小春日和という季語
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
- 小春日、あるはい小春日和、小春という季語がある。中学生の頃まで、これはてっきり早春の頃の天気のよい暖かい日のことかと思っていた。それが冬の季節であると知った時、やや違和感を感じた。また、小冬日和、小秋日和、小夏日和という言葉はないのである。日本語は実に奥が深いのである。
さて、小春日和の俳句は、どんなものがあるのだろう。名句はないように思う。歳時記を開くと高名な俳人の次の二句が一番目と二番目に並んでいた。
小春ともいひまた春の如しとも 高浜虚子
玉の如き小春日和を授かりし 松本たかし
虚子の句は、小春を春の如しというのであるが、それほどよい句ではないように感じる。名前で載せた句なのであろうか。高名でなければほぼ間違いなく没の句である。たかしの句は、小春日和そのものに感動している句である。そういえば冬のある日、小春日和に出会った時、「ああ、暖かくてほっとするいい日だな」と感じたことがある。小春日和そのものが感動を含む季語であるということである。最初から感動を含んでいる季語は扱いが難しいように感じられる。それに冬なのに春の雰囲気なのである。冬と春とが交ざり合い、それでいてその二つの雰囲気を潰してはいけないのである。本当に難しい季語である。でも詠んでみようと思うのである。
ふと冬の消えて小春となりにけり 宗太郎
廊下にて眠る三毛猫小春かな 宗太郎
隠れんぼ小春日和の陰の中 宗太郎
今ひとつであろう。なかなかに難しい季語である。
「小春日和」、情緒を持ちすぎて確かに難しい季語ですねー。
・「ふと冬の消えて…」の御句ですが、読み手によっては「ふと」の好き嫌いが分かれるかもしれませんねー。確か上田五千石でしたっけね、「俳句に”ふと”という措辞は必要ない」と言い切ったのはw。「冬の消えて」が季語の本意に重なる感じが私はちょっと気になりました。
・「廊下にて眠る…」の御句ですが、切れ字「かな」で着地する場合に中七で切る形がちょっと気になりました。
・「隠れんぼ小春日和の…」の御句は私は好きですねー。下五「陰の中」と隠れた後の静的な情景を詠まれていますが、「に探す陰」と隠れようとしている最中の動的な情景としてやる手もありかなと思いました。
勝手な鑑賞、まことに申し訳ありません。m(_ _)m(ヒラにヒラに~)
聴いていただきありがとうございます。「ふと」という言葉は俳句的ではないかも知れません。二つ目の句の中七の名詞切れが理解いただけるとはなかなかの知識の持ち主ですね。また鑑賞眼もするどいものがありますね。