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現在も品種改良し続けて美味しい米を求め続ける、日本人のモノづくり精神の大元ではないだろうか。理屈ではなく、日本晴からコシヒカリに作付変えて新米を食べた時は本当に感動したものだ。
1990年ころ、コシヒカリを我が家で食べていました。当時、米屋で売っている中で断トツで値段が高かったです。にもかかわらず節約志向の母が買っていたので聞いたことがありました。母曰く「お米だけは一番美味しいのを食べたいから」と言っていたのを覚えています。
美味しいお米は心を豊かにしてくれますね😊
お米がちょっと高くてもお茶碗一杯50円程度。(乾燥重量100g・0.7合、500円/kgとして)おかずを節約してもお米が良ければ満足度が高くなり節約になります。
うちの母も、同じです今は、それも懐かしい思い出でし。
戦国時代の逸話集などに赤米黒米という記述が出てくるのですが、これらが味は落ちるが収量の多い古代米を指している場合と、単にうるち米の玄米を指している場合があるのでややこしいんですよね。時期や地域によるんでしょうけどなかなか良い資料が見つかりません…。
瑞穂の国たる所以ですね。
半島ルート説は完全否定されたんだね。色々起源主張してる🇰🇷から日本が教わったものなんて皆無ってことだよね…そもそも日韓併合時に現代稲作を日本が教えたんだしね…
ササニシキ…。あぁササニシキ、ササニシキ。そう!私は宮城県の回し者です!!
お寿司屋さんはササニシキ支持者が多い気がします
コシヒカリがブームになる前はササニシキ ホカ弁もササニシキだったな。病気に弱いんだよな 個人的にはさっぱりして好きだったけれど お寿司屋さんもね
@@yukibebe7 さん地元で、ササニシキの生産に尽力されている農家さん達の組織があるので、食べて応援しようかと。某寿司漫画の主人公が使ってる米もササニシキでしたね!
『祖』ではなく『租』です。
酸性の土壌でも作れる点が素晴らしい。まさに神だよ。
今回もすごく面白かった種の進化の意味を探るのはロマンがあるイルカとか家畜化できれば海難事故で働いてもらえるのに、ってよく思いますいつかできたらいいのに、、
実は、日本牛と古水稻の遺伝子検査を行えば、古水稻の起源が分かるのです。
米作りは飢饉の始まりそれと山盛りの飯からタンパク質を摂ってた
小学生のとき朝鮮半島から稲作が伝わった説はそれは嘘だろうと思っていた。何故ならあんな寒い地域で稲作なんてな・・・ってね。20年くらい前に長江流域 やっぱりなという感想でしかなかった
渡来人が持ち込んだって話だったら別におかしくなくない?起源は別の所にあるだろうけど
なぜ育てるのも楽で調理も簡単な芋が主食じゃないのか謎。
保存かな?
理由は5つ考えられる。1.米の方が保存性が高い。米は乾燥させて俵に入れておくだけで1年間は保存できる。芋類は保存が難しい。2.米の方が圧倒的に増やせる。現在は種もみに対し、収穫される米は平均で500倍程度。江戸時代でも200倍程度であったと考えられている。サツマイモなら8倍程度にしか増えない。3.米は連作が可能。1年間で水田を水浸しにしたり、乾燥させたりするので、水に弱い害虫も、乾燥に弱い害虫も増えにくい。4.裏作が可能稲作は土地を休ませる必要が無いので、米の裏作に麦などができる。5.米は味が良く、玄米ならば必須アミノ酸がすべて含まれているなど栄養バランスも良い。このように米は数ある作物の中でも最も優秀な作物と言って良く、日本で稲作が普及したのは必然であった。米によって、日本のような狭い国土であっても、多くの人間を養うことができた。
まずジャガイモと米じゃ収穫量が違う。米なら同じ収穫量でジャガイモより多くの人を養える。ジャガイモは痩せた土地でも育つけど、日本では多少手間はかかっても多くの人を養える米が主食になったんだろうね。
コシヒカリは台風来るとすぐ倒伏しちゃうんだよね。友達んちはコシヒカリやめて、別の品種作り始めたらしい。少し米価は安いみたいだけどね。
