ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
フェルスタッペン親子が、ホンダとの関係が強かったのは胸熱ですね。
F-1に限らず『たられば』を熱く考察するのは嫌いじゃないです!
ハーベイさんの最後の名作でしたねRA109(BGP001)ときもそうですが、良いシャシーの時にGP走れないのはさびしいですね
思い出したけど、丁度"カラス"を作っていた同時期に飯田章氏が国際F3000に参戦を開始したんだよな。その経緯について「何でだろう」と突っかかってたんだけど、つい最近になってそれが"カラス"に基づいたオールホンダF1+日本人ドライバーでF1に出ようと策略を立てていた事が分かった。その日本人ドライバーとして当時20代前半でニスモからGT500に参戦しつつ、F3000、チーム国光からNSXでルマン等の耐久レースで活躍してた飯田章氏を選出。F1参戦させる為に国際F3000に参戦させた(当時の戦績面に於けるスーパーライセンス発給基準はある意味緩く、国際F3000ではF1開催サーキットを完走さえすればそれで発給基準をクリア出来た)。全10戦中9戦で完走、そのうちトップ10圏内2回と戦績的には問題は無かったけど、動画であった通り資金不足により"カラス"の開発がストップした事で章氏は日本に戻されたんだよな。それ以降チーム国光からNSXでGT500を戦ってたけど、ホンダに対して疑心暗鬼になってしまった(その後某自動車ビデオに出演してたのをホンダに咎められたのが決定打となり、トヨタに移籍)
社内有志で"カラス"をやっていた同時期にはNSXでルマンプロジェクトも活動していた(そのプロジェクトを率いていたのもハシケンこと橋本健氏)。ルマンプロジェクトは本来は5ヵ年計画で総合優勝を目指してたけど、R390やTS020みたいにCカー状態に独り歩きに拍車が掛かってしまい、「プロトカーでルマンやるぐらいなら、F1やろう」と"カラス"に注力する筈だったけど、資金が底をついてああいう形になってしまった…
ホンダがにシャシー開発に手間がかかっているのを見るとF1コンストラクターのレギュレーションに合わせた開発能力とか凄いんだと再認識できますね。
こういう見えない所で可能性を模索し闘っているエンジニア諸氏の理想と情熱にリスペクトを👍👍👍
最後にしっかりヨスパパさんの愛機が~👍👍👍👍👍👌どれも何故かジョーダンF1かレイナードF3000のような見た目に👍
タラレバは意味がないのは解っているのですが、考えてしまいますよね。ハーベイさんが亡くならなければ…。とか、ブラウンgpのエンジンがホンダだったらとか…。でも、ホンダはF1で成功したメーカーなのは間違いないです。
「カラス」(RC1.5X)はよく知っていたけど、他にもこんなにあったんだ。
RA099を設計したティム・デンシャムは後にルノーに移籍して099によく似たB200やアロンソの初優勝マシンR23、そしてタイトルマシンR25&26等設計しました。
フェルスタッペン家はホンダと数奇な運命の糸で結ばれているのかも。
RCプロジェクトは鈍重そう。これこそ童夢の協力が必要に思えた。RA099はヨスとパニスのコンビで見たかった。
1.5Xは94年のファン感謝祭で中嶋さんのドライブで走行しているのを見ました、直前に走らせていたティレル020と比較してもそんなに悪くない印象でした。2.0Xの実物は見た事ないですが、存在が公になる前の'97年末頃?のF1雑誌(多分F1グランプリ特集)でフェラーリ310Bに似た謎のホンダF1鈴鹿で極秘テストという記事を読んだ記憶がありますので完成後2000年代まで放置という訳では無さそうに思います。
大変興味深い動画でした!90年代の試行錯誤が、後のブラウンGPの活躍の布石になってゆくのでしょうかネ。あと、F1開発と同時にCARTではチップガナッシと組んでホンダは全盛期を迎えていて、その辺りの注力の仕方はホンダとして悩ましモノがあったのでしょうかネ…。
カラスは公開された当時を覚えているけれど、鈍重で戦闘力に欠けていそうだった印象。しかし、社内のプロジェクトとはいえ、参戦できるあてもないF1シャーシを製作するのに予算が付いていたとは。今のホンダからは考えられないですね。
