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いつか、ドナルド・キーンさんを取り上げていただきたいです。戦時中は海軍情報将校として日本軍の分析に活躍。戦後は日本文化研究の第一人者として日本文学の魅力を世界中に紹介。東日本大震災を契機に、日本に帰化して永住することを決意。日本人として永眠されました
キーンさん取り上げるなら、エドワード・サイデンステッカーさんも取り上げないと。
同感。あと、エドウィン・ライシャワーも。
キーンさんは震災の原発事故で周りが反対する中でも日本への帰化永住を決断なされたそうですね。キスカ島作戦で撤退した日本兵がイタズラで書いた「ペスト療養所」を訳してしまい米軍をパニックに陥れてしまい自身も感染を疑われて送還させられたというトホホなエピソードも。(苦笑)
@ キスカ島のペスト療養所はキーンさんの訳だったの⁉️
@@古澤修-b1m さっさと国外へ逃げ出した布袋夫婦とは大違いだな。
どこかで見たが、「東郷平八郎のスピリットは山本五十六ではなくニミッツに宿った」と評された。まさにその通りにですね。
まあでも悲しいかな昔の大日本帝国がかっこよかったし、好きだったんだろう今の犬外交の日本を好きではないだろう
アーレイーバーグと帝国ホテルの従業員や草鹿さんとの逸話を最初に知った時はとても感動した。
ニミッツ提督は例え敵であっても敬意を払える素晴らしい人だと思う。
スプルーアンスは伊藤以外にも戦前在米武官だった坂野常善海軍中将とも親交がありました、坂野は軍拡に反対して開戦前に海軍を追われていましたがスプルーアンスは戦後直ぐに坂野の行方を捜し、援助をしてます。また、収容所の日本兵に対し「誇ってほしい、君たちの戦いは立派だった」と鉄条網越しに呼び掛けていたこともあったそうです。
有難う御座います知らないお話しデシタ
ニミッツは絵に描いたような道徳的な名将でどの名将よりも尊敬できる。
ペリリュー島の慰霊碑…ありがとうございます。
記念艦三笠を復元したのも彼の力が大きい!
ニミッツ元帥は、潜水艦スキップジャックの艦長だった時、海に投げ出された部下を我が身も省みず、飛び込んで救助してます👍️
アーレイ・バークは海上自衛隊の創設に貢献しただけでなく、海軍軍人としての立場でしたが日本が占領統治から独立できる様に尽力されました。葬儀の際に勲一等旭日大綬章だけを付けたのは彼の生前の遺志によるものでした。ちなみにあのカーチス・ルメイにも同勲章が授与されています(航空自衛隊の創設に貢献したと言う建前ですが)アーレイ・バークへの授与の方が遥かに相応しいと思います。
アーレイ・バークは昭和天皇から親授されたけど、カーチス・ルメイは昭和天皇が拒否したというのもありますね。
アーレイ・バークは日本海軍(海上自衛隊)の再建に尽力し、アメリカでもまだ配備が進んでいない新型機を海上自衛隊に配備するようにはかりアメリカ軍人が新型機の見学に来たという逸話も残っています。
昭和天皇陛下が「なぜ私が予の臣民を殺した者に親授せねばならんのか?」と側近に激怒されたそうです。
それ、捏造だよ。数年前にアーレイバークの勲一等旭日大綬章、遺族によって売りに出されてたよ。ネトウヨはすぐに検証しないで鵜呑みにするからなぁ。
バーク氏の子孫の方か、震災の時に助けてくれたのも感動しましたよ
あれはデマで、たまたま名字が一緒と聞きましたが…。
@@岩倉具視 様アラ、そうでしたか。有難う御座います
日本が幸運だったのは昭和天皇が本当に素晴らしい対応をしたこと、そしてアメリカ軍の上層部に日本への理解がある人が多かった事だな
?昭和天皇が開戦を追認したこと?昭和天皇が降伏の落とし所を探すための時間稼ぎの為だけに特攻なんて愚策を追認したこと?昭和天皇が無条件降伏の折りに疎開先の息子に宛てた手紙に要約すると『僕は悪くない帝国軍政首脳陣が悪いんだ』と書いていたこと?どれだろう?素晴らしい対応?日本が幸運?マジか?🤭
但し開戦の決断をしたのはいただけなかった。とてもじゃないが幸運とは言い難い。
@@みつぎひろ 素晴らしい対応?結局開戦を了承し大戦末期には戦略的に無意味な特攻を降伏の落とし所を探るための下らない時間稼ぎの為に追認今の日本の政治家は大日本帝国の軍政首脳陣の縁者も多い故と傀儡とはいえ昭和天皇や当時の日本国民は当時の後ろめたさからか戦死者や戦争で亡くなった人を美化したり英雄扱いしているのは虫酸が走るね。現在の評価で戦時中の行動が素晴らしいと思える人の殆どが戦後には困窮する事になってるにも関わらず外国人から感謝されてる事実が明らかになると日本の手柄みたいに持っていくのは恥と言うものを知らないのかな?第一次世界大戦や日清戦争では勝者の側に居て日露戦争では負けずに済んだことで天狗になり自国の力量を弁えなかった結果が無条件降伏なんだがな天皇については大戦での無条件降伏のタイミングが自由になれる最後のチャンスだっただけに気の毒に思うよ
その時、その場所に帝国海軍を滅ぼす男がいて、東郷元帥と談笑するとか、『事実は小説よりも奇なり』とはこういう事ですね。
互いを尊敬し合う軍人。
理想論であるけど軍人のあるべき姿だよね
こういう関係は素晴らしいですよね。威勢の良さで競り合って、後から泣きを入れるような牟田口とはエラい違い。
@@j88pm牟田口だけじゃないんだよなぁ…
そりゃお互い生物としての限りを尽くして戦うんだもんな尊敬するよ
バーク大将への勲一等旭日大綬章は異議ないな。ただ、爆撃司令官の某氏への同じ叙勲は全く納得出来ないが。
ルメイ?小泉純也(純一郎の父・進次郎の祖父)が贈ったんだよね。小泉一族は筋金入りの従米だな。
その通り。勲一等伝達の慣例を破り、昭和天皇が親授されなかったということから、昭和天皇も大変な不快感を持たれていたと推察。いかに空自創設に貢献したとは言え、未だ戦中の空襲で親子、親族や家を亡くした人が、まだまだ存命していたのに酷い話だ。
こういうフェアで、勇敢さに対して敬意を持ち続けるところは、アメリカの本当に良いところですよね。アメリカも悪いところはありますけど、これはアメリカの強さの源泉だと思います。1つ印象的なエピソードがあります。坂井三郎さんが亡くなられた時、奥様をアメリカに招待して慰霊祭やってくれたそうです。その時戦闘機が上空に真っ直ぐに飛んでいく飛行を見せてくれたらしいんですが、三郎さんが天に昇っていくのを示してくれたと奥様は涙が止まらなかったそうです。戦後自衛隊で旧軍の方の慰霊祭を行なうことは政治的に極めて難しかったと思いますが、粋と言うか何というか...私もこの話を聞いた時は、目から汗が出て仕方なかったです😂
スポーツで負けた後笑顔で握手できるのとおなじで、あれは狩猟民族独特のメンタルなんだよ。次は叩き潰してやるという自信の表れだから敵に敬意を向けられる
憎しみを超えて敬愛と敬意を払えるなんて武士道の鏡!感動した!ありがとう
