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なんか近年の秀吉の悪評が酷すぎてはいはい秀吉が悪い秀吉が悪いになってきてるよね。なんか違和感あるのよなこの流れ。子孫がいないからクレーム入れられないし全部秀吉が悪いみたいな流れ。
スペインを始めとする欧米が各地を植民地化していく世界情勢の中でこのまま日本もやられるのを座して待つのではなく朝鮮ぐらいまで領土を広げておいてそこで食い止めようという考えだったとしたら狂人でもなんでもないのでこのあたりの再評価は必要だと思います。
天正14年にコエリョやフロイスら30余名のイエズス会士が出来たばかりの大坂城に秀吉を訪問した。この時の秀吉の非常な歓待ぶりがフロイス日本史に詳細に書かれている。一部だけ書くとこんな風である。「……これら全階層と階段を登るごとに関白の前を非常に愛らしく敏捷で立派な衣服をまとった十三、四歳の少女が刀を肩に担いで進んで行った。関白は時折この少女に何か話ながら進んだが、けだし関白がいる大奥では男子の出入りが禁止されており、全ての用務は高位貴紳の娘たちが果たしていたのである。四階までおもむろに登り終えると関白は疲れただろうから茶を飲まれよ、と言った。すると入念に茶が運ばれて来た。最終階に登った時にもまた彼は茶を命じ、下へ降りる時にも茶が供せられた。その茶は日本で最上の品質の物で、立派な容器から注がれたが、これは彼が最も愛好するものであった」名高い伴天連追放令を出す前の話である。もっとも追放令を出した後でも秀吉は態度を軟化させてフロイスらには親しく面会していたりする。フロイスの秀吉についての記述も決して一面的ではない。フロイス日本史は資料として貴重なだけでなく読物としても面白いので皆様におすすめ致します。秀吉に護衛用の戦闘メイドみたいな女の子が身近にいたのが興味深いですよね。
秀吉がスペインの植民地化の先兵の宣教師に嫌われていた、、、逆にすれば、スペインの植民地化を防いだ、と言う事かな
信長の印象を悪く操作したのは秀吉でしょう。が、死後家康に同じことをされたのでは?
そのとおりです 歴史をよくご存じで! 家康も明治政府に同じことされた www
『フロイス日本史』には秀吉についての記述に多数のページが割かれているが彼の六本指については一箇所にしか書かれていない。フロイスは秀吉を憎んでいたはずだと思うが六本指六本指と身体的欠点を殊更にあげつらうのは人間の行動として真善美に外れると思っていたらしい。つい最近もフジテレビのアナウンサーが後輩の容姿を嘲笑する事件があって大炎上したがああいう他人の容姿イジリは嫌なものだという倫理観ははるか戦国時代の大昔からあったわけである。もし人間が非難されなければならないとしたらそれは容姿などではなく行いによるべきであるとフロイスは考えていたのか、秀吉の六本指については記録として一箇所にしか書かないが秀吉の並外れた女好きについては本の中のあちこちで厳しく叩いている。
大友宗麟が国元に宛てた「表向きのことは大和大納言(秀長)に、内々のことは千宗易(利休)に」という有名な書状の一節に、「多くの座敷には菓子が山と積まれ、関白(秀吉)は茶坊主に茶を立てさせ、家臣たちと談笑して気ままにその菓子を食していた」とある。案外、糖尿病もタヒ因の一つだったのかもしれない。
海外の脅威を理解していたのなら、朝鮮出兵も狂行とは言い切れないと思います。まあ残された時間から来る焦りもあったのかも知れませんがね。
苦しい戦いながらも優勢に進めてはいたので無茶振りながら戦力の見立ても結構正確だったのかなとも思います元寇なんて大失敗じゃんアゼルバイジャン
秀吉が「俺は信長様のように甘くはないぞ」というような事を言った、と聞いたことがあります。
いいかげん、その切り取りを妄信するのやめない?今の時代は検索すれば真実が分かるんだからさ
伴天連追放令を出した秀吉を宣教師たちが良く言うはずはない。
秀長の病死が豊臣家崩壊の始まり
秀吉って名前が世に出たのは30前で20代までは謎につつまれているんだよな
自分に言わせればフロイスも曲者だし、評価も話半分ととらえるべきと思うが、妹の朝日姫を家康に人質同前に嫁がせたところはおねと秀長以外には冷たいと言えるし、聚楽第番所の落書を知って番衆17人を処刑するなど冷酷なところはあった。大河ドラマ『真田丸』で小日向文世氏が演じた秀吉が案外史実に近かったのかもしれない。
ごく一部?キリクソとか奴隷貿易の一端を担ってたろうが
秀吉は女好きというか子供ができなくて死ぬほど焦っていたのでは?
