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プラザ合意から、バブル崩壊まで簡潔に、かつとてもわかりやすく解説されてて素晴らしい👍
すごい…大学生がそんなに遊んでブランドも買えてたなんて!40歳になっても手取り25万のの私には考えられない😂いい時代だったんですね!
自分はもろにX世代ですけどこうしてみると日本の歴史のなかでも貴重な体験をいろいろできたお得な世代だった気もしますね。高校生の頃に観た「抱きしめたい!」みたいな生活に憧れて上京して広告代理店に勤務した頃にはすでにバブルの跡形もなく、海外でCM撮影なんて「そんな予算ねーよ」という感じで時代の流れを感じたものです。。
「バブルへgo」で30分お願いします🎉「抱きしめたい」は、トレンディドラマでも別格。岩城洸一を始め、モックン、石田純一とキャストのお洒落度、都会的なことが凄い。いまだに夏に見ます。
聞き覚えのある単語が雪崩のように出てきて目眩がするわ😵💫
国民生活の変化と経済感覚、当時の世相 映画を通してここまでリンクさせながら理解を深めるお話ができる馬場さん素晴らしいです。
上條淳士「TO-Y」という音楽漫画と、4人時代オフコースも、若者の最先端を走ってました。特にオフコース。1987年武道館ライブがあまりにも垢抜けてて私スキと同じくらい衝撃を受けました。TO-Yの武道館ライブがそのまま実写化したみたいで。
解りやすく、勉強になりました。
いやー、楽しく拝見させていただきました。私は1962年生まれの少し暗めな文学少年、青年でした。映画業界は角川映画以外はなにをつくっていたのかわからない感じでしたねでもセンメリもこの頃だったかな。一方でレンタルビデオが流行りだすんでしたね。過去の名作がみられたり映画館から遠退いた頃かな。でもこの番組を知ってから映画また見たくなりました。
バブルの頃が中学高校、大学入学当たりの世代です。そもそも学生で扶養家族だった訳だからラクで楽しいのが当然なんでしょうが、それでも思春期で年頃だった当時の私の目から見ても毎日が享楽的で、上の世代の明るかった事は肌でも感じ取れました。実家が住職一体型の戸建てで商売やってたものなので、毎日大人=お客さんが来店し、仕入れ関係の業者やメーカーの営業マンが来てたので。凄く楽天的でしたね当時。みんな笑顔でゆとりがあったのは間違いないですね。
やはり例のドラマでバブル再注目ですが取材のオファー有ったんですね。そして昨今の後追い記事は間違いだらけですが正しい情報の拡散ありがとうございます。余談ですが「見栄講座」買いました(笑)。
バブルといえば六本木ですね。夜の六本木交差点は満員電車状態で誰かサラリーマンつかまえてサザンかなんかを歌えば釣られて皆んな大合唱してました。笑
19:57 86年頃、金妻シリーズ舞台の界隈で新聞配達してたら、配達先のお店のガレージで多岐川裕美と奥田瑛二が雨宿りしてた😲彼らの出演ドラマ見たらその店は多岐川が経営してる設定になってて納得。21:50それまで学生なんて八丈島行くのがせいぜいだったのに、急にハワイだグアムだに行けるようになったっけ😅24:55総量規制が失敗だったって言われましたねぇ~五十代以上の外国人は今の日本の凋落ぶりを見て唖然としてるでしょうな。当時は「日本を目指せ」、今は「日本みたいにだけはなるな」😵
23:50~ 当時のバブル期の実感 これ大事な論点ですよね。確かに、別に好景気過ぎる実感はなかったですね。ただ、レストランの予約は難しかった。飲食店はどこも混んでたので、なんだこれは?とは思ってました。おっしゃるように、不動産は地上げが凄くて、これには違和感、抵抗は感じてました。
バブルの解説がとてもわかりやすく改めて勉強になりました。バブルが発生して弾けて余韻があった頃がちょうど10代でしたが親の商売の羽振りは良かったです。当時はそれをバブルを思わず20歳過ぎてバブルという物が弾けたと思い知らされました。高校後半から18~19歳のころバブル末期のディスコブームだったのでジュリアナを始め有名ディスコをギリギリ楽しむことができました!
