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蔦文也監督と馬淵史郎監督本当にレジェンド😭
興南の我喜屋監督が春夏連覇の代の時に言ってた記憶があります。「落ちているゴミを拾いなさい。少しのゴミも気付ける人間になりなさい。野球は気付きのスポーツ。日頃から落ちているゴミにも気づけない人間は野球でも勝てない。」と言う言葉が印象的でした。
我喜屋さん! 素晴らしい人ですよね‼️ この言葉も好きです。↓ 「夏、負けたチームが、まるで人生が終わったかの様に ずっと泣きじゃくる。 僕はその光景が もっとも嫌いだ! 君達は高校野球で掛け替えのないものを培ってきた! 恥じることなんて 何一つ無い! 泣き止んだら 笑顔で前を向け!胸を張れ! 君達の人生はまだ始まったばかりだ‼️」
高校生の時ですが、徳島県池田高校から蔦監督が講演に来られたことがあります。青年期を失う者は人生を失う。最初にお話しされる言葉だと言います。後で振り返ると非常に深い言葉。人生の指針と思います。
名監督の言葉はどれも重いですね。一つ言える事は高校球児だけではなく我々にも通じるものがありますね!
蔦監督の「わしから野球と酒を取ったら何も残らん」て言葉も好き蔦監督が日本代表監督した時にアメリカ相手に1勝1敗だったけど酒では蔦監督は一升、アメリカが一杯しか飲めなかったってコメントがオシャレ
時代を感じるね😁
蔦監督は豪快な感じに見えるが実際は気弱な人で酒で誤魔化してた話は好き
山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ
👍👍👍
by蔦文也
俺の中ではこれが一番名言石碑にもあるくらいだし
この思いが、池田と徳島商の甲子園での痕跡の違いに繋がっていると思っている。
木内さん帰ってきて〜😭
年齢的なものもあるのか高嶋監督は木内監督を、木内監督は蔦監督を敬っていた👍3人とも自分や学校の名声よりも子供の成長を一番に考えてた気がします😘馬渕監督は勝利至上主義の感がありますが、一点差で負けるのは監督の責任だと潔くて好きです👍でも今は西谷監督ですね✌選手を集めたから簡単に全国制覇や連覇出来るものでは無いはずです!監督の力が一番重要😭
素晴らしい名言自分の甘さに腹が立つもっと強くなりたい
私もです。
言葉の端々から、各々の監督の個性もよく判りますね。
みんな違っていいよね😃
蔦さんかっこいい〜😭
生前、浜商が甲子園行った年に、相手校である蔦監督を観たいと、甲子園に行った伯父のことを思い出しました。ひと、として惚れてたんだな…
@@miwa.m3371 私はリアルタイムで池田高校の活躍を見た世代ではありませんがみてみたかったな〜
@@たーご-r4b 全盛期の池田高校ではなかったのですが88年の夏の選手権代表校。それほど野球に詳しくなくても、蔦監督と言う名前は知ってる…そのくらいの有名校ではありました。(対戦では、わが県代表の浜松商業はたしかベスト16?2回勝ち、池田・拓大紅陵を下し、沖縄水産に惜敗。)そうですね…私も観てみたかったです。名言を聞いて、豪快なキャラクターと、野球にまっすぐな感じが、かいま見えますものね。
@@miwa.m3371 へぇーありがとうございます当時のことを詳しく知れて嬉しいです😊
蔦監督、教え子の水野に「ワイのライバルは蔦文也、負けたぁないでぇあの人には」と言われてた
木内監督の、俺は教育者じゃねえから頑張ったらなんとかなるなんて言えねえんだ努力してもダメな子はダメと言ってあげるのが親切、そしてマネージャーとか他のことで頑張らせるってのが好き
素晴らしい🥹
木内さんの母校は名門進学校、茨木県立土浦一高で慶應進学も視野に入る位成績優秀だったと聞いてますが、高校時代は自分のミスで敗れた為、義理みたいなものから進学せず母校のコーチを務めその後縁が有って取手二高の監督になったと聞いています。しかし公立の場合だと職業監督は認められなく、教員以外だとボランティアの形で監督をやるのが通例。言明は無いが、教員ではなく、職を持たずに公立高校の監督を続けるのは奥様に大変な負担をかけるとの思いから常総学院に移ったと思います。しかし、有望選手が揃っていたとは言え、公立高校のムードを醸し出し、選手をマジックで上手く乗せPLを破った取手二高のユニフォーム姿を見ていたら、取り敢えずは大学に進学して教員免許を取得し、定年退職までは公立高校の監督に拘って監督を続けて貰いたかったです。池田や取手二高に続く公立高校の伝説がまだまだ生まれていたと思いますね。
木内監督はマジックなどと言われてますが、実はデーターを駆使したID野球なんですよね!
