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14:59 為平親王→具平親王の誤りです
若い彰子から見たら、11歳差は息子と言うより弟。可愛く思ったのは事実だとしても弟が成人して婿入りまでしたら、深く立ち入ることはなくなるのは当たり前かも?弟に対する愛情のもち方としたら、十分立派にやり遂げたと思います、、、残された記録から心の中を読み取ることの難しさ。
普通に考えなさいよ。なぜ外戚が一番になるのか。それはそこが育ててしまうから、大人になっても親子の情がはなれないから強く結び付く感情の制度だよ。つまり敦康親王は実の子と同じ境遇で育っており、道長の露骨さは、やはり藤原の血だなとおもうだけ。そのまま成っていても、これほど宮廷を取り仕切っていたら、問題はなかったと。だから彰子をそう疑うのは違うと思うけど。生みの親より育ての親ですよ。誰からも後ろ指さされずに宮廷を取り仕切った彰子は、見事な生涯でしたよ。
道長は彰子が若過ぎて出産にはまだ間があるという理由で敦康親王を支えていたのが、定子の死により彰子を養母とすることでより明確に彼女の地位を固めたわけですね。一条帝にとっても、復権途上の伊周より道長の方がずっと後見役として頼もしいです。彰子が片時も離れず支えていた姿は、道長倫子の父母を見習い同様に尽くし母の役割を担おうとしていたのでしょう。しかし自分の子敦成親王の誕生後も変わらず敦康親王を優先するのは、やはり少し不思議です。どれほど帝の意思を慮っていたとしても、やはり実の親子の情には勝てないように感じます。父道長からの要請で賢后を演じていたとしたら、悲しいですね。ただ敦康親王の結婚を弟頼通と共に盛り立て、親王の死の時まで支えていたのは、真実の気持ちと思いたいです。当時彼がわずか20歳で亡くなるとは、誰にも分からないのですから。ブラック彰子か否かは別にして、彰子と頼通が女院と関白として、かつての詮子と道長のように摂関政治を引き続き主導していたことは、父と伯母の関係を無意識にしても踏襲して行くことであり、平安貴族らしいと感じます。
実の子だからといって本当に可愛く思えるかはわかりませんが…詮子と一条天皇の関係のように子を可愛く思う一方でどうしても政治の駒という意識も強くあるのだろうなと思います。さらに記録に残る限りは後一条天皇(敦成親王)は平凡な人物だったようですが(道長や彰子頼通姉弟が万事仕切っていたというのもあるようですが)敦康親王は容姿端麗な上に学問好きで芸術にも深く関わっていたということで定子皇后、一条天皇、どちらの良い影響もみて取れ、やはり学問芸術好きの頼通とも相性はよかったのかも。光源氏のモデルの1人とも思われます。彰子にとっては息子というよりはまさに自慢の弟で、やはり贔屓目はあったのではないでしょうか。自分の息子がまだ幼ければ特に。
本当に敦康親王は詮子、彰子、隆家、脩子内親王に護られたのでは?皆賢いから敦康親王を救おうとしますが道長には敵わないのは、やはり娘の彰子の賢さ強さが優っていたからか?
