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山岡さんの「農法にがんじがらめ」にならない、自然農に対する真摯なお話、健病不二の智慧、囚われのない心、清々しいですよね。
おはようございます😊今日も素敵なお話しありがとうございます。凄く腑に落ちました❤🎉
脳梗塞で倒れ8ヵ月意識が戻らないまま父がなくなりました、生き方、地域における人との付き合い方、家族とは、野菜の作りかた、父に反発しながら親父の背中から沢山の学びを貰いました、看護師様の本当に手厚い看護を受け病院の無機質な機械に囲まれながら旅立ちました、骨太で贅沢もせず頑丈な父でした、、我がの健康な時は強気でロマンチックな話しも楽しいですが、いざ命にかかわる事が我が身に起きた時に全部ぶっ飛んでいきそうです、土と自然に囲まれて暮らしていた父は不自然な場所で、不自然な薬に頼りながら旅立ちました、倒れる迄二年間介護をしましたが糞、小便はもとより鼻くそ、耳糞、目糞、爪切りさえ自分で処理出来ませんでした、人は自ら歩いて棺おけに入る事は出来ません、必ず人に頼らなければなりません、お墓に入る迄に現実的な手続きも必要です、良寛和尚のやうにそこら辺の草にでもなれたらどれ程楽でしょう、私はダメ人間です、謙虚に生きてゆかねばなりません。
今年1月アトピーとアレルギーで悩まされました。色々調べた結果、吉野敏明さんに辿り着き、4毒(小麦粉、甘い物、植物性の油、乳製品)を抜き、戦前の日本の食事&身の回りに生えてくる山菜や野菜を意識した食生活にしたところ改善しました。日本では栽培されてなかった作物品種改良を繰り返し甘くなった果実大量に種等を集めて薬品を使い絞った油確かに不自然ですね。
土地に生きるすべての命の循環を断ち切らない、使わせていただくという意識。生命の理って、当たり前のことですが、今の社会で忘れがち、気づきにくいことのようにも感じました。少しずつでも、生命の理を当たり前にできる行動をしていきたいです。
生命の理に対しての正しい教育が歪められている現在の仕組みを知ることが最重要課題なんだと思います。
今回もありがとうございます。病は不自然、なるほどです。私が気付かない何かを病として解らせてくれているのでしょう。何かを気付く感覚を養わねばならないです。ありがとうございました。
サムネを見た時に「あ、これは亡骸の層とかのお話になるのかな」と思いましたが。そうか、その視点か。農法ではないということですよね。私も最近、畑は自分だと、より強く思うようになりました。私の一部になるし、同じ野菜を食べる家族の一部にもなる。その野菜を育てるのは土、太陽、微生物と感じてきましたが、そこに生える雑草や虫、風も同じなのですね。またちょっと畑への視点が変わった気がします(笑)いつもありがとうございます。
『耕さない』というのは耕す前提の言葉です。毎回、耕してきた畑を突然耕さなかったらどうなるか?カチカチになりますよね。短期的には。これが一般的なイメージです。一般人には作付け周期ぐらいの短期の視点しかない。カチカチの畑ではいつも通りに育たないのは自明です。『耕さない』ではないんですよ。自然農は土を育てるんです。土が育つ周期は作付け周期より長周期。作付け周期が半年なら『育土』周期は3~5年あるいは10年でしょう。動画を拝見している限りそう思います。定植できる苗になるまで育苗を途中でやめないように、『育土』も途中でやめちゃいけない。『耕さない』ではない『育土』です。
今回のお話しも「スーッ」と入って来ました。ありがとうございました。
太陽光が出来て猛禽類が近くを飛ばなくなりました。何か自然が壊れた瞬間を感じました。
お話を聴いて、「自分にもいつか来るという死の怖さ」が薄れてきました。何か安心して、自然に、普通に死んでいけるような。
久々ですね~🎉🎉🎉
そこに生えている理由・・・観察が大事。 無駄に機械を動かし燃料を使うことはしない。損耗と金が飛んでいく・・・コストアップの土台。専業りんご1町歩あるがワンオペでこなすので無駄な作業は一切しない。無施肥7割減の低農薬で味は日本一だろうと推測(笑)この猛暑でも味は同じ、色付きはどこよりも良く問題なし。実績示してますから!(布教はしない)自然栽培苗木は4年目。果たして木村さんを再現できるか・・・(できるのはわかっているが、問題は商業ベースの規模で再現できるのかが問題)
