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前回【解体中の羽田空港の廃道】th-cam.com/video/IVu9z2zCbIQ/w-d-xo.html次回【3年で廃止!台場の廃道】青海橋th-cam.com/video/VmrkTPztzEM/w-d-xo.html
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上高地のトンネル、冬場は通行止めですよね、確か、まだ、資金計画ができませんとの事、国道としては広い方ですよ、
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34年前の大学生の頃、松本電鉄上高地路線のバスの車掌をしてました。釜トンネルは一方通行で赤信号の待ち時間が13分10秒だったと思います。バスの運転手からの指示で、紅白の手旗を持って釜トンネルの真っ暗な中を何度も歩かされたのを思い出します。
私も経験があります。
「釜トンネルの『釜』は『地獄の釜』って意味だぞ」と父のドライブ仲間の方から冗談で教えられたことがありましたが、釜トンネルの解説動画を観る度に「あながち間違ってないよな」と思ってます
1982年に地元の大学生だった私と友人らは2代目の釜トンネルを歩いて登って河童橋で夜中に宴会やったことがありました。急な坂道で濡れたごつごつのトンネルでした。また、沢渡から釜トンネル入り口までの国道158の道のりも岩肌を縫う細い道路でした。昭和も遠くなりました。
40年前に家族で釜トンネルを抜けてマイカーで上高地に乗り入れたのを思い出しました。今は4代目なんですね!大雨で目の前に乗用車サイズの落石が落ちてきたのは今でも鮮明に覚えております。あの秘境感が堪らなくあれから何度も訪れていますが、すっかり観光地感が出ちゃってチト寂しいですね。
私が通った釜トンネルは1979年だったから,とっくの昔に廃道になったのですね。一方通行で,トンネルの中がゴツゴツしているのは記憶に鮮明に残っていますね。
158号線の安房峠シリーズはクセがつよすぎるくらい過酷かつ限られた環境下で道路が作られたか知ることができるので新しいネタが来るたびに楽しく見られますね
1981年に自転車ツーリングで釜トンネルを通過しました。真っ暗で急勾配で天井から地下水も降ってましたが、無事 上高地まで登ってほっとした思い出があります。平和な時代でしたね。
90年代の最後の方に自分も自転車で行きましたよ。あそこ、自転車で通ると後ろから小型車はビュンビュン追い越していき、バスが通れず自転車の後ろにつき、そうこうしているうちに対向が青になっちゃってバスとバスがトンネルの中でかち合う形になっちゃうんですよね。
上高地へはかれこれ30回以上 43年ほど前から通っていました 釜トンネルを何度通行したかわからぬほど でもこの動画を見て トンネルが4本目だとは知りませんでした 国道158号線も含め以前の難所はほぼなくなっています 昔を知る者としては あの難所を超えた先に 国内屈指の景色が現れる感覚が忘れてられません。
長い困難な過程を 短時間で知ることの出来る事に感謝ですこんなチャンネルの存在にも感謝です
動画ありがとうございます❤
父(70代)がバスの運転手をしてたので、旧釜が現役の頃もバリバリ走ってたと思うので、話を聞いてみたくなりました
上高地、懐かしいです。タクシーに分乗して行った事を思い出しました。タクシーのドライバーさんは、慣れっこで運転していたので大変さには気付きませんでしたが、釜トンネルの大変さが分かり良かったです。動画面白かったです。
待ってました!道路にはまったきっかけのトンネルです…
今から50年近く前にバスでトンネルを通ったとき、車窓のすぐ近くにごつごつした岩が見えたの覚えています。今の新しいトンネルの工事にはほんの少しだけ関わりました。2005年でしたか・・・月日の経つのはやいですね。
長野県の各所にある堰堤かっこいいよな水流れてないときの石積みがかっこいいんよほんと大学のとき見に行ったとき調査で見に行ったときはほんと感動した。コンクリートを節約しつつあの美しい石積みは感動ものだよ一度見に行ってほしい
2代目釜トン時代、急カーブの難所ではしばしば路面にバスの車体からモゲたバックミラーが転がっていたり、県外のバス運行会社が大型バスで無理やり通過しようとしてトンネルを出る頃にはバスの形が変わっていたりと数々の伝説を産んでいました。80年代の頃はまだ岩肌の露出した素掘りの区間が多く残っており、ここを通過するのはちょっとしたアトラクションのような気分だったのを覚えています。
旧トンネルは薄暗く漏水で雨が降っている様になっていてゴツゴツした壁、バスの中からでも異様な雰囲気がわかるトンネルでしたね、その分大正池周辺からの風景が引き立っていました。そ言えば真偽不明の話ですが、昔は冬山で遭難した人の遺体仮安置所だったとか⁉️
くぐれる時代に意を決して行きましたよ!二輪車行き帰り冷や汗全部ローギア、今だに思い起こすと言うことは完全にトラウマ、吊り橋から覗き込む上高地梓川の澄みきった清流とともに脳裏に焼き付いています。釜トンの記憶の方が強烈で上高地の散策は吹っ飛ばされた。
この前、さわやか信州号で上高地へ行きましたが、想像を絶するほどの先人の苦労があったのですね。アルピコ交通の運転技術にも脱帽でした!
