が氏神様と思っていたのですが、奈良の神社庁に確認したところ添御県坐神社が氏神様でよいとのことでした。
近々、お参りさせていただこうと思います。
こちらの動画の前編後編
大変興味深く面白かったです。
長髄彦の神社があるなんて…
日本の歴史は本当に不思議ですね。
日本の古史古伝を
TH-camで見る様になってから
はじめて長髄彦のことも知りましたが
この辺の伝承って明らかに辻褄が合わないですよね。
多分後から辻褄を合わせてるから
チグハグなんでしょうね。
こういった伝承がまだ生きてること自体が
その裏付けの様に思えます。
神旅さん、お久しぶりです。今回の話は過去一番のインタビューでした。特に、八咫烏の由来や神武東征の最後の戦い(長髄彦の自決)衝撃的でした。よくぞ、ここまで調査された。敬服いたします。
Dr. K様、何とか継続出来ております。
この作品は、前編が私の考察。何度か宮司様にその内容をお話しインタビューを了承して頂いたものです。
この地域に残された伝承を守られる宮司様に感銘し、このお話を少しでも多くの方にご覧になって頂きたい一心で動画に致しました... できる事なら、少しでも多くの方に参拝して頂き、社の維持にお力添え頂ければ幸いです。
@@kamitabi さん 福神宮遷宮(移設)するので寄進してほしいのですね。近いうちに1口ですが、参加させていただきます。
Dr. K様、暖かいご支援、重ねて心から感謝致します。
チャンネル運営に関しましては、紆余曲折ございますが
ご期待に添える様、努力して参ります。
@@kamitabi 様 本日1口ですが振込ました。 神旅さんの作品は優れたものが多いので、多くの人の目にとまれば、飛躍する時が必ず来ると信じております。まずは登録者10万人目指してください。期待しております。
お力添え、ありがとうございました。
チャンネル運営、頑張ります!
私の先祖は高知でよからぬ呪術を広めたりもしましたがその一端もこうして河内に舞い戻り、私にも親方様の血が流れている事を思うと大変誇りに思います。
神社様に伝わる長髄彦は、初代神武天皇磐余彦が即位する前に、大和の地を治める王で
郷土防衛の英雄であった。という伝承はおそらく事実だろうと思います。
前回の動画にもコメントさせていただきましたが、大元出版の出雲口伝によると、
神武天皇とされる第一次、および第二次物部氏垂仁天皇の東征前に、大和における
出雲東王家富家を先祖とする欠史とされ無視されてきた磯城王家の皇太子で、長髄彦と呼ばれた
『日本書紀』に崇神天皇の頃の四道将軍として架空話に登場する大彦命がやむを得ず自決した。
とされた理由は、おそらく将来に渡り、いつかその血筋から担ぎ出される事を防ぐために、
長髄彦は自ら自決の道を選び滅んだ。という物部政権を牽制する既成事実を作る事で
一応の決着がつく事により、お互いに争いから手を引く事ができて、大和に残された親族や、
部下達を物部氏の追及被害から守り、自らは最果ての地津軽十三湊まで落ち延びたものだろう
と思います。
氏子の方々が口伝で現在まで受け継がれている神社様の長い歴史の伝統の確かさが伺えますね。
同時に出雲の伝承の確かさをも裏付ける伝承だと思います。
貴重な歴史の生き証人とも言うべき神社に伝わる伝承を今後も大切に
継承していただきたいと願っております。
始めましてkenと言います。古代出雲族こそが縄文から続く日の本。親方様ことナガスネヒコ様こそが日の本の王。逆賊で有るはずがないです。賊は徐福。
ありがとうございます🙇♀️🙇♀️
興味深いお話を有難うございました。残念なのがバックの音楽が少し大きいことです。
素直に感動しました
人世を思い自分を犠牲に
された長髄彦様に🙏
やっとほんとの事が言える時代になりました。ありがとうございます。長髄彦は、東北に逃げた?と言われてることも有るそうですが?