財務部大変やで。監査納得させたり税務署納得させるためにはやっぱりF1出たり入ったりせざるを得ないな。撤退したままだとこう言うことはできない😅
当時はF1、ロボット、飛行機の研究については、予算があっても無いのと同じくらい研究開発費が使えたらしいです。今は、電動車関連はそうだと思います。
黒い車体❣️ AS誌で見たことあるなぁ。エンジンのみサプライヤする事になって、ちょっと残念だったけど、今となっては、それはそれでよかった。日本人F1ドライバが出てくる事も期待してたなぁ
YAMAHAフォーミュラ1やトヨタF1の挑戦も観たいです。
ホンダ社内の車体設計部門の不満が大きかったと聞いています。ホンダF1と聞くと誰しもがエンジンと答えるからだとか。車体設計部門がマシンだけだったらエンジン開発の半分の開発費で済むと言うことでマシン開発を立案したとか。カラスを発表した時に参戦した時にエンジンはどうするんだ?と言う質問に当時の社長がフォードから借りれば良い的な事を言っていたのが印象的でした。
社内のコドモたちのオモチャだね。例のカビがメタメタだったことから察するべき。
RCプロジェクトはどう転んでも作って走らせてみて終わり、っていうプロジェクトですね
ホンダがフェルスタッペンでテスト走行をしましたシャシーをホンダが開発しましたバトンとバリチェロのコンビの頃に経験が生きました
当時はマクラーレンのシャシーがホンダの足を引っ張っているなんて言われてました。MP4/4が傑作だっただけにチームもそこから革新的なシャシーを作れず、ホンダファンもやきもきしてましたね。それじゃあオールホンダなら‼️と意気込んだけど…トヨタみたいになった印象。シャシーはどこか保守的で、ニューウェイのようなデザインから遅れた感じでしたね。
プロジェクトXみたいで面白かったです😊ホンダも撤退してからいろいろあるんだな😅もしかしたら、また復活もあるかな?否定はしていたけど、して欲しいな😅
結局、やっていた事が中途半端だったのは変わりなかった。 F1の世界は甘いワケがあるわけない。
最早プロジェクトX並みの壮大さですね!
動画を見れば見るほど厳しい世界なんだなと思いました
鈴鹿のファン感謝デーで、走ってませんでしたか?違ってたらすいません。
当時f1雑誌を読んでいて、オールホンダで参戦することを期待していたのに、BARとか言う馴染みのないチーム(ジャック・ビルヌーブのマネージャーだったクレイグ・ポラックが率いるチームだったかな?)にエンジンを供給すると知った時は拍子抜けした記憶があります。
メス型とオス型って何が違うの?
@@aresama5942 説明ありがとうございます。
ありましたね。この話。
父タッペン
参戦しても、2000年代というメーカー間政治戦争全盛期にホンダはやる気を維持できたのかな?「技術以外に興味はない」っていっちゃうメーカーだし...ある意味BAR体制は技術だけでのびのびやれていたともいえる。
本田「技研」工業という社名は伊達では無いですね、
たしか?ハーベイポスレストの設計だったと思いますよ。その頃彼の?他界したと思います。
アップ主、さてはレーシングオン見てる?(憶測)
今の日本メーカーに、どうなるかわからないプロジェクトに予算を割かせるなんて無理なんだろうなぁ。それにしても、2.5期は運に見放されている感のするシーンが多い印象。どこかで何かが好転していたら試作マシンのどれかは日の目を見られたはず。
ふ
昔、当時のプロジェクトリ-ダ-、桜井さんがエンジン屋だけじゃない、シャーシ-屋だってF―1やりたいんだ💨そう言われて少し困ってます😅と🎵嬉しそうに語ってました😄彼らにも⤴️挑戦させてあげたいです💪✊☝️と目をキラキラ✨させて言ってたの😌思いだすなぁ~😂
楽しかったです!当時、オールホンダの車が速かったし周りは脅威を感じたでしょう……。しかもハーベイさんが居るとなったら……憶測中の憶測中の憶測ですが…ハーベイさんが○○された可能性を、私は何故か捨てきれません……。自分でも極端な見解だ…とは正直思います。けど、有り得るな…と思う自分が居ます。
フェルスタッペン親子が、ホンダとの関係が強かったのは胸熱ですね。
F-1に限らず『たられば』を熱く考察するのは嫌いじゃないです!