バスに乗って居ると こんな云われが有った何て気がつかないので 解説していただいてありがとうございます。
半年ほど安曇村に住んでいました。懐かしく拝見しました。今度は安房超えの歴史を‥
初めての釜トンネルはバイクでした 50数年前 電車のタブレットみたいなのが有った記憶が 途中で車が止まると大変なので先に行かせてくれた 大正池も護岸工事前で絵はがきそのままでした その後休日通行禁止 シーズン、完全通行禁止と変わり 何度か自走しましたが 駐車場でバイクのブーツから運動靴に履き替え散策 帰りにバイクのブーツに履き替え 運動靴はそのまま駐車場に忘れ後で気が付きました 上高地の思い出
1994年6月初頭に、ここをマイカーで走ったことあります。動画で紹介の通り、えげつなく急で暗く、湿気が酷くて視界の利かない中、小石を踏みまくってパンクを気にしながらトンネルを走り抜けたのを思い出します。ちなみに車はリッターカーで非力のダイハツシャレードディーゼル(マニュアル車)。当時は無謀なことしたなあと思ったが…「わざと釜トンネルを危険にしたまま」ってホントかよ。長野県ひっでーなあ
昭和30年代に頃、バスで釜トンネルを通りました。トンネル内は岩壁むき出しで路面も凸凹で水溜りもあって、いかにも昔のトンネルという感じであえぎながら通り抜けるとホッとしました。昭和52年5月もマイカーで釜トンネル通りましたが相変わらずの岩盤むき出しで昔と同じような感じでした。ここ10年前にまた釜トンネルをバスで通りましたが。全く様相が変わって驚きました。貴重な古い写真を有難うございました。
万世大路、清水国道(R291)、塩那道路、甲子道路などと並び、日本の道路史を語る上で外せない道ですね。発電所建設の資材運搬用トロッコが通っていた初代釜トンはすさまじい急勾配で、文献には馬が資材を積んだトロッコを牽いた(馬車鉄道?)となっているものの、本当に馬が上れたのかという勾配だったようです。当時の資料は乏しく、実際にどうだったかは、もうわからないとか。
初めまして。交互通行時代の釜トンはバスや自分の車で行った懐かしい記憶があります。地下水が天井からポタリというレベルでなく素掘りの崖から滝になっている洗い越しを超えるって所があったと記憶してます。今は高規格になってますが当時の釜トンって 天上世界(上高地)と現世の間の暗い産道みたいな存在で 通り抜けたら天上が見えるみたいなプチ緊張感が15分の信号待ちにあった気がします。今はその産道感は無くなってるかなあと、バスツアーは安房峠越えもほぼほぼセットになっていてガードレール無しの狭カーブをバスガイドさんの誘導で崖脱輪まで15センチみたいな切り返しで釜トンと安房峠が(通過点でなく)名所になってたと思います。運転手さんにしてみたら相当プレッシャーなアサインだったのではと
今のトンネルですら、相当急だなあと感じますから、前のトンネルは相当な圧迫感があったんだろうなと。
いつも158号線、安房峠・トンネル関連の動画を楽しく、興味津々で見ています。1982年に二輪で上高地へ行きましたが、残念なことに釜トンネルの記憶がない…のです😅こんなに急勾配だったかなぁ…。私の通ったのは2代目?もっと味わっておけばよかったです。飛騨方面の動画を期待しています!これからも頑張ってください。
10年ほど前から登山にハマり上高地へは毎年のように行くので釜トンネルにお世話になっていて、歴史を学べた事に感謝しますm(_ _)m
現トンネルも結構な勾配ですよね💦運転手さんの運転見てると、ギア1〜2速しか使ってなかったような、、、。冬に上高地いくため釜トンネルを歩いたことあるんですが、恐らく旧釜トンネルに繋がってるのかな?みたいな扉がありました
長野県民わい、幼少期からこういう道を通るお陰で険道オタクに成長
自分が登山のためによく上高地入りしていた時期は3代目トンネルの時代ですね。懐かしい。
釜トンって響きが可愛い
待ってました!もへじさんの「釜トンネル」解説。
廃墟、廃村、心霊スポットをよく見るので、お台場の動画とこちらがオススメに出てきました。サムネに惹かれて視聴しました。これからも動画を楽しみにしています。
・・岐阜と長野の県境国道158号線安房峠は〇月〇日から通行可能となります。今年も行くか、うん。今は亡き友人と休みにラジオを聴いていて、上高地行きの計画を立てていました。釜トンネルは一度車を運転して通った人は絶対に忘れられないトンネルだと思います。
上高地があんなに綺麗なのは、そんな昔から自然を開発から守った先人たちが居たからだとトンネルの歴史から知ることになるとは、先人に感謝 この動画も👍GJ
