ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
いつものかっちりした動画も好きですが、こんなゆるい感じもけっこう好きです😊
4:19 別海の読みについては、別海町のHPによると「べっかい」「べつかい」どちらでもOKらしいです。(標津線の駅は「べっかい」でしたね)
3:32 ラ・レトリは90年代初頭にできた、当時は道内でも珍しかった中標津初のジェラート&チーズショップだったかと。製品・販売品のレベルが大変高いので、中標津町のふるさと納税返礼品にも選ばれてます。郷土館は以前、高齢の管理人さんが常駐されており、申し出ると標津線の歴史が綴られた廃止当時の非売品書籍を閲覧させてくれました。
ラ・レトリは残念ながら行ったことないです。
@@aya19720603 道東、根釧地方の「牧場カフェ」「農場直送乳製品デザート」の草分け的な存在だと思います。ここよりちょっと古いのが、昭和末期にできた佐伯農場のレストラン『牧舎』ですね。
@@Su---- さん。ありがとうございます🙇♀️今度行ってみようと思います😋
1日1本のバス停の話から、あの新十津川駅を思い出しました。 . 本数が ありませんね。 滝川駅から歩いたのも、今はむかし。
道路の広さと低層のビルのコントラストが雄大さを演出されているのかな?空の高さと深さと青さ。
酪農は土地集約的、即ち事業面積に対する労働人口は少ないビジネスであり、また動物相手の仕事であるため土日も無く仕事があり、家族経営レベルの小規模酪農家では農場に張り付きになるため、酪農産業がメインの地域では、現地発(アウトバウンド)の大規模旅客流動はそもそも見込めません。酪農(と言う業態)に必要とされているのは集乳⇒加工⇒出荷輸送の効率的なシステムであり、そこにJR北海道やJR貨物が絡むことができなければ、交通機関として不要(有っても無くても、地域としてのBCPには関係がない)という判断を下されてしまったことは当然だと思います。人口(特に労働者人口)の減少やCO2排出削減の必要性から、旅客のみならず、貨物の加工や輸送も含めてどういうシステムが日本という国家として必要なのか、どういうアプローチで検討⇒改編すべきなのか、既存の利権を考慮せず、ゼロベースで論じる必要があると考えます。
・「ハゲぶら」は、パワーワード過ぎw・3kmを30分で踏破するのは健脚そのものですね・紅葉がキレイで、グルメもあり、町の様子が分かりやすかったです
標津線は、中標津〜別海〜厚床が支線で合っています。大昔は、釧路〜網走の急行「しれとこ」が標茶で分割して、標茶〜中標津〜根室標津まで標津線に直通運転していました。急行「しれとこ」は網走行がキハ27+56、根室標津行がキハ22の2連でした。釧路〜共春(別海市街の人は車で当バス停まで送迎してもらう)〜中標津〜標津〜羅臼の阿寒バスは、国鉄時代からあり、路線の性質としては、高速道路は通らないものの、比較的短距離の都市間高速バスに近いもので、当時は、地元民も観光客も、釧路との往来に標津線よりも速くて便利なこちらのバスがよく使われていて、市街地であちこちの病院になどに寄るようになったのは、自治体の補助を受けるようになってからですね。ちなみに、標茶〜西春別〜中標津〜標津、中標津〜別海〜厚床の根室交通のバスが標津線廃止に伴う代替バスです。あと北海道の飲食店は、全国チェーン店を除いて、全体的に本州よりも量が多いのが一般的ですね。特に道東はその傾向が強いです。
来日中のハードスケジュール、おつかれさまでした。17:00 まさに、廃線となったあとの衰退や悲壮感を感じさせない雰囲気ですね。
面白いことをするなぁ😁という動画ですね。レンタカー会社の営業所から車で送迎してもらったと思いますが、たしかに歩道のブロックの隙間から草が生えて「使ってないんだろうなぁ」と思わせる光景だったのを思い出しました。
