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声優としてじゃなく、人として自分の影響力を使ってこういう話を広めるのは素晴らしいことだと思います
井上和彦さん、お父様の貴重なお話有難うございます。一人の兵士として、自身も被爆しながらも負傷された方々の救護にあたられたお父様の働きに頭が下がる思いです。さぞ胸が痛む思いでおられたのだろうと思います。「もう、戦争は嫌だ。絶対に核戦争は、しないでもらいたい。」というお父様の願い、井上さんの朗読で多くの人々の心に届いてほしいと思います。
「もう、戦争は嫌だ」という井上さんのお父様の心からの叫びが、井上さんの朗読を通して心に訴えてくるようでした。一昨年広島を訪れましたが、朗読の中にあったような「もっと笑って」と言えるような気持ちにはとてもなれなかったのを覚えております。わたしは今教員として働いていますが、子どもたちにもっと伝えるべきことがあるのだろうと感じました。この動画を見てよかったです。ありがとうございました。
この手記朗読も公開からはや3年なんですね。この動画だけは毎年この日に観ようと決めています。恐らく世界から戦争が無くなることはないんだろうなと思います。でも、もしそうであったとしても、「なぜ戦争は無くならないのか」「戦争を無くすためにはどうすればいいのか」という人類にとっての永遠の課題に対して、一人一人が常に向き合い、考え、問い続ける事が大事なんだと思います。平和や戦争について考えるきっかけとして、この動画や皆さんのコメントが長く後世に残ることを願います。
これは絶対に忘れてはいけません。どんな思いでこの手記を綴ったのでしょう。さぞ辛かったと思います。ですが、決して戦争、原爆をしても落としてもいけません。貴重な語り部をありがとうございます。世界中から戦争がなるなる日を願うばかりです
退一万步来讲,要是不投下原子弹,也许死去的就不止3500万中国人了。汝其母乎(尽管如此,我还是对于原子弹下的冤魂感到遗憾的)
私は親の転勤で子供の頃広島におり、被爆の話を聞いて育ったのですが、東京に来てほとんどの人が原爆について知らない事に驚きました。伝えられない、伝わらない事情があるのかもしれませんが、、貴重なお話、ありがとうございました。
実際にその場で経験した方の貴重なお話を拝聴する機会が少なくなってますが、今日このような機会に巡り会えたことに感謝します。和彦さんのお父様の思いを和彦さんが読まれることにも、なにかしらの意味があるのだと感じました。
お父様の手記に胸が張り裂けそうです・・・私の父は生き残った事が罪であるかのように、戦争の話をしたがりませんでした。南方(ニューブリテン島)から傷病の為に日本に送還された事だけを子供の頃に聞いた事が有ります。大人になってからは私の方が聞いてはいけないような気がして聞けませんでした。心から平和の尊さを祈り願います。 合掌
長崎出身です。私は幼い頃からずっと、原爆はいけない、平和は尊いものだと人々が自然と感じている環境にいました。その為、自分にとって原爆の日はとても身近なものですが、他県ではあまり馴染みのないようです。日本人ですら、原爆を知らず、どのように平和を訴えられましょうか。まずは、皆が戦争を知る努力をするべきだと思います。
私は被爆4世ですが、戦争を体験した曽祖父や曾祖母はあまり戦争の話をしたがらないし、私からも聞きづらいので、戦争の話を聞くことが出来て、とても良い経験となりました。ありがとうございました。
私は40代ですが、3年前 長崎出身の同級生を亡くしました。白血病でした。彼女は子供の頃から肌がぬけるように白く、今思えばこの頃には もう罹っていたのでしょう。私は他県なので、広島 長崎の原爆の話は知っていても、まさか自分の身近に原爆二世や三世で 、未だに後遺症で苦しんでいる人がいるとは思いもせず、どこか戦争は過去のものという意識でした。きっと他にも言えずに苦しんでいる人は沢山いるのでしょう。戦争は終わってはいないと思いました。
貴重なお話、有難う御座いました。我が母方の曾祖父も終戦の玉音放送が流れる2日前、フィリピン沖の補給艦ごと永遠の眠りにつきました。結婚してわずか1年、18歳だったそうです。既に曾祖母のお腹には祖母がおり、産まれる日を楽しみにしていたそうです。戦争は、何が有っても起こしてはいけない、今の平和な日本の為に苦しい時代を生き抜いて来られた方々に敬意を、犠牲となった方々に冥福と黙祷を…
和彦さん。貴重なお話ありがとうございました。今では戦時中の恐ろしい記憶・・・話される方が減ってしまっている中で、決して忘れてはいけない絶やしてはいけない出来事であることは誰でも感じる事実でありますね。国が勝った負けたって言っている中で住んでいる方や戦場にいた望んでいない方も、言葉では言い表せないくらいの辛い気持ちでいたのに。当時の方々の見た景色や臭い感覚を考えるだけで胸が張り裂けるような思いです。今では一人一人が生きる権利を持つ中で当時は国の為に死になさいと、、なんの為に生まれるのか、、ひどく悔しい気持ちになってしまいます。和彦さんのお父様の「もう戦争は嫌だ。」という言葉が重く苦しかったです。残酷な過去を消してはいけませんね。和彦さんにとっても話すこと自体、辛い事なのに伝えて頂きまして、ありがとうございました。
広島県民としてほんとうに心がきゅうっとしました。貴重な記録をありがとうございます。歴史を風化してはいけない。この動画を残していただき感謝です。地名も聞いたことがありますので状況そのものは浮かんできます。戦争の傷跡も心の傷跡も消えません、戦争の恐ろしさを知りました。
和彦さん、大変貴重な記録を公開して下さり本当にありがとうございます。この動画に出会えた事に感謝です。
壮絶な体験を書記として残し、それを声優のお仕事をしている井上さんが声で残す。なんと言ったらよいのか...。尊ささえ感じます。戦争を知らない我々が出来る事は2度と戦争を起こさない事と、全国各地にある戦争で亡くなった方々がいる場所をきちんと残す事だと思います。そして、そこは決して笑顔で記念撮影をする場所ではありません。しっかりと学んで訪れてほしいです。
私は広島生まれの広島育ち故に子供の頃から当たり前の様に原爆の日について学んで、毎年学校で被爆体験の話を聞いて、アニメ映像化した映画を見て忘れないようにと教わって来ました。ただ最近は資料館の展示縮小や授業や講演も減ってしまっています。原爆投下時間のサイレンも無くなってます。信じられない。残酷かもしれないけど、だからこそきちんと伝えて戦争の残酷さを忘れちゃダメだと思う。特に最近はリアルなゲームに慣れて残酷なことを2次元に感じて遊び感覚で酷いことする子が増えてるし。だからこそ井上さん、ありがとうございます。どんなに酷いことでも、だからこそ忘れちゃいけない事はあると思います。
和彦さん、おはようございます貴重なお父さまのお話、聞かせて下さりありがとうございました。私の祖母は原爆が落とされた日中国に姉と共に居たらしいのですが、そこからもハッキリとキノコ雲が見えたと言っていました…核戦争は二度と起きて欲しくないですねあんな物人の上に落とすなんて…生きている私達が伝えていかなきゃいけない事…。。。
お父さんの原爆のお話を聞いて、涙が出ました。この動画をウチの子供らにも、見てもらいます。ウチの祖母は2年前に90歳で亡くなりました。ばーちゃんは広島市内から離れた山の方に住んでいたそうです。その日は家の中で家事をしていたそうで、急に家がガタガタいいだしたと思ったらすごい爆風で、びっくりして慌てて、押し入れに逃げ込んだと、昔に聞いたことがあります。ばーちゃんは戦争の話はあまりしない人でした。戦争の話をすると、昔の辛い思い出を思い出して涙が出てくるからです。もう戦争の話をしてくれる人も少なくなって来て、今の子供らに話をしてくれる人も少なくなってると思います。和彦さんもお忙しいとは思いますが、こういうお話をどこかでしてもらいたいです。今日は貴重なお話、ありがとうございます。
今、被爆者の方は高齢化し、あの惨状は風化しつつあります。絶対に風化させてはいけない。世界に残る未だ数万発の核兵器をなくすために何かできることはないだろうかと考えさせられました。本当に貴重な体験談をお話しいただいてありがとうございます。「もう、戦争は嫌だ」この言葉が心に突き刺さりました。
お父様の貴重な体験談をお話いただき、ありがとうございます。日本人として知っておくべきことであり、伝えていくべきことだと痛感しました。
お父様がそれでも生き抜いてくれたからこそご子息が声と言葉のプロとして(もはやレジェンドだけど!)その思いを知らない誰か、若い世代に伝えられるんですものね。子供の頃からそうとは知らずアンソニーやジョーの声をきいていたことも今ニャンコ先生やヴィリー・タイバーの声をきけるのもお父様が生き抜いて下さったから今年、和彦さんはお父様の年齢を超えてここからきっともっと未来に開いていくということなんだ!
