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まだサハシが連結されてますね。キノコ型が特長です。懐かしいです。そば食べたかったです。
急行アルプスのビュッフェと言えば信州そばでしたね。残念ながら食べたことはありませんが・・
サハシ連結のフル編成カッコいい!貴重な動画をありがとうございます。
しかも客ほとんど乗っていないのにサロも2両、12両中5両がクハかクモハと言う、豪華列車でした。
@@nakajiee クハ&クモハは6両じゃない?😋
サハシが映った動画は初めて観ました。しかもサロは帯無し…こんな時代もあったんですね〜
これはいいですね。そういえば夜行アルプスでは山男達がサハシでたむろして、酒盛りしてそのままカウンターをベッドにごろ寝するので一般客が使いづらかったという話も……
サハシ車は写真しか見たことがなく動いている映像、しかも車両間近での撮影された映像はじめて見ました。撮影時は、既にサハシ車内のビュッフェ営業は終了してる頃で、編成の都合で繫げたまま運用されていたと思います。他に旧塩尻駅構内、辰野駅構内など当時の面影を残された本当に貴重な映像。ありがとうございます。
営業準備中のサハシ165の車内が写真ですが、下記の動画に入れてあります。静止画ですので5秒程度ですが、信州そばのビュッフェです。th-cam.com/video/OlBVNBdL3t4/w-d-xo.html鉄道150年記念PV Part1
サハシが連結されていた頃から既にユニットサッシのサロとかシールドビーム車が結構あったんですね。動画アップありがとうございます!
新線に切り替わった直後の立場川橋梁付近や宮川沿い、茅野の中央道と交差する辺りの風景は今でも変わってませんね。今でも沿線で目を瞑ると165系の活躍が思い浮かびます。塩嶺ルートもまだ出来る前で辰野駅も要衝として賑わっていますね。今では侘しいローカル駅です。大門にあった移転前の塩尻駅の様子も貴重です。今のようにスマホで動画でも写真でもバシバシ撮れる時代ではなかったあの頃、これだけの165系の活躍、特に動いているサハシの姿を間近で動画に残されていたことに本当に頭が下がります。
大変貴重な映像であると思いました.よく撮影され,お持ちでしたね.
辰野駅はまだ賑わいを見せてましたね。しかし、みどり湖経由の新線が開通してからは寂れてしまい残念です😢
「大八回り」ですね
よく急行「アルプス」などに乗って、北アルプスや八ヶ岳などに登山に行きました。古い時代には、80系電車などにも諏訪湖の辺りで乗りました。165系電車は明らかに、東京の通勤等で使う101系や103系とは、音も走りも違っていました。だから東京からはるばる遠くへ旅に来たなという実感がありました。「客車(PC)」の客室構造は、明治のころからの鉄道旅客用車両の原型です。ドアを開けてデッキに入ると、脇にトイレと洗面所がある。客室扉を開けて客室内に入ると、ボックスシートがずらりと並んでいる。大都市近郊圏以外の車両はおおよそすべてこうでした。「客車(PC)」のその客室構造をそのままにして、これを電車や気動車にしたのが、80系電車や153系、「165系」、451系、453系、455系、471系、473系、475系、457系、キハ55系、キハ58系などでした。ちょっと贅沢したい人はグリーン車もあったし、腹が減ったらビュッフェ車もありました。そして貫通扉もあるので、分割併合等は自在で、多層建て列車や直通列車も多かった。これらの車両には、基本的に、大昔から全く変わっていない鉄道車両の原型スタイルがそこにはありました。だから急行列車から普通列車、はたまた長距離列車、ローカル列車まで幅広く用いられました。民営化後、効率主義、採算至上主義が先鋭化しすぎて、最近では、地方や観光地、中距離列車でも、短編成化や、3扉、4扉オールロングシート車ばかりになりました。旅情を感じにくくなってきた。官営も民営も行き過ぎるとその弊害が強く出てくるのがわかります。中庸を欠いています。165系をはじめとしたこれらの車両は、そんな古き良き時代を象徴する、我が国の鉄道を代表する車両なのです。
やはり最大12両編成の急行アルプスはまさに王道ですね。しかもビュッフェ車も連結され営業していた頃はそばが食べれたって羨ましいですね。
塩嶺トンネル開通前の大八廻り走行シーンが貴重ですね。サハシ付属のままで、グリーン帯が消えてたのも意外でした。アルプスのビュッフェは廃止直前に利用できました。鮎の塩焼きが売っていて食べたのを記憶してます。
中央線の165系は、ずいぶんとお世話になってました。登山に行くとき、スキーに行くとき、新宿から「アルプス」に乗り込んで、座席の確保に苦労したもんでした。あの頃の、フル編成で快走する姿が思いでです。
学生時代の帰郷時にもっぱら夜行で利用しました。サハシビュッフェはもう営業していませんでしたが、床が広くて足を延ばせるので、連結されていれば好んで乗っていました。とても懐かしいです。
165系の12両長編成は圧巻‼️
ですよね!
