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これには忘れられない思い出があるんだよね。当時行ってた店って日中は混まないんだよ。ハマってたらそっち系の人に声かけられて数箱使えって良いよって言われてさー。めちゃ圧あるんだよ。怖いもんなんてねーよって年齢だったけどさ。逃げたよね笑
この台は連続回転中に限りハズレ出目に規則性が有り、同じハズレ出目が2回続く事は無い。逆に言えば同じハズレ出目が2回続くと次の回転で大当たりとなる、と攻略雑誌(パチンコ必勝ガイド)に書いてあった。いい時代だったな〜。
出目オカルトはここから始まったと言ってもいい 3松松 7松松...いろんなオカルトが飛び交ったなぁ
珍古代万歳!毎回楽しみに視聴してます。やっと出ましたねー、舞羅望、極。当たり図柄が、3種類しかなく、独特のアタッカー、保留1個目だけの仕組まれた連チャン。大当たりでアタッカーのフタがあき、両はじの金属部品に玉が、跳ねておまけのチューリップへ入る。この緻密に計算された玉の動きを、考えた当時の平和の開発者は、凄いですね。連チャンの仕組みは、昔良くあった2段階抽選の1段階目を保留1個目のみ、無条件で通過。2段回目の確率が、5分の1という仕組みでした。動画では、連チャンならずで残念。この機種の欠点は、左出目にブランク絵柄が出ると、ハズレが確定してしまうこと。だから、大当たり後1回転目は、3、7、松が左に出る事を願ってました。
確かこの島には4000発入り巨大ドル箱が置いてあった
このころのデジパチは大当たり確率が今のミドル機相当で200~270分の1までぐらいが最大だったような記憶が。まだ保留玉連チャン機が出てくるよりも少し前で、単発で交換の時代でしたね。(ラッキーナンバー制が出始めたぐらいで、店によって扱いが異なった運用が多かった)おまけチャッカーで大量出玉な分釘も少し辛めでしたが、どの台も平均して3000発は堅かった。
北海道は裏物のような連チャンでした(多分裏物)極の島はみんなニ〜三萬円分を五百円玉に両替して台の横のサンド前に積んで打ってました。まさに鉄火場でした(笑)ブラボーシリーズではエキシードが好きでした。アタッカーの開き方とトルコ行進曲が良かったなぁ〜
この機種は設置当時頻繁に打ちましたがどうも私との相性が悪く、残念ながら良い思い出は殆どありません。しかし射幸心を煽るチューリップ式オマケチャッカーの斬新さや松竹梅揃いが大当たりという画期的特徴が今でも私の記憶に強烈に残っています。
初めて保留玉連チャンを体験した思い出の名機です
うーん。昔を思い出す。リーチはこのシンプルさが最高だったんだよね。
この頃のパチンコは当たると本当に嬉しかった。嬉しいの気持ちの種類が今と違ってた感じ。
当時、セブン機は三共がフィーバー***、平和はブラボー***でしたよね。あのレーザースぺ―シーも盤面にはBRAVOの文字がありましたよね。
初めて連チャン経験した台。その時保留でリーチかかったけど当たるわけないと思って交換する準備してて全然見てなかった。当たってびっくり。
この台はリーチ目疑惑がありましたね!
高校生の時、バイトの給料をかなり注ぎ込んだなー
俺の周りでは「松☂3が出るとハマるから注意」というオカルトがありました。
本厚木にあったアンドリュースとバロンとツマダホールに有った。オマケ調整によって2000個~2500個の差があって通わないと勝てない台でした。
オッちゃん、オバちゃん達は「あのあれ…松竹梅のやつ!」言ってましたねww平和ブラボー、三共フィーバー、三洋パニック、ニューギンエキサイト…。各メーカーにデジパチのブランドがありましたね。
この台のオマケチャッカーへの誘導はホント芸術品当時のオマケチャッカー付ってほとんどが今では絶対出来ない釘曲げで実現してましたがこれはそこまで極端に曲げなくても誘導してくれたモリモリ球が増えるの楽しかったなぁ
舞羅望極Ⅱに会えるとは、思っても見なかった!!3、7、松竹梅。いいね👍
この当時のブラボー機種には、Vゾーン突入時の「継続音」があった。「ピリリリリリ」っていうあの音にかなり掻き立てられた。
この台は当たったらVに入れて弱く打つか右打ちで出玉3500個を目指す台😊🎆
まだこの台が現役の頃ってギリ釘師が居た時代かなぁ?近所のパチ屋に釘師の方が回って来てました。(自分は当時は中学〜高校時代でしたが、飲み屋のバイトとパチ屋の裏方バイトをしてました。町内の人間という事で、一応、学校も公認…、というか、目を瞑っていたんでしょうね。今では許されませんが)今のパチンコは釘も何もあったもんじゃ無い台と見てしまう自分が、古い人間と悩んでしまう為、こういった映像を観て楽しんでいます。それにしても本当に楽しそうですw
従いたくなるような「Ⅴ」
松 傘 3がリーチ目と言われてた🎵私の愛すべき4000発台
オカルト松☂️3ですね!