おはようございます😌私は、長崎で被爆三世になります。ありがたい事に、身体にはなんの症状もありません。祖父は、長崎に原爆が落ちたので、家は無いだろうと思って帰ってきたそうです(嫁である母より)コメントしたいのに、言葉を紡げないです。とにかく8月6日 8時15分。9日 11時2分。 15日 正午。何もないときは黙祷を。
こういう事実を語る動画て何故か伸びないんだよな…。太平洋戦争の話題になるとすぐ感情論になって、他国への戦争責任とか非難が色々飛び交うけど、まず先にこういう…この時代に生きた人達の体験、現実にあった「事実」を見て、それから各々自分の心で決めて欲しい。井上さんのお父さんは確かにこの時代を生き、目で見て、自分の足でこの時代を歩いてたんだ。本当の戦争を知ってる人なんだこういう動画こそ伸びて欲しいなぁ
70年代産まれの私は子供の頃から様々な戦争ドキュメンタリー、映画、小説、そしてアニメを観ながら育った世代です。戦後、軍備をアメリカ任せにしすっかり平和ボケをした私達は、普段の生活の中で平和の意味さえも問うことなく慰霊碑の前で英霊や戦死者の魂への弔いも忘れてしまっているのかも知れません。戦後アメリカ管理下の教育制度の中で、すっかり日本人は変りました。まるで日本だけが限定月読の世界でお花畑化してしまったかのようです。ある意味幸せではあるのですが、それは現実ではありません。隣国は虎視眈々と覇権を狙い諜報機関が暗躍するテロ活動など水面下では正に戦時と言っても過言ではない状況です。戦争というと、戦闘機が飛び交いミサイル空爆を行う分かりやすい攻撃を思いますが、核が抑止力となっている現代の戦争はむしろ表に出ないテロ、情報戦が主流で正に現代版シノビであるCIAなどの諜報機関が暗躍しています。大国有利のこの諜報力に対抗する為に起きるテロ、煽動、闇ルートの武器輸出、ヤラセのテロ。マスコミを使った偽情報で大義名分を作って他国内戦へ介入する大国。限定月読から目覚めた途端、なんと恐ろしい世界に自分は居るのかと慄然とします。平和とは、平和を維持する制度と軍事力のパワーバランス、そしてその制度を利用して平和を護りたいという強い意志。権力を持つ者の意志。そして私達一人一人の平和を願う心。NARUTOを観ながら育った世代が、戦争でヒーローになる事よりも一人一人の仲間を思う心、利害や理念が対立する相手とも武力衝突以外で理解しあえるという信念、誰も血を流さない平和な時代をこれからも支えたいと願う心が何よりも大切なのだと学んでくれている事を祈ります。これからもカカシ先生として、子供達に大切なメッセージを伝えていって下さい。
小さい頃から本でいくつもの戦争のお話を読み、映画を観てきました。毎年8月6日、9日、15日と子供達と黙祷をします。しかし、最近はテレビでも戦争のドラマ等が少なく伝えるという事が難しくなってきているような気が致します。井上さんのような方がこうしてお父様の体験をお話くださることで、若い人にも伝わっていくと思い、大変ありがたいと思いました。
ありがとうございます。こうして語り継ぐことが、きっと1番の供養(言葉が違っていたらごめんなさい)になるのではないかと思っています。今まで学校で学んだ事もありますが、和彦さんのお父様や他の方々が遺された文書は、教科書の文章より生々しく息苦しさを覚えます。私は感情移入が激しく、所謂“怖い話”などが苦手で、沖縄で聞いた戦争のお話も貴重だと知りながら耳を塞ぎ目を瞑り、部分的にしか聞けませんでした。今になって後悔しております。米国に留学して、グループワークで友人に「Hiroshimaの大きな爆撃は知っているか」と、訊かれました。彼は「あれはアメリカの恥」と言い、「日本人と仲良くなりたい」と言ってくれました。歴史は変わらないけれど、そう言ってくれたことがなんだかとても嬉しかったです。この動画を沢山の人に世界中の人に見てほしいです。
お父様の貴重な体験を、ありがとうございます。戦争を知ってる、世代の方々が、少なくなっています。小 6の時に修学旅行で広島の原爆資料館 に行ったときの、衝撃を忘れられません。また、忘れては行けないと思います。戦争は絶対しては行けない。その思いを込めて黙祷しました。
和彦さん、おはようございます。お父様のとても貴重な記録をこんな形で紹介してくださって、ありがとうございます。私も学校の修学旅行で太平洋戦争で兵隊として活躍された語り部さんのお話を聞いてきました。その方のお話も今日の和彦さんの動画のように強く印象に残っています。毎年この時期になると、日本のために戦ってこられた先祖の方々に感謝して日々を生きようと思い直しています。今日で戦争が終結してから75年がたち、戦争や原爆のことを語り継ぐことができるような方々が少なくなっていると共に戦争の記憶も薄れてきていると聞いたので、和彦さんはこのお父様の大切な記憶をしっかりと保存し、私達も語り部さんや人生の中で聞いたお話をしっかりと伝えていくべきなのではないかなと思いました。長文失礼しました(o_ _)o
和彦さん、おはようございます。大切な動画をありがとうございます。わたしの祖母は終戦時5歳で、戦後の記憶はあれど戦時中の記憶があるわけもなくまた広島や長崎の原子力爆弾についても資料を見聞きするだけで今回ほど実感をもてたことはありませんでした。原子力爆弾を実際に体感された方の、"もう核戦争はいやだ"という言葉の重みはとてつもなくこの日本の体験を忘れてはならない、ただの過去にしてはならないと強く感じました。そして、生還したからこそ、この体験を語り継がねばならないという和彦さんのお父様のお気持ちや、それをきちんと継承していくべきだという和彦さん自身のお気持ちに深く感謝します。本当にありがとうございます。
和彦さん初めてまして。貴重で和彦さんにとっても辛いであろう体験談ありがとうございます。和彦さんのお父様の体験談をもっと沢山の方に知ってもらえたらと思ってしまいました。当時を知っている方々は90歳を越えてられるので和彦さんのお仕事柄公演して頂けたら幸いだと思ってしまいました。私達の子供の頃と違い今の子供達は刺激が強すぎる等守られる事が多いですが原爆の恐ろしさを知ってもらいたいですね。原爆資料館も40年前と25前に行きましたが年前の資料が当たり障りのない物に。10歳と25歳での衝撃の差もあったんでしょうが。資料館には当時の本当の姿を展示して欲しいと思います。長々とすみません。和彦さんのお父様の手記、沢山の方に知ってもらいたい思いです。
井上和彦さん、貴重なお父様のお話を共有して頂き、ありがとうございます。私は今中学3年生です。修学旅行で広島の原爆ドームを訪れた際は小学校6年生でした。原爆の話も聞き、当時はその事についてあまり知りませんでしたが、とても考えさせられました。今、このお話を聞き、改めて感じたことや、思う事が多くありました。動画内のお話でもありましたが、慰霊碑や原爆ドームの前で笑って集合写真を撮っていた事についてです。修学旅行で訪れた際にもこのような光景が見られました。私達の世代は、確かに戦争を経験せず平和に暮らせてきました。しかし、前の世代の人達は毎日を必死に生きて、戦争を終わらせて、平和な暮らしを作ろうとしてきました。その時に出てしまった犠牲者の方や、その親族の方の事を思うと心が痛くなります。戦争は悲しみと犠牲以外をなにも生みません...今の日本は平和ですが、世界では紛争などが起こっています。戦争や争いが、1日でも早く無くなって欲しいと思います...。ここまで長々と長文すみません💦
貴重なお話ありがとうございます。日本の歴史として、未来に伝えていくべきですね。
貴重な体験談を残して下さったお父様に心より感謝申し上げます。現実を知らない私達は恐いことを理解する努力、大きな犠牲の上に築かれた平和を壊さないための努力を怠ってはいけないと改めて感じました。原爆に関心のない方でも和彦さんからの発信だからこそ真剣に耳と心を傾けることができた、という方もいらっしゃると思います。伝えて下さった和彦さん、本当にありがとうございました。世界から戦争がなくなり喜びと感謝で溢れる日々がくることを願っています
貴重なお話をして頂きありがとうございます。きっと今の若い方は戦争なんて私達に関係ない、知らないって言いそう。関係ないのではなく、ずっとこの戦争の話を継承していかなければいけないと思います。改めてこの戦争、原爆で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りしたいと思います。
この映像が全世界に公開され残っていくこと、とても意味のある素晴らしい動画でした。何度も胸を打たれる実体験の苦しみが綴られた手記。それを残してくれた和彦さんのお父様、それを言葉で伝えてくれた和彦さんありがとうございます。そしてすべての被爆者、戦争犠牲者へ感謝と敬意を。
聴いているうちに涙が止まらなくなりました。戦後40数年経って書かれたものとは思えないほど描写が細かく鮮明で、それほど壮絶で凄惨な体験だったのだと感じます。「もう、戦争は嫌だ」という一言が胸に刺さりました。実際に体験された方の言葉を伝えていくのは本当に必要で意味のあることだと思います。貴重な手記を残してくださったお父様とそれを聞かせてくださった和彦さんに感謝します。ありがとうございました。
これは声優がなせる技だと思った…「戦争絶対ダメ‼️」そう思わせる語りだと感じた…
それ
和彦さん、お父様の貴重な体験記を朗読して下さって有難うございます。お父様の体験を語る、と言う事は、和彦さんの人生の一部を語る事でもあり、きっと色々な思いが巡ったのでは無いかと思います。語る決断をして下さって、本当に有難うございます。戦争は終わっても、経験された方の心中ではずっと続いていたのでしょうね。そう思うと、とても胸が痛みます。私は戦争を経験していません。でも、知る事、忘れずに風化させない事、繰り返さない事はできます。和彦さんが語って下さった、お父様の大切な言葉を、私も、家族や友達、大切な人に見て、聞いてもらって、未来に繋げて行きたいと思います。本当に有難うございました。
僕は広島の平和記念館に行ったのが小4の時で、展示されていた当時の物を実際に見てすごく怖い印象を受けました。今自分が暮らしている時代が平和なのは良かったと思います。戦争なんて二度として欲しく無いです。今後生きていく自分達が戦争のない未来を作っていきたいですね。
お父様の生の声を伝えて下さり、ありがとうございました。決して忘れてはならない、大切な記録です。広島、長崎、沖縄、そして日本中の空襲を受けた沢山の都市。私は、沖縄の戦跡と長崎の原爆資料館には行った事があります。広島だけまだ行った事がありません。いつか必ず行きたいと思っています。日本人として大事な事だと思っていますので。私の義母は東京大空襲を生き延びた一人で、大切な話を聞かせて頂きました。戦争は決してしてはいけない、忘れてはならない事です。今、和彦さんの語りがもっと多くの人に届くのを祈っています。戦争で散った沢山の命のためにも…
