伊周を切ったことが全ての悲劇の始まり 一条天皇の選択と失敗【光る君へ】
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- เผยแพร่เมื่อ 4 พ.ค. 2024
- 参考文献
繁田信一『天皇たちの孤独 玉座から見た王朝時代 (角川選書)』
amzn.to/4czyJy1
倉本一宏『一条天皇(人物叢書) 』
amzn.to/4cEFyhO
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定子だけでなく伊周とも親しかった一条天皇は、当初は伊周の関白就任も視野に入れていたとされますが、道兼 道長を推す母 詮子の意向もあり、伊周の関白任命は断念します。
ただし、一条天皇には、伊周に関白は任せず政治を安定させながらも、今まで通り定子だけを愛したいという相反する2つの望みがあったと見られます。
どっちつかずな対応の末、道兼の急死で道長が権力者になったことで相反する2つの望みを手に入れる仮初めの成功を収めますが、その副作用とばかりに伊周が暴走を始め、一条天皇の大切な物は壊されていきました。
今回は、定子への愛を貫くには不可欠な中関白家の権勢を、政治の安定を優先したがゆえに自らの手で終わらせてしまい、伊周の暴走を招き本当に大切にしたかった定子までもを失うことになってしまった一条天皇の選択の背景について紹介します!
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#光る君へ #一条天皇 #定子 #大河ドラマ
兄たちが次々といなくなったこと、甥が自滅したこと、何よりも病がちでありながら早世しなかったこと。
そして北の方が2男4女という理想的なバランスで子どもを生んだこと。
やっぱり道長は日本史上でもまれに見る幸運の持ち主ですね。
伊周と組んだらそれはそれで終わってたよねだけど
一度道長に超されたとしても伊周が耐えて踏ん張っていればのちに定子が皇子を出産して外戚として権力の座に復帰できたかもしれないのに
しかもこの方は自分より年長の居貞親王(三条天皇)が東宮として存在しているのでいつでも 替えのきくリリーフがいる状態でしたからね 迂闊な判断ができない また中国の皇帝のように絶大な権力持ってるわけじゃないから廷臣たちの意向を無視して 自分の意向を反映するのは無理だったからね あの時の政治状況では一番良い判断をしたと言える
中国の皇帝の宦官みたいな君主の手足となって働いてくれる手駒がいないのも、天皇の立場を不安定なものにしていると考えています。
伊周くんは確かに偏差値高いIQ高い阿呆ボンだっんだけど、そんなに根性悪じゃないから。とーさんは高い地位を得れば安泰だと勘違いし、教育を間違えた。かーさんは息子可愛さで目が曇り、冷静さを失い正しく導けなかった。
頼るべき両親が、間違った道を示したために、気の毒な事に成った。ましてや根性悪の詮子、道長姉弟に苛められ
とんだことになり、最大の被害者の定子が、亡くなった時
初めて自分の愚かな行動が、妹を苦しめたとわかり、後悔の涙を流したってことだね。
詮子、道長は兼家パパに似て嫌な人間なのは確かだろ‼️
とは言え伊周ではなあ……権力を握ったらやらかしまくる予感しかしないし息子は父親よりさらに問題児だし……定子はかわいそうだけど中関白家ではやっぱりダメだった気がする。
問題児だった隆家が、刀伊の侵入を防いで、
九州の英雄となり、道長に嫌われたものの、
多くの貴族や新興の武士たちの支持を受け、
隆家の子孫は命脈を保ちましたよ!🎉
道長はこの先次々と娘たちを入内させて摂政となり政治を動かしていくけどこれは当時の貴族の家門を守るためには当然の行動で、権力も周りが勝手に自滅して行って転がり込んできたわけで、まったく強くだったとは思わないけどただただ強運だったのだなぁという印章。
自分も2人の妻も長生きで子たくさんだったのも運の引きが強い以外ないですよね
中学生にこの判断は無理でしょう、
「みんな高階が悪いんだからね!!」というどこぞのホグワーツ編入生のような台詞が脳内を過ぎったが、まあ、大体合ってる。