ハーベイさんの最後の名作でしたね
RA109(BGP001)ときもそうですが、良いシャシーの時にGP走れないのはさびしいですね
思い出したけど、丁度"カラス"を作っていた同時期に飯田章氏が国際F3000に参戦を開始したんだよな。その経緯について「何でだろう」と突っかかってたんだけど、つい最近になってそれが"カラス"に基づいたオールホンダF1+日本人ドライバーでF1に出ようと策略を立てていた事が分かった。その日本人ドライバーとして当時20代前半でニスモからGT500に参戦しつつ、F3000、チーム国光からNSXでルマン等の耐久レースで活躍してた飯田章氏を選出。F1参戦させる為に国際F3000に参戦させた(当時の戦績面に於けるスーパーライセンス発給基準はある意味緩く、国際F3000ではF1開催サーキットを完走さえすればそれで発給基準をクリア出来た)。全10戦中9戦で完走、そのうちトップ10圏内2回と戦績的には問題は無かったけど、動画であった通り資金不足により"カラス"の開発がストップした事で章氏は日本に戻されたんだよな。それ以降チーム国光からNSXでGT500を戦ってたけど、ホンダに対して疑心暗鬼になってしまった(その後某自動車ビデオに出演してたのをホンダに咎められたのが決定打となり、トヨタに移籍)
社内有志で"カラス"をやっていた同時期にはNSXでルマンプロジェクトも活動していた(そのプロジェクトを率いていたのもハシケンこと橋本健氏)。ルマンプロジェクトは本来は5ヵ年計画で総合優勝を目指してたけど、R390やTS020みたいにCカー状態に独り歩きに拍車が掛かってしまい、「プロトカーでルマンやるぐらいなら、F1やろう」と"カラス"に注力する筈だったけど、資金が底をついてああいう形になってしまった…
ホンダがにシャシー開発に手間がかかっているのを見るとF1コンストラクターのレギュレーションに合わせた開発能力とか凄いんだと再認識できますね。
こういう見えない所で可能性を模索し闘っているエンジニア諸氏の理想と情熱にリスペクトを👍👍👍
最後にしっかりヨスパパさんの愛機が~👍👍👍👍👍👌
どれも何故かジョーダンF1かレイナードF3000のような見た目に👍
タラレバは意味がないのは解っているのですが、考えてしまいますよね。ハーベイさんが亡くならなければ…。とか、ブラウンgpのエンジンがホンダだったらとか…。でも、ホンダはF1で成功したメーカーなのは間違いないです。
「カラス」(RC1.5X)はよく知っていたけど、他にもこんなにあったんだ。
RA099を設計したティム・デンシャムは後にルノーに移籍して099によく似たB200やアロンソの初優勝マシンR23、そしてタイトルマシンR25&26等設計しました。
フェルスタッペン家はホンダと数奇な運命の糸で結ばれているのかも。
RCプロジェクトは鈍重そう。
これこそ童夢の協力が必要に思えた。
RA099はヨスとパニスのコンビで見たかった。
1.5Xは94年のファン感謝祭で中嶋さんのドライブで走行しているのを見ました、直前に走らせていたティレル020と比較してもそんなに悪くない印象でした。
2.0Xの実物は見た事ないですが、存在が公になる前の'97年末頃?のF1雑誌(多分F1グランプリ特集)でフェラーリ310Bに似た謎のホンダF1鈴鹿で極秘テストという記事を読んだ記憶がありますので完成後2000年代まで放置という訳では無さそうに思います。
大変興味深い動画でした!90年代の試行錯誤が、後のブラウンGPの活躍の布石になってゆくのでしょうかネ。あと、F1開発と同時にCARTではチップガナッシと組んでホンダは全盛期を迎えていて、その辺りの注力の仕方はホンダとして悩ましモノがあったのでしょうかネ…。
カラスは公開された当時を覚えているけれど、鈍重で戦闘力に欠けていそうだった印象。しかし、社内のプロジェクトとはいえ、参戦できるあてもないF1シャーシを製作するのに予算が付いていたとは。今のホンダからは考えられないですね。
財務部大変やで。