お父様の体験、ありがとうございましたそして、お父様が大変な時代を生き抜いてくださったからこそ、今和彦さんに楽しい時間を共有して頂けていることに、感謝しております被爆者の方々の想いを無駄にしないよう、そして、これからの子供たちのためにも、平和な世の中を作っていきたいと改めて思います微力ながら、どうすればそれが叶うか、考えていきたいと思います
明日はあれから79年になるのですね。手記は私は昭和62年5月27日に陸上自衛隊に入隊して約9日にお父さんが綴っていたのですね。よく、残してくれました。元陸上自衛官の一人として。
一人でも多くの人に、このお話が届きますように。お父様の体験記、和彦さんの声で映画のような臨場感で伝わってきました。けれど、フィクションではなく、実際に75年前に起きた事実です。私も二人の幼い子どもがいます。まだ6歳と1歳。けれど、その事実は成長したら絶対に伝えないといけない話だと思ってます。貴重なお話をありがとうございます。
お父様の貴重な体験をおきかせいただきありがとうございました昭和20年8月6日からどのような思いで生き抜かれてきたことでしょうそして息子さんである和彦さんの声を通じて私たちに届けてくださる感謝致しますどのような思いで体験を残されたかを私たちはしっかりと受け止めなくてはなりません
私は小さい頃から、母に食べもんを好き嫌いせんように有り難く食べるように教わり私(父)達の頃は食べるもんも無かったんじゃけ と育てていただき好き嫌いは無く今に至っとります。えろう感謝しております
貴重なお話ありがとうございます。私は30代、戦争を体験していない世代ですが…聞いていて涙が止まらなくなりました。戦争時の洗脳された思考の異常さ、原子爆弾の恐ろしさ、生き残っても苦しめられる放射能の凶悪さ…すべてが恐ろしく、また本来なら最後の若者のように笑顔で写真を撮っていただろう年頃にこのような体験をされたお父様を思うと、胸が苦しいです。改めて戦争は駄目だ、そう思います。今年90歳になる祖母の言葉を思い出します。みんな言わないだけで戦争なんてやりたくなかった、でも止まらなかった。今は声が届く時代。しっかり声を大きくしていきたいと思います。
お父様の貴重な手記を読んでいただきありがとうございました。胸をギュッと締め付けられるような思いで聴きました。壮絶な被爆体験を語る事はずっと出来なかったのでしょうね。相当年数を経てようやく書き記す事ができたそのお父様の想いは、計り知れない重みがあります。沢山の方々の犠牲の上で今の平和がある事に改めて想いを馳せ、二度と悲しい出来事を起こさない努力をし続けなければなりませんね。これからも平和でありますように祈念いたします。
とても貴重なお話をしてくださり、ありがとうございました。私は日々幼い子どもたちに関わる仕事をする中で、戦争について話をするとき「おこりじぞう」「かわいそうなぞう」「へいわってどんなこと?」などの絵本を使っています。今日も絵本の読み聞かせをして話をしてきました。ただ、戦争を知らない私が伝えても、どれだけ子どもたちに伝わっているか、これでよいのか…正直不安もあります。今回の井上さんのお話を聞いて、手記や体験談、映像、絵本…どんな形であっても、伝え継ぐ、伝え続けることの大切さを改めて感じました。子どもたちには、何か感じるきっかけになっていると信じて伝え続けていきたいと思います。お話を聞かせてくださって本当にありがとうございました。
こんばんは、井上さん。涙が止まりません。どうして原子爆弾など落としたのか、私には一生解りません。解りたくもありません。戦争だけはやめて欲しい。今すぐにでも!お父様の貴重な資料、心に止めて平和の道を歩みます。お父様の永遠の安息を祈らせて頂きます。
貴重なお話ありがとうございます。その話を聞き、小学生の修学旅行先の広島のバスの中で一緒になった高齢の女性より生の被爆体験を聞かされたことを生々しく思い出しました。今後、何があろうとも、WW2の再来を起こしてはいけないと感じながら、現在の世界情勢を考えると、広島、長崎に原爆を投下した米国の核の傘によって守られている実態を考えてしまう自分がおり、自己矛盾に陥っております。改めて、お父様の貴重なお話をお聞かせいただき謝辞を
お話を残してくださったお父様、発信してくれた和彦さん、ありがとうございます。話を聞くだけでも怖いし辛いのに実際に体験した方たちはどんなに怖い思い、辛い思いをしたんだろう命を落とした方、大切な人を失った方、今でも辛い体験を抱えながら生活している方、、今のわたしたちの平和な暮らしはそんな悲しみの上に成り立っているということを忘れないようにしたいです。一瞬で色んなものを奪っていってしまった、そんなことが世界中のどこでも二度と起こらない世界が訪れますように。
和彦さん、おはようございます。何も言葉が出てこないです…私は広島生まれ広島育ちです。いろんな方のお陰で今私たちは生かされている、と言う事に感謝します。和彦さんも、お話して下さってありがとうございます。
以前、戦争経験者の方のお話を聞きに行ったことがあるのですが同じように戦争はしてはいけないと仰っていたのが印象的でした。今回、お父様の体験をお聞きしてとても具体的で実際に目の前にした方にしか表現できないような鮮烈な内容に思わず目が潤みました。私は現在20代でもちろん戦争を経験したことはありませんが、せめて和彦さんのお父様のような方たち、被爆者の方たちがいることを忘れないように生きていたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。
おはようございます。私は今日は朝から学校にて補習があったのですが、8時15分に友人に声をかけて、一緒に黙祷しました。小学校の時に広島に行ってからは毎年この8月6日に黙祷を捧げています。もちろん、8月9日、8月15日も同様です。戦争は残酷に失うものしかありません。平和の大切さを決して忘れてはならないと感じます。井上さん、貴重なお話をありがとうございました。
自分は修学旅行で長崎に行きました。広島も平和学習で行きました。自分ははだしのゲンを読んでいたので原爆のことをわかっていたつもりでしたが、いざその場に立つと、自分は何も分かっちゃいないなと思い、戦争で亡くなった人達に申し訳ないという気持ちが溢れて来ました。日本は唯一の被爆国であることを忘れてはならない、と戦争で亡くなった人達が言っているようでした。日本の負の遺産、忘れてはならないと自分の心の中に誓いました。ここまで読んでいただきありがとうございます。長文失礼致しました
初めまして。貴重なお父さんの体験談、聴かせていただきありがとうございます。お父さんから息子さん、その子供へ。大切なそして、貴重な資料を未来へ繋いでください。
お父様の貴重な体験談ありがとうございます。平和を祈ります。
広島県民です、このような形で発信して下さりとても有難いです!!今日も黙祷をさせて頂いたのですが、本当に凄惨ですよね、、二度と繰り返したくないです
おはようございます。今日も暑いですね。貴重なお話ありがとうございます。小学生の娘と一緒に聞きました。彼女からも戦争は怖い、無い方がいいという感想が出ました。お父様も大変ご苦労されましたね。井上さんご自身、どうかご自愛くださいませ。そして、平和で良い一日をお過ごしくださいませ🕊
悲しく辛いです。本当に戦争はいらない。
井上和彦さん、このような貴重なお話ありがとうございます。私はこの話を聞いてとても胸が張り裂けそうになりました。日本人として知らなければならない事であり、後世にも伝えなければならない事だと思いました。和彦さん本当にお父様の貴重な体験談をお話していただきありがとうございます。
ありがとうございます。縁あって小1の頃から広島県に住んでいます。仕事柄被爆者の方のお世話をすることもあります。2次被曝で被爆された方々。心の傷は計り知れなかったとおもいます。被爆当時の話を残したいと言われ聞き取りに来てもらい安心されていたことを思い出しました。井上さんのお父様も目の前の状況は心身ともに大変なことだったと感じました。手記の朗読ありがとうございます。被爆75年経ち75年は草木も生えぬと言われた広島は水と緑の多い都市となっています。
目を閉じて、今までに映画やドラマで見たことのある映像を思い浮かべながら、お話を聞きました。戦争の恐ろしさが迫ってくるようでした。今朝は、8時15分に黙とうしました。世界の平和を祈りました。
心に沁みました。ありがとうございます。多くの方に届きますように。
和彦さん、貴重なお父様の手記をありがとうございました。とても生々しく、悲惨な情景、もう二度と繰り返してほしくありません。子どもたちと、戦争について話したいと思います。
広島出身の友人から原爆の話はよく聞きました。そして、その子の祖母も母親も友人も体に同じものを抱えており、だけどそれが原爆のせいか遺伝なのかは分からないと。被曝された方々が少なくなる中、それでも伝えていこうとされていらっしゃる方々の記憶はきっと次の世代に伝わっていると思います。ありがとうございます。
おはようございます👋😊井上さん,言葉が見つかりませんね!お父様の貴重な体験記を有り難うございます🙏何度も拝聴させて戴きました涙を流しながら私の年代は差ほど和彦さんと代わりない歳ですからね。昔若い頃に広島・長崎へ行き何度も体験記を聴かせて戴き海外へ行く際に話させて頂いた事がありました海外の方々も涙を流されて聞き入る!という本当に戦争で得るものはありません。当時と被爆者の方々の御冥福を御祈り申し上げます🙇井上さんお父様の貴重な御話しを聴かせて戴き有り難うございます🙏感謝申し上げます😊🌸
時間を忘れた20分でした。聞き終えてからも、しばらく動けませんでした。戦争をありありと伝えられた人がどれだけいるでしょうか。その中に原爆のことを聞いた人はどれだけいるでしょうか。こんなにも思いの強さが違うのだと、恥ずかしく、申し訳なくなりました。和彦さんが読んだから、より鮮明に伝わる部分が多くあったと思います。和彦さんの話し方と、お父様の文章が、似ていると思いました。そんな風に感じる度に、どんな思いで読まれているのか、和彦さんにとってどんなお父様だったのか、と胸が痛みました。動画にしてくださってありがとうございます。きっと私は今ほどの気持ちをずっと持っていられないので、また聞きたいです。