@@hal2208 そうですね。木内さんの采配はマジックなどではなく殆どはデーターに基づくものです。しかし、PLとの決勝戦については「練習試合でボコボコにされたPLと甲子園の決勝で戦えて良かったな」とベンチにワクワク感を作り出し、それを見ていたPL側は、取手二高のただのワクワクに対し「我々は決勝戦に向けて緊張している(連覇のプレッシャーも背負い込む)のになんだあの態度は」と自ら余計なプレッシャー創り出し、初回のセンターの後逸により余計な点を与え、この余計な点が結果として取手二高に主導権を与えてしまいました。2005年の駒大苫小牧みたく「連覇なんてそんな簡単なものじゃないし、初心に返り挑戦者として戦おう」な気持ちが有れば、取手二高の「単純なワクワク」を捉えられたかもしれませんが、このワクワクムードは幾らかでもPL側の撹乱を生み出したと見えるのは「木内マジック」と思います。
@@山田市之助-q8l 周囲の勧めで日体大に入学もすぐ辞めたと聞いたことがあります。
花よりも花を咲かせる土になれ。星稜山下監督の言葉が心にしみます。レギュラー選手よりベンチに入れない選手の方が素晴らしい存在なんだと思います。
どっちが素晴らしいとかじゃないんです。どちらも同じだけ素晴らしいんですよ。
野球ではありませんが、亡くなられた志村けんさんの「準備に全力を注げないヤツは成功しない」の格言が心に残ります。
高校と監督名は忘れましたが、「野球は強い者が勝つのではなく、弱い者が負ける」の格言が好きです。
強いものが勝つのではなく、勝ったほうが強いんだってのもありますね
野球部ではなかったのですが、先輩に「うまくならなければ、本当の意味で楽しむ事はできないよ」と言われて、真剣に練習をするようになりましたね…(^_^;)
最近はなんでも楽しくとか言うけどこれが真理だね!😊
昭和63年に旋風を巻き起こした浦和市立中村三四監督の、野球はお祭り、のびのびと楽しもう。も名言だと思います。
明野(三重県)の富士井監督の「あの子たちに甲子園で負けさせたくないんですよね」という言葉には涙でした。三重大会決勝後のインタビューで甲子園への抱負を聞かれた時に語った言葉ですけど、甲子園で優勝なんて、大それたことを言っているのではなく、選手たちを思う富士井監督の真情の言葉でしょうね。弱いと言われていた三重県のレベルを上げたのは富士井監督のおかげだったと今でも思います。
素敵なエピソード🥲
富士井監督は元々野球の専門家ではなかったですが、三重の明野を強豪に育てました。残念な亡くなり方が悔やまれます。
泣けてくる
末代までの恥が一番すきやわ
茨城県南部の出身者として、大昔の土浦一高出身て時点ですでに木内さんの只者じゃ無さはハンパ無く解る
監督として成功しているから、その言葉もすんなり入ってきますね。
巨人軍原辰徳監督の父故貢監督。「道具を大切にしろ、レギュラーになれない人にも気を遣え」。また、水飲むなの時代に、「ヤカンの水コップ一杯飲んだら塩をひとつまみ舐めろ」も、さすが。
