ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
あれだけの火傷が当時の医療でこんなに綺麗に治るの、生存されたのがすごい...
@@15junkie1 この方は綺麗に治ってみえますね。私が拝見した方々はコロナ前でしたが、今も苦しんでみえました。ケロイドのすじ切り、体中に刺さったガラス片が異物として体の中から押し出されてくると、痛くて横向きでしか眠れない=背中に刺さっているので、寝返りが打てない…。痛みと不眠に苦しんで。数日我慢して病院で体表に出てきたガラス片を取って貰うとの事。戦後何十年?…と思うと辛すぎますね
「あの少年はその後どうなったのか気がかりです」と話される永田さんの優しさ・・・。それに答える原田さんご家族。理由は分からないけど、感動しました(涙)。
これ、すごすぎるな。医師とその少年のご家族同士が長い時を経てこうして顔を合わせている。運命としか思えない。医師と少年はきっと出会った時から強い縁があったのだろうなと感動しました。
私の母も、長崎で被爆しました。当時母は原田さんと同じ16歳で長崎医大で見習い看護師として働きながら学んでいました。長崎医大は爆心地から500メートルの近さでしたが、被爆時たまたま地下にいて窓ガラスの破片を体中に受けながらも、母は助かりました。その後すぐにその地を離れたおかげで、原爆症に侵されることなく、8年前に旅立ちました。だから原田さんご家族のお気持ちや心情は、手に取るように感じられます。治療された医師であるお父様の思いを心に留められていたからこそ、原田さんへとたどり着けたことに、心から感動しました。互いのお父様への強い思い、愛が二家族を巡り会わせたのでしょう。私は縁あって外国人(ドイツ人)と結婚しましたが、二人の子供達と主人にも母の記憶を知ってもらいたいと願い、彼らは広島原爆資料館を訪れています。今年娘がをコロナ明けで、初めて行きました。ドイツも日本同様、第2次世界大戦の負の遺産があります。次の世代へ確実に伝えて行くべき事項だと思います。
あの辺りのヨーロッパの方は、特にドイツは義務教育でもどんなに酷いことをしたか、戦争のおどろおどろしい残酷さや、反省を聞かされているそうです。だから、ある意味、『またか』と脳がシャットアウトしてかえって何も考えないと聞いたことあります。その話をした留学生は、日本で平和のほほんノンポリで過ごさせ、修学旅行で資料館に行きなり連れて行く; だからこそこわく、リアルに感じたと言っていました。あなたのご家族が慣れすぎてシャットアウトする構造になってませんように…。
ドイツ人もベルリン陥落直後にソ連兵にめちゃくちゃ迫害されたって聞いた
家の家族には、被爆した人は、いないけど家が浦上天主堂の裏にあるから、、、原爆資館に行った時衝撃を受けた。
素敵な話をありがとうございます。
@@きまさむ さん 返信ありがとうございます。私の娘はこの3月週末の日本語学校中等部を卒業しましたが、今年の学内コンクールでこのテーマで作文を書き優秀賞を得ました。
先生が処置してくれなかったら、息子さんやお孫さんも生まれてなかったかもしれないと思うと、こうやって命が繋がれていくのも本当に凄い事だと改めて思う...
ここまで綺麗に治るのがちょっと驚いた
遺族同士がこうして再会して、お礼を言い合う。とても素敵ですね。そして戦争の愚かさ。
このことはずっと語り続けないといけない
私の一族は私が産まれるずっと前に 敗戦後、翌年、満州から引き揚げてきたのですけど…九州の佐世保から上陸して汽車に乗り 広島の街に入ったときに 何も無い街に「焼けボックリ(立ち木が燃えた棒)」の列の世界に車内は騒然としたそうです途中 広島駅に止まるのですが広島市の住民たちの「炊き出しのオニギリ」に本当に助けられたときいておりますおかげさまで、一族は無事に山形に着きました後々 関西に用事できいた お話では 広島市民は五年ほど 引き揚げ者のために炊き出しをしていたそうです祖母は晩年まで当時の広島市民に感謝しておりました 合掌
全然関係ないけど奥さんの「ホンマに良い人やったからね主人は」という言葉に感動した。奥さんの亡き夫への思い。戦後2人で大変だったけど良い夫婦をしたんだろうな。
今年の3月に広島の原爆資料館行きました。音声ガイドを聴き、号泣しながら館内を巡りました。日本に生まれて育ってきた者として、やっぱり一生に一度は行くべき場所だなと思いました。
78年の時を超えてご家族同士が会えたこと、、本当によかった。永田医師と原田さんもきっと逢えているはず。二度とこんな悲劇を起こしてはいけないと強く感じます。
戦争がなくなってほしいし、こんな悲惨なこと二度と起こさないでほしいです。
感動でした、涙が出ました。絶望な状況の中、激しい痛みに耐える原田さんのお父様に向けるお医者様、永田さんのあたたかい笑顔、本当に素敵なお医者様だったのですね。原田さんの息子さんもとても素直で素敵な方です、思い出話も少し笑えるお話で、お父様と仲のいい親子だったんだなと思えます。永田さんのご長女が『生きられるお力があったんだと思います』とおっしゃられた時、震えました。とても簡単に出る言葉ではないし、お話口調もお声も優しく、お医者様であったお父様、そしてお母様に大切育てられたお子様だったのではないかなと勝手に推測してしまいました。『こうしてご存命で、ご子息までおいでになって…お孫さんもいらっしゃる?』と問いかけた時に原田さんが答えると、心の底から喜んでいるような永田さんのご長女の優しいお声。お医者様である優しく強いお父様のお人柄が分かるような気がいたしました。親子おふたりとも、とても素敵な方なのですね。天国で、お医者様であるお父様とあの頃少年だった、原田さんのお父様も再会し、仲良くこのお会いした両ご家族の姿を見守って下さってるといいなと思いました。
いまだに戦争が無くならなくて…だから、原爆落とされた、日本から世界の平和につながる事、政治家の方達、これから政治家になる方達、やっていって欲しいです。世界が平和になりますように…。
人間は争いが【大好き】だから無理だと思う争いが大好きだから日々いじめや殺人などが起きる争いが起きる戦争だってそうだ。人間は何かマウント取らないと気が済まないからいじめや殺人が起きる、戦争が起きるそう考えると無理だろう戦争や原爆が心から消えて欲しいなら戦争や原爆を排除する日本人は居ませんよ
原爆は残念ながらなくならない運命である、なぜなら軍事の最強兵器だから。核を落としたアメリカこそ手放すどころか数千の核を保有している。日本もこのまま無核だと、またいつか原爆の被害者になるだろう。原爆を持っている国に原爆は落ちない。残念な事実だが、それもまた現実。現実から目を背ける国はいずれ滅びる。
手首にあるのは手の剥がれた皮膚…手の甲はケロイドが残ったのではないかと思います。奥さんが夫は本当に優しい人だったと言っていて、それまで治るまでかなりの苦痛だったり傷跡で嫌味言われたりしたかもしれないけど、強い方だったのだなと尊敬しました。
あんなに酷い火傷を負ったのに綺麗に治ってること、ちゃんと髪が生えてきていることに驚きました。
日本人として、必ず行かないと行けない場所だと思います。知らないといけない、考えなければならない、伝えていかないといけないと思っています。すぐにいける距離では無いのですが、必ず行きます。
長崎と新潟も。
その前に落とした国の国民が
日本人による他国への被害を覚える場所は作らないでしょうか?
