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なんてパワフルでキラキラした歌声なんでしょう。正に唯一無二ですね。聖子ちゃんはいつもテレビに出ていて、そこにいるのが当たり前のような存在でしたが、今思えば、本当に特別な時間だったんだとつくづく思います。
当時の聖子さんだったらこの曲も大ヒットしたでしょうね🎉
凄い!こんなのが聴けるなんて、、、嬉し過ぎます!!アップしてくれて本当に有難うございます✨
デビュー時の新人らしい元氣な歌声です✨シングルB面かアルバム曲でも人気出そう😊
これはクオリティー高いですね。シングル候補として全然ありですよね。
嬉しい❤early聖子ちゃんの声❤そのものだよね🎵
この時代の声、透きとおっていて本当に好きすぎる
こんな歌が聴けて嬉しいです!
2番歌っている時、映像がマッチしてる‼️
この曲、最近広がり出しましたね。もう30年以上前にこの未発表曲を聞いていましまが、色々諸事情があり世に出なかったようです。来年でデビュー45周年、記念アルバムに入れて欲しい一曲です。
未発表曲まで知っているのは、すごいですね❗ちなみに画像の聖子ちゃんは、とっても若く少女👧のようで、ういういしくかわいらしいですね✨今後も画像アップ楽しみにしています‼️
風は秋色みたいな感じですね😊
凄い!稀少価値ありますね^_^ありがとうございます
Eighteenを作曲した平尾昌晃さんなんですね〜🎵
凄い80年代の空気感!この時期では無いと出てこないメロディですね。シングル候補かな?
いい歌〜でもやっぱり裸足の季節が聖子ちゃんらしいかなぁ〜🤗💞
えっ!ちょっ!イントロからもう売れる雰囲気満々なんですけどwどこかでアルバムに入れても良かったような・・・ひょっとすると他にもレベルの高いお蔵入り曲があるかもですね🤔
かなりありそうですネ。未発表曲まだ聞きたいです🎵クオリティ高い歌多そう❤
作詞は三浦徳子先生、既定路線。作曲は平尾昌晃先生。ってことはデビュー曲(裸足の季節)~5枚目(夏の扉)候補でしょうかね。確か松田聖子さんはデビュー前、平尾先生の音楽院の生徒でしたから。面倒見の良い事で知られていた平尾先生だから。ただご本人の番組でこの件はお話しされてはいませんでした。3枚目の「風は秋色」のB面がこのコンビ。「白い風は旅人」というタイトルは(コンセプトはおそらくはエクボのCMと一致)「白い」はデビューした頃、聖子さんのイメージカラーはピンクでピンクと相性の良い色というのも意識されていたそうです。曲を聴くとなんとなくこの絡みかな。「風」「旅」というワードもあるし。A面で採用されたのは既定路線だった小田雄一郎先生の作品。コンペに2曲、AとBと参加していたのだと思う。資生堂エクボのCMタイアップなのでスポンサーの関係上なのか(テレビなどで歌えるように)両A面という扱いでしたね。NHKの平尾昌晃が出ている番組でもB面を歌ってましたからリアル世代にはメジャーでした。
@@fish-cz1kl さまありがとうございます。3曲もあったのですね!聴いてみたいです。平尾先生とナベプロ、70年代はまだそんなでもなかった(小柳ルミ子。梓みちよ、アグネスチャン等沢山仕事していました)けれど、80年頃から風向き変わりましたね。(ナベプロも荒れてきたころ頃ですね。)それの根本は平尾作品の世界観が流行的ではなくなったことに1因があったように思う。歌わなくなったのは病気をして肺活量が著しく落ちたから。(本人ラジオで話していた)晋さんに言われたわけではないと思いますが背景にはあったと思います。(ただ病気の経験者からすると他人に可能性をとやかく言われたくないという感覚があると思います。)ただ平尾さんの病気は60年代末~70年代初頭?事実上干されたのは70年代の終わり頃、そう78年石野真子の件辺り)こういった事と相まってナベプロと決別とか干されたとか大きく言われるのでしょうね。確かに、思い通りでないから庄というものも根底にはありますね。確かに、若松さんはキャンディーズファンの間ではあまり評価良くないです。この曲は駄作、でも手直ししたらアルバムくらいには残せたかも。特にアレンジがテキトウ感満載。私はこういった話が嫌いで芸能界には…。見てるだけで、聴いているだけ。
