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最初の「思い出を語ろう」の入りでもう涙
当時のスポーツ新聞の見出しに涙したものです。「さようなら、砂の女王、ホクトベガ」
ドバイに散った砂の女王この馬も忘れられない一頭
自称評論家GJに忘れられないって言われてもwwwwww
女王様とお呼び!が忘れられない
ダートでは無類の強さだったけど古馬になっても札幌記念で勝ったり、AJC2着など牡馬相手でも健闘した。能力自体は相当高かったと思うのでやっぱり子供見たかったよなあ。
このVTRでは端折られてて気づかなったけど、最後の戦績見たらエンプレス杯の後はまた芝に戻って惨敗続きだったみたいだね。この1年間勿体なかったな。ずっとダートで無双してればよかったのに。
地方交流重賞元年のさきがけとなったホクトベガの参戦とその只者ではない強さが響き渡り、若き典さんと共に地方の重賞を渡り歩きその強さを見せつけてくれました。個人的にも、当時GⅡだったフェブラリーSで降雪の中から直線、ホクトベガと典さんの姿をスタンドから目視出来た時からゴールまで叫んでましたね…。帝王賞も強かった。良い思い出です。
何だかんだ最強牝馬なんだよ
「ベガはベガでもホクトベガ!」
馬場アナの名言ですね‼️
これは耳に残ってるな〜
今のダートが充実してる競馬界でなら、ダートのG1を五つくらい取ってるだろうな
芝2400のGI勝ち、洋芝の重賞勝ち、ダートでの牡馬相手でも勝ち続けるタフさ、牝馬。凱旋門賞を勝つ事が出来る要素が詰まった彼女でしたね。確かドバイの後は欧州に渡って、欧州の一流種牡馬と繁殖の予定でした。
ホクトベガは川崎でこんなにも活躍していたんですね🤩私は川崎競馬場の近くで暮らして来たのでホクトベガのメモリアルを見に行ってみたいと思います😊最期は悲しい結末になりましたが🥺馬も人もどんな生き物もどんな運命が未来にあるのかは判らないのだから毎日何気に暮らしながらもその一瞬一瞬の煌めき✨が必要なんだとホクトベガは教えてくれました(^-^)
2011年はヴィクトワールピサが今年はウシュバテソーロが遂にやりましたよ…
サイレンススズカと並ぶトラウマ…
特にエンプレス杯での圧勝は唖然とするしかない。
芝でもG1.ダート最強、能力はバケモンだった。。。大好きです
本当にそう思います。アグネスデジタル以前の両刀馬でしたね。去年安田記念でカフェファラオが芝G1挑戦したけど、17着?とかの惨敗でしたね。中央の芝G1 ダートG1両方勝つのって本当に凄いと思います。
10:40 ホクトベガ1着でゴールイン、キョウトシチー1着です?
能力で芝でもそこそこ走ってしまったから、オーナーサイドも諦めきれなかったんでしょうね。あの頃はまだまだダートより芝偏重の機運が高かった時代でしたもの。クロフネといい、この馬といい、それこそブリーダーズカップを走って欲しかったな。
葬儀の際に横山典弘は喪服で訪れ深々と手を合わせ肩をふるわせたという
今の時代なら、ダートで無双状態でしたね〜(^^)😊。
ホクトベガの遺骨は日本に持って来れないものなのかしらせめて産まれた地で眠って欲しいと思ってしまう
ついにドバイのダートで日本勢が勝ちましたね。
砂の女王
この馬も、ウマ娘化してくれませんかね(^^)😊。
今みたいに交流G1が揃ってたらもっと勝ってた。それぐらいダートでの強さは半端ではなかった。
フライトラインを見ているようだ。
ドバイの空に輝く一等星ですね。
ダート適性が良いからと、芝のレースに出ないでいたとしたら、今のような人気馬にはなっていなかったでしょう。負け続けた後に新天地で勝つ。川崎初戦の頃は、心ないファンが、地方荒らしの悪名も一部で有った。だがダートのレースを重ねる頃には、地方荒らしと呼ぶ者はいなくなった上に、彼女を応援するようになっていく。最期は他馬からのもらい事故。これも競馬の一言で片付けてしまうのは酷い。
タイトルホルダーと同じ一族ホントだよ♡
間違いなく名牝になれた一頭
いや、十分名牝だよ
これで名牝じゃなかったらなんなの……
