ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
本当に色々なものが重なっている西宮神社の全体像を見せていただきありがとうございます♪神さま総動員という感じですが、【天照大御神・瀬織津姫】をお祀りしているのに、天孫系ではなく、出雲系の色合いが濃く観えますね。ここは元々、縄文時代から続く六甲山の磐座の斎場がこの地の信仰であったということですよね。山と磐、水の祭祀であり、時代が下がり、出雲の神々がそこへ重なっていったものと感じます。おっしゃるように、事あるごとに、出雲の神々をお祀りせよ…という神託が繰り返されていますよね。それはヤマト王権そのものが出雲王国の末裔であると言えますから、滅ぼした神々というより、ご先祖さまを忘れずに大切にしなさいということではないかと感じています。初代大王・天村雲は大国主のひ孫であり、皇后・タタラ五十鈴姫は事代主の娘です。思いっきり出雲政権でしょう。政権交代がいくつもあっても、常にウケヒを繰り返し、出雲王家の血統はずっと受け継がれています。正史編纂の時代には皆、知っていた事実であろうと思います。この神社に隠されているのは、出雲系の神々の奥に、縄文時代の祭祀が包まれているように思います。まだ、瀬織津姫とも菊理媛とも言われていなかったころの、水と山(磐)の祀りです。縄文時代の磐座の祀りは出雲族と融合し、更に出雲族と弥生の渡来人が一緒になって新たな国を造り、正史に描かれた秩序の中で、歴史を紡いで来たと思います。紐をたどってゆけば、いにしえの太古の時代までずっと続いているといつも感動します。素敵な動画をありがとうございました。💟
くみ取っていただいて、嬉しいです🌸縄文があり、出雲族がかぶさり、様々な渡来人がはいり、弥生人となっていく。否定はないです。先人の叡智を忘れず、未来に向け、すべてにおいて豊かな国に向かいますよう願いを込めます。コメントありがとうございます😊
@@irisyell6626 さま全く、同感です。いつもありがとうございます♪
お疲れさまでございます、ありがとうございます。調べれば調べるほど、深さを感じます......ありがとうございました。
こちらこそありがとうございます😊神社は奥深さがありますね🌸気を感じるのも、歴史に思いをはせるのも、大好きです!
いつもありがとうございます😊蛭子神…気になる神さまです。繰り返し見させていただきます☺️✨
嬉しいコメントありがとうございます😊
西宮戎の近所で生まれ育ち、氏子でもありこの神社を遊び場にしていました。境内が広く非常に立派なお宮さんですね。他の神社同様、漁民が祀っていた素朴なエビス神が記紀に取り込まれていった経緯がこの神社の由縁となったのではと思っています。とても興味深く拝見いたしました。ありがとうございます。
観ていただけてうれしいです。ありがとうございます😊
出雲の口伝は不思議としっくりくる気がします。西日本では事代主は八重波津身事代主ではなく、西王家大国主の息子アジスキタカヒコネが事代主として祭られていることが多いようですね。西宮神社もそうなのかはわかりませんが。讃岐の金刀比羅神社の大物主神は金刀ことから事代主だと思いましたが、アジスキタカヒコネと比良明神かも知れないという気がしています。
西宮界隈は天孫族が国津神を鎮めお祀りしているようですね。それでも、消えない国津神の一因ですね。時間の経過して祭神が変わる、悲しいですね。コメントありがとうございます😊また、教えて下さいね。嬉しいです🌸
(味鋤)高彦(根)命第9代少名彦(コトシロ主)。要するに出雲王国の副王で在られた。徐福ら渡来人が起こしたクーデターに遭難して落命した第8代大穴持(主王)八千矛命の嗣子。西出雲の神門(郷戸)の当主。徐福のクーデター事件で突然、父王、八千矛命が落命した時、未だ幼少~未成年だった彼は為す術を知らず泣き暮らしたのでしょう同じくクーデターに遭難して落命した副王富の八重波津身命の嗣子、鳥鳴海(カヤナルミ)命が高彦より年長者で有ったことから第9代大穴持(出雲主王)に就任。あまたの王族や出雲人らが出雲を後にする中、震撼した出雲王国の態勢を建て直し、事態を収拾して渡来人勢力に対して反撃に転じて鎮圧平定した。本来なら出雲王国軍を統帥、指揮するのは歴代の副王の職掌。(味鋤)高彦命は嘆き哀しむばかりでそれどころではなかった様な?