当時釜トンネル全盛だった頃は壁天井ギリギリで肝を冷やす状況でしたね懐かしいです
48歳のおっさんですが中学の修学旅行で行った!トンネル入る前バスの運転手が集中したいとのことで静かにしろと怒られた。とわずかな記憶だがある。
集中したい…。わかります。
第2代と第4代のトンネルはロードレーサーで昇ったことあるけど、第2代は途中で挫折して押して登った💧第4代はなんとか足つかずに登れたけど、2度と登るものかと固く心に誓った😅
昔 住んでいた山に行く道は9%で 登りきついな〜なんて思ってましたが釜トンネルの 11%は 転げ落ちそう……
20年ぐらい前ですが、大学生の時に旧釜トンネルを自転車で通りました。寝袋やテントを自転車に積んでいてバスなどがスレスレで荷物を引っ掛けないか心配で怖かったなー。斜度が半端なくて、路面がゴツゴツで濡れているんだよね。
バスガイドをしてますが、このルートだけは、本当に長い通行止めが何回かありました。ちなみにながれた静岡のバス会社なガイドでした。次の日に朝点呼で聞いたのは思い出です。
冬の上高地に入るために何度か釜トンを歩きました。三代目は閉鎖前に一度通りましたが、滲み出す水が凍結している上に急傾斜なので、トンネル内なのに要アイゼンでした。四代目は格段に歩きやすくなってツアーも組まれるほどになりましたね。
きたー!編集お疲れ様です!昔と今じゃやっぱり全然違いますね
この山ヤバすぎやろ。通常でこれとか正直怖くて行こうとは思えない。
4本もトンネル作り直すとかどれだけ重要路線かわかりますね…
安房峠を通る時に釜トンネル見ますがそんな歴史があったのですね。とても面白かったです。
1999年9月の崩落の直前に上高地を訪れました。大雨が続き、現場付近の山肌を水がチョロチョロ流れており、非常に危機感を持ったことを覚えています。私は日帰りで無事戻れましたが、その後に崩落、多くの人が閉じ込められてしまいました。
分かりやすい解説で面白かったです
60年前に西穂高への登山に行き帰り荒天で釜トンネルの中が崩落してバスが不通になって仕方なく歩いて抜けることにしました。しかし懐中電灯を忘れてきて真っ暗な中を手探りで通りました、その当時から心霊の噂があって怖かった思いをしました。中の二股に分かれた場所で出口の明かりが見えたときはほっとした覚えがあります。
57年前にS600でこのトンネルを通って上高地に行った事を思い出した。暗いトンネルの中で前を走るバスの排気、暗くて勾配が判らず非力なS600とオープンカーの悲劇、多分、当時は素掘りだったのか?岩がむき出し・・の恐怖とノロノロ走行、地獄と思ったが引き返す事も出来ない狭い「地獄の入り口」だった。
ここの砂防ダムの改修補修の石工事に従事したけど、そんなに古いダムだったんですね。
釜トンネルのホテル宿泊して、自転車で押して上高地に行き、帰りも自転車で乗って釜トンネルの一方通行時代に行きました。
建造物に歴史あり…か、今回も動画ありがとね!!
はじめて、上高地に行ったときは10分待ちを知らずに、何で進まないのかと思ってましたが、帰ってから事情を知りました。その後も、数回行きましたが、最新の釜トンネルを利用したのもいい思い出です。趣があっていいところですよね。
懐かしいです。散々行きました。ポンコツバスで。
久しぶりに行ったら釜トンネルが新しくなっていて驚きました。今は普通な警備員さんですが、以前は自衛隊なんじゃなかったかな。真っ暗な中(と言っても18時くらい)、トンネル入り口で信号が変わるのを15分くらい待った記憶があります。
昔、某廃隧道探索サイトでめっちゃ見てたわ
私が50年前に初めて登った時には、トンネル入り口に『ポンコツ中古車通行止め』の看板が有りました(笑)。
長野県民なので釜トンネルのことはいろいろと知っているつもりでしたが、自動車をロープで吊って輸送した時期があったとは知りませんでした!とてもおもしろい動画で勉強に鳴ります( ̄ー ̄)b
釜トンネルにこんな歴史が有ったとは知らなかった よく取材してくれました ありがとう
2代目釜トンネルをバイクで走ったことがあります。当時でも、駐車場キャパはいっぱいでした。その後、ここや乗鞍もマイカー規制となりました。
雪の時期に行ってみたいなぁ
1970年にマイカーで、釜トンネルを通過しました。入口の注意書きに、はっきり軽自動車禁止のような文言があった気がします。表示勾配が16%とも書いてありました。初代カローラは2NDギアーで問題なく上りました。楽しい思い出です
勾配12%ってどんな坂なのかと思って調べたら大橋ジャンクションのループが約6〜7%相当らしい、それのおよそ2倍前後となるとかなりの急勾配ですね。
