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私は90年代の芦原館長が亡くなる前後の芦原会館に在籍していました。確かに先代館長は攻撃的な性格の方で、審査会での講話は他の空手家への批判、悪口が凄まじく、特に二宮城光氏、石井館長の悪口は凄かったと記憶しています。「正道会館は宗教とつながっている」とか、学生ながらに「それは嘘だろ」と思うような事を生徒の前で話していました。それらを知ってるだけに石井館長は立派だなと思います。少なくとも公の場で石井館長が芦原英幸先生に対して批判めいた事や否定的な事は一度も言っていないと思います。私は空手ファンで、極真がらみに書籍、雑誌はたいてい読んでいるのですが、私の知る限り石井館長から芦原先生を批判するような事は一切言ってないはずです。芦原先生から独立する際、間違いなく色々あったはずですし、恨みたくなるような事もあったと思いますし、色々言われたと思います。それでも一切反論もしないし、悪口も言わない石井館長は立派だと思います。まあ独立して大成功したというのもあるのでしょうが、それでも立派だと思います。
似たような内容を他でも見ましたがコピペですか?
じゃあ宗教やってるから成功した、っていう事?
石井さんはコートの話や伝わりやすいように会話をフォローするところなどほんとに優れた方ですね。
思わぬところで極真クーデターの話が出てびっくりです。芦原英幸先生の人柄がよく判る話でした。
直撃世代にとってリアルな空手バカ一代の裏話が聞けた神回です。芦原英幸はやはりカッコいい。
自分は、お二人の中間の世代です。残念ながら、憧れの芦原先生にお会いした事がありません。涙が出るほど貴重なお話し ありがとうございます。
クーデターの話とか初めて聞いてビックリしました。貴重な対談ですね。
クーデター良い話を聞きました 押忍
円満な親子関係に恵まれなかった人は、幼い頃に他者との距離の取り方をうまく学習できず、人間関係が極端になってしまいがち。保護される安堵感も知り得ず、心は傷つきやすくなる。修行時代の芦原英幸氏の組手での残酷さを批判したリアルな書き込みもかつてはネットで散見され、中村忠氏も著書で「やり過ぎ」と批判していた。それが原因で芦原氏はまた傷つき、忠氏と距離を置いた。最期の様子も含め、気の毒な天才でした。
最後の直弟子として、原田館長が、居られてよかったですね、石井館長は絶えず気配り気遣いをされてたのでは、ないかと思っています。ご自身の信じるビジョンが、あり具現化されたのですから素晴らしいです天の扉開きに関わられてとても柔らかく優しいオーラを感じます。25日の栃木で、お会いできることを楽しみにしております。🙏
相手の人間力を見抜く力そのものが相手の体の動きを見抜いて捌くという動きに繋がったと思う!昭和60年、田舎から東京へ!極真空手か芦原空手どこで習うか?池袋か新宿か?足は自然と新宿へ向かっていた・・・。現在、芦原から別れた流派で指導させていただいます。押忍追伸 芦原英幸は自分にとって永遠の仮面ライダーです‼️合掌
いい話。石井館長についても、賛否両論あるらしいけど、ちゃんと、師のことも、思ってるんだな。芦原先生も、かなり著名なお弟子さんも、育てている。ご自身も研究家であり、天才でもあり、カリスマでもある。
お二人の話にあるように芦原先生は人間関係を大切にされる方でした。
すごい話ですねクーデター!貴重な話!早く聞きたいですね!その当時を知れば理解できますね!ローキックかな?問題は?芦原先生のローキック凄かった!強烈な印象です。次回も楽しみです
中村先生が独立したのは大山館長、梶原先生への不信感だと思っていたらもっと深いワケがあったんですね。
いい話を、聞かせていただきました。
クーデター、多分外人にローキック教えるなみたいなところで、実際に外人に教えてる師範方も困ったり、倍達先生の梶原兄弟との付き合いとかの私生活関連もあったのかも知れませんね。ただ、いきなり外国人にチャンピオンになられると今の柔道連盟みたいになるから最初何回かは日本人という倍達先生の気持ちも分かります。中村忠先生は純粋なので、いろいろ引っ張ってる極真継ぐより、一から自分でデザインできる独立の方がよかったとおもいます。極真継いでたら、かなりストレス溜めたでしょうね。
石井さんは最初の直弟子ですか?