西宮。大国主西神社↑、西はニシ。ではなくてサイ。と読むと神様が判る仕組み大国主西(サイ→幸)ノ神の社ヤシロ西宮。サイの神の宮西を向いて鎮座する神サイの神。出雲大社の西、イナサの浜から侵攻軍が上陸して出雲王国は滅亡したからそれに睨みを効かす。また、御神体が西向くと参拝者は東を向く事になり、出雲の朝日、太陽信仰~朝日を拝む形とも考えられます。広田神社の主祭神(人)は登美(向)王朝初代姫巫女、百襲日女命。彼女がなした大変困難な瀬織の業績から瀬織津日女命。と称えられた。神号には、向(大王家)津(の)日女命(ヒルメの命。姫巫女)と素性を表していますから、、、
@@森岩光 様ありがとうございます。
皆さま、東と西の出雲王家は、主王大名持大国主と副王少名彦八重波津身事代主に降りかかった不慮の不幸という大事件以降別々の道を辿るようになったのかもしれません。森岩様のお話のように、それまで8代も続いた東西二王家による出雲王国連立体制から、不意に突然歴史の流れが崩れ、そこに入り込んだ裏切り者の敵対者穂日家との対立と、友好のどちらの立場をとるか。という課題に対して、穂日家は実は当時すでに東王家事代主の息子クシヒカタと西王家美良姫との息子で磯城登美家の建飯勝と穂日家沙麻奈姫の血筋から武甕槌が生まれ、その子孫が大御食主へ、そして賀茂家と八咫烏太田家へと繋がるほどに出雲王国と大和での中心的位置を占めている状況の中で、まだまだ未熟な両家の東王家クシヒカタとカヤナルミはその後も穂日家とは一線を画し、出雲王国を守る道を選び、西王家アジスキタカヒコネは穂日家や物部家など天孫族との融合の道を選んで阿波をはじめ各地に事代主として生き延びる道を選んだ。のでしょう。激動の時代だったのですね。それも必然と言えば必然だったのかもしれません。
西宮市には、西宮神社・越木岩神社と共に、西宮三福神の一つに「福應神社」があります。主祭神は、八重事代主命です。御由緒に、大和国三輪の古社から御神体を勧請して奉祭したのが始まりだとされています。こちらの事代主は、東出雲の副王・八重波都身さんだと思っておりますが…また、ご考察いただければ幸いです。
情報をありがとうございます。三輪神社から勧請されたとは興味深いです。是非とも参拝します。コメント、ありがとうございます😊嬉しいです🌸
返信ありがとうございます。これからも動画を楽しみにしております♪
徳島県は行きずらいかもしれませんが是非生夷神社も扱って下さい😊私も来週阿遅鉏高日子根神をやりますよ😊
こんにちは!またみて下さってありがとうございます😊四国は金毘羅さんしか参ったことがないんです。ガ・・・・行きたいです、阿波!阿遅鉏高日子根神大好きな神です。楽しみです🌸
@@irisyell6626 阿波国はタヌキ(出雲の暗号)の国であると同時にネコ神の国。ネコはネコでも根子。🐱ではありません根子は、出雲系の大王の称号。天皇陛下のご称号も根子。大倭根子日子天皇ですから
西ノ宮 本来はニシノミヤではなくサイノミヤでしょうね大国西神社オオクニヌシニシ神社ではなく、オオクニヌシサイ神社でしょう。祭神もオオクニヌシ、サイノカミですよね。
深いです。そう思います😊ありがとうございます😊
動画ありがとうございます。大元出版の本は何冊かありますが、七福神と聖天さんは手に入れづらいので読んだ事がありませんでした。自分は西宮市の隣、宝塚市に住んでいるので満月・新月の月参りは廣田神社。六甲山・越木岩神社は年に何回かという感じでおおよそ、それぞれの社の由緒は知ってましたが西宮神社が全く分からなかったのです。しかも、西宮神社は何故か廣田神社の事を嫌っているという噂もあります。南宮神社のお世話は西宮神社は全くしてないそうですね。廣田神社の方が来てお世話しているとか🤔。蛭子神もいわれがよくわからない上に、南宮神社の世話が廣田神社。おまけに仲が悪いって意味不明やん😅?と思ってましたが、この動画を見て理解出来たように思えます。あくまでも余談ですが、自分が西宮神社に参拝に行くと、何故か東北由来の座敷童子がチラチラとイメージがするのも何故😅?と思ってましたが、なるほど蝦夷とエビスか。やはり蛭子神は東北由来でもあるのか🤔と思います。ホツマでも、どうも常陸国あたりから形式上、捨てた(流した)子らしいのでそんな感じなのかも知れません。
参考にしていただけて良かったです。ありがとうございます🌸
島根県の方が、昔、大変な戦争が有ったと教えてくれました。
島根の方の実感ですね💦平和な世の中を祈ります😊