貴重なお話有難う御座います私は小・中・高と戦争の話や映像を見聞きしていました。中学生の時は修学旅行で長崎県に行き平和公園にもいきました。戦争を経験した方の話も聞き言葉に出来なかったです。高校の時は修学旅行で沖縄に行き防空壕にも行き、資料館にも行きました。戦争があった事を忘れていましたが、忘れてはいけない事だと思っています。和彦さん本当に有難う御座いました。
和彦さん、何度も何度も聴きました。私も戦争を知らない世代ですが、子供を持ってよりいっそう戦争を恐ろしいと思うようになりました。いつまでも戦後の日々が続きますように…と願わずにはいられません。平和な日常が当たり前になり、戦争なんて無かったかのように感じてる人もいるかも知れませんが、決して忘れてはいけない事実なんだと思います。和彦さんのお陰で、改めて平和を大切に思いました。ありがとうございます。
貴重なお話ありがとうございます😭😭😭😭😭😭😭✨聞いてて凄い涙が出ました...平和な世界が続いて欲しいですね😭
和彦さん、こんにちは。お父様の大切な記録拝聴させて頂きました。私は介護福祉士として働いています。戦争や原子爆弾、元特攻隊の方のお話を聞く機会が多いですが年々戦争の悲惨さを知る方が少なくなっています。だからこそもう一度平和に暮らせるありがたさを考えないといけないと思っています。本当に体験された方のお話は綺麗事じゃないと改めて痛感致しました。私の祖父は満州から引き上げる時に広島を通ったそうですがあまりの惨状に話したくないと言っていたのを思い出しました。平和に感謝しながら毎日を大切に生きていきたいと思います。犠牲になられた方のご冥福をお祈りしています。
修学旅行で行かせていただきました。それ以来なかなか行けてないのですが、改めて考えるきかいが出来ました。
貴重なお話、ありがとうございました。和彦さんも、広島に行かれたのですね。お父様の見た広島、復興した広島を和彦さんの瞳を通して、天国のお父様も見ていらっしゃるような気がします。観光化する事が、全て悪いことではないと思いますが、大昔のことではない、また近未来に起こらないとも限らない。その時どんなだったか、その後どんなだったか、そして今、そしてこれから、二度と起こしてはいけない。広島を観光された方々が、しっかりと心にとめて今が、平和であることを感謝して、日々を過ごしていって欲しいですね。今は亡き私の父も、母も、神戸で大空襲にあいました。おじさんは、シベリアで抑留されていました。苦しい戦中戦後を生き抜いていたこと…。もっともっと、聞いていれはよかったなと今更ながら思いました。戦争で、亡くなられた方々に合掌。
お父様の貴重なお話ありがとうございます。40代の私ですら教科書でしか教わらなかった原子爆弾の恐ろしさ。体験した日本だけではなく海外もこの恐ろしさと悲しさをもっと知るべきだと思います。お父様の「嫌だ」の言葉が耳について離れません。
貴重なお話聞かせていただきありがとうございます。
貴重なお話ありがとうございました。私も93になる祖父から話を聞きたいと思ってますが、コロナの影響でお盆に帰郷することもできず、なんともいえない気分に苛まれております。そうでなくとも、祖父に会いにいきたいと思ってるのに。はやくおさまってくれることと、戦争を繰り返さないことを祈っております。
おはようございます。お父様の体験の お話ありがとうございます。
学生の頃授業で習っていたけど、大人になってから聞くとちゃんと理解出来てしまってとても恐ろしくなった。遠出ができるようになったら、広島に行ってみたいと思います。
私は長崎市内在住で祖母と同居していました。祖母は明治生まれの人で戦争の事を多くを語ろうとはしませんでした。私が高校の時の8月9日夏の日 空を見上げて「もう忘れたい」と呟いて祖母の頬に涙が零れていました。その姿を私は忘れないようにしたいと思います。
貴重な体験のお話ありがとうございます。戦争は無くなることを祈ります。
こんな貴重な経験をプロの声優さんが読み上げてくれて、とても聴きやすいです。一生この動画残して欲しい。
和彦さん、大変貴重なお話、ありがとうございました。あまりにも苦しくて言葉になりません。今のこの日常を必死に生きていこう、そう強く思いました。和彦さん、和彦さんのお父様、ありがとうございました。
とても貴重なお話ありがとうございます。聞いてて涙が止まりません。なかなか戦争のお話を聞ける機会は少ないので聞けてよかったです。過酷な時代を知らないからこそ知っておきたいです。戦争は二度として欲しくないです。戦争は何も生み出さないし、犠牲が大きい。子供たちにも戦争について知ってもらいたいので、学校でも話を聞ける機会を与えて欲しいと思いました。
初めまして。お父様の貴重な御話を聞かせてくださり、ありがとうございました。私の祖父兄弟全員徴兵されておりましたが、生前に戦時中の話を祖父叔父から聞く事は終ぞありませんでした。あまりにも過酷な体験に、殆どの方々が精神的障害を負っている為だろうと聞いた事があります。にも拘わらず、手記を残して下さったお父様の決意の程を考えると、胸が痛みます。放射能で体内外から被ばくされ、どんなに苦しかったろう、変わり果てた街や人々を目の当たりにし、接し、何度涙を滲ませられた事だろうと、悲しくなります。それを書き出す苦しさ、辛さも如何程であっただろうと。そしてそれを朗読して下さった井上さんも、お父様の体験故に一層お辛かったと思います。一人でも多くの方々がこちらの動画を観てくださいますように。一人でも多くの方々が戦争の悲惨さを知って、核と戦争への抑止力のひとつとなりますよう、願わずにはいられません。改めまして、貴重な手記を拝聴する機会を与えてくださった井上さんに、心よりお礼申し上げます。
貴重なお話を本当にありがとうございます。最後のつぶやきのような、叫びのような、つよいつよい願いが、戦争を知らない時代の私にも、ぐっと深く刺さるようでした。不安定な今の時代だからこそ、途切れさせてはいけない思いがあるのだと強く思いました。
本当に貴重なお話しをありがとうございます。まさにあの時代に大変な思いをされた方々と関わる仕事をしています。今の時期は戦争、という言葉がテレビから聞こえてきて、その頃の話をしてくれる方、涙ぐむ方、沢山おられます。教科書でしか知らないそれを聞いている私はただ、「生きててくれてありがとう、生きて私と出会ってくれてありがとう」と手を握り返してあげる事しかできません。
広島在住の者です。和彦さんのお父様のとても貴重なお話を聴くことで、今日も平和について考える時間をいただきました。市民目線での被爆者の方々の話を聴くことはあっても、軍人さんの被爆体験はあまり聴いたことがなかったので、手記を読まれてる和彦さんの声で、その壮絶な惨状が頭の中に浮かび、ずっと涙が止まりません。私も母が一歳の時、広島の隣、海田市に住んでおり、祖父が翌日に広島入りしていたこともあったので、もしかしたら母も被爆してた可能性があるため、毎年8月6日は他人事ではないです。今、被爆された方の声を実際に聴ける機会も減ってきています。今回、和彦さんのお父様の手記の朗読。本当に貴重な語り部の1つだと思います。もし可能であるならば、資料館等で沢山の方に聴いてもらえる事ができたら、多くの人に平和について考える1つのきっかけになるのではないでしょうか?この動画も含め沢山の方に聴いていただきたいなぁと思いました。ありがとうございました。
こんばんは。とても良かったです。私の両親は戦争私の両親は戦争経験者です。父は学徒動員母は疎開児童でした。和彦さんのお父様の締めくくりの言葉に涙が止まりません。
私の親も、戦争を体験しています。父のお兄さん達は、戦死や、ひどい怪我をして帰って来たそうです。母から、時折、当時の事を聞くことがあったのですが、父は、当時の事を一切、語ることはありませんでした。お兄さんさんの遺品が残されていて、今では、ドラマでは観ることがありますが、本物を見たら、涙と、ありがとうございましたという言葉、感情があふれ、号泣しました。
このようなお話をしてくださって、お父様の体験記をこうして動画にしてくださって、本当にありがとうございます。目を閉じて和彦さんの声だけに集中しました。お父様の体験記、目の前にその光景が浮かびました。和彦さんのTH-camを通してこれから先のことを考えることができました。私の家には戦争に関しての写真などがあります。怖くて今まではちゃんと目を向けることができなかったのですが今日は見ようと思います。向き合おうと思います。和彦さん、そしてお父様。ありがとうございました。
こんなに鮮明なお話を聞くことは初めてでした。私も私の親も戦争を体験した世代ではなく、あまり現実感のないものだと感じることが多かったのですが、お父様のお話を聞けて、もっと知っていくべきだと感じました。ありがとうございました。
井上和彦様 貴重な手記を聞かせていただいてありがとうございます。聞いていて涙が流れるほど苦しいお話しでした。こういう話を後世まで語り継がなくてはいけないですね。子供たちにも見せたいと思いました。本当にありがとうございます。
この手記朗読動画は毎年この日に視聴すると決めているので、ちょうど一年ぶりに拝見しました。お父様が亡くなられた年齢で迎えられる今年の今日この日は、より一層特別な思いを持って過ごされたのではと思います。小学生の頃、慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」にはなぜ主語がないのか、という授業を受けたことがあります。"過ちを繰り返さない"と誓っているのは原爆を落とした米国なのか、敗戦した日本なのか。慰霊碑を建立した人々なのか、残された遺族なのか、当時の戦争に関わった人々なのか。ニュースで流れる世界情勢を見ても、普段はどこか他人事のように思ってしまっている自分ですが、この手記朗読をこの日に読むにつけ、自分もその主語のうちの一人なのだと改めて考えさせられます。今年も平和について考えるきっかけをありがとうございました。
初めまして。貴重なお話ありがとうございます。私は、修学旅行で1度広島に行きました。修学旅行に行く前、そして行ったあとずっと、戦争の学習をしていました。学習したことよりも、実際に行くと。本当に、二度と戦争を起こしてはならないと思いました。経験をしていない私たちでもこうして、伝えていくことはできます。今の若い人達(私もそうです)は、被爆についてよく知らないと思いますがこれからの世界を変えていくのは今生きている、若い人達です。私は、二度と戦争を起こさないように伝えていきたいです。貴重なお話本当にありがとうございました
