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富士櫻関 大好きでした❤️ いなす事はあっても、決して引かない 堂々の完璧な押し相撲スタイル⭐ 人生も決して引かず、押し続けたいですね✨ 素晴らしい昭和の名勝負✨ありがとうございました🧡
式守錦太夫(28代木村庄之助)さんの「油断無く」の掛け声にありますように、制限時間前に立つ事の多かった取組でした。熱戦の割に、対戦成績では麒麟児関が大きく勝ち越し、富士櫻関は額や口と何度か流血しているところを見ますと、5歳若く関脇在位場所数でも上回る麒麟児関に有利な割だったのかもしれませんね。「同じ型の力士には負けたくない」と後に富士櫻関が仰ったように、勇敢に立ち向かったからこそ、名勝負となったのでしょうね。ここにはありませんが、昭和56年初場所の富士櫻関の完勝はよく覚えています。あの場所は横綱若乃花関から金星を挙げ、見事敢闘賞を獲得しました。麒麟児関のハイライトは、やはり昭和50年夏場所の天覧相撲でしょう。後にご本人が「陛下がいらしていた事を忘れていました」と仰るほど、必死さが窺えます。
天皇陛下も望まれた1戦、やはり両者つき押し相撲の真骨頂で見応え充分です。
これは実に良い特集です。私にとって最高のお年玉になりました。
大相撲史上、未来永劫語り継がれる名勝負‼👍
富士櫻対麒麟児というと、漫画のネタになったくらい、壮絶な突っ張り合いが特に印象に残っています。今昔問わず、相撲やエンタテインメントの世界は横綱・大関よりも、幕内の手に汗握る熱戦、脇役の重厚な演技がまた、記憶に残ったりします。
毎場所こんな定型的な突っ張り合いを繰り広げて盛り上がった取組は無いですね。昭和天皇も毎場所楽しみにされていた。今なら大栄翔と阿武咲にこんな相撲取ってもらいたい。
こういう特集はいいことですのでどんどん配信していただきたいと思います。国技大相撲が右肩上がりで発展することをお祈り申し上げます👍
うちの祖父がこの両名の取り組みが好きで、この動画見せてあげたらものすごく喜んでくれました。ありがとうございます。
同じ柏市出身、麒麟児関が子どもの頃から大好きでした。富士桜との取組は幼いながらワクワクドキドキで応援、懐かしい思い出です。この企画に感謝です。
7:09これは時間前の立ち合いですね。相撲の取組途中に入場中の高見山がお客さんの邪魔にならないよう腰を落としてみています。
この両者は時間前に立つ事が多かった印象があります。また、当時の横綱輪島、北の湖も両者との対戦の時は時間前に受けて立つ事もありしきりに緊張感があった。今は時間までは単なる儀式のように所作を繰り返しているだけで当時のような緊張感がない。
久しぶりに昭和の名勝負を見ました。まさに道を極めるとはこの事、押し相撲一筋のお二人でした。日曜日の夕方、父とテレビの前で大声をあげて応援していた記憶が蘇りました。当時はただ興奮して見てましたが、今みるとお二人の真っ直ぐな生きざまに感動を覚えます。
この対戦はワクワクして見てたなぁ。決着の時、いつもどちらかがあるいは両方が派手に飛んでいた。今だったら、すごい本数の懸賞が付いたでしょうね。お客さんが望んでいる勝負を見せてくれた、両者のようなライバル対決を今の土俵でも見たいなぁ。
これこそ己を貫いた真っ向相撲!今の時代もこういう対決がみたいです。
この二人の取り組みの素晴らしい所は決して引く場面がほとんどないこと。今の力士は引きに行くことが多い上、簡単に前に落ちる。それだけ稽古を沢山している証拠。昭和天皇がお気に入りの取り組みとして挙げられたのも頷けます。昭和50年夏場所の天覧相撲の二人の取組は歴史に残る一番ですね。