伊周には母方の高階がいたから、伊周を関白にしたら大変な事になってたかもね。
天皇の宣旨を改ざんしようとするわ、道兼、女院、道長を呪詛しようとするわ、やりたい放題だったし、道兼の死は毒殺ではなかったかと言われている。
朝は元気で家を出たのに、家人が両方で支えないと行けないほど衰弱していて、もはや起き上がれなかったほどだったと。一条天皇に息子が出来たら、高階は一条天皇を毒殺してひ孫を天皇に付けて、伊周を操って藤原に代わる高階に有利な政治体制を引いたでしょうね。
定子ばかりが有名だけど、道長が長期政権を維持できたのは彰子がずば抜けて優秀だったから。
父親に対立し続け、政の基盤を作り、天皇家安寧を作ろうと藻掻いた女帝だった。
長年光の当たらなかった彰子がどう描かれるか楽しみです。
中関白家包囲網の中でぬくぬく育った若い天皇にしては英断でしたよね でないと花山天皇の様に 後世に暗愚として 伝わっていたでしょう 藤原氏によって❕
暗愚としては伝わらなかったでしょう。一条天皇は、敦成親王、敦良親王(後の後三条天皇、後朱雀天皇)の父であり、藤原摂関政治を支えた大事な権威で支柱だったから。
一条天皇は、敦成 親王、敦良親王(後の後三条天皇、後朱雀天皇)の父であり、藤原摂関政治の大切な権威ある支柱なので、暗愚として伝わることはないでしょう。
皇子の誕生があまりに遅すぎましたね…
それは貞子の入内が早すぎたことの裏返しですね。11歳の男子と14歳の女子を結婚させてすぐに子供を授かろうと目論んだ道隆や伊周の考えが非現実的であったと言わざるを得ません。道隆が不摂生で早逝した時点で、中関白家の没落は避けがたいものとなっていたのでしょう。伊周があがいてどうにかできる話ではありませんでした。たとえ詮子の働きかけがなくて、道長ではなく伊周が政権を握ったとしても、伊周の若さでは短命政権に終わる可能性が大でした。花山院に対する大不敬のような行為も、関白になっていたらエスカレートすることはあっても自重することはなかったでしょう。なので失脚は時間の問題かと。
まあ上位の公卿壊滅状態じゃ年長者を選ぶしかないでしょ。
伊周の自滅行為がなければ巻き返しも徐々にはしていけたと思うのだけど。
親の不名誉を受け継がされた道雅が不憫でならない。
この困難な状況で定子を守り抜くのは一条天皇でなくとも,至難の業だったと思います。
髪を切り落として内裏に入れなくなった定子を職御曹司に呼び寄せて一条天皇は定子💕会いたさに通い続けますが,世間からの反対にもあらがい,そこまでの情熱を持った一条天皇を凄いと感じます。
伊周は無いだろう。
どのみち一条帝はどっかで詰んでた。
伊周ルート→退位
道長ルート→傀儡
道隆が、後10年生きていれば中関白家の没落はなかったとも言われている😢
定子皇后の悲劇があればこそ現代まで定子皇后の煌めきだと思います😂
う~ん、このコンテンツは今一つかと。
まず、この時代は複数の妻を持つことはごく一般的なことですので、一条天皇が定子以外の入内を拒否し続ける前提で
書かれたこの話は少し意味合いが異なるかなと。
また、伊周は関白に就任できなかったから自爆したわけではなく、そもそも人格的に未熟で人望もなかったので
関白に就任していようがいるまいが遅かれ早かれ何らかの問題を起こしたかと思われます(大元帥法を自らに行う
とか随身兵仗のあたりの話は本当に未熟としか言いようがない)。
結果的に一条天皇は治世を全うし、定子の子ではないものの自らの子が皇位に就いたわけで、それ程悪い人生では
なかったと思いますけどね。
とかく、この世はままならぬ。ですね。
先の花山天皇や父帝の円融天皇もそうですが、天皇の立場はとにかく不安定ですね…
色々見方はありますが、定子を大事にするなら中関白家と心中しなくちゃいけなかったよねというちょっと過激な結果論です。
面白いですね。確かに「過激な結果論」です。
コレチカ、、、読めねぇ😂
ダッシュで飯をかきこんで咀嚼しながら帰ってくる御上の姿が容易に想像できる
簡潔にいえば、二兎追うものは一兎も得ずということですね。