成城の土地の価格が「1坪で1億」これはバブルの教訓でしょうね。今では加山雄三さんも家屋売却しちゃいましたが・・・。
20代だったけど下積み仕事していたこともあり、バブルなんて後になってから聞いた話。
面白い、これは授業ですね。小林信彦さんの本を読んでるみたいです。
馬場さんとは同い年なので全て納得、頷きながら聞いてましたが桃井かおりの東陽一や森田芳光が少し時代を描いてるかな。自分はアメリカ映画のウディ・アレンばかり見てました。正直テレビの時代でした。バブルは田舎でも給料やボーナスが上がって決して悪くはなかったですよ。すぐに正社員になり車を買ってそれなりにテレビの真似事してました。
マハラジャの頃は高校生でしたが、もうディスコには関心を失っていました。80年代後半のバブル期は大学生でしたが面白いと感じることはあまりなく、アルバイトで稼いだカネで毎年2〜3週間欧米へ旅行していました。こちらは楽しかった。円高のおかげです。
がっつりX世代です。一言で語り尽くせませんが、戦後の若者文化史と経済史を上手に重ね合わせ、両方が一緒に学べる有意義な回だったと思います。最後にさり気なくFODの宣伝入れたのがちゃっかりしてるなと思いましたw😁
馬場ちゃん、元気? 3部作の予告とか創ってた頃が、懐かしい限り。 ここ、おもしろいね。。
私は多分新人類に入ると思う。この頃のドラマをすべて見ているわけではないが、最近、古いドラマを改めて見ていると華やかだし喫茶店の場面が多い。今ではチェーン店化しドラマにも出てないかも。好景気時代は人が優しく差別も少なく持てるものは振る舞い、という風潮だったと思う。今の政策の株主至上主義は海外投資家が儲けるためのもので、国内にお金は回らないし全く経済政策を間違えていると思う。これでは文化も育たない。好景気時代は劇場にも通ったものです。マレーシアはルックイーストを掲げ日本を目指しそのマレーシアが今の日本を憂いている。日本は経済成長出来る方法があるのにやらない。日本人は目覚める時ですね。
気まぐれコンセプト以外にも渡辺和博さんの金魂巻は熟読しました。
教科書読んでもよくわからなかったプラザ合意がよくわかりました!あざっす!
懐かしいお話楽しめました。お時間のあるときにでもカノッサの屈辱にもいつか取り上げていただけるとうれしいです
バブル期の空気感味わえる最高の作品はドラマではありませんが「就職戦線異状なし」という映画だと思います。当時の就職内定者囲い込み旅行なども描写されてて、時代が浮足立っていて、本当にこんな時代があったんだなぁと違う国の出来事のように思われます
私を含めた今アラフォーのY世代はバブル世代と言われた時期に生まれ、物心ついたら、全てが終わった世代でした。なので、この特集は憧れを持って楽しみました。もし、可能であれば、日本がバブル時代のアメリカ映画群。いわゆる「ブラットパック」の特集をお願いします。実は最近『セント・エルモス・ファイアー』を池袋の新文芸坐で見ました。あの時代の雰囲気は日本もアメリカも、憧れ含めて大好きな時代です。
バブル期に馬場さんが異業種監督ブームの先鞭となったのは間違いないですが、その直後に様々な界隈から人材を引っ張ってきてオムニバスとして詰め込んだバカヤローシリーズの影響も大きかったと思う。
映画「なんとなく、クリスタル」は当時流行していた洋楽が劇中に流れまくっていて権利関係の調整が煩雑なので一度もソフト化されていないそうです。
今回も面白いテーマでありがとうございました。私は1960年前半生まれです。学生運動、全共闘ってよくわからなかったですが、その雰囲気に引き込まれてしまうことはあります。そこから音楽や映画など後世に残るものがでてきたと思います。団塊の世代は数の暴力というか、よくも悪くもこの世代が時代を作っていた感はあります。いま後期高齢者軍。三島のドキュメンタリーは見ました。この人は真底、右翼でも保守でもないと思います。その立場をとったのは、何かがとりついたか、かりたてたのか?高校の先生がフリーの記者をやっていて、三島事件を追いかけてました。あの叛乱、自決について記事を書いてクビになりました。それを聞きましたけど、ここで記載できる内容ではありません。あの頃、また日本はまた戦争するとか、アメリカは怖いとか、そんな気配がありました。中曽根が総理になって、徴兵制ができると学校で話してました。それなら防衛大学に行ったほうがいいかな?と友人たちと話してました。