よくぞ生きてくれました。我々には想像出来ない地獄のような日々だったことでしょう。
今年、初めて広島に旅行へ行きました。その際、広島平和記念資料館を訪れて「火傷の手当を受ける少年」の写真を目にし、原爆の恐ろしさが記憶に焼き付いた1枚だったのですが、一命を取り留められていたとは驚きでした。長い時を経て、写真に写っている医師と少年の親族が顔を合わせることができて、本当にすごいし良かったなと思いました。
きっと、まだ少年だったから、ここまで綺麗になったんでしょうね。原爆資料館に入る前からズーンと肩が重くなり、入ったら自然と涙が出て吐き気に襲われ、世に居ない方が見えました。ドロドロの人でした。当時、私は小学生でした。その時は怖いでしかなかったし怖過ぎてもう行きたくないと思ってしまいましたが息子にも、きちんと伝えていかないといけない事だと思うのでまた行こうと思います。現実を受け止めなければ。
小学生と小さかったから見えたのかもしれませんね、また行こうと思えるのは素敵です✨
@@mogu7044 私だけなら行こうと思えないくらいトラウマです💦だけど、これは伝えていかないといけないことだな、と思い😢コメントありがとうございます❣️
@@りな-j2cまたまた。嘘いってはいけませんよ。霊とかおばけはいませんよ。
@@kawasaki9091居ます。そんな嘘言いません。今はもう見えませんが。
戦争中や戦争後は道具も少なく衛生面もあまり良くなく栄養のある食物も限られていたと思いますがその中でこれだけ綺麗に傷跡が癒えたのはきっと丁寧な手当があったからこそだと思いました癌の発症も被爆が原因なのかなと思うとやはり表面上は回復していても原爆とは一生の付き合いであることの恐ろしさを感じます
あんなに大火傷してたのにめっちゃ綺麗なお顔!
ナレーション坂本真綾さんなんだ。すっと入ってくる
朝礼中に被爆したのなら、他にも同じように負傷した少年たちが多数いたはず。みんな無事で助かっていて欲しい。陸軍の特別幹部候補生隊に所属してたことが、早期に適切な治療を受けられた要因なのかもしれない。
本当に忘れてはいけないこと
双方のご家族の方が再開してほんとに感動しました😢絶対に忘れてはならない出来事。おばあちゃんも戦争を経験しており当時の戦争の話を何度も話してくれます。おばあちゃんの話を聞いているだけで凄くおぞましい、同じ人間がやっている事なのかと考えるだけで怒りを覚えます。戦争を経験した方がこの世に居ない日がいずれ来る事になりますがこの様な出来事を発信する活動は今後も続けて欲しいと思います。私は資料館にまだ行ったことは無いですが死ぬまでには行きたいなと思っています。
もう少しで戦後80年か当時を知る方はどんどんいなくなっていくね
感谢你还记得
酷く悲しい気持ちになります。当時どれだけ苦しくて辛かったものか…
被害者のプライバシーもあると思うけど、被害者の名前があると、ただの資料ではなく、〇〇さんが被害にあった!とよりリアルに被害の悲惨さが伝わるので、少年という表示より〇〇さんの父とわかることが素晴らしいと思いました
生きることの意味、少しですがわかったような気がしました。素晴らしい番組、ありがとうございました。
ご尊父との電車での思い出がとても良い。
戦争は絶対にダメ。みんな幸せになってほしい。
私はいわゆる被爆者3世とでも言いましょうか、祖母が被爆を経験しました。今も存命で余生を楽しんでいます。もうあと数年もすればこの原爆投下の事実は歴史と化します。逃れられない未来ではありますが、最近の世の中に目を向けると、我々の使命を再認識する必要があるなと感じます。
凄く大変だったのに、凄く幸せな人生で本当に良かった。顔は焼けたあとのような物が見当たらない。あと、普通にお母さん80代には見えない。お若い。
本当に痛かったと思います!こんな表現さか出来なくて 申し訳ありません。必死に生きてこられたのですね!自分は色々あって病んでいますが生かされているんだなぁって強く感じました!
改めてお医者さんは、凄いですね本当に。きれいにお顔 されてましたものね会えて、よかったですね戦後は本当悲しいですね
ケロイドなく毛穴レスに見えたから、ほんとに火傷されたのかと思うほど 初期治療がよかったんだなぁと本人も痛みと痒みに耐えたと思うと切ない
@@hermesevol7760 本当ですねおっしゃる通りだと思いますお医者さんもですが本人様もよく頑張られたと思いますやはり昔の、人は例え幼くとも物事に耐える力生まれながらにたくましいのかも知れないですねでも本当うに良かったと思いますもうそれぞれに皆さん幸せに。穏やかに暮らしてほしいと思いますまだまだ地域により暑さ有るかとは思いますが季節の、変わり目体調壊さぬようお過ごし下さい私の居る地域北海道では。暑い夏でしたが今や朝晩8℃やら7℃やら場所により3℃だとか寒くなって来ました😊又紅葉も遅れてましたがここ数日の、気温の、低さで一気に紅葉進ん出るようです又黒岳とゆう山では雪降りましたよ😄やはりちゃーんと寒くなり又長い冬がきます繰り返しにはなりますが身体に気を付け下さいそして返信ありがとう御座いましたでは🤗
広島の方は広島焼きって原爆を連想させるから言わないって言いますよね(記者の方が広島"の"お好み焼きと言われてるのを聞いて)永田さん、すごく上品な方だ...