アメリカの選手にはローキックを教えるな、なんて指示が出ていたら中村師範、茂師範はアメリカ人の弟子がいて一生懸命稽古しているんだから、不条理な通達だったでしょうね。大山総裁からすれば、日本人が勝たないと外国人は東京総本部の言う事をきかなくなる、という懸念はあるにせよ。それだけじゃなくて、アメリカから見ると梶原兄弟に極真を利用されている、と両師範は危機感を持っていたと思います。中村師範の著作では、中村師範が車で梶原兄弟にNYを案内していた時の心証も、人間性を疑う程悪かったみたいですから。但し、中村忠師範はマス大山ほどのカリスマ性は無かったと思われ、強い男を目指す鷹の集団である当時の極真会館を纏められたかどうか、は疑問が残ります。 押忍
昔本で読みましたが、指を鍛える為に山手線の中で逆立ちしたと書いてあった気がしましたが本当でしょうか。The昭和ですね。
松山から八幡浜に通う電車の中で、首で逆立ちして足を上の、網棚に引っかけてたとか、連結部でバランスを取ってたとか書いてましたね。
クーデタの話、小島の本に書いていたから嘘だと思っていた。
難しい100点
・・・、メンドくせぇw
クーデター....怖wwww
芦原さん自身は完璧な方なんでしょうね。くだらないみみっちい男だ。
猜疑心…傷づかないようにクッションを作るうちに、そう思われるようになったんでしょうね。今でも松山のお墓に墓参りに伺っています。とんかつ屋さんは無くなってしまいましたがw八幡浜の道場には必ず顔を出しています。
私は90年代の芦原館長が亡くなる前後の芦原会館に在籍していました。
確かに先代館長は攻撃的な性格の方で、審査会での講話は他の空手家への批判、悪口が凄まじく、特に二宮城光氏、石井館長の悪口は凄かったと記憶しています。
「正道会館は宗教とつながっている」とか、学生ながらに「それは嘘だろ」と思うような事を生徒の前で話していました。
それらを知ってるだけに石井館長は立派だなと思います。
少なくとも公の場で石井館長が芦原英幸先生に対して批判めいた事や否定的な事は一度も言っていないと思います。
私は空手ファンで、極真がらみに書籍、雑誌はたいてい読んでいるのですが、私の知る限り石井館長から芦原先生を批判するような事は一切言ってないはずです。
芦原先生から独立する際、間違いなく色々あったはずですし、恨みたくなるような事もあったと思いますし、色々言われたと思います。
それでも一切反論もしないし、悪口も言わない石井館長は立派だと思います。
まあ独立して大成功したというのもあるのでしょうが、それでも立派だと思います。
似たような内容を他でも見ましたがコピペですか?
じゃあ宗教やってるから成功した、っていう事?
石井さんはコートの話や伝わりやすいように会話をフォローするところなどほんとに優れた方ですね。
思わぬところで極真クーデターの話が出てびっくりです。芦原英幸先生の人柄がよく判る話でした。
直撃世代にとってリアルな空手バカ一代の裏話が聞けた神回です。芦原英幸はやはりカッコいい。
自分は、お二人の中間の世代です。残念ながら、憧れの芦原先生にお会いした事がありません。涙が出るほど貴重なお話し ありがとうございます。
クーデターの話とか初めて聞いてビックリしました。貴重な対談ですね。
クーデター良い話を聞きました 押忍
円満な親子関係に恵まれなかった人は、幼い頃に他者との距離の取り方をうまく学習できず、人間関係が極端になってしまいがち。保護される安堵感も知り得ず、心は傷つきやすくなる。修行時代の芦原英幸氏の組手での残酷さを批判したリアルな書き込みもかつてはネットで散見され、中村忠氏も著書で「やり過ぎ」と批判していた。それが原因で芦原氏はまた傷つき、忠氏と距離を置いた。最期の様子も含め、気の毒な天才でした。
最後の直弟子として、原
田館長が、居られてよか
ったですね、石井館長は
絶えず気配り気遣いをさ
れてたのでは、ないかと
思っています。
ご自身の信じるビジョン
が、あり具現化されたの
ですから素晴らしいです
天の扉開きに関わられて
とても柔らかく優しいオ
ーラを感じます。
25日の栃木で、お会いで
きることを楽しみにして
おります。🙏
相手の人間力を
見抜く力そのものが相手の体の動きを見抜いて捌くという動きに繋がったと思う!