私のこの動画で、クリエイターの方々の名前を載せたのは以上の理由です。(前コメント)ただ、ネットでの真偽不明な情報の為、前コメントは削除します。もし、真相に迫る情報があればヨロシクお願いします。
@@fish-cz1kl さまノンフィクション作家の軍司貞則は著書『ナベプロ帝国の興亡』(1992年)マスコミ関係者、テレビ局でも、渡辺プロダクションに好意的なスタッフには忖度をしている。一方、渡辺プロダクションに批判的なスタッフには圧力をかけて業界を去るように仕向けていたとしていると書かれていることか確認できます。平尾昌晃は57年に渡辺美佐子に見いだされてデビューした。(がナベプロ所属とは書かれていない)歌手として成功するも大病をして歌えなくなった時、作家活動を始めた。66年12月布施明の「霧の摩周湖」で作曲家として認知された。この曲について大分後に自分のラジオ番組でも「本当は自分が歌いたかった作品」で、レコ大で賞を取った時は嬉しくて涙が出たそうです。布施(当時ナベプロ)君に感謝しているとも。病床で「これで生きて行ける」と思ったと話していた。病後長い間(3年位寝たきり)、歌う事が出来ないとされていたが、「作家に専念」という(おそらく70年頃)のを言われたらツラすぎるというのはあったと思う。「はい、そうします」とは言えないと思う。78年「カナダからの手紙」歌っています。呼吸器系の病気は10年位経つとかなり回復する場合があるのです。その後、干されたのかは疑問。圧力がっても結構、好きに活動していたと思う。本に書かれてしまうようなことはしていたのでしょうけれど。ナベプロの思い通りにならない平尾昌晃は干されたと言われても仕方ないけれど。作家専念が摩周湖の後で70年頃。干されたとする70年代はヒット曲が沢山ありますから「干された」は違うでしょう。その思惑の上を行ったのでしょう。晩年作曲協会の理事になっていますから。音楽スクールは74年設立。その辺りから「次」は準備していたかと思います。大ヒットは78年「カナダからの手紙」「ぼくの先生はフィーバー」が最後のように思う。レッツゴーヤングの司会はこの後だったように思う。確か松田聖子は「風は秋色」でなく「eighteen」を歌っていた。芸能界は企画があってスポンサーがいて成り立っているので、「歌が上手い」「容姿が良い」「曲が良い」だけでは売れないのです。プロデュースが大事。松田聖子の成功はセルフプロデュースがスゴイと聞きました。作家が曲を作る時代ではないのが80年代から始まったと感じます。(いわゆるニューミュージックの台頭、アイドルでもセルフプロデュースの傾向、TVからネットが主流になって、職業作家は衰退)今思うと80年がターニングポイントだったと思う。その象徴が山口百恵引退、松田聖子デビューだと感じる。そういう流れの中での出来事。事実は1つでないかも。(立場、捉え方で違うし、人の言葉や態度の審議は難しいです。三浦先生も平尾先生も相澤社長も亡くなっています。若松さんは健忘されています。)
凄くキーが高くて、聖子さん苦しそう。平尾先生の曲だから70年代のザ・歌謡曲ですね。エイティーンの方がやはりいい。でも貴重な未発表曲聞かせてくれて感謝します。
20年前に知った曲。白い風は旅人か。。初めて曲のタイトル知りました。ありがとう。昔は、コアな聖子ファンと交流があり、沢山の激レア音源や映像を仲間うちでシェアしてきた思い出があります。著作権などもあるから、どこまであげてよいのか、わからないです。
曲名は、当初 持込み時には「無題」だったそうです。ネット流出後に付けられたのではないか?との事です。(ネット情報なので、真偽は?)
