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震災直後に熊本城に行きましたが、それからまだまだ何十年もかかるんですね。来年にでもまた行こうかな。城主になりたい。
河江さんが聞き手に回る動画はあまりないので気が付きませんでしたが、聞くのも上手なんですね~素晴らしい!!
熊本城を動画にしてくれてありがとうございます😊世界のみなさんに見てくれたら幸せです😊
日本の城の石垣、その上の建築って本当に凄いな。そんでもってそれを直しちゃうのが更に凄い
宇土櫓は小さい頃に連れて行ってもらったんですが、当たり前ですけど中も全部木造で、きらびやかなお城という雰囲気ではなく、狭く薄暗く緊迫感のある迫力があったのを覚えています。倒壊などしなくて本当に良かったと思います。
知って学ぶ面白さ、自分の心の奥底に眠っていたワクワク感が掘り起こされる動画でした。昔から受け継がれてきた人の技術がとても素晴らしいです。勉強になります。
熊本城は本当に素晴らしいですね🥹
古代エジプト大好きだけどほんとに最近、日本の昔の建物などにすごく興味が。。。古代エジプトも良いが、日本も改めて!良いですね✨
天守閣の展示とか、凄く面白かったです。特に、石垣はただ積んである訳ではなく、きちんと公式があるんだという事に感銘を受けました。地元の人も、凄く熊本城を大切にしている気持ちが、お城を見て理解出来ました。何年かかっても、復興するのが楽しみです。
そうか。この修復も歴史になっていくんだな
宇土櫓この目で見たかったです!熊本城はいいですよねー。是非、満喫なさって下さい❤エレベーターのおかげで私も登れます!やったー🌠
建築技術は大昔から今に至り未来までも熱いですよね。さすが河江先生はいろんなところに気が付きますよね。素晴らしいです。
熊本城、復興の様子やどう復興させるか?見学者への配慮をどうするか?解体などでわかる再発見など文化財の様々な事を学べる最前線なのかもしれませんね。
石垣って組むのが難しく、物によっては人柱を入れてる伝承が有る場所も有るので公式化して技術の簡略化を出来てる時点で高度な知識が持ち入れてることが分かり大変勉強に成りました。
めっちゃ楽しめました!
ほんっとーに面白かったです!ご専門のエジプトを先生の知識と共に見るのも非常に面白いですが、やっぱり日本の史跡を専門家の方と回られるのもめちゃくちゃ面白いです!先生の考古学者としての鋭いご質問が興味あります。ぜひもっといろんなところにロケしていただけると嬉しいです!!
暑い中大変お疲れさまでした。自分も城郭好きで、コロナ流行前はいくつか見に行きましたので、今回の熊本城シリーズは非常に面白く拝見しました。あらたな着眼ポイントを教えていただいたと思っています。また、ご説明の中にピラミッド建設と共通する内容もいくつかあり、場所や時代は違えど要点は同じというのが分かって面白かったです。自分も来年、熊本へ行って復興支援してきます。
地震前に行きました。懐かしいです
石垣の傾斜勾配が急なほど 直線的になるし、石垣の量が多くなるから当時造るの大変だっただろうな熊本城の姿を 見れて最高でした。1度行ったけど、また復興中の熊本城みたいです復興技術もすごいけど、建築の模型作りの技術もすごいな
すごく面白いしわかりやすい❗️せっかく隣県にいるので、是非行ってみたいですね!
こりゃもう熊本城博物館ですね。
河江先生がお城に興味が有る理由はなんですか、エジプト考古学を深掘りした方が良いと思いますが、石垣の種類、木材の種類等の質問も期待していました。
地震の前に天守閣に行きましたが、地震による復興後の天守閣の内部は、新たな進化した熊本城博物館になったように思いました。
この直線的な入母屋破風と千鳥破風の組み合わせは戦国前期あるいはそれ以前の可能性があるのではないかと思います。100年前の調査ではわからなかったものですが、今は技術も進んでるし、今度の解体で建築年代も特定できそうで楽しみです。
宇土櫓、解体か…急いで見に行かねば!
