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今回も最高に面白いです最後まで一気に楽しめました主の視座の高さと独自視点の鋭さが圧倒的で、どんどん引き込まれます創作意欲のピークと収入のピークにはズレがありモチベーションを保つのは大変だと思いますが主の更なる創作活動を願ってやみません
本当にいつもありがとうございます。ただただお礼しか言えませんが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。リクエストなどもいただければと思いますので、これからも応援よろしくお願いいたします。
私も宮永さんと同年代ですが、80年代には時代遅れで貧弱な戦車という印象がありました。けれども、90年代に実物を見て、真正面から砲塔を見たときに、その究極の被弾経始ともいえるような鋭いラインに心奪われましたね。車内の狭さには閉口しましたが。あの砲塔、ふつうに考えたら3人乗り砲塔とは思えないですよね。
ありがとうございます!
こちらこそ、Super Thanks大感謝です。期待に応えられるよう、更新頑張ります。重ねてありがとうございました。
稼働状態での74式の博物館での展示、実現できればいいですね。走行しなくても油圧での車体制御だけでも動くところが見られればと期待します。
昔、地元にあった駐屯地の基地祭で載せてもらったことを思い出しました。自分がメカものに興味を持ったのはそれがきっかけだったのかなぁと思うと、さまざまな人に技術を知ってもらう展示なんかができれば未来の技術者にいい刺激になりそうですね。
御殿場には、駒門、板妻、滝ケ原の3駐屯地があり、子供の頃は、各駐屯地で開催される自衛隊のお祭りに通っていたのを思い出します。最新鋭の戦車だった74式と、60式無反動砲が並んで展示されていて座らせてもらって写真を撮ったりしていました。子供の頃によく見ていた装備品が少しずつなくなっていくのは寂しいですね。防衛技術博物館が無事に完成して展示された装備品に会える日を楽しみにしております。
74戦車は足回りが弱くよく油圧式のけんが装置から油漏れが発生してました。おそらく動的展示をしようとすると維持管理にかなりのお金がかかると思いました。軍事に興味ない人がほとんどの国にこれを管理できるか?と考えると難しいと思いました。モニュメント的に各地の公園に置くのはありと思うのですが。
海外にはガワだけでしょうね。国内で技術遺産として残すなら動的状態を維持し続ける意味はあると思います。
返信感謝です。できれば、国家が主体となって一つだけでもいいので旧軍からの軍事技術の流れを説明できる博物館的な物があればいいのですが。全てみんな忘れていますが、明治以降の国民の税金で作られた技術なんで過去の技術といえど後世に伝えて顕彰することが先輩達の苦労を労わることに繋がると思うのです。この考えは古来から続く祖霊信仰に繋がる考えと信ずるものです。無駄ではありません。
19:42 10年前、宮永先生と土浦のチヌを見たときに某アニメの登場シーンとほとんど同じだったことに感動したと同時に、敗戦など紆余曲折があったとはいえ、こんなメモリアルな車両すらこの有り様なのかと非常に複雑な心境になったことは今でも覚えています。不勉強で恐縮ですが、このような活動(創る会)が行われている事をこの動画で知りました。こちらの活動についてもいずれ動画にされるんでしょうか。
兵庫の駐屯地で動画内に出てくる74式の体験搭乗させてもらった事あります。乗り心地の正直な感想は幼い頃近所のおじさんに乗せてもらったユンボでした笑
元中の人です。74式で機甲科隊員の基礎を学んだので思い入れがありますね。退役は寂しいですが、半世紀にわたって陸自を支えた事実は色褪せることはないかと。
おお、それはお疲れ様でした。私も工科学校合格だったのですが、目の病気があり入隊叶わずでした。入学していたらどんな人生だったのか、この戦車を見るたびに考えちゃいますね。
@@tadamasa_miyanaga 自分も工科学校は合格したのですが、両親の「せめて高校くらいは地元の公立で」というよくわからない理由で入校辞退。高卒後、一般陸曹候補学生課程に進み、駒門にて後期教育を受けました。74式には強烈にノスタルジーを刺激されます。
ご両親の気持ちもわからなくはないですが、もしかすると同じ釜の飯を食べていた人生だったかもですね。
@@tadamasa_miyanaga 貴官の略歴から鑑みるに、うるさ型の教官として絡んでたかもしれませんね(笑)
私は千葉市在住だったんですが、26年前後前の正月明けに北関東の実家から深夜帰省の国道16号線で、トレーラーで移動中の74式に遭遇したことがあります。習志野空挺団の降下始めの式典に参加するためだったようですね!