@@fish-cz1kl そうですよね。いい曲でヒットしそうなのに、完全お蔵入りというのは、オトナの事情があったのでしょうか。笑
@@fish-cz1kl 貴重なエピソード、興味深いですね。ありがとうございます。これを知った後で聴けば感慨深いものがありますね。
@@fish-cz1kl横から失礼しますm(_ _)m私もたぶん20年かもっと前に未発表曲ばかり集めたCDをファン友さんから頂きましたがそのとき既にタイトル「白い風は旅人」と書いてありましたサビの部分をそのまま使って分かりやすいからそう呼んでただけかもしれませんがネットは存在してたけどまだネットのサイトにアップされたりはしてなかったですねファンの間で次第にそう呼ばれるようになったんですかねそれにしても平尾昌晃さんが作られたとは思ってもみませんでした!しかも事務所に持ち込まれたとは。アレンジの雰囲気からして(アレンジはもろ信田さんですね笑)シルエットあたりの候補曲として作られたものかと想像してました。聖子ちゃんの曲は未発表のものもクオリティ高いですよね😊✨
消えてしまいましたが私のこのコメにfishさんがつけて下さってたレス、ものすごい情報量と驚きと興奮で、これは時間のある時に落ち着いてしっかり返信を書かなければ!て思ったままタイミングを逃してしまっていました…ごめんなさい!大変な失礼お詫び申し上げます。その間に削除されたようですね、これここに載せていいのかなという気もしてたのでご無理もありませんが私は知れて良かったです!貴重な情報を本当にありがとうございました。今頃ですが感謝致します。聖子ちゃんが音楽学院転校してたの知りませんでした。そういえばたまに違う学院の名前で紹介されてることがあり、え〜間違えてる〜と思ったことがありました。芸能界の裏は大変ですね、いつも笑顔の作家さんにも思わぬ苦労が…若松さんはぽやっとしたとこがおありなので(笑)全く悪気はない気がします(笑)いずれにしてもクオリティー高く今聴いても楽しめる楽曲ボツになったアレンジが他の曲で使われてるのもまた歴史を感じますこういう未発表の埋もれた宝物みたいな曲を聴けてそれについて語り合えるのは古参ファンにとって垂涎の極みです😊✨
少しずつ春と同じぐらいキーの高い箇所が多い。でも当時の聖子さんは難なく歌い上げて凄いです。ただ後に声が出にくくなり、キャンディボイスが誕生しますが、、もっとそのあとは、、周りが無理をさせたんでしょうね、、
未発表の曲もあるんだね、😊
どこから発掘されたんですか!!!
こ、これは青い珊瑚礁と競合した2曲目シングルの候補曲でしょうか?😱アレンジもかなりきめ細かく制作されててシングル曲レベルですね!青い珊瑚礁が凄過ぎたので、候補から漏れたのかな。このレベルでお蔵入りなんて、当時のソニーの聖子さんへの熱意が伝わってきます
この曲は当時、平尾昌晃さんが、サンミュージックに持ち込んだ曲と云われています。(無題で、3曲程あったそうです。)レコーディングも、相澤社長主導で信濃町スタジオにて本格的に収録されたとの事です。(若松さんも、自身のチャンネルで事務所側からの持ち込み曲だと仰っていました。)その中で採用されたのが、後の『Eighteen』のみで、他はお蔵入りに!曲の完成度からして、アルバムに収録されていても申し分無い曲だと!私は、感じました。当時の、業界の事情なのかな?
