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うなぎ茶漬けは、献上品の鰻の佃煮のことですね。天皇の料理番だった方(この話にも出ていた柏餅を葉っぱ付きで出してしまった方)の著書によると昭和天皇はこのうなぎ茶漬けがとても大好きで、献上されると本当に嬉しそうに少しずつ大事に大事にお召し上がりになっていたそうで、何日か経ってからもちょっと照れた表情で「あれ、まだあるかな?」とお尋ねになるのがなんとも微笑ましかった、と書かれていました。老舗のデパ地下でも見かけますが、ちっちゃな小瓶かパック詰めで結構なお値段します!
物を知ってるというのは良い事だね。微笑ましいエピソードである。
昭ちゃんかわよがすぎますわw
やはり昭和天皇は物静かで博学で物腰柔らかなおじいちゃんという感じがあって、食べている物も、庶民と同じ食べ物を食べている所に親近感が持てます。
フグは万が一、毒が当たったらイケないからって「食べたいのに食べさせてもらえなかった」ものだそう。そのくせ侍従は食べたと聞いて、悔しそうに「フグには毒があるのだぞ」とおっしゃったとか…
カップラーメンの件といい、侍従さんは主人に対しなかなかのSっ気を出しますなぁw
2回ほど料理人とお医者さんと昭和天皇で食べたい。毒があるからだめって言う言い合いが2時間位続いて香淳皇后にいい加減にしなさいと言われてから大人しくなったって聞いて、天皇も奥さんには頭が上がらないんだと思った
昭和天皇といえばカップラーメン事件もありますね友人からカップラーメンの存在を知ってどうしても食べたくなったが、侍従から許可がもらえず友人に頼んで極秘入手夜、自室に侍従にお湯を持ってこさせて入手したカップラーメンにお湯を注いで3分たって食べようとしたら侍従が部屋に来てカップラーメンは没収諦めきれなかった昭和天皇がその侍従と交渉しようと侍従の部屋に行ったらそのカップラーメンを没収した侍従が食べていたそうです昭和天皇は流石にムッとした顔をしていたそうですが侍従を叱ることはなく味の感想を聞き「食べ物を粗末にするのは良くないから残さず食べなさい」と言って自室に戻られたらしいです
かわいそーだな、
細かいようだが、侍従からの「許可」じゃなくて「承諾」ね。侍従は天皇からしたら目上ではありません。
我々は陛下のお口に入れられない物を食べさせられていると言う事でもありますね。
う~ん、気の毒な😟植物だけではなく、食への探求心も深くますます昭和天皇陛下への親しみが湧きました。
フグも同様のエピソードがありますね。その時は少し嫌味があったらしいと聞いた記憶があります。
若い頃行幸時に「うなぎうめー」といったばかりに行幸の時はいつもウナギ…以来表では好き嫌いを黙ってたという
お茶目なエピソードですね、その場に居てみたいものです
まあ誰でも好きでもいく先々で毎回同じ物を出されたら嫌いになるわな(笑)
生産量が多くないので余り有名ではありませんが、私の地元市も、特産の桃を献上しており、時季になると「献上桃ニュース」が流れます😊マスクとは違いますが、口には紙のマスク様の物、白地の割烹着様を着用し、無言で丁寧に選別された最上級品を桐箱に納める、神事に近い独特な作業風景なんですよね。
献上というのは、心と心の問題であるから、そこは僕は一切触れられないね。
その献上桃で詐欺行為を働いた輩がとっ捕まったらしい……。
サンマは明治時代に、養育係を勤めていた○○(名前忘れた)の家で食べたのがおいしかったらしく、明治天皇に何が好きだ?と尋ねられた時に「秋刀」と答えたそうです。サンマは下々の人間が食べる下魚とされており、昭和天皇はそれを知っていた為、本当のことを言うと養育係の立場が悪くなると気遣い「あきがたな」と言ったそうだ。明治天皇は、当然知らないし、周りにいた侍従や女官たちも秋刀魚ならわかるけど、あきがたなでは理解できなかったので、助かったらしい。
昭和天皇物語で出てくる当時としては珍しいタイプの人ですよね
御養育係であった川村純義海軍中将(没後大将)のことですね。あと聞かれたのは明治天皇ではなく昭憲皇太だと記憶があります。「お好きなお魚(おまな)なあに?」と。
まぐろですか?
やっぱり昭和天皇様は日本のお父さんって感じ。ちゃんと可愛らしさもあって。本当に有り難いお方だったと思う。
お茶漬けのお話が好きです
戦時中に多くの若者が飢えて散ったのに責任も取らずやれ鰻だフグだと舐めてんのかと思う
昔うなぎはどこの川でも取れる庶民の食べ物でした。戦後の食糧の不足している時代でも、うなぎは取れたそうです。御巡幸で日本中を回られた時に、新聞に「天皇陛下の好物はうなぎ」と掲載されたそうです。のちに入江侍従長に「うなぎは好きだけどね、どこへ行っても毎日うなぎには参ったよ」と漏らされたそうです。でもどこでも美味しいとおっしゃって食された事でしょう。お人柄が偲ばれ、私は子供の頃、入江侍従長の記事を見たときに涙が出た記憶があります。
御料牧場の食材、余った分は少ないけど一般的流通もしてて、たしか牧場の卵を仕入れてプリン作ってる喫茶店があるはず
昭和天皇はイチゴババロアが好物で食事腹八分で残りの二分はイチゴババロアを好んで食べていた事は当時の侍従長の記録にある。
読み流してたらイチゴババァに見えた、すまん。
😅
いちごサンドウィッチにもこだわりがあったんですねー😊
養蜂から始まり、佃煮を作ってくれたじいちゃんに感謝しかない😂
「天皇の料理番」のモデルにもなった秋山徳蔵さんも、陛下の食べられる料理が想像してたよりも質素だった為「少し拍子抜けした」と回想した事があります。
以前、聞いたのは社長やってる人の好物がカップラーメンと魚肉ソーセージのセットだったり唐揚弁当だったり氷ならイチゴとか。。。お金もっていても以外と素朴なものや子供の頃に食べたものが好きなんでしょうね。
ご飯に合うものはわりと高級品じゃないほうがいいんだよ。コニャックに駄菓子のキャンディーが合うと勇次郎もいってるだろ。ラーメンライスや魚肉ソーセージはジャンルとして日本人の本能に訴えかけてるから丁寧に調理したモノより上の場合もある
昭和帝様が愛おしい・・・
上皇さまは行幸される際、お昼ごはんはまず間違いなくカレーライスだったなぁ。
あの方は、登山道を整備してくれるありがたい方です
作るのに手間がかからず、食べるのに使う食器も少なく、随行者の分までまとめて大量に作れるので「現地の人の負担が少しでも減るように…」との御意向でカレーが定番になったそうです。
工場を見学された際も社食のカレーを召し上がりおかわりされ社食のおばちゃん達が感激したとか。
戦後の焼け跡巡幸のとき、焼き芋を出されたことがあって、現地の人は「こんなものしかありませんが…」と申し訳なさげに言ってたが、昭和天皇はその焼き芋を美味しく召し上がっていたそうです。しばらくして、食事の時さつまいもが出たそうですが、皮が全て剥いてあって「あの皮が美味しいのに…」と大変残念そうに仰ったそうです。
まるで目黒のサンマみたいだなこの話
@@kenta-z3e懐かしい
陛下は土の付いていたものは料理番から出されないので芋の皮はNG🍠
@@はははのは-t1u そもそも芋も皮岸が旨いのを知っておられたからの発言だし・・・・www。
明仁上皇陛下の銀座でブラブラする銀ブラ事件も面白いですね。😊
この動画がなぜかオススメされました。奇しくも終戦の日。昭和天皇のお食事に想いを馳せました。
解説されているように魚なら小骨に至るまで取り除け、野菜をミリ単位で刻むなど、調理が非常に丁寧だとか。しかも厳選された素材や御料牧場産の食材などなど、メニューは素朴ながら庶民が口にするものとは段違いに美味しそうです…。
ぶどうの皮まで剥かれて出てくるらしいですね。
出されたものは全てたべなければならないという掟が基ですね。骨ごと食べられるものも、喉に刺さったらそれこそ一大事。魚は小骨を全てとって、キレイに形を整えなくてはならず、サンマの塩焼きは骨と内蔵をとって筒状に切って立ててお皿に並べたのだとか。いわし等の小骨の多い魚は大変だったでしょうね。
今の陛下が小学生の頃給食に丸ごとのミカンが出て、どう食べたらいいのか分からずにポケットに入れて持ち帰り、母である美智子妃殿下(当時)にこれはどうしたらいいか尋ねたとか。ミカンは薄皮を剥かれ、缶詰のような形で供されていたそうです。また、厨房に入ったばかりのコックさんがグリーンピースを剥いたところ豆についている薄皮をきちんと剥け!と注意されたそうです。
@@猫エージェントしかし、柏餅では葉っぱの葉脈以外は食べたと
あの人はリベラルなのだが、昭和天皇もいらんことするなという一語を言えなかったのだろう。昭和天皇と記者たちの初めての懇談会や、崩御時のパレードの右手と右足が同時に動いている兵の動画を見るといい。ふざけすぎると、真逆の、緊張のしすぎがそこにある。懇談会の方は、フランクでね、本当にリベラルで、帝国のごみ屑どもとちがうことが分かる。
昔から上様は目黒のでサンマが好物と噺が在る。アジやイワシの大衆魚は調理も簡単で美味しい。
宮中晩餐会や外国を訪問すると外国の料理も出るから、和食以外にも慣れていただかないとね
日本大使や国賓が和食を望んでいるのに、フランス料理なのでガッカリする人が多いと大使の多くは、皇居への挨拶時には馬車選ぶとかオマエラ日本に何を望んでるんだよ
この宮内庁御用達の蜂の子缶詰は衝撃的に美味い言葉で表現するなら「ハニーアーモンド」中央道の諏訪インターで売ってた
昆虫食も蜂の子とか蝗の佃煮とかなら抵抗なく食べるのになあ。何故にコオロギ...。
食事にお刺身が出されたら残った醤油をご飯の上にかけるのが好きだが侍従に止められた話もあったような(ワサビやネギのような刺激物は苦手だったとか)
本来なら、ワサビのような刺激物。葱、生姜、大蒜という臭いのきつい物は出すのが禁止だったそうです。それでも場合によってはでることがあったそうで。その時には「珍しい食材がでた!」と喜ばれていたそうです。(特に大蒜は西洋料に多く使われているので、慣れるためにも使われることがあった)晩年は健康管理を兼ねてかなり薄味で塩分量も減らされていた。と言うのも関係しているとか。侍従に醤油がけ御飯を止められて、「御飯の上に醤油を垂らして食べるのは美味しいと聞いた」とおっしゃり、誰が教えたんだ!と問題になったとか。(誰から聞いたかは秘密にされたそうですが、どうやら若い頃に知ったらしい。戦前の外遊で、船の下士官が食べていたので知ったのでは?という)
色々なエピソードを聞いていて、昭和さまにまたお目にかかりたくなりました🤗
墓稜行ってみたら、入れはしないが、手前までは行けるかも。
@@流浪七也 あ、そうですね良いことを教えていただきありがとうございます
昔、埼玉に来られた時にお目にかかりましたが、ただただ感動で、無意識に手を振ってました。
皇室の奴らが我々が食っている同じものを食うことはない。なぜなら毒入りだと知っているから。しかも毒を入れろと命じているのは平成てんのーう。日本人が病気になるとクスリが売れる癌になると抗がん剤が売れる市ぬと生命保険1500万円がてんのーに入るいいことづくめ!俺たち日本人は奴隷以下の存在気づこうぜ!