彰子中宮の心中は、わかりませんが、実子同然の感情移入があったと思いたいです。
ある母親が言っていた。私はあの子が私の実の子たわから可愛いのではない。あの子が良い子だから可愛いんですと。ましてや大家であれば血の繋がりだけで、寵愛は決まらない。仙台藩の3代目の夫人は自ら長男次男を生んだが、どちらも20前に亡くなった。即跡目を決定するため泣く間もなく四男を跡目とし、養育に力をかけた。
定子が生きていさえすれば、敦康親王が跡目になり皇太子になれた。なお、一条帝の寵愛は定子のみで、彰子は形だけの中宮であっただろう。あるいは早目に一条帝が譲位して、三条帝即位、即、敦康親王皇太子に就任。なら女性に成長した彰子を据え膳として抱いて子供を作って構わないとあんぽんたんの一条帝は思うかもだが、それは危険。道長は現代の中国共産党のように危険な存在。トチ狂った道長は敦康親王の暗殺を企てたかも。まぁそれが、ばれて、何もかも無くしてしまえば良かったのに。またその時に彰子も土御門に返品してしまえば良かったかも。たしかに彰子も一条帝の子の母で有ればなかなか難しいだろうが、そこは天皇、独裁の権力を行使しても構うまい。天=宇宙の決め事であろうが、道長彰子の栄光はなんか嫌な思いがするな〜。道長をホワイト道長に描いた、大石静のボケバァさんのせいで、余計道長、倫子、彰子に嫌気が指した。
彰子がちゃんと国母になってて良かった❤😊
国母になるべきは定子です。道長が、無理やり席を奪っただけ。地獄で、一番辛い煉󠄁獄で今も彷徨っているかもね。か、毒蛇か蠍に生まれ代わり、駆除されて、また同じことを繰り返しているかどちらか。
複雑な生まれなのに、敦康神王は、まともに育って良かった❤😊
敦康親王です。
九条流の存続の為にも敦康親王は重要だったのですね。敦康親王は、光源氏みたいな存在で、帝の皇子だけど、東宮や帝になると国が乱れる遠因になるのを一条天皇が憂いたのかも。
違う、道長の権力保持の保険、だから敦成が生まれたとたん手のひら返し。気の毒な敦康親王の敵討ちを姉の脩子内親王にしてもらいたい。ガンガン道長を懲らしめてほしい。実際道長はいろんな場面で、道長を笑い者にし、邪魔してるし、道長手を焼いているが、一品宮の脩子内親王にはてはだせず、歯噛みしながらご機嫌伺いをしてた。
😂ガハハ道長のば〜かと笑っている脩子内親王の姿画、見える。
実際、彰子の敦康親王への態度は最後の部分でも触れたように、本当に愛情を持って接していたかは疑問の余地があります。ブラック彰子として動画を作ることもできましたが、また別の機会にします。
だから道長は蛇蝎。蛇蝎道長の娘ならたしかに敦康親王に冷たい態度だったかも。さて、源氏物語を読んだ方は知っているとは思うが、ひとりの夫に二人の正妻を推し進めたものは全てバチが当たっている。本人ではなく、本人が特に愛している娘が、被害を受けている。結婚したが、夫に愛されず、子も無く、淋しい生涯で、若く儚く亡くなっている。彰子も敦康親王に手のひら返しをしたならやはり蛇蝎道長の娘であり、ドスコイねーちゃんであり、一条帝の愛情はなかったと推察する。一条帝葉ばかな男だから据え膳彰子に化かされいただき、子どもを二人も作ってしまったが、体調不良か、それで、打ち止め。なんとしても、離さなかった定子とは大違い。もっとも彰子は一条帝の愛情が、自分になくても、平気。そんなもんなくても、さみしくもないし、辛くもない。だって、鉄の心臓を持ってるんだから。
現代でも他人の子を可愛がるのはなかなかに難しいです。それでも彰子本人がまだ幼い状態の中、道長夫婦も含めてきちんと育ててきた点は素晴らしいと思います。結婚後の対応については特段虐げた記録も無いのにブラック扱いするのは流石にどうかと思います、残念です。
動画では取り上げませんでしたが、敦康親王が五節の舞姫の献上を渋った時に、彰子が出したというものがあり、これを彰子が異論を認めなかったという見方があります。栄花物語の書き振りも、彰子の養母像が現実ではかなり崩れていたため修正したものとする意見もあり、疑問を挟む余地は十分あるというのが実態です。