監査納得させたり税務署納得させるためにはやっぱりF1出たり入ったりせざるを得ないな。
撤退したままだとこう言うことはできない😅
当時はF1、ロボット、飛行機の研究については、予算があっても無いのと同じくらい研究開発費が使えたらしいです。今は、電動車関連はそうだと思います。
黒い車体❣️ AS誌で見たことあるなぁ。
エンジンのみサプライヤする事になって、ちょっと残念だったけど、今となっては、それはそれでよかった。
日本人F1ドライバが出てくる事も期待してたなぁ
YAMAHAフォーミュラ1やトヨタF1の挑戦も観たいです。
ホンダ社内の車体設計部門の不満が大きかったと聞いています。ホンダF1と聞くと誰しもがエンジンと答えるからだとか。
車体設計部門がマシンだけだったらエンジン開発の半分の開発費で済むと言うことでマシン開発を立案したとか。
カラスを発表した時に参戦した時にエンジンはどうするんだ?と言う質問に当時の社長がフォードから借りれば良い的な事を言っていたのが印象的でした。
社内のコドモたちのオモチャだね。例のカビがメタメタだったことから察するべき。
RCプロジェクトはどう転んでも作って走らせてみて終わり、っていうプロジェクトですね
ホンダがフェルスタッペンでテスト走行をしましたシャシーをホンダが開発しましたバトンとバリチェロのコンビの頃に経験が生きました
当時はマクラーレンのシャシーがホンダの足を引っ張っているなんて言われてました。MP4/4が傑作だっただけにチームもそこから革新的なシャシーを作れず、ホンダファンもやきもきしてましたね。それじゃあオールホンダなら‼️と意気込んだけど…トヨタみたいになった印象。シャシーはどこか保守的で、ニューウェイのようなデザインから遅れた感じでしたね。
プロジェクトXみたいで面白かったです😊ホンダも撤退してからいろいろあるんだな😅もしかしたら、また復活もあるかな?否定はしていたけど、して欲しいな😅
結局、やっていた事が中途半端だったのは変わりなかった。 F1の世界は甘いワケがあるわけない。
最早プロジェクトX並みの壮大さですね!
動画を見れば見るほど厳しい世界なんだなと思いました
鈴鹿のファン感謝デーで、走ってませんでしたか?違ってたらすいません。
当時f1雑誌を読んでいて、オールホンダで参戦することを期待していたのに、BARとか言う馴染みのないチーム(ジャック・ビルヌーブのマネージャーだったクレイグ・ポラックが率いるチームだったかな?)にエンジンを供給すると知った時は拍子抜けした記憶があります。
メス型とオス型って何が違うの?
@@aresama5942
説明ありがとうございます。
ありましたね。この話。
父タッペン
参戦しても、2000年代というメーカー間政治戦争全盛期にホンダはやる気を維持できたのかな?「技術以外に興味はない」っていっちゃうメーカーだし...ある意味BAR体制は技術だけでのびのびやれていたともいえる。
本田「技研」工業という社名は伊達では無いですね、
たしか?ハーベイポスレストの設計だったと思いますよ。その頃彼の?他界したと思います。
アップ主、さてはレーシングオン見てる?
(憶測)
今の日本メーカーに、どうなるかわからないプロジェクトに予算を割かせるなんて無理なんだろうなぁ。
それにしても、2.5期は運に見放されている感のするシーンが多い印象。どこかで何かが好転していたら試作マシンのどれかは日の目を見られたはず。
ふ
昔、当時のプロジェクトリ-ダ-、桜井さんが
エンジン屋だけじゃない、シャーシ-屋だってF―1やりたいんだ💨
そう言われて少し困ってます😅と🎵嬉しそうに語ってました😄
彼らにも⤴️挑戦させてあげたいです💪✊☝️と
目をキラキラ✨させて言ってたの😌思いだすなぁ~😂
楽しかったです!
当時、オールホンダの車が速かったし周りは脅威を感じたでしょう……。しかもハーベイさんが居るとなったら……
憶測中の憶測中の憶測ですが…ハーベイさんが○○された可能性を、私は何故か捨てきれません……。自分でも極端な
見解だ…とは正直思います。
けど、有り得るな…と思う自分が居ます。