洋菓子はババロアをよくお食べになられていたようです🤔
バナナ🍌のベーコン🥓巻き食べてみたい❤
たしか天皇陛下は皇居で日本マサリって米を作ってましたね。
昭和天皇が普通の人の仕事を体験したいと我儘言ったエピソードの一つですそれまではそんな事した天皇はいない
@@シュウ-y2p 明治に入ってからはな。戦国期までならごく普通
気になったもの04:48いちごジャムサンド 15:40バナナのベーコン巻き 単純なようでいてこだわり深く風変りな一品。旨そうなのでさっそく試してみたい!
バナナのベーコン巻きは、戦前の新聞でもレシピが紹介されていたそうです。当時は、ハイカラな西洋料理。として、青いバナナを使うのが推奨されていたとか。曾祖母は新聞が見て作ってたとかで、祖母の得意料理でもありました。
@@colocalo100 あ、やはり青い方なのか。そっちは原産地でも加熱料理に使う、とは聞いてましたが、日本じゃまず手に入らないですよね。意外と歴史の古い料理のようでますます興味深い。ベーコンと大降りで固めのバナナは手に入れたので、とりあえず現状で試してみようかと思います。(酢豚にパイナップルOK派)
バナナのベーコン巻き作ってみた!調理は簡単。表面カリカリ、中はねっとり。甘さと塩気が入り交じる。白飯よりパンの朝食が相性良さそう。あと欧風カレーを試しにつけてみたら旨かったので、カレーの付け合せにはいいかも。よって、好みは大きく分かれるかもしれない(青いバナナなら甘さ控えめになるのかな?)が、朝食のお供としては満足感のある味わいだと思います。
@@yoshiroh_ironslash_mantis 多分、英国植民地料理か、パパイヤ辺りの代用なのでしょうね。植民地(インド)の料理人が主人の帰郷について英国に渡って英国で開発したのが「タンドリーチキン」だそうですし、ベーコンバナナもその一種の感じがします。昔は日本でも、青いバナナは手に入ったそうです。船便輸送の関係で、青いうちに収穫。船内で追熟だったそうで、黄色くなっていても甘味は少ない。船内の置く場所によっては青いまま(追熟失敗)の物もあった。青いと安いのよ。と祖母に言われたことあります。
@@colocalo100 ほぉ…昔は今と違って自然と追熟させていたんですね。第二次世界大戦直後バナナは高級品ときいていましたが、ひょっとして食べ頃のものを市場に出すのが難しかったからってのもあるのかな?(今は冷蔵庫内で冷風当てて追熟)青いバナナも昔は失敗品扱いだけど、今はネットでレシピの共有、化学の発達でその状態だと健康によい成分が多く取れることが明らかになって注目を浴びる存在に。時代の進歩というのはすごいものだ。そしてこんなやりとりで様々な体験、知識を分けてもらえる。本当にありがたいことです!
昭和天皇は「ふぐ」 を食べられなくて周囲に恨み節を言っていたのが有名なエピソードですね。
フグの幽霊が出るぞ、と言うお話ですな。
代わりにマグロが出されたが港町ならどこでも手に入る、つまり特別感はあまり無いそれも恨めしかったのでは
戦争後の慰問でうなぎの蒲焼3枚重ねて出したら美味しそうに食べた。その話を聞いた他の慰問先でもうなぎばかり出でるようになったって話好き
食べたいと言われた事は事実でしょうが、好きかどうか何とも。国民に寄り添う事を旨とされていましたから、「庶民の食べ物」として所望されていたのかも。(^^;
青魚はお好きだったようですよ。味以上に、御養育係だった足立孝子女史との思い出がつまっていたので。陛下にとっては「お袋の味」だったのでしょう。
初期の美味しんぼのエピソードで出てきそうな素敵な逸話
百済ない話にしかならん。
食事が庶民的なのは予算面も関係してそう。
それもあるだろうけど、戦後直後に新たに御所を建てましょうって話があったときに、国民は食べるものどころか住む場所すらない人もいるのに新たに御所を建てるのはだめだ。と昭和天皇が言って、雨漏りもする防空壕に16年住んだあと御所を建てるときに予算を抑えるように何度も言ったなんて話もあるので、従者のメンツを潰さない範囲で節約してたのかも。
今上陛下が皇太子殿下だった頃、海外の要人を御所に招いてお食事した際は、その週の夕食は毎日カレーライスになってしまったと言われています。ご一家は不満一つこぼされずに召し上がっていたそうです。
言うまでもなく有名なロックンロール歌手のエルヴィス・プレスリーは油で軽く素揚げしたトーストにピーナッツバターを塗ってバナナとベーコンを挟んだサンドイッチを好んで食べていてエルヴィスサンドと後に呼ばれるようになった。バナナの甘味とベーコンの旨味は意外と相性の良い食べ物。キングが好きなら当然エンペラーだって好きになる味だったんだろう。なお、エルヴィスサンドに使うピーナッツバターはスキッピーのような塩気の強いアメリカ製を使うこと。日本製は甘さメインなので強いバナナの甘味とベーコンの塩の聞いた旨味が出す甘じょっぱさのバランスが崩れる。
かしわもちの葉まで、、お召し上がりになった!?〜エピソードある程、元料理番だった方の体験談でした。
桜餅の葉っぱは美味しいな。料理出した人、震えただろうねw。
葉脈は残すあたりに、陛下のもう一つの顔である植物学者としての一面が窺えて微笑ましい。
本来なら、付け合わせとして皿の上部に飾るようにしておき、給仕から説明をするように、配膳室あら申し伝えるそうなのですが、何故かそれが行なわれなかったという・・・戦前は、食べられないものを出した料理人は罰を受けたため(最悪処刑)、『本来は食べられないけど、陛下が召し上がったのでセーフ』という形を整えられたそうです。香淳皇后は「硬いので、貴女は召し上がらない方が良いね」といわれて、胸をなで下ろしたとか(本来なら、陛下の召し上がる物は皇后も食べないといけない)
昭和天皇陛下、私たち日本人のお父さんだった、1972年?小学生の頃、日の丸の小旗を持って天皇陛下のお乗りになった列車を見に行った、9歳の子供だったけど余りの崇高さで全身鳥肌だった、優しい優しいお顔が忘れられない、その頃の日本人は、純粋で誇り高かった、オリンピックで外国人に勝と皆、大粒の涙をら流していたな😢
昭和30年代の日本人は良くも悪くも民度なくて危ない奴がてんこ盛りだったよ。戦時中も田舎なんか密造酒つくってるのを官憲が見つけると後から村の若い連中がそいつを闇討ちして闇から闇とか割とあったんで見て見ぬふりしてたり、今の日本人とは倫理観が違う。いまは政府にみんな飼いならされてかなり大人しくなってる
やはり、私くらいの年齢はどんな意味でも、昭和天皇陛下は特別だと思ってしまうな。
昭和の頃は鰻も高級魚ではなかったよね。
陛下は鯨を食した事はあったのだろうか。
「陛下は鰻が大好物でした。でも、いつも召し上がっていたわけではありません。陛下にとっても、鰻は御馳走だったのです」「お茶漬け用の鰻佃煮が献上された時は、数日後に「あれは、まだ残っていますか?」と我々に尋ねるくらいでした」「皇室には予算が厳密に決まっています。安く手に入る『旬の物』を使って、いかに美味しいものを作るか。陛下もそれを期待していたと思います」「食事が気に入った際には、必ず「美味しかった」と伝えてくれました」「食事がお口に合わない時は無言でした。料理が不味かったのか、陛下の体調が悪いのか尋ねる訳にも行きませんから、料理人は気を揉んだものです」「陛下も、自分が食べたい物があった時はあると思います。でも決して口に出されませんでした。我儘を言うと、我々が困ることを知っていた、躾けられていたのですね。」香淳皇后陛下はお酒を嗜まれる方だったけど、昭和天皇は二日酔いの経験からお酒が苦手だった。だから夕食の際には酒粕漬けである奈良漬でお相手をしたとかの微笑ましいお話も。
蕎麦が好きで月に一度のそばの日を楽しみにしていたとか何かで読んだ気がする。
@@01mekiira72 司厨長としても「各地から新蕎麦が献上された事は陛下もご存知で、お礼状を書く雰囲気からも、その日の夕食は大変期待されていたのがわかった。ネタ切れであっても、美味いとはわかっていても、どんぶりに蕎麦を山盛りにして茗荷と葱をぶちまけた『ぶっかけ蕎麦』を出す訳にもいかずに苦労した」ってくだりですね。
お酒が好きな良子さまにますます親近感をいだいてしまいます。
@@yngkz23きっと、お召しになるほど朗らかにおなりになる、楽しい上戸でいらっしゃったのでしょうね
戦後の北陸巡幸でたくさんの鰻が出されて大喜びされたのだけど、それが報道されたら以後どこへ行っても競争のように大量に出されるようになって困られたと言う話も。いくら好物でも鰻を毎晩出されたらしんどいよなぁ。好き嫌いは言わないという帝王学があるけど、こういう理由もあるのかもしれない。
箱根の「桃源台」は本当に何にもないところだった。あんなところに施設とか作れたんだとさえ思うほどに。だが、昭和天皇御用達のうどん屋があったね。ランチタイム(だけかもしれんが)入るのに順番待ちだったね。
現在の「山のホテル」(小田急が運営する国民宿舎)ですか?