別の視点からの動画を楽しみにしています。彰子と敦康親王の絆が言われだしたのは最近のように思います。博識な作家橋本治さんも彰子は何もしない存在と書いていて、資料は美化や修正されたものと捉えられていたのではないかと思います。ここまで一族として取り込んでいた(後見になっとるやないかい)ならば、皇位につけると後見がないから世が乱れるというのも理由として成り立たないですね。道長夫妻は夏目漱石の『道草』の養父母を思い出させます。
@@rekishockこんにちはいつも動画配信ありがとうございます楽しく拝見しています少し違う角度からなんですが本当に両者の関係が動画の通りなら弟想いの脩子内親王がなぜあそこまで反発したのかが正直疑問でしかないですまた内裏の火事の時など姉弟の2人だけで逃げたなど扱いにかなり疑問があるのをあの大鏡が編んでいたりまた、無名草子では逆に一切触れないなどあえて編まずのままの方がよかったのでは?は編まれ、美談になりうるために編まれてしかりなものは編まれておらずとこちらでも疑問です(他にもありますが割愛します)それから信頼性に定評があるジャパンナレッジに古文解読のプロの方々による解説があるのですがその中に歴ショックさんが考察の余地があるという部分の助けになりそうなものが書かれていますご参考になれば幸いです😊
ただ、子の敦康親王を東宮にしようと強く推薦した彰子。敦成親王を東宮に推した道長との間で、相当な対立があったと聞いていますが、
敦成親王は赤ん坊。まだ海のものとも山のものとも分かんない。それに比べ、敦康親王は賢く美しい皇子様冷静な彰子は一条帝の為もあるが王家の為だったに違いない。
@@江國慶子-t5y 一条天皇の血筋で順繰りするんだったら良かったんですけどね。私的には、冷泉天皇の血筋は危ない感じがするので、辞めてもらいたいと思っていました。ただ、三条天皇には、とても気の毒でした。
甥子の伊周・隆家、姪子の定子だけじゃなくて、娘の彰子、息子の頼通までもを敵に回した道長と言った感じだな…
敦康親王は、どんなに複雑な気分だったろう。彰子が敦康親王の為に、実父と闘う姿を見て、紫式部は源氏物語の筋書きも変えたくらいだったと、思うのですが。
在りし日の兼家と詮子と道長の相似形のように道長・彰子・頼通の親子も藤原氏の宿命に嵌まっていくという感じかなぁ。
彰子の賢さは、おそらく倫子ゆずり。
いや、ドスコイカーさんに似ていたからドスコイねーちゃんになったんだよ。
但し、ドスコイねーちゃんは彰子のみ。その他の女子は惨めさが目立つ。蛇蝎道長の罰は娘達に降り掛かった。ほん人にではなく。
権力に あがなうと暗殺されかねないから、身分、経済に関しては優遇されたのだから、、、
賢后と言われる理由が、敦康の母代であるなら、江戸時代には大名家の奥方、御連中様にはいっぱいいます。大名家の奥方様は家の子はみな奥方様の責任で育てあげなくてはいけませんでした。学問、人間性、武芸、領地経営、人心掌握の術。武士の台頭時代はもっと切実、実力次第。人海戦術のように男の子を自家の戦力にしないといけないし。彰子が天皇の夫人だから言われただけで、武士階級は切実に賢い夫人でなければ、家は保たれ無い。彰子程度、山程いる。
15:39 ウォズw
レキショック様頼通の台詞に仮面ライダーが入ってましたね。「祝え」から始まる台詞懐かしいです。ただ、数年経ちますから本人は仮面ライダーの印象を払拭したいでしょうね。
14:59 敦康親王妃の父は為平親王ではなく具平親王ではないでしょうか?
ミスりました。ご指摘ありがとうございます。
普通に傷ついたやろうなぁ...敦康親王さま
ショウシ
せめて名前の読み方くらいはなんとかならないんですかね
可愛い敦康親王は良いが所詮彰子は役には立たなかった。敦康親王は彰子を慕っていたが道長のドアップを見ると石破茂総裁を見るように気持ち悪く、嫌気がし、ずっと見てると吐き気がする。
彰子が敦康親王を皇太子にすることを望んで道長と対立したというのはないんじゃないかと思います。聡明な彰子が敦康親王を皇位につけると政治不安が起きることくらい分かるはずだし、自分の子供である敦成親王を皇太子にしないことを望む母親だなんて、しっくりきません。やはり道長と示し合わせて演技だったのでは?