宇土櫓は規模としては松本城に次ぐ大きさなので江戸時代の藩の公式文書に一言だけでも「第三の天守」と書いといてくれれば現存天守としてカウントされていただろうに
名古屋城でも清州城の移築とか多いっていいますし、結構移築って多いですよね。ただ、戦国末期に一気に建築様式が進みましたから、時代が合致しないものもあって難しいですよね。城は軍事機密だから、文書が少ないですよね。
身近な物で試すと大抵の物は手の平で上から押すとベシャ!って潰れるけど、石垣はあの大きさの石が重い城を上に載せてるのにも関わらずに飛び出さず、かつ地震や雨等にも強かったりと。ピラミッドとはまた違った建築の能力の高さが伺えますよね。ただ。ピラミッドが出来た年代を考えると。。。
先日角川武蔵野ミュージアムいってきました。ツタンカーメン体験型とはいえやはり内部の大きさ、雰囲気は伝わるものがありました。熊本城🏯も見たいお城でしたが、災害にあい残念でしたが、これを機会に新しい発見があるかもしれないと言う事で期待します。10年長生きガンバらないと😅
宇土櫓の中に入れるようになったらもう一度いらして下さい。天井の高さなどで、当時の人達の背の高さなどを感じる事が出来ると思います。
宇土櫓ッて(ꏿ﹏ꏿ;)城の増改築時に、今の石垣の処へ曳家(ひきや)してきたンだと思ってました😅・・・石垣の復元や学術調査などが同時進行できればいいデスね🎉ガンバレ熊本🎉。
おはようございますわたしは姫路城が白色に塗っているところを見ました知明🎉
10年後。。。80歳すぎちゃうょー、、、悲しい😭
鉄筋コンクリートを再建と言うのは昭和まで。模擬天守の新築でしかない。だから熊本城の御殿の復元は実に素晴らしい。それを踏まえて築城時の状態に近い熊本城の震災被害からの復元復興に携わる全ての人は本当に素晴らしい。彼等の偉業が後世評価されますように。酷い地方自治体の教育委員会だと職員が城=建物/天守閣と思ってる学芸員までいる。まぁ、横浜市なんですが。驚愕の事実として鎌倉時代の武家の本地である旧鎌倉郡や戦国時代の鎌倉公方代理蒔田吉良家の蒔田御所や小田原北条家の主力5部隊の内の実に2部隊の本拠地である黄備隊の玉縄城長尾砦(上杉謙信の祖先長尾定景の長尾城)や、白備隊の小机城が有るにも関わらず❝横浜市には学芸員に城郭の専門家が一人もいない❞異常事態が市政開始後ずっと続いている。しかも横浜市と同じ旧鎌倉郡に含まれる鎌倉市は❝「古都鎌倉」を取り巻く山稜部の調査❞の報告書で明ら様に防衛施設遺構の密集する天園ハイキングコース瑞泉寺旧寺域の堀切や土塁のある地域を調査から外した。横浜市の蒔田城に至っては鎌倉府将軍代理の御所にもかかわらず学校法人敷地以外は何の発掘もされず宅地化容認され消え失せた。小机城も続100名城に選ばれたにも関わらず横浜市は高速道路開発利権や鉄道関連と戦後の地租改正で地権者に成った連中に忖度し未だに国に史跡指定申請すら行わない。伊勢原市に有った扇谷上杉家の大城郭の糟屋館跡は大空堀や武者走りが現存したのに、丘陵側面周囲の大切岸すら発掘対象から外され既に発掘しても遺構が出る訳の無い昭和初期に農地改良で削平され尽くし城地形から既に失せてた農地部分だけ白々しく発掘される茶番が行われた。結果、学校法人で開発と無縁な産能大学の敷地に粗末な城趾の看板だけ置かれ、主要部や大手や太田道灌が暗殺された“湯殿入り虎口”は全て東名高速伊勢原ジャンクション建設で数年前に消え失せた。文化財保護に熱心な熊本県と熊本市、そして熊本の教育委員会の皆さんには神奈川県のクソさ具合いと比較して真に頭が下がる。