子供の頃90式が出てきた時代に、そういうバケットでの74式の体験搭乗イベントで乗せてもらいました。戦車の旋回時に振り落とされないようにしがみついていた記憶があります。砲塔の滑らかな曲線部分が美しく、私の中では一番好きな戦車でした。前半の解説で、74式を通じて国の事情にあった戦車という、兵器だけでない国防の一端が聞けた気がしました。
桂駐屯地南西側敷地の手が届きそうな距離に展示されています。阪急高架下に照準をあわせているようです。ちなみに油圧がぬけるのか?床下に下駄が噛ませてるようです。
子供の頃、史上最も美しい戦車は一位がⅤ号戦車パンター、二位が74式だと思っていました。今もそれは変わっていませんw
完全主観の美しい戦車TOP5とかやってみたいですね。
「バトルオーバー北海道」を思い出した。と、いま調べたら、74式戦車改リアクティブアーマー[バトルオーバー北海道Ver.]って模型化されてたw
砲塔懸架装置、及び駐退機と砲身(厳密には射撃管制装置毎)だけを取り除いて輸送すれば法律には引っ掛からない。防盾は着けといた方が良心的。
でっかいサーチライトがついてるゴテゴテしいの方がカッコいいな。流麗なボディーに低く構えた車体。美しさは世界一の性能を持った戦車だと思う。瀟洒な車体にいろいろ機能をつけてまるで80年代の日本車みたいな戦車だと思う。
戦後版一式中戦車だな。出てきた時点で火力、防御力が世界水準に満たない。敵戦車の側面を狙えば勝機ありとか、待ち伏せ攻撃なら有用とか、旧軍の苦闘を思い起させる。
砂利道もまあそうなんだけど、戦闘となると一列に並んで戦うわけにもいかない。必然的に全国に広がる水田が戦場になるのだけど、これに水を入れればそのまま泥濘なんですね。灌漑設備の充実した日本の国土は、攻めてくる敵に泥濘での戦いを強いる事が出来る。お百姓さんに配慮して橋梁云々言ってるけど、日本の戦車は何より泥濘での戦いが出来ないと話にならない。これが出来る74は、その機動において圧倒的なアドバンテージを持っていたと思います。雨の日の総火演でドリフトする74を見た実感としてもそう思うんですね。総火演は是非雨の日に見て欲しい、これぞ戦車!と言う姿が見れます。
補足ありがとうございます。なんか先のネタを説明されてしまいました😓 でも都市生活者が多数派になった今の日本人には水田の特殊性とか伝わりにくいですね。
@@tadamasa_miyanaga いつも動画興味深く拝見しています。まさか返事がいただけるとは思わず、感激の至りです。乗り手の腕なのか、戦車の性能なのか判りませんが、演習で見た74って泥で横滑りしながらカウンターとか当てないんですよね。オーバーステアしない。戦車に乗った事無いので判らないんですが、これって凄い事なんじゃないでしょうか。ああみえて実は74って滅茶苦茶攻撃的な兵器なんじゃないかと思ってます。
こういうのは戦車兵だった伊藤先生に伺いたいところです。
74戦車もハマります。水田なんていけたものではありません(特に水が入った田んぼ)基本、転輪の三分の1が埋まれば危険でかなりの確率でハマります。38トンありますし、弾薬やら燃料やら積むとさらに重くなりますゆえ。ハマった場合、無理せず高姿勢にして一度下がり脱出したりできなければ他の戦車で牽引したり、戦車回収車での回収となります。無理すると履帯切れたり、さらに埋まって難度が上がります。自分が聞いた話だと、泥濘地(赤土)に進入してハマり、それを助けに入った戦車もハマり、さらに助け(以下同文)で一個小隊全滅したこともあったとか。それでも90以降の戦車よりはまり難い戦車だったとか(重くかつ高出力で地面を掘り込みやすく、履帯の形状変化で噛み込みにくくなったそうで)
@@研究軍事-f2w なるほど、程度の問題と言う事ですね。自動車でもスタックするときはしますからね。
用途廃止になった車両は展示するにもエンジン抜かないとダメなルールあったような
実現のハードルは高いです。
姿勢制御装置は田んぼを走破出来るためってのが大きかったんだよね。確かに上下左右に傾斜地を利用した射撃にも有効だったんだけど、より重要なのは重量当たりの設置面積を増やす事により走破性性を高める事であった。ウクライナ戦争でも、泥濘期での戦車の走破性をが問題となったよね。田んぼもそうだし、雨量が多い我が国では路上が泥濘化する事が想定された。ああ、チャンネル主の言うとおり今の若い人はしらんだろうけど、都市や都市近郊ですら970年代は舗装化されてなかったしね。あと左右の制御については、当時の射撃統制装置がカバー出来なかったと聞くね。なお、93式APFSDSならT-72より上を喰えると陸自の幹部がインタビューに答えているよ。何年か前、74式と共同訓練をした米軍もまだ使える戦車と評価していたしね。
80年代に幹部だった方の書いた本だと弾薬の威力に不安があったみたいですね。
第三世代移行期、戦車の重防備化が著しかったですから、陸自戦車にはもっともしんどい時代だったように思います。
確か戦車不足からモスボール保存すると聞いた気がしました。
アメリカの演習場に持っていった時に74式の姿勢制御を米陸軍の戦車乗りに見せたら大喜びしてる動画があったような。
ご存知でしょうが旧軍の戦車だと茨城県の阿見町の自衛隊武器学校に展示されていて見学出来ますね。昔、行きました。事前申込みが必要でしたが。稼働可能な自衛隊の戦車の展示、実現出来るといいですね♡
三式中戦車の中に入れていただいたことがあります。
非ミリ・ライトミリ界隈の人に、「ソ連の海軍力・海上輸送力では日本(北海道)侵攻は非常に困難」論は、なかなか理解が得られません。解せん。ボービントンに74式が展示される・・・。夢の様だ。ボービントンに及ばずとも日本国内に展示出来る場が作られるなら、もう素晴らしいとしか。
もはやソ連も歴史になってしまいましたからね。
おっしゃる通り、当時は「ソ連の戦車と比べて非力だよな」と思ってましたが、同時に「でもカッコイイ!」とも思ってました。そういえば私は完全に61式世代ですね(笑
ラインメタルの120mm滑腔砲、当事者でもないのに恋焦がれていました笑
存在するだけで猪木が有った幸せな兵器・その余生の過ごし方としての博物館は大賛成だ!