こちらの3将軍とはあまり関係ありませんが、アメリカ軍の『職務に階級がついてくる』の発想は、私には全く浮かびませんでした。普段は少将で才覚に応じて中将以上に抜擢され、任務が済んだら元に戻す。こうすれば権力欲とそれによる濫用もわりと予防でき、何と言っても少将に戻っても実績は変わらないのだから個人に責任と実績が顕れ帰せられて、善い意味で自己責任が課せられそして担え果たせられる。今後の考え方に於いてとても学びになりました。
スイスも普段は将官は居ない。有事になったのがアンリギザン。
戦時昇任には議会の同意?が必要なんだそうで、国民の代表によって軍事がウォッチされている体制になっている……ということなのだとか。逆に言うと、有権者に対して説明の付きにくい作戦というものは極めて取りにくくなるのは確かな様です。当時の米国の最高位の勲章の名称が「議会名誉勲章」だと聞いたときは、正直シマラねぇ名前だと思ったものですが、国民代表が認めた勲章だから格が高いのだということらしい。ウェストポイント(米陸士)とアナポリス(米海兵)のアメフトの試合は今日でもなお一大イベントだそうですが、試合中に選手の死亡事故が起こっても平然と試合を続行したのだとか。見ていた日本人武官が驚いて尋ねると、「そりゃそうでしょう、国を守る人を育てているんだから」と当たり前に答えが帰ってきたとの、大正頃の逸話があります。国民が国防の為に軍人を雇っておるのだとの意識は、やはり強固な様です。
東郷提督がニミッツ提督に感銘を与えておらず、ニミッツの人格も優れていなければ戦艦三笠は崩壊してた。
私は生まれも育ちも横須賀だが、ニミッツ提督がいなければ、三笠はスクラップされてソ連海軍が戦利品として菊花御紋を持ち去っていただろうと思う。日露戦争後の遠洋航海ではハルゼー提督と一緒に横須賀に来ており、その時の事をハルゼーは開戦後に「(日本と戦うと知っていたら)東郷平八郎を海に投げてやればよかったと思ってる」と言っている。
ハルゼーは下士官時代にミニッツと日本に訪れた時に記念硬貨を土産に帰国するが、後に東京初空襲の際に空母ホーネットで待機中のB-25の爆弾に土産だった記念硬貨を吊し返品しましたね
@@足柄那智下士官ではなく士官候補生。また、土産だった記念硬貨ではなく、戦前に日本政府から貰った勲章。「空からヤツラに返してこい 」とハルゼーが日本の勲章をドゥリトルに渡すと、我も我もと習うものが続いたのだとかで、ホーネットの艦上でドゥリトル機の爆弾に勲章をくくりつけている写真が残されている。
@@草莽-b6d 訂正、ありがとうございます。
日本と戦争になった時は非情に辛かっただろうな。
そうかなお互い覚悟を決めて正々堂々と戦ったと思うぞ
ニミッツは生涯「東郷平八郎の弟子、ニミッツ」と名乗り続けました。彼は常に「東郷提督ならどう考えるか」と自分に問い続けていたようです。彼が日露戦争直後の、戦艦の時代が始まった頃にあえてまだよちよち歩きの潜水艦を志望したのも、おそらくは東郷の合理性、先進性に習ったものでしょう。はるかかなたの「次の主力」を見据えたのです。日露戦争劈頭に連合艦隊は6隻しかない戦艦の2隻を機雷によって失い、2人の艦長は泣きながら東郷に復命しました。この2人は復命後自刃すると察した東郷は「これからは2人分ずつ働いてくれ。それでいい」と言い、彼らの自決を押しとどめました。ニミッツも真珠湾に赴任する際、作戦本部長のキング大将は「真珠湾の負け犬どもは全部クビにしろ」と命じましたが、ニミッツは副官のみを従えて赴任、しおれている参謀たちに「エビの話」をしたあと「諸君は合衆国海軍最高のスタッフであると私は信じている。私と一緒に戦ってくれ」と呼びかけ、彼らはその場で起立すると一糸乱れぬ見事な敬礼で答えたそうです。日本海海戦よりはるかに不利な状況で始まったミッドウェー海戦のときも、ニミッツの司令部はこの戦いに敗れれば後はないという気持ちで一致団結し、ニミッツは「東郷であればそうしたであろう戦い」を挑みます。「我が刀が短ければ、踏み込んで敵を討て」という東郷の言葉を守ってこの時急遽抜擢されて、空母3隻主力のなけなしの機動部隊を率いていたスプルーアンスも、青年時代にニミッツ同様東郷に出会っていました。「お嬢さん」とからかわれるほど控えめで、親友「ブル」ホールジー中将と真逆な人物だった彼ですが、艦載機を発進させた後もさらに日本艦隊に前進肉薄、これが勝因の一つとなります。彼もまた「東郷平八郎の弟子」だったのです日本海軍は東郷の言葉とは真逆の「アウトレンジ戦法」に固執、結果はよく知られるとおりです
その東郷平八郎は、東郷神社建立の企画を知ると、激怒して反対した。本人の意志に反してまで空疎な神格化を行ったのが、昭和の海軍高級軍人。そのくせ負けると一転して貶しまくり、「老害だった」「害をなした」たら言い出すのが当の日本の昭和の海軍高級軍人。亡くなってから二十年近く経っての敗戦まで東郷の責を問うテイタラク。井上成美なんてものは典型だ。この処世は、まことに見苦しく卑劣というべきだろう。一代で発展した商売なり病院なりの跡取りが、調子のいい間は初代をカサにきつつ、落ちぶれ始めると「初代がいかんのや〜」と言い出す情けないメンタリティと変わるまい。(しっかり見習った他家の息子がアメリカということなんだろう)お前さん自身も別スレでは、東郷を「耄碌」とか評していたっけな。横須賀の記念艦三笠などは、戦後の一時期はダンスホールにまでされていた。これを止め、復興させたのはこれも元敵将ニミッツだった。元敵将の振る舞いが立派であればあるほど、日本側の海軍高級軍人の戦後の態度の堕ちっぷりは、同じ日本人として情けなく、腹立たしい。ところで、お前さんの論というのはいつも「ボクそう思うからそうなんです」てな論拠なき話が実に多いのだが、1、ニミッツの潜水科志願に東郷の影響あったなんて初耳だが、なんか典拠でもあるのか?(またしてもお前さんのテキトーな推量か?)2、初瀬八島の2艦の艦長が自決の危険があったというのも初めて聞いた。論拠あるのか?(八島の坂本艦長など、主力艦の富士の艦長に栄転しているのだが)3、ホールジーって、誰よ?(ハルゼーじゃないのか?)ああ、毎度おなじみアナタの「テキトーな思いつきを言ってみただけの事実と関係ない発言です」というんなら、別に答えなくてもいいからね(笑)
ニミッツは紳士らしく東郷を嫌っていたねハルゼーは心底から日本海軍(東郷)をきらっていた。 降伏調印のミズーリ艦上では以下にして日本の施設を侮辱するかに専念した。多数の暇な水兵に観戦させるようにした。(愚将乃木将軍の水師営の対応と正反対)
このユーモアが使えるというのはアタマがきれるし回転が速い証拠。なぜならば即座にその場の雰囲気にあって尚且つ理解できる言い回しができなけばならない。でないと笑えないし面白くない。言ってみればかなり高度な言葉のセンスを持っているということ。
