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船木さん、質問にお答え頂きましてありがとうございます。これからも、配信を楽しみにしています。
船木さんのチャンネル、作業中にずっと流しっぱなしにするのすごくいいんだよなぁ声、喋り方、内容 のすべてがすごくいい
映画「アイアンクロー」のお話ありがとうございます。私も公開間もなくで観てまいりました。私はフリッツさんの1966年の初参戦から試合をみています。ケリーさんとは同い年でSWSでの試合は生で観戦したこともあります。映画では触れませんでしたが末弟にクリスさんがいたのですよね。作品ではあえてそこまでは描かなかったのと思います。辛い内容ですが、エンディングのシーンと結婚式でのエリック兄弟、新婦のラインダンスシーンに救われました。
貴重なお話、素晴らしいですありがとうございます破壊王がケリーのかっこよさに嫉妬したってのは、何か、良いなあ
体型が違いますからねーケリーとはちなみにロッキー4のドラゴ役のオファーは最初はケリーにいったそうですでも親父フリッツが断らせたのか、表向きは自慢の長いカーリーヘアを切るのが嫌だったらからとなっています多分フリッツに断われと言われたんでしょうね
船木選手は、マイクフォンエリックが新日に来た時は海外遠征中だったのかな、自分は正月の後楽園ホールで生観戦しましたね、星野勘太郎とのシングルだったかな、試合内容はほとんど覚えてないけど、顔を真っ赤にしながらアイアンクローをしたのを覚えてますけどね
息子さんたちもレスラーになってますね👍️ただし、随分様変わりした今のプロレス業界では残念ながら目立つ存在にはなれそうにない感じだけど、もっと日本にも来てオーソドックススタイルで頑張って欲しい。ケビンも昨年末AEWに私服姿でサプライズ登場した時は、若い頃と変わらずシュッとしててお元気そうで、アイアンクローも披露して涙モノでした(笑)
映画の配給会社はこの動画を編集してオフィシャルHPで流させてもらうべきだと思うような内容ですね。船木選手がリングサイドや練習時に見たレジェンドレスラー達の情景や裏話はとても興味深いです。
おそらく試合前の会場だろうが、義足のケリーが新日の若手のスパーリングに参加していたというのはここで初めて出た話じゃないかと思う。そういった縁からなのか長男ケビンの息子が新日本にプロレス留学に来ていたという話もあった様な記憶がある。
ロスとマーシャルはNOAHでした。
船木さんは,1987年の1月にマイクが,1週間程来日して試合していたハズだけど…自殺する3ヶ月前だから,覚えてないと思います。そのシリーズには,藤波辰巳vs木村健吾の後楽園1試合興行や熊本旅館破壊やバンバン·ビガロ初来日に長州軍団復帰の話などリング内外に新日本プロレスらしい話題が豊富だったので,影の薄かったマイク·フォン·エリックの事は,記憶から消えていても,無理がないですね‼️
テレ東の世界のプロレスでは、ほぼエリック兄弟とフリーバーズの試合は花形でしたねマイクもデビッドが亡くなってからは露出が多くなり、あのハーリー・レイスと流血戦までやってましたよ映画ではちょっとMikeの演出が過剰でしたね。あんな映画みたいにヒョロヒョロじゃないし😅
声、無理されないで下さいね。エリックファミリーの悲惨な運命…絆が強すぎるのですかね~
映画、観ました。船木さんのお話で、深く復習できた気持ちです。
船木さんが、エリック兄弟をどうみているか興味はありました。1985年に初めて、ケビンとケリーが新日本プロレスのリングにあがった時、ファンの歓声が凄かったです。ケビンは真面目なテキサス人だったのですね。テキサスという土地は封建社会ですから、フリッツが息子たちに自分の後を継いでレスラーになれという気持ちは分かります。逆に、息子たちも、フリッツがあれ程の観客の前で、華やかに活躍してましたから、自分たちもレスラーになるかという意思は強かったと思います。本当に、フリッツや他のレスラーから、プロレスラーになる訓練に耐えられなかったでしょう。