【ゆっくり解説】 后妃の処刑を制度化した荒ぶる帝王 道武帝 拓跋珪 中国史わりとヤバい皇帝伝 【北魏 五胡十六国】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 17 ก.พ. 2023
- 有能過ぎて恐ろし過ぎるヤク中の帝王、北魏の創始者「道武帝 拓跋珪」を紹介します。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
北魏の前身「代」の内紛の歴史
• 【ゆっくり解説】 内乱に次ぐ内乱の北魏前史 ...
関連動画
[五胡]
中華を席巻した諸民族五胡について
• 【ゆっくり解説】 五胡 中華を席巻した五つの...
一代で夏王朝を復興させた英傑で、権力者を酔わせるほどの美貌の持ち主でカリスマ殺人狂「赫連勃勃」の紹介
• 【ゆっくり解説】 赫連勃勃 超古代王朝を復興...
奴隷から皇帝になったえげつない英傑、石勒の動画
• 【ゆっくり解説】 石勒 奴隷から皇帝へ 中国...
シリーズ「五胡十六国史」
①前趙(漢)の創始者 匈奴のプリンス劉淵の動画
• 【ゆっくり解説】 劉淵 高祖劉邦・光武帝劉秀...
②大乱世五胡十六国時代、最も存続期間の長かった王朝[前涼]や東北アジアの覇者となって中華に殴り込みをかけた王朝[前燕]、天下統一を目指した王朝[前秦]の紹介
• 【ゆっくり解説】 華北三国鼎立 そして統一へ...
③五胡十六国時代で唯一華北統一を成し遂げた王朝、前秦による天下統一への道のりと王朝の崩壊の紹介
• 【ゆっくり解説】 前秦崩壊 民族融和の夢の跡...
④五胡十六国時代後期の東方で開催された慕容部王朝燕祭りと、北魏による圧迫の時代を紹介
• 【ゆっくり解説】 梟雄慕容垂の奮闘と北魏の脅...
⑤大乱世五胡十六国時代の終焉までの歴史の流れ、華北西方の国々の興隆と滅亡について紹介
• 【ゆっくり解説】 真の混迷と大乱世の終結 後...
シリーズ「東晋史」
①八王の乱の嵐が吹き荒れる華北を脱出し、ほぼ徒手空拳で長江を越えて江に乗り込み、晋の後継王朝東晋を築いた司馬睿らの苦闘の紹介
• 【ゆっくり解説】 江南流遇政権 東晋の成立 ...
その他の五胡の傑物(?)たちとヤベー皇帝たち
一代で夏王朝を復興させた英傑で、権力者を酔わせるほどの美貌の持ち主でカリスマ殺人狂「赫連勃勃」の紹介
• 【ゆっくり解説】 赫連勃勃 超古代王朝を復興...
奴隷から皇帝になったえげつない英傑、石勒の動画
• 【ゆっくり解説】 石勒 奴隷から皇帝へ 中国...
劉淵の後に現れたヤベー奴、劉聡や五胡十六国時代トップクラスに悪名高い皇帝 石虎等の動画
• 【ゆっくり解説】 中国史 ヤバい皇帝三選 ヤ...
成漢を滅茶苦茶にした恐るべき豹変皇帝 李寿等の動画
• 【ゆっくり解説】 中国史ヤバい豹変皇帝伝 英...
シリーズ「三国志の終焉 西晋の建国と滅亡」
晋王朝の建国はこの人から 三国志の英雄 晋王朝の祖 司馬懿
• 【ゆっくり歴史解説】 三国志 真の勝利者 司...
目玉が飛び出て建国できず 司馬懿の長子 司馬師
• 【ゆっくり解説】 晋王朝建国史 司馬師 王朝...
建国まであと一歩で寿命が尽きる 司馬懿の次子 司馬昭
• 【ゆっくり解説】 司馬昭 晋王朝成立前夜 簒...
座りしままに天下餅を食らう 司馬昭の子 晋王朝を開いた司馬炎
• 【ゆっくり解説】 司馬炎 簒奪の完遂 晋王朝...