怪獣と戦うのは自衛隊の伝統ですからまだまだ頑張るよ。同じGでも回転して口から火を吹いて空飛ぶ方は味方だから撃ってはダメよ。
ぼくらの七日間戦争2: 待ってます♡
那須に個人で運営されている?軍事博物館がありますが規模や展示の質がいまいち。本格的な軍事博物館欲しいですね。
その時々の最先端工業技術の結晶として、兵器も民生品もどちらも等しく貴重な価値を有してますよね。私も、61TKや74TKもYS-11やT-1やF-1などの国産プロダクトと同じく歴史的意味と価値を持っていると思います。退役した彼らは自衛隊という国防組織から離れたミュージアムで余生を送らせてやりたい、そうあるべき。あぁ、そういえば海自の護衛艦も何か一隻くらい内部見学可能な保存艦が欲しい気もしますね。ゆき型かかぜ型辺りで…無理ですかねぇ?
砲塔を撤去して突撃砲に
70年代は、ソ連戦車の情報は、全くと言って入ってきていませんでした。不鮮明な写真が数枚あるだけで、T-64は生産数の少ない、謎戦車という事くらいしかわかっていなかったのです。T-64戦車は、ハイテク戦車だったこと、ハイテクすぎて、実用性が低かった事、などがわかるのは、冷戦が終わってからのことです。
戦車の博物館は必要ですよね。自衛官の確保の為にも、公報活動の為にも。身近に自衛隊を感じてもらえる体験型イベントを実施する常設の博物館があれば良いのにとは思います。現在、民間で95式軽戦車を目玉に常設博物館を運営開始していますが。防衛省と連係した第三セクター的な体感と体験ができる運営組織になれば良いのにと常に思います。74式や90式の退役車両を貸与する形にして、元自衛官ないしは、現職の自衛官の出向なんかできないものでしょうか?。警察の様に、民間人参加形のイベントが開催できる組織ができれば最高なんだけどねぇ(貴重な車両の維持費は発生するので、入場料は必要ですけど)。何とかならんかなぁ。
日本が世界水準の74式戦車を開発した時には、その世界水準が上がっていたんですよね。だから配備された時には性能不足の戦車になってたと。
90式で世界水準に追いつきましたが、今度は冷戦が終わり、国防の枠組みが変わってしまいましたから、軍備は本当に難しいですね。
@@tadamasa_miyanaga さん 本当に難しいと思います。旧軍時代から現代まで日本の軍事関係者は、お役所的に限られた予算で世界の軍事を調べて対応する事を基本にして来ましたので、千変万化する軍事のあり方に柔軟に対応できず遅れる事の繰り返しですね。ただ、戦前は技術の遅れが特に足を引っ張ってましたが、現代は予算を牛耳る連中が足を引っ張ってる違いはありますが。それでも戦前も戦後も日本の軍事関係者に不足気味なのが、「戦闘の様相は自ら形作る」という強いコンセプトに基づく独創性と変化に直ぐ対応できる柔軟性ですかね。
戦車に限らずメカは何でもそうですが、屋内で保管して欲しいですね。最低でも屋根の下
27:00生きてる74式にまた会える? それ良いですね。
ぜひ実現したいです。
うーーん カッコいいですなぁ
なんかもったいないんだよな。ブルーインパルスみたいに、デモチームとして、動く車両を存続させてほしい。
何もしないと、順次、輪切りにされて溶鉱炉送りですからね。なんとか食い止めたいです。
乗員数4名(5名)ではないでしょうか?エンジンの調子が良くない個体が多かったこの戦車には機関員と呼ばれる乗員が乗り込んでいたと聞きます。
定数ということで。
それは多分、テスト時の業者の人では?通常部隊配置時にそのような運用されたのは演習時審判が乗っていたとの情報ありますので。
@@研究軍事-f2w 実際業務で乗っていた方が申しておりましたし、その方は1971年生まれですのでテストで乗るなら一~ニ歳頃ということになりますが?某有名ゲームデザイナーさんで、ソ連戦車の詳細な資料を熟読しているような戦車に対する愛が深い方ですし、除隊後も現役自衛官の皆さんと図上演習などで交流を欠かしていないような人物ですので、嘘をついてまで74式を貶めるマネはしないと思います。
@@daisukesugio5623 なるほど。その方が実際に乗られていたら若くて18歳くらいですから、1989年〜からですか。74戦車は、砲塔内が61戦車より狭くとても3名以上乗れるスペースはありません。無論、大砲の真後ろや機関銃の真下なら乗れるスペースはありますが通常そのようなところに人は乗せません。大変危険ですので。砲塔内の映像がTH-camに流れてます(確か9戦車の74戦車が廃止に伴う映像だったと思います)それをご確認ください。他には操縦席しかなく(1人しか乗れません)他に乗れるスペースはありません(砲塔にしがみついていたら別ですが)ただ、昔は戦車の砲塔にしがみついて審判したり安全点検とかされていたと聞いてますし、操縦錬成時操縦席のすぐそばの外に腰掛け指導していたそうです(共に死亡事故が発生して現在は禁止)。そのような人がいたかもしれませんね。