発掘や中国の史書からも縄文・弥生共に南方色が強く海洋的な文化であり、実際に魏と国交を結ぶまでの邪馬台国は呉と通じていた遼東公孫氏と関係しており、その後の倭の五王も中国南朝を正統として朝貢を行っていた。当の中国でも黄河文明と並んで南方の長江流域の文明が中華文明の礎であることはもはや常識(これは現在の政権の基盤がこの地域なのと対岸の台湾問題や海洋進出の影響もあるのだろうが)。
太平洋側から伝播するより、日本海側から伝播するほうが早かった理由について言及してほしかった。
コシヒカリはいもち病によわい
霊夢ちゃん🐱魔理沙ちゃんと面会に行くね😆でも本当にお米は大事ですね❕大切にしたいと思います。
何で日本人の主食は長年米だったのか?理由は5つ考えられる。1.米の方が保存性が高い。米は乾燥させて俵に入れておくだけで1年間は保存できる。芋類は保存が難しい。2.米の方が圧倒的に増やせる。現在は種もみに対し、収穫される米は平均で500倍程度。江戸時代でも200倍程度であったと考えられている。サツマイモなら8倍程度にしか増えない。3.米は連作が可能。1年間で水田を水浸しにしたり、乾燥させたりするので、水に弱い害虫も、乾燥に弱い害虫も増えにくい。4.裏作が可能稲作は土地を休ませる必要が無いので、米の裏作に麦などができる。5.米は味が良く、玄米ならば必須アミノ酸がすべて含まれているなど栄養バランスも良い。このように米は数ある作物の中でも最も優秀な作物と言って良く、日本で稲作が普及したのは必然であった。米によって、日本のような狭い国土であっても、多くの人間を養うことができた。ただ、欠点があるとすればもともと熱帯性の植物なので、寒冷地には育ちにくいとされた。そのため東北地方では度々冷害に見舞われた。しかし、水稲農林一号というものすごく優秀な品種が開発されて様相が一変した。この品種は寒冷地に強く、多収穫でおいしいというとんでもない品種で、この品種を元に多くの品種が開発され、東北地方、北海道が米どころになった。
実は北九州市の若松区の山頂付近で数万年以前の石器時代以前の露跡が発見されて、その遺跡から米が食べていた形跡が見つかっている、米はおそらく陸稲ではなかったかな、野生の稲科は数世代栽培したら米が大きくなり食べられるサイズになるそうだ、稲科の米の初期は陸稲から、多く栽培が出来る水稲えと発達したのではないかな。これ私が小学校時代に発言したらピントはずれと言われたよ、世界地図を見てアフリカと南米がピッタリとひっつくのはおかしいと思うと言ったら、内山氏はまたピントはずれがと…………。本当に小学校時代は地獄で泣いて教室から飛び出て家に帰っていたよ。
僕は素人なので根拠などありませんが、日本の米は日本列島で進化した米だと考えています。通常、公式的に稲作は中国南部からの伝来とされているが、伝来時期と日本列島内での遺跡からの発掘により、5〜6千年程度前倒しになってしまう可能性が高い。古代米と言われるだろう米のの原型を食していた形跡が発見されている。僕は米の稲が日本で進化したと思われる根拠を日本列島形成にあると考えている。列島内東日本側は地殻変動によるプレートの削りと押される事による盛り上げ、海底からの付加体と呼ばれる土砂の盛り上げで形成されたとなっている。この時に海岸線付近に分布していた海草(アマモなど)が陸地に上げられた際に湿地帯、湖畔に偶然残ったモノが進化として環境に適応変化をしたものと考えた。ワカメや昆布などは海藻の胞子植物でアマモは種子植物で、江戸期には東京湾沿岸に数多く生息していた。現在でも川崎の周辺等で残っている所はある。日本列島では東南アジアの様な気候ではないから稲の進化は難しいと考えるが、縄文人の基本的な服装と住居を見返せば、日本列島が寒かったと云う事が間違いだと解る。もし寒い時期が存在するならば、これまで考えられた服装と住居も間違いであったと考えなければならない。ただし米が主食だったかどうかは不明であり、むしろ食べる物の選択肢の一つだったかと考えている。それほど栽培効率がまだ発展途上以前と考え、他に食べる物が多かったからではないかと。僕が想定する稲作の進化的な発祥地は、諏訪湖と利根川中〜下流域である。諏訪湖は現在の大きさよりも古代は3倍以上大きかった可能性があり、浅瀬になっていた所、湿地だった所があったのではと。利根川流域の茨城千葉埼玉の辺りは湿地帯だったと言われているので可能性がある。他にも猪苗代湖や十和田湖も可能性では十分である。残念ながら西日本側は火山噴火による隆起が主体の形成と考えられているため、海草の進化は厳しい。西日本側での稲作は大陸側からの伝来よりも先に東日本側からの交易による伝来と考えられる。