自分は1980年度に高校入学の世代ですが、ポカリスエットの発売は1980年4月頃。ギリギリ練習中に水も飲める様になりました。しかし、カプカプ飲める雰囲気ではなく、一回に飲めるのはコップ1〜2杯位でした。自分は外野手で自校グランドはレフトファールグランドに水飲み場があり、バッティング練習が終わり守備練習へ切り替わる「間」を利用してよく水飲んでましたね。
@@山田市之助-q8l さん、私も同じ世代の県立普通科のしがねぇ選手でした。ゲータレードという粉末飲料があってプラスチックのボトルに水で薄めて作っていましたね。おいしくなかったです。
@@しげモン ゲータレード飲んでましたね。ポカリに飽きた時に生き抜き的に飲んでました(笑)。ただ、中学まで練習中に飲めない水が、高校からギリ飲める様になった事にバラダイス気分を感じ、雑誌等で見たボカリとかスポーツ飲料の効用は頭に有っても水を飲む事が多かったです。練習中に飲む水は本当美味かった。
木内さんの言葉を聞いたらアニメ空手バカ一代のED空手道おとこ道の歌詞「敵に勝つより己に勝て」を連想した☺️
忘れる事なかれ‼️四国、高知県に50年以上指導者として甲子園で表彰者がいる事を、もう一人は名門和歌山県、もう一人は高知県北岡隆弘監督、そのものです‼️
鍛治舎巧監督が枚方ボーイズ監督時代に、スランプで悩んでいる四番打者へのアドバイス。鍛治舎巧「おいっ!!なにを悩む必要がある?お前は四番バッターだ。四番バッターとしてのチームバッティングに徹すれば良いんだ。四番バッターのチームバッティングって何かわかるか?」四番バッター「なんですか?」鍛治舎巧「ホームランを打つことだ」
どの言葉を聞いても、生徒に対する思いは同じですね。高校野球の良さは野球の有名高校に行けたから生まれんたんじゃない。野球で忍耐力や精神力を磨き、考える心や行動する心など、あらゆる分野で将来自分が、人として生きてゆく、羅針盤を築き上げる、道しるべなんだと感じました。
1番ビックリした試合は、PL学園と取手二校の決勝戦。王者PL学園の大エース桑田投手の高いボール球を大根切りみたいなスイングで決勝ホームランを打った時。桑田投手の凄いのは試合終わってしばらくして個人的に取手二校に訪問しているところ。負けた相手の高校を訪問するのはなかなか出来ないこと。
高校野球ではないですが「今の暴投は井納選手の野球生命の終わりに近づく1球ですよ。」本当に心に響きます。
他の高校の名将もあると思うので第2段お願いしますよ!
もし球児になれるのなら木内監督か星稜の監督で教わりたいそして胴上げをしたい
青春ってすごく密なので
最後に大井道夫さんがでてきて、嬉しかった
苦しいときの糧になればいいけどプライドだけの人にはなってほしくないな
40年前の高校球児だった頃を思い出しました。共有させて頂いてよろしいでしょうか?