八王の乱の前哨戦と悪女の代表格とされる賈南風について
• 【ゆっくり解説】 賈南風と八王の乱 権謀多き...
三国時代をやっと終わらせた晋王朝を滅茶苦茶にした戦乱 八王の乱の紹介
• 【ゆっくり解説】 八王の乱 王朝を滅亡に導い...
八王の乱を乗り越えた司馬越と宗室諸王の悲惨な末路と晋(西晋)王朝の滅亡について紹介します
• 【ゆっくり解説】 晋王朝壊乱 八王の乱の勝者...
お楽しみ中国史ヤバい人々の動画
ヤバい皇帝一族を紹介します
• 【ゆっくり解説】 中国史 ヤバい皇帝一族 残...
宮廷に巣食う影、宦官
• 【ゆっくり解説】 宦官 三千年にわたって宮廷...
凄惨な死を遂げた人々
• 【ゆっくり解説】 中国史 凄惨な死を遂げた人...
悲惨な末路をたどった人々
• 【ゆっくり解説】 中国史 悲惨な末路をたどっ...
色々な意味でぶっ飛んだヤバい人々
• 【ゆっくり解説】 中国史 ヤバい人物列伝 歴...
ヤバい皇帝伝(五胡十六国時代)
• 【ゆっくり解説】 中国史 ヤバい皇帝三選 ヤ...
良い意味も含んだヤバい人物三選
• 【ゆっくり解説】 中国史 ヤバい人物三選 【...
中華悪党伝説
• 【ゆっくり解説】 中華悪党伝説 中国史を揺る...
狂ってしまった皇帝を二人紹介します(冒頭で三人と言っていますがあれはウソです)
• 【ゆっくり解説】 中国史ヤバい豹変皇帝伝 英...
銀英伝でオーベルシュタインが言ってた『古来の帝王には后の親族尽くを殺し禍根を断った例もございます』っていうのはこの人なのかな
他に聞いたこと無いしこれじゃないかな
それを想像しました
ヒルデガルド「へー、そうなんだ。(先手打たんとな)」
アレク大公「ばぶばぶ」
オベに「国務尚書は良識家でいらっしゃる」と凄まれて汗かく程度で済むマリーンドルフ伯胆力すごすぎる。わいやったら絶対ちびるわ。
博学だな
7:30
「今日はお前たちに北斗神拳とは何かを問いたい」から
「道武帝は愛を知る者に倒されることを望んでいた、そんな気がします」
までの完璧な流れ
本家の聖帝()より非道なんだよなぁ
子貴母死にお師さん方式をミックスすると修羅の時代には完璧だったんじゃないかな?だからこの世代交代はこの時代としては結果として成功した。
外戚の影響力排除と共に皇帝である自分を倒せる力、若しくは皇帝を倒したものを倒すだけの実績があれば、臣下は付き従う。ひ弱な後継は継げない。かといってちゃんと血のつながりは継承できその家系部族の体制は維持できる。皇帝の父を殺せるなら出張った祖父祖母は簡単に捻り潰せるだろう。
なんか勘違いしてるみたいだけど
愛を知る者に倒されることを望んだのはラオウだよ
サウザーはリュウケン関係ないでしょ
理解し難いことですが、生母を殺されてその悲しみを誰よりも知っているはずの拓跋嗣も、後に息子の燾を後継者にすると、その生母に死を賜っていますね。
私情を捨てたってことかな
感情切り離したら有効だと思ったんやろなぁ
皇帝という立場は、私情を超克するに足るものだった、と考えるしかなさそうですね。
当時の倫理観(そもそもそういう観念があったのかはわかりませんが)との違いがある故に、我々は歴史に興味をひかれるんでしょうね。
悲しまないよう、ちゃんと幼いうちに母から引き離してるんですよね
@@REKI-AKAHOSI
外戚の跳梁跋扈を防ぐなら有効ですね。
三国志の魏に朝貢してた拓跋氏が華北の覇者になるとは曹操でも予想できんかっただろうな
今回も知的好奇心を掻き立てる内容の動画を本当にありがとうございます!