大山巌が作戦立案で参謀が不眠不休で空気がギスギスしてる中、ひょっこり現れて「大砲がなっているが、今日はいくさでごわすか」ってボソッと話して、一同沈黙した後爆笑したってエピソードと似ているね。
アメリカ海軍の人事制度はよく出来ている(悔しいけど)。真珠湾攻撃の機動部隊を、南雲ではなく小沢が指揮していたら戦果は変わっていた(いい意味で)のか…??山本は小沢を希望していたらしいのですが、硬直した人事制度で実現せず。
(ミッドウェイで)勝てたかどうかは分かりませんが、史実のような惨敗にはならなかったことでしょう。 どのみち、総力戦で日本に勝ち目は無くなるとは分かっておりますが。
真珠湾攻撃の肝は「寄せ集めの艦隊を率いて大荒れの北太平洋を途中で発見されることなく攻撃開始地点まで持っていくことができるかどうか」ということなので指揮官に求められるのは艦隊運用能力その点小沢の艦隊運用能力は南雲と同じくらい高いので成功させることはできただろうただ小沢が南雲がしなかった基地に対する第二次攻撃や米空母の補測撃滅をしたかどうかは疑問なので戦果はそこまで変わらなかった可能性が高い小沢は代わりに南方攻略作戦をしっかり遂行したので結局これはこれで適材適所の人事だったと思う
南雲中将は艦隊運用の名人。作戦計画に忠実に運用してます。海軍の作戦計画を理解出来てきたら、南雲中将の運用が忠実にしていたかが理解出来てます。
戦時昇進ってシステムもあった。平時に戻ったら降格だけどこの場合全然不名誉じゃあない。
アメリカ人の、認めた相手にはそれまで何があっても敬意をもつとこは素晴らしいね
軍人だから国からの命令は絶対だし断れないけど自分が好きな国と戦わければいけないって人として辛いだろうな……
日本をリスペクトしてくれた彼らが揃って空母や駆逐艦のネームシップになっている事実が、いかに優秀な軍人であったのかを如実に示している。
2番目のバーク氏の話いい話だな
三笠をキャバレートウゴウとダンスホールにして扱われたことをニミッツはめちゃくちゃ激怒して、なんなら歩哨を立たせたレベル
戦後は、鉄泥棒などで荒廃しまくった後での娯楽施設を乗っけた状態。地元で、子供の頃は何度か行きました。
本当に、東郷提督は、ニミッツに帝国海軍が滅ぼされるとは思わなかったでしょうね。
アーレ・バークの話は帝国ホテルでの一輪の花の話があるけどねー❗
アメリカは指導層のルールがとても良い形で既に決まっていた。変化する戦場に対応する指導層のルール。一方日本は指導層のルールが硬直的で卒業年次と年齢で決まり実力組織なのに実力や戦果で階級が決まっていない。南雲忠一は能力がないのにずっとアメリカと交代なく出ずっぱり。今の自衛隊も指導層が学閥と卒業年次だけで決まる硬直的な人事じゃないかと思う。職務で階級が決まっているようにみえない。平時はそれでいいかもしれないが戦争になったらと思うととても怖い。ニミッツこそ日本と対峙したのにどうしてマッカーサーが日本統治の連合国軍最高司令官になれたのかも不思議。ちょこっとやっただけじゃん。
日本の組織は昔も今も硬いな
ニミッツ級、アーレイバーク級、スプルーアンス級。艦に名を残す人物は、やはり器が違う。
ハルゼー級はないんやな
ニミッツ提督が東郷提督を尊敬していたという逸話は知っていたけど、バーク提督とスプルーアンス提督の事は名前くらいしか知らなかった。この動画で興味を持てたし、自分でも調べてみよう。
スプルーアンスは本物の天才です
東郷がいまでいう大谷に対するアメリカ人選手みたいなレジェンドだったから、イエローモンキーの人種と思う別枠で尊敬する奴も多かったな。士官学校の近代史の戦術で戦訓として毎期課題に出るんだから当然だけど
本動画でも紹介された「海の友情」によれば、🇯🇵海自の士官が、🇺🇸合衆国の海軍大学校に留学した時、他の諸外国士官よりも更なる敬意を持たれたそうです。「🇯🇵諸君の先輩方は、あの大戦で本当に最後まで戦い抜いた」という理由ゆえに。著者の阿川尚之氏は、阿川弘之先生の御令息ですね。
名将に限らず一将兵に終戦間近になると空襲や原爆の写真をアメリカ旧将兵に見せ質問を問いかける番組やドキュメントがありますがつらいですね。双方国の命令で戦っている訳ですから。
よいお話し👍ありがとうございます👍
1番見たかった動画かもしれない
日本人への嫌悪感MAXだったバーク氏のハートを最初に揺るがしたのは、ホテルの客室担当の日本人女性であり、先の大戦で夫を失った未亡人でもあったという下りがね。
他動画で戦争のif動画というのも多いが、どうにも大日本帝国海軍とアメリカ海軍の置かれた状況を冷静に観察するとifの入り込む余地が無い事を痛感する…。
知らないことがあった。とにかく任務は遂行しない方がいいようだ。
ニミッツ提督、好きです
昨日の敵は今日の味方か
5:14 この人のお孫さんが友達作戦を立案したんだよな。
ニミッツ提督の太平洋艦隊司令長官抜擢が戦争への勝利に繋がったと思う。
ニミッツ提督は小澤治三郎、バーク提督は山口多聞といったところでしょうね
良い動画だ
いざ来いニミッツ、マッカーサー て歌を知ってたかな。
80年以上前の戦争 今は後の祭りだ
スプルーアンス提督は特攻は合理的な作戦で日本人の気質に合っていると言ったらしい、またRAAに少し関わったらしい。らしいと書いたのは、どの本で読んだか忘れたからである。また海の友情の著者阿川尚之氏は最近亡くなられた、(合掌)。
@@JT-vn4cx 尚之氏の父親の阿川弘之氏は、周知の通り海軍予備学生上がりの海軍大尉として復員したが、「いかに戦争とはいえ、一般人たる恋人を原爆で殺し、多くの友人らを海の底に叩き込んだのはアメリカだ」との対米憎悪は当初深刻で、知人宅で出された進駐軍放出品のクッキーには手を付けず、進駐軍のジープとすれ違うと後ろからツバを吐きかける様に子供に教え込んでいたという。(一度は本当にジープが止まったので慌てて逃げたと尚之氏は書き残している)それがフルブライトの留学生としてアメリカに招かれ、数年経って帰ってきたら、小説家仲間から笑われるほどの親米家に変わっていたのだとか。日本海軍の生き残り士官に多いパターンだ。戦後世界で東西どちらにつくかとなれば、日本の国としてアメリカに付くのは正解なんだろう。それでも、一身上の信念の発露としては、嫌米親米のいずれにしてもひどく子供っぽい人という印象は強い。親米まっしぐらも結構だが、挙げ句「とにかく勝てっこないアメリカ様への戦争を推し進めた連中はバカだ」とのロジックにまで突き進み、戦前での対米戦前のめり発言を隠滅した井上成美・高木惣吉等の「都合の悪いことは全部伏せた架空海軍録」をコネ上げて世を惑わせたことは、相当な罪過と言えるだろう。「特攻は合理的」というより、キルレシオ(味方の損害1で敵を何人斃したか)が高かった、との評価だったと思う。スプルーアンスだったか?
