宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第4章第24節

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 ต.ค. 2024
  • 曹洞宗のお経『修証義』全5章31節を1節ずつ解説する動画シリーズ「10分で『修証義』」をご視聴いただいた皆さまからのご意見・ご質問を紹介しながら、『修証義』についてフリートークをします。
    話し手は、「10分で『修証義』」にて講師を務める曹洞宗総合研究センターの宇野全智師と、動画の企画・編集を担当している近藤です。
    修証義の素敵な世界を一緒に楽しみましょう♪
    感想や質問、その他ご意見は、動画のコメント欄、またはメール(shushogi@sotozen.jp)でお寄せください!
    お送りいただいた内容は、次回以降の動画で、取り上げさせていただくことがあります♪
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ความคิดเห็น • 4

  • @user-cj6qv4m
    @user-cj6qv4m ปีที่แล้ว +1

    同事お話、自分の中にいる仏様も他の人の中に居る仏様も元々は同じで、私の中に居るときと他の人の中にいる時は仏様の外側の状況が違っている。元々は同じ仏様なので、慈愛の心を持って菩薩様の学びをしていると、自他の佛様が感応道交して同事に導いてくださる、ということでしょうか。難しいと思った同事もお釈迦様にお任せして素直な心で菩薩行を学び倣っていけば同事の心で和して行けそうな気がしました。
    海の水や川の水、柳まで出てきて、周り中の自然に囲まれて、皆それぞれ仏様がいるのかなぁと、大切に仲良くしていこうとおもいました。ありがとうございました。

  • @user-cj6qv4m
    @user-cj6qv4m ปีที่แล้ว

    こんばんは。同事はいつも気になっています。誰がと一緒にいるとき、私は自分の中にいる仏様が曇らないよう慈愛の心をもって私の中の仏様に寄り添って相手の中にいる仏様が私の中の仏様に気付いてくれたら、私が一緒にいる相手の人に心を寄せて同事の心を働かせている、と考えていいのでしょうか?まず自分の中の仏様にありのままに背かないのが大切なのかなと思いました。
    ここで、人間の如来が人間に同事るのと同じ、とあります。如来は仏様にになろうとしている仏と思っていると、私の中に憧れの仏様と仏様になろうと努力している如来が二人一緒にいることになってしまいます。
    布施、愛語、慈愛は素直に入って来るのに、同事では仏様と如来で戸惑っています。
    相手の人の身になって慈愛、慈悲心をもって接する。では少し違ってしまいますか?
    よろしくお願いいたします。

  • @user-cj6qv4m
    @user-cj6qv4m ปีที่แล้ว

    こんばんは。同事になるときは自分の中の仏様にまず私が仏様らしくいて、相手の人の中にいる仏様は普通、相手の人に寄り添っていると思いますが、どちらの仏様もそれぞれの人(自他)に寄り添いながら互いに仏様らしくいることができている、と思っても大丈夫でしょうか?
    人である自と他は特にに仲が悪いとか良いとか関係なく自分の中の仏様、その仏様に背くことなく仏様らしくいる。まだまだよくわかっていないところを毎日の生活の中で自分のものにしていきたいとおもいます。
    修証義との出会いを大切にしていきたいと思います。よろしくお願いします。

  • @user-cj6qv4m
    @user-cj6qv4m ปีที่แล้ว

    こんばんは。この節は何か気になって繰り返し聞いています。自にも不違なり、は自分の中にいる仏様にありのままの私でありながら仏様に恥じる事なく正しく素直でいる、と思っては違ってきてしまいますか?また次に「人間の如来は人間に同ぜるが如し」は仏様になろうと修行している姿は菩薩で今の私でもあるのかと思いました。ここに出てくる「人間の如来」の如来は仏様、菩薩様とどう捉えてよいのでしょうか?仏様は人間に生まれて教えを説かれ、憧れの存在として誰の中にもいる。教えを頂いて菩薩行に励んでいるのが今の私で、如来は人間の外にいて同事て下さっているのかなぁ?と想像しています。勝手な解釈になってしまいそうです。よろしくお願い致します。