戦車のこういうメカ的な話より、戦車がどのように使われどんな運用や具体的な体験談を話してくれないと、正直50年分同じような話ばかりで聞き飽きています。50年分74式戦車の歴史分いろんなエピソードがあるのです。私は北方の機甲師団の戦車連隊時代と戦車大隊、と独立戦車中隊で74式戦車に乗りましたが、部隊で同じ戦車を使っていても創意工夫や運用でまるで違っていた。戦車乗りの言葉は一般で出回っている戦車用語とも違いそういう話とか今度してくれると嬉しいです。
ご意見いただきありがとございます。74式については、元乗員や自衛官、現役カメラマンなどが、それこそ体験に基づく動画をいくつも上げているので、中の人であったことは無い私が言ってもあまり乗れない内容になってしまうかと思い、遠慮しています。多分、この方針は変わらないと思います。
アメリカでもロシアでも、使命を終えた兵器は解体されず、mothball されて居て、万一の際に再び戦力として再装備されるのが常識化されて居ます。日本ではこの優秀な戦車をどう処理する積りなのでしょうか。
基本は溶鉱炉行とうかがっています。
@@tadamasa_miyanaga 防衛省にしても、全く役人たちは何を学び何を考えて居るのやら、現実を理解出来な愚か者の集団にしか見えません。悲しい現実ですね。
@@かずたけ-y2z んで実際74式を保管するとなって有事の際に出すとなったら、こんな旧式に自衛官を乗せるなんて現実を理解出来ない愚か者と言われると。
まぁレオ1も引っ張り出されてますから、古いなりの使い方を考えれば。それ以前に動かす技術を持つ現役の確保の方が大問題かなと思います。
@@本間新一-r9r 最新式の戦車や装甲車が余る程配備されて居れば、それは正しいと言えますが、予算が限られ、必要な装備も限られて居る以上、身体ひとつで竹やり持って戦えなんて言う事に成りかねない現実が有ります。古くても、戦車は相手の歩兵や機械化部隊には脅威に成り得ます。多少古かろうが、最新式で無かろうが、時と場所を選んで投入すれば十分な戦力に成り得るのです。要は使いようなのです。あの金持ち大国のアメリカですら古く成った兵器は保存して居ますし、ロシアは在庫放出セールとばかりウクライナで、ロシア国内にこれまで保存して居た古い兵器をを前線に投入しています。このロシアの行動には新しい兵器が底をついたからとか言う輩がいますが、現在生産して居る兵器が前線に出てきて居無い現実を見ると、消耗戦を見据えてあえて在庫分を使って居ると見る事も出来ます。日本は狭い国なので、侵略されてから兵器を生産して賄える国では有りません。十分に使えるものを用意しておいて、初戦で侵略者の軍隊を撃退して、相手の野心を砕くか、平時から装備を見せつけて、侵略の野心を砕くしか無い国だと言う事を念頭に置いておく必要が有るのです。
イスラエル🇮🇱みたいに、改造し尽くすなんてことは、やらないんですかね?
ほとんどいじる前に、退役してしまいましたね。イスラエルほど切羽詰まった事情もないということかもしれません。
第三国に鉄くずとして売却をしその国がウクライナヘ売却整備に問題あろうが固定大砲として前線防衛砲台として活躍して最後の一花咲かせてあげたい
現代戦だと固定砲台はただの的だぜ、10000メートルでの着弾誤差が30センチ以内と言うのが現代の自走砲の性能。
74式戦車までは機械工学(精神主義)の集約品であった。しかし、90式戦車や10式戦車からは電子・電気工学(成果主義)の集約品である🇯🇵しかし、その機械工学(精神主義)の血統を引いているのが16式機動戦闘車である。
轟音を張り上げて50年🇯🇵先般の61式戦車同様、これまで一度も戦禍を味わうコトなく現役を生き続けた天下泰平な戦車だ✌️
日本の戦車って武器ではなく職人たちが汗水流して作り上げた“芸術品”だよ🇯🇵✌️
今回も最高に面白いです
最後まで一気に楽しめました
主の視座の高さと独自視点の鋭さが圧倒的で、どんどん引き込まれます
創作意欲のピークと収入のピークにはズレがありモチベーションを保つのは大変だと思いますが
主の更なる創作活動を願ってやみません
本当にいつもありがとうございます。ただただお礼しか言えませんが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
リクエストなどもいただければと思いますので、これからも応援よろしくお願いいたします。
私も宮永さんと同年代ですが、80年代には時代遅れで貧弱な戦車という印象がありました。けれども、90年代に実物を見て、真正面から砲塔を見たときに、その究極の被弾経始ともいえるような鋭いラインに心奪われましたね。車内の狭さには閉口しましたが。あの砲塔、ふつうに考えたら3人乗り砲塔とは思えないですよね。
ありがとうございます!
