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最近当事者になりました。今パニックな感じです。41歳ですが、20年以上無駄にしました。asdとわかって良かった。動画の内容、非常に共感できます。特性を把握する、育てて活かす、必須です。
そらのふくぞうさん、こんにちは。自分も同じ年代でコメント読んでいたら共感するところがあったのでコメントさせて下さい。自分は20歳の頃から不安、強迫、過緊張、易疲労、気分の浮き沈み、睡眠障害等で通院を始め今年40歳になりました。これまでも自分のこの根本的な辛さは何なのかとドクターに訴えてきましたが、兎に角目の前の問題を対処することを理由に薬の処方と3ヶ月に1回のカウンセリング(医師に10分程話を聞いてもらう)を続けてきました。そして約2年前、自分の性格(特性、気質)が職場の周囲と衝突して辞めることとなり、それから今日まで長期求職者となりました。ただもうこれまで通り何となく頑張ることはできなくなってしまいました。疲れた、限界だ、助けてほしいと思い勇気を持って発達障害の検査をしたいとドクターに伝えました。2週間前にWAIS検査をしました。今度結果を聞きにいきます。病名が確定したから生き辛さ解消とはいきませんが、自己理解、自己受容をするためにも兎に角今は結果を待ちそれを参考に今後のことも決めていきたいと思っています。自分の勝手な推測ですが、両親との愛着の傷とHSP気質も持っていると考えています。仮に発達障害と判明したら、そのことで親も自分を育て難く感じており互いに意思疎通がうまくいかず愛着に傷が生じて様々な問題を引き起こしてきたんだなと納得できそうな気がします。以上、長々となりすみません。自分を知る、理解するのに時間がかかってしまいその悔しさや悲しさよく分かります。これからお互い自分らしく生きられる道を探していきましょう。一方的に失礼しました。
本人にわかってもらうために、傷つけない方法を探しています。でも一般人にはとても難しいです。
夫からどうしてわかってくれないのか!!といつも喧嘩になり、ガチガチの定型発達の私は、理解に苦しみ心が折れかかっていました。ロココさんの分かりやすい動画で学んでまず話し方変えたところ、会話も楽しく光が見えてきました!ありがとうございます😊
私自身ASDかどうかは診断されたことがないのでよく分からないのですが、大卒で就職した企業を2年目で辞めてしまいましたそれこそグループワーク中心の職場だったので本当に苦痛でした企業イメージ(の良さ)や好待遇に惹かれて入った会社でしたが、間違った選択だったと今でも思っています自分自身の内面をしっかり見つめ直した上で自分が働きやすい職場環境を探し見つけ、見つからなければ自分で作るそのことに気付き実際にできるようになったのは私もつい最近です
「困り事」というレベルではなく、本当にどうしていいか?分からなくなってしまった状態でしたね。第一に、「集団行動が苦手」「ところが、チームワーク重視の職場(精神科の看護業務)を選択(自分自身の選択、とは言えないのですが)」という点は共通しているのですが、僕の場合は、それまで馴染んでいた環境(自宅中心)から新しい環境に来た事によるストレスが、既にその前提にあったことです。この前提それ自体がAS-ASDの基本特性「AS-ASDは、急な環境の変化への対応が困難」でした。それまでの行動もパターン化されていて、そのパターンが変わる事への適応の無さもありましたから、この職場の難しさは当然と言えば当然なのですが、当時は全く思い至らなかったですね。職場側も僕の行動の異常さに気が付き、「適応障害から来るうつ的状態」と診断され、投薬を受けながらも仕事を続ける事となりました。当時(1990年代の半ば)は、発達障害と言えば、知的障害で、ASDと言えば所謂「カナー型自閉症」しかない時代でしたから、本当の原因が判ったのはここ10年程前の事でした。
確かに仰る通り、困りごとのレベルでは無いかもしれませんね(^_^;)。コメントに書いてくださったこと、本当によく分かります。私も思い返してみれば、その当時、ど田舎から笑、急に大都会での一人暮らしに加え、チームワークの環境に親の離婚笑(^_^;)完全にキャパ越えとはこのことだったんだと思います笑(_ _)。それでも私も当時は、本当のところは何が苦しいのか思い至らなかったです。。お薬を飲みながらのお仕事は、とても大変だったでしょうね...。本当の原因に辿り着くまで、長かったですよねφ(..)。。コメントをありがとうございました(^ ^)