みんなの好きな名言も教えてね😃
川之江、今治西、小松と県立3校を甲子園に導いた宇佐美監督の話も聞きたいですね。(*^。^*)
「お前らのぅ、ちゃんと練習せーよー」
2023年夏、阪口監督が揺れながらベンチにいる動画がテレビで放映されていました。
すんません訂正します💧まぁ結論は💧名前はだせないんで💧道を間違えた時に、いろんなあったやろうけど💧あの時の甲子園に出れた感動を忘れたんかなぁってことです💧すいません
これくらいは野球の練習と比べたら何でもないは絶対に言わない方が良いと思う。特に上司の目の前で言うと反感を買います。とにかく他のものも甘くないしそれが世間の常識であり世間を知ると言うことと思いますね。
蔦文也「畠山、今年はなんとしても甲子園に行かにゃならん!!」畠山準「わかってます。僕にとっても最後の夏ですから」蔦文也「ワシはそういうことを言っとるんやない!!」畠山準「え?」蔦文也「金が無いんや」畠山準「はぁ?」蔦文也「3年前甲子園に出たときに寄付金がようけ集まったんやがそれも底を尽いてきた。でもな今年甲子園に出たらまた寄付金が集まるからワシらは生き返る。だから今年は絶対甲子園に出にゃならんのや。わかったか!!」畠山準「わかりました。(高校生になんちゅう話しとんのやこのオッサン、マジでついて行けんわ・・・・)」
俺なら広陵…
村中監督がいない。
島岡御大もめちゃくちゃなことをやっている印象しかないが、補欠や裏方から先に就職先の世話をしたそう。やはりそういう監督はOBから慕われる
帝京 前田監督のコメントをあの恰好付けのプロ野球監督に聞かせてあげたい
天理高校 橋本監督ぼちぼちいこか
年食っちまったかな、最近涙もろくてあかんわ
21世紀枠に負けるとは末代までの恥
全国から有望な選手を集めて甲子園常連校の監督さんの言葉には、あまり感動はしませんね。
選手を集めただけでは甲子園常連にはなれませんけどね
私はそんなことはないですね。すごいと思いますけどね。
有望な選手を集めた学校の方がより大変だと思う。勝って当たり前とか思われるし、言い訳できない。
西○の事か?
選手を集めて、ってそんな簡単に選手は集まらんぞ。今でこそ有名でも、知名度ない頃から全国飛び回ってスカウトしてたりする。最初は当然来てくれない。集めたとて、その選手が高校で全く伸びないなんてことも当たり前。そうやって監督生活していく中で生まれた格言だったりもする。確かにそれが分からない人には響かないかもね。
昭和脳ばっかじゃん
沖縄水産の栽監督や上甲監督もあるとおもいきや無かった😂
これが本当の指導者‼️
蔦文也監督と馬淵史郎監督本当にレジェンド😭
興南の我喜屋監督が春夏連覇の代の時に言ってた記憶があります。
「落ちているゴミを拾いなさい。少しのゴミも気付ける人間になりなさい。野球は気付きのスポーツ。日頃から落ちているゴミにも気づけない人間は野球でも勝てない。」
と言う言葉が印象的でした。
我喜屋さん! 素晴らしい人ですよね‼️ この言葉も好きです。↓
「夏、負けたチームが、まるで人生が終わったかの様に ずっと泣きじゃくる。 僕はその光景が もっとも嫌いだ!
君達は高校野球で掛け替えのないものを培ってきた! 恥じることなんて 何一つ無い!
泣き止んだら 笑顔で前を向け!胸を張れ! 君達の人生はまだ始まったばかりだ‼️」
高校生の時ですが、徳島県池田高校から蔦監督が講演に来られたことがあります。青年期を失う者は人生を失う。最初にお話しされる言葉だと言います。後で振り返ると非常に深い言葉。人生の指針と思います。
名監督の言葉はどれも重いですね。一つ言える事は高校球児だけではなく我々にも通じるものがありますね!