中国史まだまだ知らないことばかりで鳥人間さんの動画で学びのきっかけを頂いてます
ナイスパ
有り難きお言葉にご支援、まこと感謝に堪えません……!
今後も精力的に動画を更新していきますので、ご期待ください……!!
「子貴母死」制度はオスマン朝の兄弟殺しの制度並みに闇が深い
オスマンのアレはどこまで制度だったのだろう…おっと中華じゃないか。殉死とか、闇な制度いっぱいありますよね。
オスマンのアレは制度というより慣習?
北魏王朝を知るには中国ドラマ『北魏馮太后』を観るといいです。
フィクション度少し高めですが『王女未央』も良いですね
エピソード聞いていますと、人生がハードモードすぎて心が休まる時が全然なかったのではないかと思いました
現代の私たちから見れば、「子貴母死」制度は到底認められない制度ですが
千年も後の明代にも殉死という制度があったことを考えれば
この当時では「子貴母死」制度は、それほど残酷な制度とは思われなかったのではないでしょうか?
生母を殺されて日夜号泣した拓跋嗣が、この制度を廃止しなかったことが
権力の扱いの難しさを象徴しているように思います。
殉葬は泣き叫んだ人もいるから普通に悪習として認識されてたと思うよ
困ったことに「子貴母死」制は、当時の価値観では今よりもっとおかしいんです。鮮卑の習俗にも儒教の教えにも反しています。
@@shou-sho さん そうでしたか・・
北魏が分裂するまで廃止されなかった制度なので
当時の人からは、残酷だけど仕方がないと黙認されていたと思っていました😥
高校の授業でも拓跋珪の話題は全然取り上げられる事がなかったので、あまり印象がなかったですが今回の動画で色々知ることができました!面白い動画をありがとうございます🦢
過去にこのチャンネルで紹介されたヤバい皇帝に比べたら、太子の生母殺しを制度化する程度でばわりと゛ヤバいで済んでしまう・・・。
外戚問題や垂簾聴政というのを知っていると、その理屈は分からないでもないからなぁ……
26:17 五石散ってこの時代まだあったのか...
五石散が多くの中華の偉人の命を縮めたり性格をおかしくしたことを考えると、五石散を広めた何晏ってこの面でも戦犯になってる気がする(無論一番の失態は司馬懿のクーデターで曹爽と一緒に倒されたこと)
あと明元帝って子貴母死制度に生母を殺されて苦しめられたのに、その制度を続けたのか...
止めることはできたはずだが、止める気はなかったのかな
いや生母を殺しても祖母や乳母が代わりになるだけなんじゃ…と思ってたらちゃんとオチがついてて笑った。
次回は馮太后ですかね?最近の鳥人間の人選は予想がつかないから誰が来るかわからんな。
遅ればせながら試聴しました!北魏史の続き、楽しみにしています!国史の獄に馮太后、期待してます!