うつ病になったときに、自然のある公園にいきたくなりました。人間がたくさんいるところは、ストレスです。不自然です。もっと人が密集してない生活をしたいです。
@@asa01053 昔、ニワトリを飼っていました。「自然養鶏」という本に従って、走り回らせながら育てました。その本には一坪10羽まで飼えると書いてありましたが、それ以上の面積を用意したにもかかわらず、喧嘩をするニワトリが現れました。ニワトリはケンカをするとお尻を突きます。血を出すと周りのニワトリもよってたかって突き始めます。仕方がないので別の場所に移しました。適切な空間が無いと、健康に育たないという事がよくわかりました。ヒトにも共通する「いのちの理」だと思います。
種兵チャンネル2024/12/21th-cam.com/video/4Z10fDT6P-g/w-d-xo.html【育苗のプロが教える!】徒長理論「植物はなぜ徒長するのか」徒長の原因と対策今回は僕が死ぬほど徒長させてきて得た知識や経験から、なぜ徒長するのか、どうすれば徒長しないようにできるのかそして、徒長の本質について説明します。この動画を見ると、なぜ徒長するのかが分かるようになります。また、どうすれば徒長しないようにできるのかが理解できるようになります。そして、徒長の本質を理解できれば、徒長をコントロールし、自分の思い通りの苗が作れるようになるかもしれません。
😢
家庭菜園でも自然農で野菜はできますか?
@@鳥越早苗-p1z できます家庭菜園の方が取り組みやすいです
健康は自然、病は不自然。この言葉が引っかかって、一晩置いてもしっくり来ませんでした。健康は善、病は悪、という印象を持ってしまいました。では、生まれながらに病を持った人は?と考えると、複雑な想いです。子が病と闘いながら人生を完全燃焼させようとしている場合、病は不自然、と言う言葉は辛い限りではないかと想像します。病は、本当に不自然なのでしょうか。白黒つけていいのでしょうか。グレーが多くてもいいような気がします。わたしの無知であって、仏法では異なる意味があるのかもしれません。このエピソードでの考える機会を感謝します。
生命は揺らぎながらバランスをとります。やじろべえのように。揺れすぎると元に戻れなくなります。揺れが大きくなった時を「病」と認識して、元に戻る力が働くのが「自然」です。
腰痛持ちで不耕起にとびついたクチですが、「耕す」とひと言で言っても程度があるように思います。機械化して、攪拌レベルにふかふかになるまで徹底的に土を分断したものと、昔のように馬や牛を使ったとしてもざっくりと、浅く、頻繁でもない耕しでは、違いがあるのではないでしょうか?そーやんさんの最近の動画で土の研究者である藤井先生が、どの農法にもよらないフラットな研究者の立場として、どの農法にもいいところと悪いところがあると仰られたのがしっくりきました。
@@黒猫白猫-v1s 僕たちは「自由」を求めてきました。何ものにも縛られない「自由」。でも、どうしても逆らえないルールがある事をようやく思い出しはじめました。「生まれたものは必ず死ぬ」とか。「観察する者は、観察しようとする対象に影響を与えてしまう」とか。何ものにも縛られない、フラットな立場は「いのちとして生まれた研究者」を超えないと実現しませんよね。
@@島の自然農園 まさかご返信いただけるとは、ありがとうございます。前からモグラはいるのですが、このところ新しいモグラ塚とかなかったので、今もいるのかな?ぐらいに思っていたのですが、昨日畑に行ったら、急にモグラ塚があちこちにできていてびっくりしました。まだ収穫していないサトイモのなかで1株だけ、周囲がぐるりとモグラ塚がもりあがっていたので、サトイモがどうなっているのかが気になり、急遽その株を掘ることにしました。その株は近くにコンポストがあるのでミミズが増えてそれをねらった?のかもしれません。いずれにしてもイモは無事でした。今回、モグラの掘ったすぐあとの土をサトイモを掘るために掘りましたが、モグラの耕した土とはこういうものかと驚きました。団粒構造は壊れておらず、けれどもとてもいい感じのやわらかさ。雨が降ってもすぐにぺしゃんこにならない、自然の力で耕すとはこういうことかと思いました。
@ 凄い発見ですねー!