ひげ紳士もPもめっちゃ楽しそうで何よりです😳
ひげ紳士様この前の日曜日はゲームセンターたんぽぽでお世話になりました。一緒に写真を撮って欲しいとお願いしたら快く承諾して頂き本当に有り難うございました。とても良い思い出と言う「心の財産」が出来ました。重ね重ねになりますが本当に有り難うございました。
北斗羅漢撃の「羅」w
自分の認識では、液晶機が「物語」シリーズ、非液晶機が「ブラボー」シリーズですね。
なつかし~😢仕事帰りによく打ったんだな~
今の時代でもパチンコ屋に並びそうな古台や珍台って……流石に無いよな〜
何もかも懐かしい。連続回転中は出目移行に法則があり、普通の出目移行法則じゃなく、途中で分岐したりしながらループするんですよね。当たるときは法則から外れたところでリーチがかかるから、法則を極めればリーチ時に当たりが分かりました。当時、3円交換で3300発くらい出て無制限のホールで打ってましたが、かなり勝ちやすかった。
跳ねて入るようにするとか芸術やんこーゆーの今できないのかなごち装置とかあるやんな
打ちてぇ~
極IIは見たことも打ったこともないです。タンポポへ新台導入を是非お願いします。ブラボーキングダムは攻略されてガチガチになるまで打ち続けました。ノーマル仕様でいいから実機でリーチ音を味わいたいです。
楽しく観ればみるほど、ホールには「絶対行かない」に繋がる(笑)当時、関東に居たが、回らなさ過ぎて、導入初期から客が飛んでたイメージ。
極の次はエクシードか?
ひげさんご苦労様です。この台オカルトで33傘とか出るとそのうち数回転で当たるとか言われてた時代で本当か嘘か定かじゃなかったアタッカー役物では当時ブラボーセンチュリーBを良く好きで打ちました。リーチ瞬間の出目で当たり外れがわかって楽しんだ思い出でした。
中図柄の3→7→竹移行法則で当否がわかったのが懐かしいすネ
綱取物語の液晶の横にも「舞羅暴」という名前の力士がいましたねw
舞羅望の漢字表記は、綱取物語の力士の名前も舞羅望ですね。この台の時代の少し後に、平和の直営店で研修の時に働いた事があって、マイクでスタート放送する時は、絶対にフィーバーと言わないようにと注意を受けました。平和にとってはこの時期は三共が一番のライバルだったんですね。ちなみに、フィーバーは、三共が商標登録していますね。
うわぁ!俺が初めて打ったパチンコだ!
教習所に使うお金で良く打った
うわ。懐かしい。友達と、この字が読めなくて、「まいらぼーきょく」って呼んでましたw
当時、数回当たった記憶がありますが、玉が跳ねておまけチャッカーに入るのまでは認識できませんでした。いろんな台に、様々な工夫が施されていたんですね笑。
チャレンジャ〜頑張れ、ひげさん
ハマったなーー。横の鍵穴に指を触れてアースすると当たりやすくなると言うオカルト打法。
当時地元にあった店ではリーチになったらほぼ当たりだった。
この台打ったことあるけど連チャンしたが負けて寂しく家路についた思い出。
楽しい台でしたね、この機種は特にオマケチャッカーへの誘導が唯一無比でしたね、ヒゲ紳さんの喜ぶ様子に癒されます😌
当時ドリームXかこの台のどちらかを打ってた事が圧倒的に多かった。平和であればレーザースペーシーもお願いします。
当時高交換率の一回交換の店で大当たり後1回転目にリーチがかかり店員呼んだら外れました
動画アップ14秒後に観れたー
おはようございます。不定期ではありますが?楽しみにしています。何時もながら、ひげさんとプロデューサーさんの掛け合いがめちゃめちゃめちゃ面白いです。お疲れ様です!