拓跋って元の鮮卑語では「タブガチ」とか「タブガチュ」っていう発音だったとか
欧米の歴史書では、拓跋は「タブガチュ」と呼ばれていますね。
一番乗り。仮にも皇帝、それも初代が薬物中毒の挙句に息子に寝首を搔かれたのはあまりにお粗末と言わざるを得ない。それでも華北統一に大きな役割を果たしたこともまた事実。やはり乱世が天才と何とかは紙一重な風雲児を求めたということかもしれない。
「天才と狂気の狭間を反復横跳び」の地点で吹いてしまった。
拓跋珪が左右にピョコピョコ跳ねてる姿を妄想してしまったので…(^_^;)
絶対、真顔でやってるよね拓跋珪
@@naoki080808 笑ってはいけない北魏史…(ザンサツ〈斬殺&惨殺〉される)
外戚による専横対策は大変なんですなぁ。
オスマン帝国は高貴な妃とは子を儲けず奴隷の身分の子を太子としたり、太子以外は全部殺したりしてるみたいだすね。
後年、形骸化し、イェニチェリの専横を招きますが…
イェニチェリ自体も、太子の幼少期に一緒に育て、代変わりの時、大臣クラスを幼少期から一緒に育ったイェニチェリに替えることで、権力の新陳代謝があったみたいですが、結局イェニチェリが政治勢力化してしまったので、難しいものですねぇ。
それを考えると清の雍正帝が考案した「太子密建の法」がどれだけ優れた物なのかが分かりますね。ただ、清の場合太子密建で選ばれた皇帝依りもそれ以前の皇帝の方が優秀なのは何とも皮肉な事ですが。
@@kix4878
ヌルハチ〜康煕帝初期辺りまでは明やモンゴル相手にしてたし異民族支配への反発もあったから有能じゃなかったらそもそも中華王朝になれてないかと
拓跋珪については、会田大輔先生の「南北朝時代」を読んだときに「子貴母4」制度に衝撃を覚えたものです。が、全体を通してみると、明の洪武帝・永楽帝のような「むちゃくちゃ有能だけどやべーやつ」が当てはまるタイプの初代だったといえるでしょう。漢民族と遊牧民の「一国二制度」に挑戦する北魏・拓跋元氏がその後どうなっていくのかはおおざっぱにはとらえているつもりですが、より理解を深める機会を楽しみにしてます。
動画アップお疲れ様です
政治的業績はかなり大だし幼少期の体験から猜疑心が強くなり将来的に害となると判断したら臣下だろうが女子供だろうが処断する😵 これは始皇帝や武帝なども行っていることだけど、それを制度化までするのは出自が遊牧民族の風習で女性の権限が強くてそれを問題視したのかな?とも思います。
北魏待ってました!
北魏は、漢人と北族の政治制度や文化が融合していく過程が面白いです。続きを楽しみにしています。
天才と狂気の狭間を反復横飛とは(笑)なんとも言い得て妙ですな。
次回は馮太后回でしょうか。楽しみです
北魏の拓跋の馮太后はドラマにもなっています。馮太后もおもしろいですね
このころはマトモな人格の君主探すほうが難しいな
21:20 麒麟田村さんのご家庭の事情はWIKIで拝見しました。
道武帝の時代の中国もいろいろ大変ですが、現代日本にも波乱万丈な方がおられるのですね。現在はお笑いタレントとして成功されているとのことで何よりです。
北魏の末路を見ると生母殺しの有効性が分かるから否定できないな
藤原氏、平氏etc「えぇ…(ドン引き)」
遊牧民は、妻や母の発言力が強いので、その対策として后妃を処刑。これは荒業だ。部族社会の解体や移住の断行も、崩壊した前秦を連想させる大胆な政策ですね。
部族解体の発想の起源はどこなのか?拓跋珪がこの発想にいたったことが北魏王朝を連合体政権から集権政権へ移行させることに成功した理由と考えます。
あくまで想像ですが、やはり彼は前秦へ連行されたのではないかと考えます。かつ、拓跋什翼犍が前秦に仕えたという説が現実味を帯びるのです。
それなら漢文化の教養があった理由になり得るし、什翼犍を通じて苻堅の思想にも触れた可能性が高まります。
苻堅の思想の不完全な部分を除去した結果が部族解体であったとしたら、発想の起源の合理性は担保されると考えます。
@@user-ly6wt9xm1c さん 少年期を前秦で過ごして、その影響を受けたのなら、拓跋珪は苻堅の思想の後継者になりますね。
@@kamenoko4413 さん
はい。仰るとおりと思います。苻堅の統治思想が活かされたからこそ、拓跋珪は王朝を集権政権へまとめることができたと考えます。