映画「君たちはどう生きるか」で、バターを塗ったトーストにジャムをたっぷりのせて食べるシーンがあります。学習院出身の宮崎駿は戦前のブルジュアの生活をよく知っていたんだなあと思いました。
全国に周った理由が美味しいもの食べてるからっていう理由もあったそうで…たまには違うもの食べたい欲求は出ちゃうのも分かる。
初めて柏餅を食べた時、葉まで食べてしまったのを思い出した。
駅弁で有名な「鱒の寿司」。2段になってるの知らずに、挟まっていた(さすがに包んでいたのは取った)笹の葉ごと2段重ねで食べちゃいました。オマエはパンダ🐼か❢と言われた😢
シーラカンスの解剖に立ち会った時に生物学者の観点から「食味」を試してみたくなり、「これ、食べてみていい?」と聞いたけど周りから全力で止められたとかw
あれはアカンやろ
@@Tsurusampachi 昭和天皇は同じ理由でイソギンチャクも食べたりしてますから生物学者としての好奇心を抑えられなかったのでしょうねw
上皇様エピソードだけど、公務で外出した先で喉が乾いたからお茶をお代わりしたら断られたらしい側近(侍従?)から現地のお世話の方に「おかわり言われても差し上げないで」と言われてたみたい理由はお手洗いに行きたくなったりしたら大幅に警備とか変更しないといけないからちなみに上皇様のお返事は「それは残念」だったとのこと気品ありすぎ
ハチノコ 今でも 夏になると食してます
ざざむしも食べるでしょうか?
昭和天皇「うなぎ!いわし!さんま!あじ!さば!」上皇陛下「はぜ!はぜ!はぜ!」うーんこのロイヤルファミリーかわいすぎかよ推せる
お魚大好きなお二人ですね!
なにしろ生物学者だし…
天皇に食べて頂きたいと献上される品だと思っていましたが横領まがいの献上催促する宮家があるとかないとか?
祭事ではない時は普通に粗食だそうで、職人さんが拍子抜けするとか。
経団連会長だった土光氏の好物がメザシだったな。
ただあのメザシは生半可な鯛より高い高級品
(屋台の)中華そば(ラーメンでは無い)事件というのが有るらしい。別名:夜鳴きそば事件とも言う。
(検索・・・)う~ん、わからない。気になる。何があったんじゃろうか?ただ、ほかのエピソードから察するになんとなく陛下にとっては悲劇的な話のように思えるw
予想だけど、夜鳴きそばの音を「あれはなんの音か、食してみたい」→断られた、みたいな感じ?旅館のハトヤのCMが流されていた頃に「ハトヤとは何ぞや?」とお聞きになられたみたいな。
昭和大帝が何かの催しで天覧された際、陛下と同じ食べ物を臣下に振舞ったがこれが麦4米6の黒いおむすび!陛下は「これがうまいんだよ」と舌鼓。臣下は「こんなのうまいわけないじゃないか」と陛下の質素な心掛けに涙を落とした。
明仁は白米のおにぎりを 見せびらかして食べたと
明仁は白米のおにぎりを 見せびらかして食べたと 学友が言ってた。
@@aman5151 しかし天皇になったら麦飯になった。
@@aman5151 様だ~か~ら~上皇陛下上皇后陛下を呼び捨ては止めようね!昔からある一部の人達から有らぬ事ばかり言われてましたが、もうご退位なされたのですからあなた方も静かにフェードアウトしましょうね
「昭和天皇と鰻茶漬」「天皇さまお脈拝見」「昭和天皇の料理番」あたりが参考文献なのかな?と思いました。
柏餅の葉っぱを食べちゃったエピソードは有名ですよね。桜餅と同じだと思ったのかなぁ🤔余談ですが食べ物じゃ無い話題を1つ昭和天皇って植物を研究してたせいも有るけど『雑草という名前の植物は無い』と言った知って俺もツユクサという名前の植物の花が大好きだから親近感を得たよ近年は除草されて見かけ無くなって残念ですが😢
うちの畑に沢山出てて大変なくらいです。ビニールハウスにはドクダミが😅朝早く見るとツユクサは綺麗ですね😆
俳優の岡本信人が雑草の本を出してますね。何かの番組で道行く雑草を解説して天ぷらにして食べてました。
私九州の人間ですが小さい頃柏餅の葉っぱも一緒に食べてました😂
勘違いではなく、料理人を庇っての行動。と言うのが正しいかと。戦前は、食べられない物を出した料理人は罰を受けたそうです(場合によっては死刑)。あと、残したり、好き嫌いを言うと、料理人の責任問題になったそうで・・・。それもあり、出された物には文句を言わないようにしていたそうです。あと、食べられないと分かっている物でも食べてしまうと「陛下が召し上がったのでセーフ」となったとかで。
昭和天皇のウナギ大好きも共感できるが、納豆大嫌いも共感できる。
納豆は粘りのあるものを御膳にあげるのはと悩んだ料理人が粘りをとったものを出されたようなので、普通の納豆を嫌いかはちょっとわからない
蜂の子はナッツみたいで美味しくて大好き!長野に旅行の時必ず買い求めますよ
カップラーメンは侍従に没収されたらしいです。
美智子は粉屋の娘なのに。
フグを食べたいと言った陛下にはダメだと言いながら自分たち侍従はその前でフグを食べていた。
もしかして侍従お腹空いてる?
@@straker1701 下関への御幸行ですね。フグ料理で有名な高級ホテルでのこと。昭和天皇がご就寝されてから侍従達がフグで宴会をして楽しんだ。後でそれを知られた昭和天皇が恨めしそうに「フグには毒があるのだぞ」(フグを食べたいと所望したら、フグには毒があるのです。と説得され諦めていた。皇室の伝統で、毒のあるもの(フグ)、臭いのきつい物(葱、生姜、大蒜、青魚)等は食卓に上げるのが禁止されていた。青魚は、ご養育係が健康に良いと独断で食べさせていたので好物だった)
@@straker1701 昭和天皇のフグと言えば、皇居フグ事件(常陸宮フグ事件)も有名。ある日、常陸宮が父上へのお土産。としてフグ(調理済み)を持参された。非常に喜ばれて「食べたい」侍従長「お出しすることはできません」「何故食べてはいけないのか」侍従長「フグには毒があります」「きちんと調理されたフグだぞ」侍従長「万が一という事もあります」「常陸宮が持って来てくれたのだぞ」と大議論が始まってしまった。香淳皇后の「いい加減になさいませ」の一事で議論は終わり。昭和天皇はフグを食べられなかった。
(o・◇・o)堺正章さん主演で「天皇の料理番」って番組がありました
大正天皇でしたよね。
佐藤健さんでのリメイクもありましたね。両方観ました。
子どものころ 見た記憶あります
あれでザリガニ料理が出てきて驚いた記憶が(食材はニホンザリガニだったけ?)
昭和天皇は当時の皇室の慣習に倣って、幼少期は他家へ里子に出されて育っていられて(この理由については又別な話に成ります。)、その時に一般の庶民と同じようにさんまを食べられました。それでさんまが大好きだったんですけれども、皇室ではさんまという言葉を出してはいけなかったそうです。それでさんまを食べたかった。昭和天皇はずっと秋刀魚(あきがたな)を食べたいと言われていたそうです。😊なんだか可愛いですよね。
バター塗っていちごジャムはやってます。単に美味しいからw
わたくしも好きです
あ、じゃんぼ
ヨーグルトと言えば、乳製品は飛鳥時代から常食だったんだよね飛鳥後期~奈良時代には蘇(塩気のないチーズみたいな?)を肴に赤ワインを玻璃の杯で嗜んでいたそうな
フグを食べたかったのに、取り上げられて食べられず、お怒りの昭和天皇(笑)
父親の好物だからと、河豚(身欠き河豚)を手土産にした事を母親(香淳皇后)に叱られた常陸宮殿下。 ※侍医とフグを食べる事に90-120分の論争になったので
御料牧場には水田はありませんが、皇居内で天皇自ら田植えされている水田がありますよね。収穫されたものは、主としてお供え用とのことですが、宮中三殿に供えたものを下げて召し上がることはないのでしょうか?