@@rococochannel 本来、ASDという診断がくだされたら、何年も投薬を続ける必要は無かったのではないか?と今も思っています(実際、投薬によって、自分本来のスキルの半分も発揮できなかった・・・その為、200年3月をもって解雇😭)。当時はアスペルガー症候群という診断も無かったですし、強いストレス下にあるASDは、一見、統合失調症のように見える症状もあるので、症状の背後に「統合失調症スペクトラム障害(SSD)-今はそのように称するようです」が潜んでいる可能性がある。という判断での投薬治療らしいです。職場の精神科のある地域も、自宅周辺に勝るとも劣らない「ど田舎」で、さらに知り合いが居ない。AS・ASDの天敵として「ど田舎コミュニティ」があるのですが、正にその「ど田舎コミュニティ」に嵌まり込んでしまった事も大きい痛手かと思っています😭
いつもありがとうございます❤️アスペルガールという本を買ってみました。ロココさんのお陰で本当に自分の特性を認識できて楽になりました。もっと、早く出会えたら良かったのに( ; ; )💦いつか、ロココさんの本読みたいなぁ❤️
わたしの方こそ、そう言っていただけて嬉しいです(^_^)♡わたしはいつかあおい石さんにデザインしていただいて、コラボで本を作りたいです_φ(・_・!ただ...まだまだ知名度が低すぎ問題でして...笑。。頑張ります笑(・∀・)いつも見ていただきコメントもありがとうございました(^ ^)
@@rococochannel さん(^^)こんばんは私の買った本の名前はアスパーガールでした!この本は少し、、、翻訳が微妙で分かりにくいところがあります。 ぜーひ❤️出版までいきませう。^_^もう少し楽に生きられる人が一人でも増えたら良いですよね。。。 ロココさんの視点や解釈って優しいのですよ。凄く。 知名度とかは後からついてこい!って感じです♪ (o^^o) だんだんとコメント欄もメッセージが多くなっているように感じます。❤️
今回も深い内容でした🙂 私も相談は苦手なので、よく分かります😟 集団行動も不得意な方でしたね···😔
😊😊😊😊😊😊😊
最近当事者になりました。今パニックな感じです。41歳ですが、20年以上無駄にしました。asdとわかって良かった。
動画の内容、非常に共感できます。
特性を把握する、育てて活かす、必須です。
そらのふくぞうさん、こんにちは。
自分も同じ年代でコメント読んでいたら共感するところがあったのでコメントさせて下さい。
自分は20歳の頃から不安、強迫、過緊張、易疲労、気分の浮き沈み、睡眠障害等で通院を始め今年40歳になりました。これまでも自分のこの根本的な辛さは何なのかとドクターに訴えてきましたが、兎に角目の前の問題を対処することを理由に薬の処方と3ヶ月に1回のカウンセリング(医師に10分程話を聞いてもらう)を続けてきました。
そして約2年前、自分の性格(特性、気質)が職場の周囲と衝突して辞めることとなり、それから今日まで長期求職者となりました。ただもうこれまで通り何となく頑張ることはできなくなってしまいました。疲れた、限界だ、助けてほしいと思い勇気を持って発達障害の検査をしたいとドクターに伝えました。
2週間前にWAIS検査をしました。今度結果を聞きにいきます。病名が確定したから生き辛さ解消とはいきませんが、自己理解、自己受容をするためにも兎に角今は結果を待ちそれを参考に今後のことも決めていきたいと思っています。自分の勝手な推測ですが、両親との愛着の傷とHSP気質も持っていると考えています。仮に発達障害と判明したら、そのことで親も自分を育て難く感じており互いに意思疎通がうまくいかず愛着に傷が生じて様々な問題を引き起こしてきたんだなと納得できそうな気がします。
以上、長々となりすみません。自分を知る、理解するのに時間がかかってしまいその悔しさや悲しさよく分かります。これからお互い自分らしく生きられる道を探していきましょう。一方的に失礼しました。
本人にわかってもらうために、傷つけない方法を探しています。でも一般人にはとても難しいです。
夫からどうしてわかってくれないのか!!といつも喧嘩になり、ガチガチの定型発達の私は、理解に苦しみ心が折れかかっていました。ロココさんの分かりやすい動画で学んでまず話し方変えたところ、会話も楽しく光が見えてきました!ありがとうございます😊