玉縄城は完全消滅しましたね。文化財は代えが効かないのにヒドイ話だ…
@@arab7708玉縄城、玉縄城址町づくり会議の尽力で現存する硝煙櫓と本丸の大堀切と堀底道が整備されてますよ!ちなみに本丸も大半はキリスト教系学校の敷地ですが蹴鞠場や花畠や諏訪段曲輪が発掘され破壊免れてます。一部でも地域の方に守られたのは奇跡ですね。破壊阻止には今上天皇陛下と歴史研究で繋がりの有る伊藤さん等の働きかけで今上天皇陛下が御即位される数年前の皇太子時代に玉縄城址に御足労下さり、鶴岡八幡宮の吉田宮司や鎌倉市長の松尾もビビった様で大いなる「釘刺し」に成った様です。ただし、松尾市長と鎌倉市は史跡指定ヤルヤル詐欺で天皇陛下が皇太子時代に指定する旨を発言したのに未だに放置してます。しかし玉縄城址本丸〜七曲り虎口は旧地形がよく残ってますよ。七曲り虎口近くの龍寳寺には歴史民俗資料館があり龍寳寺の禅師や檀家さん達の尽力で無料公開されていて(トイレだけ使用の人は有料)玉縄城址町づくり会議が寄贈した玉縄城の地形復元模型や城の縄張図や出土した本丸縄文の礎石が展示されている他、近世〜近代の農機具や家具や霊柩車😅の展示もあります。ちなみに江戸期の龍寳寺は朝鮮通信使の宿泊施設として利用されたそうで、東海道の表街道の戸塚宿から一本裏の景勝地を通らせて日本国内の内情を見せないと言う情報リテラシーの役割りも担った様です。龍寳寺は小田原北条家の時代の開基なので家祖の伊勢宗瑞公が臨済宗大徳寺派(当時の禅宗臨済派)の宗旨の例に漏れず関東における小田原北条家の宗旨の禅宗(当時の曹洞派)の寺院ですから朝鮮の高僧達と友好関係に有った宗派で都合が良かったのでしょうね。今の鎌倉市は市長が東京カブレで選挙に寅さんの格好したり2019年の台風での国指定史跡釈迦堂口遺跡の釈迦堂切通の崩落を全くケアせず放置し2023年に保護整備ヤルヤル詐欺で2月6日→3月24日→5月31日→延長されっ放しです。鎌倉市の史跡がユネスコに「分断され過ぎ、世界遺産不適格」のレッテルを貼られた原因が正に釈迦堂口遺跡の放置や、平成期の巨福呂坂切通の下の県道拡幅による破壊断裂での圓應寺山門前に繋がっていた路盤の消滅等近年の史跡破壊です。明治〜大正に国指定史跡にされた物が平成期の法律と政治家と地方自治体の無文化学芸員と道路水道局の連中のせいで消失に歯止めがかからなくなってますね。ちなみに伊勢原市-平塚市にある戦国時代の佐原三浦家(扇谷上杉家からの養子の三浦高救-三浦道寸親子)の巨大城郭の岡崎城址も宅地化が開始された頃に未だ青年期だった今上天皇陛下が御出になり、鎌倉時代の城主の岡崎(三浦)義実公の墓を訪れたりして結果的に城跡の完全消滅を食い止められてます。本丸の無量寺裏の私有地の竹林には無量寺の本丸を含む主郭部分の曲輪群の三連の連郭式の曲輪と見事な横堀と堀切群が現存してます。ただし大規模な岡崎城の外郭は東南西の大半が消えました。主郭部分と岡崎義実公の墓所を繋ぐ地域には畑地の曲輪跡の段地や虎口と思しきS字に屈曲した農道空堀と武者走り地形が現存してます。でも今の伊勢原市と平塚市は歴史史跡や日本文化と自然や天皇家に対するリスペクトが無いですからね。平塚市なんか海岸の防風林の松原を開発の為に撤去しようとしたり、平成期には仁徳天皇の御実弟であらせられる京都宇治神社と平塚市前鳥神社の主祭神の菟道稚郎子の古墳と考えられていた真土(しんと)大塚山古墳を宅地開発破壊容認しましたからね。