旧釜トンネルは自転車で走るというか、押し上げないと転ける。暗く閉塞感と排気ガスで呼吸が乱れ、非常に難儀したえげつないトンネルと記憶しています。ライトは単1電池2本の豆電球ライトです。それでも無いよりは明るく頼もしい存在でした。しかも1ヶ所に堀間違えたような小穴があり、それが初代トンネルだと最近気付きました。現・釜トンネルを上高地から自転車で下ると、70km/h近く出ます。路線バスなら3速までシフトダウンし、排気ブレーキとリターダ併用しても、エンジン回転数はレッドゾーン手前まで回ります。広く明るくなっても、連続11%勾配はおそろしや・・。
そういえば、昔行ったとき、トンネルが狭いと思ったらいつの間にかなんか途中から綺麗なトンネルに変わってるし変なトンネルだなと思ってました。
奥飛騨温泉郷に行くときに見えるところですね。封鎖されてる姿しか見たことなかったんですがこんなことにww
マイカー規制前に行ってみたかった
どちらも行ったことがあり、とても興味深く観させていただきました!最初に出てくる滝は人工で、釜ヶ淵堰堤のバイパスですね。ちょうど堰堤の工事でもしていたんでしょうか。旧釜トンは新釜トンが万が一通行不能時のために坑口を埋めずに未だに残しているようですが、こんな場所なんて非常時には余計に通りたくないですよね。また、新釜トンはGoogleマップ上では真っ直ぐになっていますが、地理院地図や実際には、無理やり縦断勾配を11%にするためかなり左右にカーブした線形になっていて、難工事の痕跡を感じます。
本当にここの道路たちは規格外だなあ(褒め言葉)
始めまして😊もへじさんの道路解説、以前から拝見してました。釜トンネルって行く末の“中部縦貫道“の“現道改良区間“になりそうな、勢いですよね。まぁー、国と、ゼネコンの偉い人が話し合って、ダメなら第○釜トンネル掘るか?谷と、谷を結ぶ橋梁にするか?って感じですよね?
時々前通るたびに気になってたのが解決した気分です。
富山方面から安房トンネルを抜けて降った先の分岐の所ですね、トンネル抜けた直後の勾配も結構やばいイメージでしたが(凍結で死にかけた)、トンネル内はアレ以上なのか…
二回ほど行きました。あの二股トンネル閉鎖しちゃったんだ😢お猿の親子が可愛い。
『非力な車運転に自信のない方はご遠慮下さい』なんてストロングスタイルw凄ぇww ( ̄▽ ̄;)
フリーザ様w
わざと根本的なトンネル改修をせずに放置して死亡事故が発生してたとすると長野県の責任でしょう。聞き捨てならない話ですね。
お釜トンネル、穴を掘って作る、文字にすると別の意味の怖さもあるね入って出て来たら第三の性が目覚めてしまった的なw
そういえば新穂高ロープウェイは当初の案だとそのまま西穂から上高地まで降りるようになっていましたね。それにしても長野県は158号を放っとくねえ…やっと最近になって一番カーブのきつい区間にトンネルを掘り出したけど…岐阜県や福井県は中部縦貫自動車道の建設に前向きだけど、長野県はやる気ないね。
小学校の教材とかで扱ったら凄く面白い内容。こういうの大好き😂何で学校の教科書や教材は興味を引かないものが多いのか謎である📖🤔
釜上トンネルの廃止部分も現役区間と電気系統が繋がっているため、旧道の中で唯一照明が点灯してる場所です。というかそもそも配電盤はこの位置に設置されている。動画だと消灯しているので冬季閉鎖中なのでしょうか。
動画内容と関係なくてすみません、チャプター7のBGMの詳細が知りたいです。
長野の県境の道路はほんと怖い...某マップに「最速コース」と騙されて旧道通らされた時は崖道・地下水浸水が多すぎて死を覚悟したね
飛騨高山に向かう時に見た記憶が…
登坂って4%超えたあたりからアクセル無しでもトラックとかはバリバリ加速して下って行くからなぁ
あのロープウェイを上高地まで延長する案は、実はいまだに運営会社の中で燻り続けている。
空中バスとかトンネル用にバスの形を変えるとか、運転に自信のある云々の看板とか、ぶった斬りの発想に興味とウケが止まらない😧
どこかと思ったらそこか!!マジかよww知らんかった
六角形のバス、ググったけど出てこないね。見てみたい。ー
ここと似たトンネルが素掘りで狭い道路を走る路線(日窒鉱山線・中津川線)で使われてた西武バスの三角バスと同じバスの形式じゃないかな。あれも形は6角形だし
@@hinabo1682 見てきました。イメージが掴めました。三角って言っても軽く角度がついてる感じなんですね。六角バスの場合、下部が若干(中央が膨らんだ)軽く曲がっているのかもしれませんね。ありがとうございました!