@@fish-cz1kl 返信ありがとうございます。メロディだけのデモならまだしも、この完成度でお蔵入りとは😱。この曲以外にもお蔵入り曲は多数有りそうですね。話は変わりますが、1987年に大阪ガスファンヒーターのCMソングだったと記憶してますが【めぐり逢いって不思議】というとても良い曲があり私はアルバムかシングルカットを期待してましたが、どうもお蔵入りしたようで残念に思っています。聖子さんソニーに掛け合ってシングルカットしてほしいなぁなんて密かに思ってます😅
2:20 ここからの間奏あなたの手紙と同じ😅😅😅
これはシングル候補でもなく、タイトルも作家陣も未確認だと思います。一番最初にあげた人がつけたタイトルかと…未発表は合ってますが、スタジオで初期に試しに歌ったものですね。
@@blossomcherry617 私のこの動画で、クリエイターの方々の名前を載せたのは以上の理由です。(前コメント)ただ、ネットでの真偽不明な情報の為、前コメントは削除します。もし、真相に迫る情報があればヨロシクお願いします。
仮に青い珊瑚礁の代わりにリリースされてたなら、今の聖子さんはいなかったのかも。😵💫3曲目だったらそれなりに売れたのかもしれないけど。白い「風」のキーが高過ぎて、「風」が、聞き取れない。聖子さんにしては珍しい。平尾先生はやっぱりeighteen が最高傑作。
ペンギンのCMで有名な未発売曲「Blue love letter」は完成していたらしいですね。最近AI歌唱?みたいなのがあるようです。
これを誰がどこから持ってきたの?
「風は秋色」と「白いパラソル」をゴチャ混ぜにしたような感じ
風は秋色のB面Eighteenは、悲しき16歳/キャシーリンデンに似すぎて、以来、平尾昌晃は出てこなくなった。この曲を選択してれば良かったのでは・・・・・・
なんてパワフルでキラキラした歌声なんでしょう。正に唯一無二ですね。
聖子ちゃんはいつもテレビに出ていて、そこにいるのが当たり前のような存在でしたが、
今思えば、本当に特別な時間だったんだとつくづく思います。
当時の聖子さんだったらこの曲も大ヒットしたでしょうね🎉
凄い!こんなのが聴けるなんて、、、嬉し過ぎます!!
アップしてくれて本当に有難うございます✨
デビュー時の新人らしい元氣な歌声です✨シングルB面かアルバム曲でも人気出そう😊
これはクオリティー高いですね。シングル候補として全然ありですよね。
嬉しい❤early聖子ちゃんの声❤そのものだよね🎵
この時代の声、透きとおっていて本当に好きすぎる
こんな歌が聴けて嬉しいです!
2番歌っている時、映像がマッチしてる‼️
この曲、最近広がり出しましたね。
もう30年以上前にこの未発表曲を聞いていましまが、色々諸事情があり世に出なかったようです。
来年でデビュー45周年、記念アルバムに入れて欲しい一曲です。
未発表曲まで知っているのは、すごいですね❗ちなみに画像の聖子ちゃんは、とっても若く少女👧のようで、ういういしくかわいらしいですね✨今後も画像アップ楽しみにしています‼️
風は秋色みたいな感じですね😊
凄い!稀少価値ありますね^_^ありがとうございます
Eighteenを作曲した
平尾昌晃さんなんですね〜🎵
凄い80年代の空気感!この時期では無いと出てこないメロディですね。シングル候補かな?