米の原種は東南アジア。そこからインディカ米とジャポニカ米に分岐します。インディカ米は2007年米不足で輸入されたタイ米の様な縦に長い形状が特徴。ジャポニカ米は北上し長江下流域で10000前のもみ殻が最古。日本に入って来たのは長江からとゲノム解析で明らかになりますね。日本の米栽培初期は恐らく陸稲栽培だと思われますが水稲栽培に成るには人口増加も含めやはり弥生期からとなるでしょう。縄文人が長江にたどり着いたかについては個人的な憶測になりますが、北方からハプログループO系統が長江へ南下するまでは恐らくハプログループD系統が住んでいたのではないかと思うのです。チベット族は縄文人と兄弟遺伝子で知られていますが、チベット族の伝承に蚩尤の子孫であるとの話が有ります。蚩尤は長江の長ですが神農の眷属でもあり神農も長沙が本地です。彼らがハプログループDならば、チベット族は中央アジアから長江へ移住していますので、縄文人は最初から長江文明を知っていたのではないでしょうか?浙江省には河姆渡文化、高床式、縄文土器、他遺跡には羲和(太陽神)三足鳥(八咫烏)(前5000年鬼界カルデラ噴火と重なる時期)早ければ900年後陸稲栽培は始まっていたかもしれない。と、言う妄想。
伝来というよりは最初からコメ持ってた民族が米俵積んで日本に渡ってくる人米ワンセットの方が自然だとは思うがなんとなく気が向いて集団移住とかするとも思えんので気候の有利とか治安の問題とかなんかメリットあったと思うんだよな。大陸と日本を行き来した1人の男が発端とかいう事もありえなくはないが、まあそこまでいくと解明は難しかろう
コシヒカリは福井生まれです。
稲作は中国大陸伝来説の他に日本列島発祥説もあったと思うけど…。
①支那→朝鮮半島→日本②支那→日本③日本発祥この3つの説がありますね。
私も稲作の起源が日本であった可能性は大きいと思います。チャイナと日本の両方が同じ頃 別々にという可能性と合わせればほぼ100%。通説になっているらしいチャイナから▲鮮を通って日本に という可能性はほぼゼロと思います。およそ考えにくい説が通説になっているのは政治的圧力のためです。
@@nomadkyoto5431政治的圧力とは?
いくら中国のことが嫌いでも、それは流石に無理がある
いろんな説はあっても、当時に戻って確認することはできない。 限られた物的証拠で夢想するのが考古学だ。
糠を取った方が美味しいけど、糖尿病の為に玄米を食べている。
プラントオパールでは日本の鹿児島が最古らしい、南九州に自生していたのでは?アカホヤ爆発で縄文人が長江付近へ移住してまた帰ってきた説もある。
日本人は🍚を分解して肥満抑制物質の短鎖脂肪酸を作る腸内細菌を持ってる。だから🍚を3食食べた方が太らない。昔の日本人は毎食2、3杯🍚を食べてたけど肥満の人なんていなかった。
大陸から伝わった?今ではその可能性すら低くなってるんだけどな。
いや〜流石にそれはないやろ
@@ダコヲ どうせ何も調べず言ってんだろ?
日本は葦原の国と言われるほど湿地の多い土地だった。水田と言うのは人工的に湿地を作る技術、湿地の多くある日本で一番おいしい育て方を模索したとも考えられます。
イネ((米)は、東南アジアから来た事は確かだとは思います。でも、東アジアに住んでいたのがどんな人々だったのか?を考える必要があるかもしれませんね^^;、
後に知った事なのですが;;、日本の一部が亜熱帯だった時代があり!、具体的証拠もあり稲作の日本発祥説が研究されているそうですね!(×_×;、(東南アジアにも倭人(日本人)がいた可能性もあるかも?、、)
米?弥生式水田縄文時代?かな?