私の同級生のお母さん、広島原爆のニ世で原爆の手帳持っていて見せてもらいました😢初めて見た時が小5だったけど衝撃でした。たかがじゃないんです。されどニ世です。小学校の修学旅行は長崎でした。本当は私の住んでいる北九州市に落ちる予定だったと聞いています。小倉に落とせば八幡・下関にも被害が出るから一網打尽だから。資料館に入って最初の部屋に入った段階で……。入って少ししたところに腕が痛い大火傷で肉までただれ骨まで見えてる小6の私と同じ歳くらいの少年の写真があって、今でも思い出してしまいます。戦勝国は「日本という国の軍人を攻撃して勝利した」みたいな教育ですが、捕虜も被爆して居ただろうに。「罪のない人間。日本国内に住んでいる一般人を、ウランが入った爆弾で大量に虐○した」が正しいんだと私は思います。戦勝記念日ほど嫌いな日は無いです。戦勝国は国を攻撃したのではなく民間人を攻撃したことを学んで欲しいです。
火傷綺麗に治っている写真が見れて良かったです。イケメンですね
今の進歩した医療でも全身やけどって治すのかなり難しいし、治療しても毎日とんでもない痛みに襲われて中でも傷を洗う熱傷浴は麻酔しても全然楽にならないほどの辛さって言われてるのに,この当時だと想像もできないくらいの地獄だっただろうな、、
日本の誇りです! 語って下さり、ありがとうございます。
この映像は、後世に伝えて頂きたく思います。。。
日本の侵略の結末をね。
医師の娘さんは、実父が治療したという少年の写真を見て、その少年がより身近な存在になったことでしょうそして、その少年が治癒し、家庭を築き、命のバトンが続いて…ささやかに思えることも丁寧に報道するという意味を実感しました
オススメに流れてきて内容に釣られて動画を開いたらナレーション真綾さんだった…
酷いやけどにもめげず生きた証…凄いですよね😢これを思うと、たくさんの方の未来を奪われたわけですよね…切ない😓
息子さんは お母さん似ですねそっくり
貴重なお話を、お聞きできて..今を平和に当たり前に生きることが出来る…現代の私達....戦争...がもたらす結果...!犠牲にあった方々ご本人様遺族の方々の、体験がいかに、大切か…普通に生きていられる...普通の毎日!それが1番 有難いことだと....それが、私たちにとっては、宝...だと...痛感いたしております...それ以上の、言葉はみあたりません。
世界のひとりひとりに見て欲しいです。戦争とはどんなに悲惨なのか、核とはどれだけ恐ろしいものなのかを。
生き抜いてくださり感謝。
やっぱり、親子って似ますよね。息子さんにお父さんの面影があります😢
数奇な運命ですね。当人達はきっと天国でまた再会なさっているかと思われます。命を守った者と守られた者の年月を超えて家族が対面するのもまた運命です。
お父さまめちゃくちゃお顔かっこいいですね!?こんな綺麗に治るんだ…!!良かった、綺麗なお顔戻って😭私も去年、修学旅行で広島の原爆記念館、見に行きました。とあるひとりの友人が「こんなことあったんだ…」って泣きながら館内を見回っていました。私は歴史を学ぶのが好きなのでこのような写真を沢山見てきましたが、やはり戦争は怖いなと…改めて感じました。当時の方々にとても失礼ですが、経験しなくて良かったなと思いましたし、世の中にある戦争も早く無くなればなと思います。
当時は、結婚はおろか子孫を残すことすら迫害された時代ですからね。ひた隠しにして、墓まで持っていきましたね。息子には...ぼそっと言うくらい。独り言として、語り継いでくれるのならそれで良し。位に考えていたんでしょうね...慮れば...この息子さんだからこそ、冗談半分で笑い話くらいにしたほうが、薄っすらと記憶に残り...後に残る子たちのためなのかもしれませんね。きっと、黄泉で再会してますよ。大きくなったなぁ。とか...あの頃の子供の姿にだって戻れるだろうし。基調な縁で繋がった方ですからね。
長田医師の長女さんはとても品がおありですね
素敵だよね。時代を越えて遺族同士が会うことができてさ。これからも、戦争を忘れない人が1人でも増えるように、後世に残していきたい。
この子大人になれたんですね。色々ご苦労されたでしょうけど、、
この様な原子爆弾投下が今後、無い事を願っています
昨日平和記念公園資料館に行きました。なんとも言えない気持ちになりました。正直、、、アメリカ人が少し苦手になりました。
すごいな…遺族同士がこうやって会えるのは奇跡ですね……原爆資料館は修学旅行で行ったけど小学生ながらほんとに気が重くて、今でも覚えているくらい衝撃的でした。その日の宿泊も広島でしたが怖くて怖くて眠れなかったのを覚えてます。。
ウクライナに核兵器を送って使わせたら戦争が終わるとかコメントしてる大人もいるので怖いです。
写真が切り取った一瞬の、前にも後ろにも人生があって、人の生活があったことを再確認させられました。少年のお名前がわかって本当に良かったと思います。息子さんも病気を乗り越えられて、本当に良かった。
ありがとうございます。お父さん、息子さん、お母さん、お医者様に娘さん。被爆をされた皆様。原爆という悲劇の中でも、日本の強さ、愛情が素敵です。両親から、祖父の原爆体験のことを聞いて育ちました。この辛さ絶対忘れてはいけない。原爆後、日本が立ち直り、我々が今日こうして生きてこれるのは、皆様の努力。日本人としての誇りです。語り続けていけること。世界平和をお祈りいたします。
だめだ……涙で見れない…
この人の笑顔からお父さんの人柄が伝わってくる
これからの世代で繰り返さないために自分の子供にもこの事を教えたい
泣けた
お父様が無事生還されて怪我も完治し幸せな結婚生活を送られていた事が分かって安心しました 優しいお父様だった事も知れて私も嬉しい気持ちに成りました 息子さんもお身体を大切になさって下さいませ
お父さん生きててくれて良かった
私の祖父母も私も関東の出身で、広島ではないけど、祖父母が戦時中都内の中野で本屋をしてた。実子(私から見ると叔父たち)はまだ少年兵にもなれない年齢の頃に終戦、今も存命だけど、当時はまだ丁稚奉公(現代で言う住み込み従業員)があったから商売を覚えるために少年たちの面倒を見てた時期があったと良く聞かされた。でも、最後は兵隊に取られて誰も帰って来なかったと、よく祖母に聞かされた影響で歴史に興味を持って、今も事ある毎に学んで8/15には靖国に行ってる。名前も写真も、出身地も分からないから難しいかも知れないけど、もし、父が聞いて知っているなら、そしてご家族が存命なら会ってみたいと思う内容だった。会うことが出来たらあなたのお陰で、歴史を学べと祖母が生きざまを見せることで私に伝えた、ありがとうと伝えたい。
今はこの展示の表記は少年からお父様の名前に変わってたりしてるのかなこんなに時が経った後にこのような再会ができるなんて本当にすごい
肌がむしろ私よりもきれいになってて(アトピーで若い頃から肌が汚い私…)人間の再生力にもびっくり。その時の医師が優秀だったんだね。
被爆2世、3世でまだ苦しまれている方を思うと、戦争は終わっていない、と思う
マウス実験の様に人間を、日本で暮らす一般市民を扱った当時のアメリカ戦勝国を非難する国は一つも無く、核保有国が戦争に勝ちさえすればどんな非人道行為も結局は非難されず許されてしまうんだという前列を生み出しただけに過ぎないですね…😢
It is worse to pick a fight knowing that you will lose.
@@yoosung4729Exactly yes. But As the top secret Manhattan Project shows, US had big reasons for wanting definitely to use nuclear bombs.
