一緒に拝読『礼讃文~三帰依文~』
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- เผยแพร่เมื่อ 28 ธ.ค. 2020
- 昔、法話の勉強をしているとき、講義の初めにこの文を拝読していました。
人間として生まれる事の不思議、その私だからこそ三宝をよりどころにしなくてはいけない。今、人に生まれ仏法を聞いている私がいる。
礼讃文~三帰依文~
■講師独誦■
人身(じんしん)受うけがたし、今いますでに受うく。仏法(ぶっぽう)聞きがたし、今いますでに聞く。この身(み)今生(こんじょう)に向むかって度どせずんば、さらにいずれの生(しょう)に向むかってかこの身(み)を度(ど)せん。大衆(たいしゅう)諸共(もろとも)に至心(ししん)に三宝(さんぼう)に帰依(きえ)したてまつるべし。
■会衆一同■
みずから仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道(だいどう)を体解(たいげ)して無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
みずから法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて智慧(ちえ)海(うみ)の如(ごと)くならん。
みずから僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに大衆を統理(とうり)して一切(いっさい)無碍(むげ)ならん。
■講師独誦■
無上(むじょう)甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にもあい遇(あう)こと難(かた)し。われ今(いま)見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得(え)たり。願わくは如来(にょらい)の真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん。
淨念寺ホームページURL
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高校生の時に毎朝、唱えてました〜
これ言える人は仏教系の大学、高校の出だな。
私も三帰依文は朧げながら覚えている。
大衆は「だいしゅ」三宝は「さんぼう」難は「かたし」とする発音がいいと思います。
あたしも
これ言える
おれもやで