耕起・不耕起、自然農・慣行農、自然・不自然どんな理論も人が考えたものである以上必ず矛盾を含んでいるものと思いますそういった矛盾や人の不完全さを受け入れてなんとかやりくりしていくのが大事なのかなと最近思います
ヒトが生まれてきたのは「いのちのルール」に従って、精子と卵子の受精によってですよね。ヒトが育って生きていくのは「食べる・食べられる」という「いのちのルール」に則ってです。考えられた「理論」よりも先に、「いのちのルール」はありますよね。
イギリスの自然農の先駆者の今橋さんはガンガン耕す(笑)彼は〜どちらでも良いと☯️俺は感じる😉こだわらず〜好きに❤あえて言えば〜自分の中で〜実験した〜お二人のスタイルの違いだけ👍この世に絶対成る正解は有りません👎これは〜貴方方の選択だけ♥️私は臨機応変で耕す🤙
@@惠嗣木澤 勿論、動画でもお話ししたように、その時その場所に応じて「自由」です。その根底に逆らえない「生命の理」が見えているかどうかが、問われています。
この地球上こルール。自然が正解。不自然は不正解。ただそれだけ。
健康は自然、病は不自然。
自然、不自然。もっと言えば、どちらも人間が考えた観念であり、宇宙視点からすれば、全てが自然なのではと思います。
@@Qoo62 確かにそうなのですが、「お腹を壊すのも自然」だからと言って、進んで腐ったサバは食べませんよね。「全ては観念」だからといって火のなかに飛び込むこともしない。私たちが「いのちのルール」を手放すにはまずそれを完全に受け入れて従うしかありません。
素晴らしい❤
お早う御座います。私は耕す派です。田んぼもやって居るので アメリカセンダン草や セイダカアワダチソウを畑に持ち込んでしまいます。之を駆除しないと雑草で埋め尽くされます。中途半端に耕すと雑草をばら撒いてしまいますが 出てこなくなるまで耕し続ければ駆除できます。葛を緑肥として畑に入れましたが完全に抑え込みました。笑いオートカルチの爪に勝てる雑草は有りません。爆笑
@@定年帰農武子農場 共存は楽しいですよ。
@@島の自然農園 様コメント有難う御座います。うーん 土地とか気候が違うのでしょうか。??雑草を放置すると共存ではなく占領されてしまいます。最低限の除草をしないと 作物が雑草に負けます。ご教授有難う御座いました。
今回も素敵な話をいただきました。その上で一つ、インドの民話を紹介します。会田雄次著「アーロン収容所」=中公新書=に紹介されていた民話です。母親が持っていたクルミを全て三人の子供に分け与えた。その上で「一個ずつ私にください」という。一番上の子は腐ったクルミを地面に投げた。二番目の子は一番小さなクルミを選んで差し出した。三番目の子供は大きくて美味しいクルミを手渡した。三番目の子は誰からも愛され地上に美と平和をもたらす「お月さま」になった。二番目の子供は、いつも不安で泣きわめき、怒る、そう風になった。腐ったクルミを投げた一番目の子は、炎熱と破壊と飢えをもたらす太陽になった。私たちは「自然」という二文字で身の回りの在りようを表現しますが、その「自然」に対する感覚、捉え方も様々に違うのだなあと、本日の動画を拝見して改めて思った次第です。
自然はそうかもしれませんが、これ僕は人間にスポットを当てたら逆に感じました☆病や怪我は自然なこと。それを医療で治すことは不自然なこと頭を使えるという特殊能力は人間の特権じゃないか、備わってる能力なんだから自然だろ??と、いう、反論もありそうですね。わかんなくなってきました(爆笑)
@@ごれむす-z8p 大きな視点から見ればみな自然ですが、病や怪我を「気づき・学び」としたいですね。「思考」は素晴らしい道具です。しかし「思考」に乗っ取られ、「思考」の奴隷になっているのが、現代人。あなたは「思考」を自由にとめられますか?
@ 返信ありがとうございます。思考もいろんな経験から、結局思いこみみたいなもので結論を誘導されているかもしれません。
@@ごれむす-z8p その「思考」を観察する。「思考」を外から眺める。「思考」を否定せず使いこなす。「思考」を眺めている「私」は誰か?
@@ごれむす-z8p そうなんですね☺️思い込み😉星飛雄馬です(笑)思い込まないと〜達成出来ないと。。。。妄想〜思い込みをどれだけ〜クリアーに出来るか⁉️人類の課題ですね😏
@@惠嗣木澤 その通りです!