本当に語り継ぐ事は大事だし実際に本当に聞きたいと思ってますよいつか!長崎にも有りますから!。可哀想で悲しくて降伏とはいえ図りきれない思いだと思います。
母方の祖父は明治、祖母は大正生まれ、母は昭和27年生まれで上に4人兄姉がいます。約20年前、孤独死された血縁者がいますと連絡が来て母も母の兄姉も存在を知らなかった兄と対面したことがありました。母の1番目の姉は顔も性格も体型も全く似ておらず、あの頃の事だから…おじいちゃんも戦争行ってたしねぇと私が幼い頃に話してたのを今も覚えてます。私(40)は、まだそんなに戦争は遠いものではない思いでいます。
一般人、特に女性や子供に対するアメリカ人の残虐行為をどうして日本人が忘れられるのか分かりませんでした。
そうですね、無差別攻撃です。日本人は忘れてはいませんよ!しかし憎み続けてもいないと思います。少なからず私は。悪いのは悲惨な事しか産まない戦争です。憎むべきは人や国ではなく戦争だと思っています。
火傷の痛みや、治療などは大変だったでしょうけど何より網膜をやられてなくて、良かったでも、やっぱり息子さんにも影響が出るんですね・・・核兵器なんて、こんなに不必要な代物が、まだこの地上にある・・本当に悔しいです・・・
火傷がきれいに治ってはる。全くわからない
優しいお父様だったんですね😊お父様が今は見守ってますね
涙が出てきました。
結婚式の写真の人が原爆で顔に酷い火傷を負った人だとは思えないんですけど....手もきれいですよねこれ本当なんですか
治る度合いは本当に人それぞれです
7:33辺りの写真は左目周りが若干ひきつれているようにも見えますし、全体的に写真の画質が低い上左手甲に関してはかなり昔の家庭用カメラで撮影されたもの(1番しっかり映ってる写真は白黒かつ画角的に光で凹凸や色の濃淡が飛んでいる)なので、写真で傷跡の有無を判断するのは難しいかと……よく見ると当時の写真の腕と手はガーゼを貼ってて濃い色は薬の可能性もあるので、どれほどの火傷だったのかもわかりませんし。火傷した時の年齢が若ければ若いほど治癒力も高いですし、深度自体は浅い範囲が多くて比較的綺麗に治った可能性もあります。年齢を重ねるとシワやシミで更に目立ちにくくなります。耳の形での照合は素人でもある程度判別出来る程特徴があってプロによる写真鑑定はかなり高い精度ですし、それが合ってたなら同一人物の可能性は高いかと。
重度の火傷の方は輪郭自体がボコボコになりますが、この少年は輪郭がぴしっとしています。比較的浅い表面の火傷が多かったのでしょうね。若いぶん、皮膚の再生力も強いですし。ちなみに私は長崎の被爆2世です。父は直後の市内に入って放射能を浴びただけですが、向こうから火傷で垂れ下がった皮膚をぶら下げた大勢の人が、よろよろと歩いて来ていたと言ってました。
確かによく見ると手は包帯を巻いてるみたいなので薬の色かもしれません。顔もただれたりはしていないので重度の火傷ではなかったのかもしれませんね
記事の方には原爆の爆風で吹き飛ばされ倒壊した建物の下敷きになった‥と あったので範囲が 広いとは言え比較的 表層の火傷ですんだのではないでしょうか?
有名な写真ですね。その後幸せな人生を歩まれていて、救われました。
ナレーター見てビックリ!坂本真綾さんじゃん!声聞けて嬉しい!
珠代さん!
被曝した方に差別とかするのは違うでしょう。好きでなったわけじゃないのに。正々堂々とするべきだと思いますよ。悲しい歴史を二度と起こしてほしくないし。未だ戦争していて嫌ですね。
戦争ではなくジェノサイド
9:00人物を特定するには手、指、ツメ、耳、ほくろは今はホワイトにできるので参考程度位置も微妙に変化して見える、笑った時の歯形でわかります。この写真から耳が一緒なので本人でしょう。
陽子さんのコメントも良いなぁ…
戦争は絶対してはいけない。真珠湾攻撃の日本も、本土空襲のアメリカも、その後の地上戦もどれを取っても、尊い命が奪われた。
個人的意見ですが…。アメリカは原爆投下が終戦を早めた、と言うけれど、それはその時の大統領が 国内から上がった アレはやり過ぎ、酷いんじゃないか… という意見を抑え込むためだった。知ってるよ、そんな事。でもね、原爆が何をもたらしたか、どんな事になるのか、それも理解した上で 終戦を早めた!と言って欲しい。後ろめたい気持ちがあるから、原爆の写真展をアメリカでするのを拒否してる。終戦を早めたならそれでいい、でも功績だけを伝えて惨禍から目を逸らしていては、片手落ち
同じこと、思っていました。戦争は悲しみと代償を生むものなんだと世界中の人に知ってほしいです。
追記*コメントから2ヶ月の間に新たに知った事… アメリカの言う ’’原爆投下が終戦を早めた’’は違いました。日本は当時、戦争反対派がおり、彼らは外交筋を通してソビエト(今のロシア)に仲介役を頼もうとしている中、ソビエトは参戦。これに慌てた日本は終戦へと一気に舵を切ったのです。ソビエト参戦が終戦を早めた☝原爆投下ではないのです。トルーマン大統領にやられましたね
本人が自分だと言っているのに本人を証明するものが必要って。。なんか失礼な気がしました。こんな辛い体験をなさっていることを偽る人などいるのだろうか?
これが自分だとか、家族だって名乗り出る方が多いからじゃないですかね?歴史を記録するのには正しい情報を元に記録しないといけないので💦
失礼だとは思うけど、世の中には人の皮を被った輩もいるんだよね。そうせざるを得ない事情があるんじゃないかな。
こんなこともあるんだなあ。
母親の遺伝子強...
日本イヤ世界の人達が行くべき広島‼️
体質的にある程度綺麗に重度の火傷が治る方もいるのだろうか?
広島平和記念資料館は小学6年の修学旅行の時に行きましたが、同じ班の子が「怖ーぃーきもい。早く行こ!」て言われてあんまり感じる事が出来ませんでした。もう少しどんな感じだったのか知りたかったです。またじっくり考えて見たいです。
この方が享年70とは… 当時の様子考えれば天寿といってもさしつかえなさそう(T_T)
9:48 DELL S2722QC かな?
二度と戦争を起こさないでください!みなさん、反省はしていますか?正しい歴史を知ることが大事です!
オッペンハイマー…
あれだけの火傷が当時の医療でこんなに綺麗に治るの、生存されたのがすごい...