@@yoshikurakino そうなんですか!てっきり完全消滅したものかと思ってました!一番しっかりしていないといけない自治体がろくに重要性を理解していないのはあってはならない話だと思います。やはりなんにしても文化財指定されてなければ、基本持ち主の姿勢次第で消えてしまいますからね…考古遺跡ではないですが、名古屋郊外に中村遊廓という近代までの遊郭跡がありまして、その貴重な旧遊郭建築物が名古屋市の景観重要建築物に指定されていたのですが、登録有形文化財ではないので、持ち主の方が家を建てるということで取り壊されてしまいました。風情ある名建築だっただけに残念ですが、こればっかりは法改正するか、指定範囲をとにかく広げるしか解決策がありませんね。しかしむやみやたらに範囲を広げても、登録有形文化財ぐらいでは修理の際、国からの補助がほぼ出ませんから、資産のない方には酷な話です。やはりそう考えると、地域全体で地域の歴史に対する理解を深め、みんなで守ろうと意識付けていくしかないのかもしれないです。今見られる田舎の古き良き古民家の風景もいつまで持つか分かりませんよ。あと20年もすれば半分は無くなってしまうのではないかと大変危惧しています。
@@arab7708遊廓関連はどこも似たような事があるんですね〜。横浜の場合は遊廓が風営法施行後に直ぐに消滅しましたが、遊廓建築にも関わっていた社寺の宮大工が閉業した遊廓や近所に立派な銭湯を社寺建築で作り数軒現存します。ただ、名古屋の例と同じく指定文化財ではないのでコロナ風評被害で入浴客が減り元より銭湯は経営苦しかったので何軒も消えました。現存するのは今は亡き桂歌丸師匠の実家の真金町遊廓の有った地域の永楽湯と仲乃湯、あと幕末に英国軍の射撃演習場だった地域の稲荷湯と言う黒湯天然温泉の銭湯が残る程度です。仲乃湯は外国人にも日本建築の立派さが知られていて観光客がきますしドラマのロケ地にも成ってます。与謝野晶子等文化人や海軍さんが利用した金沢園と言う明治時代の建築の料亭がかろうじてカフェに業種替えして現存します。コロナはサービス業の建築文化財にも影響しましたよ。もしかしたら名古屋の元遊廓も似たような感じだったんじゃないでしょうか?
宇土櫓は、初代天守と聴いております。
姫路城や松山城にも行って欲しいです。
超個人的意見ですけど展示物は別の施設でやったら良いし、文化財とかは特例である程度の法律は無視できて当時の状態を再現してて欲しいバリアフリーガン無視になるけど
ワイも昔に復興城主になったんやが、今でも寄付は1万円以上なんだな城主カードで色んな割引サービスを受けることは今でもやっているのであろうか・・・
先生が巨石繋がりで日本に目を向け始めてる。。巨石文明も関係している縄文とエジプトの繋がりでしょうか。。
損傷の程度を考えると、10年ってのはむしろかなり急ぎで工事やってるのでは
日本は歴史的建造物を長く保存しようとする文化があるがエジプトは時代が変われば平気で放逐、再利用、破壊するけど、何なんだこの思考の違いは
日本でも建築物の廃棄は解体はやっています。
かなり大胆にコンクリートやらエレベーターやらをぶっ込んでいて河江先生もカルチャーショックを受けてる感じがした。いくら畏れ多くも先の副将軍障碍者の方々が当然の権利だと主張しようが、ピラミッドやスフィンクスにエレベーターを付けようとはならないからなw
震災直後に熊本城に行きましたが、それからまだまだ何十年もかかるんですね。
来年にでもまた行こうかな。城主になりたい。
河江さんが聞き手に回る動画はあまりないので気が付きませんでしたが、聞くのも上手なんですね~
素晴らしい!!