私自身ASDかどうかは診断されたことがないのでよく分からないのですが、大卒で就職した企業を2年目で辞めてしまいました
それこそグループワーク中心の職場だったので本当に苦痛でした
企業イメージ(の良さ)や好待遇に惹かれて入った会社でしたが、間違った選択だったと今でも思っています
自分自身の内面をしっかり見つめ直した上で自分が働きやすい職場環境を探し見つけ、見つからなければ自分で作る
そのことに気付き実際にできるようになったのは私もつい最近です
「困り事」というレベルではなく、本当にどうしていいか?分からなくなってしまった状態でしたね。
第一に、「集団行動が苦手」「ところが、チームワーク重視の職場(精神科の看護業務)を選択(自分自身の選択、とは言えないのですが)」という点は共通しているのですが、僕の場合は、それまで馴染んでいた環境(自宅中心)から新しい環境に来た事によるストレスが、既にその前提にあったことです。
この前提それ自体がAS-ASDの基本特性「AS-ASDは、急な環境の変化への対応が困難」でした。それまでの行動もパターン化されていて、そのパターンが変わる事への適応の無さもありましたから、この職場の難しさは当然と言えば当然なのですが、当時は全く思い至らなかったですね。
職場側も僕の行動の異常さに気が付き、「適応障害から来るうつ的状態」と診断され、投薬を受けながらも仕事を続ける事となりました。
当時(1990年代の半ば)は、発達障害と言えば、知的障害で、ASDと言えば所謂「カナー型自閉症」しかない時代でしたから、本当の原因が判ったのはここ10年程前の事でした。
確かに仰る通り、困りごとのレベルでは無いかもしれませんね(^_^;)。コメントに書いてくださったこと、本当によく分かります。私も思い返してみれば、その当時、ど田舎から笑、急に大都会での一人暮らしに加え、チームワークの環境に親の離婚笑(^_^;)完全にキャパ越えとはこのことだったんだと思います笑(_ _)。それでも私も当時は、本当のところは何が苦しいのか思い至らなかったです。。
お薬を飲みながらのお仕事は、とても大変だったでしょうね...。
本当の原因に辿り着くまで、長かったですよねφ(..)。。
コメントをありがとうございました(^ ^)
@@rococochannel 本来、ASDという診断がくだされたら、何年も投薬を続ける必要は無かったのではないか?と今も思っています(実際、投薬によって、自分本来のスキルの半分も発揮できなかった・・・その為、200年3月をもって解雇😭)。当時はアスペルガー症候群という診断も無かったですし、強いストレス下にあるASDは、一見、統合失調症のように見える症状もあるので、症状の背後に「統合失調症スペクトラム障害(SSD)-今はそのように称するようです」が潜んでいる可能性がある。という判断での投薬治療らしいです。
職場の精神科のある地域も、自宅周辺に勝るとも劣らない「ど田舎」で、さらに知り合いが居ない。AS・ASDの天敵として「ど田舎コミュニティ」があるのですが、正にその「ど田舎コミュニティ」に嵌まり込んでしまった事も大きい痛手かと思っています😭
いつもありがとうございます❤️
アスペルガールという本を買ってみました。ロココさんのお陰で本当に自分の特性を認識できて楽になりました。
もっと、早く出会えたら良かったのに( ; ; )💦
いつか、ロココさんの本読みたいなぁ❤️
わたしの方こそ、そう言っていただけて嬉しいです(^_^)♡
わたしはいつかあおい石さんにデザインしていただいて、コラボで本を作りたいです_φ(・_・!ただ...まだまだ知名度が低すぎ問題でして...笑。。頑張ります笑(・∀・)
いつも見ていただき
コメントもありがとうございました(^ ^)
@@rococochannel さん(^^)
こんばんは
私の買った本の名前はアスパーガールでした!
この本は少し、、、
翻訳が微妙で分かりにくいところがあります。
ぜーひ❤️出版までいきませう。^_^
もう少し楽に生きられる人が一人でも増えたら良いですよね。。。
ロココさんの視点や解釈って優しいのですよ。凄く。 知名度とかは後からついてこい!って感じです♪ (o^^o)
だんだんとコメント欄もメッセージが多くなっているように感じます。
❤️
今回も深い内容でした🙂 私も相談は苦手なので、よく分かります😟 集団行動も不得意な方でしたね···😔
😊😊😊😊😊😊😊