自らで収穫した食物を備え、供えるという精神の話ですね。うっかり、人口が増えすぎると、食物を備えることもかなわなくなる。
@@ts7049 私の住むドイツの食料自給率が8割超なのに対し、日本の食料自給率は低すぎる。これでは万が一の有事の際や、国際情勢の変化に対応できず心配、という話を母としていたところです。*****ただ昭和天皇が自ら稲作を始められたのは、生物学者としての見識に加え、神前にお供えする米を、農薬なども使用している市販品では申し訳ない。無農薬で自ら心を込めて作ったものを、ということのようです。同じ精神で、竹田恒泰氏も無農薬の米を栽培提携農家に依頼し、田植えや稲刈りには自ら学生たちとともに参加し、その米でお神酒をつくり、正月などに親善にお供えしてからいただく運動をされています。そのお神酒の収益は、古事記の現代語訳を全国のホテルや旅館に無料配布する経費に充てているのだとか。農業にも食文化、精神が必要ですね。
皇室の食卓で皿に乗せたものは全て食べられないといけないから、魚の骨は全て取り除いていたらしいですね。
生物学者でもあったのでウミウシを煮付けにして食べた記録があるそうだ。まずかったという感想らしい。
料理番に天婦羅屋に紹介されて食べに行った事は有名ですが天皇陛下が赤提灯で焼き鳥で一杯とはいかないわなぁ。心中察します
ポイズン→人工毒トキシン→自然毒フグはトキシン❤
秋さんが好きな言葉
刺身食った後のわさび醤油をご飯に掛けて食べようとしてお付きの人に止められた話好き
術後にムニエル食わせるって結構鬼畜だな
脂っこいのに😂
ムニエル。といっても、ムース食だったそうです。(術後食や介護職として使われていて、市販もされている)あと、慣例で身分の高い方に青魚は出さなかった。というのもあったそうで。その時に「中秋の名月はいつか。団子(月見団子)が食べたい」「中秋には(月見)団子が食べられるのだよ」ともおっしゃったそうです。季節の行事では、それに併せた和菓子がだされていたそうで、季節季節に出される和菓子もたのしみにされていたとか
@@colocalo100なんなら、飯食えない神事もあるからね。あの歳でやってたのはガチでやばい
私の田舎だと、蜂の子は栄養があって薬になるからということで、小児喘息とか身体が弱く生まれた子供があると親族の叔父さんたちが山菜取りとかで山へ行ったついでに蜂の子を取ってきて食べさせる風習があったな。取ったままじゃなくて佃煮にしてきたり、甘く味付けしてくれたり、兄が小児喘息だったから小さい頃についでで食べさせられたっけ。
鰻茶漬けは献上が年二回ぐらいで、何度かに分けて御前に出たはず。「アレまだ残ってたよね?」というリクエストかあったとか。ちなみにオートミールは、皇太子時代の欧州訪問の時に持ち帰られた習慣
動画で出てた長野県(南部)や岐阜県あと愛知県の蜂の子を食べる地域には地元で獲れた国産の蜂の子売ってたりする。
現代ではそんなことはあまりないと思いますが昔は天皇は自分の好みとか意見を軽々しく言うのを自重していましたなぜならその発言によって最悪、人が死ぬということがありうるからですただ、面白い話もありまして、明治初期に木村屋のあんぱんが流行ってそれを口にした陛下は「これをまた持ってくるように」と言ったそうな美味しいとかまた食べたいとは言えなかったが大変お気にめしたということが分かります
戦国大名とかは常に身の回りにスパイがいるから身内にしかわからないような言い回しで意思疎通するのが普通になったんだよ。今の天皇の概念持ち込んだ維新の薩長の流儀に合わせる形になった。天皇家といっても維新からと江戸や戦国期なんかは全然違うからな
フグの話は何かで読んだことあるな。侍従や料理人に「フグを食べてみたい」って頼んだら、みんな総出で「それだけは勘弁して下さい!」って(笑)。「毒があるから? でも、国民は食べてるじゃない??」「万が一、があったら...」「でも...」と、しばらく議論してたら...黙って聞いてた皇后さまが、「いい加減、諦めなさい!」って(笑)。
「食べていた」ではなく、「召し上がっていた」な?処すゾ。
昭和天皇は、庶民派だから😸
孝明天皇(明治天皇の父)も、物凄いエピがある。ある日、夕餉に魚がだされた。某大名からの献上品だった。孝明天皇は半分だけ召し上がられた「とても美味しい。明日も食べたいので取っておいてくれ」幕末の公家は困窮していて、皇室も例外ではなく、魚は滅多に食卓に上がらなかった。と言う話。献上された魚は鮭とも鯛ともいわれている。(大名が朝廷に貢物を献上するには幕府の許可が必要だった。この献上は無許可でされた。幕府の統制が揺らいでいた。という話でもある)
庶民派というより庶民に寄り添って下さった感じ。子供の頃、能登への行幸のさいに列車でのご移動の予定が御車でのご移動になられ、実家の側の道をお通りになられたのだけれど、本来沿道に出るなとお達しがあったんだけどウチの父親が陛下のお姿見たさに近所の人と数人で沿道に集まった(私も駆り出された)。数人程度のためにわずかながらではあるけど速度を落とされお手振りして下さったのを覚えている。子供ながらにそのお心遣いに感激したのは忘れられない。
@@妖の姫巫女防弾ガラスなのに、雨でも窓を開けて手を振ってくださるのが昭和天皇
そりゃあ千代に八千代に末永く生きていただかなければならない現人神だもの、贅沢品なんか周りが食べさせないよ(笑)
上皇さまが皇太子時代にお寿司をリクエストしたことをテレビで観たことがある。大膳課の方もお寿司は専門外ということもあり、寿司屋に出向いて技術的なことを学んで陛下の前でお寿司を握ったという。陛下は大変喜ばれて20かん以上召し上がったという。
本当に庶民的で控えめでお優しくて、、、と、伺えば伺うほど素敵なお方だったんですね。それにしても、皇室のお料理って、質素な素材に手間暇掛けて見た目は普通でも、中身は最高のお料理なんですね。う~~ん 憧れちゃいます!
300万人もの日本人を死に追いやりながら食べ物がのどを通る図太さに驚愕
@@gesxsefsyw3 食べないと死んじゃいますからね。
本当に庶民的ならあんな百済ない戦争するか?
@@gesxsefsyw3 ん。貴殿は2次大戦の戦争責任が天皇にあるってことを主張したいわけですか?そのことと、昭和天皇が庶民的であったという事とどんな関連性があるんでしょうか?
@@えいじ英ちゃん こいつに食べ物を与えるのは税金の無駄
御料牧場て、すごいんだなあ、、柏餅の大失敗は、お気の毒でしたよねぇ。
通常は、皿の端に「添え物」として飾る。若しくは、開けた状態(葉を皿に見立てて)で配膳係に伝言を頼む。(葉で包むものなので添えましたが、お食べにならないように。等)という配慮がされるそうなのですが、その時はうっかり忘れたか、配膳係が間違えた(他の人の皿を配膳した)らしいです。皇后は陛下と同じ物を食べる(陛下が食べた物は皇后も食べる)決まりがあったそうで、「筋張っているので貴女は食べないように」と言われたそうです。香淳皇后はほっとしたとか
良子さまのお料理エピソードも好きです。美智子妃のお料理エピソードはありますが、香淳皇后もお料理はお得意だったそうです。良子さまの作られるメニューもとても庶民的でした。
とても興味深いですどうぞ一例をお知らせくださいませ
@@hinnahinna1225 さま終戦の日に玉音放送を終えられた陛下にケーキを作られたり、昭和天皇がお好きなしいたけが入るとバターで焼いたりしたそうです。
蜂の子は多分中国の場合漢方薬のローヤルゼリー取るから品質管理をきちんとしてるんかな?
いや、抗生剤散布しています。
精米の技術が上がって何度も水を換えてコメを研ぐ必要が無くなったって言うけど米の伽汁で灰汁を取ることができなくなってるのかな?
小学生の頃に父方の叔父がハチをとってきてピンセットで巣から蜂の子をとる手伝いをしてました。ちなみに、成虫の方を炊き込みご飯にしたのを両親が持って帰ってきて食べてみたけど一口でリタイアですw
同じ料理でも厳選食材に惜しみなく手を込めた逸品、似て非なる物やねでもその場の気分で好きなだけ好きなものを食べられないのはちょっと不憫かな
サンマは最近手に入りにくいからサンマの塩焼きや煮付けは美味いぞ。ムニエルなんて晩餐会等で食べ飽きてそうだよね。
晩餐会なんて国賓が来た時しか開催されないので私たちが思ってるほど回数は少ないですよ
青魚は脂分が多いので、「下魚」とされていて、昔は身分の高い方(将軍・大名・皇族・公家)の食卓には上がらなかった。・・・まあ、困窮していた時代の下級公家なんかは偶にめざしを食べるのが贅沢とかそう言うればレベルだったらしいけど
ただ食べ物口に入れちゃいけない神事も結構あるからガチ糞にはらぺこあおむしで公務してるんよな。
バナナのベーコン巻き❗😳見た目衝撃だけど、マジで旨そう🤤
昭仁上皇、今上徳仁天皇陛下の食事を知りたいけど無理かな?
お孫様の今上陛下のお好みはカレーライス。作り置きできて温め直せば食べられるからという食事を用意される方へのお気遣いもあるし、早く食べられるから、と。
上皇陛下にもそのようなエピソードがございますね。
後幼少期は、東京駅弁の「チキン弁当」(平成初期に一旦終売されるもその後復活)がお気に入りだったとか‥‥‥‥
「お召し上がりになった」だろ※「食べる」には最高敬語がない
質素に見えて素材は最高級ですから😅
煮物も好きみたいです😊❤️特に芋🥔が…
山登りのお弁当🍱が苺🍓のジャム(だけ) のサンドウィッチだったのが衝撃😂「美味しいね」と言ってたらしい🎉
蜂の子の甘露煮はスーパーなどで売っているところを見たことがないなあ。
昔 堺正章主演のドラマで天皇の料理番ってあったなあ。今度見てみようかな。
佐藤健のリメイク版もありましたよ。
バナナベーコンは美味しい。昭和天皇はお酒を飲まないと聞いたけど、おやつ感覚だったのかな。
陛下は鰻を「おうな」と呼ばれてましたね。
日本を自分の命と引き換えに守った偉大さと裏腹に柏餅の葉っぱを頑張って食べちゃう可愛さ(^_^;)私は歴代天皇さまの中で昭和天皇様が1番好きだなぁ(^_^;)
うなぎ茶漬けは、献上品の鰻の佃煮のことですね。
天皇の料理番だった方(この話にも出ていた柏餅を葉っぱ付きで出してしまった方)の著書によると
昭和天皇はこのうなぎ茶漬けがとても大好きで、献上されると本当に嬉しそうに
少しずつ大事に大事にお召し上がりになっていたそうで、何日か経ってからもちょっと照れた表情で「あれ、まだあるかな?」とお尋ねになるのがなんとも微笑ましかった、と書かれていました。
老舗のデパ地下でも見かけますが、ちっちゃな小瓶かパック詰めで結構なお値段します!