まあ誰かサポートしてくれる人物がいれば若い関白でも何とかなるかもしれないが上位の公卿壊滅状態じゃ年長しゃ
一条天皇と関白家、思ったよりこまごまとやりとりあったんですね。
一条天皇若いのによくやるなあ。
正月の伊周主催の大臣饗宴に主要公卿が不参加とは、史実でも伊周はかなり嫌われていますね。そういう人物と運命を共にするのは、いくら最愛の定子のためであっても二の足を踏みます。その反面、道兼を関白にすれば、彼の娘尊子の入内も受け入れざるを得ず、一条天皇の乳母の娘でもあることから拒否はできない立場もキツイでしょう。関白を選ぶことは、その後の朝廷での権力の源である娘の入内も絡む事態だという発想が、新鮮でした。一条天皇としては、後に内覧となった道長が早世し伊周が政治の世界に返り咲き、定子と楽しく暮らすというプランを思い描いていたのでしょう。天皇でありながらこれだけ周りに振り回されるのが悲惨で、思いを叶えてあげたかったなあと感じます。返す返すも、道隆の早世が原因であり、もう少し長く一条天皇と定子との和やかな暮らしを持たせてあげたかったです。ドラマでの一条天皇の苦悩の表情にも、説得力を感じられる動画ですね。
おそらく長期政権にはならないだろうという思いが、詮子、一条天皇、本人道長などの関係者にあったのに、藤原氏最大の栄華を極めたという史実が、面白いですね。人の思惑を離れた人知を越えた不思議を感じます。
伊周政権では一条帝は毒殺されていたかもですよ。
操り人形で満足していたならともかく、優秀だったそうですから。
高階一族が藤原に取って代わろうと暗躍してましたしね。
伊周は操り人形にされて、定子に子供を次々産ませて、自分達の都合の良い皇子を作り出させていたかもです。
昔 から 人間関係 の 複雑さ は どこの 世界 でも あった?
道兼の後に内覧になれなくても、伊周が暴走さえしなければ、定子は皇子を産むのですから
数年の後には伊周の天下になっていた可能性もあったのではないでしょうか。
伊周と隆家の権力闘争が起きそうではありますが。
ドラマは道長をよく描いてるけど、これから道長の定子へのいじめが激しくなってきますね。
いつまで道長いい人に描けるか?見ものです。
ドラマでは、兼家役段田安則さん、道隆役井浦新さん、道兼役玉置玲央さん、花山天皇役本郷奏多さんなど悪役やクセの強い役を演じる俳優さんたちが耀やいています。これから、伊周役三浦翔平さんが楽しみ。せっかくの柄本佑なのに薄ぼんやりした善人で、つまらないですね。
魅力的な悪人としての道長を堪能できる脚本を書いて欲しい。
北条義時になるのかな。義時も最初は気の良い青年だったし、後半が柄本佑の本領発揮かも。
一条天皇 14歳
定子 18歳
藤原伊周 20歳
藤原道長 28歳
詮子 33歳
国や組織の行く末を決めるに当たり、みんな驚くほど若い。
プレッシャーはきつかっただろうな。
翁丸〜💕
翁丸も出演させておくれよ〜❗️命婦のおとどと2匹一緒にね。🥰
中学生なのに高畑充希と昼間からなんて(>_
こんにちは
伊周と組めって?!何考えてんの?大丈夫?まあ、言論の自由だし、歴史解釈など、時代考証の範囲内で、何言ってもいいんだけどね。
伊周が、不運なのは有能な補佐がいなかったことと親が、優秀なことに目が曇って正しく導けなかった事です。
歴史上どんな英雄でも、ダメなところがあり、補佐がついてた。本人が、超優秀だったのは秀吉くらい。運が悪い部分は寧々との間に優秀な男子がなかった事。家康が、勝利したのは凡庸でも、子供が、多かったことと、生まれながら補佐の人が多くいたこと。まぁ本人も優秀だったが。
機械に読ませているのに、一文が長すぎるんだよ。
重文、複文の使いすぎ。
単文の良さを知るべき。
論文であれば、自分のペースで読めるので、これくらいの長さでも問題ない。
でも機械に読ませたら、眠くなって、最後まで聴こう言う気が失せる。
めかぶの「着物衣桁」
作品の写真見ましたが
2つの着物が無造作に折りたたんだまるで寝巻きをかけてる風〰😨
ありゃ美術とかムリなレベル!
あれだけたんか切って帰れる!?さすがあの親にこのコあり!!