敦康親王を皇子産めなかった時の代用品だったから彰子も大事にしたし、情愛を持っていたから彰子は皇后の第一皇子の敦康が皇太子になるのは当たり前だったんだから。
敦康親王は皇太子に。その後自分の息子に、と単純に考えていたのです。それに敦成は海のものとも山のものともわからず、たしか敦康親王よりばかぽんだったはず。
彰子は一条帝の意志をひきついで、道長に対抗したらしい。実際敦康親王は賢く美しく天皇にふさわしかったらしい。敦成はあまり賢くなくて、彰子は我が子ながらかなりがっかりしたみたい。
敦康親王は第一皇子といえど母親が傾国の美女だったことを平安の貴族は忘れていません、定子は枕草子でこそ素晴らしい女性としての印象が強いですが、中国で言えば楊貴妃と玄宗の子を皇太子にということですからねえ
阿呆か❢玄宗はいろぼけジジィだが楊貴妃はなにも悪いことはしてない。だいいち楊貴妃が高齢出産したとしても玄宗には皇子が沢山いる。楊貴妃の息子にお鉢はまわらん。
唐代であれ宋であれ明であれかの国はハッキリしている。どんなに玄宗が可愛い楊貴妃の皇子であってもほかの皇子が、邪魔だとおもえば容赦なく殺している。
ふざけんな。定子は何の罪もない。むしろ一条帝が定子を愛しているならもっと真剣に守れよ。彰子は最終的に賢い女帝になりますが、宮中には必要だったが、一条帝には必要ない存在。一番良かったのは一条帝が、もっと早くに亡くなり、彰子が石女女として、中宮でいて、敦康親王の養母で、敦康親王が皇太子になること。だと将来の白河院のようなバケモノ、妖怪は生まれないから。世のための人の為です。
できれば、定子に長生きしてもらって一条帝に後押しして貰い、皇太子になってもらいたかった。彰子ではなくね。やっぱこうなるかって展開。道長まさに鬼❢
今後の光る君への楽しみは不細工彰子に興味なし。まひろvs倫子vs明子女王のおばさん対決。かなり見苦しいが、これくらいしか楽しみが無い。一条帝と彰子の恋愛なんか見たくもない。過去は過去、定子は死んだんだから、一条帝は前をみたほうが良いという隆家方式のほうが良いんじゃないか?は良いが、やはり一条帝の一番は定子であってほしい。
ごめんなさい。元子は一条帝に想いはないんだった。😅
14:59 為平親王→具平親王の誤りです
若い彰子から見たら、11歳差は息子と言うより弟。可愛く思ったのは事実だとしても弟が成人して婿入りまでしたら、深く立ち入ることはなくなるのは当たり前かも?
弟に対する愛情のもち方としたら、十分立派にやり遂げたと思います、、、
残された記録から心の中を読み取ることの難しさ。
普通に考えなさいよ。
なぜ外戚が一番になるのか。それはそこが育ててしまうから、大人になっても親子の情がはなれないから強く結び付く感情の制度だよ。つまり敦康親王は実の子と同じ境遇で育っており、道長の露骨さは、やはり藤原の血だなとおもうだけ。そのまま成っていても、これほど宮廷を取り仕切っていたら、問題はなかったと。だから彰子をそう疑うのは違うと思うけど。
生みの親より育ての親ですよ。誰からも後ろ指さされずに宮廷を取り仕切った彰子は、見事な生涯でしたよ。
道長は彰子が若過ぎて出産にはまだ間があるという理由で敦康親王を支えていたのが、定子の死により彰子を養母とすることでより明確に彼女の地位を固めたわけですね。一条帝にとっても、復権途上の伊周より道長の方がずっと後見役として頼もしいです。彰子が片時も離れず支えていた姿は、道長倫子の父母を見習い同様に尽くし母の役割を担おうとしていたのでしょう。しかし自分の子敦成親王の誕生後も変わらず敦康親王を優先するのは、やはり少し不思議です。どれほど帝の意思を慮っていたとしても、やはり実の親子の情には勝てないように感じます。父道長からの要請で賢后を演じていたとしたら、悲しいですね。ただ敦康親王の結婚を弟頼通と共に盛り立て、親王の死の時まで支えていたのは、真実の気持ちと思いたいです。当時彼がわずか20歳で亡くなるとは、誰にも分からないのですから。ブラック彰子か否かは別にして、彰子と頼通が女院と関白として、かつての詮子と道長のように摂関政治を引き続き主導していたことは、父と伯母の関係を無意識にしても踏襲して行くことであり、平安貴族らしいと感じます。
実の子だからといって本当に可愛く思えるかはわかりませんが…
詮子と一条天皇の関係のように
子を可愛く思う一方でどうしても政治の駒という意識も強くあるのだろうなと思います。
さらに
記録に残る限りは後一条天皇(敦成親王)は平凡な人物だったようですが(道長や彰子頼通姉弟が万事仕切っていたというのもあるようですが)敦康親王は容姿端麗な上に学問好きで芸術にも深く関わっていたということで定子皇后、一条天皇、どちらの良い影響もみて取れ、やはり学問芸術好きの頼通とも相性はよかったのかも。光源氏のモデルの1人とも思われます。
彰子にとっては息子というよりはまさに自慢の弟で、やはり贔屓目はあったのではないでしょうか。自分の息子がまだ幼ければ特に。
本当に敦康親王は詮子、彰子、隆家、脩子内親王に護られたのでは?皆賢いから敦康親王を救おうとしますが道長には敵わないのは、やはり娘の彰子の賢さ強さが優っていたからか?