@@15junkie1
この方は綺麗に治ってみえますね。私が拝見した方々はコロナ前でしたが、今も苦しんでみえました。ケロイドのすじ切り、体中に刺さったガラス片が異物として体の中から押し出されてくると、痛くて横向きでしか眠れない=背中に刺さっているので、寝返りが打てない…。痛みと不眠に苦しんで。数日我慢して病院で体表に出てきたガラス片を取って貰うとの事。戦後何十年?…と思うと辛すぎますね
「あの少年はその後どうなったのか気がかりです」と話される永田さんの優しさ・・・。
それに答える原田さんご家族。
理由は分からないけど、感動しました(涙)。
これ、すごすぎるな。
医師とその少年のご家族同士が長い時を経てこうして顔を合わせている。
運命としか思えない。医師と少年はきっと出会った時から強い縁があったのだろうなと感動しました。
私の母も、長崎で被爆しました。当時母は原田さんと同じ16歳で長崎医大で見習い看護師として働きながら学んでいました。長崎医大は爆心地から500メートルの近さでしたが、被爆時たまたま地下にいて窓ガラスの破片を体中に受けながらも、母は助かりました。その後すぐにその地を離れたおかげで、原爆症に侵されることなく、8年前に旅立ちました。だから原田さんご家族のお気持ちや心情は、手に取るように感じられます。治療された医師であるお父様の思いを心に留められていたからこそ、原田さんへとたどり着けたことに、心から感動しました。互いのお父様への強い思い、愛が二家族を巡り会わせたのでしょう。
私は縁あって外国人(ドイツ人)と結婚しましたが、二人の子供達と主人にも母の記憶を知ってもらいたいと願い、彼らは広島原爆資料館を訪れています。今年娘がをコロナ明けで、初めて行きました。ドイツも日本同様、第2次世界大戦の負の遺産があります。次の世代へ確実に伝えて行くべき事項だと思います。
あの辺りのヨーロッパの方は、特にドイツは義務教育でもどんなに酷いことをしたか、戦争のおどろおどろしい残酷さや、反省を聞かされているそうです。だから、ある意味、『またか』と脳がシャットアウトしてかえって何も考えないと聞いたことあります。その話をした留学生は、日本で平和のほほんノンポリで過ごさせ、修学旅行で資料館に行きなり連れて行く; だからこそこわく、リアルに感じたと言っていました。
あなたのご家族が慣れすぎてシャットアウトする構造になってませんように…。
ドイツ人もベルリン陥落直後にソ連兵にめちゃくちゃ迫害されたって聞いた
家の家族には、被爆した人は、いないけど家が浦上天主堂の裏にあるから、、、原爆資館に行った時衝撃を受けた。
素敵な話をありがとうございます。
@@きまさむ さん
返信ありがとうございます。私の娘はこの3月週末の日本語学校中等部を卒業しましたが、今年の学内コンクールでこのテーマで作文を書き優秀賞を得ました。
先生が処置してくれなかったら、息子さんやお孫さんも生まれてなかったかもしれないと思うと、こうやって命が繋がれていくのも本当に凄い事だと改めて思う...
ここまで綺麗に治るのがちょっと驚いた
遺族同士がこうして再会して、お礼を言い合う。とても素敵ですね。
そして戦争の愚かさ。
このことはずっと語り続けないといけない
私の一族は私が産まれるずっと前に
敗戦後、翌年、
満州から引き揚げてきたのですけど…九州の佐世保から上陸して
汽車に乗り 広島の街に入ったときに
何も無い街に
「焼けボックリ(立ち木が燃えた棒)」の列の世界に車内は騒然としたそうです
途中 広島駅に止まるのですが
広島市の住民たちの
「炊き出しのオニギリ」に
本当に助けられたときいております
おかげさまで、
一族は無事に山形に着きました
後々 関西に用事で
きいた お話では 広島市民は
五年ほど 引き揚げ者のために
炊き出しをしていたそうです
祖母は晩年まで
当時の広島市民に感謝しておりました
合掌
全然関係ないけど奥さんの「ホンマに良い人やったからね主人は」という言葉に感動した。奥さんの亡き夫への思い。戦後2人で大変だったけど良い夫婦をしたんだろうな。
今年の3月に広島の原爆資料館行きました。
音声ガイドを聴き、号泣しながら館内を巡りました。
日本に生まれて育ってきた者として、やっぱり一生に一度は行くべき場所だなと思いました。
78年の時を超えてご家族同士が会えたこと、、本当によかった。
永田医師と原田さんもきっと逢えているはず。
二度とこんな悲劇を起こしてはいけないと強く感じます。
戦争がなくなってほしいし、こんな悲惨なこと二度と起こさないでほしいです。
感動でした、涙が出ました。
絶望な状況の中、激しい痛みに耐える原田さんのお父様に向けるお医者様、永田さんのあたたかい笑顔、本当に素敵なお医者様だったのですね。
原田さんの息子さんもとても素直で素敵な方です、思い出話も少し笑えるお話で、お父様と仲のいい親子だったんだなと思えます。
永田さんのご長女が『生きられるお力があったんだと思います』とおっしゃられた時、震えました。
とても簡単に出る言葉ではないし、お話口調もお声も優しく、お医者様であったお父様、そしてお母様に大切育てられたお子様だったのではないかなと勝手に推測してしまいました。
『こうしてご存命で、ご子息までおいでになって…お孫さんもいらっしゃる?』と問いかけた時に原田さんが答えると、心の底から喜んでいるような永田さんのご長女の優しいお声。
お医者様である優しく強いお父様のお人柄が分かるような気がいたしました。
親子おふたりとも、とても素敵な方なのですね。
天国で、お医者様であるお父様とあの頃少年だった、原田さんのお父様も再会し、仲良くこのお会いした両ご家族の姿を見守って下さってるといいなと思いました。
いまだに戦争が無くならなくて…
だから、原爆落とされた、日本から世界の平和につながる事、政治家の方達、これから政治家になる方達、やっていって欲しいです。
世界が平和になりますように…。
人間は争いが【大好き】だから無理だと思う
争いが大好きだから
日々いじめや殺人などが起きる
争いが起きる
戦争だってそうだ。
人間は何かマウント
取らないと気が済まないから
いじめや殺人が起きる、戦争が起きる
そう考えると無理だろう
戦争や原爆が心から消えて欲しいなら
戦争や原爆を排除する日本人は居ませんよ
原爆は残念ながらなくならない運命である、なぜなら軍事の最強兵器だから。核を落としたアメリカこそ手放すどころか数千の核を保有している。日本もこのまま無核だと、またいつか原爆の被害者になるだろう。原爆を持っている国に原爆は落ちない。残念な事実だが、それもまた現実。現実から目を背ける国はいずれ滅びる。
手首にあるのは手の剥がれた皮膚…手の甲はケロイドが残ったのではないかと思います。
奥さんが夫は本当に優しい人だったと言っていて、それまで治るまでかなりの苦痛だったり傷跡で嫌味言われたりしたかもしれないけど、強い方だったのだなと尊敬しました。
あんなに酷い火傷を負ったのに綺麗に治ってること、ちゃんと髪が生えてきていることに驚きました。
日本人として、必ず行かないと行けない場所だと思います。
知らないといけない、考えなければならない、伝えていかないといけないと思っています。
すぐにいける距離では無いのですが、必ず行きます。
長崎と新潟も。
その前に落とした国の国民が
日本人による他国への被害を覚える場所は作らないでしょうか?