サハシ連結の様子、貴重ですね。資料映像としてもなかなか出てこないレアな映像!
大変懐かしいです。東海道線の夜行電車で4+8又は3+8の編成に乗りました。当時は中間車にP無し電動車のモハ165型が2両入っており、モハ164型とユニットを組んでいました。もう1つはモハ164、クモハ165のユニットを組んでいました。今は既に引退してしまい、見られません。以上
懐かしいです。ありがとうございます。たまに、甲府駅にも止まっていたような。長い車両ですね。味があっていいです。昭和の国鉄って感じですね。また復活して頂きたいです。
記憶にはないのですが、幼少期に松本で親戚の結婚式があり、帰りに乗った「アルプス」のビュッフェ☕に行ったらしい😁
貴重な動画ありがとうございます!見ながら涙がこみ上げてきました。本当に懐かしい、記憶が鮮明に甦ります。祖母や身内が石和や甲府、富士見や岡谷に住んでおりましたので、アルプス、かいじ、こまがねには新宿からよく乗っていました。幼少の頃はサハシの車内に乗ったことも鮮明に覚えております。その後は編成も11両になったり、10両になったりで、169系との混結も見られましたね。ちなみにわたしは叶いませんでしたが、今でもアルプスの運転士になりたかったです。長文失礼いたしました。ありがとうございましたm(_ _)m
「アルプス」: 新宿〜松本間「こまがね」: 新宿〜辰野〜飯田〜天竜峡間「かいじ」: 新宿〜甲府間「かわぐち」: 新宿〜大月〜河口湖間「みのぶ」: 新宿〜甲府〜身延間
営業休止後もしばらく連結していましたが、このカウンターの中で、よくごろ寝していたのを思い出しました。夜行アルプスのサハシのカウンターの中は、体も伸ばせてザックを枕に、熟睡してました。本来は、いけないんだけどね
山梨に親戚いるのでよく急行アルプスや急行かいじに乗ったけど シーズンはめちゃ混みで 自由席なんてまともに乗れたもんじゃない という印象が強い。 酷いと甲府から新宿まで押し潰されながらもあったりしたので 急行アルプスは大好きなのに 一時は二度と乗りたくないと思わせるような不思議な急行と同時に思い出に今も残ってるw
昔は鉄道の利用者が多く、とにかく混んでましたね。今じゃ考えられない良き時代です。
165系には珍しいMM'編成の4連は神領区ですね。
8㍉カメラの映像ですかね?当時は、8㍉カメラしかないから。
映像はすべてSONYのβビデオです。
この頃の165系急行は先頭車の多い変な連結をしていますが、これにはどのような経緯があるのでしょうか?わかる方がいましたら、教えていただけるとありがたいです。
東海道線や山陽線のような大きな需要を一つの列車で賄う153系は中間電動車が多く作られ、編成の中に運転台のある車両はあまり組み込まれませんでしたが、中央本線のように本線から支線への分割、併合がある運用が想定された165系は運転台のある制御車が多く作られ、また、パンタグラフのない中間電動車は多く作られませんでした。これが、運転台のある車両が中間に挟まれいる理由です。 11:47
@@wishnozomi そういうことなのですね!教えていただき、ありがとうございます。
先頭車と先頭車の連結器はなんか編に感じる
モハ164-500も映ってますね
辰野駅に売店がある!!!