蓋が開くとなぜオマケに玉が飛んでいくのか不思議に思いながら打った台ですね~。懐かしいです。採用ありがとうございます。
この台は良く打ちました。オカルトで、一度目の揃いが松竹梅だと連チャンしやすいとか、何マスずれが熱いとかありました。あの跳ねてチューリップに入るのが、堪らない台で、又機会があれば打ってみたいです。
懐かしい台を!👍ヒゲさんも、10回転回る毎にパチンコ玉1個置いて行くのをされていたのですね、私もしていました。 10個貯まるとタバコの箱を少し潰した上に1個置いて数えてました。極め、以外の台は比較的、リーチが長くて、大当たり絵柄がボトッ!と落ちてきて当たる、と言う感じで大好きでした。眉を剃られて、ますますイケメンですね。
懐かしいなぁ。昔、よく打ってた。札幌のあるパチンコ屋では一発台仕様だった。
雷電「むぅ、あれはまさか舞羅望極Ⅱ!!」富樫「知っているのか雷電!?」舞羅望極Ⅱ(ぶらぼーきわめ つー)…古代中国、戦国時代において(以下略)民明書房刊 回る回るよデジタルは回る より抜粋
なんか某塾ってるなぁ😁
舞羅望烈火もありますよー😉
リーチ目、松、傘、梅、オカルトだけど、なかなか当たたな
この台は初めて見ましたがオマケへの流れ方がカッコいいですね👍️釘を無理矢理曲げたタイプしか打った事なかったんで跳ねて入るなんて粋だなぁ
いや懐かしい。連に恵まれることはなかったのですが、帰京する度に探して打ってました。この頃のデジパチは、ちょうどいい塩梅に夢がありましたね♪
デジパチで1殺がある反面リーチはそれなりに熱く感じた台ですねw
極は自分が行ってたとこには殆ど入ってなくて見る機会はほとんどなかったのですがアタッカーが同じ構成のブラボーセンチュリーはよく打ちましたね当時ホームとしてた店は調整もかなりプラスよりで、一撃4000発近く出てくれ、連荘もぼちぼちしたんだったかなぁ?今では作れない台ですけども、当時のワクワクを思い出せるような機種が今度でてくるといいんですけどね♪
花柄じゃなくて、四つ葉のクローバーでは?
懐かしい✨bravoシリーズも堪らないです。本当、20歳頃に新台入替で打ちましたよ!
ひげさんの喜ぶ姿見ると落ち込んでても元気でますwww
アタッカー入賞口のゲート(カバー)が軟質素材でかつ薄いので、通常時は玉の勢いが殺されて跳ねない。アタッカー本体は硬質素材なので、大当たり時は玉が跳ねてオマケに流れる。アイデアが素晴らしいですね😆
こんばんは😃ブラボー極は釘調整で1回の大当たりで3000個位の出玉で1回目の保留で連チャンした思い出でした♥️俺は最高で8連チャンした事があります。此れからも楽しい台を見せて下さいねぇ♥️楽しみにしています❤️
この時代はデジパチでもパンクの恐れが有ったが、店に寄って個体差があって、それはそれで良かった😄
松竹梅だよね。図柄
よく打ってましたね。リーチがかかると当たりかハズレかわかるオカルトがありましたね。保留連チャン良かったですね!
開けば3000どころか4000超えると思う。
舞羅望は和風というより世露死苦みたいな、そうでなくてもアングラ感の強かった当時のパチンコ屋の雰囲気をよりダークに染めていましたね。同級生でこれが好きな子もいたけど個人的には一回も打っていません。ひげさんショートヘアかっこいい!
松竹梅だー!ナツカシス!