河北地域での特筆するべき点を絞るならば、1・漢趙の成立による漢文化の受容と拡大。2・苻堅による河北統一と民族融和政策。3・拓跋珪による河北再統一と部族解体による集権政権への転換。となるでしょうか。
苻堅は他民族を優遇しましたが、民族の特性は喪失させなかった。結局、それが前秦崩壊の要因となった。
拓跋珪は苻堅の統治思想を用いるだけではなく、その欠点を理解したからこそ修正を加え、成功したと思います。
やっぴー😂やばー🥺と、
その時の拓した何かに、
想いを馳せながら、楽しく
学ばせていただいてます❣️
王朝滅びの原因の多くが外戚と宦官だもんなぁ。疑わしきは罰する人だったんですね。
生母を殺める制度とかやばすぎる
386年(登国の建国)から396年まで、母親の献明皇后により支配されてた体験からだともされてます。この間、拓跋珪は15~25歳です。
慕容垂の反撃で首都の平城とられるもその直後に慕容垂が死んでくれたり、後秦戦の時は姚萇や尹緯がもう死んでいたり運にも味方されてますよね。万全の状態の慕容垂や姚萇の相手をするのは流石に厳しかったはず
前漢武帝の治世初期は、文帝の皇后 (武帝から見て祖母) や、景帝の皇后 に政治乗っ取られていたからな。
漢武帝の「立子殺母」を参考にしたとも言われてます。
魏書は、北魏の公式見解のはずなのに、音だけ聞いていると「偽書」に聞こえて途端に胡乱に思えてしまうんだよなあリュウケンの顔とか久しぶりに見たな。あと、麒麟田村の訪れは吉兆なのかどうなのか
寒食散は魯迅の論文読む限り、かなり劇薬だったようですね。ガンギマリ魏晋南北朝・・・。
何気に、再興した王朝がかつてを超える繁栄を築いた稀有な例よね、北魏
朕もこうなるはずだったんやけどなぁ〜、一体朕の子孫のうち誰と誰がやらかしたんやろなぁ〜(怒髪衝冠)
アンドロニコス二世「まあパレオロゴス朝ルネサンスは到来したし、王朝自体も長続きしたからよくね(震え声)」
@@user-YJSP_810 まぁ政治的才能に乏しいにも関わらず力を振り絞って努力した皇帝ではあるんだけど、でもパレオロゴス朝ルネサンスは既にミカエル帝の時代から始まってたし(コンスタンティノープル大学再建とかキリストの有名な肖像とかね)、海軍解体とその後カタルーニャ傭兵使いこなせずに息子の共同皇帝が暗殺させるあたりのグダグダ感とか無駄に半世紀在位して最後は有能な孫に帝位奪われたりするあたりとか、ね(ニッコリ)
今回も動画を閲覧した者です。
今回は、北魏が【北魏】として成立する話なんですね。
何故、国号が【北魏】か前から気になっていましたが、統一王朝である後漢から曹操の魏【曹魏】が権力が禅譲され、自分達が【曹魏】の後継者である、という意味合いで号していたんですね。勉強になりました。
動武帝は国を強くする為に、対立する周辺諸国と戦争し領土や人的資源、物的資源を確保するだけでなく、これまでの漢民族の制度を取り入れて中央集権化したことは、評価に値ます。
しかし後半になると、始皇帝のように不老不死の薬【今回は寒食散。その効果から散歩の語源とされる】に頼ったり、変な制度を導入したりする等、歴史は繰り返すな、と思いました。
そんな動武帝が暗殺され、北魏は次の時代に突入しますが、次回の動画は、その内容のようですね。
楽しみにしております。
新型コロナやインフルエンザが猛威を振るう危ない時期ですが、投稿者さんにおかれましては、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、感謝感激ですッ!
疲弊して死にそうになっている時、心の励みになっています!!
外戚絶対潰すマン
始皇帝の冷徹さと、戦国時代の趙人と楚人の凶暴さ不遜さをジューサーにかけて錬成された物騒ジュースみたいなお人でしたなぁ
やはり賀氏が 母方の叔母にあたることは
カットしたか 気に入ったからって
自分の叔母にあたる女性を後宮に入れるなんて ガチでヤバイ人だよ
今見返してみたら、字幕の補足でちゃんと言及されてたで
この時代の皇帝達の中ではやったことはましでしかも有能なのは事実なので見られますね、兎角異常な皇帝が多い時代だったので。
隋や唐の律令制度の基礎を作ったのが北魏だと高校のとき世界史B習ったんだが😃
麒麟田村さんの華族は部族ネタが派生でありそう…
今も行われている遊牧民定住化政策はそんなに昔からあったのか!