当時から、そして今でも疑問に思っているのだが、ダートで十連勝もしているわけだけど、五、六連勝あたりでとっととアメリカのブリーダーズカップなり、海外遠征を考えなかったのだろうか。最初のダートレースですでに大差勝ち、その後も圧勝續き。それだけの強さなら、もっと早い段階で海外へ出ようと思わなかったのだろうか?どうしていつまでも國内、地方にばかり居續けたのか。あまりにもったいないような氣がしてならない。くだらない大人の事情でもあったのだろうか!?ホクトベガは、海外で勝てるチャンスをみすみす逃してきた、“不世出の世界ダート女王馬”、であると俺は強く思っている。
それで海外初挑戦で予後不良って不運だよな
今でこそ海外遠征は件数も多く出てきているのだろうがそれは今時点の目線であって、海外と日本との競馬のレベル差、輸送/滞在の難易度・費用・手間を含めて海外遠征はそもそも並大抵の話じゃないそれを実際にチャレンジしたホクトベガは、むしろ後続に海外遠征の夢を与えた先駆者の位置づけなのではまだ交流重賞ができたばかりでダートの位置づけが低かった当時の日本で、交流重賞を通して地方競馬含めてダート重賞の流れを作ったホクトベガの日本競馬に対する功績はとんでもなく大きいと個人的には思っている
@@TAK-K 現役時代を直接見た訳ではないので迂闊なことは言えませんが、人気のあった馬ですし日本全国の競馬ファンにできるだけホクトベガの勇姿をお披露目したいという意味合いもあったのではないかと思います。
@@TAK-Kこれに尽きるよゲームじゃあるまいしホイホイ海外遠征なんてできた時代じゃない今だってそんな簡単に海外なんて行かないけど
最初のダートは平安Sで惨敗してるこれがダート転向を遅らせたまず第一そして当時は今と違い海外遠征なんて色んな意味で出走させることすら大きなハードルだったそしてダートの格は今よりももっともっと低かった地方やフェブラリーSで安定して稼げている馬をとてつもないリスクを負って海外遠征させる決断を下すのは当時ではかなり難しかったと思うそしてそのリスクが現実となってしまった
最初の「思い出を語ろう」の入りでもう涙
当時のスポーツ新聞の見出しに涙したものです。「さようなら、砂の女王、ホクトベガ」
ドバイに散った砂の女王
この馬も忘れられない一頭
自称評論家GJに忘れられないって言われてもwwwwww
女王様とお呼び!が忘れられない
ダートでは無類の強さだったけど古馬になっても札幌記念で勝ったり、AJC2着など
牡馬相手でも健闘した。能力自体は相当高かったと思うのでやっぱり子供見たかったよなあ。
このVTRでは端折られてて気づかなったけど、最後の戦績見たらエンプレス杯の後はまた芝に戻って惨敗続きだったみたいだね。この1年間勿体なかったな。ずっとダートで無双してればよかったのに。
地方交流重賞元年のさきがけとなったホクトベガの参戦とその只者ではない強さが響き渡り、若き典さんと共に地方の重賞を渡り歩きその強さを見せつけてくれました。
個人的にも、当時GⅡだったフェブラリーSで降雪の中から直線、ホクトベガと典さんの姿をスタンドから目視出来た時からゴールまで叫んでましたね…。
帝王賞も強かった。
良い思い出です。
何だかんだ最強牝馬なんだよ
「ベガはベガでもホクトベガ!」
馬場アナの名言ですね‼️
これは耳に残ってるな〜
今のダートが充実してる競馬界でなら、ダートのG1を五つくらい取ってるだろうな
芝2400のGI勝ち、洋芝の重賞勝ち、ダートでの牡馬相手でも勝ち続けるタフさ、牝馬。
凱旋門賞を勝つ事が出来る要素が詰まった彼女でしたね。
確かドバイの後は欧州に渡って、欧州の一流種牡馬と繁殖の予定でした。
ホクトベガは
川崎でこんなにも活躍していたんですね🤩
私は川崎競馬場の近くで暮らして来たので
ホクトベガのメモリアルを見に行ってみたいと思います😊
最期は悲しい結末になりましたが🥺
馬も人もどんな生き物も
どんな運命が未来にあるのかは判らないのだから
毎日何気に暮らしながらも
その一瞬一瞬の煌めき✨が必要なんだと
ホクトベガは教えてくれました(^-^)
2011年はヴィクトワールピサが
今年はウシュバテソーロが遂にやりましたよ…
サイレンススズカと並ぶトラウマ…
特にエンプレス杯での圧勝は唖然とするしかない。
芝でもG1.ダート最強、能力はバケモンだった。。。大好きです
本当にそう思います。
アグネスデジタル以前の両刀馬でしたね。
去年安田記念でカフェファラオが芝G1挑戦したけど、17着?とかの惨敗でしたね。
中央の芝G1 ダートG1両方勝つのって本当に凄いと思います。
10:40 ホクトベガ1着でゴールイン、キョウトシチー1着です?