本当に言ったかは知らないですが感動ですね😢
アメリカの人事組織ユニークでした日本帝国は階級大将ならそのままその人間が不向きな作戦に同乗していたら大佐や少将現場をよく知る人間が艦隊に危険行動回避など指令できないと思うなんと大将がいるのだから神様扱い融通きかなかったと思う
3人とも二枚目だよなあ。アーレイさん、なんかトムハンクスに似てないか。
動画の中に描かれていたアメリカ海軍のシステムはジョンポールジョーンズを初めとした沢山の人びとが苦労して築き上げたものなのです。
「海の友情」は海自でも教材とされて所感文を書いてました
因みにキング海軍長官は遠洋航海実習で寄港した横須賀(浦賀)で嫌な思いをしており(観光先の鎌倉で財布を掏られてしまい、後払いで運賃を払うから!と懇願したが駅員に無下にされ、仕方なく浦賀まで徒歩で帰り現着時間に遅刻し考課表にバツが付いた)日本人大嫌い人間になった。
バーク氏の言うように戦友が殺されたとかならともかく、その体験で日本嫌いになるのは器が小さいとしか言えない。
なおキングは英国も大嫌いだった。
海大と海兵で高い教育を受け、高い志で国家のために命を懸けて戦うもの同士、通じる哲学と感情があるのでしょう。今でも劣勢を顧みず真正面からアメリカに戦いを挑んだ帝国海軍と今の日本へのリスペクトを、米海軍幹部は持ち続けていると聞きました。米社会の分断とか対立とか言いますが、一朝戦端が開かれれば、この国に敵う国はないと思います。
ニミッツの昇進した理由を聞くと、徳川吉宗の上げ石高制度に似ており、その恩恵を受けた一人が、大岡越前守忠相(南町奉行)だよ!
若い時に来日して日本を認めたのがニミッツとスプルーアンスなら来日して日本を嫌いになったのがハルゼーとキング。社会科学・人文科学は自然科学のようにうまくいかない。
天才を大事にしていれば、日本は勝てたかもしれない
天才は自分で全てして完結するから組織に向かない
@@坂田金時-q7f組織が目的化してるから負けた
初めから玉砕である事を情報網でスプルーアンス氏は知っていたとは思う。航空機と言う当時のベストを尽くす事で伊藤提督の介錯をしたのだと思っている。あと海軍大学の校長になった時の教育方針を見たら多分皆、その先進性に驚くと思う。
日本嫌いの“ブル”ハルゼーも見たいですね。対日戦に貢献してもスプルーアンスの様に艦名になれなかった元帥。
DDG-97
@@コマンチ-k2u 失敗も多かったから
@kamada1960 勝てばハルゼー、負ければ牟田口。
ハルゼーは「キル・ジャプス、キル・ジャプス、キル・モア・ジャプス」と言うたらしいから、日本人に対する感情は太平洋戦争後も変わらなかったんでしょうね・・追記「ハルゼー」という艦はミサイル・フリゲート レイヒ級の1艦として存在していたようです→「世界の艦船」1988年5月号 米海軍の戦後史 より。
一応はハルゼー提督も軍艦の艦名に二度もなっているよ一回目はリーヒ級ミサイル巡洋艦の8番艦CG-23 ハルゼーで二回目はアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の47番艦DDG-97 ハルゼーで使われていますよ。
慶応の岩田俊平先生だとか九州大の施光恒先生だとかが言ってるけど、日本型経営の年功序列はそれはそれでいいところもあるんだよね。マネジメントは国によってやり方が違うから一概にこれがいいというのはない。最後は人。
理想論じみた意見になりますが、平時なら日本型人事、有事の際やここぞと言う時はアメリカの様な柔軟な人事が良いのかな?と考えます。 まあ、そこまで合理的に使い分けられる組織はなかなか無いとは思いますが。
バーグさんは、日本で言う木村提督に似た雰囲気があるw同じ駆逐艦乗りだからだろうか?
勲一等⭕️↑桐花章❌
年功序列もやり過ぎは良くないな
マッカーサーも明治の日本は好きだったのに、昭和の日本軍には呆れたとか
当時のアメリカ軍人は、普通にやってれば対米戦争は本当なら日本が勝ってたと思っていた人もいたみたいですからね。勝ってたと言ってもアメリカ本土を空爆するって意味じゃないよ。
当時のアメリカでは、最悪、太平洋で日本海軍にアメリカ海軍が敗れても、アメリカ本土攻略は日本軍には出来ないと考えられていたオレンジ計画があったらしいですね。
日清・日露に勝利した明治の軍人は江戸の教育を受けて育ったサムライたち。昭和の軍人は、明治政府が推進した欧米化の教育で育った残念な人たち。マッカーサーからしたら、自分たちの劣化コピーにしか見えなかったのでは。西洋には無い独自の武士道教育を捨てて、自ら欧米の枠の中に入っていったのだから、欧米人との戦争に勝てる訳がありませんね。
サムネおもろすぎ
日本に開国を迫ったペリー提督もいれて下さい。
バークには感動!スプルーアンスは自らの手で伊藤を殺したくなかった。
東條とルーズベルトが仲良かったらな。
軍人以外で日本好きならジョセフ・グルーやヒュー・ボートンかな
日系人部隊に活躍の場を与えてくれたマーク・クラークさんを連想したが、この人は陸軍か。それに人種的偏見無く公平に日系人を評価した人ではあるけど、「日本大好き」かどうかは知らんww
結果にコミットせず形式主義のクソみたいな風潮80年経っても変わってないの世界に類を見ない悲劇だろ
この動画を見ると、当時の日本の首脳部のバカさ加減に涙が出ます。今の政治家も同じです。
昭和天皇にしろ当時の国民にしろ軍首脳部と同じ穴の狢だし目糞鼻糞だよ🤭
海軍出身の人間って先見の明あったりするような...
なーほーねー米海軍大佐はCaptainで意味は同時に艦長である。日本のように大中小の順列とは考え方が異なる。どっちがどうとは階級に対する考えが違うので一概に言えませんけどね。
愚将揃いのどこぞの海軍と比較すると悲しくなります。ところで動画にハルゼーがいませんね?
やや裕福な北朝鮮のようになっていたでしょうね。
@ 右派と左派の大半は、平等に粛清かシベリア送りでしょうね。
ロシア語が公用語で,日本語話者はほぼいなくなったでしょうね。それと,ウクライナ戦線で突撃要員になって多くが死ぬでしょう。
半分だけソ連になった時を舞台にした「国境のエミーリャ」って漫画がある。
逆にハルゼーは日本嫌いですね
あれだけのご迷惑をかけたのに、それでも日本への敬意を持ってくれていたなんて、恐れ多くて一生頭が上がらない。
@@純川村 WGIPの被害者なのか,そういう被害者から強い影響を受けたのか。
@@純川村 今の主人なんだから過去に刃向かったことは謝って当然じゃない?