よくぞ生きてくれました。我々には想像出来ない地獄のような日々だったことでしょう。
今年、初めて広島に旅行へ行きました。その際、広島平和記念資料館を訪れて「火傷の手当を受ける少年」の写真を目にし、原爆の恐ろしさが記憶に焼き付いた1枚だったのですが、一命を取り留められていたとは驚きでした。長い時を経て、写真に写っている医師と少年の親族が顔を合わせることができて、本当にすごいし良かったなと思いました。
きっと、まだ少年だったから、ここまで綺麗になったんでしょうね。
原爆資料館に入る前からズーンと肩が重くなり、入ったら自然と涙が出て吐き気に襲われ、世に居ない方が見えました。
ドロドロの人でした。当時、私は小学生でした。
その時は怖いでしかなかったし
怖過ぎてもう行きたくないと思ってしまいましたが
息子にも、きちんと伝えていかないといけない事だと思うので
また行こうと思います。現実を受け止めなければ。
小学生と小さかったから見えたのかもしれませんね、
また行こうと思えるのは素敵です✨
@@mogu7044 私だけなら行こうと思えないくらいトラウマです💦
だけど、これは伝えていかないといけないことだな、と思い😢
コメントありがとうございます❣️
@@りな-j2c
またまた。嘘いってはいけませんよ。
霊とかおばけはいませんよ。
@@kawasaki9091居ます。そんな嘘言いません。今はもう見えませんが。
戦争中や戦争後は道具も少なく衛生面もあまり良くなく栄養のある食物も限られていたと思いますがその中でこれだけ綺麗に傷跡が癒えたのはきっと丁寧な手当があったからこそだと思いました
癌の発症も被爆が原因なのかなと思うとやはり表面上は回復していても原爆とは一生の付き合いであることの恐ろしさを感じます
あんなに大火傷してたのにめっちゃ綺麗なお顔!
ナレーション坂本真綾さんなんだ。すっと入ってくる
朝礼中に被爆したのなら、他にも同じように負傷した少年たちが多数いたはず。
みんな無事で助かっていて欲しい。
陸軍の特別幹部候補生隊に所属してたことが、早期に適切な治療を受けられた要因なのかもしれない。
本当に忘れてはいけないこと
双方のご家族の方が再開してほんとに感動しました😢
絶対に忘れてはならない出来事。
おばあちゃんも戦争を経験しており当時の戦争の話を何度も話してくれます。
おばあちゃんの話を聞いているだけで凄くおぞましい、同じ人間がやっている事なのかと考えるだけで怒りを覚えます。
戦争を経験した方がこの世に居ない日がいずれ来る事になりますがこの様な出来事を発信する活動は今後も続けて欲しいと思います。
私は資料館にまだ行ったことは無いですが死ぬまでには行きたいなと思っています。
もう少しで戦後80年か
当時を知る方はどんどんいなくなっていくね
感谢你还记得
酷く悲しい気持ちになります。当時どれだけ苦しくて辛かったものか…
被害者のプライバシーもあると思うけど、被害者の名前があると、ただの資料ではなく、〇〇さんが被害にあった!とよりリアルに被害の悲惨さが伝わるので、少年という表示より〇〇さんの父とわかることが素晴らしいと思いました
生きることの意味、少しですがわかったような気がしました。
素晴らしい番組、ありがとうございました。
ご尊父との電車での思い出がとても良い。
戦争は絶対にダメ。みんな幸せになってほしい。
原爆は残念ながらなくならない運命である、なぜなら軍事の最強兵器だから。核を落としたアメリカこそ手放すどころか数千の核を保有している。日本もこのまま無核だと、またいつか原爆の被害者になるだろう。原爆を持っている国に原爆は落ちない。残念な事実だが、それもまた現実。現実から目を背ける国はいずれ滅びる。
私はいわゆる被爆者3世とでも言いましょうか、祖母が被爆を経験しました。今も存命で余生を楽しんでいます。もうあと数年もすればこの原爆投下の事実は歴史と化します。逃れられない未来ではありますが、最近の世の中に目を向けると、我々の使命を再認識する必要があるなと感じます。
凄く大変だったのに、凄く幸せな人生で
本当に良かった。顔は焼けたあとのような物が見当たらない。
あと、普通にお母さん80代には見えない。お若い。
本当に痛かったと思います!こんな表現さか出来なくて 申し訳ありません。必死に生きてこられたのですね!
自分は色々あって病んでいますが生かされているんだなぁって強く感じました!
改めて
お医者さんは、
凄いですね
本当に。きれいに
お顔 されてましたものね
会えて、よかったですね
戦後は
本当悲しいですね
ケロイドなく毛穴レスに見えたから、ほんとに火傷されたのかと思うほど
初期治療がよかったんだなぁと
本人も痛みと痒みに耐えたと思うと切ない
@@hermesevol7760 本当ですね
おっしゃる通りだと
思います
お医者さんも
ですが
本人様も
よく頑張られ
たと
思います
やはり昔の、人は
例え幼くとも
物事に耐える
力
生まれながらに
たくましいのかも
知れないですね
でも本当うに
良かったと思います
もう
それぞれに
皆さん
幸せに。
穏やかに
暮らして
ほしいと思います
まだまだ地域により
暑さ有るかとは
思いますが
季節の、変わり目
体調壊さぬよう
お過ごし下さい
私の居る
地域
北海道では。
暑い夏でしたが
今や
朝晩8℃やら
7℃やら
場所により
3℃だとか
寒くなって来ました
😊
又紅葉も
遅れてましたが
ここ数日の、気温の、低さで
一気に紅葉進ん出るようです
又黒岳とゆう
山では
雪降りましたよ
😄
やはりちゃーんと
寒くなり
又長い冬がきます
繰り返しにはなりますが
身体に気を付け下さい
そして
返信ありがとう
御座いました
では
🤗
広島の方は広島焼きって原爆を連想させるから言わないって言いますよね(記者の方が広島"の"お好み焼きと言われてるのを聞いて)永田さん、すごく上品な方だ...