空中 路線バスとやらを見てみたい
首都高でこれと似た場所あった気がする
青崩峠の関連で出てきた記念
真面目に見ていたのに唐突なフリーザで笑ってしまったw
奥只見のシルバーラインすらマシなレベルなんだ
なんか斜坑みたいですね
長野県は自然保護の名の下に人命を軽視した道路を供用した。この風潮は現代も変わっておらず、本州中部でも長野県は最も道路行政が遅れている。上信自動車道、中部横断道は長野県のやる気のなさで全線開通ができるかわからない。
違法化された県道という感じ。
前回【解体中の羽田空港の廃道】th-cam.com/video/IVu9z2zCbIQ/w-d-xo.html
次回【3年で廃止!台場の廃道】青海橋th-cam.com/video/VmrkTPztzEM/w-d-xo.html
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上高地のトンネル、冬場は通行止めですよね、確か、
まだ、資金計画ができませんとの事、国道としては広い方ですよ、
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34年前の大学生の頃、松本電鉄上高地路線のバスの車掌をしてました。釜トンネルは一方通行で赤信号の待ち時間が13分10秒だったと思います。バスの運転手からの指示で、紅白の手旗を持って釜トンネルの真っ暗な中を何度も歩かされたのを思い出します。
私も経験があります。
「釜トンネルの『釜』は『地獄の釜』って意味だぞ」と父のドライブ仲間の方から冗談で教えられたことがありましたが、釜トンネルの解説動画を観る度に「あながち間違ってないよな」と思ってます
1982年に地元の大学生だった私と友人らは2代目の釜トンネルを歩いて登って河童橋で夜中に宴会やったことがありました。急な坂道で濡れたごつごつのトンネルでした。また、沢渡から釜トンネル入り口までの国道158の道のりも岩肌を縫う細い道路でした。昭和も遠くなりました。
40年前に家族で釜トンネルを抜けてマイカーで上高地に乗り入れたのを思い出しました。今は4代目なんですね!大雨で目の前に乗用車サイズの落石が落ちてきたのは今でも鮮明に覚えております。
あの秘境感が堪らなくあれから何度も訪れていますが、すっかり観光地感が出ちゃってチト寂しいですね。
私が通った釜トンネルは1979年だったから,とっくの昔に廃道になったのですね。一方通行で,トンネルの中がゴツゴツしているのは記憶に鮮明に残っていますね。
158号線の安房峠シリーズはクセがつよすぎるくらい過酷かつ限られた環境下で道路が作られたか知ることができるので新しいネタが来るたびに楽しく見られますね
1981年に自転車ツーリングで釜トンネルを通過しました。
真っ暗で急勾配で天井から地下水も降ってましたが、無事 上高地まで登ってほっとした思い出があります。
平和な時代でしたね。
90年代の最後の方に自分も自転車で行きましたよ。
あそこ、自転車で通ると後ろから小型車はビュンビュン追い越していき、バスが通れず自転車の後ろにつき、そうこうしているうちに対向が青になっちゃってバスとバスがトンネルの中でかち合う形になっちゃうんですよね。
上高地へはかれこれ30回以上 43年ほど前から通っていました 釜トンネルを何度通行したかわからぬほど でもこの動画を見て トンネルが4本目だとは知りませんでした 国道158号線も含め以前の難所はほぼなくなっています 昔を知る者としては あの難所を超えた先に 国内屈指の景色が現れる感覚が忘れてられません。
長い困難な過程を 短時間で知ることの出来る事に感謝です
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動画ありがとうございます❤
父(70代)がバスの運転手をしてたので、旧釜が現役の頃もバリバリ走ってたと思うので、話を聞いてみたくなりました
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今から50年近く前にバスでトンネルを通ったとき、車窓のすぐ近くにごつごつした岩が見えたの覚えています。
今の新しいトンネルの工事にはほんの少しだけ関わりました。2005年でしたか・・・月日の経つのはやいですね。
長野県の各所にある堰堤かっこいいよな
水流れてないときの石積みがかっこいいんよほんと
大学のとき見に行ったとき調査で見に行ったときはほんと感動した。
コンクリートを節約しつつあの美しい石積みは感動ものだよ
一度見に行ってほしい
2代目釜トン時代、急カーブの難所ではしばしば路面にバスの車体からモゲたバックミラーが転がっていたり、県外のバス運行会社が大型バスで無理やり通過しようとしてトンネルを出る頃にはバスの形が変わっていたりと数々の伝説を産んでいました。80年代の頃はまだ岩肌の露出した素掘りの区間が多く残っており、ここを通過するのはちょっとしたアトラクションのような気分だったのを覚えています。
旧トンネルは薄暗く漏水で雨が降っている様になっていてゴツゴツした壁、バスの中からでも異様な雰囲気がわかるトンネルでしたね、その分大正池周辺からの風景が引き立っていました。
そ言えば真偽不明の話ですが、昔は冬山で遭難した人の遺体仮安置所だったとか⁉️
くぐれる時代に意を決して行きましたよ!
二輪車行き帰り冷や汗全部ローギア、今だに思い起こすと言うことは完全にトラウマ、吊り橋から覗き込む上高地梓川の澄みきった清流とともに脳裏に焼き付いています。
釜トンの記憶の方が強烈で上高地の散策は吹っ飛ばされた。
この前、さわやか信州号で上高地へ行きましたが、想像を絶するほどの先人の苦労があったのですね。
アルピコ交通の運転技術にも脱帽でした!
