長徳の変の真相!藤原伊周が自滅した花山院襲撃事件の全て【光る君へ】
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ย. 2024
- 995年、藤原伊周と藤原隆家が花山法皇に矢を射かけた大事件。
この事件により一条天皇は伊周と隆家を左遷、藤原道長が遂に権力を掌握しました。
藤原定子はショックを受け自ら髪を切り出家、清少納言は枕草子を執筆し始めます。
中関白家の凋落を決定づけた政変、長徳の変の真相を一緒に見ていきましょう!
#大河ドラマ #光る君へ #紫式部
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私情に流されずに中宮定子さんの兄弟,伊周・隆家くんに流罪を命じた一条天皇は名君✨ですね!
しかし一条天皇は自ら下した命令により最愛の中宮定子さん❤の実家を追い詰め,出家させてしまったことに苦悩します😱
ささひふははひはひひふはへはひは
天狗になってしまった兄をもった定子に罪はありませんが、彼女も少々天皇の愛情をうまく利用していた面も全く無いとは言えないので…
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現在の結婚形態とはまた違い,平安時代の帝の皇后・中宮・女御は,その妃の実家の政治的背景を背負って入内し→帝の皇子を産み👶→その皇子が帝に即位し👑→実家に権勢をもたらす✨ことができるか否か…を任される重要な立場ですから😄
史実の定子が帝の愛情を利用したかは分かりませんが…実際に利用していたとしても,そこは妃の立場から見たら後宮戦略ですよね。
定子や彰子が清少納言や紫式部などの教養高い女房たちを後宮に迎え,それぞれの文化サロン✨を形成したことも,定子・彰子の部屋に一条天皇を引き付けようとする政治的後宮戦略の一種ですよ。
当時の帝と妃の立場は,夫婦の愛情があったとしても,常に政治的背景を背負っているのです(^-^*)
一条天皇は名君だと思う
1:20〜「我が中関白家の権力は不動〜」
↑ 道隆自ら「我が中関白家」というのは可笑しいですね。ナレーターさんは大丈夫ですが。
道長の栄華の時代(一度も関白にはなっていませんが)が有って、ようやく道隆の家を「中関白家」と呼ぶ様になったのですから。
ありがとうございます😊。すご〜くわかりやすかったです。大河ドラマが楽しみになります!
ありがとうございます!
そう言っていただけてとても嬉しいです☺️
今後ともよろしくお願いします🙇♀️
こちらこそです😊。物語りが人物の感情や意図を交えて劇風に仕立ててあるので関係性がわかりやかったです。歴史にうとい私でも
なるほど‼️と思えます。😊
😊
🥰
差し出がましいようで恐縮ですが…
4:12 藤原道隆が亡くなったのは955年ではなく995年ですね。
5:26 字幕の演出から見るに、ここは995年4月27日のようですね。
???995年が2回??書いてあります
955年って、道綱が生まれた年
長徳の変、とても分かりやすかったです。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします🙇♀️
枕草子は定子への励ましの文章だった?清少納言は気が強いという印象だったけど、定子への一途な思いは健気だと思う。
清少納言の発音違う(笑)
996年
17:47 道真の元に行け!
人を呪わば穴二つ