米は縄文時代より前、1万4千年旧石器時代、縄目を付けた土器発見で縄文と言う、無いと言われた文字(神代文字)発見された、それに依り人類は日本(7万年前)から世界へ(3万~4万年)仮設?
@@kou-gb8xo ありがとう❤️神代九州地方~大和蔟宮崎と出雲神話飯塚に出雲地名有ります。鉄かまなら出雲地方に有ります。赤い米初期かなぁ?出雲部族八幡部族白い米初期伝来は?歴史的ロマンチックですね
リスなの?
天皇は九州の出身のはずだよねw
今まで米の発祥地は日本やと思った
その説もありますよ。米自体は大陸からで水耕栽培が日本という説です。
米の渡来説の可能性が否定されそう いや否定されたのか⁈
中国の福建省の方言でお粥の事の発音は、マイ とベイ両方.地方によって違います.想像で おかゆは 蒸しご飯より早いうちに出来たのでしょう. だからおかゆの事を米そのままの音で呼ぶでしょう.日本のおぞうすいはご飯についで発明したものでしょう. 粉食(麺、蕎麦.うどん(餛吞),,パソ) は ご飯の次. 日本語の めし は 麦と米から来た名前でしょう.麦と米はともにMの音マ,メの母音.子にかわいらしくつく尾音.中国語に例えば 孩子、女子、男子, 様子・箱子、児子.....古代人は米より 米子(メシ)の方が食欲が湧いてくるはずです.
広東人は米の粉食の物を河粉(ホ -フン).扁平のうすい米の麺類.この麺と河川の河とどんな関係があるか ずいぶん前から考えたです.多分河( ホ)とコの音変だと思います 、こなのコでしょうか..福建人が米粉と発音するのが一般的.ラーメンが日本に普及するのは二十世紀初頭.. そば、うどん、そめんのつくり方は南方的.ラーメンは手でのばすのは北方系に見えます.
白米が一番栄養価低いから別に食わなくても良いでしょ
(笑)
現在も品種改良し続けて美味しい米を求め続ける、日本人のモノづくり精神の大元ではないだろうか。理屈ではなく、日本晴からコシヒカリに作付変えて新米を食べた時は本当に感動したものだ。
1990年ころ、コシヒカリを我が家で食べていました。
当時、米屋で売っている中で断トツで値段が高かったです。
にもかかわらず節約志向の母が買っていたので聞いたことがありました。
母曰く「お米だけは一番美味しいのを食べたいから」と
言っていたのを覚えています。
美味しいお米は心を豊かにしてくれますね😊
お米がちょっと高くてもお茶碗一杯50円程度。(乾燥重量100g・0.7合、500円/kgとして)
おかずを節約してもお米が良ければ満足度が高くなり節約になります。
うちの母も、同じです
今は、それも懐かしい思い出でし。
戦国時代の逸話集などに赤米黒米という記述が出てくるのですが、これらが味は落ちるが収量の多い古代米を指している場合と、単にうるち米の玄米を指している場合があるのでややこしいんですよね。時期や地域によるんでしょうけどなかなか良い資料が見つかりません…。
瑞穂の国たる所以ですね。
半島ルート説は完全否定されたんだね。
色々起源主張してる🇰🇷から日本が教わったものなんて皆無ってことだよね…
そもそも日韓併合時に現代稲作を日本が教えたんだしね…
ササニシキ…。
あぁササニシキ、ササニシキ。
そう!私は宮城県の回し者です!!
お寿司屋さんはササニシキ支持者が多い気がします
コシヒカリがブームになる前はササニシキ ホカ弁もササニシキだったな。
病気に弱いんだよな 個人的にはさっぱりして好きだったけれど お寿司屋さんもね
@@yukibebe7 さん
地元で、ササニシキの生産に尽力されている農家さん達の組織があるので、食べて応援しようかと。
某寿司漫画の主人公が使ってる米もササニシキでしたね!