いい歌〜でもやっぱり裸足の季節が聖子ちゃんらしいかなぁ〜🤗💞
えっ!ちょっ!イントロからもう売れる雰囲気満々なんですけどw
どこかでアルバムに入れても良かったような・・・
ひょっとすると他にもレベルの高いお蔵入り曲があるかもですね🤔
かなりありそうですネ。未発表曲まだ聞きたいです🎵クオリティ高い歌多そう❤
作詞は三浦徳子先生、既定路線。
作曲は平尾昌晃先生。
ってことはデビュー曲(裸足の季節)~5枚目(夏の扉)候補でしょうかね。
確か松田聖子さんはデビュー前、平尾先生の音楽院の生徒でしたから。
面倒見の良い事で知られていた平尾先生だから。
ただご本人の番組でこの件はお話しされてはいませんでした。
3枚目の「風は秋色」のB面がこのコンビ。
「白い風は旅人」というタイトルは(コンセプトはおそらくはエクボのCMと一致)
「白い」はデビューした頃、聖子さんのイメージカラーはピンクでピンクと相性の良い色というのも意識されていたそうです。
曲を聴くとなんとなくこの絡みかな。
「風」「旅」というワードもあるし。
A面で採用されたのは既定路線だった小田雄一郎先生の作品。
コンペに2曲、AとBと参加していたのだと思う。
資生堂エクボのCMタイアップなのでスポンサーの関係上なのか(テレビなどで歌えるように)両A面という扱いでしたね。
NHKの平尾昌晃が出ている番組でもB面を歌ってましたからリアル世代にはメジャーでした。
@@fish-cz1kl さま
ありがとうございます。
3曲もあったのですね!聴いてみたいです。
平尾先生とナベプロ、70年代はまだそんなでもなかった(小柳ルミ子。梓みちよ、アグネスチャン等沢山仕事していました)けれど、80年頃から風向き変わりましたね。(ナベプロも荒れてきたころ頃ですね。)
それの根本は平尾作品の世界観が流行的ではなくなったことに1因があったように思う。
歌わなくなったのは病気をして肺活量が著しく落ちたから。(本人ラジオで話していた)
晋さんに言われたわけではないと思いますが背景にはあったと思います。(ただ病気の経験者からすると他人に可能性をとやかく言われたくないという感覚があると思います。)
ただ平尾さんの病気は60年代末~70年代初頭?事実上干されたのは70年代の終わり頃、そう78年石野真子の件辺り)
こういった事と相まってナベプロと決別とか干されたとか大きく言われるのでしょうね。
確かに、思い通りでないから庄というものも根底にはありますね。
確かに、若松さんはキャンディーズファンの間ではあまり評価良くないです。
この曲は駄作、でも手直ししたらアルバムくらいには残せたかも。特にアレンジがテキトウ感満載。
私はこういった話が嫌いで芸能界には…。見てるだけで、聴いているだけ。
私のこの動画で、クリエイターの方々の名前を載せたのは以上の理由です。(前コメント)
ただ、ネットでの真偽不明な情報の為、前コメントは削除します。
もし、真相に迫る情報があればヨロシクお願いします。
@@fish-cz1kl さま
ノンフィクション作家の軍司貞則は著書『ナベプロ帝国の興亡』(1992年)
マスコミ関係者、テレビ局でも、渡辺プロダクションに好意的なスタッフには忖度をしている。一方、渡辺プロダクションに批判的なスタッフには圧力をかけて業界を去るように仕向けていたとしている
と書かれていることか確認できます。
平尾昌晃は57年に渡辺美佐子に見いだされてデビューした。(がナベプロ所属とは書かれていない)
歌手として成功するも大病をして歌えなくなった時、作家活動を始めた。66年12月布施明の「霧の摩周湖」で作曲家として認知された。
この曲について大分後に自分のラジオ番組でも「本当は自分が歌いたかった作品」で、レコ大で賞を取った時は嬉しくて涙が出たそうです。布施(当時ナベプロ)君に感謝しているとも。病床で「これで生きて行ける」と思ったと話していた。
病後長い間(3年位寝たきり)、歌う事が出来ないとされていたが、「作家に専念」という(おそらく70年頃)のを言われたらツラすぎるというのはあったと思う。「はい、そうします」とは言えないと思う。
78年「カナダからの手紙」歌っています。呼吸器系の病気は10年位経つとかなり回復する場合があるのです。
その後、干されたのかは疑問。圧力がっても結構、好きに活動していたと思う。
本に書かれてしまうようなことはしていたのでしょうけれど。ナベプロの思い通りにならない平尾昌晃は干されたと言われても仕方ないけれど。作家専念が摩周湖の後で70年頃。干されたとする70年代はヒット曲が沢山ありますから「干された」は違うでしょう。