@@vmsvax2130WGIPなんか成功してない。憲法改正なんか言わんし。東条英機大将の極東裁判での発言に拍手喝采しない。辻さんを、ベストセラー作家に為ないし、国会議員にも為ないし。
東京大空襲指揮官のカーチス・ルメイも日本大好きだよね大虐殺したのに勲章貰えたから😂
なにが日本大好きや 米国は不倶戴天
31ノットバークのあだ名の所以は・・この動画見る人ならわかるやろから説明は無しですね。
サムネ草
今も昔も日本は学歴がものを言うけど、
年功序列は未だにあるよなくだらない
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いつか、ドナルド・キーンさんを取り上げていただきたいです。戦時中は海軍情報将校として日本軍の分析に活躍。戦後は日本文化研究の第一人者として日本文学の魅力を世界中に紹介。東日本大震災を契機に、日本に帰化して永住することを決意。日本人として永眠されました
キーンさん取り上げるなら、エドワード・サイデンステッカーさんも取り上げないと。
同感。
あと、エドウィン・ライシャワーも。
キーンさんは震災の原発事故で周りが反対する中でも日本への帰化永住を決断なされたそうですね。
キスカ島作戦で撤退した日本兵がイタズラで書いた「ペスト療養所」を訳してしまい米軍をパニックに
陥れてしまい自身も感染を疑われて送還させられたというトホホなエピソードも。(苦笑)
@
キスカ島のペスト療養所はキーンさんの訳だったの⁉️
@@古澤修-b1m
さっさと国外へ逃げ出した布袋夫婦とは大違いだな。
どこかで見たが、「東郷平八郎のスピリットは山本五十六ではなくニミッツに宿った」と評された。
まさにその通りにですね。
まあでも悲しいかな
昔の大日本帝国がかっこよかったし、好きだったんだろう
今の犬外交の日本を好きではないだろう
アーレイーバーグと帝国ホテルの従業員や草鹿さんとの逸話を最初に知った時はとても感動した。
ニミッツ提督は例え敵であっても敬意を払える素晴らしい人だと思う。
スプルーアンスは伊藤以外にも戦前在米武官だった坂野常善海軍中将とも親交がありました、
坂野は軍拡に反対して開戦前に海軍を追われていましたがスプルーアンスは戦後直ぐに坂野の行方を捜し、援助をしてます。
また、収容所の日本兵に対し「誇ってほしい、君たちの戦いは立派だった」と鉄条網越しに呼び掛けていたこともあったそうです。
有難う御座います
知らないお話しデシタ
ニミッツは絵に描いたような道徳的な名将でどの名将よりも尊敬できる。
ペリリュー島の慰霊碑…ありがとうございます。
記念艦三笠を復元したのも彼の力が大きい!
ニミッツ元帥は、潜水艦スキップジャックの艦長だった時、海に投げ出された部下を我が身も省みず、飛び込んで救助してます👍️
アーレイ・バークは海上自衛隊の創設に貢献しただけでなく、海軍軍人としての立場でしたが日本が占領統治から独立できる様に尽力されました。
葬儀の際に勲一等旭日大綬章だけを付けたのは彼の生前の遺志によるものでした。
ちなみにあのカーチス・ルメイにも同勲章が授与されています(航空自衛隊の創設に貢献したと言う建前ですが)
アーレイ・バークへの授与の方が遥かに相応しいと思います。
アーレイ・バークは昭和天皇から親授されたけど、カーチス・ルメイは昭和天皇が拒否したというのもありますね。
アーレイ・バークは日本海軍(海上自衛隊)の再建に尽力し、アメリカでもまだ配備が進んでいない新型機を海上自衛隊に配備するようにはかりアメリカ軍人が新型機の見学に来たという逸話も残っています。
昭和天皇陛下が「なぜ私が予の臣民を殺した者に親授せねばならんのか?」と側近に激怒されたそうです。
それ、捏造だよ。数年前にアーレイバークの勲一等旭日大綬章、遺族によって売りに出されてたよ。ネトウヨはすぐに検証しないで鵜呑みにするからなぁ。
バーク氏の子孫の方か、震災の時に助けてくれたのも感動しましたよ
あれはデマで、たまたま名字が一緒と聞きましたが…。
@@岩倉具視 様
アラ、そうでしたか。有難う御座います
日本が幸運だったのは昭和天皇が本当に素晴らしい対応をしたこと、そしてアメリカ軍の上層部に日本への理解がある人が多かった事だな
?
昭和天皇が開戦を追認したこと?
昭和天皇が降伏の落とし所を探すための時間稼ぎの為だけに特攻なんて愚策を追認したこと?
昭和天皇が無条件降伏の折りに疎開先の息子に宛てた手紙に要約すると『僕は悪くない帝国軍政首脳陣が悪いんだ』と書いていたこと?
どれだろう?
素晴らしい対応?
日本が幸運?
マジか?🤭
但し開戦の決断をしたのはいただけなかった。とてもじゃないが幸運とは言い難い。
@@みつぎひろ
素晴らしい対応?
結局開戦を了承し大戦末期には戦略的に無意味な特攻を降伏の落とし所を探るための下らない時間稼ぎの為に追認
今の日本の政治家は大日本帝国の軍政首脳陣の縁者も多い故と傀儡とはいえ昭和天皇や当時の日本国民は当時の後ろめたさからか戦死者や戦争で亡くなった人を美化したり英雄扱いしているのは虫酸が走るね。現在の評価で戦時中の行動が素晴らしいと思える人の殆どが戦後には困窮する事になってるにも関わらず外国人から感謝されてる事実が明らかになると日本の手柄みたいに持っていくのは恥と言うものを知らないのかな?
第一次世界大戦や日清戦争では勝者の側に居て日露戦争では負けずに済んだことで天狗になり自国の力量を弁えなかった結果が無条件降伏なんだがな
天皇については大戦での無条件降伏のタイミングが自由になれる最後のチャンスだっただけに気の毒に思うよ
その時、その場所に帝国海軍を滅ぼす男がいて、東郷元帥と談笑するとか、『事実は小説よりも奇なり』とはこういう事ですね。
互いを尊敬し合う軍人。
理想論であるけど軍人のあるべき姿だよね
こういう関係は素晴らしいですよね。
威勢の良さで競り合って、後から泣きを入れるような牟田口とはエラい違い。
@@j88pm牟田口だけじゃないんだよなぁ…
そりゃお互い生物としての限りを尽くして戦うんだもんな
尊敬するよ
バーク大将への勲一等旭日大綬章は異議ないな。
ただ、爆撃司令官の某氏への同じ叙勲は全く納得出来ないが。
ルメイ?小泉純也(純一郎の父・進次郎の祖父)が贈ったんだよね。小泉一族は筋金入りの従米だな。
その通り。
勲一等伝達の慣例を破り、昭和天皇が親授されなかったということから、昭和天皇も大変な不快感を持たれていたと推察。
いかに空自創設に貢献したとは言え、未だ戦中の空襲で親子、親族や家を亡くした人が、まだまだ存命していたのに酷い話だ。
こういうフェアで、勇敢さに対して敬意を持ち続けるところは、アメリカの本当に良いところですよね。
アメリカも悪いところはありますけど、これはアメリカの強さの源泉だと思います。
1つ印象的なエピソードがあります。
坂井三郎さんが亡くなられた時、奥様をアメリカに招待して慰霊祭やってくれたそうです。
その時戦闘機が上空に真っ直ぐに飛んでいく飛行を見せてくれたらしいんですが、三郎さんが天に昇っていくのを示してくれたと奥様は涙が止まらなかったそうです。
戦後自衛隊で旧軍の方の慰霊祭を行なうことは政治的に極めて難しかったと思いますが、粋と言うか何というか...
私もこの話を聞いた時は、目から汗が出て仕方なかったです😂
スポーツで負けた後笑顔で握手できるのとおなじで、あれは狩猟民族独特のメンタルなんだよ。次は叩き潰してやるという自信の表れだから敵に敬意を向けられる
憎しみを超えて敬愛と敬意を払えるなんて武士道の鏡!