『祖』ではなく『租』です。
酸性の土壌でも作れる点が素晴らしい。まさに神だよ。
今回もすごく面白かった
種の進化の意味を探るのはロマンがある
イルカとか家畜化できれば海難事故で働いてもらえるのに、ってよく思います
いつかできたらいいのに、、
実は、日本牛と古水稻の遺伝子検査を行えば、古水稻の起源が分かるのです。
米作りは飢饉の始まり
それと山盛りの飯からタンパク質を摂ってた
小学生のとき朝鮮半島から稲作が伝わった説はそれは嘘だろうと思っていた。
何故ならあんな寒い地域で稲作なんてな・・・ってね。
20年くらい前に長江流域 やっぱりなという感想でしかなかった
渡来人が持ち込んだって話だったら別におかしくなくない?起源は別の所にあるだろうけど
なぜ育てるのも楽で調理も簡単な芋が主食じゃないのか謎。
保存かな?
理由は5つ考えられる。
1.米の方が保存性が高い。
米は乾燥させて俵に入れておくだけで1年間は保存できる。芋類は保存が難しい。
2.米の方が圧倒的に増やせる。
現在は種もみに対し、収穫される米は平均で500倍程度。江戸時代でも200倍程度であったと考えられている。サツマイモなら8倍程度にしか増えない。
3.米は連作が可能。
1年間で水田を水浸しにしたり、乾燥させたりするので、水に弱い害虫も、乾燥に弱い害虫も増えにくい。
4.裏作が可能
稲作は土地を休ませる必要が無いので、米の裏作に麦などができる。
5.米は味が良く、玄米ならば必須アミノ酸がすべて含まれているなど栄養バランスも良い。
このように米は数ある作物の中でも最も優秀な作物と言って良く、日本で稲作が普及したのは必然であった。米によって、日本のような狭い国土であっても、多くの人間を養うことができた。
まずジャガイモと米じゃ収穫量が違う。米なら同じ収穫量でジャガイモより多くの人を養える。ジャガイモは痩せた土地でも育つけど、日本では多少手間はかかっても多くの人を養える米が主食になったんだろうね。
コシヒカリは台風来るとすぐ倒伏しちゃうんだよね。
友達んちはコシヒカリやめて、別の品種作り始めたらしい。
少し米価は安いみたいだけどね。
発掘や中国の史書からも縄文・弥生共に南方色が強く海洋的な文化であり、実際に魏と国交を結ぶまでの邪馬台国は呉と通じていた遼東公孫氏と関係しており、その後の倭の五王も中国南朝を正統として朝貢を行っていた。当の中国でも黄河文明と並んで南方の長江流域の文明が中華文明の礎であることはもはや常識(これは現在の政権の基盤がこの地域なのと対岸の台湾問題や海洋進出の影響もあるのだろうが)。
太平洋側から伝播するより、日本海側から伝播するほうが早かった理由について言及してほしかった。
コシヒカリはいもち病によわい
霊夢ちゃん🐱魔理沙ちゃんと面会に行くね😆でも本当にお米は大事ですね❕大切にしたいと思います。
何で日本人の主食は長年米だったのか?
理由は5つ考えられる。
1.米の方が保存性が高い。
米は乾燥させて俵に入れておくだけで1年間は保存できる。芋類は保存が難しい。
2.米の方が圧倒的に増やせる。
現在は種もみに対し、収穫される米は平均で500倍程度。江戸時代でも200倍程度であったと考えられている。サツマイモなら8倍程度にしか増えない。
3.米は連作が可能。
1年間で水田を水浸しにしたり、乾燥させたりするので、水に弱い害虫も、乾燥に弱い害虫も増えにくい。
4.裏作が可能
稲作は土地を休ませる必要が無いので、米の裏作に麦などができる。
5.米は味が良く、玄米ならば必須アミノ酸がすべて含まれているなど栄養バランスも良い。
このように米は数ある作物の中でも最も優秀な作物と言って良く、日本で稲作が普及したのは必然であった。米によって、日本のような狭い国土であっても、多くの人間を養うことができた。
ただ、欠点があるとすればもともと熱帯性の植物なので、寒冷地には育ちにくいとされた。そのため東北地方では度々冷害に見舞われた。
しかし、水稲農林一号というものすごく優秀な品種が開発されて様相が一変した。この品種は寒冷地に強く、多収穫でおいしいというとんでもない品種で、この品種を元に多くの品種が開発され、東北地方、北海道が米どころになった。
実は北九州市の若松区の山頂付近で数万年以前の石器時代以前の露跡が発見されて、その遺跡から米が食べていた形跡が見つかっている、米はおそらく陸稲ではなかったかな、野生の稲科は数世代栽培したら米が大きくなり食べられるサイズになるそうだ、稲科の米の初期は陸稲から、多く栽培が出来る水稲えと発達したのではないかな。これ私が小学校時代に発言したらピントはずれと言われたよ、世界地図を見てアフリカと南米がピッタリとひっつくのはおかしいと思うと言ったら、内山氏はまたピントはずれがと…………。本当に小学校時代は地獄で泣いて教室から飛び出て家に帰っていたよ。