スゲ〜(^◇^;)バブル期のバイトの給与が、自分の給与より高いなー(T . T)だからこの時の走り屋が、自分でマシンをチューニングして。バイトでせっせと稼いで、その軍資金を投入出来たのは納得(T . T)
新人類とX世代の真ん中位の世代だけど、自分自身いかにトレンディドラマに背を向けてきたのが良く分かったw漫画が話題になった「東京ラブストーリー」以外は全くタイトルは言われても判らなかったwもちろん「東京ラブストーリー」も見たことが無いけどwそれにしても、プラザ合意、半導体協定と日本はアメリカに振り回されていますね。
3:34 庄司薫さんの小説は全共闘時代のいい小説だと思います、サリンジャーに似た饒舌な語り口は賛否ありましたが、若者文化の幕開け的な小説で、まさか映画が紹介されるとは驚きました。しかも庄司薫さんを意識していると言われる村上春樹さんがその直後に紹介されてるってやり過ぎです(笑)。ただ、”ノルウェイの森”より”風の歌を聴け”の方が紹介されるべきかと。小林薫さんに真行寺君江さん、あの頃の神戸・・・。
バブル以前のところ以外は全く興味ないけどそれをこういう流れで動画にまとめられるとおもしろい赤ずきんちゃん気をつけては前から気になってたけど、岡田茂の息子が主役だったんだ
1961年生まれです。中学生から高校生のころ我々は「シラケ世代」と呼ばれていました。学生運動の顛末を見て、政治に関心を示すことがなく「なににも興味なく、なににも燃えない」世代と言われたのです。いや、そんなことはなかったんですけどね。
この頃、大学生だった私はホンダのシビックに乗っていましたが、青山通りではやたらとBMWを見かけました。😅
自分がバブルが弾けたのを認識したのは女性の変化でした 髪は染めて艶々 化粧も念入り ブランドのジャケットにタイトスカート ピンヒール 大きめのイヤリング 首にはエルメスのスカーフ 乗っているのが外車でした それが弾けたら 髪はプリンでボサボサ 化粧はまだら 服はジャージ姿にスニーカー 車は軽のワゴン車 それを見た時に本当にバブルが弾けたと痛感しました。
🤭1969年に黒ネコのタンゴといっしょ始まり歌詞のように美味しいエサにいかれちゃって…まるで主題歌のようだな〜因みにエンディングは同歌手でケロロ軍曹のケロ猫のタンゴで🤣またシュールケロ軍がバブル崩壊から今でもつづくマンガてのも笑える❤因み2で黒タンはUターンで世界で歌われてて本当、世界は美味しいエサにいかれちゃって…泣いてる😭
バブル期は子育てをしていました。テレビは連日株高を放映していましたけど、全く無縁。その後バブルが弾けてみんな大損したらしく手を出さなくて良かったと思いました。不動産では所沢の1っ戸建てが1億円で売りに出されていて狂ったような時代でした。
90年前後の本を読むと「バブル景気とともに拝金主義が終われば日本はもっと豊かになる。バブル崩壊万歳」というかなりノーテンキなことを書いてる評論家がいます。あれをつまづきにして35年近く日本は低迷しました。三重野康は自決すべきだったと思います。
凍ってるね♪とかよく言って当時遊んでた世代なのでよーくわかります。海外土産もシャネルパフューム(トワレじゃない)とか貰ってましたっす。今の日経バブル超えも所詮は円の貨幣価値が下がっただけと思ってます。あさま山荘とか薄っすら覚えてます〜明確に思いださせてくださって有り難うございやす。
それにバブル期が地方では特に実感がないっていうのもその通りでバブル崩壊は急ブレーキで〜のとこ爆笑です。。。ホイチョイさんの映画は結構、NHKBSPで観れたりします〜。
バブル期に会社にNTT株を持った女子がいて「今すぐ売れ!」と毎日説得していたのを思い出します。2年後元本割れして紙屑同然になっていた気が・・・。20代女性が超いい目にあっていた気がします。60才前後でしょうか。
その頃ビンボーだったのでいい目には遭ってません、ので敵討の様にNTT株買ってしまいました上がりもせずジリ安、買い増ししてたら一万株、この後どうしよう買い増し?売り?塩漬けしとく?さてと。
ナツイ!ど真ん中でした。固有名詞が一々響きます。
トレンディドラマの走りは、TV朝日深夜のトライアングルブルーだと思います^_^六本木街頭ロケという、バブル期のリアルさが新鮮でした
経済学者の皆さんに見ていただきたい!