「行いて得ざるものあらば、みな反りてこれを己に求む。行有不得者、皆反求諸己。」(孟子)なんて言葉が思い浮かびます。孟子は、愛情を示しても相手が喜ばなければ、自身が仁をもって相手に接したか反省すべきなんて言っている様ですね。私は勿論、聖人君主ではありませんが(笑)、拓跋珪は有能過ぎるあまり、自身を顧みる事が難しかったのか、孤独な人だったのかなと感じました。お話し面白かったです。
これで后妃のなり手がなくならなかったのが不思議・・・・・
11:42 東方ノルマ
北魏は魏書をメインで解説するのか…
太武帝の狂った活躍が見れるなw
聞いた話によると、太武帝が桃白白みたいに夫人の服に乗って城壁を飛び越えて攻略したとかなんとか
バーフバリ?
顔色が悪いとか、歩き方が変だとかで、すぐ人を殴ったっていうのは知ってたけど、一応薬物でおかしなっていたというちゃんと(?)した理由があったんや
次回は国史の獄ですかね??その次が文成文明皇后?
楽しみにしてます😀
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!
ご厚意、圧倒的感謝でございますッ!
道武帝、戦いに明け暮れた荒ぶる生涯でしたが、孫の太武帝も大概なんですよねぇ...。クソ強くてとにかく勝ちまくるのですが、やはり最期は部下?に殺害されてしまうという。
まずは猜疑心からだ・・・
さあ片手にビール!
中国史を楽しむ時間です!
こんばんは。鳥人間さんはスティービー・ワンダー好きなのかな?ラジオの深夜放送でよく聞いたなあ。
いやあ、今回はこらまた評価が難しい人出してきましたねえ。そこが鳥人間さんの鳥人間さんたる所以か。
何ともねえ。外戚の力をそぎたいっていう理由は分かるんだが貴子母死って制度は行き過ぎよねえ。
少し意味合いが違う感じになってしまうかもだが「画竜点睛を欠く」そのままズバリな人だなあ。貴子母死さえ唱えなければ永遠に紛うことなき英雄と讃えられたであろうに。
五胡十六国編シリーズの終り=南北朝時代編シリーズの始まりになる?
なんでこんなヤバい奴履いて捨てるように出てくるのか・・・😰
やべーやつ列伝でも珍しい名君まとめありがとうございます
史実の暴虐は割引しなければならないとは言うものの、このお方のエピソードも大概なんだよなぁ…
霊夢・・・歴史上の偉人なんてたいがいキャラ濃い人たちだよw
外戚を抑えるために子貴母死をやると、外戚の力を借りて宦官や宰相の力を抑えるというやり方が出来ないから、難しい。
出仕する外戚も宰相もその候補も部下も片っ端から宦官にするというウルトラCを敢行した南漢後主劉チョウ....
拓跋珪は基本的には恐ろしい面もあるが、普通に有能な君主だと思います。まあ、晩年はわけのわからん薬を飲んで頭がイカれてしまったのはどうかと思いますけど。
にしても、子貴母死制度は恐ろしすぎる…‼これ、拓跋珪との子を妊娠したけど、死にたくないから、こっそり堕胎した妃とかもいそう…。怖…!
『陛下の子を孕んだけど殺されるのは嫌なので逃亡したら逃亡先の王様に熱愛されちゃいました』
まさに卓抜?こんど17:47の美女の紹介もお願いします!
シャロン・テート?