待っていました、舞羅望極!釘調整によって出玉が増減しましたよね。北海道は無定量が主流だったので、出玉は少なめでした。ひどい時は1500発も出なかったような気がします。
こんばんは。このコーナー大好きです。ビューティー10が音やセル板が変わるだけでカッコよくなるんですね。この動画の極のセルは2代目?かと思います。初代は盤面の極の文字がデカいです。当時、中学生だったので近所では一軒しか見た事がないです。センチュリーBの方が良く見たかなー。 おまけチャッカーへの軌道が斬新で素晴らしいです。
センチュリーも好きでした✨エクシードのアタッカーは✨神アタッカー✨今まで生きてあれ以上のアタッカーには会った事はないです😌
んっ?
この時代は楽しかったなぁ~✨今の時代は、入賞時フラッシュ→保留先読み→保留変化→疑似連→ロゴ落下→激熱カットイン→ハズレ💢演出が長すぎるんだよ‼️
攻略雑誌では 狙えない連チャン機とか たそがれ連チャン機とか攻略不可の流れに批判寄りの 文句たらたらの記事が多かった当時は 保連は狙えて当たり前の時代だったからなぁ
この辺くらいまではフィーバーよりブラボー派でした!(ブラボー10の攻略から)当時の、うちの近所のホールは3000発前後でしたよ。多分、一般台の終了個数に合わせてたのだと思いますが。
懐かしい。毎日、打ちに行ってましたね。(⌒∇⌒)キングダムも打ってました。攻略法が発覚した時、いつも通ってるパチ屋で試してたらシコタマ怒られた事を思い出しました。(;^_^A
キングダム懐かしいですね。攻略法も知らない時期に、釘が渋いボッタ店でやたら連チャンした思い出があります。笑
今のご時世、こういうシンプルな雰囲気の台は支持されないんですかねぇ…デジパチに液晶が付いた時は確かにすげー!って思ったけどホール内にドットと半々であったから良かったのかなって感じますね。古き良き時代の名機。こういう時代の台がリメイクされて世に出てきてくれると往年のファンは嬉しいんですけどね!
当時デジパチにはメーカーごとの冠がありましたね今は大当りの代名詞になった三共のフィーバーを筆頭に西陣=ルーキー、三洋=パニック、平和=ブラボー等それぞれ冠の付いた台には天下をとってやるぞという気概を感じたものでした
いちこめ!ひげさんが元気で何より。
Pさん「昔の台なんでリーチも2種類くらいっすか?」ひげさん「いやもう、ノーマルリーチのみです!」Pさん「いいっすねぇ!!」このやり取り最高だなぁ……今は無駄が多すぎるよなぁ……
これには忘れられない思い出があるんだよね。
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この台は連続回転中に限りハズレ出目に規則性が有り、同じハズレ出目が2回続く事は無い。逆に言えば同じハズレ出目が2回続くと次の回転で大当たりとなる、と攻略雑誌(パチンコ必勝ガイド)に書いてあった。いい時代だったな〜。
出目オカルトはここから始まったと言ってもいい 3松松 7松松...いろんなオカルトが飛び交ったなぁ
珍古代万歳!毎回楽しみに視聴してます。やっと出ましたねー、舞羅望、極。当たり図柄が、3種類しかなく、独特のアタッカー、保留1個目だけの仕組まれた連チャン。大当たりでアタッカーのフタがあき、両はじの金属部品に玉が、跳ねておまけのチューリップへ入る。この緻密に計算された玉の動きを、考えた当時の平和の開発者は、凄いですね。連チャンの仕組みは、昔良くあった2段階抽選の1段階目を保留1個目のみ、無条件で通過。2段回目の確率が、5分の1という仕組みでした。動画では、連チャンならずで残念。この機種の欠点は、左出目にブランク絵柄が出ると、ハズレが確定してしまうこと。だから、大当たり後1回転目は、3、7、松が左に出る事を願ってました。
確かこの島には4000発入り巨大ドル箱が置いてあった
このころのデジパチは大当たり確率が今のミドル機相当で200~270分の1までぐらいが最大だったような記憶が。
まだ保留玉連チャン機が出てくるよりも少し前で、単発で交換の時代でしたね。(ラッキーナンバー制が出始めたぐらいで、店によって扱いが異なった運用が多かった)
おまけチャッカーで大量出玉な分釘も少し辛めでしたが、どの台も平均して3000発は堅かった。