熊本城を動画にしてくれて
ありがとうございます😊
世界のみなさんに見てくれたら幸せです😊
日本の城の石垣、その上の建築って本当に凄いな。そんでもってそれを直しちゃうのが更に凄い
宇土櫓は小さい頃に連れて行ってもらったんですが、当たり前ですけど中も全部木造で、きらびやかなお城という雰囲気ではなく、狭く薄暗く緊迫感のある迫力があったのを覚えています。倒壊などしなくて本当に良かったと思います。
知って学ぶ面白さ、自分の心の奥底に眠っていたワクワク感が掘り起こされる動画でした。昔から受け継がれてきた人の技術がとても素晴らしいです。勉強になります。
熊本城は本当に素晴らしいですね🥹
古代エジプト大好きだけど
ほんとに最近、日本の昔の建物などにすごく興味が。。。
古代エジプトも良いが、日本も改めて!良いですね✨
天守閣の展示とか、凄く面白かったです。特に、石垣はただ積んである訳ではなく、きちんと公式があるんだという事に感銘を受けました。
地元の人も、凄く熊本城を大切にしている気持ちが、お城を見て理解出来ました。何年かかっても、復興するのが楽しみです。
そうか。この修復も歴史になっていくんだな
宇土櫓この目で見たかったです!熊本城はいいですよねー。是非、満喫なさって下さい❤エレベーターのおかげで私も登れます!やったー🌠
建築技術は大昔から今に至り未来までも熱いですよね。さすが河江先生はいろんなところに気が付きますよね。素晴らしいです。
熊本城、復興の様子やどう復興させるか?見学者への配慮をどうするか?解体などでわかる再発見など文化財の様々な事を学べる最前線なのかもしれませんね。
石垣って組むのが難しく、物によっては人柱を入れてる伝承が有る場所も有るので公式化して技術の簡略化を出来てる時点で高度な知識が持ち入れてることが分かり大変勉強に成りました。
めっちゃ楽しめました!
ほんっとーに面白かったです!
ご専門のエジプトを先生の知識と共に見るのも非常に面白いですが、やっぱり日本の史跡を専門家の方と回られるのもめちゃくちゃ面白いです!先生の考古学者としての鋭いご質問が興味あります。ぜひもっといろんなところにロケしていただけると嬉しいです!!
暑い中大変お疲れさまでした。
自分も城郭好きで、コロナ流行前はいくつか見に行きましたので、今回の熊本城シリーズは非常に面白く拝見しました。あらたな着眼ポイントを教えていただいたと思っています。
また、ご説明の中にピラミッド建設と共通する内容もいくつかあり、場所や時代は違えど要点は同じというのが分かって面白かったです。
自分も来年、熊本へ行って復興支援してきます。
地震前に行きました。懐かしいです
石垣の傾斜勾配が急なほど 直線的になるし、石垣の量が多くなるから当時造るの大変だっただろうな
熊本城の姿を 見れて最高でした。1度行ったけど、また復興中の熊本城みたいです
復興技術もすごいけど、建築の模型作りの技術もすごいな
すごく面白いしわかりやすい❗️
せっかく隣県にいるので、是非行ってみたいですね!
こりゃもう熊本城博物館ですね。
河江先生がお城に興味が有る理由はなんですか、エジプト考古学を深掘りした方が良いと思いますが、石垣の種類、木材の種類等の質問も期待していました。
地震の前に天守閣に行きましたが、地震による復興後の天守閣の内部は、新たな進化した熊本城博物館になったように思いました。
この直線的な入母屋破風と千鳥破風の組み合わせは戦国前期あるいはそれ以前の可能性があるのではないかと思います。
100年前の調査ではわからなかったものですが、
今は技術も進んでるし、今度の解体で建築年代も特定できそうで楽しみです。
宇土櫓、解体か…急いで見に行かねば!