山岡さんの「農法にがんじがらめ」にならない、自然農に対する真摯なお話、健病不二の智慧、囚われのない心、清々しいですよね。
おはようございます😊
今日も素敵なお話しありがとうございます。
凄く腑に落ちました❤🎉
脳梗塞で倒れ8ヵ月意識が戻らないまま父がなくなりました、生き方、地域における人との付き合い方、家族とは、野菜の作りかた、父に反発しながら親父の背中から沢山の学びを貰いました、看護師様の本当に手厚い看護を受け病院の無機質な機械に囲まれながら旅立ちました、骨太で贅沢もせず頑丈な父でした、、
我がの健康な時は強気でロマンチックな話しも楽しいですが、いざ命にかかわる事が我が身に起きた時に全部ぶっ飛んでいきそうです、土と自然に囲まれて暮らしていた父は不自然な場所で、不自然な薬に頼りながら旅立ちました、倒れる迄二年間介護をしましたが糞、小便はもとより鼻くそ、耳糞、目糞、爪切りさえ自分で処理出来ませんでした、人は自ら歩いて棺おけに入る事は出来ません、必ず人に頼らなければなりません、お墓に入る迄に現実的な手続きも必要です、良寛和尚のやうにそこら辺の草にでもなれたらどれ程楽でしょう、私はダメ人間です、謙虚に生きてゆかねばなりません。
今年1月アトピーとアレルギーで悩まされました。
色々調べた結果、吉野敏明さんに辿り着き、4毒(小麦粉、甘い物、植物性の油、乳製品)を抜き、戦前の日本の食事&身の回りに生えてくる山菜や野菜を意識した食生活にしたところ改善しました。
日本では栽培されてなかった作物
品種改良を繰り返し甘くなった果実
大量に種等を集めて薬品を使い絞った油
確かに不自然ですね。
土地に生きるすべての命の循環を断ち切らない、使わせていただくという意識。
生命の理って、当たり前のことですが、今の社会で忘れがち、気づきにくいことのようにも感じました。
少しずつでも、生命の理を当たり前にできる行動をしていきたいです。
生命の理に対しての正しい教育が歪められている現在の仕組みを知ることが最重要課題なんだと思います。
今回もありがとうございます。
病は不自然、なるほどです。私が気付かない何かを病として解らせてくれているのでしょう。
何かを気付く感覚を養わねばならないです。
ありがとうございました。
サムネを見た時に「あ、これは亡骸の層とかのお話になるのかな」と思いましたが。
そうか、その視点か。農法ではないということですよね。
私も最近、畑は自分だと、より強く思うようになりました。私の一部になるし、同じ野菜を食べる家族の一部にもなる。
その野菜を育てるのは土、太陽、微生物と感じてきましたが、そこに生える雑草や虫、風も同じなのですね。
またちょっと畑への視点が変わった気がします(笑)
いつもありがとうございます。
『耕さない』というのは耕す前提の言葉です。毎回、耕してきた畑を突然耕さなかったらどうなるか?カチカチになりますよね。短期的には。これが一般的なイメージです。
一般人には作付け周期ぐらいの短期の視点しかない。カチカチの畑ではいつも通りに育たないのは自明です。『耕さない』ではないんですよ。
自然農は土を育てるんです。土が育つ周期は作付け周期より長周期。作付け周期が半年なら『育土』周期は3~5年あるいは10年でしょう。動画を拝見している限りそう思います。
定植できる苗になるまで育苗を途中でやめないように、『育土』も途中でやめちゃいけない。『耕さない』ではない『育土』です。
今回のお話しも「スーッ」と入って来ました。
ありがとうございました。
太陽光が出来て猛禽類が近くを飛ばなくなりました。何か自然が壊れた瞬間を感じました。
お話を聴いて、「自分にもいつか来るという死の怖さ」が薄れてきました。何か安心して、自然に、普通に死んでいけるような。
久々ですね~🎉🎉🎉
そこに生えている理由・・・観察が大事。 無駄に機械を動かし燃料を使うことはしない。損耗と金が飛んでいく・・・コストアップの土台。専業りんご1町歩あるがワンオペでこなすので無駄な作業は一切しない。無施肥7割減の低農薬で味は日本一だろうと推測(笑)この猛暑でも味は同じ、色付きはどこよりも良く問題なし。実績示してますから!(布教はしない)自然栽培苗木は4年目。果たして木村さんを再現できるか・・・(できるのはわかっているが、問題は商業ベースの規模で再現できるのかが問題)