こちらこそ、Super Thanks大感謝です。期待に応えられるよう、更新頑張ります。重ねてありがとうございました。
稼働状態での74式の博物館での展示、実現できればいいですね。
走行しなくても油圧での車体制御だけでも動くところが見られればと期待します。
昔、地元にあった駐屯地の基地祭で載せてもらったことを思い出しました。
自分がメカものに興味を持ったのはそれがきっかけだったのかなぁと思うと、
さまざまな人に技術を知ってもらう展示なんかができれば未来の技術者にいい刺激になりそうですね。
御殿場には、駒門、板妻、滝ケ原の3駐屯地があり、子供の頃は、各駐屯地で開催される自衛隊のお祭りに通っていたのを思い出します。最新鋭の戦車だった74式と、60式無反動砲が並んで展示されていて座らせてもらって写真を撮ったりしていました。子供の頃によく見ていた装備品が少しずつなくなっていくのは寂しいですね。防衛技術博物館が無事に完成して展示された装備品に会える日を楽しみにしております。
74戦車は足回りが弱くよく油圧式のけんが装置から油漏れが発生してました。
おそらく動的展示をしようとすると維持管理にかなりのお金がかかると思いました。軍事に興味ない人がほとんどの国にこれを管理できるか?と考えると難しいと思いました。
モニュメント的に各地の公園に置くのはありと思うのですが。
海外にはガワだけでしょうね。国内で技術遺産として残すなら動的状態を維持し続ける意味はあると思います。
返信感謝です。
できれば、国家が主体となって一つだけでもいいので旧軍からの軍事技術の流れを説明できる博物館的な物があればいいのですが。全てみんな忘れていますが、明治以降の国民の税金で作られた技術なんで過去の技術といえど後世に伝えて顕彰することが先輩達の苦労を労わることに繋がると思うのです。
この考えは古来から続く祖霊信仰に繋がる考えと信ずるものです。無駄ではありません。
19:42 10年前、宮永先生と土浦のチヌを見たときに某アニメの登場シーンとほとんど同じだったことに感動したと同時に、敗戦など紆余曲折があったとはいえ、こんなメモリアルな車両すらこの有り様なのかと非常に複雑な心境になったことは今でも覚えています。不勉強で恐縮ですが、このような活動(創る会)が行われている事をこの動画で知りました。こちらの活動についてもいずれ動画にされるんでしょうか。
兵庫の駐屯地で動画内に出てくる74式の体験搭乗させてもらった事あります。
乗り心地の正直な感想は幼い頃近所のおじさんに乗せてもらったユンボでした笑
元中の人です。74式で機甲科隊員の基礎を学んだので思い入れがありますね。
退役は寂しいですが、半世紀にわたって陸自を支えた事実は色褪せることはないかと。
おお、それはお疲れ様でした。私も工科学校合格だったのですが、目の病気があり入隊叶わずでした。入学していたらどんな人生だったのか、この戦車を見るたびに考えちゃいますね。
@@tadamasa_miyanaga 自分も工科学校は合格したのですが、両親の「せめて高校くらいは地元の公立で」というよくわからない理由で入校辞退。
高卒後、一般陸曹候補学生課程に進み、駒門にて後期教育を受けました。
74式には強烈にノスタルジーを刺激されます。
ご両親の気持ちもわからなくはないですが、もしかすると同じ釜の飯を食べていた人生だったかもですね。
@@tadamasa_miyanaga 貴官の略歴から鑑みるに、うるさ型の教官として絡んでたかもしれませんね(笑)
私は千葉市在住だったんですが、26年前後前の正月明けに北関東の実家から深夜帰省の国道16号線で、トレーラーで移動中の74式に遭遇したことがあります。
習志野空挺団の降下始めの式典に参加するためだったようですね!