@@seattleslew2332 ストーンかと思った(画面小さく目が悪いので間違いかも)
@@murkymurk8305
白黒だからテートかと思いました
ストーンは鳥さんの性格的にもないかと
蜀漢の跡継ぎ。劉淵の漢趙! 曹魏の跡継ぎ。拓跋珪の北魏! 孫呉「」
晋書の拓跋珪が祖父を捕らえたって話は、6歳の彼が祖父を捕らえたというのはあまりにも無理があるし、父親の方との誤記のように感じる。祖父を裏切り、苻堅に罰を受けたという意味では魏書と一致してるし。
中国の近代史とか気になるけど難しいのかな?
拓跋けいの息子達の話、是非共お願いします。
寒食散の材料らしき鉱物見てゾッとした。リアルガーある地点でもう…gkbr
重要人物のご紹介ありがとうございます。さぁ、この招待状をどうぞ。北魏の宮廷に豪壮な宴がございます。出される料理は餃子、饅頭、麺、飯、何でもござれ。そして麺を一品ご注文になられたお客様には、皇太子の生母の半チャーハンが無料でついてきます。おかわり無料、じゃんじゃん召し上がれ。また、麺のラインナップですが、チャーシューは全て処刑された皇太子の生母の肩から切り出したものです。饅頭やワンタン、餃子の餡も同様です。最たるものが皇太子の生母のてびちラーメンで、皇太子の母親の体を余さず食することにより。権力維持の犠牲とされた女性の遺体を美味しく頂いて弔うものです。皆様も振るって参加されよ
わーい、この宴をランカスター派への粛清のヒントにしよぉ〜っと❤
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!!
チャーシューは抜かなきゃ……チャーシューは抜かなきゃ……チャーシューは抜かなきゃ……
北魏の続き、楽しみにしています( 〃▽〃)🎵
美熟女の叔母を寝取るなんてリアルエロ漫画やん
(王猛+苻堅)÷2的な感じかな?
北魏~雲崗石窟のドキュメンタリー
愛と異端のシルクロードで子貴母死制度を知りました。
皇后は子供を産まず身分の低い女性に産ませて殺していたのです。
外戚と帝権のバランスは難しいですが
慣例化してしまった北魏は過激だと
思います。
興味深い動画で楽しめました。🐦
東晋も見たいなぁ
これでわりとヤバイ枠の中国史の奥深さ🤯
有能+狂人=暗殺される
後継者の問題や外戚の問題は、どこの王朝でも避けられないのね。日本も南北朝時代でゴタゴタしてたからな~。
西晋の崩壊によってが精神の崩壊によってに聞こえたwwwwwww
北魏。無惨な王朝だったが、残された仏像は中国の至宝。悲しいまでに美しい微笑みの仏像。
まってた
面白かったです。
ほとんど何もない状態から、援助を受け勢力を伸ばし、もともとの援助元も飲み込んでいく、というプロセスは、後のチンギスハンと似てると感じました。
軍事的才能に秀でた英雄はたくさんいますが、北方民族の部族制度を解体しつつ、漢人と共存するという華北領域を支配するシステムを確立したという点でも、偉大な政治家だったんですね。
享年39歳ということは、織田信長よりも太く短い人生。
子貴母〇制度は、外戚の影響力を排除するとともに、妻子の間で行われがちな後継者争いをけん制する意味もあったんでしょうね。
メンバーシップで寒食散を取り上げては如何?この時代南北で流行ったヤバいおくすり
(処刑を免れた馮太后は当たりだったのはおいておいて)子貴母死自体は胡太后のやらかし考えると北魏に限っては正解だったのかも…。
后妃を処刑する道武帝と、功臣を粛清しまくる太祖洪武帝 よりヤバイのどっち?
儒教的価値観があまり浸透してなかったからこそできる荒技が子貴母死
いや、遊牧民的にも母親殺しはアウト
入試やテストで覚えるのは孝文帝だけでいいはず🤔
もうそろそろ、国史の獄、やってください。
次はふうたいごうやりましょう
や、やっぴぃ?
2コメ
ありがとうございます!
多大なご支援……感謝感激雨霰でございますッ……!!
大ッ変!励みになります!!
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、恐悦至極に存じます……!!
ありがたや……ありがたや……!!