僕は素人なので根拠などありませんが、日本の米は日本列島で進化した米だと考えています。
通常、公式的に稲作は中国南部からの伝来とされているが、伝来時期と日本列島内での遺跡からの発掘により、5〜6千年程度前倒しになってしまう可能性が高い。古代米と言われるだろう米のの原型を食していた形跡が発見されている。
僕は米の稲が日本で進化したと思われる根拠を日本列島形成にあると考えている。列島内東日本側は地殻変動によるプレートの削りと押される事による盛り上げ、海底からの付加体と呼ばれる土砂の盛り上げで形成されたとなっている。この時に海岸線付近に分布していた海草(アマモなど)が陸地に上げられた際に湿地帯、湖畔に偶然残ったモノが進化として環境に適応変化をしたものと考えた。ワカメや昆布などは海藻の胞子植物でアマモは種子植物で、江戸期には東京湾沿岸に数多く生息していた。現在でも川崎の周辺等で残っている所はある。
日本列島では東南アジアの様な気候ではないから稲の進化は難しいと考えるが、縄文人の基本的な服装と住居を見返せば、日本列島が寒かったと云う事が間違いだと解る。もし寒い時期が存在するならば、これまで考えられた服装と住居も間違いであったと考えなければならない。
ただし米が主食だったかどうかは不明であり、むしろ食べる物の選択肢の一つだったかと考えている。それほど栽培効率がまだ発展途上以前と考え、他に食べる物が多かったからではないかと。
僕が想定する稲作の進化的な発祥地は、諏訪湖と利根川中〜下流域である。諏訪湖は現在の大きさよりも古代は3倍以上大きかった可能性があり、浅瀬になっていた所、湿地だった所があったのではと。利根川流域の茨城千葉埼玉の辺りは湿地帯だったと言われているので可能性がある。他にも猪苗代湖や十和田湖も可能性では十分である。
残念ながら西日本側は火山噴火による隆起が主体の形成と考えられているため、海草の進化は厳しい。西日本側での稲作は大陸側からの伝来よりも先に東日本側からの交易による伝来と考えられる。
米の原種は東南アジア。そこからインディカ米とジャポニカ米に分岐します。インディカ米は2007年米不足で輸入されたタイ米の様な縦に長い形状が特徴。ジャポニカ米は北上し長江下流域で10000前のもみ殻が最古。日本に入って来たのは長江からとゲノム解析で明らかになりますね。日本の米栽培初期は恐らく陸稲栽培だと思われますが水稲栽培に成るには人口増加も含めやはり弥生期からとなるでしょう。縄文人が長江にたどり着いたかについては個人的な憶測になりますが、北方からハプログループO系統が長江へ南下するまでは恐らくハプログループD系統が住んでいたのではないかと思うのです。チベット族は縄文人と兄弟遺伝子で知られていますが、チベット族の伝承に蚩尤の子孫であるとの話が有ります。蚩尤は長江の長ですが神農の眷属でもあり神農も長沙が本地です。彼らがハプログループDならば、チベット族は中央アジアから長江へ移住していますので、縄文人は最初から長江文明を知っていたのではないでしょうか?浙江省には河姆渡文化、高床式、縄文土器、他遺跡には羲和(太陽神)三足鳥(八咫烏)(前5000年鬼界カルデラ噴火と重なる時期)早ければ900年後陸稲栽培は始まっていたかもしれない。と、言う妄想。
伝来というよりは最初からコメ持ってた民族が米俵積んで日本に渡ってくる人米ワンセットの方が自然だとは思うが
なんとなく気が向いて集団移住とかするとも思えんので気候の有利とか治安の問題とかなんかメリットあったと思うんだよな。
大陸と日本を行き来した1人の男が発端とかいう事もありえなくはないが、まあそこまでいくと解明は難しかろう
コシヒカリは福井生まれです。
稲作は中国大陸伝来説の他に日本列島発祥説もあったと思うけど…。
①支那→朝鮮半島→日本
②支那→日本
③日本発祥
この3つの説がありますね。
私も稲作の起源が日本であった可能性は大きいと思います。チャイナと日本の両方が同じ頃 別々にという可能性と合わせればほぼ100%。通説になっているらしいチャイナから▲鮮を通って日本に という可能性はほぼゼロと思います。およそ考えにくい説が通説になっているのは政治的圧力のためです。
@@nomadkyoto5431政治的圧力とは?