↑この動画の頃の辰野で駅そば食ったオッサン😉
まだサハシが連結されてますね。キノコ型が特長です。懐かしいです。そば食べたかったです。
急行アルプスのビュッフェと言えば信州そばでしたね。残念ながら食べたことはありませんが・・
サハシ連結のフル編成カッコいい!貴重な動画をありがとうございます。
しかも客ほとんど乗っていないのにサロも2両、12両中5両がクハかクモハと言う、豪華列車でした。
@@nakajiee クハ&クモハは6両じゃない?😋
サハシが映った動画は初めて観ました。
しかもサロは帯無し…
こんな時代もあったんですね〜
これはいいですね。
そういえば夜行アルプスでは山男達がサハシでたむろして、酒盛りしてそのままカウンターをベッドにごろ寝するので一般客が使いづらかったという話も……
サハシ車は写真しか見たことがなく動いている映像、しかも車両間近での撮影された映像はじめて見ました。
撮影時は、既にサハシ車内のビュッフェ営業は終了してる頃で、編成の都合で繫げたまま運用されていたと思います。他に旧塩尻駅構内、辰野駅構内など当時の面影を残された本当に貴重な映像。ありがとうございます。
営業準備中のサハシ165の車内が写真ですが、下記の動画に入れてあります。静止画ですので5秒程度ですが、信州そばのビュッフェです。
th-cam.com/video/OlBVNBdL3t4/w-d-xo.html
鉄道150年記念PV Part1
サハシが連結されていた頃から既にユニットサッシのサロとかシールドビーム車が結構あったんですね。動画アップありがとうございます!
新線に切り替わった直後の立場川橋梁付近や宮川沿い、茅野の中央道と交差する辺りの風景は今でも変わってませんね。今でも沿線で目を瞑ると165系の活躍が思い浮かびます。
塩嶺ルートもまだ出来る前で辰野駅も要衝として賑わっていますね。今では侘しいローカル駅です。大門にあった移転前の塩尻駅の様子も貴重です。
今のようにスマホで動画でも写真でもバシバシ撮れる時代ではなかったあの頃、これだけの165系の活躍、特に動いているサハシの姿を間近で動画に残されていたことに本当に頭が下がります。
大変貴重な映像であると思いました.よく撮影され,お持ちでしたね.
辰野駅はまだ賑わいを見せてましたね。しかし、みどり湖経由の新線が開通してからは寂れてしまい残念です😢
「大八回り」ですね
よく急行「アルプス」などに乗って、北アルプスや八ヶ岳などに登山に行きました。古い時代には、80系電車などにも諏訪湖の辺りで乗りました。
165系電車は明らかに、東京の通勤等で使う101系や103系とは、音も走りも違っていました。だから東京からはるばる遠くへ旅に来たなという実感がありました。
「客車(PC)」の客室構造は、明治のころからの鉄道旅客用車両の原型です。
ドアを開けてデッキに入ると、脇にトイレと洗面所がある。客室扉を開けて客室内に入ると、ボックスシートがずらりと並んでいる。大都市近郊圏以外の車両はおおよそすべてこうでした。
「客車(PC)」のその客室構造をそのままにして、これを電車や気動車にしたのが、80系電車や153系、「165系」、451系、453系、455系、471系、473系、475系、457系、キハ55系、キハ58系などでした。
ちょっと贅沢したい人はグリーン車もあったし、腹が減ったらビュッフェ車もありました。そして貫通扉もあるので、分割併合等は自在で、多層建て列車や直通列車も多かった。
これらの車両には、基本的に、大昔から全く変わっていない鉄道車両の原型スタイルがそこにはありました。だから急行列車から普通列車、はたまた長距離列車、ローカル列車まで幅広く用いられました。
民営化後、効率主義、採算至上主義が先鋭化しすぎて、最近では、地方や観光地、中距離列車でも、短編成化や、3扉、4扉オールロングシート車ばかりになりました。旅情を感じにくくなってきた。
官営も民営も行き過ぎるとその弊害が強く出てくるのがわかります。中庸を欠いています。
165系をはじめとしたこれらの車両は、そんな古き良き時代を象徴する、我が国の鉄道を代表する車両なのです。
やはり最大12両編成の急行アルプスはまさに王道ですね。しかもビュッフェ車も連結され営業していた頃はそばが食べれたって羨ましいですね。
塩嶺トンネル開通前の大八廻り走行シーンが貴重ですね。サハシ付属のままで、グリーン帯が消えてたのも意外でした。アルプスのビュッフェは廃止直前に利用できました。鮎の塩焼きが売っていて食べたのを記憶してます。
中央線の165系は、ずいぶんとお世話になってました。
登山に行くとき、スキーに行くとき、新宿から「アルプス」に乗り込んで、座席の確保に苦労したもんでした。
あの頃の、フル編成で快走する姿が思いでです。
学生時代の帰郷時にもっぱら夜行で利用しました。サハシビュッフェはもう営業していませんでしたが、
床が広くて足を延ばせるので、連結されていれば好んで乗っていました。
とても懐かしいです。
165系の12両長編成は圧巻‼️
ですよね!