TH-camやっていらしたんですねとあるアプリにてこの動画を知って飛んできました井上さんのお声ならば落ち着いて当時の現状を知れると思いましたが、やはり恐ろしい…声や字幕で想像しただけでもゾッとするのに、立ち会った方はもっともっと、ですよね…以降、自分の話です。数年前高校の修学旅行でドームや資料館に訪れ、当時のお話を直接聞く事が出来ました。その時の様子の写真や絵をスクリーンで見、石などに触れ、震えながら聞いたのを覚えています。申し訳ない事に何度もスクリーンから目を逸してしまいました。千羽鶴をお供えした後集合写真を撮ると言われ、「笑って笑って〜」とカメラマンや教師が言っているのが凄く不思議で、行った記録になるのは分かるけど笑う必要ってあったのかな、と不思議で仕方がありませんでした。当然笑顔で写ってはいません。ただの観光地と化してはいけない場所だと思います。
和彦様、尊い配信感謝しております。正直苦しいです。もう悲しく辛い戦争の話しは避けるようになってしまいました。だだ涙を流すばかりで何日かすると元の日常に戻るだけの繰り返しで歳をとっただけです。 しかし今まで被爆された方々の声に耳を傾けていなかったと気づきました。国の礎になる覚悟と志を持った尊い方の食べ物が落ちていた煮干し?しかも体内からの恐ろしい被爆。沢山の夢や希望を持った方々の最期の望みが一口のお水。それすらも望む間もなかった方々。とにかく目を背けるのだけはやめます。今はそれだけしか思いつきません。そしてお父様と和彦様のお心が沢山の方々に届きますように望みます。
お父様の体験をこういう形で聞かせていただき本当にありがとうございました。この先も永遠に語り継がなければいけないと思いました。
井上さん。ありがとうございます。絶対に忘れてはいけないことです。
声優としてじゃなく、人として自分の影響力を使ってこういう話を広めるのは素晴らしいことだと思います
井上和彦さん、お父様の貴重なお話有難うございます。
一人の兵士として、自身も被爆しながらも負傷された方々の救護にあたられたお父様の働きに頭が下がる思いです。さぞ胸が痛む思いでおられたのだろうと思います。
「もう、戦争は嫌だ。絶対に核戦争は、しないでもらいたい。」というお父様の願い、井上さんの朗読で多くの人々の心に届いてほしいと思います。
「もう、戦争は嫌だ」という井上さんのお父様の心からの叫びが、井上さんの朗読を通して心に訴えてくるようでした。
一昨年広島を訪れましたが、朗読の中にあったような「もっと笑って」と言えるような気持ちにはとてもなれなかったのを覚えております。
わたしは今教員として働いていますが、子どもたちにもっと伝えるべきことがあるのだろうと感じました。
この動画を見てよかったです。ありがとうございました。
この手記朗読も公開からはや3年なんですね。
この動画だけは毎年この日に観ようと決めています。
恐らく世界から戦争が無くなることはないんだろうなと思います。
でも、もしそうであったとしても、「なぜ戦争は無くならないのか」「戦争を無くすためにはどうすればいいのか」という人類にとっての永遠の課題に対して、一人一人が常に向き合い、考え、問い続ける事が大事なんだと思います。
平和や戦争について考えるきっかけとして、この動画や皆さんのコメントが長く後世に残ることを願います。
これは絶対に忘れてはいけません。どんな思いでこの手記を綴ったのでしょう。さぞ辛かったと思います。ですが、決して戦争、原爆をしても落としてもいけません。貴重な語り部をありがとうございます。世界中から戦争がなるなる日を願うばかりです
退一万步来讲,要是不投下原子弹,也许死去的就不止3500万中国人了。汝其母乎(尽管如此,我还是对于原子弹下的冤魂感到遗憾的)
私は親の転勤で子供の頃広島におり、被爆の話を聞いて育ったのですが、東京に来てほとんどの人が原爆について知らない事に驚きました。伝えられない、伝わらない事情があるのかもしれませんが、、貴重なお話、ありがとうございました。
実際にその場で経験した方の貴重なお話を拝聴する機会が少なくなってますが、今日このような機会に巡り会えたことに感謝します。
和彦さんのお父様の思いを和彦さんが読まれることにも、なにかしらの意味があるのだと感じました。
お父様の手記に胸が張り裂けそうです・・・
私の父は生き残った事が罪であるかのように、戦争の話をしたがりませんでした。
南方(ニューブリテン島)から傷病の為に日本に送還された事だけを子供の頃に聞いた事が有ります。
大人になってからは私の方が聞いてはいけないような気がして聞けませんでした。
心から平和の尊さを祈り願います。 合掌
長崎出身です。私は幼い頃からずっと、原爆はいけない、平和は尊いものだと人々が自然と感じている環境にいました。その為、自分にとって原爆の日はとても身近なものですが、他県ではあまり馴染みのないようです。日本人ですら、原爆を知らず、どのように平和を訴えられましょうか。まずは、皆が戦争を知る努力をするべきだと思います。
私は被爆4世ですが、戦争を体験した曽祖父や曾祖母はあまり戦争の話をしたがらないし、私からも聞きづらいので、戦争の話を聞くことが出来て、とても良い経験となりました。ありがとうございました。
私は40代ですが、3年前 長崎出身の同級生を亡くしました。白血病でした。彼女は子供の頃から肌がぬけるように白く、今思えばこの頃には もう罹っていたのでしょう。
私は他県なので、広島 長崎の原爆の話は知っていても、まさか自分の身近に原爆二世や三世で 、未だに後遺症で苦しんでいる人がいるとは思いもせず、どこか戦争は過去のものという意識でした。
きっと他にも言えずに苦しんでいる人は沢山いるのでしょう。
戦争は終わってはいないと思いました。
貴重なお話、有難う御座いました。我が母方の曾祖父も終戦の玉音放送が流れる2日前、フィリピン沖の補給艦ごと永遠の眠りにつきました。結婚してわずか1年、18歳だったそうです。既に曾祖母のお腹には祖母がおり、産まれる日を楽しみにしていたそうです。戦争は、何が有っても起こしてはいけない、今の平和な日本の為に苦しい時代を生き抜いて来られた方々に敬意を、犠牲となった方々に冥福と黙祷を…
和彦さん。貴重なお話ありがとうございました。
今では戦時中の恐ろしい記憶・・・話される方が減ってしまっている中で、決して忘れてはいけない絶やしてはいけない出来事であることは誰でも感じる事実でありますね。
国が勝った負けたって言っている中で住んでいる方や戦場にいた望んでいない方も、言葉では言い表せないくらいの辛い気持ちでいたのに。
当時の方々の見た景色や臭い感覚を考えるだけで胸が張り裂けるような思いです。
今では一人一人が生きる権利を持つ中で
当時は国の為に死になさいと、、
なんの為に生まれるのか、、
ひどく悔しい気持ちになってしまいます。
和彦さんのお父様の「もう戦争は嫌だ。」という言葉が重く苦しかったです。
残酷な過去を消してはいけませんね。
和彦さんにとっても話すこと自体、辛い事なのに伝えて頂きまして、ありがとうございました。
広島県民としてほんとうに心がきゅうっとしました。貴重な記録をありがとうございます。歴史を風化してはいけない。この動画を残していただき感謝です。地名も聞いたことがありますので状況そのものは浮かんできます。戦争の傷跡も心の傷跡も消えません、戦争の恐ろしさを知りました。
和彦さん、大変貴重な記録を公開して下さり本当にありがとうございます。
この動画に出会えた事に感謝です。
壮絶な体験を書記として残し、それを声優のお仕事をしている井上さんが声で残す。なんと言ったらよいのか...。尊ささえ感じます。戦争を知らない我々が出来る事は2度と戦争を起こさない事と、全国各地にある戦争で亡くなった方々がいる場所をきちんと残す事だと思います。そして、そこは決して笑顔で記念撮影をする場所ではありません。しっかりと学んで訪れてほしいです。
私は広島生まれの広島育ち故に子供の頃から当たり前の様に原爆の日について学んで、
毎年学校で被爆体験の話を聞いて、アニメ映像化した映画を見て忘れないようにと教わって来ました。
ただ最近は資料館の展示縮小や授業や講演も減ってしまっています。
原爆投下時間のサイレンも無くなってます。
信じられない。
残酷かもしれないけど、だからこそきちんと伝えて戦争の残酷さを忘れちゃダメだと思う。
特に最近はリアルなゲームに慣れて残酷なことを2次元に感じて遊び感覚で酷いことする子が増えてるし。
だからこそ井上さん、ありがとうございます。
どんなに酷いことでも、だからこそ忘れちゃいけない事はあると思います。
和彦さん、おはようございます
貴重なお父さまのお話、聞かせて下さりありがとうございました。
私の祖母は原爆が落とされた日中国に姉と共に居たらしいのですが、そこからもハッキリとキノコ雲が見えたと言っていました…
核戦争は二度と起きて欲しくないですね
あんな物人の上に落とすなんて…
生きている私達が伝えていかなきゃいけない事…。。。
お父さんの原爆のお話を聞いて、涙が出ました。この動画をウチの子供らにも、見てもらいます。
ウチの祖母は2年前に90歳で亡くなりました。ばーちゃんは広島市内から離れた山の方に住んでいたそうです。その日は家の中で家事をしていたそうで、急に家がガタガタいいだしたと思ったらすごい爆風で、びっくりして慌てて、押し入れに逃げ込んだと、昔に聞いたことがあります。ばーちゃんは戦争の話はあまりしない人でした。戦争の話をすると、昔の辛い思い出を思い出して涙が出てくるからです。もう戦争の話をしてくれる人も少なくなって来て、今の子供らに話をしてくれる人も少なくなってると思います。和彦さんもお忙しいとは思いますが、こういうお話をどこかでしてもらいたいです。今日は貴重なお話、ありがとうございます。
今、被爆者の方は高齢化し、あの惨状は風化しつつあります。絶対に風化させてはいけない。世界に残る未だ数万発の核兵器をなくすために何かできることはないだろうかと考えさせられました。本当に貴重な体験談をお話しいただいてありがとうございます。「もう、戦争は嫌だ」この言葉が心に突き刺さりました。
お父様の貴重な体験談をお話いただき、ありがとうございます。日本人として知っておくべきことであり、伝えていくべきことだと痛感しました。
お父様がそれでも生き抜いてくれたからこそ
ご子息が声と言葉のプロとして(もはやレジェンドだけど!)
その思いを知らない誰か、若い世代に伝えられるんですものね。
子供の頃からそうとは知らず
アンソニーやジョーの声をきいていたことも
今ニャンコ先生やヴィリー・タイバーの声をきけるのも
お父様が生き抜いて下さったから
今年、和彦さんはお父様の年齢を超えて
ここからきっともっと未来に開いていくということなんだ!