子供の頃90式が出てきた時代に、そういうバケットでの74式の体験搭乗イベントで乗せてもらいました。
戦車の旋回時に振り落とされないようにしがみついていた記憶があります。
砲塔の滑らかな曲線部分が美しく、私の中では一番好きな戦車でした。
前半の解説で、74式を通じて国の事情にあった戦車という、兵器だけでない国防の一端が聞けた気がしました。
桂駐屯地南西側敷地の手が届きそうな距離に展示されています。阪急高架下に照準をあわせているようです。ちなみに油圧がぬけるのか?床下に下駄が噛ませてるようです。
子供の頃、史上最も美しい戦車は一位がⅤ号戦車パンター、二位が74式だと思っていました。
今もそれは変わっていませんw
完全主観の美しい戦車TOP5とかやってみたいですね。
「バトルオーバー北海道」を思い出した。
と、いま調べたら、74式戦車改リアクティブアーマー[バトルオーバー北海道Ver.]って模型化されてたw
砲塔懸架装置、及び駐退機と砲身(厳密には射撃管制装置毎)だけを取り除いて輸送すれば法律には引っ掛からない。防盾は着けといた方が良心的。
でっかいサーチライトがついてるゴテゴテしいの方がカッコいいな。流麗なボディーに低く構えた車体。美しさは世界一の性能を持った戦車だと思う。瀟洒な車体にいろいろ機能をつけてまるで80年代の日本車みたいな戦車だと思う。
戦後版一式中戦車だな。出てきた時点で火力、防御力が世界水準に満たない。敵戦車の側面を狙えば勝機ありとか、待ち伏せ攻撃なら有用とか、旧軍の苦闘を思い起させる。
砂利道もまあそうなんだけど、戦闘となると一列に並んで戦うわけにもいかない。
必然的に全国に広がる水田が戦場になるのだけど、これに水を入れればそのまま泥濘なんですね。
灌漑設備の充実した日本の国土は、攻めてくる敵に泥濘での戦いを強いる事が出来る。
お百姓さんに配慮して橋梁云々言ってるけど、日本の戦車は何より泥濘での戦いが出来ないと話にならない。
これが出来る74は、その機動において圧倒的なアドバンテージを持っていたと思います。
雨の日の総火演でドリフトする74を見た実感としてもそう思うんですね。
総火演は是非雨の日に見て欲しい、これぞ戦車!と言う姿が見れます。
補足ありがとうございます。なんか先のネタを説明されてしまいました😓 でも都市生活者が多数派になった今の日本人には水田の特殊性とか伝わりにくいですね。
@@tadamasa_miyanaga いつも動画興味深く拝見しています。
まさか返事がいただけるとは思わず、感激の至りです。
乗り手の腕なのか、戦車の性能なのか判りませんが、演習で見た74って泥で横滑りしながらカウンターとか当てないんですよね。
オーバーステアしない。
戦車に乗った事無いので判らないんですが、これって凄い事なんじゃないでしょうか。
ああみえて実は74って滅茶苦茶攻撃的な兵器なんじゃないかと思ってます。
こういうのは戦車兵だった伊藤先生に伺いたいところです。
74戦車もハマります。水田なんていけたものではありません(特に水が入った田んぼ)基本、転輪の三分の1が埋まれば危険でかなりの確率でハマります。
38トンありますし、弾薬やら燃料やら積むとさらに重くなりますゆえ。
ハマった場合、無理せず高姿勢にして一度下がり脱出したりできなければ他の戦車で牽引したり、戦車回収車での回収となります。無理すると履帯切れたり、さらに埋まって難度が上がります。
自分が聞いた話だと、泥濘地(赤土)に進入してハマり、それを助けに入った戦車もハマり、さらに助け(以下同文)で一個小隊全滅したこともあったとか。
それでも90以降の戦車よりはまり難い戦車だったとか(重くかつ高出力で地面を掘り込みやすく、履帯の形状変化で噛み込みにくくなったそうで)
@@研究軍事-f2w なるほど、程度の問題と言う事ですね。
自動車でもスタックするときはしますからね。
用途廃止になった車両は展示するにもエンジン抜かないとダメなルールあったような
実現のハードルは高いです。
姿勢制御装置は田んぼを走破出来るためってのが大きかったんだよね。確かに上下左右に傾斜地を利用した射撃にも有効だったんだけど、より重要なのは重量当たりの設置面積を増やす事により走破性性を高める事であった。
ウクライナ戦争でも、泥濘期での戦車の走破性をが問題となったよね。
田んぼもそうだし、雨量が多い我が国では路上が泥濘化する事が想定された。
ああ、チャンネル主の言うとおり今の若い人はしらんだろうけど、都市や都市近郊ですら970年代は舗装化されてなかったしね。
あと左右の制御については、当時の射撃統制装置がカバー出来なかったと聞くね。
なお、93式APFSDSならT-72より上を喰えると陸自の幹部がインタビューに答えているよ。
何年か前、74式と共同訓練をした米軍もまだ使える戦車と評価していたしね。
80年代に幹部だった方の書いた本だと弾薬の威力に不安があったみたいですね。
第三世代移行期、戦車の重防備化が著しかったですから、陸自戦車にはもっともしんどい時代だったように思います。
確か戦車不足からモスボール保存すると聞いた気がしました。
アメリカの演習場に持っていった時に74式の姿勢制御を米陸軍の戦車乗りに見せたら大喜びしてる動画があったような。
ご存知でしょうが旧軍の戦車だと茨城県の阿見町の自衛隊武器学校に展示されていて見学出来ますね。昔、行きました。事前申込みが必要でしたが。稼働可能な自衛隊の戦車の展示、実現出来るといいですね♡
三式中戦車の中に入れていただいたことがあります。
非ミリ・ライトミリ界隈の人に、「ソ連の海軍力・海上輸送力では日本(北海道)侵攻は非常に困難」論は、なかなか理解が得られません。
解せん。
ボービントンに74式が展示される・・・。
夢の様だ。
ボービントンに及ばずとも日本国内に展示出来る場が作られるなら、もう素晴らしいとしか。
もはやソ連も歴史になってしまいましたからね。
おっしゃる通り、当時は「ソ連の戦車と比べて非力だよな」と思ってましたが、同時に「でもカッコイイ!」とも思ってました。
そういえば私は完全に61式世代ですね(笑
ラインメタルの120mm滑腔砲、当事者でもないのに恋焦がれていました笑
存在するだけで猪木が有った幸せな兵器
・その余生の過ごし方としての博物館は大賛成だ!