🙏🙏🙏
饒速日様の妻は長髄彦様の妹
戦いは磐余彦はまだ即位してない時の話
古事記日本書記は中臣氏の中の鎌足の子孫が藤原の姓を名乗り
以外の中臣氏は大中臣と名乗り別の家系になり
藤原不比等からが問題で故意に編纂され律令制国家設立の中で
歴史的に歪められ都合の良い事に書換えられていると
思います
饒速日様と長髄彦様の関係も裏切る様な方とは
信じられません
歴史はその時代の権力者の都合の良い事に書換えられて来てますから
二次大戦後と前の日本の歴史と思想も同じで米国の教育と思想になり
戦争前のことは学ぶ事が極めて少なく判らなくなっているのと同じではないかと思います
本当の歴史的真実が解明され早く濡れ衣が晴れる事をお祈りします
ワシはニギハヤヒの民なのでこれは嬉しい動画です❤
この物語りだと、饒速日って微妙な立場だけど……やっぱり何があっても、饒速日推しでしょうね。
……それでこそ、長髄彦の目指された、大和(大調和)の国。
初めてコメントします。
この話、神人さんの〝またまたの対話〟の本の中に長髄彦の御霊との対話が書かれており
その内容とほぼ同じ内容でした。
明治からの神武天皇万歳から、ようやく、長脛彦万歳に変わりそうですね!
此処に出てくる地元のお方とは、大倭神宮の社家の関連の方と思われます。この方は元々ナガスネヒコの子孫を名乗り、物部守屋を倒したトミノオビトイチイの系譜で、八尾の語源になったとても古い家柄の方の筈です。
元々、平岡の神社で社家をやっていたとの事で、その関係で平岡のとある神社と神紋が同じになっていると考えられます。
枚岡の地から、出雲に縁の深い、出雲井地籍をとおり、南生駒を通過し、富雄村入ると当神社になります。
枚岡神社の真東が富雄丸山古墳になります。
もしかしたらですが、ミカヅチは長脛彦が祀っていた平岡の元春日と呼ばれる神社の祭神だった可能性があります。元々藤原氏はミカヅチ祭祀を奪ったとされています。
先代旧事本紀の出雲系の代4代にミカヅチが出てきます。
出雲系の祭祀が磐余彦に奪われた後も、トミの霊璽を守ってきた前政権の系譜で、厳密に言うと母系が出雲の、所謂海部家(尾張家)の人物ではないかと思います。
とある伝承に、この近くの地籍の大曾根に因んだ、「中曽大根彦」という名前があります。この名前は二つに分けられ、ナガスネヒコ(中曽根彦)と、大彦に分けられたとも。
だからこの地で亡くなったと頑なに言い続けたと考えられます。彼を守る為に。
実際には琵琶湖通って北陸に行ったとも言われています。最終的に長野の松代の長者久保にて亡くなったともされています。
本来の日本の姿を取り戻したいものですね
山陰神道の表さんの本を読んだり動画を見てると長髄彦は十和田湖でアラハバキを立ち上げて東北全体に広め日高見国をつくったけれど第2の出雲日高見国も侵略されたそうですよ
古事記は、勝者側が書いたものです。神武天皇は、英雄のごとき記されていますが、武力で国譲りを迫って初代天皇になりましたが
これから真実が表に出てくることでしょう。配信有り難うございます。😳
声が聞きづらいので
マイク🎙️があれば更に良かったと思います✨
国の舵取りにまつわるお話にはこうしたエピソードがつきませんね。σ(´・ε・`*)
それでも真心込めてお祀りする。決して完全になかったことにしない。そうした積み重ねが我国の民度をかつて古今無双の位まで押し上げたんじゃないかなと思いました。d(>ω<。)
神語りに感謝します(*>∇<)ノ
いにしえの 威風宿せし 社みし
お館偲ぶ 民の畏み
自決はないと思います。恐らく、殺したということになると仏教の教えに反するのでそれを避けるために、後にそういうことにしたのだと思いますね。
長髄彦はこの神社の境内に埋葬されているということですかね。でも墳墓ではないということですから、やはり近くにある富雄丸山古墳との関係が気になりますね。ただ伝承と築造年代が合わないのが謎です。