うつ病になったときに、自然のある公園にいきたくなりました。人間がたくさんいるところは、ストレスです。不自然です。もっと人が密集してない生活をしたいです。
@@asa01053 昔、ニワトリを飼っていました。「自然養鶏」という本に従って、走り回らせながら育てました。
その本には一坪10羽まで飼えると書いてありましたが、それ以上の面積を用意したにもかかわらず、喧嘩をするニワトリが現れました。ニワトリはケンカをするとお尻を突きます。血を出すと周りのニワトリもよってたかって突き始めます。
仕方がないので別の場所に移しました。
適切な空間が無いと、健康に育たないという事がよくわかりました。
ヒトにも共通する「いのちの理」だと思います。
種兵チャンネル2024/12/21
th-cam.com/video/4Z10fDT6P-g/w-d-xo.html
【育苗のプロが教える!】徒長理論「植物はなぜ徒長するのか」徒長の原因と対策
今回は僕が死ぬほど徒長させてきて得た知識や経験から、
なぜ徒長するのか、どうすれば徒長しないようにできるのか
そして、徒長の本質について説明します。
この動画を見ると、なぜ徒長するのかが分かるようになります。
また、どうすれば徒長しないようにできるのかが理解できるようになります。
そして、徒長の本質を理解できれば、徒長をコントロールし、自分の思い通りの苗が作れるようになるかもしれません。
😢
家庭菜園でも自然農で野菜はできますか?
@@鳥越早苗-p1z できます
家庭菜園の方が取り組みやすいです
健康は自然、病は不自然。
この言葉が引っかかって、一晩置いてもしっくり来ませんでした。健康は善、病は悪、という印象を持ってしまいました。
では、生まれながらに病を持った人は?と考えると、複雑な想いです。子が病と闘いながら人生を完全燃焼させようとしている場合、病は不自然、と言う言葉は辛い限りではないかと想像します。病は、本当に不自然なのでしょうか。白黒つけていいのでしょうか。グレーが多くてもいいような気がします。
わたしの無知であって、仏法では異なる意味があるのかもしれません。このエピソードでの考える機会を感謝します。
生命は揺らぎながらバランスをとります。やじろべえのように。揺れすぎると元に戻れなくなります。揺れが大きくなった時を「病」と認識して、元に戻る力が働くのが「自然」です。
腰痛持ちで不耕起にとびついたクチですが、「耕す」とひと言で言っても程度があるように思います。機械化して、攪拌レベルにふかふかになるまで徹底的に土を分断したものと、昔のように馬や牛を使ったとしてもざっくりと、浅く、頻繁でもない耕しでは、違いがあるのではないでしょうか?そーやんさんの最近の動画で土の研究者である藤井先生が、どの農法にもよらないフラットな研究者の立場として、どの農法にもいいところと悪いところがあると仰られたのがしっくりきました。
@@黒猫白猫-v1s 僕たちは「自由」を求めてきました。何ものにも縛られない「自由」。
でも、どうしても逆らえないルールがある事をようやく思い出しはじめました。
「生まれたものは必ず死ぬ」とか。
「観察する者は、観察しようとする対象に影響を与えてしまう」とか。
何ものにも縛られない、フラットな立場は「いのちとして生まれた研究者」を超えないと実現しませんよね。
@@島の自然農園 まさかご返信いただけるとは、ありがとうございます。
前からモグラはいるのですが、このところ新しいモグラ塚とかなかったので、今もいるのかな?ぐらいに思っていたのですが、昨日畑に行ったら、急にモグラ塚があちこちにできていてびっくりしました。まだ収穫していないサトイモのなかで1株だけ、周囲がぐるりとモグラ塚がもりあがっていたので、サトイモがどうなっているのかが気になり、急遽その株を掘ることにしました。
その株は近くにコンポストがあるのでミミズが増えてそれをねらった?のかもしれません。いずれにしてもイモは無事でした。
今回、モグラの掘ったすぐあとの土をサトイモを掘るために掘りましたが、モグラの耕した土とはこういうものかと驚きました。団粒構造は壊れておらず、けれどもとてもいい感じのやわらかさ。雨が降ってもすぐにぺしゃんこにならない、自然の力で耕すとはこういうことかと思いました。
@ 凄い発見ですねー!