宇土櫓は規模としては松本城に次ぐ大きさなので
江戸時代の藩の公式文書に一言だけでも「第三の天守」と書いといてくれれば
現存天守としてカウントされていただろうに
名古屋城でも清州城の移築とか多いっていいますし、結構移築って多いですよね。ただ、戦国末期に一気に建築様式が進みましたから、時代が合致しないものもあって難しいですよね。城は軍事機密だから、文書が少ないですよね。
身近な物で試すと大抵の物は手の平で上から押すとベシャ!って潰れる
けど、石垣はあの大きさの石が重い城を上に載せてるのにも関わらずに飛び出さず、かつ地震や雨等にも強かったりと。
ピラミッドとはまた違った建築の能力の高さが伺えますよね。
ただ。ピラミッドが出来た年代を考えると。。。
先日角川武蔵野ミュージアムいってきました。ツタンカーメン体験型とはいえやはり内部の大きさ、雰囲気は伝わるものがありました。熊本城🏯も見たいお城でしたが、災害にあい残念でしたが、これを機会に新しい発見があるかもしれないと言う事で期待します。10年長生きガンバらないと😅
宇土櫓の中に入れるようになったらもう一度いらして下さい。
天井の高さなどで、当時の人達の背の高さなどを感じる事が出来ると思います。
宇土櫓ッて(ꏿ﹏ꏿ;)城の増改築時に、今の石垣の処へ曳家(ひきや)してきたンだと思ってました😅・・・石垣の復元や学術調査などが同時進行できればいいデスね🎉ガンバレ熊本🎉。
おはようございますわたしは姫路城が白色に塗っているところを見ました知明🎉
10年後。。。80歳すぎちゃうょー、、、悲しい😭
鉄筋コンクリートを再建と言うのは昭和まで。
模擬天守の新築でしかない。
だから熊本城の御殿の復元は実に素晴らしい。
それを踏まえて築城時の状態に近い熊本城の震災被害からの復元復興に携わる全ての人は本当に素晴らしい。
彼等の偉業が後世評価されますように。
酷い地方自治体の教育委員会だと職員が城=建物/天守閣と思ってる学芸員までいる。
まぁ、横浜市なんですが。
驚愕の事実として鎌倉時代の武家の本地である旧鎌倉郡や戦国時代の鎌倉公方代理蒔田吉良家の蒔田御所や小田原北条家の主力5部隊の内の実に2部隊の本拠地である黄備隊の玉縄城長尾砦(上杉謙信の祖先長尾定景の長尾城)や、白備隊の小机城が有るにも関わらず❝横浜市には学芸員に城郭の専門家が一人もいない❞異常事態が市政開始後ずっと続いている。
しかも横浜市と同じ旧鎌倉郡に含まれる鎌倉市は❝「古都鎌倉」を取り巻く山稜部の調査❞の報告書で明ら様に防衛施設遺構の密集する天園ハイキングコース瑞泉寺旧寺域の堀切や土塁のある地域を調査から外した。
横浜市の蒔田城に至っては鎌倉府将軍代理の御所にもかかわらず学校法人敷地以外は何の発掘もされず宅地化容認され消え失せた。
小机城も続100名城に選ばれたにも関わらず横浜市は高速道路開発利権や鉄道関連と戦後の地租改正で地権者に成った連中に忖度し未だに国に史跡指定申請すら行わない。
伊勢原市に有った扇谷上杉家の大城郭の糟屋館跡は大空堀や武者走りが現存したのに、丘陵側面周囲の大切岸すら発掘対象から外され既に発掘しても遺構が出る訳の無い昭和初期に農地改良で削平され尽くし城地形から既に失せてた農地部分だけ白々しく発掘される茶番が行われた。
結果、学校法人で開発と無縁な産能大学の敷地に粗末な城趾の看板だけ置かれ、主要部や大手や太田道灌が暗殺された“湯殿入り虎口”は全て東名高速伊勢原ジャンクション建設で数年前に消え失せた。
文化財保護に熱心な熊本県と熊本市、そして熊本の教育委員会の皆さんには神奈川県のクソさ具合いと比較して真に頭が下がる。
玉縄城は完全消滅しましたね。文化財は代えが効かないのにヒドイ話だ…
@@arab7708
玉縄城、玉縄城址町づくり会議の尽力で現存する硝煙櫓と本丸の大堀切と堀底道が整備されてますよ!