・・・この動画とは関係ないですけど、ふと思ったのは、馬場さんは昭和の劇場用アニメとかに関心はありませんかね? じつは市川崑とか鈴木清順とか恩地日出夫のような巨匠がアニメ映画に携わっていたりするんですけどね。あんまり興味ないかな?
インヴェーダーゲームが78年とは意外でした。そのころ既に喫茶店のテーブルでゲームしていたのですが、考えたらその前のテニス?ゲームだったのかもしれません。
ピンポンゲームを創ったのが、Appleのもう一人の創業者のスティーブ ウズニアックです。アタリ社に売る。
南こうせつ「神田川」が1973年9月20日、荒井由実「ルージュの伝言」が1975年2月20日なんだけど、荒井由実方面は言って学生運動のフォークの系統を言わないのは馬場さんらしい。
こういう話のほうがホイチョイらしい
毎回楽しく視聴させていただいております.「赤頭巾ちゃん気をつけて」のラストシーンで,岡田裕介が雪道を歩くシーンがあったと思うのですが,その「冷たさ」を演出するために,森谷司郎は岡田の靴に画鋲を入れたそうです.今回は,総じて映画の話が希薄で残念でした.また,五月革命や全共闘の世代とバブルを結びつけるには,もう少し考察がいると思います.
批評家はあまり言ってないようですが、庄司薫→サリンジャー←村上春樹(初期)の流れだと思うのですが…。小説は皆それなりに素晴らしいのに、映画にすると酷いものでした。当時(今もかな?)映画関係者はメチャクチャ遅れてましたね(ホイチョイ以外は(笑)。しかしもう「シリアス映画」と「エンタメ(娯楽)映画」を対立させる時代は終わったのではないでしょうか。「楽しくて、同時にシリアスで深い映画(小説も)」を作ることが出来る時期に来ているように思います(音楽や美術も)。
どうでもいいことなんですが28:00くらいからの、女性のアルコール消費量の話のとこで頭に過ったんですけど、”キッチン・ドリンカー”ってその意味で流行ってたんですかね。御邪魔しました。
「マハラジャで新歓ダンパ」の世代です。。。バブル期を経験はしたけど、全然恩恵にあずかれなかったわ。。
青春ドラマで1969年に放送された「炎の青春」を見ましたら、妙に討議や討論で物事を決めており、学生運動の影響を強く感じました。一方、1972年放送の「飛び出せ青春」では、「学生運動は一部の人たちがしているのだから」というセリフがありました。一方、昭和14年生まれだった父は70年安保や全共闘を見て、「遊び」と酷評していました。ドラマのGメン75でも、「学生運動の場に行けば、女がいる」と、まるで遊びに行くかのようなセリフがありました。70年頃の学生運動は、実は中身がなかった、というのが私の評価です。
今見返すと痛いのよねー、あれこれ思い出して顔から火が出るよw
そろそろ新東宝の話をして下さいッ!😂😂🎉🎉🎉
どうもーリアル世代でーーーす・・・イロイロ・・・スマン
またカノッサの屈辱見たいなぁー🫡(2000年以降の流行りを)
この動画は全部楽しくみていますが、当時ホイチョイプロはなんてナンパなんだと全くみてませんでした😂
カノッサの屈辱を思い出した
バブル、カンバック戻ってみたい気もしますが、六本木カローラ、シーマが、根岸吉太郎監督は、遠雷が、良かったですね。
バブルなんて一切感じなかったエロ漫画家でした でもバブルだったからこそどへたくそな自分でも生き残れてたのかもしれないと考えてます