みぃたんありがとうございました😆❤️❤️
ぎやー!!!!!恥ずかしいー!!!!😱😱😱😱😱
でもうれしすぎるーーー😭😭😭ダバー
マクドナルドで悶絶してます🤤デヘヘ
アンチコメントはどんどん晒して下さい。←みどさんのアンチには急に大きく出る😆
内輪ウケ動画でも独り言でもみどチルは喜んで享受致します🥰
みどさんが毎日笑顔で過ごせますように💖
源重信は藤原道兼と同日に疫病で亡くなっているので、彼を一の上として15歳の天皇が親政を行うという「ベスト」な選択はそもそも成立しませんでしたよ。歴史についてあれこれifを考えることは楽しいのかも知れませんが、そのほとんどは無意味なものです。ある程度マクロに影響が及ぶ出来事は、すべて必然的にそうなっているのです。
歴史に「起こりえないこと」と「起こりうること」はあるけど「必然的に起こること」は存在しない。
@@jodasow それって、あなたの意見ですよね?まあ私も私の意見を述べているだけなんですが。私の言う必然的に起こることとは、例えば藤原氏が摂関政治を行うに至ったこととか、日本が第二次世界大戦で対中国そして対アメリカで開戦に至ったことなどのような、多くの人の人生に影響を及ぼすようなことです。それらの発生するタイミングが少し前後することはあっても、誰か一人や少数の人間の気まぐれな意思で避けることは不可能です。トルストイの戦争と平和のエピローグにも同じ趣旨のことが書かれているのですが、要は、たくさんの人々を巻き込む決断ほど、その決断を下したとされる人間に残された自由度は少なくて、特に何十万何百万人が殺し合うような戦争の勃発はほとんど民意の総発現と見なしてよく、その時々の国家元首が誰とか将軍が誰かとかは歴史事件を語るうえでのラベルに過ぎず、彼らとて時代の大きな流れに翻弄されるちっぽけな存在に過ぎません。たとえ彼らが自分の一存で宣戦布告したと錯覚したとしても、その司令が確かに実行されるためには相応の土壌が整っていなければならないのです。昨今のプーチンの大統領就任式を見てご覧なさいよ、ウクライナ戦争は本当にプーチン一人の狂気が引き起こしたものでしょうか?
@@GreatestPhysicistOfAllTime ちょっと前までは鎌倉幕府滅亡も「元寇と御家人の没落で幕府が弱体化した結果」と言われてましたが、今では「元寇と御家人の没落により幕府はますます盛んになっていた」という説が主流です。つまり鎌倉幕府滅亡は必然ではなく「後醍醐天皇が居なくても大筋で同じ歴史になっていた」なんて言えないんですよね。
@@jodasow 今挙げられた例は鎌倉幕府が滅亡した主因についての歴史学界での通説が変わったという話であり、鎌倉幕府がだいたいあのタイミングで滅びる必然性がなかったことの証明には何らなっていないのでは?
そもそも、幕府が盛んになったとか強化されたとは、どういう状態を指すのでしょうか?鎌倉幕府の滅亡で終わったのは北条得宗専制であり、幕府という武家政治の体制はその時代必ずしも時代遅れにはなっておらず、弱体化どころか、バージョンアップしてさらに日本を数百年支配することになったわけですから、一概に幕府が弱くなったとか強くなったとかいう一面的な見方はできないかと思います。歴史の大きな流れは無数の拮抗する力がバランスしながら作り出していくものですので、その出力は大変なロバストネスを兼ね備えていると思うのです。即ちそう簡単に書き換えられるものではありません。
@@GreatestPhysicistOfAllTime 南北朝時代の社会は長期にわたる全国的な戦乱という、それまでの日本史上存在しなかった状況におかれており、当然ながら統治体制は鎌倉時代とは不連続に大きく変化しています。室町時代は鎌倉時代の延長ではないんですよね。後醍醐天皇の脳内物質の割合次第で日本社会の構造が全然違っていたわけです。
いつの時代も毒母には悩まされるものだなぁ…
こんなのが世にいわゆるチー牛を発生させるんだろうな
それが事実かそうでないかは別として、今の話の流れとは関係無いね。
叔父と張り合う身の程知らずな甥。案の定自滅する未来しかない。
でも、根性悪→道長。
一条帝は彰子を返品したかったに違いない