これは私の想像でしかないのですが、一代で一気に権力を握った結果、自分がそれをなくすのが恐ろしくなって、誰も信用できなくなって暴君に成り果ててしまったんじゃないのかな、と思いますね過度の女好きや派手好きも自分の権勢をアピールしたいという側面もあったのではないかとそう考えると「秀吉は暴君である」というのもまた、一側面でしかないと思えますね……
むしろ権力がなくなるのを恐ろしく思わない権力者なんていないでしょう。特に武家社会なら、なおさら。平氏、北条氏、足利氏、みんな権力を失うまいと足掻き続けましたよ。そして唯一、自分から権力を放棄した徳川慶喜は、敵からも味方からも罵倒されて、現代にいたるまで嘲笑されています。
一部の宣教師?全体でやってたんじゃないの?パーパの指示でやってたんだろ?
くだんのオルガンティノや少年使節を引率したヴァリニャーノあたりはそれなりに日本をリスペクトしている。コエリョ隊長がことごとく秀吉と反りが合ってない。イエズス会は見て見ぬ振りをしながら奴隷売買の自粛をポルトガル王やローマ教皇にお伺いしている。あとからスペインづてで日本に来たフランシスコ会やドミニコ会からは、イエズス会は手ぬるいと詰められている。
秀吉の側室も皆んな梅毒だ笑
秀吉は男性不妊症と言われてますね。側室をたくさん抱えてたにも関わらず子供は授かりませんでした。秀吉の元側室で、側室を止めた後妊娠した女性もいました。一方、同じ女好きの甥の秀次には子供がいました。秀次の子も処刑されましたけどね。当時は医療の知識はあまりないですが、家康は秀吉の体質を見抜いていたようです。家康の女性の不貞には不寛容だったとも言われています。その為、托卵子からは天下は奪わないといけないと思っていたようです。
フロイスなんて誇大妄想と虚言癖のヤバいやつの証言を正しいみたいに言うのそろそろやめませんか?
秀吉の幼名は日吉です。幼名を持つ百姓などあり得ないので…最下層の武士の長男であったのでわ?
幼名は後世の創作のような気はするけど・・・。
日吉はおそらく創作でしょう。仮に武士だったとすると、母親の経歴と姉妹の嫁ぎ先が合わないでしょ。姉妹はただの農民に嫁いでるし、出世してから迎え入れた小姓は全部母系統の人材です。父系に武士が居たのであれば真っ先にこちらを家臣団に組み入れているでしょう
ーコメ
ひで〜よし❤😂🎉
なんか近年の秀吉の悪評が酷すぎてはいはい秀吉が悪い秀吉が悪いになってきてるよね。
なんか違和感あるのよなこの流れ。
子孫がいないからクレーム入れられないし全部秀吉が悪いみたいな流れ。
スペインを始めとする欧米が各地を植民地化していく世界情勢の中で
このまま日本もやられるのを座して待つのではなく朝鮮ぐらいまで領土を広げておいて
そこで食い止めようという考えだったとしたら狂人でもなんでもないので
このあたりの再評価は必要だと思います。
天正14年にコエリョやフロイスら30余名のイエズス会士が出来たばかりの大坂城に秀吉を訪問した。この時の秀吉の非常な歓待ぶりがフロイス日本史に詳細に書かれている。一部だけ書くとこんな風である。
「……これら全階層と階段を登るごとに関白の前を非常に愛らしく敏捷で立派な衣服をまとった十三、四歳の少女が刀を肩に担いで進んで行った。関白は時折この少女に何か話ながら進んだが、けだし関白がいる大奥では男子の出入りが禁止されており、全ての用務は高位貴紳の娘たちが果たしていたのである。
四階までおもむろに登り終えると関白は疲れただろうから茶を飲まれよ、と言った。すると入念に茶が運ばれて来た。最終階に登った時にもまた彼は茶を命じ、下へ降りる時にも茶が供せられた。その茶は日本で最上の品質の物で、立派な容器から注がれたが、これは彼が最も愛好するものであった」
名高い伴天連追放令を出す前の話である。もっとも追放令を出した後でも秀吉は態度を軟化させてフロイスらには親しく面会していたりする。フロイスの秀吉についての記述も決して一面的ではない。フロイス日本史は資料として貴重なだけでなく読物としても面白いので皆様におすすめ致します。秀吉に護衛用の戦闘メイドみたいな女の子が身近にいたのが興味深いですよね。
秀吉がスペインの植民地化の先兵の宣教師に嫌われていた、、、逆にすれば、スペインの植民地化を防いだ、と言う事かな
信長の印象を悪く操作したのは秀吉でしょう。が、死後家康に同じことをされたのでは?