物を知ってるというのは良い事だね。
微笑ましいエピソードである。
昭ちゃんかわよがすぎますわw
やはり昭和天皇は物静かで
博学で物腰柔らかなおじいちゃん
という感じがあって、食べている物も、庶民と同じ食べ物を食べている所に親近感が持てます。
フグは万が一、毒が当たったらイケないからって「食べたいのに食べさせてもらえなかった」ものだそう。そのくせ侍従は食べたと聞いて、悔しそうに「フグには毒があるのだぞ」とおっしゃったとか…
カップラーメンの件といい、侍従さんは主人に対しなかなかのSっ気を出しますなぁw
2回ほど料理人とお医者さんと昭和天皇で食べたい。毒があるからだめって言う言い合いが2時間位続いて香淳皇后にいい加減にしなさいと言われてから大人しくなったって聞いて、天皇も奥さんには頭が上がらないんだと思った
昭和天皇といえばカップラーメン事件もありますね
友人からカップラーメンの存在を知ってどうしても食べたくなったが、侍従から許可がもらえず友人に頼んで極秘入手
夜、自室に侍従にお湯を持ってこさせて入手したカップラーメンにお湯を注いで3分たって食べようとしたら侍従が部屋に来てカップラーメンは没収
諦めきれなかった昭和天皇がその侍従と交渉しようと侍従の部屋に行ったらそのカップラーメンを没収した侍従が食べていたそうです
昭和天皇は流石にムッとした顔をしていたそうですが侍従を叱ることはなく味の感想を聞き「食べ物を粗末にするのは良くないから残さず食べなさい」と言って自室に戻られたらしいです
かわいそーだな、
細かいようだが、侍従からの「許可」じゃなくて「承諾」ね。侍従は天皇からしたら目上ではありません。
我々は陛下のお口に入れられない物を食べさせられていると言う事でもありますね。
う~ん、気の毒な😟
植物だけではなく、食への探求心も深くますます昭和天皇陛下への親しみが湧きました。
フグも同様のエピソードがありますね。その時は少し嫌味があったらしいと聞いた記憶があります。
若い頃行幸時に「うなぎうめー」といったばかりに行幸の時はいつもウナギ…以来表では好き嫌いを黙ってたという
お茶目なエピソードですね、その場に居てみたいものです
まあ誰でも好きでも
いく先々で
毎回同じ物を出されたら
嫌いになるわな(笑)
生産量が多くないので余り有名ではありませんが、私の地元市も、特産の桃を献上しており、時季になると「献上桃ニュース」が流れます😊マスクとは違いますが、口には紙のマスク様の物、白地の割烹着様を着用し、無言で丁寧に選別された最上級品を桐箱に納める、神事に近い独特な作業風景なんですよね。
献上というのは、心と心の問題であるから、そこは僕は一切触れられないね。
その献上桃で詐欺行為を働いた輩がとっ捕まったらしい……。
サンマは明治時代に、養育係を勤めていた○○(名前忘れた)の家で食べたのがおいしかったらしく、明治天皇に何が好きだ?と尋ねられた時に「秋刀」と答えたそうです。サンマは下々の人間が食べる下魚とされており、昭和天皇はそれを知っていた為、本当のことを言うと養育係の立場が悪くなると気遣い「あきがたな」と言ったそうだ。明治天皇は、当然知らないし、周りにいた侍従や女官たちも秋刀魚ならわかるけど、あきがたなでは理解できなかったので、助かったらしい。
昭和天皇物語で出てくる当時としては珍しいタイプの人ですよね
御養育係であった川村純義海軍中将(没後大将)のことですね。あと聞かれたのは明治天皇ではなく昭憲皇太だと記憶があります。「お好きなお魚(おまな)なあに?」と。
まぐろですか?
やっぱり昭和天皇様は日本のお父さんって感じ。
ちゃんと可愛らしさもあって。本当に有り難いお方だったと思う。
お茶漬けのお話が好きです
戦時中に多くの若者が飢えて散ったのに責任も取らずやれ鰻だフグだと舐めてんのかと思う
昔うなぎはどこの川でも取れる庶民の食べ物でした。戦後の食糧の不足している時代でも、うなぎは取れたそうです。御巡幸で日本中を回られた時に、新聞に「天皇陛下の好物はうなぎ」と掲載されたそうです。のちに入江侍従長に「うなぎは好きだけどね、どこへ行っても毎日うなぎには参ったよ」と漏らされたそうです。でもどこでも美味しいとおっしゃって食された事でしょう。お人柄が偲ばれ、私は子供の頃、入江侍従長の記事を見たときに涙が出た記憶があります。
御料牧場の食材、余った分は少ないけど一般的流通もしてて、たしか牧場の卵を仕入れてプリン作ってる喫茶店があるはず
昭和天皇はイチゴババロアが好物で食事腹八分で残りの二分はイチゴババロアを好んで食べていた事は当時の侍従長の記録にある。
読み流してたらイチゴババァに見えた、すまん。
😅
😅
いちごサンドウィッチにもこだわりがあったんですねー😊
養蜂から始まり、佃煮を作ってくれたじいちゃんに感謝しかない😂
「天皇の料理番」のモデルにもなった秋山徳蔵さんも、陛下の食べられる料理が想像してたよりも質素だった為「少し拍子抜けした」と回想した事があります。
以前、聞いたのは社長やってる人の好物がカップラーメンと魚肉ソーセージのセットだったり唐揚弁当だったり氷ならイチゴとか。。。お金もっていても以外と素朴なものや子供の頃に食べたものが好きなんでしょうね。
ご飯に合うものはわりと高級品じゃないほうがいいんだよ。コニャックに駄菓子のキャンディーが合うと勇次郎もいってるだろ。ラーメンライスや魚肉ソーセージはジャンルとして日本人の本能に訴えかけてるから丁寧に調理したモノより上の場合もある
昭和帝様が愛おしい・・・
上皇さまは行幸される際、お昼ごはんはまず間違いなくカレーライスだったなぁ。
あの方は、登山道を整備してくれるありがたい方です
作るのに手間がかからず、食べるのに使う食器も少なく、随行者の分までまとめて大量に作れるので
「現地の人の負担が少しでも減るように…」との御意向で
カレーが定番になったそうです。
工場を見学された際も社食のカレーを召し上がりおかわりされ社食のおばちゃん達が感激したとか。
戦後の焼け跡巡幸のとき、焼き芋を出されたことがあって、現地の人は「こんなものしかありませんが…」と申し訳なさげに言ってたが、昭和天皇はその焼き芋を美味しく召し上がっていたそうです。
しばらくして、食事の時さつまいもが出たそうですが、皮が全て剥いてあって「あの皮が美味しいのに…」と大変残念そうに仰ったそうです。
まるで目黒のサンマみたいだなこの話
@@kenta-z3e懐かしい
陛下は土の付いていたものは料理番から出されないので芋の皮はNG🍠
@@はははのは-t1u そもそも芋も皮岸が旨いのを知っておられたからの発言だし・・・・www。
明仁上皇陛下の銀座でブラブラする銀ブラ事件も面白いですね。😊
この動画がなぜかオススメされました。
奇しくも終戦の日。
昭和天皇のお食事に想いを馳せました。
解説されているように魚なら小骨に至るまで取り除け、野菜をミリ単位で刻むなど、調理が非常に丁寧だとか。しかも厳選された素材や御料牧場産の食材などなど、メニューは素朴ながら庶民が口にするものとは段違いに美味しそうです…。
ぶどうの皮まで剥かれて出てくるらしいですね。
出されたものは全てたべなければならないという掟が基ですね。
骨ごと食べられるものも、喉に刺さったらそれこそ一大事。
魚は小骨を全てとって、キレイに形を整えなくてはならず、
サンマの塩焼きは骨と内蔵をとって筒状に切って立ててお皿に並べたのだとか。
いわし等の小骨の多い魚は大変だったでしょうね。
今の陛下が小学生の頃
給食に丸ごとのミカンが出て、どう食べたらいいのか分からずにポケットに入れて持ち帰り、母である美智子妃殿下(当時)にこれはどうしたらいいか尋ねたとか。
ミカンは薄皮を剥かれ、缶詰のような形で供されていたそうです。
また、厨房に入ったばかりのコックさんがグリーンピースを剥いたところ
豆についている薄皮をきちんと剥け!と注意されたそうです。
@@猫エージェントしかし、柏餅では葉っぱの葉脈以外は食べたと
あの人はリベラルなのだが、昭和天皇もいらんことするなという一語を言えなかったのだろう。昭和天皇と記者たちの初めての懇談会や、崩御時のパレードの右手と右足が同時に動いている兵の動画を見るといい。ふざけすぎると、真逆の、緊張のしすぎがそこにある。懇談会の方は、フランクでね、本当にリベラルで、帝国のごみ屑どもとちがうことが分かる。
昔から上様は目黒のでサンマが好物と噺が在る。アジやイワシの大衆魚は調理も簡単で美味しい。
宮中晩餐会や外国を訪問すると外国の料理も出るから、和食以外にも慣れていただかないとね
日本大使や国賓が和食を望んでいるのに、フランス料理なのでガッカリする人が多いと
大使の多くは、皇居への挨拶時には馬車選ぶとか
オマエラ日本に何を望んでるんだよ
この宮内庁御用達の蜂の子缶詰は衝撃的に美味い
言葉で表現するなら「ハニーアーモンド」
中央道の諏訪インターで売ってた
昆虫食も蜂の子とか蝗の佃煮とかなら抵抗なく食べるのになあ。
何故にコオロギ...。
食事にお刺身が出されたら残った醤油をご飯の上にかけるのが好きだが
侍従に止められた話もあったような
(ワサビやネギのような刺激物は苦手だったとか)
本来なら、ワサビのような刺激物。葱、生姜、大蒜という臭いのきつい物は出すのが禁止だったそうです。
それでも場合によってはでることがあったそうで。
その時には「珍しい食材がでた!」と喜ばれていたそうです。
(特に大蒜は西洋料に多く使われているので、慣れるためにも使われることがあった)
晩年は健康管理を兼ねてかなり薄味で塩分量も減らされていた。と言うのも関係しているとか。
侍従に醤油がけ御飯を止められて、「御飯の上に醤油を垂らして食べるのは美味しいと聞いた」とおっしゃり、誰が教えたんだ!と問題になったとか。
(誰から聞いたかは秘密にされたそうですが、どうやら若い頃に知ったらしい。戦前の外遊で、船の下士官が食べていたので知ったのでは?という)
色々なエピソードを聞いていて、昭和さまにまたお目にかかりたくなりました🤗
墓稜行ってみたら、入れはしないが、手前までは行けるかも。
@@流浪七也
あ、そうですね
良いことを教えていただきありがとうございます
昔、埼玉に来られた時にお目にかかりましたが、ただただ感動で、無意識に手を振ってました。
皇室の奴らが
我々が食っている同じものを食うことはない。
なぜなら毒入りだと知っているから。
しかも毒を入れろと命じているのは
平成てんのーう。
日本人が病気になるとクスリが売れる
癌になると抗がん剤が売れる
市ぬと生命保険1500万円がてんのーに入る
いいことづくめ!