旅side制作お疲れ様でござい〼🫡晩飯にラーメン🍜食べた後に、坊主先生の中標津ラーメン🍜半チャーテ○を観て、またラーメン🍜を食べたくなってしまいました😋おっさんが飯食ってるだけの絵面が成立する良い時代になりましたね😎ゴロ〜♪ゴロ〜♪イ・ノ・ガ・シ・ラ♪フゥーー❣️あっ、チャウチャウ😅ボオ〜ズ♪ボオ〜ズ♪タ・ビ・ボ・ウ・ズ♪フゥーー❣️
標津線は西春別辺りのカラマツ林の車窓が素晴らしかった。動画では国鉄標津線があった時代の面影はどこにも感じませんでした。中標津市街を訪れたときは根室標津まで行く時間が取れず、路線バスで野付半島などを見ながら厚床駅へ出たような記憶があります。廃線後は釧路空港利用ですね。最寄りの空港からの乗継の関係で中標津空港は利用しなかったような気がします。
確かに市街地明るいですね。
3km 歩いたのですか!?凄いですね。
ラーメン チャーハン美味しそうでしたね。
北海道の中でも中標津は特に地平線を感じられる町ですよね
標津線は、釧網本線の標茶駅から乗り換えて、終点の根室標津駅までを往復した事があります。その標津線沿線で、最も建物が多くて賑わいがあったのが、中標津です。各種商業施設があり、どこも駐車場に車が多く停まっていたのが印象的でした。特に夜間のメイン通り沿いの夜景が明るいのは、街に活気がある証拠と言えますね。標津線が廃止されたとはいえ、標津線を走っていたC11が状態良く保存されていたり、史料館に標津線の史料が残されているあたりは、鉄道に対する愛着は、今でも現役なのかな、と思いました。途中、鐵坊主さんが阿寒バスの時刻表を見て、1日たった2本だったのを見た時に、「コレ、絶対あかんバスやん‼️」(←宮川大輔さんのヤツ)と思ってしまいました。スイマセンm(_ _)m
おなじみ和尚の鉄さんぽ、いいですね~。今回も飯テロだ~w道東はあまり雪は降らないらしい。なので札幌みたいな日本海側は雪まつり、道東は氷まつりになると聞いたことがあります。蒸気機関車、きれいに展示されてますね。冬はカバーがかけられてるんでしょうね。
バスが1日1本しかないのは路線を維持するための設定だと思います。
DE-10 確かにそんなイメージですねw 街ブラ系動画は大好きなので大変面白かったです。いつもG-MAP開けて辿りながら観てます
中標津の街は整備されていて、必要な物は街の中で揃えられる環境だと思うけど、公共交通(バス)の貧弱さは感じますね。自家用車があれば良いですが、無いと厳しい。
中標津にようこそ
昔よく使ってましたが、歩いたことはありませんでした。鉄道はH元年に廃止されていたので、鉄道との接続とか既に可能性は無かったですが、旭川や女満別と違って、空港自体が鉄路付近から大きく外れた北の町外れにありましたので、アクセスはバスか車しか考えられなかったのでしょうね。ちょっとと遠いですが、途中には公園や役場もあり、天気がいい日だったら散歩コースとしては悪くないかもしれませんね。それでも徒歩で東武サウスヒルズまで行くのは、ちょっと厳しそうですね。
ラーメン、チャーハン美味そうに食べてましたね。(^^)/
準急は新幹線開通前には東海道線でも走ってました。何度か乗っているはずですが停車駅などは記憶がありません。
国鉄の準急廃止は1968年10月の改正、昭和43年でした。御殿場線の電化が7月でしたのでSSE3000形の特別準急も短期間だけありました。メイン動画での厚床駅から中標津町までのバスの利用者が少ないので代替バスの別海町から厚床駅が廃止でこの部分は空港連絡バスのみになった厳しさを感じました。
ブラボーズにしたらいかがですか?笑
いちばん星っていう居酒屋がおすすめです。レンタカー屋さんの兄さんはバスターミナルそばのえびそばがイチオシでした。
今度は夕張を歩いてみては?