感動した!ありがとう
こちらの3将軍とはあまり関係ありませんが、アメリカ軍の『職務に階級がついてくる』の発想は、私には全く浮かびませんでした。普段は少将で才覚に応じて中将以上に抜擢され、任務が済んだら元に戻す。こうすれば権力欲とそれによる濫用もわりと予防でき、何と言っても少将に戻っても実績は変わらないのだから個人に責任と実績が顕れ帰せられて、善い意味で自己責任が課せられそして担え果たせられる。今後の考え方に於いてとても学びになりました。
スイスも普段は将官は居ない。有事になったのがアンリギザン。
戦時昇任には議会の同意?が必要なんだそうで、国民の代表によって軍事がウォッチされている体制になっている……ということなのだとか。
逆に言うと、有権者に対して説明の付きにくい作戦というものは極めて取りにくくなるのは確かな様です。
当時の米国の最高位の勲章の名称が
「議会名誉勲章」
だと聞いたときは、正直シマラねぇ名前だと思ったものですが、国民代表が認めた勲章だから格が高いのだということらしい。
ウェストポイント(米陸士)とアナポリス(米海兵)のアメフトの試合は今日でもなお一大イベントだそうですが、試合中に選手の死亡事故が起こっても平然と試合を続行したのだとか。
見ていた日本人武官が驚いて尋ねると、
「そりゃそうでしょう、国を守る人を育てているんだから」
と当たり前に答えが帰ってきたとの、大正頃の逸話があります。
国民が国防の為に軍人を雇っておるのだとの意識は、やはり強固な様です。
東郷提督がニミッツ提督に感銘を与えておらず、ニミッツの人格も優れていなければ戦艦三笠は崩壊してた。
私は生まれも育ちも横須賀だが、ニミッツ提督がいなければ、三笠はスクラップされてソ連海軍が戦利品として菊花御紋を持ち去っていただろうと思う。日露戦争後の遠洋航海ではハルゼー提督と一緒に横須賀に来ており、その時の事をハルゼーは開戦後に「(日本と戦うと知っていたら)東郷平八郎を海に投げてやればよかったと思ってる」と言っている。
ハルゼーは下士官時代にミニッツと日本に訪れた時に記念硬貨を土産に帰国するが、後に東京初空襲の際に空母ホーネットで待機中のB-25の爆弾に土産だった記念硬貨を吊し返品しましたね
@@足柄那智
下士官ではなく士官候補生。
また、土産だった記念硬貨ではなく、戦前に日本政府から貰った勲章。
「空からヤツラに返してこい 」
とハルゼーが日本の勲章をドゥリトルに渡すと、我も我もと習うものが続いたのだとかで、ホーネットの艦上でドゥリトル機の爆弾に勲章をくくりつけている写真が残されている。
@@草莽-b6d 訂正、ありがとうございます。
日本と戦争になった時は非情に辛かっただろうな。
そうかな
お互い覚悟を決めて正々堂々と戦ったと思うぞ
ニミッツは生涯「東郷平八郎の弟子、ニミッツ」と名乗り続けました。彼は常に「東郷提督ならどう考えるか」と自分に問い続けていたようです。彼が日露戦争直後の、戦艦の時代が始まった頃にあえてまだよちよち歩きの潜水艦を志望したのも、おそらくは東郷の合理性、先進性に習ったものでしょう。はるかかなたの「次の主力」を見据えたのです。日露戦争劈頭に連合艦隊は6隻しかない戦艦の2隻を機雷によって失い、2人の艦長は泣きながら東郷に復命しました。この2人は復命後自刃すると察した東郷は「これからは2人分ずつ働いてくれ。それでいい」と言い、彼らの自決を押しとどめました。ニミッツも真珠湾に赴任する際、作戦本部長のキング大将は「真珠湾の負け犬どもは全部クビにしろ」と命じましたが、ニミッツは副官のみを従えて赴任、しおれている参謀たちに「エビの話」をしたあと「諸君は合衆国海軍最高のスタッフであると私は信じている。私と一緒に戦ってくれ」と呼びかけ、彼らはその場で起立すると一糸乱れぬ見事な敬礼で答えたそうです。日本海海戦よりはるかに不利な状況で始まったミッドウェー海戦のときも、ニミッツの司令部はこの戦いに敗れれば後はないという気持ちで一致団結し、ニミッツは「東郷であればそうしたであろう戦い」を挑みます。「我が刀が短ければ、踏み込んで敵を討て」という東郷の言葉を守って
この時急遽抜擢されて、空母3隻主力のなけなしの機動部隊を率いていたスプルーアンスも、青年時代にニミッツ同様東郷に出会っていました。「お嬢さん」とからかわれるほど控えめで、親友「ブル」ホールジー中将と真逆な人物だった彼ですが、艦載機を発進させた後もさらに日本艦隊に前進肉薄、これが勝因の一つとなります。彼もまた「東郷平八郎の弟子」だったのです
日本海軍は東郷の言葉とは真逆の「アウトレンジ戦法」に固執、結果はよく知られるとおりです
その東郷平八郎は、東郷神社建立の企画を知ると、激怒して反対した。
本人の意志に反してまで空疎な神格化を行ったのが、昭和の海軍高級軍人。
そのくせ負けると一転して貶しまくり、
「老害だった」「害をなした」
たら言い出すのが当の日本の昭和の海軍高級軍人。
亡くなってから二十年近く経っての敗戦まで東郷の責を問うテイタラク。
井上成美なんてものは典型だ。
この処世は、まことに見苦しく卑劣というべきだろう。
一代で発展した商売なり病院なりの跡取りが、調子のいい間は初代をカサにきつつ、落ちぶれ始めると
「初代がいかんのや〜」
と言い出す情けないメンタリティと変わるまい。
(しっかり見習った他家の息子がアメリカということなんだろう)
お前さん自身も別スレでは、東郷を「耄碌」とか評していたっけな。
横須賀の記念艦三笠などは、戦後の一時期はダンスホールにまでされていた。
これを止め、復興させたのはこれも元敵将ニミッツだった。
元敵将の振る舞いが立派であればあるほど、日本側の海軍高級軍人の戦後の態度の堕ちっぷりは、同じ日本人として情けなく、腹立たしい。
ところで、お前さんの論というのはいつも
「ボクそう思うからそうなんです」
てな論拠なき話が実に多いのだが、
1、ニミッツの潜水科志願に東郷の影響あったなんて初耳だが、なんか典拠でもあるのか?(またしてもお前さんのテキトーな推量か?)
2、初瀬八島の2艦の艦長が自決の危険があったというのも初めて聞いた。論拠あるのか?(八島の坂本艦長など、主力艦の富士の艦長に栄転しているのだが)
3、ホールジーって、誰よ?(ハルゼーじゃないのか?)
ああ、毎度おなじみアナタの
「テキトーな思いつきを言ってみただけの事実と関係ない発言です」
というんなら、別に答えなくてもいいからね(笑)
ニミッツは紳士らしく東郷を嫌っていたね
ハルゼーは心底から日本海軍(東郷)をきらっていた。 降伏調印のミズーリ艦上では
以下にして日本の施設を侮辱するかに専念した。
多数の暇な水兵に観戦させるようにした。
(愚将乃木将軍の水師営の対応と正反対)
このユーモアが使えるというのはアタマがきれるし回転が速い証拠。
なぜならば即座にその場の雰囲気にあって尚且つ理解できる言い回しが
できなけばならない。でないと笑えないし面白くない。
言ってみればかなり高度な言葉のセンスを持っているということ。
大山巌が作戦立案で参謀が不眠不休で空気がギスギスしてる中、ひょっこり現れて
「大砲がなっているが、今日はいくさでごわすか」
ってボソッと話して、一同沈黙した後爆笑したってエピソードと似ているね。
アメリカ海軍の人事制度はよく出来ている(悔しいけど)。
真珠湾攻撃の機動部隊を、南雲ではなく小沢が指揮していたら戦果は変わっていた(いい意味で)のか…??