彰子中宮の心中は、わかりませんが、実子同然の感情移入があったと思いたいです。
ある母親が言っていた。私はあの子が私の実の子たわから可愛いのではない。あの子が良い子だから可愛いんですと。ましてや大家であれば血の繋がりだけで、
寵愛は決まらない。仙台藩の3代目の夫人は自ら長男次男を生んだが、どちらも20前に亡くなった。
即跡目を決定するため泣く間もなく
四男を跡目とし、養育に力をかけた。
定子が生きていさえすれば、敦康親王が跡目になり皇太子になれた。なお、一条帝の寵愛は定子のみで、彰子は形だけの中宮であっただろう。
あるいは早目に一条帝が譲位して、三条帝即位、即、敦康親王皇太子に就任。なら女性に成長した彰子を据え膳として抱いて
子供を作って構わないとあんぽんたんの一条帝は思うかもだが、それは危険。道長は現代の中国共産党のように危険な存在。トチ狂った道長は敦康親王の暗殺を企てたかも。まぁそれが、ばれて、何もかも無くしてしまえば良かったのに。またその時に彰子も土御門に
返品してしまえば良かったかも。
たしかに彰子も一条帝の子の母で有ればなかなか難しいだろうが、そこは天皇、独裁の権力を行使しても構うまい。天=宇宙の決め事であろうが、道長彰子の栄光はなんか嫌な思いがするな〜。
道長をホワイト道長に描いた、大石静のボケバァさんのせいで、余計道長、倫子、彰子に嫌気が指した。
彰子がちゃんと国母になってて良かった❤😊
国母になるべきは定子です。道長が、無理やり席を奪っただけ。地獄で、一番辛い煉󠄁獄で今も彷徨っているかもね。か、毒蛇か蠍に生まれ代わり、駆除されて、また同じことを繰り返しているかどちらか。
複雑な生まれなのに、敦康神王は、まともに育って良かった❤😊
敦康親王です。
九条流の存続の為にも敦康親王は重要だったのですね。敦康親王は、光源氏みたいな存在で、帝の皇子だけど、東宮や帝になると国が乱れる遠因になるのを一条天皇が憂いたのかも。
違う、道長の権力保持の保険、だから敦成が生まれたとたん手のひら返し。気の毒な敦康親王の敵討ちを姉の脩子内親王にしてもらいたい。ガンガン道長を懲らしめてほしい。
実際道長はいろんな場面で、道長を笑い者にし、邪魔してるし、道長手を焼いているが、一品宮の脩子内親王にはてはだせず、歯噛みしながらご機嫌伺いをしてた。
😂ガハハ道長のば〜かと笑っている脩子内親王の姿画、見える。
実際、彰子の敦康親王への態度は最後の部分でも触れたように、本当に愛情を持って接していたかは疑問の余地があります。
ブラック彰子として動画を作ることもできましたが、また別の機会にします。
だから
道長は蛇蝎。蛇蝎道長の娘ならたしかに敦康親王に冷たい態度だったかも。
さて、源氏物語を読んだ方は知っているとは思うが、ひとりの夫に二人の正妻を推し進めたものは全てバチが当たっている。本人ではなく、本人が特に愛している娘が、被害を受けている。結婚したが、夫に愛されず、子も無く、淋しい生涯で、若く儚く亡くなっている。
彰子も
敦康親王に手のひら返しをしたならやはり蛇蝎道長の娘であり、ドスコイねーちゃんであり、一条帝の愛情はなかったと推察する。一条帝葉ばかな男だから据え膳彰子に化かされいただき、子どもを二人も作ってしまったが、体調不良か、それで、打ち止め。
なんとしても、離さなかった定子とは大違い。もっとも彰子は一条帝の愛情が、自分になくても、平気。そんなもんなくても、さみしくもないし、辛くもない。だって、鉄の心臓を持ってるんだから。
現代でも他人の子を可愛がるのはなかなかに難しいです。
それでも彰子本人がまだ幼い状態の中、道長夫婦も含めてきちんと育ててきた点は素晴らしいと思います。結婚後の対応については特段虐げた記録も無いのにブラック扱いするのは流石にどうかと思います、残念です。