蔦監督の「わしから野球と酒を取ったら何も残らん」て言葉も好き
蔦監督が日本代表監督した時にアメリカ相手に1勝1敗だったけど酒では蔦監督は一升、アメリカが一杯しか飲めなかったってコメントがオシャレ
時代を感じるね😁
蔦監督は豪快な感じに見えるが
実際は気弱な人で酒で誤魔化してた話は好き
山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ
👍👍👍
by蔦文也
俺の中ではこれが一番名言
石碑にもあるくらいだし
この思いが、池田と徳島商の甲子園での痕跡の違いに繋がっていると思っている。
木内さん帰ってきて〜😭
年齢的なものもあるのか高嶋監督は木内監督を、木内監督は蔦監督を敬っていた👍3人とも自分や学校の名声よりも子供の成長を一番に考えてた気がします😘馬渕監督は勝利至上主義の感がありますが、一点差で負けるのは監督の責任だと潔くて好きです👍でも今は西谷監督ですね✌選手を集めたから簡単に全国制覇や連覇出来るものでは無いはずです!監督の力が一番重要😭
素晴らしい名言
自分の甘さに腹が立つ
もっと強くなりたい
私もです。
言葉の端々から、各々の監督の個性もよく判りますね。
みんな違っていいよね😃
蔦さんかっこいい〜😭
生前、浜商が甲子園行った年に、相手校である蔦監督を観たいと、甲子園に行った伯父のことを思い出しました。ひと、として惚れてたんだな…
@@miwa.m3371
私はリアルタイムで池田高校の活躍を見た世代ではありませんが
みてみたかったな〜
@@たーご-r4b
全盛期の池田高校ではなかったのですが88年の夏の選手権代表校。それほど野球に詳しくなくても、蔦監督と言う名前は知ってる…そのくらいの有名校ではありました。(対戦では、わが県代表の浜松商業はたしかベスト16?2回勝ち、池田・拓大紅陵を下し、沖縄水産に惜敗。)
そうですね…私も観てみたかったです。名言を聞いて、豪快なキャラクターと、野球にまっすぐな感じが、かいま見えますものね。
@@miwa.m3371
へぇー
ありがとうございます
当時のことを詳しく知れて嬉しいです😊
蔦監督、教え子の水野に「ワイのライバルは蔦文也、負けたぁないでぇあの人には」と言われてた
木内監督の、俺は教育者じゃねえから頑張ったらなんとかなるなんて言えねえんだ
努力してもダメな子はダメと言ってあげるのが親切、そしてマネージャーとか他のことで頑張らせる
ってのが好き
素晴らしい🥹
木内さんの母校は名門進学校、茨木県立土浦一高で慶應進学も視野に入る位成績優秀だったと聞いてますが、高校時代は自分のミスで敗れた為、義理みたいなものから進学せず母校のコーチを務めその後縁が有って取手二高の監督になったと聞いています。しかし公立の場合だと職業監督は認められなく、教員以外だとボランティアの形で監督をやるのが通例。言明は無いが、教員ではなく、職を持たずに公立高校の監督を続けるのは奥様に大変な負担をかけるとの思いから常総学院に移ったと思います。しかし、有望選手が揃っていたとは言え、公立高校のムードを醸し出し、選手をマジックで上手く乗せPLを破った取手二高のユニフォーム姿を見ていたら、取り敢えずは大学に進学して教員免許を取得し、定年退職までは公立高校の監督に拘って監督を続けて貰いたかったです。池田や取手二高に続く公立高校の伝説がまだまだ生まれていたと思いますね。
木内監督はマジックなどと言われてますが、実はデーターを駆使したID野球なんですよね!