次回、立ち寄りたいです。
クロスカントリーですか...中標津空港からフルマラソンなり駅伝やってくれないかな。2連休があれば箱根駅伝みたいに往路復路で出来そう。気持ちよく走れそうですね。でも スポンサーが...
中標津のバスターミナル横にあった鉄道の痕跡は撤去されてましたか。平成の初め頃には,廃車になったキハ40とキハ56の2両編成と2両分だけの線路が置いてあったと思います。その頃からすでにサビが目立ってましたが,街中の一等地では邪魔になったのかも知れません。それに比べてC11はきれいな状態で残ってますね。また,準急らうすには乗ったことはありませんが,準急比叡が特急より後に米原駅に到着して先に出発して行ったのは覚えてます。
中標津空港から市街地を歩いて動画にしたTH-camrは、鉄道系・観光系含めておそらく初めてでは??
綿貫渉さんが2年半くらい前に中標津空港から中標津駅跡(中標津バスターミナル)まで歩いた動画を上げてます。
@@yamacchi2133 スーツさんはやらないだろうと思ってましたが、綿貫さんさすがですね!私は帯広空港から幸福駅経由愛国駅まで歩きましたが、さすがにその先帯広市内まではギブアップでした。
@@Su---- 綿貫さんは各地の空港を徒歩で制覇する空港ウォーカーなので…笑(最長で佐賀空港から佐賀駅まで歩いたこともある強者です。帯広空港から幸福駅まで歩いた動画もありますね)
@@yamacchi2133さん。 綿貫さんが歩いてましたか‼️
和尚はん。ハゲはごっついアドバンテージやで。ごっつう身近に感じる。ええ武器になっとるわわしか?まだら白髪やねん。見えへんけどハゲてへんで 笑
標津線は、標茶~根室標津、中標津~厚床。両方標津線です。手元に路線図があり、確認しました。
1こめ
いつものかっちりした動画も好きですが、こんなゆるい感じもけっこう好きです😊
4:19 別海の読みについては、別海町のHPによると「べっかい」「べつかい」どちらでもOKらしいです。
(標津線の駅は「べっかい」でしたね)
3:32 ラ・レトリは90年代初頭にできた、当時は道内でも珍しかった中標津初のジェラート&チーズショップだったかと。
製品・販売品のレベルが大変高いので、中標津町のふるさと納税返礼品にも選ばれてます。
郷土館は以前、高齢の管理人さんが常駐されており、申し出ると標津線の歴史が綴られた廃止当時の非売品書籍を閲覧させてくれました。
ラ・レトリは残念ながら行ったことないです。
@@aya19720603 道東、根釧地方の「牧場カフェ」「農場直送乳製品デザート」の草分け的な存在だと思います。ここよりちょっと古いのが、昭和末期にできた佐伯農場のレストラン『牧舎』ですね。
@@Su---- さん。
ありがとうございます🙇♀️
今度行ってみようと思います😋
1日1本のバス停の話から、あの新十津川駅を思い出しました。 .
本数が ありませんね。
滝川駅から歩いたのも、今はむかし。
道路の広さと
低層のビルの
コントラストが
雄大さを
演出されているのかな?