その思惑の上を行ったのでしょう。
晩年作曲協会の理事になっていますから。
音楽スクールは74年設立。その辺りから「次」は準備していたかと思います。
大ヒットは78年「カナダからの手紙」「ぼくの先生はフィーバー」が最後のように思う。
レッツゴーヤングの司会はこの後だったように思う。確か松田聖子は「風は秋色」でなく「eighteen」を歌っていた。
芸能界は企画があってスポンサーがいて成り立っているので、「歌が上手い」「容姿が良い」「曲が良い」だけでは売れないのです。プロデュースが大事。
松田聖子の成功はセルフプロデュースがスゴイと聞きました。
作家が曲を作る時代ではないのが80年代から始まったと感じます。(いわゆるニューミュージックの台頭、アイドルでもセルフプロデュースの傾向、TVからネットが主流になって、職業作家は衰退)
今思うと80年がターニングポイントだったと思う。その象徴が山口百恵引退、松田聖子デビューだと感じる。
そういう流れの中での出来事。事実は1つでないかも。(立場、捉え方で違うし、人の言葉や態度の審議は難しいです。三浦先生も平尾先生も相澤社長も亡くなっています。若松さんは健忘されています。)
凄くキーが高くて、聖子さん苦しそう。平尾先生の曲だから70年代のザ・歌謡曲ですね。
エイティーンの方がやはりいい。でも貴重な未発表曲聞かせてくれて感謝します。
20年前に知った曲。白い風は旅人か。。初めて曲のタイトル知りました。ありがとう。
昔は、コアな聖子ファンと交流があり、沢山の激レア音源や映像を仲間うちでシェアしてきた思い出があります。著作権などもあるから、どこまであげてよいのか、わからないです。
曲名は、当初 持込み時には「無題」だったそうです。
ネット流出後に付けられたのではないか?
との事です。
(ネット情報なので、真偽は?)
@@fish-cz1kl そうですよね。
いい曲でヒットしそうなのに、完全お蔵入りというのは、オトナの事情があったのでしょうか。笑
@@fish-cz1kl 貴重なエピソード、興味深いですね。ありがとうございます。
これを知った後で聴けば感慨深いものがありますね。
@@fish-cz1kl横から失礼しますm(_ _)m
私もたぶん20年かもっと前に未発表曲ばかり集めたCDをファン友さんから頂きましたがそのとき既にタイトル「白い風は旅人」と書いてありました
サビの部分をそのまま使って分かりやすいからそう呼んでただけかもしれませんが
ネットは存在してたけどまだネットのサイトにアップされたりはしてなかったですね
ファンの間で次第にそう呼ばれるようになったんですかね
それにしても平尾昌晃さんが作られたとは思ってもみませんでした!しかも事務所に持ち込まれたとは。
アレンジの雰囲気からして(アレンジはもろ信田さんですね笑)シルエットあたりの候補曲として作られたものかと想像してました。
聖子ちゃんの曲は未発表のものもクオリティ高いですよね😊✨
消えてしまいましたが私のこのコメにfishさんがつけて下さってたレス、ものすごい情報量と驚きと興奮で、これは時間のある時に落ち着いてしっかり返信を書かなければ!て思ったままタイミングを逃してしまっていました…ごめんなさい!大変な失礼お詫び申し上げます。
その間に削除されたようですね、これここに載せていいのかなという気もしてたのでご無理もありませんが私は知れて良かったです!貴重な情報を本当にありがとうございました。今頃ですが感謝致します。
聖子ちゃんが音楽学院転校してたの知りませんでした。そういえばたまに違う学院の名前で紹介されてることがあり、え〜間違えてる〜と思ったことがありました。
芸能界の裏は大変ですね、いつも笑顔の作家さんにも思わぬ苦労が…
若松さんはぽやっとしたとこがおありなので(笑)全く悪気はない気がします(笑)
いずれにしてもクオリティー高く今聴いても楽しめる楽曲
ボツになったアレンジが他の曲で使われてるのもまた歴史を感じます
こういう未発表の埋もれた宝物みたいな曲を聴けてそれについて語り合えるのは古参ファンにとって垂涎の極みです😊✨
少しずつ春と同じぐらいキーの高い箇所が多い。でも当時の聖子さんは難なく歌い上げて凄いです。ただ後に声が出にくくなり、キャンディボイスが誕生しますが、、もっとそのあとは、、周りが無理をさせたんでしょうね、、
未発表の曲もあるんだね、😊
どこから発掘されたんですか!!!