フリッツの奥さんは自分の息子たちの悩みやグチをいうのは許さない人だったのですね。船木さんが言う、彼女が命づなになれなかったのは本人の性格や土地柄にあると思います。日本では、父親が厳しく言っても、母親が優しく慰めて、子供を成長させる形です。ケリーはスター性があり、よく出来た人間だったようですね。日本人の記者にも、アメリカで配慮していたと聞きました。最後に、船木さんが「生きるとは闘いことだ」という言葉は、その通りですね。私もアラフィフになって、例え仕事が上手くいっても、家族に恵まれても、自分自身の苦悩はあるものですね。1日も長く生きたい。これは人間の本能かもしれませんね。素晴らしいお話をありがとうございました。
わたしは個人的にケリーより、やはりデビッドの方がプロレスセンスあったと思います兄弟と対戦経験のあるリック・フレアーも伝記では、デビッドが一番才能があったと語っています小学生の頃、全日本プロレス時代の試合はデビッドが一番光っていましたし大ファンでした。UN選手権が幻となり凄いショックだったのを覚えていますあと、リング上で比較的ドタバタしていたのはケビンではなくケリーですよねあれは彼のムーブ上のクセと味だと思っていましたむしろケビンは元々体操選手だったのでぴょんぴょん軽やかに跳ねてた印象
船木さんは、岩谷麻優さんをモデルにした家出レスラーを観に行きましたか?自分は予定が合わず観れませんでしたが観たならどうでしたか?
…………
カブキの動画見てみると分かるけど、ケリーがバイク事故起こしたのは○○○やってたらしい。
あの頃のテキサステリトリーはドラッグ汚染が酷く、エリック兄弟でもケビン意外は全員やってたそうです。他の選手たちもやってて決して珍しくはなかった時代でした日本未発売のエリック一族のドキュメンタリーDVDを持っていますが、当時のマネージャー、ゲイリー・ハートも証言しています当然日本で亡くなったデビッドも然りですフレアーも一番認めていた逸材で才能があったので本当に惜しい選手でした🙏🥲
船木さんの毛量が羨ましいです✨
船木さん、質問にお答え頂きまして
ありがとうございます。
これからも、配信を楽しみにしています。
船木さんのチャンネル、作業中にずっと流しっぱなしにするのすごくいいんだよなぁ
声、喋り方、内容 のすべてがすごくいい
映画「アイアンクロー」のお話ありがとうございます。私も公開間もなくで観てまいりました。
私はフリッツさんの1966年の初参戦から試合をみています。ケリーさんとは同い年でSWSでの試合は生で観戦したこともあります。
映画では触れませんでしたが末弟にクリスさんがいたのですよね。作品ではあえてそこまでは描かなかったのと思います。
辛い内容ですが、エンディングのシーンと結婚式でのエリック兄弟、新婦のラインダンスシーンに救われました。
貴重なお話、素晴らしいです
ありがとうございます
破壊王がケリーのかっこよさに嫉妬したってのは、何か、良いなあ
体型が違いますからねーケリーとは
ちなみにロッキー4のドラゴ役のオファーは最初はケリーにいったそうです
でも親父フリッツが断らせたのか、表向きは自慢の長いカーリーヘアを切るのが嫌だったらからとなっています
多分フリッツに断われと言われたんでしょうね
船木選手は、マイクフォンエリックが新日に来た時は海外遠征中だったのかな、自分は正月の後楽園ホールで生観戦しましたね、星野勘太郎とのシングルだったかな、試合内容はほとんど覚えてないけど、顔を真っ赤にしながらアイアンクローをしたのを覚えてますけどね
息子さんたちもレスラーになってますね👍️ただし、随分様変わりした今のプロレス業界では残念ながら目立つ存在にはなれそうにない感じだけど、もっと日本にも来てオーソドックススタイルで頑張って欲しい。ケビンも昨年末AEWに私服姿でサプライズ登場した時は、若い頃と変わらずシュッとしててお元気そうで、アイアンクローも披露して涙モノでした(笑)
映画の配給会社はこの動画を編集してオフィシャルHPで流させてもらうべきだと思うような内容ですね。