北海道は裏物のような連チャンでした(多分裏物)極の島はみんなニ〜三萬円分を五百円玉に両替して台の横のサンド前に積んで打ってました。まさに鉄火場でした(笑)
ブラボーシリーズではエキシードが好きでした。アタッカーの開き方とトルコ行進曲が良かったなぁ〜
この機種は設置当時頻繁に打ちましたがどうも私との相性が悪く、残念ながら良い思い出は殆どありません。しかし射幸心を煽るチューリップ式オマケチャッカーの斬新さや松竹梅揃いが大当たりという画期的特徴が今でも私の記憶に強烈に残っています。
初めて保留玉連チャンを体験した思い出の名機です
うーん。昔を思い出す。リーチはこのシンプルさが最高だったんだよね。
この頃のパチンコは当たると本当に嬉しかった。
嬉しいの気持ちの種類が今と違ってた感じ。
当時、セブン機は三共がフィーバー***、平和はブラボー***でしたよね。あのレーザースぺ―シーも盤面にはBRAVOの文字がありましたよね。
初めて連チャン経験した台。その時保留でリーチかかったけど当たるわけないと思って交換する準備してて全然見てなかった。当たってびっくり。
この台はリーチ目疑惑がありましたね!
高校生の時、バイトの給料を
かなり注ぎ込んだなー
俺の周りでは「松☂3が出るとハマるから注意」というオカルトがありました。
本厚木にあったアンドリュースとバロンとツマダホールに有った。オマケ調整によって2000個~2500個の差があって通わないと勝てない台でした。
オッちゃん、オバちゃん達は「あのあれ…松竹梅のやつ!」言ってましたねww
平和ブラボー、三共フィーバー、三洋パニック、ニューギンエキサイト…。
各メーカーにデジパチのブランドがありましたね。
この台のオマケチャッカーへの誘導はホント芸術品
当時のオマケチャッカー付ってほとんどが今では絶対出来ない釘曲げで実現してましたがこれはそこまで極端に曲げなくても誘導してくれた
モリモリ球が増えるの楽しかったなぁ
舞羅望極Ⅱに会えるとは、思っても見なかった!!
3、7、松竹梅。いいね👍
この当時のブラボー機種には、Vゾーン突入時の「継続音」があった。「ピリリリリリ」っていうあの音にかなり掻き立てられた。
この台は当たったらVに入れて弱く打つか右打ちで出玉3500個を目指す台😊🎆
まだこの台が現役の頃ってギリ釘師が居た時代かなぁ?近所のパチ屋に釘師の方が回って来てました。(自分は当時は中学〜高校時代でしたが、飲み屋のバイトとパチ屋の裏方バイトをしてました。町内の人間という事で、一応、学校も公認…、というか、目を瞑っていたんでしょうね。今では許されませんが)
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それにしても本当に楽しそうですw
従いたくなるような「Ⅴ」
松 傘 3がリーチ目と言われてた🎵私の愛すべき4000発台
オカルト
松☂️3ですね!
ひげ紳士もPもめっちゃ楽しそうで
何よりです😳
ひげ紳士様
この前の日曜日はゲームセンターたんぽぽでお世話になりました。
一緒に写真を撮って欲しいとお願いしたら快く承諾して頂き本当に有り難うございました。
とても良い思い出と言う「心の財産」が
出来ました。
重ね重ねになりますが本当に有り難うございました。
北斗羅漢撃の「羅」w
自分の認識では、液晶機が「物語」シリーズ、非液晶機が「ブラボー」シリーズですね。
なつかし~😢
仕事帰りによく打ったんだな~
今の時代でもパチンコ屋に並びそうな古台や珍台って……流石に無いよな〜
何もかも懐かしい。連続回転中は出目移行に法則があり、普通の出目移行法則じゃなく、途中で分岐したりしながらループするんですよね。当たるときは法則から外れたところでリーチがかかるから、法則を極めればリーチ時に当たりが分かりました。当時、3円交換で3300発くらい出て無制限のホールで打ってましたが、かなり勝ちやすかった。
跳ねて入るようにするとか芸術やん
こーゆーの今できないのかな
ごち装置とかあるやんな
打ちてぇ~
極IIは見たことも打ったこともないです。タンポポへ新台導入を是非お願いします。
ブラボーキングダムは攻略されてガチガチになるまで打ち続けました。
ノーマル仕様でいいから実機でリーチ音を味わいたいです。
楽しく観ればみるほど、ホールには「絶対行かない」に繋がる(笑)
当時、関東に居たが、回らなさ過ぎて、導入初期から客が飛んでたイメージ。
極の次はエクシードか?