本当に
色々なものが重なっている
西宮神社の全体像を
見せていただき
ありがとうございます♪
神さま総動員という感じですが、
【天照大御神・瀬織津姫】を
お祀りしているのに、
天孫系ではなく、
出雲系の色合いが濃く観えますね。
ここは元々、
縄文時代から続く六甲山の
磐座の斎場が
この地の信仰であった
ということですよね。
山と磐、水の祭祀であり、
時代が下がり、
出雲の神々がそこへ
重なっていったものと感じます。
おっしゃるように、
事あるごとに、
出雲の神々をお祀りせよ…
という神託が
繰り返されていますよね。
それは
ヤマト王権そのものが
出雲王国の末裔であると言えますから、
滅ぼした神々というより、
ご先祖さまを忘れずに
大切にしなさいということではないかと
感じています。
初代大王・天村雲は
大国主のひ孫であり、
皇后・タタラ五十鈴姫は
事代主の娘です。
思いっきり出雲政権でしょう。
政権交代がいくつもあっても、
常にウケヒを繰り返し、
出雲王家の血統は
ずっと受け継がれています。
正史編纂の時代には
皆、知っていた事実であろうと思います。
この神社に隠されているのは、
出雲系の神々の奥に、
縄文時代の祭祀が包まれているように
思います。
まだ、瀬織津姫とも菊理媛とも
言われていなかったころの、
水と山(磐)の祀りです。
縄文時代の磐座の祀りは
出雲族と融合し、
更に出雲族と弥生の渡来人が
一緒になって新たな国を造り、
正史に描かれた秩序の中で、
歴史を紡いで来たと思います。
紐をたどってゆけば、
いにしえの太古の時代まで
ずっと続いていると
いつも感動します。
素敵な動画を
ありがとうございました。💟
くみ取っていただいて、嬉しいです🌸
縄文があり、出雲族がかぶさり、様々な渡来人がはいり、弥生人となっていく。
否定はないです。
先人の叡智を忘れず、未来に向け、すべてにおいて豊かな国に向かいますよう願いを込めます。
コメントありがとうございます😊
@@irisyell6626 さま
全く、同感です。
いつもありがとうございます♪
お疲れさまでございます、ありがとうございます。
調べれば調べるほど、深さを感じます......
ありがとうございました。
こちらこそありがとうございます😊
神社は奥深さがありますね🌸
気を感じるのも、歴史に思いをはせるのも、大好きです!
いつもありがとうございます😊
蛭子神…気になる神さまです。
繰り返し見させていただきます☺️✨
嬉しいコメントありがとうございます😊
西宮戎の近所で生まれ育ち、氏子でもありこの神社を遊び場にしていました。境内が広く非常に立派なお宮さんですね。
他の神社同様、漁民が祀っていた素朴なエビス神が記紀に取り込まれていった経緯がこの神社の由縁となったのではと思っています。とても興味深く拝見いたしました。ありがとうございます。
観ていただけてうれしいです。
ありがとうございます😊
出雲の口伝は不思議としっくりくる気がします。西日本では事代主は八重波津身事代主ではなく、西王家大国主の息子アジスキタカヒコネが事代主として祭られていることが多いようですね。西宮神社もそうなのかはわかりませんが。讃岐の金刀比羅神社の大物主神は金刀ことから事代主だと思いましたが、アジスキタカヒコネと比良明神かも知れないという気がしています。
西宮界隈は天孫族が国津神を鎮めお祀りしているようですね。
それでも、消えない国津神の一因ですね。
時間の経過して祭神が変わる、悲しいですね。
コメントありがとうございます😊
また、教えて下さいね。嬉しいです🌸
(味鋤)高彦(根)命
第9代少名彦(コトシロ主)。
要するに出雲王国の副王で在られた。
徐福ら渡来人が起こしたクーデターに遭難して落命した
第8代大穴持(主王)
八千矛命の嗣子。
西出雲の神門(郷戸)の当主。
徐福のクーデター事件で突然、父王、八千矛命が落命した時、
未だ幼少~未成年だった彼は
為す術を知らず泣き暮らしたのでしょう
同じくクーデターに遭難して落命した
副王
富の八重波津身命の嗣子、
鳥鳴海(カヤナルミ)命が
高彦より年長者で有ったことから
第9代大穴持(出雲主王)に就任。
あまたの王族や出雲人らが出雲を後にする中、
震撼した出雲王国の態勢を建て直し、事態を収拾して
渡来人勢力に対して反撃に転じて
鎮圧平定した。
本来なら出雲王国軍を統帥、指揮するのは
歴代の副王の職掌。
(味鋤)高彦命は
嘆き哀しむばかりで
それどころではなかった様な?