空の
高さと深さと青さ。
酪農は土地集約的、即ち事業面積に対する労働人口は少ないビジネスであり、また動物相手の仕事であるため土日も無く仕事があり、家族経営レベルの小規模酪農家では農場に張り付きになるため、酪農産業がメインの地域では、現地発(アウトバウンド)の大規模旅客流動はそもそも見込めません。
酪農(と言う業態)に必要とされているのは集乳⇒加工⇒出荷輸送の効率的なシステムであり、そこにJR北海道やJR貨物が絡むことができなければ、交通機関として不要(有っても無くても、地域としてのBCPには関係がない)という判断を下されてしまったことは当然だと思います。
人口(特に労働者人口)の減少やCO2排出削減の必要性から、旅客のみならず、貨物の加工や輸送も含めてどういうシステムが日本という国家として必要なのか、どういうアプローチで検討⇒改編すべきなのか、既存の利権を考慮せず、ゼロベースで論じる必要があると考えます。
・「ハゲぶら」は、パワーワード過ぎw
・3kmを30分で踏破するのは健脚そのものですね
・紅葉がキレイで、グルメもあり、町の様子が分かりやすかったです
標津線は、中標津〜別海〜厚床が支線で合っています。
大昔は、釧路〜網走の急行「しれとこ」が標茶で分割して、標茶〜中標津〜根室標津まで標津線に直通運転していました。
急行「しれとこ」は網走行がキハ27+56、根室標津行がキハ22の2連でした。
釧路〜共春(別海市街の人は車で当バス停まで送迎してもらう)〜中標津〜標津〜羅臼の阿寒バスは、国鉄時代からあり、路線の性質としては、高速道路は通らないものの、比較的短距離の都市間高速バスに近いもので、当時は、地元民も観光客も、釧路との往来に標津線よりも速くて便利なこちらのバスがよく使われていて、市街地であちこちの病院になどに寄るようになったのは、自治体の補助を受けるようになってからですね。
ちなみに、標茶〜西春別〜中標津〜標津、中標津〜別海〜厚床の根室交通のバスが標津線廃止に伴う代替バスです。
あと北海道の飲食店は、全国チェーン店を除いて、全体的に本州よりも量が多いのが一般的ですね。
特に道東はその傾向が強いです。
来日中のハードスケジュール、おつかれさまでした。
17:00 まさに、廃線となったあとの衰退や悲壮感を感じさせない雰囲気ですね。
面白いことをするなぁ😁という動画ですね。レンタカー会社の営業所から車で送迎してもらったと思いますが、たしかに歩道のブロックの隙間から草が生えて「使ってないんだろうなぁ」と思わせる光景だったのを思い出しました。
旅side制作お疲れ様でござい〼🫡
晩飯にラーメン🍜食べた後に、坊主先生の中標津ラーメン🍜半チャーテ○を観て、またラーメン🍜を食べたくなってしまいました😋
おっさんが飯食ってるだけの絵面が成立する良い時代になりましたね😎
ゴロ〜♪ゴロ〜♪
イ・ノ・ガ・シ・ラ♪フゥーー❣️
あっ、チャウチャウ😅
ボオ〜ズ♪ボオ〜ズ♪
タ・ビ・ボ・ウ・ズ♪フゥーー❣️
標津線は西春別辺りのカラマツ林の車窓が素晴らしかった。動画では国鉄標津線があった時代の面影はどこにも感じませんでした。
中標津市街を訪れたときは根室標津まで行く時間が取れず、路線バスで野付半島などを見ながら厚床駅へ出たような記憶があります。
廃線後は釧路空港利用ですね。最寄りの空港からの乗継の関係で中標津空港は利用しなかったような気がします。
確かに
市街地
明るいですね。
3km 歩いたのですか!?