バスに乗って居ると こんな云われが有った何て気がつかないので 解説していただいてありがとうございます。
半年ほど安曇村に住んでいました。懐かしく拝見しました。
今度は安房超えの歴史を‥
初めての釜トンネルはバイクでした 50数年前 電車のタブレットみたいなのが有った記憶が 途中で車が止まると大変なので先に行かせてくれた 大正池も護岸工事前で絵はがきそのままでした その後休日通行禁止 シーズン、完全通行禁止と変わり 何度か自走しましたが 駐車場でバイクのブーツから運動靴に履き替え散策 帰りにバイクのブーツに履き替え 運動靴はそのまま駐車場に忘れ後で気が付きました 上高地の思い出
1994年6月初頭に、ここをマイカーで走ったことあります。
動画で紹介の通り、えげつなく急で暗く、湿気が酷くて視界の利かない中、小石を踏みまくってパンクを気にしながらトンネルを走り抜けたのを思い出します。
ちなみに車はリッターカーで非力のダイハツシャレードディーゼル(マニュアル車)。当時は無謀なことしたなあと思ったが…「わざと釜トンネルを危険にしたまま」ってホントかよ。
長野県ひっでーなあ
昭和30年代に頃、バスで釜トンネルを通りました。トンネル内は岩壁むき出しで路面も凸凹で水溜りもあって、いかにも昔のトンネルという感じで
あえぎながら通り抜けるとホッとしました。昭和52年5月もマイカーで釜トンネル通りましたが相変わらずの岩盤むき出しで昔と同じような感じでした。
ここ10年前にまた釜トンネルをバスで通りましたが。全く様相が変わって驚きました。貴重な古い写真を有難うございました。
万世大路、清水国道(R291)、塩那道路、甲子道路などと並び、日本の道路史を語る上で外せない道ですね。
発電所建設の資材運搬用トロッコが通っていた初代釜トンはすさまじい急勾配で、文献には馬が資材を積んだトロッコを牽いた(馬車鉄道?)となっているものの、本当に馬が上れたのかという勾配だったようです。当時の資料は乏しく、実際にどうだったかは、もうわからないとか。
初めまして。交互通行時代の釜トンはバスや自分の車で行った懐かしい記憶があります。地下水が天井からポタリというレベルでなく素掘りの崖から滝になっている洗い越しを超えるって所があったと記憶してます。
今は高規格になってますが当時の釜トンって 天上世界(上高地)と現世の間の暗い産道みたいな存在で 通り抜けたら天上が見えるみたいなプチ緊張感が15分の信号待ちにあった気がします。今はその産道感は無くなってるかな
あと、バスツアーは安房峠越えもほぼほぼセットになっていてガードレール無しの狭カーブをバスガイドさんの誘導で崖脱輪まで15センチみたいな切り返しで
釜トンと安房峠が(通過点でなく)名所になってたと思います。運転手さんにしてみたら相当プレッシャーなアサインだったのではと
今のトンネルですら、相当急だなあと感じますから、前のトンネルは相当な圧迫感があったんだろうなと。
いつも158号線、安房峠・トンネル関連の動画を楽しく、興味津々で見ています。1982年に二輪で上高地へ行きましたが、残念なことに釜トンネルの記憶がない…のです😅こんなに急勾配だったかなぁ…。私の通ったのは2代目?もっと味わっておけばよかったです。
飛騨方面の動画を期待しています!これからも頑張ってください。
10年ほど前から登山にハマり上高地へは毎年のように行くので釜トンネルにお世話になっていて、歴史を学べた事に感謝しますm(_ _)m
現トンネルも結構な勾配ですよね💦
運転手さんの運転見てると、ギア1〜2速しか使ってなかったような、、、。
冬に上高地いくため釜トンネルを歩いたことあるんですが、恐らく旧釜トンネルに繋がってるのかな?みたいな扉がありました
長野県民わい、幼少期からこういう道を通るお陰で険道オタクに成長
自分が登山のためによく上高地入りしていた時期は3代目トンネルの時代ですね。懐かしい。
釜トンって響きが可愛い
待ってました!もへじさんの「釜トンネル」解説。
廃墟、廃村、心霊スポットをよく見るので、お台場の動画とこちらがオススメに出てきました。
サムネに惹かれて視聴しました。
これからも動画を楽しみにしています。
・・岐阜と長野の県境国道158号線安房峠は〇月〇日から通行可能となります。
今年も行くか、うん。今は亡き友人と休みにラジオを聴いていて、上高地行きの計画を立てていました。
釜トンネルは一度車を運転して通った人は絶対に忘れられないトンネルだと思います。
上高地があんなに綺麗なのは、そんな昔から自然を開発から守った先人たちが居たからだと
トンネルの歴史から知ることになるとは、先人に感謝 この動画も👍GJ
当時釜トンネル全盛だった頃は壁天井ギリギリで肝を冷やす状況でしたね懐かしいです
48歳のおっさんですが中学の修学旅行で行った!トンネル入る前バスの運転手が集中したいとのことで静かにしろと怒られた。
とわずかな記憶だがある。
集中したい…。わかります。
第2代と第4代のトンネルはロードレーサーで昇ったことあるけど、第2代は途中で挫折して押して登った💧
第4代はなんとか足つかずに登れたけど、2度と登るものかと固く心に誓った😅
昔 住んでいた山に行く道は
9%で 登りきついな〜