能力で芝でもそこそこ走ってしまったから、オーナーサイドも諦めきれなかったんでしょうね。
あの頃はまだまだダートより芝偏重の機運が高かった時代でしたもの。
クロフネといい、この馬といい、それこそブリーダーズカップを走って欲しかったな。
葬儀の際に横山典弘は喪服で訪れ
深々と手を合わせ肩をふるわせたという
今の時代なら、ダートで無双状態でしたね〜(^^)😊。
ホクトベガの遺骨は日本に持って来れないものなのかしら
せめて産まれた地で眠って欲しいと思ってしまう
ついにドバイのダートで日本勢が勝ちましたね。
砂の女王
この馬も、ウマ娘化してくれませんかね(^^)😊。
今みたいに交流G1が揃ってたらもっと勝ってた。それぐらいダートでの強さは半端ではなかった。
フライトラインを見ているようだ。
ドバイの空に輝く一等星ですね。
ダート適性が良いからと、芝のレースに出ないでいたとしたら、今のような人気馬にはなっていなかったでしょう。負け続けた後に新天地で勝つ。川崎初戦の頃は、心ないファンが、地方荒らしの悪名も一部で有った。だがダートのレースを重ねる頃には、地方荒らしと呼ぶ者はいなくなった上に、彼女を応援するようになっていく。最期は他馬からのもらい事故。これも競馬の一言で片付けてしまうのは酷い。
タイトルホルダーと同じ一族
ホントだよ♡
間違いなく名牝になれた一頭
いや、十分名牝だよ
これで名牝じゃなかったらなんなの……
当時から、そして今でも疑問に思っているのだが、ダートで十連勝もしているわけだけど、五、六連勝あたりでとっととアメリカのブリーダーズカップなり、海外遠征を考えなかったのだろうか。最初のダートレースですでに大差勝ち、その後も圧勝續き。
それだけの強さなら、もっと早い段階で海外へ出ようと思わなかったのだろうか?どうしていつまでも國内、地方にばかり居續けたのか。あまりにもったいないような氣がしてならない。くだらない大人の事情でもあったのだろうか!?
ホクトベガは、海外で勝てるチャンスをみすみす逃してきた、“不世出の世界ダート女王馬”、であると俺は強く思っている。
それで海外初挑戦で予後不良って不運だよな
今でこそ海外遠征は件数も多く出てきているのだろうがそれは今時点の目線であって、海外と日本との競馬のレベル差、輸送/滞在の難易度・費用・手間を含めて海外遠征はそもそも並大抵の話じゃない
それを実際にチャレンジしたホクトベガは、むしろ後続に海外遠征の夢を与えた先駆者の位置づけなのでは
まだ交流重賞ができたばかりでダートの位置づけが低かった当時の日本で、交流重賞を通して地方競馬含めてダート重賞の流れを作ったホクトベガの日本競馬に対する功績はとんでもなく大きいと個人的には思っている
@@TAK-K
現役時代を直接見た訳ではないので迂闊なことは言えませんが、人気のあった馬ですし日本全国の競馬ファンにできるだけホクトベガの勇姿をお披露目したいという意味合いもあったのではないかと思います。
@@TAK-Kこれに尽きるよ
ゲームじゃあるまいしホイホイ海外遠征なんてできた時代じゃない
今だってそんな簡単に海外なんて行かないけど
最初のダートは平安Sで惨敗してる
これがダート転向を遅らせたまず第一
そして当時は今と違い海外遠征なんて色んな意味で出走させることすら大きなハードルだった
そしてダートの格は今よりももっともっと低かった
地方やフェブラリーSで安定して稼げている馬をとてつもないリスクを負って海外遠征させる決断を下すのは当時ではかなり難しかったと思う
そしてそのリスクが現実となってしまった