サハシ連結の様子、貴重ですね。資料映像としてもなかなか出てこないレアな映像!
大変懐かしいです。東海道線の夜行電車で4+8又は3+8の編成に乗りました。当時は中間車にP無し電動車のモハ165型が2両入っており、モハ164型とユニットを組んでいました。もう1つはモハ164、クモハ165のユニットを組んでいました。今は既に引退してしまい、見られません。以上
懐かしいです。ありがとうございます。たまに、甲府駅にも止まっていたような。長い車両ですね。味があっていいです。昭和の国鉄って感じですね。また復活して頂きたいです。
記憶にはないのですが、幼少期に松本で親戚の結婚式があり、帰りに乗った「アルプス」のビュッフェ☕に行ったらしい😁
貴重な動画ありがとうございます!見ながら涙がこみ上げてきました。本当に懐かしい、記憶が鮮明に甦ります。祖母や身内が石和や甲府、富士見や岡谷に住んでおりましたので、アルプス、かいじ、こまがねには新宿からよく乗っていました。幼少の頃はサハシの車内に乗ったことも鮮明に覚えております。その後は編成も11両になったり、10両になったりで、169系との混結も見られましたね。ちなみにわたしは叶いませんでしたが、今でもアルプスの運転士になりたかったです。
長文失礼いたしました。ありがとうございましたm(_ _)m
「アルプス」: 新宿〜松本間
「こまがね」: 新宿〜辰野〜飯田〜天竜峡間
「かいじ」: 新宿〜甲府間
「かわぐち」: 新宿〜大月〜河口湖間
「みのぶ」: 新宿〜甲府〜身延間
営業休止後もしばらく連結していましたが、このカウンターの中で、よくごろ寝していたのを思い出しました。
夜行アルプスのサハシのカウンターの中は、体も伸ばせてザックを枕に、熟睡してました。
本来は、いけないんだけどね
山梨に親戚いるのでよく急行アルプスや急行かいじに乗ったけど シーズンはめちゃ混みで 自由席なんてまともに乗れたもんじゃない という印象が強い。 酷いと甲府から新宿まで押し潰されながらもあったりしたので 急行アルプスは大好きなのに 一時は二度と乗りたくないと思わせるような不思議な急行と同時に思い出に今も残ってるw
昔は鉄道の利用者が多く、とにかく混んでましたね。今じゃ考えられない良き時代です。
165系には珍しいMM'編成の4連は神領区ですね。
8㍉カメラの映像ですかね?当時は、8㍉カメラしかないから。
映像はすべてSONYのβビデオです。
この頃の165系急行は先頭車の多い変な連結をしていますが、これにはどのような経緯があるのでしょうか?わかる方がいましたら、教えていただけるとありがたいです。
東海道線や山陽線のような大きな需要を一つの列車で賄う153系は中間電動車が多く作られ、編成の中に運転台のある車両はあまり組み込まれませんでしたが、中央本線のように本線から支線への分割、併合がある運用が想定された165系は運転台のある制御車が多く作られ、また、パンタグラフのない中間電動車は多く作られませんでした。これが、運転台のある車両が中間に挟まれいる理由です。 11:47
@@wishnozomi そういうことなのですね!教えていただき、ありがとうございます。
先頭車と先頭車の連結器はなんか編に感じる
モハ164-500も映ってますね
辰野駅に売店がある!!!
↑この動画の頃の辰野で駅そば食ったオッサン😉