決定的に違うのはこの頃の力士は足がしっかり土俵に着いているから少々いなしても崩れない。阿炎なんて爪先立ちだから威力も無く叩かれたらすぐ落ちる。
8:55麒麟児は時折廻しに手をかけるのがちょっと寂しい。改めて、伊佐三郎さんのかけ声はベストマッチだね👍。
麒麟児関は自分の小学生時代の地元のヒーローでした。特に富士櫻関との取組は毎回テレビの前で声の限りに応援してたのを思い出します。新年最初に素晴らしいアーカイブありがとうございます👍
昭和を代表する取組!張り手の突っ張りが凄い😃
ライブでこのお二人の対戦を見ていた事に感謝。 そして、時を経てまたこういった形で見る事が出来た事にも感謝。
この両力士はとにかく一瞬で勝負が付く取り組みが少なく、わたしの大好きな十代目式守与太夫さんの掛け声が長く聞けるので、その辺も嬉しい。
正に昭和時代の名勝負ですね🎵新年からの配信、有り難うございます。
富士櫻と麒麟児!突っ張り合いの真剣勝負なのに、観てると笑いに昇華してしまうw
昭和天皇の目前で昭和屈指の名勝負と言われた死闘を繰り広げたこの二人はやはり何かを持っていたのでしょうね。素晴らしい気迫でした。
こういう取組なら懸賞金出したくなる
51年1月場所のは花道で高見山が座り込んでますね、普通控えの力士は2番前の仕切り中に控えに入るのですが、この取組は度々制限時間前に、何なら仕切り1回目で立つ事さえあったので高見山が間に合わなかったのですね。富士櫻は高見山にとっては高砂部屋の兄弟子、富士櫻の胸を借りて強くなったのですから高見山も手に汗握ってこの一番を見つめていた事でしょう。麒麟児から見て5歳年長の富士櫻ですが、この取組に限って言えば先にスタミナ切れを起こすのは大体麒麟児の方で最近の力士は稽古が足りないと愚痴る親方勢が唯一『もういい加減にやめろ』と稽古をやめさせるほどの稽古熱心な富士櫻の方が終始動き続ける展開が多かったです。最終的に突き落としやはたき込み、上手投げなどの意外な決まり手で麒麟児が勝つ事が多かったのは富士櫻にはスタミナで敵わないから…最後の最後に奥の手で勝っていた、などと勝手な想像をしたりしています。
素晴らしいの、一言です🎉 ありがとうございました😊
突貫小僧、富士桜関。突き押しや突っ張りが持ち味の力士で、特に似たタイプの麒麟児との一戦は張り手の応酬になる事がしばしば。二人の対戦は、盛り上がるゴールデンカードでしたね。
子供の頃から高見山の大ファンでした。しかし取り組となればこの富士桜と麒麟児の一戦が毎場所1番の楽しみでしたね。この1番がある日は学校終わっても友達の誘いも断り家のブラウン管テレビに一直線でしたよ😊✋嬉しい貴重な動画をありがとうございました😌👍️
両者よほど稽古をしてないとこれほどの手数は出ないはず。今の単調な相撲しか取れない力士は大いに見倣って欲しい。
相撲版の名勝負数え歌
若い麒麟児の方が総じて優勢だった。富士桜は長く幕内力士として活躍したが、麒麟児はもっと長く活躍し、現役晩年の頃には10歳下の横綱大乃国から金星を取るなど活躍した。だが若い方の麒麟児が先に亡くなってしまった。富士桜はまさか自分より先に、信じられないというコメントをした。
いやあ好敵手名勝負!富士桜大好きでした。サンクチュアリから繋がっていて感動して泣いてしまった。富士桜中村部屋ありがとございました😂
I didn't see one belt grab the entire video. Pushing and thrusting only! Which is good too! Thank you for sharing!