バブル崩壊もそうだけど薬害かなんかもやったのも橋本さんで、あの人、政治のセンスなかったんだと思う。顔だけは良かったけどw
大学生が学校にも行かないでバイト三昧だったんだから、その後にいい時代なんか来るはずないのよねー😆日本の最高学府の学生が何やってんだか未来のことなんて何も考えないであそんでるとバブル期の気分を味わえますよ🤣
バブル崩壊のキッカケは朝日新聞とNHKだったのかw
プラザ合意から、バブル崩壊まで簡潔に、かつとてもわかりやすく解説されてて素晴らしい👍
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国民生活の変化と経済感覚、当時の世相 映画を通してここまでリンクさせながら理解を深めるお話ができる馬場さん素晴らしいです。
上條淳士「TO-Y」という音楽漫画と、4人時代オフコースも、若者の最先端を走ってました。特にオフコース。1987年武道館ライブがあまりにも垢抜けてて私スキと同じくらい衝撃を受けました。TO-Yの武道館ライブがそのまま実写化したみたいで。
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バブルの頃が中学高校、大学入学当たりの世代です。そもそも学生で扶養家族だった訳だからラクで楽しいのが当然なんでしょうが、
それでも思春期で年頃だった当時の私の目から見ても毎日が享楽的で、上の世代の明るかった事は肌でも感じ取れました。
実家が住職一体型の戸建てで商売やってたものなので、毎日大人=お客さんが来店し、仕入れ関係の業者やメーカーの営業マンが来てたので。
凄く楽天的でしたね当時。みんな笑顔でゆとりがあったのは間違いないですね。
やはり例のドラマでバブル再注目ですが取材のオファー有ったんですね。
そして昨今の後追い記事は間違いだらけですが正しい情報の拡散ありがとうございます。
余談ですが「見栄講座」買いました(笑)。
バブルといえば六本木ですね。
夜の六本木交差点は満員電車状態で誰かサラリーマンつかまえてサザンかなんかを歌えば釣られて皆んな大合唱してました。
笑
19:57 86年頃、金妻シリーズ舞台の界隈で新聞配達してたら、配達先のお店のガレージで多岐川裕美と奥田瑛二が雨宿りしてた😲彼らの出演ドラマ見たらその店は多岐川が経営してる設定になってて納得。
21:50それまで学生なんて八丈島行くのがせいぜいだったのに、急にハワイだグアムだに行けるようになったっけ😅
24:55総量規制が失敗だったって言われましたねぇ~五十代以上の外国人は今の日本の凋落ぶりを見て唖然としてるでしょうな。当時は「日本を目指せ」、今は「日本みたいにだけはなるな」😵
23:50~ 当時のバブル期の実感 これ大事な論点ですよね。確かに、別に好景気過ぎる実感はなかったですね。ただ、レストランの予約は難しかった。飲食店はどこも混んでたので、なんだこれは?とは思ってました。おっしゃるように、不動産は地上げが凄くて、これには違和感、抵抗は感じてました。
バブルの解説がとてもわかりやすく改めて勉強になりました。バブルが発生して弾けて余韻があった頃がちょうど10代でしたが親の商売の羽振りは良かったです。当時はそれをバブルを思わず20歳過ぎてバブルという物が弾けたと思い知らされました。高校後半から18~19歳のころバブル末期のディスコブームだったのでジュリアナを始め有名ディスコをギリギリ楽しむことができました!