私の同級生のお母さん、広島原爆のニ世で原爆の手帳持っていて見せてもらいました😢
初めて見た時が小5だったけど衝撃でした。たかがじゃないんです。されどニ世です。
小学校の修学旅行は長崎でした。本当は私の住んでいる北九州市に落ちる予定だったと聞いています。
小倉に落とせば八幡・下関にも被害が出るから一網打尽だから。資料館に入って最初の部屋に入った段階で……。
入って少ししたところに腕が痛い大火傷で肉までただれ骨まで見えてる小6の私と同じ歳くらいの少年の写真があって、今でも思い出してしまいます。
戦勝国は「日本という国の軍人を攻撃して勝利した」みたいな教育ですが、捕虜も被爆して居ただろうに。
「罪のない人間。日本国内に住んでいる一般人を、ウランが入った爆弾で大量に虐○した」が正しいんだと私は思います。戦勝記念日ほど嫌いな日は無いです。戦勝国は国を攻撃したのではなく民間人を攻撃したことを学んで欲しいです。
火傷綺麗に治っている写真が見れて良かったです。イケメンですね
今の進歩した医療でも全身やけどって治すのかなり難しいし、治療しても毎日とんでもない痛みに襲われて中でも傷を洗う熱傷浴は麻酔しても全然楽にならないほどの辛さって言われてるのに,この当時だと想像もできないくらいの地獄だっただろうな、、
日本の誇りです! 語って下さり、ありがとうございます。
この映像は、後世に伝えて頂きたく思います。。。
日本の侵略の結末をね。
医師の娘さんは、実父が治療したという少年の写真を見て、その少年がより身近な存在になったことでしょう
そして、その少年が治癒し、家庭を築き、命のバトンが続いて…
ささやかに思えることも丁寧に報道するという意味を実感しました
オススメに流れてきて内容に釣られて動画を開いたらナレーション真綾さんだった…
酷いやけどにもめげず生きた証…凄いですよね😢
これを思うと、たくさんの方の未来を奪われたわけですよね…切ない😓
息子さんは
お母さん似ですね
そっくり
貴重なお話を、お聞きできて..今を平和に当たり前に
生きることが出来る…現代の私達....
戦争...がもたらす結果...
!
犠牲にあった方々ご本人様遺族の方々の、体験がいかに、大切か…
普通に生きていられる...
普通の毎日!それが
1番 有難いことだと....それが、私たちにとっては、
宝...だと...
痛感いたしております...
それ以上の、言葉はみあたりません。
世界のひとりひとりに見て欲しいです。戦争とはどんなに悲惨なのか、核とはどれだけ恐ろしいものなのかを。
生き抜いてくださり感謝。
やっぱり、親子って似ますよね。
息子さんにお父さんの面影があります😢
数奇な運命ですね。当人達はきっと天国でまた再会なさっているかと思われます。
命を守った者と守られた者の年月を超えて家族が対面するのもまた運命です。
お父さまめちゃくちゃお顔かっこいいですね!?こんな綺麗に治るんだ…!!良かった、綺麗なお顔戻って😭私も去年、修学旅行で広島の原爆記念館、見に行きました。とあるひとりの友人が「こんなことあったんだ…」って泣きながら館内を見回っていました。私は歴史を学ぶのが好きなのでこのような写真を沢山見てきましたが、やはり戦争は怖いなと…改めて感じました。当時の方々にとても失礼ですが、経験しなくて良かったなと思いましたし、世の中にある戦争も早く無くなればなと思います。
当時は、結婚はおろか子孫を残すことすら迫害された時代ですからね。
ひた隠しにして、墓まで持っていきましたね。息子には...ぼそっと言うくらい。
独り言として、語り継いでくれるのならそれで良し。位に考えていたんでしょうね...
慮れば...
この息子さんだからこそ、冗談半分で笑い話くらいにしたほうが、薄っすらと記憶に残り...
後に残る子たちのためなのかもしれませんね。
きっと、黄泉で再会してますよ。大きくなったなぁ。とか...
あの頃の子供の姿にだって戻れるだろうし。基調な縁で繋がった方ですからね。
長田医師の長女さんはとても品が
おありですね
素敵だよね。時代を越えて遺族同士が会うことができてさ。これからも、戦争を忘れない人が1人でも増えるように、後世に残していきたい。
この子大人になれたんですね。色々ご苦労されたでしょうけど、、
この様な原子爆弾投下が今後、無い事を願っています
昨日平和記念公園資料館に行きました。なんとも言えない気持ちになりました。正直、、、アメリカ人が少し苦手になりました。
すごいな…
遺族同士がこうやって会えるのは奇跡ですね……
原爆資料館は修学旅行で行ったけど小学生ながらほんとに気が重くて、今でも覚えているくらい衝撃的でした。その日の宿泊も広島でしたが怖くて怖くて眠れなかったのを覚えてます。。
ウクライナに核兵器を送って使わせたら戦争が終わるとかコメントしてる大人もいるので怖いです。
写真が切り取った一瞬の、前にも後ろにも人生があって、人の生活があったことを再確認させられました。少年のお名前がわかって本当に良かったと思います。息子さんも病気を乗り越えられて、本当に良かった。
ありがとうございます。お父さん、息子さん、お母さん、お医者様に娘さん。被爆をされた皆様。原爆という悲劇の中でも、日本の強さ、愛情が素敵です。両親から、祖父の原爆体験のことを聞いて育ちました。この辛さ絶対忘れてはいけない。原爆後、日本が立ち直り、我々が今日こうして生きてこれるのは、皆様の努力。日本人としての誇りです。語り続けていけること。世界平和をお祈りいたします。
だめだ……涙で見れない…
この人の笑顔から
お父さんの人柄が伝わってくる
これからの世代で繰り返さないために自分の子供にもこの事を教えたい
泣けた
お父様が無事生還されて怪我も完治し幸せな結婚生活を送られていた事が分かって安心しました 優しいお父様だった事も知れて私も嬉しい気持ちに成りました 息子さんもお身体を大切になさって下さいませ
お父さん生きててくれて良かった
私の祖父母も私も関東の出身で、広島ではないけど、祖父母が戦時中都内の中野で本屋をしてた。
実子(私から見ると叔父たち)はまだ少年兵にもなれない年齢の頃に終戦、今も存命だけど、当時はまだ丁稚奉公(現代で言う住み込み従業員)があったから商売を覚えるために少年たちの面倒を見てた時期があったと良く聞かされた。
でも、最後は兵隊に取られて誰も帰って来なかった
と、よく祖母に聞かされた影響で歴史に興味を持って、今も事ある毎に学んで8/15には靖国に行ってる。
名前も写真も、出身地も分からないから難しいかも知れないけど、もし、父が聞いて知っているなら、そしてご家族が存命なら会ってみたいと思う内容だった。
会うことが出来たら
あなたのお陰で、歴史を学べと祖母が生きざまを見せることで私に伝えた、ありがとう
と伝えたい。
今はこの展示の表記は少年からお父様の名前に変わってたりしてるのかな
こんなに時が経った後にこのような再会ができるなんて本当にすごい
肌がむしろ私よりもきれいになってて(アトピーで若い頃から肌が汚い私…)人間の再生力にもびっくり。
その時の医師が優秀だったんだね。
被爆2世、3世でまだ苦しまれている方を思うと、戦争は終わっていない、と思う
マウス実験の様に人間を、日本で暮らす一般市民を扱った当時のアメリカ戦勝国を非難する国は一つも無く、核保有国が戦争に勝ちさえすればどんな非人道行為も結局は非難されず許されてしまうんだという前列を生み出しただけに過ぎないですね…😢
It is worse to pick a fight knowing that you will lose.