おはようございます😌
私は、長崎で被爆三世になります。ありがたい事に、身体にはなんの症状もありません。
祖父は、長崎に原爆が落ちたので、家は無いだろうと思って帰ってきたそうです(嫁である母より)
コメントしたいのに、言葉を紡げないです。
とにかく8月6日 8時15分。9日 11時2分。 15日 正午。
何もないときは黙祷を。
こういう事実を語る動画て何故か伸びないんだよな…。
太平洋戦争の話題になるとすぐ感情論になって、他国への戦争責任とか非難が色々飛び交うけど、
まず先にこういう…この時代に生きた人達の体験、現実にあった「事実」を見て、それから各々自分の心で決めて欲しい。
井上さんのお父さんは確かにこの時代を生き、目で見て、自分の足でこの時代を歩いてたんだ。本当の戦争を知ってる人なんだ
こういう動画こそ伸びて欲しいなぁ
70年代産まれの私は子供の頃から様々な戦争ドキュメンタリー、映画、小説、そしてアニメを観ながら育った世代です。戦後、軍備をアメリカ任せにしすっかり平和ボケをした私達は、普段の生活の中で平和の意味さえも問うことなく慰霊碑の前で英霊や戦死者の魂への弔いも忘れてしまっているのかも知れません。戦後アメリカ管理下の教育制度の中で、すっかり日本人は変りました。まるで日本だけが限定月読の世界でお花畑化してしまったかのようです。ある意味幸せではあるのですが、それは現実ではありません。隣国は虎視眈々と覇権を狙い諜報機関が暗躍するテロ活動など水面下では正に戦時と言っても過言ではない状況です。戦争というと、戦闘機が飛び交いミサイル空爆を行う分かりやすい攻撃を思いますが、核が抑止力となっている現代の戦争はむしろ表に出ないテロ、情報戦が主流で正に現代版シノビであるCIAなどの諜報機関が暗躍しています。大国有利のこの諜報力に対抗する為に起きるテロ、煽動、闇ルートの武器輸出、ヤラセのテロ。マスコミを使った偽情報で大義名分を作って他国内戦へ介入する大国。限定月読から目覚めた途端、なんと恐ろしい世界に自分は居るのかと慄然とします。
平和とは、平和を維持する制度と軍事力のパワーバランス、そしてその制度を利用して平和を護りたいという強い意志。権力を持つ者の意志。そして私達一人一人の平和を願う心。
NARUTOを観ながら育った世代が、戦争でヒーローになる事よりも一人一人の仲間を思う心、利害や理念が対立する相手とも武力衝突以外で理解しあえるという信念、誰も血を流さない平和な時代をこれからも支えたいと願う心が何よりも大切なのだと学んでくれている事を祈ります。
これからもカカシ先生として、子供達に大切なメッセージを伝えていって下さい。
小さい頃から本でいくつもの戦争のお話を読み、映画を観てきました。毎年8月6日、9日、15日と子供達と黙祷をします。
しかし、最近はテレビでも戦争のドラマ等が少なく伝えるという事が難しくなってきているような気が致します。
井上さんのような方がこうしてお父様の体験をお話くださることで、若い人にも伝わっていくと思い、大変ありがたいと思いました。
ありがとうございます。
こうして語り継ぐことが、きっと1番の供養(言葉が違っていたらごめんなさい)になるのではないかと思っています。
今まで学校で学んだ事もありますが、和彦さんのお父様や他の方々が遺された文書は、教科書の文章より生々しく息苦しさを覚えます。
私は感情移入が激しく、所謂“怖い話”などが苦手で、沖縄で聞いた戦争のお話も貴重だと知りながら耳を塞ぎ目を瞑り、部分的にしか聞けませんでした。今になって後悔しております。米国に留学して、グループワークで友人に「Hiroshimaの大きな爆撃は知っているか」と、訊かれました。彼は「あれはアメリカの恥」と言い、「日本人と仲良くなりたい」と言ってくれました。歴史は変わらないけれど、そう言ってくれたことがなんだかとても嬉しかったです。
この動画を沢山の人に世界中の人に見てほしいです。
お父様の貴重な体験を、ありがとうございます。
戦争を知ってる、世代の方々が、少なくなっています。
小 6の時に修学旅行で広島の原爆資料館 に行ったときの、衝撃を忘れられません。
また、忘れては行けないと思います。
戦争は絶対しては行けない。
その思いを込めて黙祷しました。
和彦さん、おはようございます。
お父様のとても貴重な記録をこんな形で紹介してくださって、ありがとうございます。
私も学校の修学旅行で太平洋戦争で兵隊として活躍された語り部さんのお話を聞いてきました。その方のお話も今日の和彦さんの動画のように強く印象に残っています。毎年この時期になると、日本のために戦ってこられた先祖の方々に感謝して日々を生きようと思い直しています。
今日で戦争が終結してから75年がたち、戦争や原爆のことを語り継ぐことができるような方々が少なくなっていると共に戦争の記憶も薄れてきていると聞いたので、和彦さんはこのお父様の大切な記憶をしっかりと保存し、私達も語り部さんや人生の中で聞いたお話をしっかりと伝えていくべきなのではないかなと思いました。
長文失礼しました(o_ _)o
和彦さん、おはようございます。
大切な動画をありがとうございます。
わたしの祖母は終戦時5歳で、戦後の記憶はあれど戦時中の記憶があるわけもなく
また広島や長崎の原子力爆弾についても資料を見聞きするだけで
今回ほど実感をもてたことはありませんでした。
原子力爆弾を実際に体感された方の、"もう核戦争はいやだ"という言葉の重みはとてつもなく
この日本の体験を忘れてはならない、ただの過去にしてはならないと強く感じました。
そして、生還したからこそ、この体験を語り継がねばならないという和彦さんのお父様のお気持ちや、それをきちんと継承していくべきだという和彦さん自身のお気持ちに深く感謝します。
本当にありがとうございます。
和彦さん初めてまして。
貴重で和彦さんにとっても辛いであろう体験談ありがとうございます。
和彦さんのお父様の体験談をもっと沢山の方に知ってもらえたらと思ってしまいました。
当時を知っている方々は90歳を越えてられるので和彦さんのお仕事柄公演して頂けたら幸いだと思ってしまいました。
私達の子供の頃と違い今の子供達は刺激が強すぎる等守られる事が多いですが原爆の恐ろしさを知ってもらいたいですね。
原爆資料館も40年前と25前に行きましたが年前の資料が当たり障りのない物に。10歳と25歳での衝撃の差もあったんでしょうが。
資料館には当時の本当の姿を展示して欲しいと思います。
長々とすみません。
和彦さんのお父様の手記、沢山の方に知ってもらいたい思いです。
井上和彦さん、貴重なお父様のお話を共有して頂き、ありがとうございます。
私は今中学3年生です。修学旅行で広島の原爆ドームを訪れた際は小学校6年生でした。原爆の話も聞き、当時はその事についてあまり知りませんでしたが、とても考えさせられました。今、このお話を聞き、改めて感じたことや、思う事が多くありました。
動画内のお話でもありましたが、慰霊碑や原爆ドームの前で笑って集合写真を撮っていた事についてです。
修学旅行で訪れた際にもこのような光景が見られました。
私達の世代は、確かに戦争を経験せず平和に暮らせてきました。しかし、前の世代の人達は毎日を必死に生きて、戦争を終わらせて、平和な暮らしを作ろうとしてきました。その時に出てしまった犠牲者の方や、その親族の方の事を思うと心が痛くなります。戦争は悲しみと犠牲以外をなにも生みません...
今の日本は平和ですが、世界では紛争などが起こっています。戦争や争いが、1日でも早く無くなって欲しいと思います...。
ここまで長々と長文すみません💦
貴重なお話ありがとうございます。
日本の歴史として、未来に伝えていくべきですね。
貴重な体験談を残して下さったお父様に心より感謝申し上げます。
現実を知らない私達は恐いことを理解する努力、大きな犠牲の上に築かれた平和を壊さないための努力を怠ってはいけないと改めて感じました。
原爆に関心のない方でも和彦さんからの発信だからこそ真剣に耳と心を傾けることができた、という方もいらっしゃると思います。
伝えて下さった和彦さん、本当にありがとうございました。
世界から戦争がなくなり喜びと感謝で溢れる日々がくることを願っています
貴重なお話をして頂きありがとうございます。
きっと今の若い方は戦争なんて私達に関係ない、知らないって言いそう。
関係ないのではなく、ずっとこの戦争の話を継承していかなければいけないと思います。
改めてこの戦争、原爆で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りしたいと思います。
この映像が全世界に公開され残っていくこと、とても意味のある素晴らしい動画でした。
何度も胸を打たれる実体験の苦しみが綴られた手記。
それを残してくれた和彦さんのお父様、それを言葉で伝えてくれた和彦さんありがとうございます。
そしてすべての被爆者、戦争犠牲者へ感謝と敬意を。
聴いているうちに涙が止まらなくなりました。
戦後40数年経って書かれたものとは思えないほど
描写が細かく鮮明で、それほど壮絶で凄惨な体験だったのだと
感じます。
「もう、戦争は嫌だ」という一言が胸に刺さりました。
実際に体験された方の言葉を伝えていくのは
本当に必要で意味のあることだと思います。
貴重な手記を残してくださったお父様と
それを聞かせてくださった和彦さんに感謝します。
ありがとうございました。
これは声優がなせる技だと思った…
「戦争絶対ダメ‼️」そう思わせる語りだと感じた…
それ
和彦さん、お父様の貴重な体験記を朗読して下さって有難うございます。
お父様の体験を語る、と言う事は、和彦さんの人生の一部を語る事でもあり、きっと色々な思いが巡ったのでは無いかと思います。
語る決断をして下さって、本当に有難うございます。
戦争は終わっても、経験された方の心中ではずっと続いていたのでしょうね。
そう思うと、とても胸が痛みます。
私は戦争を経験していません。
でも、知る事、忘れずに風化させない事、繰り返さない事はできます。
和彦さんが語って下さった、お父様の大切な言葉を、私も、家族や友達、大切な人に見て、聞いてもらって、未来に繋げて行きたいと思います。
本当に有難うございました。
僕は広島の平和記念館に行ったのが小4の時で、展示されていた当時の物を実際に見てすごく怖い印象を受けました。今自分が暮らしている時代が平和なのは良かったと思います。戦争なんて二度として欲しく無いです。今後生きていく自分達が戦争のない未来を作っていきたいですね。
お父様の生の声を伝えて下さり、ありがとうございました。
決して忘れてはならない、大切な記録です。
広島、長崎、沖縄、そして日本中の空襲を受けた沢山の都市。
私は、沖縄の戦跡と長崎の原爆資料館には行った事があります。
広島だけまだ行った事がありません。
いつか必ず行きたいと思っています。
日本人として大事な事だと思っていますので。
私の義母は東京大空襲を生き延びた一人で、大切な話を聞かせて頂きました。
戦争は決してしてはいけない、忘れてはならない事です。
今、和彦さんの語りがもっと多くの人に届くのを祈っています。
戦争で散った沢山の命のためにも…
お父様の体験、ありがとうございました
そして、お父様が大変な時代を生き抜いてくださったからこそ、今和彦さんに楽しい時間を共有して頂けていることに、感謝しております
被爆者の方々の想いを無駄にしないよう、そして、これからの子供たちのためにも、平和な世の中を作っていきたいと改めて思います
微力ながら、どうすればそれが叶うか、考えていきたいと思います
明日はあれから79年になるのですね。
手記は私は昭和62年5月27日に陸上自衛隊に入隊して約9日にお父さんが綴っていたのですね。
よく、残してくれました。
元陸上自衛官の
一人として。
一人でも多くの人に、このお話が届きますように。
お父様の体験記、和彦さんの声で映画のような臨場感で伝わってきました。
けれど、フィクションではなく、実際に75年前に起きた事実です。
私も二人の幼い子どもがいます。まだ6歳と1歳。けれど、その事実は成長したら絶対に伝えないといけない話だと思ってます。
貴重なお話をありがとうございます。
お父様の貴重な体験をおきかせいただきありがとうございました
昭和20年8月6日からどのような思いで生き抜かれてきたことでしょう
そして息子さんである和彦さんの声を通じて
私たちに届けてくださる
感謝致します
どのような思いで体験を残されたかを
私たちはしっかりと受け止めなくては
なりません
私は小さい頃から、母に食べもんを好き嫌いせんように有り難く食べるように教わり
私(父)達の頃は食べるもんも無かったんじゃけ と育てていただき好き嫌いは無く今に至っとります。
えろう感謝しております
貴重なお話ありがとうございます。
私は30代、戦争を体験していない世代ですが…聞いていて涙が止まらなくなりました。
戦争時の洗脳された思考の異常さ、原子爆弾の恐ろしさ、生き残っても苦しめられる放射能の凶悪さ…すべてが恐ろしく、また本来なら最後の若者のように笑顔で写真を撮っていただろう年頃にこのような体験をされたお父様を思うと、胸が苦しいです。
改めて戦争は駄目だ、そう思います。
今年90歳になる祖母の言葉を思い出します。みんな言わないだけで戦争なんてやりたくなかった、でも止まらなかった。
今は声が届く時代。しっかり声を大きくしていきたいと思います。
お父様の貴重な手記を読んでいただきありがとうございました。胸をギュッと締め付けられるような思いで聴きました。壮絶な被爆体験を語る事はずっと出来なかったのでしょうね。相当年数を経てようやく書き記す事ができたそのお父様の想いは、計り知れない重みがあります。沢山の方々の犠牲の上で今の平和がある事に改めて想いを馳せ、二度と悲しい出来事を起こさない努力をし続けなければなりませんね。これからも平和でありますように祈念いたします。
とても貴重なお話をしてくださり、ありがとうございました。
私は日々幼い子どもたちに関わる仕事をする中で、戦争について話をするとき
「おこりじぞう」「かわいそうなぞう」
「へいわってどんなこと?」などの絵本を使っています。
今日も絵本の読み聞かせをして話をしてきました。
ただ、戦争を知らない私が伝えても、どれだけ子どもたちに伝わっているか、これでよいのか…正直不安もあります。
今回の井上さんのお話を聞いて、手記や体験談、映像、絵本…どんな形であっても、伝え継ぐ、伝え続けることの大切さを改めて感じました。
子どもたちには、何か感じるきっかけになっていると信じて伝え続けていきたいと思います。
お話を聞かせてくださって本当にありがとうございました。
こんばんは、井上さん。涙が止まりません。どうして原子爆弾など落としたのか、私には一生解りません。解りたくもありません。戦争だけはやめて欲しい。今すぐにでも!