俺たち日本人は奴隷以下の存在
気づこうぜ!
洋菓子はババロアをよくお食べになられていたようです🤔
バナナ🍌のベーコン🥓巻き食べてみたい❤
たしか天皇陛下は皇居で日本マサリって米を作ってましたね。
昭和天皇が普通の人の仕事を体験したいと我儘言ったエピソードの一つです
それまではそんな事した天皇はいない
@@シュウ-y2p 明治に入ってからはな。戦国期までならごく普通
気になったもの
04:48いちごジャムサンド 15:40バナナのベーコン巻き
単純なようでいてこだわり深く風変りな一品。旨そうなのでさっそく試してみたい!
バナナのベーコン巻きは、戦前の新聞でもレシピが紹介されていたそうです。
当時は、ハイカラな西洋料理。として、青いバナナを使うのが推奨されていたとか。
曾祖母は新聞が見て作ってたとかで、祖母の得意料理でもありました。
@@colocalo100
あ、やはり青い方なのか。
そっちは原産地でも加熱料理に使う、とは聞いてましたが、日本じゃまず手に入らないですよね。
意外と歴史の古い料理のようでますます興味深い。ベーコンと大降りで固めのバナナは手に入れたので、とりあえず現状で試してみようかと思います。(酢豚にパイナップルOK派)
バナナのベーコン巻き作ってみた!
調理は簡単。表面カリカリ、中はねっとり。甘さと塩気が入り交じる。白飯よりパンの朝食が相性良さそう。
あと欧風カレーを試しにつけてみたら旨かったので、カレーの付け合せにはいいかも。
よって、好みは大きく分かれるかもしれない(青いバナナなら甘さ控えめになるのかな?)が、朝食のお供としては満足感のある味わいだと思います。
@@yoshiroh_ironslash_mantis
多分、英国植民地料理か、パパイヤ辺りの代用なのでしょうね。
植民地(インド)の料理人が主人の帰郷について英国に渡って英国で開発したのが「タンドリーチキン」だそうですし、ベーコンバナナもその一種の感じがします。
昔は日本でも、青いバナナは手に入ったそうです。船便輸送の関係で、青いうちに収穫。船内で追熟だったそうで、黄色くなっていても甘味は少ない。船内の置く場所によっては青いまま(追熟失敗)の物もあった。青いと安いのよ。と祖母に言われたことあります。
@@colocalo100
ほぉ…昔は今と違って自然と追熟させていたんですね。第二次世界大戦直後バナナは高級品ときいていましたが、ひょっとして食べ頃のものを市場に出すのが難しかったからってのもあるのかな?(今は冷蔵庫内で冷風当てて追熟)
青いバナナも昔は失敗品扱いだけど、今はネットでレシピの共有、化学の発達でその状態だと健康によい成分が多く取れることが明らかになって注目を浴びる存在に。時代の進歩というのはすごいものだ。
そしてこんなやりとりで様々な体験、知識を分けてもらえる。本当にありがたいことです!
昭和天皇は「ふぐ」 を食べられなくて周囲に恨み節を言っていたのが有名なエピソードですね。
フグの幽霊が出るぞ、と言うお話ですな。
代わりにマグロが出されたが港町ならどこでも手に入る、つまり特別感はあまり無い
それも恨めしかったのでは
戦争後の慰問でうなぎの蒲焼3枚重ねて出したら美味しそうに食べた。その話を聞いた他の慰問先でもうなぎばかり出でるようになったって話好き
食べたいと言われた事は事実でしょうが、好きかどうか何とも。
国民に寄り添う事を旨とされていましたから、「庶民の食べ物」として所望されていたのかも。(^^;
青魚はお好きだったようですよ。
味以上に、御養育係だった足立孝子女史との思い出がつまっていたので。
陛下にとっては「お袋の味」だったのでしょう。
初期の美味しんぼのエピソードで出てきそうな素敵な逸話
百済ない話にしかならん。
食事が庶民的なのは予算面も関係してそう。
それもあるだろうけど、戦後直後に新たに御所を建てましょうって話があったときに、国民は食べるものどころか住む場所すらない人もいるのに新たに御所を建てるのはだめだ。と昭和天皇が言って、雨漏りもする防空壕に16年住んだあと御所を建てるときに予算を抑えるように何度も言ったなんて話もあるので、従者のメンツを潰さない範囲で節約してたのかも。
今上陛下が皇太子殿下だった頃、海外の要人を御所に招いてお食事した際は、その週の夕食は毎日カレーライスになってしまったと言われています。
ご一家は不満一つこぼされずに召し上がっていたそうです。
言うまでもなく有名なロックンロール歌手のエルヴィス・プレスリーは油で軽く素揚げしたトーストにピーナッツバターを塗ってバナナとベーコンを挟んだサンドイッチを好んで食べていてエルヴィスサンドと後に呼ばれるようになった。
バナナの甘味とベーコンの旨味は意外と相性の良い食べ物。
キングが好きなら当然エンペラーだって好きになる味だったんだろう。
なお、エルヴィスサンドに使うピーナッツバターはスキッピーのような塩気の強いアメリカ製を使うこと。
日本製は甘さメインなので強いバナナの甘味とベーコンの塩の聞いた旨味が出す甘じょっぱさのバランスが崩れる。
かしわもちの葉まで、、お召し上がりになった!?〜エピソードある程、元料理番だった方の体験談でした。
桜餅の葉っぱは美味しいな。料理出した人、震えただろうねw。
葉脈は残すあたりに、陛下のもう一つの顔である
植物学者としての一面が窺えて微笑ましい。
本来なら、付け合わせとして皿の上部に飾るようにしておき、給仕から説明をするように、配膳室あら申し伝えるそうなのですが、何故かそれが行なわれなかったという・・・
戦前は、食べられないものを出した料理人は罰を受けたため(最悪処刑)、
『本来は食べられないけど、陛下が召し上がったのでセーフ』という形を整えられたそうです。
香淳皇后は「硬いので、貴女は召し上がらない方が良いね」といわれて、胸をなで下ろしたとか(本来なら、陛下の召し上がる物は皇后も食べないといけない)
昭和天皇陛下、私たち日本人のお父さんだった、1972年?小学生の頃、日の丸の小旗を持って天皇陛下のお乗りになった列車を見に行った、9歳の子供だったけど余りの崇高さで全身鳥肌だった、優しい優しいお顔が忘れられない、その頃の日本人は、純粋で誇り高かった、オリンピックで外国人に勝と皆、大粒の涙をら流していたな😢
昭和30年代の日本人は良くも悪くも民度なくて危ない奴がてんこ盛りだったよ。戦時中も田舎なんか密造酒つくってるのを官憲が見つけると後から村の若い連中がそいつを闇討ちして闇から闇とか割とあったんで見て見ぬふりしてたり、今の日本人とは倫理観が違う。いまは政府にみんな飼いならされてかなり大人しくなってる
やはり、私くらいの年齢はどんな意味でも、昭和天皇陛下は特別だと思ってしまうな。
昭和の頃は鰻も高級魚ではなかったよね。
陛下は鯨を食した事はあったのだろうか。
「陛下は鰻が大好物でした。でも、いつも召し上がっていたわけではありません。陛下にとっても、鰻は御馳走だったのです」
「お茶漬け用の鰻佃煮が献上された時は、数日後に「あれは、まだ残っていますか?」と我々に尋ねるくらいでした」
「皇室には予算が厳密に決まっています。安く手に入る『旬の物』を使って、いかに美味しいものを作るか。陛下もそれを期待していたと思います」
「食事が気に入った際には、必ず「美味しかった」と伝えてくれました」
「食事がお口に合わない時は無言でした。料理が不味かったのか、陛下の体調が悪いのか尋ねる訳にも行きませんから、料理人は気を揉んだものです」
「陛下も、自分が食べたい物があった時はあると思います。でも決して口に出されませんでした。我儘を言うと、我々が困ることを知っていた、躾けられていたのですね。」
香淳皇后陛下はお酒を嗜まれる方だったけど、昭和天皇は二日酔いの経験からお酒が苦手だった。
だから夕食の際には酒粕漬けである奈良漬でお相手をしたとかの微笑ましいお話も。
蕎麦が好きで月に一度のそばの日を楽しみにしていたとか何かで読んだ気がする。
@@01mekiira72 司厨長としても「各地から新蕎麦が献上された事は陛下もご存知で、お礼状を書く雰囲気からも、その日の夕食は大変期待されていたのがわかった。ネタ切れであっても、美味いとはわかっていても、どんぶりに蕎麦を山盛りにして茗荷と葱をぶちまけた『ぶっかけ蕎麦』を出す訳にもいかずに苦労した」ってくだりですね。
お酒が好きな良子さまにますます親近感をいだいてしまいます。
@@yngkz23
きっと、お召しになるほど朗らかにおなりになる、楽しい上戸でいらっしゃったのでしょうね
戦後の北陸巡幸でたくさんの鰻が出されて大喜びされたのだけど、それが報道されたら以後どこへ行っても競争のように大量に出されるようになって困られたと言う話も。
いくら好物でも鰻を毎晩出されたらしんどいよなぁ。好き嫌いは言わないという帝王学があるけど、こういう理由もあるのかもしれない。
箱根の「桃源台」は本当に何にもないところだった。あんなところに施設とか作れたんだとさえ思うほどに。
だが、昭和天皇御用達のうどん屋があったね。ランチタイム(だけかもしれんが)入るのに順番待ちだったね。
現在の「山のホテル」(小田急が運営する国民宿舎)ですか?