2人の番付からすると、式守与太夫さんより伊三郎さんの裁きの方が多かったんですかね。
6:50昭和51年1月場所のこの一番は、恐らく2回目の仕切りで立っていますが、2人の仕切りが速いせいかとても珍しい光景になっています。呼出がまだ蛇の目を掃き整えている途中であることと、東の控えに入る高見山が花道から入ってきたばかりで、取組が始まってしまったのでやむを得ず花道にしゃがみ込んで観客の邪魔をしないようにしていること。(しゃがむ際、さがりを手繰っている様にみえるので取組後ではないと思います)
中学生の時に相撲を始めました。強豪の大きな二人がいつも突っ張り合って五分と五分の相撲を取るのを見てこの二人見たいだな・・って思っていました。その時はその二人がプロに見えていました。
待ってました!この特集!最高です🎉🎉🎉
ほとんど時間前に立ってますね。又こういう力士が現れないでしょうか?
当時の昭和天皇も唸らせた名取組
相撲が相撲らしいですよね😊今はスポーツになっているような…😢板井も好きでした😁
富士櫻 麒麟児戦と言えば子供の頃によく言ったのが「これは相撲じゃなくてボクシングだわなw」その位、突っ張り合いが凄かった。
1:03 麒麟児は、富士桜が手をついたのを確認してから安心して?自分も吹っ飛んでるw
この二人が相撲を取ると、いい相撲にしかならないんでしょうね。
伝説の天覧相撲の一番✨
明けましておめでとうございます今年も大相撲楽しみにしています!
これだよ。これが相撲だよ。なんで泣けてくるんだろう。
突貫小僧、富士櫻。
昭和を代表する名勝負!
51年の初場所の取組、高見山関が水つけ後に帰らずに残って取組を見てますね(笑)何とも珍しいシーンです。
時間前に2人が立ち上がっちゃったから戻るに戻れないですねただ後ろで見てるファンの事を考えてすぐに座り込んだのはさすがジェシー
今の力士では大栄翔が似ている。
伊三郎さんの掛け声が素晴らしい
よくこれで顔面血まみれにならないなと思って見ていたけど、よく見たら押してる個所は喉や胸板なんですね。
More Please.
気合い入ってるな片手すらつかない立ち会いも面白い完全タックルだもんな
English subtitles please!! Canada loves sumo!!
8:29
富士櫻vs麒麟児は毎度バチバチにやりあっていましたね。ウチの婆ちゃんは富士櫻を贔屓にしてました😊
🇯🇵を代表する山→富士 花→櫻 を合わせて 富士櫻。最高の四股名です。
あけましておめでとうございます
明けましておめでとうございます🎍
気持ちいい相撲です手数の突っ張りのお手本のような相撲こんな相撲取れてたら、もう少し強くなってたんじゃないかと、勝手に妄想してます
親の取組より見た取組
✨👏✨👏✨👏✨👏✨👏✨
日本相撲協会の看板相撲
伊三郎って、昭和45年の動画では”ハッケヨイ”と言うようになっているが、昭和51年の時は昭和39年のように”ハッケヨイ”を言わなくなっていたんだな。
昭和51年も基本的には伊三郎はハッケヨイを言ってました。ただこの時代は、時間前の立合いなども現在よりは多く、尚且つこの時代は立合いの手つきが曖昧でしたので、中腰からいきなり立ち合う事があり、あまりの速さにハッケヨイが言えなかったというのが正しいのではないかと思います。昭和51年9月場所の取組は、時間前に急に立ったので伊三郎の後ろに慌てて土俵を降りる呼出の姿が映っていますね。その後の昭和51年1月場所のも、2人の仕切りが速いのか急に立っているのが分かります。これは伊三郎だけでなく、普段ハッケヨイを言っていた行司でも同じような状況でハッケヨイを言わなかった取組も存在します。(23代伊之助、8代錦太夫など)この動画でも分かりますが、与太夫に至っては2人の立合いが速すぎて、まともに軍配が返っていません。
大変詳しいご解説、ありがとうございます!!!
この2人の一番のみでお金が取れますね!