@@hal2208 そうですね。木内さんの采配はマジックなどではなく殆どはデーターに基づくものです。しかし、PLとの決勝戦については「練習試合でボコボコにされたPLと甲子園の決勝で戦えて良かったな」とベンチにワクワク感を作り出し、それを見ていたPL側は、取手二高のただのワクワクに対し「我々は決勝戦に向けて緊張している(連覇のプレッシャーも背負い込む)のになんだあの態度は」と自ら余計なプレッシャー創り出し、初回のセンターの後逸により余計な点を与え、この余計な点が結果として取手二高に主導権を与えてしまいました。2005年の駒大苫小牧みたく「連覇なんてそんな簡単なものじゃないし、初心に返り挑戦者として戦おう」な気持ちが有れば、取手二高の「単純なワクワク」を捉えられたかもしれませんが、このワクワクムードは幾らかでもPL側の撹乱を生み出したと見えるのは「木内マジック」と思います。
@@山田市之助-q8l 周囲の勧めで日体大に入学もすぐ辞めたと聞いたことがあります。
花よりも花を咲かせる土になれ。星稜山下監督の言葉が心にしみます。レギュラー選手よりベンチに入れない選手の方が素晴らしい存在なんだと思います。
どっちが素晴らしいとかじゃないんです。どちらも同じだけ素晴らしいんですよ。
野球ではありませんが、亡くなられた志村けんさんの「準備に全力を注げないヤツは成功しない」の格言が心に残ります。
高校と監督名は忘れましたが、「野球は強い者が勝つのではなく、弱い者が負ける」の格言が好きです。
強いものが勝つのではなく、勝ったほうが強いんだ
ってのもありますね
野球部ではなかったのですが、先輩に
「うまくならなければ、本当の意味で楽しむ事はできないよ」
と言われて、真剣に練習をするようになりましたね…(^_^;)
最近はなんでも楽しくとか言うけどこれが真理だね!😊
昭和63年に旋風を巻き起こした浦和市立中村三四監督の、野球はお祭り、のびのびと楽しもう。も名言だと思います。
明野(三重県)の富士井監督の
「あの子たちに甲子園で負けさせたくないんですよね」という言葉には涙でした。
三重大会決勝後のインタビューで
甲子園への抱負を聞かれた時に語った言葉ですけど、甲子園で優勝なんて、大それたことを言っているのではなく、選手たちを思う富士井監督の真情の言葉でしょうね。
弱いと言われていた三重県のレベルを上げたのは富士井監督のおかげだったと今でも思います。
素敵なエピソード🥲
富士井監督は元々野球の専門家ではなかったですが、三重の明野を強豪に育てました。残念な亡くなり方が悔やまれます。
泣けてくる
末代までの恥が一番すきやわ
茨城県南部の出身者として、大昔の土浦一高出身て時点ですでに木内さんの只者じゃ無さはハンパ無く解る
監督として成功しているから、その言葉もすんなり入ってきますね。
巨人軍原辰徳監督の父故貢監督。「道具を大切にしろ、レギュラーになれない人にも気を遣え」。また、水飲むなの時代に、「ヤカンの水コップ一杯飲んだら塩をひとつまみ舐めろ」も、さすが。
自分は1980年度に高校入学の世代ですが、ポカリスエットの発売は1980年4月頃。ギリギリ練習中に水も飲める様になりました。しかし、カプカプ飲める雰囲気ではなく、一回に飲めるのはコップ1〜2杯位でした。自分は外野手で自校グランドはレフトファールグランドに水飲み場があり、バッティング練習が終わり守備練習へ切り替わる「間」を利用してよく水飲んでましたね。
@@山田市之助-q8l さん、私も同じ世代の県立普通科のしがねぇ選手でした。ゲータレードという粉末飲料があってプラスチックのボトルに水で薄めて作っていましたね。おいしくなかったです。
@@しげモン ゲータレード飲んでましたね。ポカリに飽きた時に生き抜き的に飲んでました(笑)。ただ、中学まで練習中に飲めない水が、高校からギリ飲める様になった事にバラダイス気分を感じ、雑誌等で見たボカリとかスポーツ飲料の効用は頭に有っても水を飲む事が多かったです。練習中に飲む水は本当美味かった。
木内さんの言葉を聞いたらアニメ空手バカ一代のED空手道おとこ道の歌詞「敵に勝つより己に勝て」を連想した☺️
忘れる事なかれ‼️
四国、高知県に50年以上
指導者として甲子園で表彰者がいる事を、もう一人は名門和歌山県、もう一人は高知県
北岡隆弘監督、そのものです‼️
鍛治舎巧監督が枚方ボーイズ監督時代に、スランプで悩んでいる四番打者へのアドバイス。
鍛治舎巧「おいっ!!なにを悩む必要がある?お前は四番バッターだ。四番バッターとしてのチームバッティングに徹すれば良いんだ。四番バッターのチームバッティングって何かわかるか?」
四番バッター「なんですか?」
鍛治舎巧「ホームランを打つことだ」
どの言葉を聞いても、
生徒に対する思いは同じですね。
高校野球の良さは野球の有名高校に
行けたから生まれんたんじゃない。
野球で忍耐力や精神力を磨き、
考える心や行動する心など、
あらゆる分野で将来自分が、
人として生きてゆく、
羅針盤を築き上げる、
道しるべなんだと感じました。
1番ビックリした試合は、PL学園と取手二校の決勝戦。
王者PL学園の大エース桑田投手の高いボール球を大根切りみたいなスイングで決勝ホームランを打った時。
桑田投手の凄いのは試合終わってしばらくして個人的に取手二校に訪問しているところ。負けた相手の高校を訪問するのはなかなか出来ないこと。
高校野球ではないですが「今の暴投は井納選手の野球生命の終わりに近づく1球ですよ。」本当に心に響きます。
他の高校の名将もあると思うので第2段お願いしますよ!