山本は小沢を希望していたらしいのですが、硬直した人事制度で実現せず。
(ミッドウェイで)勝てたかどうかは分かりませんが、史実のような惨敗にはならなかったことでしょう。
どのみち、総力戦で日本に勝ち目は無くなるとは分かっておりますが。
真珠湾攻撃の肝は「寄せ集めの艦隊を率いて大荒れの北太平洋を途中で発見されることなく
攻撃開始地点まで持っていくことができるかどうか」ということなので指揮官に求められるのは艦隊運用能力
その点小沢の艦隊運用能力は南雲と同じくらい高いので成功させることはできただろう
ただ小沢が南雲がしなかった基地に対する第二次攻撃や米空母の補測撃滅をしたかどうかは疑問なので
戦果はそこまで変わらなかった可能性が高い
小沢は代わりに南方攻略作戦をしっかり遂行したので結局これはこれで適材適所の人事だったと思う
南雲中将は艦隊運用の名人。
作戦計画に忠実に運用してます。
海軍の作戦計画を理解出来てきたら、南雲中将の運用が忠実にしていたかが理解出来てます。
戦時昇進ってシステムもあった。平時に戻ったら降格だけどこの場合全然不名誉じゃあない。
アメリカ人の、認めた相手にはそれまで何があっても敬意をもつとこは素晴らしいね
軍人だから国からの命令は絶対だし断れないけど自分が好きな国と戦わければいけないって人として辛いだろうな……
日本をリスペクトしてくれた彼らが揃って空母や駆逐艦のネームシップになっている事実が、いかに優秀な軍人であったのかを如実に示している。
2番目のバーク氏の話いい話だな
三笠をキャバレートウゴウとダンスホールにして扱われたことをニミッツはめちゃくちゃ激怒して、なんなら歩哨を立たせたレベル
戦後は、鉄泥棒などで荒廃しまくった後での娯楽施設を乗っけた状態。
地元で、子供の頃は何度か行きました。
本当に、東郷提督は、ニミッツに帝国海軍が滅ぼされるとは思わなかったでしょうね。
アーレ・バークの話は帝国ホテルでの一輪の花の話があるけどねー❗
アメリカは指導層のルールがとても良い形で既に決まっていた。変化する戦場に対応する指導層のルール。
一方日本は指導層のルールが硬直的で卒業年次と年齢で決まり実力組織なのに実力や戦果で階級が決まっていない。南雲忠一は能力がないのにずっとアメリカと交代なく出ずっぱり。
今の自衛隊も指導層が学閥と卒業年次だけで決まる硬直的な人事じゃないかと思う。職務で階級が決まっているようにみえない。平時はそれでいいかもしれないが戦争になったらと思うととても怖い。
ニミッツこそ日本と対峙したのにどうしてマッカーサーが日本統治の連合国軍最高司令官になれたのかも不思議。ちょこっとやっただけじゃん。
日本の組織は昔も今も硬いな
ニミッツ級、アーレイバーク級、スプルーアンス級。艦に名を残す人物は、やはり器が違う。
ハルゼー級はないんやな
ニミッツ提督が東郷提督を尊敬していたという逸話は知っていたけど、バーク提督とスプルーアンス提督の事は名前くらいしか知らなかった。
この動画で興味を持てたし、自分でも調べてみよう。
スプルーアンスは本物の天才です
東郷がいまでいう大谷に対するアメリカ人選手みたいなレジェンドだったから、イエローモンキーの人種と思う別枠で尊敬する奴も多かったな。士官学校の近代史の戦術で戦訓として毎期課題に出るんだから当然だけど
本動画でも紹介された「海の友情」によれば、🇯🇵海自の士官が、🇺🇸合衆国の海軍大学校に留学した時、他の諸外国士官よりも更なる敬意を持たれたそうです。
「🇯🇵諸君の先輩方は、あの大戦で本当に最後まで戦い抜いた」
という理由ゆえに。
著者の阿川尚之氏は、阿川弘之先生の御令息ですね。
名将に限らず一将兵に終戦間近になると空襲や原爆の写真をアメリカ旧将兵に見せ質問を問いかける番組やドキュメントがありますがつらいですね。双方国の命令で戦っている訳ですから。
よいお話し👍ありがとうございます👍
1番見たかった動画かもしれない
日本人への嫌悪感MAXだったバーク氏のハートを最初に揺るがしたのは、ホテルの客室担当の日本人女性であり、先の大戦で夫を失った未亡人でもあったという下りがね。
他動画で戦争のif動画というのも多いが、どうにも大日本帝国海軍とアメリカ海軍の置かれた状況を冷静に観察するとifの入り込む余地が無い事を痛感する…。
知らないことがあった。とにかく任務は遂行しない方がいいようだ。
ニミッツ提督、好きです
昨日の敵は今日の味方か
5:14 この人のお孫さんが友達作戦を立案したんだよな。
ニミッツ提督の太平洋艦隊司令長官抜擢が戦争への勝利に繋がったと思う。
ニミッツ提督は小澤治三郎、バーク提督は山口多聞といったところでしょうね
良い動画だ
いざ来いニミッツ、マッカーサー て歌を知ってたかな。
80年以上前の戦争 今は後の祭りだ
スプルーアンス提督は特攻は合理的な作戦で日本人の気質に合っていると言ったらしい、またRAAに少し関わったらしい。
らしいと書いたのは、どの本で読んだか忘れたからである。また海の友情の著者阿川尚之氏は最近亡くなられた、(合掌)。
@@JT-vn4cx
尚之氏の父親の阿川弘之氏は、周知の通り海軍予備学生上がりの海軍大尉として復員したが、
「いかに戦争とはいえ、一般人たる恋人を原爆で殺し、多くの友人らを海の底に叩き込んだのはアメリカだ」
との対米憎悪は当初深刻で、知人宅で出された進駐軍放出品のクッキーには手を付けず、進駐軍のジープとすれ違うと後ろからツバを吐きかける様に子供に教え込んでいたという。
(一度は本当にジープが止まったので慌てて逃げたと尚之氏は書き残している)
それがフルブライトの留学生としてアメリカに招かれ、数年経って帰ってきたら、小説家仲間から笑われるほどの親米家に変わっていたのだとか。
日本海軍の生き残り士官に多いパターンだ。
戦後世界で東西どちらにつくかとなれば、日本の国としてアメリカに付くのは正解なんだろう。
それでも、一身上の信念の発露としては、嫌米親米のいずれにしてもひどく子供っぽい人という印象は強い。
親米まっしぐらも結構だが、挙げ句
「とにかく勝てっこないアメリカ様への戦争を推し進めた連中はバカだ」
とのロジックにまで突き進み、戦前での対米戦前のめり発言を隠滅した井上成美・高木惣吉等の
「都合の悪いことは全部伏せた架空海軍録」
をコネ上げて世を惑わせたことは、相当な罪過と言えるだろう。
「特攻は合理的」というより、キルレシオ(味方の損害1で敵を何人斃したか)が高かった、との評価だったと思う。
スプルーアンスだったか?