怪獣と戦うのは自衛隊の伝統ですからまだまだ頑張るよ。同じGでも回転して口から火を吹いて空飛ぶ方は味方だから撃ってはダメよ。
ぼくらの七日間戦争2: 待ってます♡
那須に個人で運営されている?軍事博物館がありますが規模や展示の質がいまいち。
本格的な軍事博物館欲しいですね。
その時々の最先端工業技術の結晶として、兵器も民生品もどちらも等しく貴重な価値を有してますよね。私も、61TKや74TKもYS-11やT-1やF-1などの国産プロダクトと同じく歴史的意味と価値を持っていると思います。退役した彼らは自衛隊という国防組織から離れたミュージアムで余生を送らせてやりたい、そうあるべき。あぁ、そういえば海自の護衛艦も何か一隻くらい内部見学可能な保存艦が欲しい気もしますね。ゆき型かかぜ型辺りで…無理ですかねぇ?
砲塔を撤去して突撃砲に
70年代は、ソ連戦車の情報は、全くと言って入ってきていませんでした。
不鮮明な写真が数枚あるだけで、T-64は生産数の少ない、謎戦車という事くらいしかわかっていなかったのです。
T-64戦車は、ハイテク戦車だったこと、ハイテクすぎて、実用性が低かった事、などがわかるのは、冷戦が終わってからのことです。
戦車の博物館は必要ですよね。自衛官の確保の為にも、公報活動の為にも。身近に自衛隊を感じてもらえる体験型イベントを実施する常設の博物館があれば良いのにとは思います。現在、民間で95式軽戦車を目玉に常設博物館を運営開始していますが。防衛省と連係した第三セクター的な体感と体験ができる運営組織になれば良いのにと常に思います。74式や90式の退役車両を貸与する形にして、元自衛官ないしは、現職の自衛官の出向なんかできないものでしょうか?。警察の様に、民間人参加形のイベントが開催できる組織ができれば最高なんだけどねぇ(貴重な車両の維持費は発生するので、入場料は必要ですけど)。何とかならんかなぁ。
日本が世界水準の74式戦車を開発した時には、その世界水準が上がっていたんですよね。だから配備された時には性能不足の戦車になってたと。
90式で世界水準に追いつきましたが、今度は冷戦が終わり、国防の枠組みが変わってしまいましたから、軍備は本当に難しいですね。
@@tadamasa_miyanaga さん 本当に難しいと思います。旧軍時代から現代まで日本の軍事関係者は、お役所的に限られた予算で世界の軍事を調べて対応する事を基本にして来ましたので、千変万化する軍事のあり方に柔軟に対応できず遅れる事の繰り返しですね。ただ、戦前は技術の遅れが特に足を引っ張ってましたが、現代は予算を牛耳る連中が足を引っ張ってる違いはありますが。
それでも戦前も戦後も日本の軍事関係者に不足気味なのが、「戦闘の様相は自ら形作る」という強いコンセプトに基づく独創性と変化に直ぐ対応できる柔軟性ですかね。
戦車に限らずメカは何でもそうですが、
屋内で保管して欲しいですね。最低でも屋根の下
27:00
生きてる74式にまた会える? それ良いですね。
ぜひ実現したいです。
うーーん カッコいいですなぁ
なんかもったいないんだよな。ブルーインパルスみたいに、デモチームとして、動く車両を存続させてほしい。
何もしないと、順次、輪切りにされて溶鉱炉送りですからね。なんとか食い止めたいです。
乗員数4名(5名)ではないでしょうか?
エンジンの調子が良くない個体が多かったこの戦車には機関員と呼ばれる乗員が乗り込んでいたと聞きます。
定数ということで。
それは多分、テスト時の業者の人では?通常部隊配置時にそのような運用されたのは演習時審判が乗っていたとの情報ありますので。
それは多分、テスト時の業者の人では?通常部隊配置時にそのような運用されたのは演習時審判が乗っていたとの情報ありますので。
@@研究軍事-f2w 実際業務で乗っていた方が申しておりましたし、その方は1971年生まれですのでテストで乗るなら一~ニ歳頃ということになりますが?