もし球児になれるのなら
木内監督か星稜の監督で教わりたい
そして胴上げをしたい
青春ってすごく密なので
最後に大井道夫さんがでてきて、嬉しかった
苦しいときの糧になればいいけど
プライドだけの人にはなってほしくないな
40年前の高校球児だった頃を思い出しました。共有させて頂いてよろしいでしょうか?
みんなの好きな名言も教えてね😃
川之江、今治西、小松と県立3校を甲子園に導いた宇佐美監督の話も聞きたいですね。(*^。^*)
「お前らのぅ、ちゃんと練習せーよー」
2023年夏、阪口監督が揺れながらベンチにいる動画がテレビで放映されていました。
すんません訂正します💧まぁ結論は💧名前はだせないんで💧道を間違えた時に、いろんなあったやろうけど💧あの時の甲子園に出れた感動を忘れたんかなぁってことです💧すいません
これくらいは野球の練習と比べたら何でもないは絶対に言わない方が良いと思う。特に上司の目の前で言うと反感を買います。とにかく他のものも甘くないしそれが世間の常識であり世間を知ると言うことと思いますね。
蔦文也「畠山、今年はなんとしても甲子園に行かにゃならん!!」
畠山準「わかってます。僕にとっても最後の夏ですから」
蔦文也「ワシはそういうことを言っとるんやない!!」
畠山準「え?」
蔦文也「金が無いんや」
畠山準「はぁ?」
蔦文也「3年前甲子園に出たときに寄付金がようけ集まったんやがそれも底を尽いてきた。でもな今年甲子園に出たらまた寄付金が集まるからワシらは生き返る。だから今年は絶対甲子園に出にゃならんのや。わかったか!!」
畠山準「わかりました。(高校生になんちゅう話しとんのやこのオッサン、マジでついて行けんわ・・・・)」
俺なら広陵…
村中監督がいない。
島岡御大もめちゃくちゃなことをやっている印象しかないが、
補欠や裏方から先に就職先の世話をしたそう。
やはりそういう監督はOBから慕われる
帝京 前田監督のコメントをあの恰好付けのプロ野球監督に聞かせてあげたい
天理高校 橋本監督
ぼちぼちいこか
年食っちまったかな、最近涙もろくてあかんわ
21世紀枠に負けるとは末代までの恥
全国から有望な選手を集めて甲子園常連校の監督さんの言葉には、あまり感動はしませんね。
選手を集めただけでは甲子園常連にはなれませんけどね
私はそんなことはないですね。
すごいと思いますけどね。
有望な選手を集めた学校の方がより大変だと思う。勝って当たり前とか思われるし、言い訳できない。
西○の事か?
選手を集めて、って
そんな簡単に選手は集まらんぞ。
今でこそ有名でも、知名度ない頃から全国飛び回ってスカウトしてたりする。最初は当然来てくれない。
集めたとて、その選手が高校で全く伸びないなんてことも当たり前。
そうやって監督生活していく中で生まれた格言だったりもする。
確かにそれが分からない人には響かないかもね。
昭和脳ばっかじゃん
沖縄水産の栽監督や上甲監督もあるとおもいきや無かった😂
これが本当の指導者‼️