そのとおりです 歴史をよくご存じで! 家康も明治政府に同じことされた www
『フロイス日本史』には秀吉についての記述に多数のページが割かれているが彼の六本指については一箇所にしか書かれていない。フロイスは秀吉を憎んでいたはずだと思うが六本指六本指と身体的欠点を殊更にあげつらうのは人間の行動として真善美に外れると思っていたらしい。つい最近もフジテレビのアナウンサーが後輩の容姿を嘲笑する事件があって大炎上したがああいう他人の容姿イジリは嫌なものだという倫理観ははるか戦国時代の大昔からあったわけである。
もし人間が非難されなければならないとしたらそれは容姿などではなく行いによるべきであるとフロイスは考えていたのか、秀吉の六本指については記録として一箇所にしか書かないが秀吉の並外れた女好きについては本の中のあちこちで厳しく叩いている。
大友宗麟が国元に宛てた「表向きのことは大和大納言(秀長)に、内々のことは千宗易(利休)に」という有名な書状の一節に、
「多くの座敷には菓子が山と積まれ、関白(秀吉)は茶坊主に茶を立てさせ、家臣たちと談笑して気ままにその菓子を食していた」とある。
案外、糖尿病もタヒ因の一つだったのかもしれない。
海外の脅威を理解していたのなら、朝鮮出兵も狂行とは言い切れないと思います。
まあ残された時間から来る焦りもあったのかも知れませんがね。
苦しい戦いながらも優勢に進めてはいたので無茶振りながら戦力の見立ても結構正確だったのかなとも思います
元寇なんて大失敗じゃんアゼルバイジャン
秀吉が「俺は信長様のように甘くはないぞ」というような事を言った、と聞いたことがあります。
いいかげん、その切り取りを妄信するのやめない?
今の時代は検索すれば真実が分かるんだからさ
伴天連追放令を出した秀吉を宣教師たちが良く言うはずはない。
秀長の病死が豊臣家崩壊の始まり
秀吉って名前が世に出たのは30前で20代までは謎につつまれて
いるんだよな
自分に言わせればフロイスも曲者だし、評価も話半分ととらえるべきと思うが、妹の朝日姫を家康に人質同前に嫁がせたところはおねと秀長以外には冷たいと言えるし、聚楽第番所の落書を知って番衆17人を処刑するなど冷酷なところはあった。大河ドラマ『真田丸』で小日向文世氏が演じた秀吉が案外史実に近かったのかもしれない。
ごく一部?
キリクソとか奴隷貿易の一端を担ってたろうが
秀吉は女好きというか
子供ができなくて死ぬほど焦っていたのでは?
これは私の想像でしかないのですが、一代で一気に権力を握った結果、自分がそれをなくすのが恐ろしくなって、誰も信用できなくなって暴君に成り果ててしまったんじゃないのかな、と思いますね
過度の女好きや派手好きも自分の権勢をアピールしたいという側面もあったのではないかと
そう考えると「秀吉は暴君である」というのもまた、一側面でしかないと思えますね……
むしろ権力がなくなるのを恐ろしく思わない権力者なんていないでしょう。
特に武家社会なら、なおさら。
平氏、北条氏、足利氏、みんな権力を失うまいと足掻き続けましたよ。
そして唯一、自分から権力を放棄した徳川慶喜は、敵からも味方からも罵倒されて、現代にいたるまで嘲笑されています。
一部の宣教師?全体でやってたんじゃないの?
パーパの指示でやってたんだろ?
くだんのオルガンティノや少年使節を引率したヴァリニャーノあたりはそれなりに日本をリスペクトしている。コエリョ隊長がことごとく秀吉と反りが合ってない。
イエズス会は見て見ぬ振りをしながら奴隷売買の自粛をポルトガル王やローマ教皇にお伺いしている。
あとからスペインづてで日本に来たフランシスコ会やドミニコ会からは、イエズス会は手ぬるいと詰められている。
秀吉の側室も皆んな梅毒だ笑
秀吉は男性不妊症と言われてますね。側室をたくさん抱えてたにも関わらず子供は授かりませんでした。
秀吉の元側室で、側室を止めた後妊娠した女性もいました。一方、同じ女好きの甥の秀次には子供がいました。秀次の子も処刑されましたけどね。
当時は医療の知識はあまりないですが、家康は秀吉の体質を見抜いていたようです。家康の女性の不貞には不寛容だったとも言われています。その為、托卵子からは天下は奪わないといけないと思っていたようです。
フロイスなんて誇大妄想と虚言癖のヤバいやつの証言を正しいみたいに言うのそろそろやめませんか?
秀吉の幼名は日吉です。
幼名を持つ百姓などあり得ないので…最下層の武士の長男であったのでわ?
幼名は後世の創作のような気はするけど・・・。
日吉はおそらく創作でしょう。
仮に武士だったとすると、母親の経歴と姉妹の嫁ぎ先が合わないでしょ。
姉妹はただの農民に嫁いでるし、出世してから迎え入れた小姓は全部母系統の人材です。
父系に武士が居たのであれば真っ先にこちらを家臣団に組み入れているでしょう
ーコメ
ひで〜よし❤😂🎉