某有名ゲームデザイナーさんで、ソ連戦車の詳細な資料を熟読しているような戦車に対する愛が深い方ですし、除隊後も現役自衛官の皆さんと図上演習などで交流を欠かしていないような人物ですので、嘘をついてまで74式を貶めるマネはしないと思います。
@@daisukesugio5623
なるほど。その方が実際に乗られていたら若くて18歳くらいですから、1989年〜からですか。74戦車は、砲塔内が61戦車より狭くとても3名以上乗れるスペースはありません。
無論、大砲の真後ろや機関銃の真下なら乗れるスペースはありますが通常そのようなところに人は乗せません。大変危険ですので。
砲塔内の映像がTH-camに流れてます(確か9戦車の74戦車が廃止に伴う映像だったと思います)それをご確認ください。
他には操縦席しかなく(1人しか乗れません)他に乗れるスペースはありません(砲塔にしがみついていたら別ですが)
ただ、昔は戦車の砲塔にしがみついて審判したり安全点検とかされていたと聞いてますし、操縦錬成時操縦席のすぐそばの外に腰掛け指導していたそうです(共に死亡事故が発生して現在は禁止)。そのような人がいたかもしれませんね。
戦車のこういうメカ的な話より、戦車がどのように使われどんな運用や具体的な体験談を話してくれないと、正直50年分同じような話ばかりで聞き飽きています。50年分74式戦車の歴史分いろんなエピソードがあるのです。私は北方の機甲師団の戦車連隊時代と戦車大隊、と独立戦車中隊で74式戦車に乗りましたが、部隊で同じ戦車を使っていても創意工夫や運用でまるで違っていた。戦車乗りの言葉は一般で出回っている戦車用語とも違いそういう話とか今度してくれると嬉しいです。
ご意見いただきありがとございます。74式については、元乗員や自衛官、現役カメラマンなどが、それこそ体験に基づく動画をいくつも上げているので、中の人であったことは無い私が言ってもあまり乗れない内容になってしまうかと思い、遠慮しています。多分、この方針は変わらないと思います。
アメリカでもロシアでも、使命を終えた兵器は解体されず、mothball されて居て、万一の際に再び戦力として再装備されるのが常識化されて居ます。日本ではこの優秀な戦車をどう処理する積りなのでしょうか。
基本は溶鉱炉行とうかがっています。
@@tadamasa_miyanaga 防衛省にしても、全く役人たちは何を学び何を考えて居るのやら、現実を理解出来な愚か者の集団にしか見えません。悲しい現実ですね。
@@かずたけ-y2z んで実際74式を保管するとなって有事の際に出すとなったら、こんな旧式に自衛官を乗せるなんて現実を理解出来ない愚か者と言われると。
まぁレオ1も引っ張り出されてますから、古いなりの使い方を考えれば。それ以前に動かす技術を持つ現役の確保の方が大問題かなと思います。
@@本間新一-r9r 最新式の戦車や装甲車が余る程配備されて居れば、それは正しいと言えますが、予算が限られ、必要な装備も限られて居る以上、身体ひとつで竹やり持って戦えなんて言う事に成りかねない現実が有ります。古くても、戦車は相手の歩兵や機械化部隊には脅威に成り得ます。多少古かろうが、最新式で無かろうが、時と場所を選んで投入すれば十分な戦力に成り得るのです。要は使いようなのです。あの金持ち大国のアメリカですら古く成った兵器は保存して居ますし、ロシアは在庫放出セールとばかりウクライナで、ロシア国内にこれまで保存して居た古い兵器をを前線に投入しています。このロシアの行動には新しい兵器が底をついたからとか言う輩がいますが、現在生産して居る兵器が前線に出てきて居無い現実を見ると、消耗戦を
見据えてあえて在庫分を使って居ると見る事も出来ます。日本は狭い国なので、侵略されてから兵器を生産して賄える国では有りません。十分に使えるものを用意しておいて、初戦で侵略者の軍隊を撃退して、相手の野心を砕くか、平時から装備を見せつけて、侵略の野心を砕くしか無い国だと言う事を念頭に置いておく必要が有るのです。
イスラエル🇮🇱みたいに、改造し尽くすなんてことは、やらないんですかね?
ほとんどいじる前に、退役してしまいましたね。イスラエルほど切羽詰まった事情もないということかもしれません。
第三国に鉄くずとして売却をしその国がウクライナヘ売却整備に問題あろうが固定大砲として前線防衛砲台として活躍して最後の一花咲かせてあげたい
現代戦だと固定砲台はただの的だぜ、10000メートルでの着弾誤差が30センチ以内と言うのが現代の自走砲の性能。
74式戦車までは機械工学(精神主義)の集約品であった。しかし、90式戦車や10式戦車からは電子・電気工学(成果主義)の集約品である🇯🇵
しかし、その機械工学(精神主義)の血統を引いているのが16式機動戦闘車である。
轟音を張り上げて50年🇯🇵
先般の61式戦車同様、これまで一度も戦禍を味わうコトなく現役を生き続けた天下泰平な戦車だ✌️
日本の戦車って武器ではなく職人たちが汗水流して作り上げた“芸術品”だよ🇯🇵✌️