なんて思ってましたが
釜トンネルの 11%は 転げ落ちそう……
20年ぐらい前ですが、大学生の時に旧釜トンネルを自転車で通りました。
寝袋やテントを自転車に積んでいてバスなどがスレスレで荷物を引っ掛けないか心配で怖かったなー。
斜度が半端なくて、路面がゴツゴツで濡れているんだよね。
バスガイドをしてますが、このルートだけは、本当に長い通行止めが何回かありました。ちなみにながれた静岡のバス会社なガイドでした。次の日に朝点呼で聞いたのは思い出です。
冬の上高地に入るために何度か釜トンを歩きました。三代目は閉鎖前に一度通りましたが、滲み出す水が凍結している上に急傾斜なので、トンネル内なのに要アイゼンでした。四代目は格段に歩きやすくなってツアーも組まれるほどになりましたね。
きたー!編集お疲れ様です!昔と今じゃやっぱり全然違いますね
この山ヤバすぎやろ。通常でこれとか正直怖くて行こうとは思えない。
4本もトンネル作り直すとかどれだけ重要路線かわかりますね…
安房峠を通る時に釜トンネル見ますがそんな歴史があったのですね。とても面白かったです。
1999年9月の崩落の直前に上高地を訪れました。
大雨が続き、現場付近の山肌を水がチョロチョロ流れており、非常に危機感を持ったことを覚えています。
私は日帰りで無事戻れましたが、その後に崩落、多くの人が閉じ込められてしまいました。
分かりやすい解説で面白かったです
60年前に西穂高への登山に行き帰り荒天で釜トンネルの中が崩落してバスが不通になって仕方なく歩いて抜けることにしました。しかし懐中電灯を忘れてきて真っ暗な中を手探りで通りました、その当時から心霊の噂があって怖かった思いをしました。中の二股に分かれた場所で出口の明かりが見えたときはほっとした覚えがあります。
57年前にS600でこのトンネルを通って上高地に行った事を思い出した。
暗いトンネルの中で前を走るバスの排気、暗くて勾配が判らず非力なS600とオープンカーの悲劇、多分、当時は素掘りだったのか?岩がむき出し・・の恐怖とノロノロ走行、地獄と思ったが引き返す事も出来ない狭い「地獄の入り口」だった。
ここの砂防ダムの改修補修の石工事に従事したけど、そんなに古いダムだったんですね。
釜トンネルのホテル宿泊して、自転車で押して上高地に行き、帰りも自転車で乗って釜トンネルの一方通行時代に行きました。
建造物に歴史あり…か、今回も動画ありがとね!!
はじめて、上高地に行ったときは10分待ちを知らずに、何で進まないのかと思ってましたが、
帰ってから事情を知りました。
その後も、数回行きましたが、最新の釜トンネルを利用したのもいい思い出です。
趣があっていいところですよね。
懐かしいです。
散々行きました。
ポンコツバスで。
久しぶりに行ったら釜トンネルが新しくなっていて驚きました。今は普通な警備員さんですが、以前は自衛隊なんじゃなかったかな。真っ暗な中(と言っても18時くらい)、トンネル入り口で信号が変わるのを15分くらい待った記憶があります。
昔、某廃隧道探索サイトでめっちゃ見てたわ
私が50年前に初めて登った時には、トンネル入り口に『ポンコツ中古車通行止め』の看板が有りました(笑)。
長野県民なので釜トンネルのことはいろいろと知っているつもりでしたが、自動車をロープで吊って輸送した時期があったとは知りませんでした!
とてもおもしろい動画で勉強に鳴ります( ̄ー ̄)b
釜トンネルにこんな歴史が有ったとは知らなかった よく取材してくれました ありがとう
2代目釜トンネルをバイクで走ったことがあります。
当時でも、駐車場キャパはいっぱいでした。
その後、ここや乗鞍もマイカー規制となりました。
雪の時期に行ってみたいなぁ
1970年にマイカーで、釜トンネルを通過しました。
入口の注意書きに、はっきり軽自動車禁止のような文言があった気がします。
表示勾配が16%とも書いてありました。初代カローラは2NDギアーで問題なく上りました。楽しい思い出です
勾配12%ってどんな坂なのかと思って調べたら大橋ジャンクションのループが約6〜7%相当らしい、それのおよそ2倍前後となるとかなりの急勾配ですね。
旧釜トンネルは自転車で走るというか、押し上げないと転ける。暗く閉塞感と排気ガスで呼吸が乱れ、非常に難儀したえげつないトンネルと記憶しています。
ライトは単1電池2本の豆電球ライトです。それでも無いよりは明るく頼もしい存在でした。
しかも1ヶ所に堀間違えたような小穴があり、それが初代トンネルだと最近気付きました。
現・釜トンネルを上高地から自転車で下ると、70km/h近く出ます。
路線バスなら3速までシフトダウンし、排気ブレーキとリターダ併用しても、エンジン回転数はレッドゾーン手前まで回ります。
広く明るくなっても、連続11%勾配はおそろしや・・。
そういえば、昔行ったとき、トンネルが狭いと思ったらいつの間にかなんか途中から綺麗なトンネルに変わってるし変なトンネルだなと思ってました。
奥飛騨温泉郷に行くときに見えるところですね。封鎖されてる姿しか見たことなかったんですがこんなことにww
マイカー規制前に行ってみたかった
どちらも行ったことがあり、とても興味深く観させていただきました!