ひげさんご苦労様です。この台オカルトで33傘とか出るとそのうち数回転で当たるとか言われてた時代で本当か嘘か定かじゃなかったアタッカー役物では当時ブラボーセンチュリーBを良く好きで打ちました。リーチ瞬間の出目で当たり外れがわかって楽しんだ思い出でした。
中図柄の3→7→竹移行法則で当否がわかったのが懐かしいすネ
綱取物語の液晶の横にも「舞羅暴」という名前の力士がいましたねw
舞羅望の漢字表記は、綱取物語の力士の名前も舞羅望ですね。
この台の時代の少し後に、平和の直営店で研修の時に働いた事があって、マイクでスタート放送する時は、絶対にフィーバーと言わないようにと注意を受けました。
平和にとってはこの時期は三共が一番のライバルだったんですね。
ちなみに、フィーバーは、三共が商標登録していますね。
うわぁ!俺が初めて打ったパチンコだ!
教習所に使うお金で良く打った
うわ。懐かしい。友達と、この字が読めなくて、
「まいらぼーきょく」って呼んでましたw
当時、数回当たった記憶がありますが、玉が跳ねておまけチャッカーに入るのまでは認識できませんでした。いろんな台に、様々な工夫が施されていたんですね笑。
チャレンジャ〜頑張れ、ひげさん
ハマったなーー。横の鍵穴に指を触れてアースすると当たりやすくなると言うオカルト打法。
当時地元にあった店ではリーチになったらほぼ当たりだった。
この台打ったことあるけど連チャンしたが負けて寂しく家路についた思い出。
楽しい台でしたね、この機種は特にオマケチャッカーへの誘導が唯一無比でしたね、ヒゲ紳さんの喜ぶ様子に癒されます😌
当時ドリームXかこの台のどちらかを打ってた事が圧倒的に多かった。
平和であればレーザースペーシーもお願いします。
当時高交換率の一回交換の店で大当たり後1回転目にリーチがかかり店員呼んだら外れました
動画アップ14秒後に観れたー
おはようございます。不定期ではありますが?楽しみにしています。何時もながら、ひげさんとプロデューサーさんの掛け合いがめちゃめちゃめちゃ面白いです。お疲れ様です!
蓋が開くとなぜオマケに玉が飛んでいくのか不思議に思いながら打った台ですね~。懐かしいです。採用ありがとうございます。
この台は良く打ちました。
オカルトで、一度目の揃いが松竹梅だと連チャンしやすいとか、何マスずれが熱いとかありました。
あの跳ねてチューリップに入るのが、堪らない台で、又機会があれば打ってみたいです。
懐かしい台を!👍
ヒゲさんも、10回転回る毎にパチンコ玉1個置いて行くのをされていたのですね、私もしていました。 10個貯まるとタバコの箱を少し潰した上に1個置いて数えてました。
極め、以外の台は比較的、リーチが長くて、大当たり絵柄がボトッ!と落ちてきて当たる、と言う感じで大好きでした。
眉を剃られて、ますますイケメンですね。
懐かしいなぁ。昔、よく打ってた。札幌のあるパチンコ屋では一発台仕様だった。
雷電「むぅ、あれはまさか舞羅望極Ⅱ!!」
富樫「知っているのか雷電!?」
舞羅望極Ⅱ(ぶらぼーきわめ つー)…古代中国、戦国時代において(以下略)
民明書房刊 回る回るよデジタルは回る より抜粋
なんか某塾ってるなぁ😁
舞羅望烈火もありますよー😉
リーチ目、松、傘、梅、オカルトだけど、なかなか当たたな
この台は初めて見ましたがオマケへの流れ方がカッコいいですね👍️
釘を無理矢理曲げたタイプしか打った事なかったんで跳ねて入るなんて粋だなぁ
いや懐かしい。連に恵まれることはなかったのですが、帰京する度に探して打ってました。
この頃のデジパチは、ちょうどいい塩梅に夢がありましたね♪
デジパチで1殺がある反面リーチはそれなりに熱く感じた台ですねw
極は自分が行ってたとこには殆ど入ってなくて見る機会はほとんどなかったのですが
アタッカーが同じ構成のブラボーセンチュリーはよく打ちましたね
当時ホームとしてた店は調整もかなりプラスよりで、一撃4000発近く出てくれ、連荘もぼちぼちしたんだったかなぁ?