耕起・不耕起、自然農・慣行農、自然・不自然
どんな理論も人が考えたものである以上必ず矛盾を含んでいるものと思います
そういった矛盾や人の不完全さを受け入れてなんとかやりくりしていくのが大事なのかなと最近思います
ヒトが生まれてきたのは「いのちのルール」に従って、精子と卵子の受精によってですよね。
ヒトが育って生きていくのは「食べる・食べられる」という「いのちのルール」に則ってです。
考えられた「理論」よりも先に、「いのちのルール」はありますよね。
イギリスの自然農の先駆者の今橋さんはガンガン耕す(笑)彼は〜どちらでも良いと☯️俺は感じる😉こだわらず〜好きに❤あえて言えば〜自分の中で〜実験した〜お二人のスタイルの違いだけ👍この世に絶対成る正解は有りません👎これは〜貴方方の選択だけ♥️私は臨機応変で耕す🤙
@@惠嗣木澤 勿論、動画でもお話ししたように、その時その場所に応じて「自由」です。
その根底に逆らえない「生命の理」が見えているかどうかが、問われています。
この地球上こルール。自然が正解。不自然は不正解。ただそれだけ。
健康は自然、病は不自然。
自然、不自然。もっと言えば、どちらも人間が考えた観念であり、宇宙視点からすれば、全てが自然なのではと思います。
@@Qoo62 確かにそうなのですが、「お腹を壊すのも自然」だからと言って、進んで腐ったサバは食べませんよね。
「全ては観念」だからといって火のなかに飛び込むこともしない。
私たちが「いのちのルール」を手放すにはまずそれを完全に受け入れて従うしかありません。
素晴らしい❤
お早う御座います。
私は耕す派です。
田んぼもやって居るので アメリカセンダン草や セイダカアワダチソウを
畑に持ち込んでしまいます。
之を駆除しないと雑草で埋め尽くされます。
中途半端に耕すと雑草をばら撒いてしまいますが 出てこなくなるまで耕し続ければ
駆除できます。
葛を緑肥として畑に入れましたが完全に抑え込みました。笑い
オートカルチの爪に勝てる雑草は有りません。爆笑
@@定年帰農武子農場 共存は楽しいですよ。
@@島の自然農園 様
コメント有難う御座います。
うーん 土地とか気候が違うのでしょうか。??
雑草を放置すると共存ではなく占領されてしまいます。
最低限の除草をしないと 作物が雑草に負けます。
ご教授有難う御座いました。
今回も素敵な話をいただきました。その上で一つ、インドの民話を紹介します。会田雄次著「アーロン収容所」=中公新書=に紹介されていた民話です。
母親が持っていたクルミを全て三人の子供に分け与えた。その上で「一個ずつ私にください」という。一番上の子は腐ったクルミを地面に投げた。二番目の子は一番小さなクルミを選んで差し出した。三番目の子供は大きくて美味しいクルミを手渡した。三番目の子は誰からも愛され地上に美と平和をもたらす「お月さま」になった。二番目の子供は、いつも不安で泣きわめき、怒る、そう風になった。腐ったクルミを投げた一番目の子は、炎熱と破壊と飢えをもたらす太陽になった。
私たちは「自然」という二文字で身の回りの在りようを表現しますが、その「自然」に対する感覚、捉え方も様々に違うのだなあと、本日の動画を拝見して改めて思った次第です。
😢
自然はそうかもしれませんが、これ僕は人間にスポットを当てたら逆に感じました☆
病や怪我は自然なこと。
それを医療で治すことは不自然なこと
頭を使えるという特殊能力は人間の特権じゃないか、備わってる能力なんだから自然だろ??
と、いう、反論もありそうですね。
わかんなくなってきました(爆笑)
@@ごれむす-z8p 大きな視点から見ればみな自然ですが、病や怪我を「気づき・学び」としたいですね。
「思考」は素晴らしい道具です。しかし「思考」に乗っ取られ、「思考」の奴隷になっているのが、現代人。
あなたは「思考」を自由にとめられますか?
@ 返信ありがとうございます。思考もいろんな経験から、結局思いこみみたいなもので結論を誘導されているかもしれません。
@@ごれむす-z8p その「思考」を観察する。「思考」を外から眺める。「思考」を否定せず使いこなす。
「思考」を眺めている「私」は誰か?
@@ごれむす-z8p そうなんですね☺️思い込み😉星飛雄馬です(笑)思い込まないと〜達成出来ないと。。。。妄想〜思い込みをどれだけ〜クリアーに出来るか⁉️人類の課題ですね😏
@@惠嗣木澤 その通りです!