昭和天皇の御前にて披露された名勝負ですな
昔 名古屋で飲食店をしていた頃来店のお客さんの中に富士桜関のお嫁さんになった人がいらっしゃいました 何人かで来店だったので顔がうすおぼえですが 背が高い女性おとなしい人でした 結婚後新居にお邪魔した友達は普通の広さのマンションだった事 風呂と食事は部屋で済ませるから楽らしいとか 出逢いは祖父がたにまちで顔見知りだったとの事 相撲の世界は世間と並外れた中に飛び込む気持ち 金城出身のお嬢さんが頼もしいと思いました富士桜関はやさしい人柄に思えました 話題に事欠く事が無い客商売ですが 思い出深い出来事でした
今迄、富士桜関を悪く言う人はいなかった。現役時代から人格者だったとか?そうすると必然的に奥様も……
9:03 5:25
あけおめ
カネの取れる取組って、こんなのを言うのだろう。
オカダカズチカ曰く、蔵前に、突っ張りの雨が降ったぞ❗
「じゃりン子チエ」の取り組みですね~
翻って今の相撲は途中でお互い離れて見合う様なお粗末な取り組みに辟易する。レスリングじゃあるまいし軍配が返ったら休まず攻めるのが相撲の醍醐味だろう。
突っ張ることが男のたった一つの勲章だってこの胸に信じて生きてきた
裕仁が天皇である事を忘れた一瞬
最近立ち会いに手が着いてないと行司や審判長が注意しますがこの頃の相撲は手ついてやってる奴は全くいてへんがな!どの口がえらそえな言うてんねん❗👎😩😩😌😌😆😆
出た。得意のアラ探し。どうせ他所でかじった知識をひけふらかして、如何にも自分は物知りでございますと言っているだけ……
富士櫻関 大好きでした❤️ いなす事はあっても、決して引かない 堂々の完璧な押し相撲スタイル⭐ 人生も決して引かず、押し続けたいですね✨ 素晴らしい昭和の名勝負✨ありがとうございました🧡
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ここにはありませんが、昭和56年初場所の富士櫻関の完勝はよく覚えています。あの場所は横綱若乃花関から金星を挙げ、見事敢闘賞を獲得しました。
麒麟児関のハイライトは、やはり昭和50年夏場所の天覧相撲でしょう。後にご本人が「陛下がいらしていた事を忘れていました」と仰るほど、必死さが窺えます。
天皇陛下も望まれた1戦、やはり両者つき押し相撲の真骨頂で見応え充分です。
これは実に良い特集です。私にとって最高のお年玉になりました。
大相撲史上、未来永劫語り継がれる名勝負‼👍
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残っています。
今昔問わず、相撲やエンタテインメントの世界は横綱・大関よりも、幕内の手に汗握る
熱戦、脇役の重厚な演技がまた、記憶に残ったりします。
毎場所こんな定型的な突っ張り合いを繰り広げて盛り上がった取組は無いですね。昭和天皇も毎場所楽しみにされていた。今なら大栄翔と阿武咲にこんな相撲取ってもらいたい。
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ありがとうございます。
同じ柏市出身、麒麟児関が子どもの頃から大好きでした。
富士桜との取組は幼いながらワクワクドキドキで応援、懐かしい思い出です。
この企画に感謝です。
7:09
これは時間前の立ち合いですね。相撲の取組途中に入場中の高見山がお客さんの邪魔にならないよう腰を落としてみています。
この両者は時間前に立つ事が多かった印象があります。また、当時の横綱輪島、北の湖も両者との対戦の時は時間前に受けて立つ事もありしきりに緊張感があった。
今は時間までは単なる儀式のように所作を繰り返しているだけで当時のような緊張感がない。
久しぶりに昭和の名勝負を見ました。
まさに道を極めるとはこの事、押し相撲一筋のお二人でした。日曜日の夕方、父とテレビの前で大声をあげて応援していた記憶が蘇りました。
当時はただ興奮して見てましたが、今みるとお二人の真っ直ぐな生きざまに感動を覚えます。
この対戦はワクワクして見てたなぁ。
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今だったら、すごい本数の懸賞が付いたでしょうね。
お客さんが望んでいる勝負を見せてくれた、両者のようなライバル対決を今の土俵でも見たいなぁ。
これこそ己を貫いた真っ向相撲!今の時代もこういう対決がみたいです。
この二人の取り組みの素晴らしい所は決して引く場面がほとんどないこと。今の力士は引きに行くことが多い上、簡単に前に落ちる。それだけ稽古を沢山している証拠。昭和天皇がお気に入りの取り組みとして挙げられたのも頷けます。昭和50年夏場所の天覧相撲の二人の取組は歴史に残る一番ですね。
決定的に違うのはこの頃の力士は足がしっかり土俵に着いているから少々いなしても崩れない。
阿炎なんて爪先立ちだから威力も無く叩かれたらすぐ落ちる。