いくら中国のことが嫌いでも、それは流石に無理がある
いろんな説はあっても、当時に戻って確認することはできない。 限られた物的証拠で夢想するのが考古学だ。
糠を取った方が美味しいけど、糖尿病の為に玄米を食べている。
プラントオパールでは日本の鹿児島が最古らしい、南九州に自生していたのでは?アカホヤ爆発で縄文人が長江付近へ移住してまた帰ってきた説もある。
日本人は🍚を分解して肥満抑制物質の短鎖脂肪酸を作る腸内細菌を持ってる。だから🍚を3食食べた方が太らない。昔の日本人は毎食2、3杯🍚を食べてたけど肥満の人なんていなかった。
大陸から伝わった?
今ではその可能性すら低くなってるんだけどな。
いや〜流石にそれはないやろ
@@ダコヲ どうせ何も調べず言ってんだろ?
日本は葦原の国と言われるほど湿地の多い土地だった。水田と言うのは人工的に湿地を作る技術、湿地の多くある日本で一番おいしい育て方を模索したとも考えられます。
イネ((米)は、東南アジアから来た事は確かだとは思います。
でも、東アジアに住んでいたのがどんな人々だったのか?を考える必要があるかもしれませんね^^;、
後に知った事なのですが;;、日本の一部が亜熱帯だった時代があり!、具体的証拠もあり稲作の日本発祥説が研究されているそうですね!(×_×;、
(東南アジアにも倭人(日本人)がいた可能性もあるかも?、、)
米?弥生式水田縄文時代?かな?
米は縄文時代より前、1万4千年旧石器時代、縄目を付けた土器発見で縄文と言う、無いと言われた文字(神代文字)発見された、それに依り人類は日本(7万年前)から世界へ(3万~4万年)仮設?
@@kou-gb8xo ありがとう❤️神代九州地方~大和蔟宮崎と出雲神話飯塚に出雲地名有ります。鉄かまなら出雲地方に有ります。赤い米初期かなぁ?出雲部族八幡部族白い米初期伝来は?歴史的ロマンチックですね
リスなの?
天皇は九州の出身のはずだよねw
今まで米の発祥地は日本やと思った
その説もありますよ。
米自体は大陸からで水耕栽培が日本という説です。
米の渡来説の可能性が否定されそう いや否定されたのか⁈
中国の福建省の方言でお粥の事の発音は、マイ とベイ両方.地方によって違います.想像で おかゆは 蒸しご飯より早いうちに出来たのでしょう. だからおかゆの事を米そのままの音で呼ぶでしょう.日本のおぞうすいはご飯についで発明したものでしょう. 粉食(麺、蕎麦.うどん(餛吞),,パソ) は ご飯の次. 日本語の めし は 麦と米から来た名前でしょう.麦と米はともにMの音マ,メの母音.子にかわいらしくつく尾音.中国語に例えば 孩子、女子、男子, 様子・箱子、児子.....古代人は米より 米子(メシ)の方が食欲が湧いてくるはずです.
広東人は米の粉食の物を河粉(ホ -フン).扁平のうすい米の麺類.この麺と河川の河とどんな関係があるか ずいぶん前から考えたです.
多分河( ホ)とコの音変だと思います 、こなのコでしょうか..福建人が米粉と発音するのが一般的.ラーメンが日本に普及するのは二十世紀初頭.. そば、うどん、そめんのつくり方は南方的.ラーメンは手でのばすのは北方系に見えます.
白米が一番栄養価低いから別に食わなくても良いでしょ
(笑)