西宮。
大国主西神社
↑、西はニシ。ではなくてサイ。
と読むと
神様が判る仕組み
大国主西(サイ→幸)ノ神の社ヤシロ
西宮。サイの神の宮
西を向いて鎮座する神
サイの神。
出雲大社の西、
イナサの浜から
侵攻軍が上陸して
出雲王国は滅亡したから
それに睨みを効かす。
また、
御神体が西向くと
参拝者は東を向く事になり、
出雲の朝日、太陽信仰~
朝日を拝む形
とも考えられます。
広田神社の
主祭神(人)は
登美(向)王朝
初代姫巫女、
百襲日女命。
彼女がなした
大変困難な瀬織の業績から
瀬織津日女命。
と称えられた。
神号には、
向(大王家)津(の)日女命(ヒルメの命。姫巫女)
と素性を表していますから、、、
@@森岩光 様
ありがとうございます。
皆さま、
東と西の出雲王家は、主王大名持大国主と副王少名彦八重波津身事代主に降りかかった不慮の不幸という大事件以降別々の道を辿るようになったのかもしれません。
森岩様のお話のように、それまで8代も続いた東西二王家による出雲王国連立体制から、不意に突然歴史の流れが崩れ、そこに入り込んだ裏切り者の敵対者穂日家との対立と、友好のどちらの立場をとるか。という課題に対して、穂日家は実は当時すでに東王家事代主の息子クシヒカタと西王家美良姫との息子で磯城登美家の建飯勝と穂日家沙麻奈姫の血筋から武甕槌が生まれ、その子孫が大御食主へ、そして賀茂家と八咫烏太田家へと繋がるほどに出雲王国と大和での中心的位置を占めている状況の中で、まだまだ未熟な両家の東王家クシヒカタとカヤナルミはその後も穂日家とは一線を画し、出雲王国を守る道を選び、西王家アジスキタカヒコネは穂日家や物部家など天孫族との融合の道を選んで阿波をはじめ各地に事代主として生き延びる道を選んだ。のでしょう。激動の時代だったのですね。
それも必然と言えば必然だったのかもしれません。
西宮市には、西宮神社・越木岩神社と共に、西宮三福神の一つに「福應神社」があります。
主祭神は、八重事代主命です。
御由緒に、大和国三輪の古社から御神体を勧請して奉祭したのが始まりだとされています。
こちらの事代主は、東出雲の副王・八重波都身さんだと思っておりますが…
また、ご考察いただければ幸いです。
情報をありがとうございます。
三輪神社から勧請されたとは興味深いです。
是非とも参拝します。
コメント、ありがとうございます😊嬉しいです🌸
返信ありがとうございます。
これからも動画を楽しみにしております♪
徳島県は行きずらいかもしれませんが是非生夷神社も扱って下さい😊
私も来週阿遅鉏高日子根神をやりますよ😊
こんにちは!またみて下さってありがとうございます😊
四国は金毘羅さんしか参ったことがないんです。ガ・・・・行きたいです、阿波!
阿遅鉏高日子根神大好きな神です。楽しみです🌸
@@irisyell6626
阿波国は
タヌキ(出雲の暗号)の国であると同時に
ネコ神の国。
ネコはネコでも根子。
🐱ではありません
根子は、出雲系の大王の称号。
天皇陛下のご称号も
根子。
大倭根子日子天皇
ですから
西ノ宮 本来はニシノミヤではなくサイノミヤでしょうね
大国西神社オオクニヌシニシ神社ではなく、オオクニヌシサイ神社でしょう。
祭神もオオクニヌシ、サイノカミですよね。
深いです。
そう思います😊
ありがとうございます😊
動画ありがとうございます。
大元出版の本は何冊かありますが、七福神と聖天さんは手に入れづらいので読んだ事がありませんでした。
自分は西宮市の隣、宝塚市に住んでいるので満月・新月の月参りは廣田神社。六甲山・越木岩神社は年に何回かという感じでおおよそ、それぞれの社の由緒は知ってましたが西宮神社が全く分からなかったのです。
しかも、西宮神社は何故か廣田神社の事を嫌っているという噂もあります。
南宮神社のお世話は西宮神社は全くしてないそうですね。廣田神社の方が来てお世話しているとか🤔。
蛭子神もいわれがよくわからない上に、南宮神社の世話が廣田神社。おまけに仲が悪いって意味不明やん😅?と思ってましたが、この動画を見て理解出来たように思えます。
あくまでも余談ですが、自分が西宮神社に参拝に行くと、何故か東北由来の座敷童子がチラチラとイメージがするのも何故😅?と思ってましたが、なるほど蝦夷とエビスか。
やはり蛭子神は東北由来でもあるのか🤔と思います。
ホツマでも、どうも常陸国あたりから形式上、捨てた(流した)子らしいのでそんな感じなのかも知れません。
参考にしていただけて良かったです。
ありがとうございます🌸
島根県の方が、昔、大変な戦争が有ったと教えてくれました。
島根の方の実感ですね💦
平和な世の中を祈ります😊