成城の土地の価格が「1坪で1億」これはバブルの教訓でしょうね。
今では加山雄三さんも家屋売却しちゃいましたが・・・。
20代だったけど下積み仕事していたこともあり、バブルなんて後になってから聞いた話。
面白い、これは授業ですね。小林信彦さんの本を読んでるみたいです。
馬場さんとは同い年なので全て納得、頷きながら聞いてましたが桃井かおりの東陽一や森田芳光が少し時代を描いてるかな。自分はアメリカ映画のウディ・アレンばかり見てました。正直テレビの時代でした。バブルは田舎でも給料やボーナスが上がって決して悪くはなかったですよ。すぐに正社員になり車を買ってそれなりにテレビの真似事してました。
マハラジャの頃は高校生でしたが、もうディスコには関心を失っていました。
80年代後半のバブル期は大学生でしたが面白いと感じることはあまりなく、アルバイトで稼いだカネで毎年2〜3週間欧米へ旅行していました。こちらは楽しかった。円高のおかげです。
がっつりX世代です。一言で語り尽くせませんが、戦後の若者文化史と経済史を上手に重ね合わせ、両方が一緒に学べる有意義な回だったと思います。最後にさり気なくFODの宣伝入れたのがちゃっかりしてるなと思いましたw😁
馬場ちゃん、元気? 3部作の予告とか創ってた頃が、懐かしい限り。 ここ、おもしろいね。。
私は多分新人類に入ると思う。この頃のドラマをすべて見ているわけではないが、最近、古いドラマを改めて見ていると華やかだし喫茶店の場面が多い。今ではチェーン店化しドラマにも出てないかも。
好景気時代は人が優しく差別も少なく持てるものは振る舞い、という風潮だったと思う。今の政策の株主至上主義は海外投資家が儲けるためのもので、国内にお金は回らないし全く経済政策を間違えていると思う。これでは文化も育たない。
好景気時代は劇場にも通ったものです。
マレーシアはルックイーストを掲げ日本を目指しそのマレーシアが今の日本を憂いている。
日本は経済成長出来る方法があるのにやらない。
日本人は目覚める時ですね。
気まぐれコンセプト以外にも渡辺和博さんの金魂巻は熟読しました。
教科書読んでもよくわからなかったプラザ合意がよくわかりました!あざっす!
懐かしいお話楽しめました。お時間のあるときにでもカノッサの屈辱にもいつか取り上げていただけるとうれしいです
バブル期の空気感味わえる最高の作品はドラマではありませんが「就職戦線異状なし」という映画だと思います。当時の就職内定者囲い込み旅行なども描写されてて、時代が浮足立っていて、本当にこんな時代があったんだなぁと違う国の出来事のように思われます
私を含めた今アラフォーのY世代はバブル世代と言われた時期に生まれ、物心ついたら、全てが終わった世代でした。なので、この特集は憧れを持って楽しみました。
もし、可能であれば、日本がバブル時代のアメリカ映画群。
いわゆる「ブラットパック」の特集をお願いします。
実は最近『セント・エルモス・ファイアー』を池袋の新文芸坐で見ました。
あの時代の雰囲気は日本もアメリカも、憧れ含めて大好きな時代です。
バブル期に馬場さんが異業種監督ブームの先鞭となったのは間違いないですが、その直後に様々な界隈から人材を引っ張ってきてオムニバスとして詰め込んだバカヤローシリーズの影響も大きかったと思う。
映画「なんとなく、クリスタル」は当時流行していた洋楽が劇中に流れまくっていて
権利関係の調整が煩雑なので一度もソフト化されていないそうです。
今回も面白いテーマでありがとうございました。私は1960年前半生まれです。学生運動、全共闘ってよくわからなかったですが、その雰囲気に引き込まれてしまうことはあります。そこから音楽や映画など後世に残るものがでてきたと思います。団塊の世代は数の暴力というか、よくも悪くもこの世代が時代を作っていた感はあります。いま後期高齢者軍。三島のドキュメンタリーは見ました。この人は真底、右翼でも保守でもないと思います。その立場をとったのは、何かがとりついたか、かりたてたのか?高校の先生がフリーの記者をやっていて、三島事件を追いかけてました。あの叛乱、自決について記事を書いてクビになりました。それを聞きましたけど、ここで記載できる内容ではありません。あの頃、また日本はまた戦争するとか、アメリカは怖いとか、そんな気配がありました。中曽根が総理になって、徴兵制ができると学校で話してました。それなら防衛大学に行ったほうがいいかな?と友人たちと話してました。