8:55麒麟児は時折廻しに手をかけるのがちょっと寂しい。改めて、伊佐三郎さんのかけ声はベストマッチだね👍。
麒麟児関は自分の小学生時代の地元のヒーローでした。
特に富士櫻関との取組は毎回テレビの前で声の限りに応援してたのを思い出します。
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ライブでこのお二人の対戦を見ていた事に感謝。 そして、時を経てまたこういった形で見る事が出来た事にも感謝。
この両力士はとにかく一瞬で勝負が付く取り組みが少なく、わたしの大好きな十代目式守与太夫さんの
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正に昭和時代の名勝負
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素晴らしい気迫でした。
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二人の対戦は、盛り上がるゴールデンカードでしたね。
子供の頃から高見山の大ファンでした。
しかし取り組となればこの富士桜と麒麟児の一戦が毎場所1番の楽しみでしたね。
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6:50
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呼出がまだ蛇の目を掃き整えている途中であることと、東の控えに入る高見山が花道から入ってきたばかりで、取組が始まってしまったのでやむを得ず花道にしゃがみ込んで観客の邪魔をしないようにしていること。
(しゃがむ際、さがりを手繰っている様にみえるので取組後ではないと思います)
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「これは相撲じゃなくてボクシングだわなw」
その位、突っ張り合いが凄かった。
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この二人が相撲を取ると、いい相撲にしかならないんでしょうね。
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明けましておめでとうございます
今年も大相撲楽しみにしています!
これだよ。これが相撲だよ。なんで泣けてくるんだろう。
突貫小僧、富士櫻。
昭和を代表する名勝負!
51年の初場所の取組、高見山関が水つけ後に帰らずに残って取組を見てますね(笑)
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ただ後ろで見てるファンの事を考えてすぐに座り込んだのはさすがジェシー
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伊三郎さんの掛け声が素晴らしい
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8:29
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あけましておめでとうございます
明けましておめでとうございます🎍
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伊三郎って、昭和45年の動画では”ハッケヨイ”と言うようになっているが、昭和51年の時は昭和39年のように”ハッケヨイ”を言わなくなっていたんだな。
昭和51年も基本的には伊三郎はハッケヨイを言ってました。
ただこの時代は、時間前の立合いなども現在よりは多く、尚且つこの時代は立合いの手つきが曖昧でしたので、中腰からいきなり立ち合う事があり、あまりの速さにハッケヨイが言えなかったというのが正しいのではないかと思います。
昭和51年9月場所の取組は、時間前に急に立ったので伊三郎の後ろに慌てて土俵を降りる呼出の姿が映っていますね。
その後の昭和51年1月場所のも、2人の仕切りが速いのか急に立っているのが分かります。
これは伊三郎だけでなく、普段ハッケヨイを言っていた行司でも同じような状況でハッケヨイを言わなかった取組も存在します。
(23代伊之助、8代錦太夫など)
この動画でも分かりますが、与太夫に至っては2人の立合いが速すぎて、まともに軍配が返っていません。
大変詳しいご解説、ありがとうございます!!!
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あけおめ
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この胸に信じて生きてきた
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