内田信号場 通票閉塞器 最後の稼働 JRから平成筑豊鉄道へ【レイルリポート #23 Classics】
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- เผยแพร่เมื่อ 5 พ.ค. 2013
- 最新の平成筑豊鉄道の展望作品はこちら
ブルーレイ→vicom.co.jp/mt/2013/03/6567.html
DVD→vicom.co.jp/mt/2013/03/4751.html
1989年(平成元年)10月1日、JR九州の3路線を転換した第三セクター平成筑豊鉄道が開業した。第三次廃止対象路線とされた伊田線・糸田線・田川線を継承した、通称『へいちく』は、全線非電化の、もと運炭線を引き受けた形となった。現在では車両も更新し、新たに2009年からは門司港レトロ地区を走るトロッコ列車『潮風号』の運営も行っている。
撮影から23年を経て、改めて映像を見ると、キハ66・67やキハ52、キハ23、キハ58系などの気動車、50系レッドトレインなどすでに筑豊から姿を消した車両、さらには開業当初の軽快気動車(100〜300形)が出てくる。また転換時に廃止された内田信号場の閉塞の様子などは貴重と言えよう。
廃止=バス転換が続いていた筑豊の旧運炭線に、線路を存続することでひとつの方向性を示した平成筑豊鉄道。その開業の様子を紹介した。 - ยานยนต์และพาหนะ
定位、反位の用語、ダブレットの連絡する電話機は600号の壁にこそなっているものの大正時代から続いてきたダブレット閉塞器が平成の御代まで動いていたということは貴重な歴史遺産です。信号テコ、転轍テコは操作にコツがいるし重い。保守もワイヤー引きだから大変だったでしょう。信号場の最後の瞬間は万感の想いだったことでしょう。貴重な記録が見れて嬉しい限りです。
7:46 おっちゃんの「終わった。終わりました」の言葉。その笑顔には安堵の表情と寂しさが感じられる。
通表閉塞期の懐かしい姿だ。
1:38の降りてくる学生の格好がなんとなく時代を感じる
九州色のキハ66、67やっぱいいな~☺
身近なとこで好きな車両が走ってたの驚いた。
そうですね。伊田線・糸田線・田川線は、路線名こそそれぞれ独立していますが、相互に乗り換える需要が多かったこと、お互いに緊密に接続していた路線であったことなどから、一体化しての三セク転換が実行されたようです。現在の状況から見ても独立して別会社で運営するより、同じ会社で運営する、現在の形の方が得策だったと思います。かつては乗り換えが必要だった伊田線と田川線が、現在は大半の列車が直通しているのも、需要に応じての運用修正の結果なのではないでしょうか。
ここに働いている方はその後、どうされたのですか?
もう一度見たかったです。
ありがとうございます。
チャンネル登録しました。
昔の作品からの抜粋ですので...とりあえずDVD化は今のところ予定していません。
現在の内田駅は、内田信号場があった位置よりも1キロほど行橋寄りです。信号場の跡地は展望映像を見るとはっきりわかりますね。
昔列車交換をしていたんですね
1:00 DDで客車を引っ張る通常列車?があったんですね
懐かしい
懐かしい!
一気に3路線も転換したんですね。
内田信号場跡の近くに内田駅が開業したのは、その後なんですよね。
今年の4連休に内田ー油須原見てきました。内田信号場がどこにあるのかわからなかったな
これ方運転台車ですけど、どうやって折り返し運転してるんですか。
平成筑豊鉄道の路線が複雑過ぎてワケワカメですわ
それ以上にタブレット閉塞式の仕組みもよく分かんないです