動画では取り上げませんでしたが、敦康親王が五節の舞姫の献上を渋った時に、彰子が出したというものがあり、これを彰子が異論を認めなかったという見方があります。
栄花物語の書き振りも、彰子の養母像が現実ではかなり崩れていたため修正したものとする意見もあり、疑問を挟む余地は十分あるというのが実態です。
別の視点からの動画を楽しみにしています。彰子と敦康親王の絆が言われだしたのは最近のように思います。
博識な作家橋本治さんも彰子は何もしない存在と書いていて、資料は美化や修正されたものと捉えられていたのではないかと思います。
ここまで一族として取り込んでいた(後見になっとるやないかい)ならば、皇位につけると後見がないから世が乱れるというのも理由として成り立たないですね。
道長夫妻は夏目漱石の『道草』の養父母を思い出させます。
@@rekishock
こんにちは
いつも動画配信ありがとう
ございます
楽しく拝見しています
少し違う角度からなんですが
本当に両者の関係が動画の
通りなら弟想いの脩子内親王が
なぜあそこまで反発したのかが
正直疑問でしかないです
また内裏の火事の時など姉弟の
2人だけで逃げたなど扱いにかなり疑問があるのをあの大鏡が編んでいたりまた、無名草子では逆に
一切触れないなどあえて編まずの
ままの方がよかったのでは?は
編まれ、美談になりうるために
編まれてしかりなものは編まれて
おらずとこちらでも疑問です
(他にもありますが割愛します)
それから信頼性に定評がある
ジャパンナレッジに古文解読の
プロの方々による解説があるの
ですがその中に歴ショックさんが
考察の余地があるという部分の
助けになりそうなものが書かれて
います
ご参考になれば幸いです😊
ただ、子の敦康親王を東宮にしようと強く推薦した彰子。敦成親王を東宮に推した道長との間で、相当な対立があったと聞いていますが、
敦成親王は
赤ん坊。まだ海のものとも山のものとも分かんない。それに比べ、敦康親王は賢く美しい皇子様冷静な彰子は一条帝の為もあるが王家の為だったに違いない。
@@江國慶子-t5y 一条天皇の血筋で順繰りするんだったら良かったんですけどね。私的には、冷泉天皇の血筋は危ない感じがするので、辞めてもらいたいと思っていました。ただ、三条天皇には、とても気の毒でした。
甥子の伊周・隆家、姪子の定子だけじゃなくて、娘の彰子、息子の頼通までもを敵に回した道長と言った感じだな…
敦康親王は、どんなに複雑な気分だったろう。彰子が敦康親王の為に、実父と闘う姿を見て、紫式部は源氏物語の筋書きも
変えたくらいだったと、思うのですが。
在りし日の兼家と詮子と道長の相似形のように
道長・彰子・頼通の親子も藤原氏の宿命に嵌まっていく
という感じかなぁ。
彰子の賢さは、おそらく倫子ゆずり。
いや、ドスコイカーさんに似ていたからドスコイねーちゃんになったんだよ。
但し、ドスコイねーちゃんは彰子のみ。その他の女子は惨めさが目立つ。蛇蝎道長の罰は娘達に降り掛かった。ほん人にではなく。
権力に あがなうと暗殺されかねないから、身分、経済に関しては優遇されたのだから、、、
賢后と言われる理由が、敦康の
母代であるなら、江戸時代には大名家の奥方、御連中様にはいっぱいいます。大名家の奥方様は家の子はみな奥方様の責任で
育てあげなくてはいけませんでした。学問、人間性、武芸、領地経営、人心掌握の術。
武士の台頭時代はもっと切実、実力次第。
人海戦術のように男の子を自家の戦力にしないといけないし。彰子が天皇の夫人だから言われただけで、武士階級は切実に賢い夫人でなければ、家は保たれ無い。彰子程度、山程いる。
15:39
ウォズw
レキショック様
頼通の台詞に仮面ライダーが入ってましたね。「祝え」から始まる台詞懐かしいです。ただ、数年経ちますから本人は仮面ライダーの印象を払拭したいでしょうね。
14:59 敦康親王妃の父は為平親王ではなく具平親王ではないでしょうか?