ちなみに本丸も大半はキリスト教系学校の敷地ですが蹴鞠場や花畠や諏訪段曲輪が発掘され破壊免れてます。
一部でも地域の方に守られたのは奇跡ですね。
破壊阻止には今上天皇陛下と歴史研究で繋がりの有る伊藤さん等の働きかけで今上天皇陛下が御即位される数年前の皇太子時代に玉縄城址に御足労下さり、鶴岡八幡宮の吉田宮司や鎌倉市長の松尾もビビった様で大いなる「釘刺し」に成った様です。
ただし、松尾市長と鎌倉市は史跡指定ヤルヤル詐欺で天皇陛下が皇太子時代に指定する旨を発言したのに未だに放置してます。
しかし玉縄城址本丸〜七曲り虎口は旧地形がよく残ってますよ。
七曲り虎口近くの龍寳寺には歴史民俗資料館があり龍寳寺の禅師や檀家さん達の尽力で無料公開されていて(トイレだけ使用の人は有料)玉縄城址町づくり会議が寄贈した玉縄城の地形復元模型や城の縄張図や出土した本丸縄文の礎石が展示されている他、近世〜近代の農機具や家具や霊柩車😅の展示もあります。
ちなみに江戸期の龍寳寺は朝鮮通信使の宿泊施設として利用されたそうで、東海道の表街道の戸塚宿から一本裏の景勝地を通らせて日本国内の内情を見せないと言う情報リテラシーの役割りも担った様です。
龍寳寺は小田原北条家の時代の開基なので家祖の伊勢宗瑞公が臨済宗大徳寺派(当時の禅宗臨済派)の宗旨の例に漏れず関東における小田原北条家の宗旨の禅宗(当時の曹洞派)の寺院ですから朝鮮の高僧達と友好関係に有った宗派で都合が良かったのでしょうね。
今の鎌倉市は市長が東京カブレで選挙に寅さんの格好したり2019年の台風での国指定史跡釈迦堂口遺跡の釈迦堂切通の崩落を全くケアせず放置し2023年に保護整備ヤルヤル詐欺で2月6日→3月24日→5月31日→延長されっ放しです。
鎌倉市の史跡がユネスコに「分断され過ぎ、世界遺産不適格」のレッテルを貼られた原因が正に釈迦堂口遺跡の放置や、平成期の巨福呂坂切通の下の県道拡幅による破壊断裂での圓應寺山門前に繋がっていた路盤の消滅等近年の史跡破壊です。
明治〜大正に国指定史跡にされた物が平成期の法律と政治家と地方自治体の無文化学芸員と道路水道局の連中のせいで消失に歯止めがかからなくなってますね。
ちなみに伊勢原市-平塚市にある戦国時代の佐原三浦家(扇谷上杉家からの養子の三浦高救-三浦道寸親子)の巨大城郭の岡崎城址も宅地化が開始された頃に未だ青年期だった今上天皇陛下が御出になり、鎌倉時代の城主の岡崎(三浦)義実公の墓を訪れたりして結果的に城跡の完全消滅を食い止められてます。
本丸の無量寺裏の私有地の竹林には無量寺の本丸を含む主郭部分の曲輪群の三連の連郭式の曲輪と見事な横堀と堀切群が現存してます。
ただし大規模な岡崎城の外郭は東南西の大半が消えました。
主郭部分と岡崎義実公の墓所を繋ぐ地域には畑地の曲輪跡の段地や虎口と思しきS字に屈曲した農道空堀と武者走り地形が現存してます。
でも今の伊勢原市と平塚市は歴史史跡や日本文化と自然や天皇家に対するリスペクトが無いですからね。
平塚市なんか海岸の防風林の松原を開発の為に撤去しようとしたり、平成期には仁徳天皇の御実弟であらせられる京都宇治神社と平塚市前鳥神社の主祭神の菟道稚郎子の古墳と考えられていた真土(しんと)大塚山古墳を宅地開発破壊容認しましたからね。
@@yoshikurakino
そうなんですか!てっきり完全消滅したものかと思ってました!