@@yoosung4729
Exactly yes. But As the top secret Manhattan Project shows, US had big reasons for wanting definitely to use nuclear bombs.
本当に語り継ぐ事は大事だし実際に本当に聞きたいと思ってますよいつか!長崎にも有りますから!。可哀想で悲しくて降伏とはいえ図りきれない思いだと思います。
母方の祖父は明治、祖母は大正生まれ、母は昭和27年生まれで上に4人兄姉がいます。
約20年前、孤独死された血縁者がいますと連絡が来て母も母の兄姉も存在を知らなかった兄と対面したことがありました。
母の1番目の姉は顔も性格も体型も全く似ておらず、あの頃の事だから…おじいちゃんも戦争行ってたしねぇと私が幼い頃に話してたのを今も覚えてます。
私(40)は、まだそんなに戦争は遠いものではない思いでいます。
一般人、特に女性や子供に対するアメリカ人の残虐行為をどうして日本人が忘れられるのか分かりませんでした。
そうですね、無差別攻撃です。日本人は忘れてはいませんよ!しかし憎み続けてもいないと思います。少なからず私は。悪いのは悲惨な事しか産まない戦争です。憎むべきは人や国ではなく戦争だと思っています。
火傷の痛みや、治療などは大変だったでしょうけど
何より網膜をやられてなくて、良かった
でも、やっぱり息子さんにも影響が出るんですね・・・
核兵器なんて、こんなに不必要な代物が、まだこの地上にある・・
本当に悔しいです・・・
火傷がきれいに治ってはる。全くわからない
優しいお父様だったんですね😊お父様が今は見守ってますね
涙が出てきました。
結婚式の写真の人が原爆で顔に酷い火傷を負った人だとは思えないんですけど....
手もきれいですよね
これ本当なんですか
治る度合いは本当に人それぞれです
7:33辺りの写真は左目周りが若干ひきつれているようにも見えますし、全体的に写真の画質が低い上左手甲に関してはかなり昔の家庭用カメラで撮影されたもの(1番しっかり映ってる写真は白黒かつ画角的に光で凹凸や色の濃淡が飛んでいる)なので、写真で傷跡の有無を判断するのは難しいかと……よく見ると当時の写真の腕と手はガーゼを貼ってて濃い色は薬の可能性もあるので、どれほどの火傷だったのかもわかりませんし。
火傷した時の年齢が若ければ若いほど治癒力も高いですし、深度自体は浅い範囲が多くて比較的綺麗に治った可能性もあります。年齢を重ねるとシワやシミで更に目立ちにくくなります。
耳の形での照合は素人でもある程度判別出来る程特徴があってプロによる写真鑑定はかなり高い精度ですし、それが合ってたなら同一人物の可能性は高いかと。
重度の火傷の方は輪郭自体がボコボコになりますが、この少年は輪郭がぴしっとしています。比較的浅い表面の火傷が多かったのでしょうね。若いぶん、皮膚の再生力も強いですし。ちなみに私は長崎の被爆2世です。父は直後の市内に入って放射能を浴びただけですが、向こうから火傷で垂れ下がった皮膚をぶら下げた大勢の人が、よろよろと歩いて来ていたと言ってました。
確かによく見ると手は包帯を巻いてるみたいなので薬の色かもしれません。
顔もただれたりはしていないので重度の火傷ではなかったのかもしれませんね
記事の方には
原爆の爆風で吹き飛ばされ
倒壊した建物の下敷きになった‥
と あったので
範囲が 広いとは言え
比較的 表層の火傷で
すんだのではないでしょうか?
有名な写真ですね。その後幸せな人生を歩まれていて、救われました。
ナレーター見てビックリ!
坂本真綾さんじゃん!
声聞けて嬉しい!
珠代さん!
被曝した方に差別とかするのは違うでしょう。
好きでなったわけじゃないのに。正々堂々とするべきだと思いますよ。
悲しい歴史を二度と起こしてほしくないし。
未だ戦争していて嫌ですね。
戦争ではなくジェノサイド
9:00人物を特定するには手、指、ツメ、耳、ほくろは今はホワイトにできるので参考程度位置も微妙に変化して見える、笑った時の歯形でわかります。この写真から耳が一緒なので本人でしょう。
陽子さんのコメントも良いなぁ…
戦争は絶対してはいけない。
真珠湾攻撃の日本も、本土空襲のアメリカも、その後の地上戦もどれを取っても、尊い命が奪われた。
個人的意見ですが…。
アメリカは原爆投下が終戦を早めた、と言うけれど、それはその時の大統領が 国内から上がった アレはやり過ぎ、酷いんじゃないか… という意見を抑え込むためだった。知ってるよ、そんな事。
でもね、原爆が何をもたらしたか、どんな事になるのか、それも理解した上で 終戦を早めた!と言って欲しい。後ろめたい気持ちがあるから、原爆の写真展をアメリカでするのを拒否してる。終戦を早めたならそれでいい、でも功績だけを伝えて惨禍から目を逸らしていては、片手落ち
同じこと、思っていました。戦争は悲しみと代償を生むものなんだと世界中の人に知ってほしいです。
追記*コメントから2ヶ月の間に新たに知った事… アメリカの言う ’’原爆投下が終戦を早めた’’は違いました。
日本は当時、戦争反対派がおり、彼らは外交筋を通してソビエト(今のロシア)に仲介役を頼もうとしている中、ソビエトは参戦。これに慌てた日本は終戦へと一気に舵を切ったのです。ソビエト参戦が終戦を早めた☝原爆投下ではないのです。トルーマン大統領にやられましたね
本人が自分だと言っているのに本人を証明するものが必要って。。なんか失礼な気がしました。こんな辛い体験をなさっていることを偽る人などいるのだろうか?
これが自分だとか、家族だって名乗り出る方が多いからじゃないですかね?
歴史を記録するのには正しい情報を元に記録しないといけないので💦
失礼だとは思うけど、世の中には人の皮を被った輩もいるんだよね。
そうせざるを得ない事情があるんじゃないかな。
こんなこともあるんだなあ。
母親の遺伝子強...
日本イヤ世界の人達が行くべき広島‼️
体質的にある程度綺麗に重度の火傷が治る方もいるのだろうか?
広島平和記念資料館は小学6年の修学旅行の時に行きましたが、同じ班の子が「怖ーぃーきもい。早く行こ!」て言われてあんまり感じる事が出来ませんでした。もう少しどんな感じだったのか知りたかったです。またじっくり考えて見たいです。
この方が享年70とは… 当時の様子考えれば天寿といってもさしつかえなさそう(T_T)
9:48 DELL S2722QC かな?
二度と戦争を起こさないでください!
みなさん、反省はしていますか?
正しい歴史を知ることが大事です!
オッペンハイマー…