映画「君たちはどう生きるか」で、バターを塗ったトーストにジャムをたっぷりのせて食べるシーンがあります。学習院出身の宮崎駿は戦前のブルジュアの生活をよく知っていたんだなあと思いました。
全国に周った理由が美味しいもの食べてるからっていう理由もあったそうで…
たまには違うもの食べたい欲求は出ちゃうのも分かる。
初めて柏餅を食べた時、葉まで食べてしまったのを思い出した。
駅弁で有名な「鱒の寿司」。
2段になってるの知らずに、挟まっていた(さすがに包んでいたのは取った)笹の葉ごと2段重ねで食べちゃいました。
オマエはパンダ🐼か❢と言われた😢
シーラカンスの解剖に立ち会った時に
生物学者の観点から「食味」を試してみたくなり、
「これ、食べてみていい?」
と聞いたけど
周りから全力で止められたとかw
あれはアカンやろ
@@Tsurusampachi
昭和天皇は同じ理由で
イソギンチャクも食べたりしてますから
生物学者としての好奇心を抑えられなかったのでしょうねw
上皇様エピソードだけど、公務で外出した先で喉が乾いたからお茶をお代わりしたら断られたらしい
側近(侍従?)から現地のお世話の方に「おかわり言われても差し上げないで」と言われてたみたい
理由はお手洗いに行きたくなったりしたら大幅に警備とか変更しないといけないから
ちなみに上皇様のお返事は「それは残念」だったとのこと
気品ありすぎ
ハチノコ 今でも 夏になると食してます
ざざむしも食べるでしょうか?
昭和天皇「うなぎ!いわし!さんま!あじ!さば!」
上皇陛下「はぜ!はぜ!はぜ!」
うーんこのロイヤルファミリーかわいすぎかよ推せる
お魚大好きなお二人ですね!
なにしろ生物学者だし…
天皇に食べて頂きたいと献上される品だと思っていましたが横領まがいの献上催促する宮家があるとかないとか?
祭事ではない時は普通に粗食だそうで、職人さんが拍子抜けするとか。
経団連会長だった土光氏の好物がメザシだったな。
ただあのメザシは生半可な鯛より高い高級品
(屋台の)中華そば(ラーメンでは無い)事件というのが有るらしい。別名:夜鳴きそば事件とも言う。
(検索・・・)う~ん、わからない。気になる。何があったんじゃろうか?
ただ、ほかのエピソードから察するになんとなく陛下にとっては悲劇的な話のように思えるw
予想だけど、夜鳴きそばの音を「あれはなんの音か、食してみたい」→断られた、みたいな感じ?
旅館のハトヤのCMが流されていた頃に「ハトヤとは何ぞや?」とお聞きになられたみたいな。
昭和大帝が何かの催しで天覧された際、陛下と同じ食べ物を臣下に振舞ったがこれが麦4米6の黒いおむすび!陛下は「これがうまいんだよ」と舌鼓。
臣下は「こんなのうまいわけないじゃないか」と陛下の質素な心掛けに涙を落とした。
明仁は白米のおにぎりを 見せびらかして食べたと
明仁は白米のおにぎりを 見せびらかして食べたと 学友が言ってた。
@@aman5151 しかし天皇になったら麦飯になった。
@@aman5151 様
だ~か~ら~
上皇陛下上皇后陛下を
呼び捨ては止めようね!
昔からある一部の人達から有らぬ事ばかり言われてましたが、もうご退位なされたのですから
あなた方も静かにフェードアウトしましょうね
「昭和天皇と鰻茶漬」「天皇さまお脈拝見」「昭和天皇の料理番」あたりが参考文献なのかな?と思いました。
柏餅の葉っぱを食べちゃったエピソードは有名ですよね。桜餅と同じだと思ったのかなぁ🤔
余談ですが食べ物じゃ無い話題を1つ
昭和天皇って植物を研究してたせいも有るけど『雑草という名前の植物は無い』と言った知って
俺もツユクサという名前の植物の花が大好きだから親近感を得たよ
近年は除草されて見かけ無くなって残念ですが😢
うちの畑に沢山出てて大変なくらいです。ビニールハウスにはドクダミが😅朝早く見るとツユクサは綺麗ですね😆
俳優の岡本信人が雑草の本を出してますね。
何かの番組で道行く雑草を解説して天ぷらにして食べてました。
私九州の人間ですが小さい頃柏餅の葉っぱも一緒に食べてました😂
勘違いではなく、料理人を庇っての行動。と言うのが正しいかと。
戦前は、食べられない物を出した料理人は罰を受けたそうです(場合によっては死刑)。
あと、残したり、好き嫌いを言うと、料理人の責任問題になったそうで・・・。
それもあり、出された物には文句を言わないようにしていたそうです。
あと、食べられないと分かっている物でも食べてしまうと
「陛下が召し上がったのでセーフ」となったとかで。
昭和天皇のウナギ大好きも共感できるが、納豆大嫌いも共感できる。
納豆は粘りのあるものを御膳にあげるのはと悩んだ料理人が粘りをとったものを出されたよう
なので、普通の納豆を嫌いかはちょっとわからない
蜂の子はナッツみたいで美味しくて大好き!
長野に旅行の時
必ず買い求めますよ
カップラーメンは侍従に没収されたらしいです。
美智子は粉屋の娘なのに。
フグを食べたいと言った陛下にはダメだと言いながら自分たち侍従はその前でフグを食べていた。
もしかして侍従お腹空いてる?
@@straker1701
下関への御幸行ですね。
フグ料理で有名な高級ホテルでのこと。
昭和天皇がご就寝されてから侍従達がフグで宴会をして楽しんだ。
後でそれを知られた昭和天皇が恨めしそうに
「フグには毒があるのだぞ」
(フグを食べたいと所望したら、フグには毒があるのです。と説得され諦めていた。
皇室の伝統で、毒のあるもの(フグ)、臭いのきつい物(葱、生姜、大蒜、青魚)等は食卓に上げるのが禁止されていた。青魚は、ご養育係が健康に良いと独断で食べさせていたので好物だった)
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昭和天皇のフグと言えば、皇居フグ事件(常陸宮フグ事件)も有名。
ある日、常陸宮が父上へのお土産。としてフグ(調理済み)を持参された。
非常に喜ばれて「食べたい」
侍従長「お出しすることはできません」
「何故食べてはいけないのか」
侍従長「フグには毒があります」
「きちんと調理されたフグだぞ」
侍従長「万が一という事もあります」
「常陸宮が持って来てくれたのだぞ」
と大議論が始まってしまった。
香淳皇后の「いい加減になさいませ」の一事で議論は終わり。昭和天皇はフグを食べられなかった。
(o・◇・o)堺正章さん主演で「天皇の料理番」って番組がありました
大正天皇でしたよね。
佐藤健さんでのリメイクもありましたね。
両方観ました。
子どものころ 見た記憶あります
あれでザリガニ料理が出てきて驚いた記憶が(食材はニホンザリガニだったけ?)
昭和天皇は当時の皇室の慣習に倣って、幼少期は他家へ里子に出されて育っていられて(この理由については又別な話に成ります。)、その時に一般の庶民と同じようにさんまを食べられました。
それでさんまが大好きだったんですけれども、皇室ではさんまという言葉を出してはいけなかったそうです。それでさんまを食べたかった。昭和天皇はずっと秋刀魚(あきがたな)を食べたいと言われていたそうです。😊なんだか可愛いですよね。
バター塗っていちごジャムはやってます。単に美味しいからw
わたくしも好きです
あ、じゃんぼ
ヨーグルトと言えば、乳製品は飛鳥時代から常食だったんだよね
飛鳥後期~奈良時代には蘇(塩気のないチーズみたいな?)を肴に赤ワインを玻璃の杯で嗜んでいたそうな
フグを食べたかったのに、取り上げられて食べられず、お怒りの昭和天皇(笑)
父親の好物だからと、河豚(身欠き河豚)を手土産にした事を母親(香淳皇后)に叱られた常陸宮殿下。 ※侍医とフグを食べる事に90-120分の論争になったので
御料牧場には水田はありませんが、皇居内で天皇自ら田植えされている水田がありますよね。
収穫されたものは、主としてお供え用とのことですが、宮中三殿に供えたものを下げて召し上がることはないのでしょうか?