スゲ〜(^◇^;)
バブル期のバイトの給与が、自分の給与より高いなー(T . T)
だからこの時の走り屋が、自分でマシンをチューニングして。
バイトでせっせと稼いで、その軍資金を投入出来たのは納得(T . T)
新人類とX世代の真ん中位の世代だけど、自分自身いかにトレンディドラマに背を向けてきたのが良く分かったw
漫画が話題になった「東京ラブストーリー」以外は全くタイトルは言われても判らなかったw
もちろん「東京ラブストーリー」も見たことが無いけどw
それにしても、プラザ合意、半導体協定と日本はアメリカに振り回されていますね。
3:34 庄司薫さんの小説は全共闘時代のいい小説だと思います、サリンジャーに似た饒舌な語り口は賛否ありましたが、若者文化の幕開け的な小説で、まさか映画が紹介されるとは驚きました。しかも庄司薫さんを意識していると言われる村上春樹さんがその直後に紹介されてるってやり過ぎです(笑)。ただ、”ノルウェイの森”より”風の歌を聴け”の方が紹介されるべきかと。小林薫さんに真行寺君江さん、あの頃の神戸・・・。
バブル以前のところ以外は全く興味ないけどそれをこういう流れで動画にまとめられるとおもしろい
赤ずきんちゃん気をつけては前から気になってたけど、岡田茂の息子が主役だったんだ
1961年生まれです。中学生から高校生のころ我々は「シラケ世代」と呼ばれていました。学生運動の顛末を見て、政治に関心を示すことがなく「なににも興味なく、なににも燃えない」世代と言われたのです。いや、そんなことはなかったんですけどね。
この頃、大学生だった私はホンダのシビックに乗っていましたが、青山通りではやたらとBMWを見かけました。😅
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🤭1969年に黒ネコのタンゴといっしょ始まり
歌詞のように美味しいエサにいかれちゃって…
まるで主題歌のようだな〜
因みにエンディングは
同歌手でケロロ軍曹のケロ猫のタンゴで🤣またシュール
ケロ軍がバブル崩壊から今でもつづくマンガてのも笑える❤因み2で黒タンはUターンで世界で歌われてて
本当、世界は美味しいエサにいかれちゃって…泣いてる😭
バブル期は子育てをしていました。テレビは連日株高を放映していましたけど、全く無縁。その後バブルが弾けてみんな大損したらしく手を出さなくて良かったと思いました。不動産では所沢の1っ戸建てが1億円で売りに出されていて狂ったような時代でした。
90年前後の本を読むと
「バブル景気とともに拝金主義が終われば日本はもっと豊かになる。バブル崩壊万歳」
というかなりノーテンキなことを書いてる評論家がいます。あれをつまづきにして35年近く日本は低迷しました。
三重野康は自決すべきだったと思います。
凍ってるね♪とかよく言って当時遊んでた世代なのでよーくわかります。海外土産もシャネルパフューム(トワレじゃない)とか貰ってましたっす。今の日経バブル超えも所詮は円の貨幣価値が下がっただけと思ってます。あさま山荘とか薄っすら覚えてます〜明確に思いださせてくださって有り難うございやす。
それにバブル期が地方では特に実感がないっていうのもその通りでバブル崩壊は急ブレーキで〜のとこ爆笑です。。。ホイチョイさんの映画は結構、NHKBSPで観れたりします〜。
バブル期に会社にNTT株を持った女子がいて「今すぐ売れ!」と毎日説得していたのを思い出します。2年後元本割れして紙屑同然になっていた気が・・・。20代女性が超いい目にあっていた気がします。60才前後でしょうか。
その頃ビンボーだったのでいい目には遭ってません、ので敵討の様にNTT株買ってしまいました上がりもせずジリ安、買い増ししてたら一万株、この後どうしよう買い増し?売り?塩漬けしとく?さてと。
ナツイ!ど真ん中でした。固有名詞が一々響きます。
トレンディドラマの走りは、TV朝日深夜のトライアングルブルーだと思います^_^
六本木街頭ロケという、バブル期のリアルさが新鮮でした
経済学者の皆さんに見ていただきたい!