昭和60年、田舎から東京へ!
極真空手
か
芦原空手
どこで習うか?
池袋か新宿か?
足は自然と新宿へ向かっていた・・・。
現在、芦原から別れた流派で指導させていただいます。押忍
追伸 芦原英幸は自分にとって永遠の仮面ライダーです‼️合掌
いい話。石井館長についても、賛否両論あるらしいけど、ちゃんと、師のことも、思ってるんだな。芦原先生も、かなり著名なお弟子さんも、育てている。ご自身も研究家であり、天才でもあり、カリスマでもある。
お二人の話にあるように芦原先生は人間関係を大切にされる方でした。
すごい話ですねクーデター!貴重な話!早く聞きたいですね!その当時を知れば理解できますね!ローキックかな?問題は?芦原先生のローキック凄かった!強烈な印象です。次回も楽しみです
中村先生が独立したのは大山館長、梶原先生への不信感だと思っていたらもっと深いワケがあったんですね。
いい話を、聞かせていただきました。
クーデター、多分外人にローキック教えるなみたいなところで、実際に外人に教えてる師範方も困ったり、倍達先生の梶原兄弟との付き合いとかの私生活関連もあったのかも知れませんね。
ただ、いきなり外国人にチャンピオンになられると今の柔道連盟みたいになるから最初何回かは日本人という倍達先生の気持ちも分かります。
中村忠先生は純粋なので、いろいろ引っ張ってる極真継ぐより、一から自分でデザインできる独立の方がよかったとおもいます。
極真継いでたら、かなりストレス溜めたでしょうね。
石井さんは最初の直弟子ですか?
アメリカの選手にはローキックを教えるな、なんて指示が出ていたら中村師範、茂師範はアメリカ人の弟子がいて一生懸命稽古しているんだから、不条理な通達だったでしょうね。
大山総裁からすれば、日本人が勝たないと外国人は東京総本部の言う事をきかなくなる、という懸念はあるにせよ。
それだけじゃなくて、アメリカから見ると梶原兄弟に極真を利用されている、と両師範は危機感を持っていたと思います。
中村師範の著作では、中村師範が車で梶原兄弟にNYを案内していた時の心証も、人間性を疑う程悪かったみたいですから。
但し、中村忠師範はマス大山ほどのカリスマ性は無かったと思われ、強い男を目指す鷹の集団である当時の極真会館を纏められたかどうか、は疑問が残ります。 押忍
昔本で読みましたが、指を鍛える為に山手線の中で逆立ちしたと書いてあった気がしましたが本当でしょうか。The昭和ですね。
松山から八幡浜に通う電車の中で、首で逆立ちして足を上の、網棚に引っかけてたとか、連結部でバランスを取ってたとか書いてましたね。
クーデタの話、小島の本に書いていたから嘘だと思っていた。
難しい100点
・・・、メンドくせぇw
クーデター....怖wwww
芦原さん自身は完璧な方なんでしょうね。くだらないみみっちい男だ。
猜疑心…傷づかないようにクッションを作るうちに、そう思われるようになったんでしょうね。
今でも松山のお墓に墓参りに伺っています。とんかつ屋さんは無くなってしまいましたがw
八幡浜の道場には必ず顔を出しています。