今では作れない台ですけども、当時のワクワクを思い出せるような機種が今度でてくるといいんですけどね♪
花柄じゃなくて、四つ葉のクローバーでは?
懐かしい✨
bravoシリーズも堪らないです。
本当、20歳頃に新台入替で打ちましたよ!
ひげさんの喜ぶ姿見ると落ち込んでても元気でますwww
アタッカー入賞口のゲート(カバー)が軟質素材でかつ薄いので、通常時は玉の勢いが殺されて跳ねない。アタッカー本体は硬質素材なので、大当たり時は玉が跳ねてオマケに流れる。
アイデアが素晴らしいですね😆
こんばんは😃ブラボー極は釘調整で1回の大当たりで3000個位の出玉で1回目の保留で連チャンした思い出でした♥️俺は最高で8連チャンした事があります。此れからも楽しい台を見せて下さいねぇ♥️楽しみにしています❤️
この時代はデジパチでもパンクの恐れが有ったが、店に寄って個体差があって、それはそれで良かった😄
松竹梅だよね。図柄
よく打ってましたね。リーチがかかると当たりかハズレかわかるオカルトがありましたね。保留連チャン良かったですね!
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ナツカシス!
待っていました、舞羅望極!釘調整によって出玉が増減しましたよね。北海道は無定量が主流だったので、出玉は少なめでした。ひどい時は1500発も出なかったような気がします。
こんばんは。
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センチュリーBの方が良く見たかなー。
おまけチャッカーへの軌道が斬新で素晴らしいです。
センチュリーも好きでした✨エクシードのアタッカーは
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んっ?
この時代は楽しかったなぁ~✨
今の時代は、入賞時フラッシュ→
保留先読み→保留変化→疑似連→
ロゴ落下→激熱カットイン→ハズレ💢
演出が長すぎるんだよ‼️
攻略雑誌では 狙えない連チャン機とか たそがれ連チャン機とか
攻略不可の流れに批判寄りの 文句たらたらの記事が多かった
当時は 保連は狙えて当たり前の時代だったからなぁ
この辺くらいまではフィーバーよりブラボー派でした!(ブラボー10の攻略から)
当時の、うちの近所のホールは3000発前後でしたよ。
多分、一般台の終了個数に合わせてたのだと思いますが。
懐かしい。
毎日、打ちに行ってましたね。(⌒∇⌒)
キングダムも打ってました。攻略法が発覚した時、いつも通ってるパチ屋で試してたらシコタマ怒られた事を思い出しました。(;^_^A
キングダム懐かしいですね。
攻略法も知らない時期に、釘が渋いボッタ店でやたら連チャンした思い出があります。笑
今のご時世、こういうシンプルな雰囲気の台は支持されないんですかねぇ…
デジパチに液晶が付いた時は確かに
すげー!って思ったけどホール内に
ドットと半々であったから良かったのかなって感じますね。
古き良き時代の名機。こういう時代の台がリメイクされて世に出てきてくれると
往年のファンは嬉しいんですけどね!
当時デジパチにはメーカーごとの冠がありましたね
今は大当りの代名詞になった三共のフィーバーを筆頭に西陣=ルーキー、三洋=パニック、平和=ブラボー等それぞれ冠の付いた台には天下をとってやるぞという気概を感じたものでした
いちこめ!ひげさんが元気で何より。
Pさん「昔の台なんでリーチも2種類くらいっすか?」
ひげさん「いやもう、ノーマルリーチのみです!」
Pさん「いいっすねぇ!!」
このやり取り最高だなぁ……今は無駄が多すぎるよなぁ……