こ、これは青い珊瑚礁と競合した2曲目シングルの候補曲でしょうか?😱
アレンジもかなりきめ細かく制作されててシングル曲レベルですね!
青い珊瑚礁が凄過ぎたので、候補から漏れたのかな。
このレベルでお蔵入りなんて、当時のソニーの聖子さんへの熱意が伝わってきます
この曲は当時、平尾昌晃さんが、サンミュージックに持ち込んだ曲と云われています。
(無題で、3曲程あったそうです。)
レコーディングも、相澤社長主導で信濃町スタジオにて本格的に収録されたとの事です。
(若松さんも、自身のチャンネルで事務所側からの持ち込み曲だと仰っていました。)
その中で採用されたのが、後の『Eighteen』のみで、他はお蔵入りに!
曲の完成度からして、アルバムに収録されていても申し分無い曲だと!
私は、感じました。
当時の、業界の事情なのかな?
@@fish-cz1kl 返信ありがとうございます。メロディだけのデモならまだしも、この完成度でお蔵入りとは😱。この曲以外にもお蔵入り曲は多数有りそうですね。
話は変わりますが、1987年に大阪ガスファンヒーターのCMソングだったと記憶してますが【めぐり逢いって不思議】というとても良い曲があり私はアルバムかシングルカットを期待してましたが、どうもお蔵入りしたようで残念に思っています。聖子さんソニーに掛け合ってシングルカットしてほしいなぁなんて密かに思ってます😅
2:20 ここからの間奏あなたの手紙と同じ😅😅😅
これはシングル候補でもなく、タイトルも作家陣も未確認だと思います。一番最初にあげた人がつけたタイトルかと…
未発表は合ってますが、スタジオで初期に試しに歌ったものですね。
@@blossomcherry617
私のこの動画で、クリエイターの方々の名前を載せたのは以上の理由です。(前コメント)
ただ、ネットでの真偽不明な情報の為、前コメントは削除します。
もし、真相に迫る情報があればヨロシクお願いします。
仮に青い珊瑚礁の代わりにリリースされてたなら、今の聖子さんはいなかったのかも。😵💫
3曲目だったらそれなりに売れたのかもしれないけど。
白い「風」のキーが高過ぎて、「風」が、聞き取れない。聖子さんにしては珍しい。
平尾先生はやっぱりeighteen が最高傑作。
ペンギンのCMで有名な未発売曲「Blue love letter」は完成していたらしいですね。最近AI歌唱?みたいなのがあるようです。
これを誰がどこから持ってきたの?
「風は秋色」と「白いパラソル」をゴチャ混ぜにしたような感じ
風は秋色のB面Eighteenは、悲しき16歳/キャシーリンデンに似すぎて、以来、平尾昌晃は出てこなくなった。この曲を選択してれば良かったのでは・・・・・・