弁護士布施辰治夫人 日蓮正宗に深く帰依していた布施光子

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  • เผยแพร่เมื่อ 8 ก.ย. 2024
  • 東京市京橋区にあった旅館・東北館の二番目娘。
    父親の平澤億太郎は、常泉寺・妙光寺の檀家総代であり、京橋本門講の創設者にして初代講頭でもあった篤信家。布施柑治も本門講の一員。
    総本山第六十六世日達上人の実の叔母。
    「きょうはみなさま お集まり下さってありがとうございます。故人がさずかる佛德でお集まりいただけたと、きょうだい一同思います。
    これから光子おばあさんの七回忌の会食を初めます。これと言ってオモテナシするものもないので、その代わりと言っては何ですが、みなさん いろいろとお話を出してニギヤカにお食べ下さい。中でもおばあさんの思い出話の呼び水になれば有難いというねがいをこめて、私が初めのごあいさつをちょっと致します。しかしこういう席での下手の長話はみなさんのごめいわく、聞くのは半分ぐらいにして飲みモノなどにご遠慮なく口をつけて下さい。(さあ、曉ちゃんだち、ついで上げて…)
    さて光子おばあさんは数え九二まで長生して七年前に鎌倉の娘の家で永眠しました。ちょうどその時期は菩提寺である常在寺が新築の工事中であったため、お葬式は鎌倉の日蓮正宗護国寺で行い、お骨は常在寺の新築ができてから永眠の年の十一月に常在寺に歸って来たのでした。その十一月十二日に夫布施辰治の記念碑を常在寺の前庭から墓地に移した移轉の法要を行いましたが、それを光子おばあさん納骨の法要と兼ねてやりました。その時の法要は光子おばあさんの納骨の法要でもあったことは確かなのですが、どうやらおばあさんの法要はつけたり見たいにもなってしまいました。そのあと、おばあさんの一周忌も三回忌も常在寺でやったのですが、他ならぬ小生の身体の調子がすぐれず両方とも極めて内輪なご供養になりました。本日お集まりの方々にはさぞかしご不滿だったことと存じます。もちろん小生らきょうだいは氣がトガメテおり、最近になって小生の身体の調子も悪いながら落ちついて来たので、七回忌には光子おばあさんに少しぐらいは喜んでもらおうときょうだいで話合っていました。それがこの会食かと言われるとまことにおハズかしい。
    (中略)
    光子おばあさんの小生に對する心配は小生が若い時からさまざまの問題についてありましたが、最後には
    ①小生にもっとユトリのある生活をさせたいが…

    ②小生の子供や孫が自慢の子になって欲しいが……
    という二つの心配にまとまりました。おばあさん、喜んで下さい。その二つの心配はもうしなくてもよいことになったのですよ。小生の子供や孫はみんなよい子でおばあさんが自慢しても「自慢屋の光子さん」とわらわれる心配はもうありません。光子おばあさん万才!
    小生もあと二ヶ月余で滿七一才、身体の具合も悪いから近くおばあさんの世界へ引越すでしょうが、淋しくはありません。
    みなさん ご清聴恐れ入りました。
    ⚪︎妻と母 死なしめ寒波 めぐりゆく
    1978(昭和53年)
    2月4日 池袋 常在寺で
    理性院澄月順生信士三三回忌のために
    覺法院妙滿日光大姉七回忌のために
    布施柑治 述」
    曽祖父 布施柑治の記した13頁にわたる挨拶文です。原文そのままに一部を抜粋。
    柑治はこの法要の四ヶ月余のちに永眠。母の恩を報じての旅立ちでした。
    享年 七二。
    戒名「遠霑院蓮行法治信士」。
    現在 石巻市博物館に於いて
    第2回 布施辰治 特集展「布施辰治と家族の肖像」
    を開催中でございます。
    合掌

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