お父様の貴重な資料、心に止めて平和の道を歩みます。
お父様の永遠の安息を祈らせて頂きます。
貴重なお話ありがとうございます。その話を聞き、小学生の修学旅行先の広島のバスの中で一緒になった高齢の女性より生の被爆体験を聞かされたことを生々しく思い出しました。今後、何があろうとも、WW2の再来を起こしてはいけないと感じながら、現在の世界情勢を考えると、広島、長崎に原爆を投下した米国の核の傘によって守られている実態を考えてしまう自分がおり、自己矛盾に陥っております。改めて、お父様の貴重なお話をお聞かせいただき謝辞を
お話を残してくださったお父様、発信してくれた和彦さん、ありがとうございます。
話を聞くだけでも怖いし辛いのに実際に体験した方たちはどんなに怖い思い、辛い思いをしたんだろう
命を落とした方、大切な人を失った方、今でも辛い体験を抱えながら生活している方、、
今のわたしたちの平和な暮らしはそんな悲しみの上に成り立っているということを忘れないようにしたいです。
一瞬で色んなものを奪っていってしまった、そんなことが世界中のどこでも二度と起こらない世界が訪れますように。
和彦さん、おはようございます。
何も言葉が出てこないです…
私は広島生まれ広島育ちです。
いろんな方のお陰で今私たちは生かされている、と言う事に感謝します。
和彦さんも、お話して下さってありがとうございます。
以前、戦争経験者の方のお話を聞きに行ったことがあるのですが同じように戦争はしてはいけないと仰っていたのが印象的でした。
今回、お父様の体験をお聞きしてとても具体的で実際に目の前にした方にしか表現できないような鮮烈な内容に思わず目が潤みました。
私は現在20代でもちろん戦争を経験したことはありませんが、せめて和彦さんのお父様のような方たち、被爆者の方たちがいることを忘れないように生きていたいと思います。
貴重なお話をありがとうございました。
おはようございます。私は今日は朝から学校にて補習があったのですが、8時15分に友人に声をかけて、一緒に黙祷しました。
小学校の時に広島に行ってからは毎年この8月6日に黙祷を捧げています。もちろん、8月9日、8月15日も同様です。戦争は残酷に失うものしかありません。平和の大切さを決して忘れてはならないと感じます。
井上さん、貴重なお話をありがとうございました。
自分は修学旅行で長崎に行きました。広島も平和学習で行きました。自分ははだしのゲンを読んでいたので原爆のことをわかっていたつもりでしたが、いざその場に立つと、自分は何も分かっちゃいないなと思い、戦争で亡くなった人達に申し訳ないという気持ちが溢れて来ました。日本は唯一の被爆国であることを忘れてはならない、と戦争で亡くなった人達が言っているようでした。日本の負の遺産、忘れてはならないと自分の心の中に誓いました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。長文失礼致しました
初めまして。
貴重なお父さんの体験談、聴かせていただきありがとうございます。
お父さんから息子さん、その子供へ。
大切なそして、貴重な資料を未来へ繋いでください。
お父様の貴重な体験談ありがとうございます。
平和を祈ります。
広島県民です、このような形で発信して下さりとても有難いです!!今日も黙祷をさせて頂いたのですが、本当に凄惨ですよね、、二度と繰り返したくないです
おはようございます。今日も暑いですね。
貴重なお話ありがとうございます。
小学生の娘と一緒に聞きました。彼女からも戦争は怖い、無い方がいいという感想が出ました。
お父様も大変ご苦労されましたね。井上さんご自身、どうかご自愛くださいませ。
そして、平和で良い一日をお過ごしくださいませ🕊
悲しく辛いです。本当に戦争はいらない。
井上和彦さん、このような貴重なお話ありがとうございます。私はこの話を聞いてとても胸が張り裂けそうになりました。日本人として知らなければならない事であり、後世にも伝えなければならない事だと思いました。和彦さん本当にお父様の貴重な体験談をお話していただきありがとうございます。
ありがとうございます。縁あって小1の頃から広島県に住んでいます。仕事柄被爆者の方のお世話をすることもあります。
2次被曝で被爆された方々。心の傷は計り知れなかったとおもいます。
被爆当時の話を残したいと言われ聞き取りに来てもらい安心されていたことを思い出しました。井上さんのお父様も目の前の状況は心身ともに大変なことだったと感じました。手記の朗読ありがとうございます。被爆75年経ち75年は草木も生えぬと言われた広島は水と緑の多い都市となっています。
目を閉じて、今までに映画やドラマで見たことのある映像を思い浮かべながら、お話を聞きました。
戦争の恐ろしさが迫ってくるようでした。
今朝は、8時15分に黙とうしました。
世界の平和を祈りました。
心に沁みました。ありがとうございます。多くの方に届きますように。
和彦さん、貴重なお父様の手記をありがとうございました。
とても生々しく、悲惨な情景、もう二度と繰り返してほしくありません。
子どもたちと、戦争について話したいと思います。
広島出身の友人から原爆の話はよく聞きました。そして、その子の祖母も母親も友人も体に同じものを抱えており、だけどそれが原爆のせいか遺伝なのかは分からないと。
被曝された方々が少なくなる中、それでも伝えていこうとされていらっしゃる方々の記憶はきっと次の世代に伝わっていると思います。
ありがとうございます。
おはようございます👋😊
井上さん,言葉が見つかりませんね!
お父様の貴重な体験記を有り難うございます🙏
何度も拝聴させて戴きました涙を流しながら私の年代は差ほど和彦さんと代わりない歳ですからね。
昔若い頃に広島・長崎へ行き何度も体験記を聴かせて戴き海外へ行く際に話させて頂いた事がありました海外の方々も涙を流されて聞き入る!という本当に戦争で得るものはありません。
当時と被爆者の方々の御冥福を御祈り申し上げます🙇
井上さんお父様の貴重な御話しを聴かせて戴き有り難うございます🙏
感謝申し上げます😊🌸
時間を忘れた20分でした。聞き終えてからも、しばらく動けませんでした。
戦争をありありと伝えられた人がどれだけいるでしょうか。その中に原爆のことを聞いた人はどれだけいるでしょうか。
こんなにも思いの強さが違うのだと、恥ずかしく、申し訳なくなりました。
和彦さんが読んだから、より鮮明に伝わる部分が多くあったと思います。和彦さんの話し方と、お父様の文章が、似ていると思いました。
そんな風に感じる度に、どんな思いで読まれているのか、和彦さんにとってどんなお父様だったのか、と胸が痛みました。
動画にしてくださってありがとうございます。
きっと私は今ほどの気持ちをずっと持っていられないので、また聞きたいです。
貴重なお話有難う御座います
私は小・中・高と戦争の話や映像を見聞きしていました。
中学生の時は修学旅行で長崎県に行き平和公園にもいきました。
戦争を経験した方の話も聞き言葉に出来なかったです。
高校の時は修学旅行で沖縄に行き防空壕にも行き、資料館にも行きました。
戦争があった事を忘れていましたが、忘れてはいけない事だと思っています。
和彦さん本当に有難う御座いました。
和彦さん、何度も何度も聴きました。
私も戦争を知らない世代ですが、子供を持ってよりいっそう戦争を恐ろしいと思うようになりました。
いつまでも戦後の日々が続きますように…と願わずにはいられません。
平和な日常が当たり前になり、戦争なんて無かったかのように感じてる人もいるかも知れませんが、決して忘れてはいけない事実なんだと思います。
和彦さんのお陰で、改めて平和を大切に思いました。ありがとうございます。
貴重なお話ありがとうございます😭😭😭😭😭😭😭✨
聞いてて凄い涙が出ました...