最初に出てくる滝は人工で、釜ヶ淵堰堤のバイパスですね。ちょうど堰堤の工事でもしていたんでしょうか。
旧釜トンは新釜トンが万が一通行不能時のために坑口を埋めずに未だに残しているようですが、こんな場所なんて非常時には余計に通りたくないですよね。
また、新釜トンはGoogleマップ上では真っ直ぐになっていますが、地理院地図や実際には、無理やり縦断勾配を11%にするためかなり左右にカーブした線形になっていて、難工事の痕跡を感じます。
本当にここの道路たちは規格外だなあ(褒め言葉)
始めまして😊もへじさんの道路解説、以前から拝見してました。
釜トンネルって行く末の“中部縦貫道“の“現道改良区間“になりそうな、勢いですよね。まぁー、国と、ゼネコンの偉い人が話し合って、ダメなら第○釜トンネル掘るか?谷と、谷を結ぶ橋梁にするか?って感じですよね?
時々前通るたびに気になってたのが解決した気分です。
富山方面から安房トンネルを抜けて降った先の分岐の所ですね、トンネル抜けた直後の勾配も結構やばいイメージでしたが(凍結で死にかけた)、トンネル内はアレ以上なのか…
二回ほど行きました。あの二股トンネル閉鎖しちゃったんだ😢
お猿の親子が可愛い。
『非力な車
運転に自信のない方は
ご遠慮下さい』
なんてストロングスタイルw
凄ぇww ( ̄▽ ̄;)
フリーザ様w
わざと根本的なトンネル改修をせずに放置して死亡事故が発生してたとすると長野県の責任でしょう。聞き捨てならない話ですね。
お釜トンネル、穴を掘って作る、文字にすると別の意味の怖さもあるね
入って出て来たら第三の性が目覚めてしまった的なw
そういえば新穂高ロープウェイは当初の案だとそのまま西穂から上高地まで降りるようになっていましたね。
それにしても長野県は158号を放っとくねえ…
やっと最近になって一番カーブのきつい区間にトンネルを掘り出したけど…
岐阜県や福井県は中部縦貫自動車道の建設に前向きだけど、長野県はやる気ないね。
小学校の教材とかで扱ったら凄く面白い内容。こういうの大好き😂何で学校の教科書や教材は興味を引かないものが多いのか謎である📖🤔
釜上トンネルの廃止部分も現役区間と電気系統が繋がっているため、旧道の中で唯一照明が点灯してる場所です。というかそもそも配電盤はこの位置に設置されている。動画だと消灯しているので冬季閉鎖中なのでしょうか。
動画内容と関係なくてすみません、チャプター7のBGMの詳細が知りたいです。
長野の県境の道路はほんと怖い...
某マップに「最速コース」と騙されて旧道通らされた時は崖道・地下水浸水が多すぎて死を覚悟したね
飛騨高山に向かう時に見た記憶が…
登坂って4%超えたあたりからアクセル無しでもトラックとかはバリバリ加速して下って行くからなぁ
あのロープウェイを上高地まで延長する案は、実はいまだに運営会社の中で燻り続けている。
空中バスとかトンネル用にバスの形を変えるとか、運転に自信のある云々の看板とか、ぶった斬りの発想に興味とウケが止まらない😧
どこかと思ったらそこか!!マジかよww知らんかった
六角形のバス、ググったけど出てこないね。
見てみたい。ー
ここと似たトンネルが素掘りで狭い道路を走る路線(日窒鉱山線・中津川線)で使われてた西武バスの三角バスと同じバスの形式じゃないかな。あれも形は6角形だし
@@hinabo1682 見てきました。イメージが掴めました。三角って言っても軽く角度がついてる感じなんですね。
六角バスの場合、下部が若干(中央が膨らんだ)軽く曲がっているのかもしれませんね。
ありがとうございました!
空中 路線バスとやらを見てみたい
首都高でこれと似た場所あった気がする
青崩峠の関連で出てきた記念
真面目に見ていたのに唐突なフリーザで笑ってしまったw
奥只見のシルバーラインすらマシなレベルなんだ
なんか斜坑みたいですね
長野県は自然保護の名の下に人命を軽視した道路を供用した。この風潮は現代も変わっておらず、本州中部でも長野県は最も道路行政が遅れている。上信自動車道、中部横断道は長野県のやる気のなさで全線開通ができるかわからない。
違法化された県道
という感じ。