船木選手がリングサイドや練習時に見たレジェンドレスラー達の情景や裏話はとても興味深いです。
おそらく試合前の会場だろうが、義足のケリーが新日の若手のスパーリングに参加していたというのはここで初めて出た話じゃないかと思う。そういった縁からなのか長男ケビンの息子が新日本にプロレス留学に来ていたという話もあった様な記憶がある。
ロスとマーシャルはNOAHでした。
船木さんは,1987年の1月にマイクが,1週間程来日して試合していたハズだけど…自殺する3ヶ月前だから,覚えてないと思います。そのシリーズには,藤波辰巳vs木村健吾の後楽園1試合興行や熊本旅館破壊やバンバン·ビガロ初来日に長州軍団復帰の話などリング内外に新日本プロレスらしい話題が豊富だったので,影の薄かったマイク·フォン·エリックの事は,記憶から消えていても,無理がないですね‼️
テレ東の世界のプロレスでは、ほぼエリック兄弟とフリーバーズの試合は花形でしたね
マイクもデビッドが亡くなってからは露出が多くなり、あのハーリー・レイスと流血戦までやってましたよ
映画ではちょっとMikeの演出が過剰でしたね。あんな映画みたいにヒョロヒョロじゃないし😅
声、無理されないで下さいね。エリックファミリーの悲惨な運命…絆が強すぎるのですかね~
映画、観ました。
船木さんのお話で、深く復習できた気持ちです。
船木さんが、エリック兄弟をどうみているか興味はありました。
1985年に初めて、ケビンとケリーが新日本プロレスのリングにあがった時、ファンの歓声が凄かったです。
ケビンは真面目なテキサス人だったのですね。テキサスという土地は封建社会ですから、フリッツが息子たちに自分の後を継いでレスラーになれという気持ちは分かります。
逆に、息子たちも、フリッツがあれ程の観客の前で、華やかに活躍してましたから、自分たちもレスラーになるかという意思は強かったと思います。本当に、フリッツや他のレスラーから、プロレスラーになる訓練に耐えられなかったでしょう。
フリッツの奥さんは自分の息子たちの悩みやグチをいうのは許さない人だったのですね。
船木さんが言う、彼女が命づなになれなかったのは本人の性格や土地柄にあると思います。
日本では、父親が厳しく言っても、母親が優しく慰めて、子供を成長させる形です。
ケリーはスター性があり、よく出来た人間だったようですね。日本人の記者にも、アメリカで配慮していたと聞きました。
最後に、船木さんが「生きるとは闘いことだ」という言葉は、その通りですね。
私もアラフィフになって、例え仕事が上手くいっても、家族に恵まれても、自分自身の苦悩はあるものですね。1日も長く生きたい。これは人間の本能かもしれませんね。
素晴らしいお話をありがとうございました。
わたしは個人的にケリーより、やはりデビッドの方がプロレスセンスあったと思います
兄弟と対戦経験のあるリック・フレアーも伝記では、デビッドが一番才能があったと語っています
小学生の頃、全日本プロレス時代の試合はデビッドが一番光っていましたし大ファンでした。UN選手権が幻となり凄いショックだったのを覚えています
あと、リング上で比較的ドタバタしていたのはケビンではなくケリーですよね
あれは彼のムーブ上のクセと味だと思っていました
むしろケビンは元々体操選手だったのでぴょんぴょん軽やかに跳ねてた印象
船木さんは、岩谷麻優さんをモデルにした家出レスラーを観に行きましたか?自分は予定が合わず観れませんでしたが観たならどうでしたか?
…………
カブキの動画見てみると分かるけど、ケリーがバイク事故起こしたのは○○○やってたらしい。
あの頃のテキサステリトリーはドラッグ汚染が酷く、エリック兄弟でもケビン意外は全員やってたそうです。他の選手たちもやってて決して珍しくはなかった時代でした
日本未発売のエリック一族のドキュメンタリーDVDを持っていますが、当時のマネージャー、ゲイリー・ハートも証言しています
当然日本で亡くなったデビッドも然りです
フレアーも一番認めていた逸材で才能があったので本当に惜しい選手でした🙏🥲
船木さんの毛量が羨ましいです✨