平和な世界が続いて欲しいですね😭
和彦さん、こんにちは。
お父様の大切な記録拝聴させて頂きました。
私は介護福祉士として働いています。
戦争や原子爆弾、元特攻隊の方のお話を聞く機会が多いですが年々戦争の悲惨さを知る方が少なくなっています。
だからこそもう一度平和に暮らせるありがたさを考えないといけないと思っています。
本当に体験された方のお話は綺麗事じゃないと改めて痛感致しました。
私の祖父は満州から引き上げる時に広島を通ったそうですがあまりの惨状に話したくないと言っていたのを思い出しました。
平和に感謝しながら毎日を大切に生きていきたいと思います。
犠牲になられた方のご冥福をお祈りしています。
修学旅行で行かせていただきました。それ以来なかなか行けてないのですが、改めて考えるきかいが出来ました。
貴重なお話、ありがとうございました。
和彦さんも、広島に行かれたのですね。お父様の見た広島、復興した広島を和彦さんの瞳を通して、天国のお父様も見ていらっしゃるような気がします。観光化する事が、全て悪いことではないと思いますが、大昔のことではない、また近未来に起こらないとも限らない。その時どんなだったか、その後どんなだったか、そして今、そしてこれから、二度と起こしてはいけない。広島を観光された方々が、しっかりと心にとめて今が、平和であることを感謝して、日々を過ごしていって欲しいですね。今は亡き私の父も、母も、神戸で大空襲にあいました。おじさんは、シベリアで抑留されていました。苦しい戦中戦後を生き抜いていたこと…。もっともっと、聞いていれはよかったなと今更ながら思いました。
戦争で、亡くなられた方々に
合掌。
お父様の貴重なお話ありがとうございます。
40代の私ですら教科書でしか教わらなかった原子爆弾の恐ろしさ。
体験した日本だけではなく海外もこの恐ろしさと悲しさをもっと知るべきだと思います。
お父様の「嫌だ」の言葉が耳について離れません。
貴重なお話聞かせていただきありがとうございます。
貴重なお話ありがとうございました。
私も93になる祖父から話を聞きたいと思ってますが、コロナの影響でお盆に帰郷することもできず、なんともいえない気分に苛まれております。
そうでなくとも、祖父に会いにいきたいと思ってるのに。
はやくおさまってくれることと、戦争を繰り返さないことを祈っております。
おはようございます。
お父様の体験の お話ありがとうございます。
学生の頃授業で習っていたけど、大人になってから聞くとちゃんと理解出来てしまってとても恐ろしくなった。遠出ができるようになったら、広島に行ってみたいと思います。
私は長崎市内在住で祖母と同居していました。祖母は明治生まれの人で戦争の事を多くを語ろうとはしませんでした。私が高校の時の8月9日夏の日 空を見上げて「もう忘れたい」と呟いて祖母の頬に涙が零れていました。その姿を私は忘れないようにしたいと思います。
貴重な体験のお話ありがとうございます。
戦争は無くなることを祈ります。
こんな貴重な経験をプロの声優さんが読み上げてくれて、とても聴きやすいです。一生この動画残して欲しい。
和彦さん、大変貴重なお話、ありがとうございました。
あまりにも苦しくて言葉になりません。
今のこの日常を必死に生きていこう、そう強く思いました。
和彦さん、和彦さんのお父様、ありがとうございました。
とても貴重なお話ありがとうございます。
聞いてて涙が止まりません。なかなか戦争のお話を聞ける機会は少ないので聞けてよかったです。
過酷な時代を知らないからこそ知っておきたいです。戦争は二度として欲しくないです。戦争は何も生み出さないし、犠牲が大きい。
子供たちにも戦争について知ってもらいたいので、学校でも話を聞ける機会を与えて欲しいと思いました。
初めまして。お父様の貴重な御話を聞かせてくださり、ありがとうございました。
私の祖父兄弟全員徴兵されておりましたが、生前に戦時中の話を祖父叔父から聞く事は終ぞありませんでした。
あまりにも過酷な体験に、殆どの方々が精神的障害を負っている為だろうと聞いた事があります。
にも拘わらず、手記を残して下さったお父様の決意の程を考えると、胸が痛みます。
放射能で体内外から被ばくされ、どんなに苦しかったろう、変わり果てた街や人々を目の当たりにし、接し、何度涙を滲ませられた事だろうと、悲しくなります。
それを書き出す苦しさ、辛さも如何程であっただろうと。
そしてそれを朗読して下さった井上さんも、お父様の体験故に一層お辛かったと思います。
一人でも多くの方々がこちらの動画を観てくださいますように。
一人でも多くの方々が戦争の悲惨さを知って、核と戦争への抑止力のひとつとなりますよう、願わずにはいられません。
改めまして、貴重な手記を拝聴する機会を与えてくださった井上さんに、心よりお礼申し上げます。
貴重なお話を本当にありがとうございます。最後のつぶやきのような、叫びのような、つよいつよい願いが、戦争を知らない時代の私にも、ぐっと深く刺さるようでした。不安定な今の時代だからこそ、途切れさせてはいけない思いがあるのだと強く思いました。
本当に貴重なお話しをありがとうございます。まさにあの時代に大変な思いをされた方々と関わる仕事をしています。今の時期は戦争、という言葉がテレビから聞こえてきて、その頃の話をしてくれる方、涙ぐむ方、沢山おられます。教科書でしか知らないそれを聞いている私はただ、「生きててくれてありがとう、生きて私と出会ってくれてありがとう」と手を握り返してあげる事しかできません。
広島在住の者です。
和彦さんのお父様のとても貴重なお話を聴くことで、今日も平和について考える時間をいただきました。
市民目線での被爆者の方々の話を聴くことはあっても、軍人さんの被爆体験はあまり聴いたことがなかったので、手記を読まれてる和彦さんの声で、その壮絶な惨状が頭の中に浮かび、ずっと涙が止まりません。
私も母が一歳の時、広島の隣、海田市に住んでおり、祖父が翌日に広島入りしていたこともあったので、もしかしたら母も被爆してた可能性があるため、毎年8月6日は他人事ではないです。
今、被爆された方の声を実際に聴ける機会も減ってきています。
今回、和彦さんのお父様の手記の朗読。
本当に貴重な語り部の1つだと思います。
もし可能であるならば、資料館等で沢山の方に聴いてもらえる事ができたら、多くの人に平和について考える1つのきっかけになるのではないでしょうか?
この動画も含め沢山の方に聴いていただきたいなぁと思いました。
ありがとうございました。
こんばんは。
とても良かったです。
私の両親は戦争
私の両親は戦争
経験者です。
父は学徒動員
母は疎開児童でした。
和彦さんの
お父様の締めくくりの
言葉に涙が止まりません。
私の親も、戦争を体験しています。父のお兄さん達は、戦死や、ひどい怪我をして帰って来たそうです。母から、時折、当時の事を聞くことがあったのですが、父は、当時の事を一切、語ることはありませんでした。お兄さんさんの遺品が残されていて、今では、ドラマでは観ることがありますが、本物を見たら、涙と、ありがとうございましたという言葉、感情があふれ、号泣しました。
このようなお話をしてくださって、お父様の体験記をこうして動画にしてくださって、本当にありがとうございます。
目を閉じて和彦さんの声だけに集中しました。
お父様の体験記、目の前にその光景が浮かびました。
和彦さんのTH-camを通してこれから先のことを考えることができました。
私の家には戦争に関しての写真などがあります。
怖くて今まではちゃんと目を向けることができなかったのですが今日は見ようと思います。向き合おうと思います。
和彦さん、そしてお父様。ありがとうございました。
こんなに鮮明なお話を聞くことは初めてでした。
私も私の親も戦争を体験した世代ではなく、あまり現実感のないものだと感じることが多かったのですが、お父様のお話を聞けて、もっと知っていくべきだと感じました。
ありがとうございました。
井上和彦様 貴重な手記を聞かせていただいてありがとうございます。
聞いていて涙が流れるほど苦しいお話しでした。
こういう話を後世まで語り継がなくてはいけないですね。子供たちにも見せたいと思いました。
本当にありがとうございます。
この手記朗読動画は毎年この日に視聴すると決めているので、ちょうど一年ぶりに拝見しました。
お父様が亡くなられた年齢で迎えられる今年の今日この日は、より一層特別な思いを持って過ごされたのではと思います。
小学生の頃、慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」にはなぜ主語がないのか、という授業を受けたことがあります。
"過ちを繰り返さない"と誓っているのは原爆を落とした米国なのか、敗戦した日本なのか。慰霊碑を建立した人々なのか、残された遺族なのか、当時の戦争に関わった人々なのか。
ニュースで流れる世界情勢を見ても、普段はどこか他人事のように思ってしまっている自分ですが、この手記朗読をこの日に読むにつけ、自分もその主語のうちの一人なのだと改めて考えさせられます。
今年も平和について考えるきっかけをありがとうございました。
初めまして。貴重なお話ありがとうございます。
私は、修学旅行で1度広島に行きました。
修学旅行に行く前、そして行ったあと
ずっと、戦争の学習をしていました。
学習したことよりも、実際に行くと。
本当に、二度と戦争を起こしてはならないと
思いました。
経験をしていない私たちでも
こうして、伝えていくことはできます。
今の若い人達(私もそうです)は、被爆についてよく知らないと思いますが
これからの世界を変えていくのは
今生きている、若い人達です。
私は、二度と戦争を起こさないように
伝えていきたいです。
貴重なお話
本当にありがとうございました
TH-camやっていらしたんですね
とあるアプリにてこの動画を知って飛んできました
井上さんのお声ならば落ち着いて当時の現状を知れると思いましたが、やはり恐ろしい…
声や字幕で想像しただけでもゾッとするのに、立ち会った方はもっともっと、ですよね…
以降、自分の話です。
数年前高校の修学旅行でドームや資料館に訪れ、当時のお話を直接聞く事が出来ました。その時の様子の写真や絵をスクリーンで見、石などに触れ、震えながら聞いたのを覚えています。申し訳ない事に何度もスクリーンから目を逸してしまいました。
千羽鶴をお供えした後集合写真を撮ると言われ、「笑って笑って〜」とカメラマンや教師が言っているのが凄く不思議で、行った記録になるのは分かるけど笑う必要ってあったのかな、と不思議で仕方がありませんでした。当然笑顔で写ってはいません。
ただの観光地と化してはいけない場所だと思います。
和彦様、尊い配信感謝しております。
正直苦しいです。もう悲しく辛い戦争の話しは避けるようになってしまいました。だだ涙を流すばかりで何日かすると元の日常に戻るだけの繰り返しで歳をとっただけです。
しかし今まで被爆された方々の声に耳を傾けていなかったと気づきました。
国の礎になる覚悟と志を持った尊い方の食べ物が落ちていた煮干し?しかも体内からの恐ろしい被爆。
沢山の夢や希望を持った方々の最期の望みが一口のお水。
それすらも望む間もなかった方々。
とにかく目を背けるのだけはやめます。今はそれだけしか思いつきません。
そしてお父様と和彦様のお心が沢山の方々に届きますように望みます。
お父様の体験をこういう形で聞かせていただき本当にありがとうございました。この先も永遠に語り継がなければいけないと思いました。
井上さん。ありがとうございます。絶対に忘れてはいけないことです。