・・・この動画とは関係ないですけど、ふと思ったのは、馬場さんは昭和の劇場用アニメとかに関心はありませんかね? じつは市川崑とか鈴木清順とか恩地日出夫のような巨匠がアニメ映画に携わっていたりするんですけどね。あんまり興味ないかな?
インヴェーダーゲームが78年とは意外でした。そのころ既に喫茶店のテーブルでゲームしていたのですが、考えたらその前のテニス?ゲームだったのかもしれません。
ピンポンゲームを創ったのが、Appleのもう一人の創業者のスティーブ ウズニアックです。アタリ社に売る。
南こうせつ「神田川」が1973年9月20日、
荒井由実「ルージュの伝言」が1975年2月20日なんだけど、
荒井由実方面は言って学生運動のフォークの系統を言わないのは馬場さんらしい。
こういう話のほうがホイチョイらしい
毎回楽しく視聴させていただいております.「赤頭巾ちゃん気をつけて」のラストシーンで,岡田裕介が雪道を歩くシーンがあったと思うのですが,その「冷たさ」を演出するために,森谷司郎は岡田の靴に画鋲を入れたそうです.今回は,総じて映画の話が希薄で残念でした.また,五月革命や全共闘の世代とバブルを結びつけるには,もう少し考察がいると思います.
批評家はあまり言ってないようですが、庄司薫→サリンジャー←村上春樹(初期)の流れだと思うのですが…。
小説は皆それなりに素晴らしいのに、映画にすると酷いものでした。当時(今もかな?)映画関係者はメチャクチャ遅れてましたね(ホイチョイ以外は(笑)。
しかしもう「シリアス映画」と「エンタメ(娯楽)映画」を対立させる時代は終わったのではないでしょうか。「楽しくて、同時にシリアスで深い映画(小説も)」を作ることが出来る時期に来ているように思います(音楽や美術も)。
どうでもいいことなんですが28:00くらいからの、
女性のアルコール消費量の話のとこで頭に過ったんですけど、
”キッチン・ドリンカー”ってその意味で流行ってたんですかね。
御邪魔しました。
「マハラジャで新歓ダンパ」の世代です。。。バブル期を経験はしたけど、全然恩恵にあずかれなかったわ。。
青春ドラマで1969年に放送された「炎の青春」を見ましたら、妙に討議や討論で物事を決めており、学生運動の影響を強く感じました。一方、1972年放送の「飛び出せ青春」では、「学生運動は一部の人たちがしているのだから」というセリフがありました。
一方、昭和14年生まれだった父は70年安保や全共闘を見て、「遊び」と酷評していました。ドラマのGメン75でも、「学生運動の場に行けば、女がいる」と、まるで遊びに行くかのようなセリフがありました。70年頃の学生運動は、実は中身がなかった、というのが私の評価です。
今見返すと痛いのよねー、あれこれ思い出して顔から火が出るよw
そろそろ新東宝の話をして下さいッ!
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どうもーリアル世代でーーーす・・・イロイロ・・・スマン
またカノッサの屈辱見たいなぁー🫡(2000年以降の流行りを)
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カノッサの屈辱を思い出した
バブル、カンバック戻ってみたい気もしますが、六本木カローラ、シーマが、根岸吉太郎監督は、遠雷が、良かったですね。
バブルなんて一切感じなかったエロ漫画家でした でもバブルだったからこそどへたくそな自分でも生き残れてたのかもしれないと考えてます
バブル崩壊もそうだけど薬害かなんかもやったのも橋本さんで、あの人、政治のセンスなかったんだと思う。顔だけは良かったけどw
大学生が学校にも行かないでバイト三昧だったんだから、その後に
いい時代なんか来るはずないのよねー😆
日本の最高学府の学生が何やってんだか
未来のことなんて何も考えないであそんでると
バブル期の気分を味わえますよ🤣
バブル崩壊のキッカケは朝日新聞とNHKだったのかw