自らで収穫した食物を備え、供えるという精神の話ですね。うっかり、人口が増えすぎると、食物を備えることもかなわなくなる。
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私の住むドイツの食料自給率が8割超なのに対し、日本の食料自給率は低すぎる。
これでは万が一の有事の際や、国際情勢の変化に対応できず心配、という話を母としていたところです。
*****
ただ昭和天皇が自ら稲作を始められたのは、生物学者としての見識に加え、神前にお供えする米を、農薬なども使用している市販品では申し訳ない。無農薬で自ら心を込めて作ったものを、ということのようです。
同じ精神で、竹田恒泰氏も無農薬の米を栽培提携農家に依頼し、田植えや稲刈りには自ら学生たちとともに参加し、その米でお神酒をつくり、正月などに親善にお供えしてからいただく運動をされています。
そのお神酒の収益は、古事記の現代語訳を全国のホテルや旅館に無料配布する経費に充てているのだとか。
農業にも食文化、精神が必要ですね。
皇室の食卓で皿に乗せたものは全て食べられないといけないから、魚の骨は全て取り除いていたらしいですね。
生物学者でもあったのでウミウシを煮付けにして食べた記録があるそうだ。まずかったという感想らしい。
料理番に天婦羅屋に紹介されて食べに行った事は有名ですが天皇陛下が赤提灯で焼き鳥で一杯とはいかないわなぁ。心中察します
ポイズン→人工毒
トキシン→自然毒
フグはトキシン❤
秋さんが好きな言葉
刺身食った後のわさび醤油をご飯に掛けて食べようとしてお付きの人に止められた話好き
術後にムニエル食わせるって結構鬼畜だな
脂っこいのに😂
ムニエル。といっても、ムース食だったそうです。(術後食や介護職として使われていて、市販もされている)あと、慣例で身分の高い方に青魚は出さなかった。というのもあったそうで。
その時に「中秋の名月はいつか。団子(月見団子)が食べたい」「中秋には(月見)団子が食べられるのだよ」ともおっしゃったそうです。
季節の行事では、それに併せた和菓子がだされていたそうで、季節季節に出される和菓子もたのしみにされていたとか
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なんなら、飯食えない神事もあるからね。
あの歳でやってたのはガチでやばい
私の田舎だと、蜂の子は栄養があって薬になるからということで、小児喘息とか身体が弱く生まれた子供があると親族の叔父さんたちが山菜取りとかで山へ行ったついでに蜂の子を取ってきて食べさせる風習があったな。
取ったままじゃなくて佃煮にしてきたり、甘く味付けしてくれたり、兄が小児喘息だったから小さい頃についでで食べさせられたっけ。
鰻茶漬けは献上が年二回ぐらいで、何度かに分けて御前に出たはず。「アレまだ残ってたよね?」というリクエストかあったとか。
ちなみにオートミールは、皇太子時代の欧州訪問の時に持ち帰られた習慣
動画で出てた長野県(南部)や岐阜県あと愛知県の蜂の子を食べる地域には地元で獲れた国産の蜂の子売ってたりする。
現代ではそんなことはあまりないと思いますが昔は天皇は自分の好みとか意見を軽々しく言うのを自重していました
なぜならその発言によって最悪、人が死ぬということがありうるからです
ただ、面白い話もありまして、明治初期に木村屋のあんぱんが流行ってそれを口にした陛下は
「これをまた持ってくるように」と言ったそうな
美味しいとかまた食べたいとは言えなかったが大変お気にめしたということが分かります
戦国大名とかは常に身の回りにスパイがいるから身内にしかわからないような言い回しで意思疎通するのが普通になったんだよ。今の天皇の概念持ち込んだ維新の薩長の流儀に合わせる形になった。天皇家といっても維新からと江戸や戦国期なんかは全然違うからな
フグの話は何かで読んだことあるな。
侍従や料理人に「フグを食べてみたい」って頼んだら、みんな総出で「それだけは勘弁して下さい!」って(笑)。
「毒があるから? でも、国民は食べてるじゃない??」
「万が一、があったら...」
「でも...」
と、しばらく議論してたら...黙って聞いてた皇后さまが、
「いい加減、諦めなさい!」
って(笑)。
「食べていた」ではなく、「召し上がっていた」な?処すゾ。
昭和天皇は、庶民派だから😸
孝明天皇(明治天皇の父)も、物凄いエピがある。
ある日、夕餉に魚がだされた。某大名からの献上品だった。
孝明天皇は半分だけ召し上がられた
「とても美味しい。明日も食べたいので取っておいてくれ」
幕末の公家は困窮していて、皇室も例外ではなく、魚は滅多に食卓に上がらなかった。と言う話。
献上された魚は鮭とも鯛ともいわれている。
(大名が朝廷に貢物を献上するには幕府の許可が必要だった。この献上は無許可でされた。
幕府の統制が揺らいでいた。という話でもある)
庶民派というより庶民に寄り添って下さった感じ。
子供の頃、能登への行幸のさいに列車でのご移動の予定が御車でのご移動になられ、実家の側の道をお通りになられたのだけれど、本来沿道に出るなとお達しがあったんだけどウチの父親が陛下のお姿見たさに近所の人と数人で沿道に集まった(私も駆り出された)。
数人程度のためにわずかながらではあるけど速度を落とされお手振りして下さったのを覚えている。
子供ながらにそのお心遣いに感激したのは忘れられない。
@@妖の姫巫女防弾ガラスなのに、雨でも窓を開けて手を振ってくださるのが昭和天皇
そりゃあ千代に八千代に末永く生きていただかなければならない現人神だもの、贅沢品なんか周りが食べさせないよ(笑)
上皇さまが皇太子時代に
お寿司をリクエストしたことを
テレビで観たことがある。
大膳課の方も
お寿司は専門外と
いうこともあり、
寿司屋に出向いて
技術的なことを学んで
陛下の前でお寿司を握ったという。
陛下は大変喜ばれて
20かん以上召し上がったという。
本当に庶民的で控えめでお優しくて、、、と、伺えば伺うほど素敵なお方だったんですね。
それにしても、皇室のお料理って、質素な素材に手間暇掛けて見た目は普通でも、中身は最高のお料理なんですね。う~~ん 憧れちゃいます!
300万人もの日本人を死に追いやりながら食べ物がのどを通る図太さに驚愕
@@gesxsefsyw3 食べないと死んじゃいますからね。
本当に庶民的ならあんな百済ない戦争するか?
@@gesxsefsyw3 ん。貴殿は2次大戦の戦争責任が天皇にあるってことを主張したいわけですか?そのことと、昭和天皇が庶民的であったという事とどんな関連性があるんでしょうか?
@@えいじ英ちゃん こいつに食べ物を与えるのは税金の無駄
御料牧場て、すごいんだなあ、、柏餅の大失敗は、お気の毒でしたよねぇ。
通常は、皿の端に「添え物」として飾る。
若しくは、開けた状態(葉を皿に見立てて)で配膳係に伝言を頼む。(葉で包むものなので添えましたが、お食べにならないように。等)
という配慮がされるそうなのですが、その時はうっかり忘れたか、配膳係が間違えた(他の人の皿を配膳した)らしいです。
皇后は陛下と同じ物を食べる(陛下が食べた物は皇后も食べる)決まりがあったそうで、「筋張っているので貴女は食べないように」と言われたそうです。香淳皇后はほっとしたとか
良子さまのお料理エピソードも好きです。
美智子妃のお料理エピソードはありますが、香淳皇后もお料理はお得意だったそうです。
良子さまの作られるメニューもとても庶民的でした。
とても興味深いです
どうぞ一例をお知らせくださいませ
@@hinnahinna1225 さま
終戦の日に玉音放送を終えられた陛下にケーキを作られたり、昭和天皇がお好きなしいたけが入るとバターで焼いたりしたそうです。
蜂の子は多分中国の場合漢方薬のローヤルゼリー取るから品質管理をきちんとしてるんかな?
いや、抗生剤散布しています。
精米の技術が上がって何度も水を換えてコメを研ぐ必要が無くなったって言うけど
米の伽汁で灰汁を取ることができなくなってるのかな?
小学生の頃に父方の叔父がハチをとってきてピンセットで巣から蜂の子をとる手伝いをしてました。
ちなみに、成虫の方を炊き込みご飯にしたのを両親が持って帰ってきて食べてみたけど一口でリタイアですw
同じ料理でも厳選食材に惜しみなく手を込めた逸品、似て非なる物やね
でもその場の気分で好きなだけ好きなものを食べられないのはちょっと不憫かな
サンマは最近手に入りにくいからサンマの塩焼きや煮付けは美味いぞ。ムニエルなんて晩餐会等で食べ飽きてそうだよね。
晩餐会なんて国賓が来た時しか開催されないので私たちが思ってるほど回数は少ないですよ
青魚は脂分が多いので、「下魚」とされていて、昔は身分の高い方(将軍・大名・皇族・公家)の食卓には上がらなかった。
・・・まあ、困窮していた時代の下級公家なんかは偶にめざしを食べるのが贅沢とかそう言うればレベルだったらしいけど
ただ食べ物口に入れちゃいけない神事も結構あるからガチ糞にはらぺこあおむしで公務してるんよな。
バナナのベーコン巻き❗😳
見た目衝撃だけど、マジで旨そう🤤
昭仁上皇、今上徳仁天皇陛下の食事を知りたいけど無理かな?
お孫様の今上陛下のお好みはカレーライス。
作り置きできて温め直せば食べられるからという食事を用意される方へのお気遣いもあるし、早く食べられるから、と。
上皇陛下にもそのようなエピソードがございますね。
後幼少期は、東京駅弁の「チキン弁当」(平成初期に一旦終売されるもその後復活)がお気に入りだったとか‥‥‥‥
「お召し上がりになった」だろ
※「食べる」には最高敬語がない
質素に見えて素材は最高級ですから😅
煮物も好きみたいです😊❤️特に芋🥔が…
山登りのお弁当🍱が苺🍓のジャム(だけ) のサンドウィッチだったのが衝撃😂
「美味しいね」と言ってたらしい🎉
蜂の子の甘露煮はスーパーなどで売っているところを見たことがないなあ。
昔 堺正章主演のドラマで天皇の料理番ってあったなあ。今度見てみようかな。
佐藤健のリメイク版もありましたよ。
バナナベーコンは美味しい。昭和天皇はお酒を飲まないと聞いたけど、おやつ感覚だったのかな。
陛下は鰻を「おうな」と呼ばれてましたね。
日本を自分の命と引き換えに守った偉大さと裏腹に柏餅の葉っぱを頑張って食べちゃう可愛さ(^_^;)
私は歴代天皇さまの中で昭和天皇様が1番好きだなぁ(^_^;)