ミスりました。ご指摘ありがとうございます。
普通に傷ついたやろうなぁ...
敦康親王さま
ショウシ
せめて名前の読み方くらいはなんとかならないんですかね
可愛い敦康親王は良いが所詮彰子は
役には立たなかった。敦康親王は彰子を慕っていたが
道長のドアップを見ると石破茂総裁を見るように気持ち悪く、嫌気がし、ずっと見てると吐き気がする。
彰子が敦康親王を皇太子にすることを望んで道長と対立したというのはないんじゃないかと思います。聡明な彰子が敦康親王を皇位につけると政治不安が起きることくらい分かるはずだし、自分の子供である敦成親王を皇太子にしないことを望む母親だなんて、しっくりきません。やはり道長と示し合わせて演技だったのでは?
敦康親王を皇子産めなかった時の代用品だったから彰子も
大事にしたし、情愛を持っていたから彰子は皇后の第一皇子の敦康が皇太子になるのは当たり前だったんだから。
敦康親王は皇太子に。その後自分の息子に、と単純に考えていたのです。
それに敦成は海のものとも山のものともわからず、たしか敦康親王よりばかぽんだったはず。
彰子は一条帝の意志をひきついで、道長に対抗したらしい。実際敦康親王は賢く美しく天皇にふさわしかったらしい。敦成はあまり賢くなくて、彰子は我が子ながらかなりがっかりしたみたい。
敦康親王は第一皇子といえど母親が傾国の美女だったことを平安の貴族は忘れていません、定子は枕草子でこそ素晴らしい女性としての印象が強いですが、中国で言えば楊貴妃と玄宗の子を皇太子にということですからねえ
阿呆か❢
玄宗はいろぼけジジィだが楊貴妃はなにも悪いことはしてない。だいいち楊貴妃が高齢出産したとしても玄宗には皇子が沢山いる。楊貴妃の息子にお鉢はまわらん。
唐代であれ宋であれ明であれかの国はハッキリしている。どんなに玄宗が可愛い楊貴妃の皇子であってもほかの皇子が、邪魔だとおもえば容赦なく殺している。
ふざけんな。定子は何の罪もない。むしろ一条帝が定子を愛しているならもっと真剣に守れよ。彰子は最終的に賢い女帝になりますが、宮中には必要だったが、
一条帝には必要ない存在。一番良かったのは一条帝が、もっと早くに亡くなり、彰子が石女女として、中宮でいて、敦康親王の養母で、敦康親王が皇太子になること。だと将来の白河院のようなバケモノ、妖怪は生まれないから。世のための人の為です。
できれば、定子に長生きしてもらって一条帝に後押しして貰い、皇太子になってもらいたかった。彰子ではなくね。やっぱこうなるかって展開。道長まさに鬼❢
今後の光る君への楽しみは不細工彰子に興味なし。
まひろvs倫子vs明子女王のおばさん対決。かなり見苦しいが、これくらいしか楽しみが無い。一条帝と彰子の恋愛なんか見たくもない。過去は過去、定子は死んだんだから、一条帝は前をみたほうが良いという隆家方式のほうが良いんじゃないか?は良いが、やはり一条帝の
一番は定子であってほしい。
ごめんなさい。元子は一条帝に
想いはないんだった。😅