凄いですね。
ラーメン チャーハン
美味しそうでしたね。
北海道の中でも中標津は特に地平線を感じられる町ですよね
標津線は、釧網本線の標茶駅から乗り換えて、終点の根室標津駅までを往復した事があります。
その標津線沿線で、最も建物が多くて賑わいがあったのが、中標津です。
各種商業施設があり、どこも駐車場に車が多く停まっていたのが印象的でした。
特に夜間のメイン通り沿いの夜景が明るいのは、街に活気がある証拠と言えますね。
標津線が廃止されたとはいえ、標津線を走っていたC11が状態良く保存されていたり、史料館に標津線の史料が残されているあたりは、鉄道に対する愛着は、今でも現役なのかな、と思いました。
途中、鐵坊主さんが阿寒バスの時刻表を見て、1日たった2本だったのを見た時に、
「コレ、絶対あかんバスやん‼️」(←宮川大輔さんのヤツ)
と思ってしまいました。
スイマセンm(_ _)m
おなじみ和尚の鉄さんぽ、いいですね~。今回も飯テロだ~w
道東はあまり雪は降らないらしい。なので札幌みたいな日本海側は雪まつり、道東は氷まつりになると聞いたことがあります。
蒸気機関車、きれいに展示されてますね。冬はカバーがかけられてるんでしょうね。
バスが1日1本しかないのは路線を維持するための設定だと思います。
DE-10 確かにそんなイメージですねw
街ブラ系動画は大好きなので大変面白かったです。いつもG-MAP開けて辿りながら観てます
中標津の街は整備されていて、必要な物は街の中で揃えられる環境だと思うけど、公共交通(バス)の貧弱さは感じますね。
自家用車があれば良いですが、無いと厳しい。
中標津にようこそ
昔よく使ってましたが、歩いたことはありませんでした。鉄道はH元年に廃止されていたので、鉄道との接続とか既に可能性は無かったですが、旭川や女満別と違って、空港自体が鉄路付近から大きく外れた北の町外れにありましたので、アクセスはバスか車しか考えられなかったのでしょうね。ちょっとと遠いですが、途中には公園や役場もあり、天気がいい日だったら散歩コースとしては悪くないかもしれませんね。それでも徒歩で東武サウスヒルズまで行くのは、ちょっと厳しそうですね。
ラーメン、チャーハン美味そうに食べてましたね。(^^)/
準急は新幹線開通前には東海道線でも走ってました。何度か乗っているはずですが停車駅などは記憶がありません。
国鉄の準急廃止は1968年10月の改正、昭和43年でした。御殿場線の電化が7月でしたのでSSE3000形の特別準急も短期間だけありました。
メイン動画での厚床駅から中標津町までのバスの利用者が少ないので代替バスの別海町から厚床駅が廃止でこの部分は空港連絡バスのみになった厳しさを感じました。
ブラボーズにしたらいかがですか?笑
いちばん星っていう居酒屋がおすすめです。
レンタカー屋さんの兄さんはバスターミナルそばのえびそばがイチオシでした。
今度は夕張を歩いてみては?
次回、立ち寄りたいです。
クロスカントリーですか...
中標津空港から
フルマラソンなり
駅伝
やってくれないかな。
2連休があれば
箱根駅伝みたいに
往路復路で出来そう。
気持ちよく走れそうですね。
でも スポンサーが...
中標津のバスターミナル横にあった鉄道の痕跡は撤去されてましたか。
平成の初め頃には,廃車になったキハ40とキハ56の2両編成と2両分だけの線路が置いてあったと思います。
その頃からすでにサビが目立ってましたが,街中の一等地では邪魔になったのかも知れません。
それに比べてC11はきれいな状態で残ってますね。
また,準急らうすには乗ったことはありませんが,準急比叡が特急より後に米原駅に到着して先に出発して行ったのは覚えてます。
中標津空港から市街地を歩いて動画にしたTH-camrは、鉄道系・観光系含めておそらく初めてでは??
綿貫渉さんが2年半くらい前に中標津空港から中標津駅跡(中標津バスターミナル)まで歩いた動画を上げてます。
@@yamacchi2133 スーツさんはやらないだろうと思ってましたが、綿貫さんさすがですね!
私は帯広空港から幸福駅経由愛国駅まで歩きましたが、さすがにその先帯広市内まではギブアップでした。
@@Su---- 綿貫さんは各地の空港を徒歩で制覇する空港ウォーカーなので…笑
(最長で佐賀空港から佐賀駅まで歩いたこともある強者です。帯広空港から幸福駅まで歩いた動画もありますね)
@@yamacchi2133さん。
綿貫さんが歩いてましたか‼️
和尚はん。ハゲはごっついアドバンテージやで。ごっつう身近に感じる。ええ武器になっとるわ
わしか?まだら白髪やねん。見えへんけどハゲてへんで 笑
標津線は、標茶~根室標津、中標津~厚床。両方標津線です。
手元に路線図があり、確認しました。
1こめ