【森町】 森のまつり 夜巡行

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  • เผยแพร่เมื่อ 4 ส.ค. 2024
  • 遠州(遠江国、静岡県西部)の「喧嘩まつり」として名高い「森のまつり」です。遠州の祭は「横須賀(三熊野神社大祭)に始まり、森に終わる」と言われ、この地方では必ず名前が挙がる祭礼となっています。
    祭礼のある森町(もりまち)はかつて秋葉山(秋葉神社)参詣の宿場町であったほか、河川舟運の拠点として、また江戸時代には相場に大きな影響を持つほどの古着市場で栄えていました。この経済的背景をもとに江戸時代後期には庶民による山車祭りが始まっており、現在の「森のまつり」は町中心部の「三島神社」の氏子区域と、その周辺の地区との合同祭礼として拡大しています。最終日(三日目)には御旅所である「金守神社」からの還幸と「舞児還し」と呼ばれている祭礼に奉仕(奉納演舞)した子供(舞児)を神社から自町まで送り返す行事が主に行われています。
    映像は最終日の夜の巡行の様子を中心に構成しています。各町の祭式の大半が終了して屋台(山車)は帰町、残る「舞児還し」を控える場面から始まります。各町から選出された舞児は、三島神社での「舞児還し式」に参列(一般者は観覧不可)し、その後屋台に乗せられてそれぞれの町内に帰ります。町内では総出で舞児を出迎え、感謝や慰労の口上と万歳三唱とともに式典は終わります。「舞児還し式」の出立から自町の式典まで、舞児は地面に足をつけてはならないしきたりで、屋台の乗り降りの場面では若衆(青年団)が担ぐことになっています。このしきたりは同地域にある天宮(あめのみや)神社の例大祭(国重文)の若衆「天社轂(てんしゃこく)」が行っていたものを大正時代に三島神社でも取り入れたいきさつがあり、以降森町や袋井市一帯で同様の「舞児還し」が行われています。
    「舞児還し」の後、屋台は森町の中心部に再度繰り出し、乱曳き(実際は行路が指定されている)となります。屋台が練り進み、各場所で手木合わせが行われます。最終的にまた帰町となりますが、一部の屋台では祭典の終わりを告げる囃子「雨垂れ(あまんだれ)」が奏でられます。囃子ににこだわりある慶雲社(けいうんしゃ)が天森橋上で奏でるものは特に有名で、囃子とともに屋台が名残惜しく一進一退する様子を見ることができます。
    森では屋台を曳く集団(集落)を「社」として、本来の地名とは別に祭典用の社名を持っており、例えば正式の地名が向天方(むかいあまがた)の場合、祭礼のときには慶雲社という名前となり、全部で14の「社」が祭りに参加しています。(天宮・天社轂も明治以降、凱生社の名で参加)
    三島神社参集 0:00
    舞児還し(睦栄社) 7:00
    乱曳き(森地区) 23:48
    帰町(慶雲社:天森橋雨垂れ囃子・屋台格納) 54:40

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