一番しっかりしていないといけない自治体がろくに重要性を理解していないのはあってはならない話だと思います。やはりなんにしても文化財指定されてなければ、基本持ち主の姿勢次第で消えてしまいますからね…
考古遺跡ではないですが、名古屋郊外に中村遊廓という近代までの遊郭跡がありまして、その貴重な旧遊郭建築物が名古屋市の景観重要建築物に指定されていたのですが、登録有形文化財ではないので、持ち主の方が家を建てるということで取り壊されてしまいました。風情ある名建築だっただけに残念ですが、こればっかりは法改正するか、指定範囲をとにかく広げるしか解決策がありませんね。しかしむやみやたらに範囲を広げても、登録有形文化財ぐらいでは修理の際、国からの補助がほぼ出ませんから、資産のない方には酷な話です。やはりそう考えると、地域全体で地域の歴史に対する理解を深め、みんなで守ろうと意識付けていくしかないのかもしれないです。今見られる田舎の古き良き古民家の風景もいつまで持つか分かりませんよ。あと20年もすれば半分は無くなってしまうのではないかと大変危惧しています。
@@arab7708遊廓関連はどこも似たような事があるんですね〜。
横浜の場合は遊廓が風営法施行後に直ぐに消滅しましたが、遊廓建築にも関わっていた社寺の宮大工が閉業した遊廓や近所に立派な銭湯を社寺建築で作り数軒現存します。ただ、名古屋の例と同じく指定文化財ではないのでコロナ風評被害で入浴客が減り元より銭湯は経営苦しかったので何軒も消えました。
現存するのは今は亡き桂歌丸師匠の実家の真金町遊廓の有った地域の永楽湯と仲乃湯、あと幕末に英国軍の射撃演習場だった地域の稲荷湯と言う黒湯天然温泉の銭湯が残る程度です。
仲乃湯は外国人にも日本建築の立派さが知られていて観光客がきますしドラマのロケ地にも成ってます。
与謝野晶子等文化人や海軍さんが利用した金沢園と言う明治時代の建築の料亭がかろうじてカフェに業種替えして現存します。
コロナはサービス業の建築文化財にも影響しましたよ。
もしかしたら名古屋の元遊廓も似たような感じだったんじゃないでしょうか?
宇土櫓は、初代天守と聴いております。
姫路城や松山城にも行って欲しいです。
超個人的意見ですけど展示物は別の施設でやったら良いし、文化財とかは特例である程度の法律は無視できて当時の状態を再現してて欲しい
バリアフリーガン無視になるけど
ワイも昔に復興城主になったんやが、今でも寄付は1万円以上なんだな
城主カードで色んな割引サービスを受けることは今でもやっているのであろうか・・・
先生が巨石繋がりで日本に目を向け始めてる。。巨石文明も関係している縄文とエジプトの繋がりでしょうか。。
損傷の程度を考えると、10年ってのはむしろかなり急ぎで工事やってるのでは
日本は歴史的建造物を長く保存しようとする文化があるがエジプトは時代が変われば平気で放逐、再利用、破壊するけど、何なんだこの思考の違いは
日本でも建築物の廃棄は解体はやっています。
かなり大胆にコンクリートやらエレベーターやらをぶっ込んでいて河江先生もカルチャーショックを受けてる感じがした。いくら畏れ多くも先の副将軍障碍者の方々が当然の権利だと主張しようが、ピラミッドやスフィンクスにエレベーターを付けようとはならないからなw