本当に言ったかは知らないですが感動ですね😢
アメリカの人事組織ユニークでした日本帝国は階級大将ならそのままその人間が不向きな作戦に同乗していたら大佐や少将現場をよく知る人間が艦隊に危険行動回避など指令できないと思うなんと大将がいるのだから神様扱い融通きかなかったと思う
3人とも二枚目だよなあ。
アーレイさん、なんかトムハンクスに似てないか。
動画の中に描かれていたアメリカ海軍のシステムはジョンポールジョーンズを初めとした沢山の人びとが苦労して築き上げたものなのです。
「海の友情」は海自でも教材とされて所感文を書いてました
因みにキング海軍長官は遠洋航海実習で寄港した横須賀(浦賀)で嫌な思いをしており(観光先の鎌倉で財布を掏られてしまい、後払いで運賃を払うから!と懇願したが駅員に無下にされ、仕方なく浦賀まで徒歩で帰り現着時間に遅刻し考課表にバツが付いた)日本人大嫌い人間になった。
バーク氏の言うように戦友が殺されたとかならともかく、その体験で日本嫌いになるのは器が小さいとしか言えない。
なおキングは英国も大嫌いだった。
海大と海兵で高い教育を受け、高い志で国家のために命を懸けて戦うもの同士、通じる哲学と感情があるのでしょう。
今でも劣勢を顧みず真正面からアメリカに戦いを挑んだ帝国海軍と今の日本へのリスペクトを、米海軍幹部は持ち続けていると聞きました。
米社会の分断とか対立とか言いますが、一朝戦端が開かれれば、この国に敵う国はないと思います。
ニミッツの昇進した理由を聞くと、徳川吉宗の上げ石高制度に似ており、その恩恵を受けた一人が、大岡越前守忠相(南町奉行)だよ!
若い時に来日して日本を認めたのがニミッツとスプルーアンスなら
来日して日本を嫌いになったのがハルゼーとキング。
社会科学・人文科学は自然科学のようにうまくいかない。
天才を大事にしていれば、日本は勝てたかもしれない
天才は自分で全てして完結するから組織に向かない
@@坂田金時-q7f組織が目的化してるから負けた
初めから玉砕である事を情報網でスプルーアンス氏は知っていたとは思う。
航空機と言う当時のベストを尽くす事で伊藤提督の介錯をしたのだと思っている。
あと海軍大学の校長になった時の教育方針を見たら多分皆、その先進性に驚くと思う。
日本嫌いの“ブル”ハルゼーも見たいですね。
対日戦に貢献してもスプルーアンスの様に艦名になれなかった元帥。
DDG-97
@@コマンチ-k2u 失敗も多かったから
@kamada1960 勝てばハルゼー、負ければ牟田口。
ハルゼーは「キル・ジャプス、キル・ジャプス、キル・モア・ジャプス」と言うたらしいから、日本人に対する感情は太平洋戦争後も変わらなかったんでしょうね・・
追記
「ハルゼー」という艦はミサイル・フリゲート レイヒ級の1艦として存在していたようです→「世界の艦船」1988年5月号 米海軍の戦後史 より。
一応はハルゼー提督も軍艦の艦名に二度もなっているよ一回目はリーヒ級ミサイル巡洋艦の8番艦CG-23 ハルゼーで二回目はアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の47番艦DDG-97 ハルゼーで使われていますよ。
慶応の岩田俊平先生だとか九州大の施光恒先生だとかが言ってるけど、日本型経営の年功序列はそれはそれでいいところもあるんだよね。マネジメントは国によってやり方が違うから一概にこれがいいというのはない。最後は人。
理想論じみた意見になりますが、平時なら日本型人事、有事の際やここぞと言う時はアメリカの様な柔軟な人事が良いのかな?と考えます。
まあ、そこまで合理的に使い分けられる組織はなかなか無いとは思いますが。
バーグさんは、日本で言う木村提督に似た雰囲気があるw同じ駆逐艦乗りだからだろうか?
勲一等⭕️
↑
桐花章❌
年功序列もやり過ぎは良くないな
マッカーサーも明治の日本は好きだったのに、昭和の日本軍には呆れたとか
当時のアメリカ軍人は、普通にやってれば対米戦争は本当なら日本が勝ってたと思っていた人もいたみたいですからね。
勝ってたと言ってもアメリカ本土を空爆するって意味じゃないよ。
当時のアメリカでは、最悪、太平洋で日本海軍にアメリカ海軍が敗れても、アメリカ本土攻略は日本軍には出来ないと考えられていたオレンジ計画があったらしいですね。
日清・日露に勝利した明治の軍人は江戸の教育を受けて育ったサムライたち。
昭和の軍人は、明治政府が推進した欧米化の教育で育った残念な人たち。マッカーサーからしたら、自分たちの劣化コピーにしか見えなかったのでは。
西洋には無い独自の武士道教育を捨てて、自ら欧米の枠の中に入っていったのだから、欧米人との戦争に勝てる訳がありませんね。
サムネおもろすぎ
日本に開国を迫ったペリー提督もいれて下さい。
バークには感動!スプルーアンスは自らの手で伊藤を殺したくなかった。
東條とルーズベルトが仲良かったらな。
軍人以外で日本好きならジョセフ・グルーやヒュー・ボートンかな
日系人部隊に活躍の場を与えてくれたマーク・クラークさんを連想したが、この人は陸軍か。それに人種的偏見無く公平に日系人を評価した人ではあるけど、「日本大好き」かどうかは知らんww
結果にコミットせず形式主義のクソみたいな風潮80年経っても変わってないの世界に類を見ない悲劇だろ
この動画を見ると、当時の日本の首脳部のバカさ加減に涙が出ます。今の政治家も同じです。
昭和天皇にしろ当時の国民にしろ軍首脳部と同じ穴の狢だし目糞鼻糞だよ🤭
海軍出身の人間って先見の明あったりするような...
なーほーねー米海軍大佐はCaptainで意味は同時に艦長である。日本のように大中小の順列とは考え方が異なる。どっちがどうとは階級に対する考えが違うので一概に言えませんけどね。
愚将揃いのどこぞの海軍と比較すると悲しくなります。ところで動画にハルゼーがいませんね?
やや裕福な北朝鮮のようになっていたでしょうね。
@
右派と左派の大半は、平等に粛清かシベリア送りでしょうね。
ロシア語が公用語で,日本語話者はほぼいなくなったでしょうね。それと,ウクライナ戦線で突撃要員になって多くが死ぬでしょう。
半分だけソ連になった時を舞台にした
「国境のエミーリャ」
って漫画がある。
逆にハルゼーは日本嫌いですね
あれだけのご迷惑をかけたのに、それでも日本への敬意を持ってくれていたなんて、恐れ多くて一生頭が上がらない。
@@純川村 WGIPの被害者なのか,そういう被害者から強い影響を受けたのか。
@@純川村 今の主人なんだから過去に刃向かったことは謝って当然じゃない?
@@vmsvax2130
WGIPなんか成功してない。
憲法改正なんか言わんし。東条英機大将の極東裁判での発言に拍手喝采しない。
辻さんを、ベストセラー作家に為ないし、国会議員にも為ないし。
東京大空襲指揮官のカーチス・ルメイも日本大好きだよね
大虐殺したのに勲章貰えたから😂
なにが日本大好きや 米国は不倶戴天
31ノットバークのあだ名の所以は・・この動画見る人ならわかるやろから説明は無しですね。
サムネ草
今も昔も日本は学歴がものを言うけど、
年功序列は未だにあるよな
くだらない