【268】IY 2024 閉店セレモニー Part ① 仙台泉 1/31(4K)

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  • เผยแพร่เมื่อ 30 ม.ค. 2024
  • (収録)2024年 1月31日
    ※参加が叶わなかった退職者、国内外のIY支持者より公開しないことへの意見、自分だけ独り占めはよくないという声を多くいただきました
    ヘッダー:IYのハト X いずみ中央行きと深井駅
    「プレスリリースに出ていない確認しようがない説明について、未公表により確認しようがなかったとはいえ誤りがあった箇所を削除しました。
    SMの深井 店長は大震災の当時 青森県の八戸にある沼館店のSMで、のちに関東に戻り四街道の管理TM、2018年にここアリオ泉にSMとして着任され長く舵取りされた方でした。」
    #イトーヨーカドー閉店セレモニー #アリオ閉店セレモニー
    1992年7月1日、華々しくオープンした150号店。
    外観はバブル期の90年代に流行した「青色」のミラーガラスが特徴、さらに青色タイルを組み合わせて大きく見せている。
    ガラス面の上部は大阪にある南海サウスタワーとよく似ている。
    晩年は北海道と東北の拠点「北海道・東北ゾーン」の地区事務所を擁する旗艦店、
    福島より北にある店を代表する位置づけであったことが伺える。
    改装のチラシ: www.itoyokado....
    ー晩年の268ー
    2013年にバリアフリー化を含めた改装が実施された店内は北海道の琴似(espa転換)、大阪の八尾(アリオ)など2012年の前後に改装した店と同じ「神殿」のような意匠が使われていた。
    同規模の改装は北見でも実施されていたが、北見はアリオに変わらず簡単な手直しとなった箇所が多い。
    のちにIYの顔となる食品売場「フードマルシェ」が登場する前年、
    改装の時期がわずかに早かったこともありフードマルシェおよび釧路(2015 - 19)、恵庭(2016 - 19)のようにフードマルシェ相当の改装をすることなく閉店を迎えている。
    ー営業当時のテナントー
    ・web.archive.or... (15年目、2007年9月 - IY時代)
    ・web.archive.or... (21年目、2013年7月 - Ario転換後)
    〜 さいごの一日 〜
    10時00分 - オープン、曇り空で風が強く肌寒い
    11時00分 - 1階フードコート混雑、餃子の王将はオーダー30分待ち、雲はどこへ青空に
    15時00分 - LS催事、恒例のタイムセールで個人事業主の方々が叫んでいる
    16時00分 - 催事場は店じまい。西の方から夕陽に照らされLED看板ライトアップ。
    17時00分 - 放課後の高校生が続々と来館。フードコート、サイゼリヤ、ゲームセンターの階は学生客で混雑。高校生らは5歳や6歳の頃にアリオができたと若い親や同級生と思い出話。
    19時00分 - 閉店1時間前アナウンス
    19時30分 - 有線、別れのワルツに切り替わる
    19時31分 - SM 深井 洋一 店長による店内放送
    ※SM、TM(当時)ほか店従業員、地下エントランス階段で声かけ
    以降 - 閉店を知らせるセレモニー案内のアナウンス
    19時45分 - レストラン、ゲームセンターは最後の混雑。この時点で吹き抜け広場はステージ前のみ混雑。
    20時00分 - 店内照明を間引いて薄暗くなる。会場に人があつまり始める。セルフレジは暗がりのなか大行列、ミスドも大行列。
    20時15分 - 於 : ステージ、セレモニー開始。アリとリオ不在のなか宮城県マスコットキャラクター登壇
    20時30分 - セレモニー終了。従業員は入口に移動、シャッター降下。若い男性がいろいろ叫んでいる。
    21時00分 - LED看板は光ったまま、塔屋看板はこの日も光らず。高校生のグループは看板の前で幼稚園児の頃から来ていたから、ゲーセンやサイゼリヤ、おもちゃ売り場とお別れだ残念だと名残惜しい気持ちで記念撮影している姿が多かった。
    そう遠くない将来、鳳や八尾も出ていくとなれば似たような光景が見えるのだろう。
    ※本来であれば壁面IYネオン、塔屋看板の消灯を各社の取材班が撮影、報道で消える瞬間を流すのが恒例であるが268では実現ならず
    ー268さいごの営業日を振り返ってー
    ここは街の顔だった。
    高校生も現役世代も高齢者もIYのファンが多く集まり首都圏との格や役割の違いを感じた。
    年寄りが多く訪れる川越、小岩、都内の拝島、王子、赤羽とは全く違う。
    20年前はダイエーやVIVREの閉店が新潟と東北地方を泣かせたのは記憶に新しい。
    福島も青森も仙台も、VIVREの閉店は色々あったと聞くしダイエー閉店は山形や新潟の官民を色んな意味で悩ませた。
    その後の15年、IYは構造改革として各地で大量の失業者を生じさせたが色んな理由で課題だけ残ったという。
    ダイエーの失業者を受け入れていたのは20年も前、今はその逆である。
    アリオでは松本の老朽閉店 以来となる転換店としての撤退、
    ここは地区事務所があって東北を代表する拠点だった。
    葛西と加古川、このふたつも店じまいとなればIYだけの撤退とはいかないのかもしれない。
    北見と南松本が釧路や恵庭のような運命を辿るのも消費者として無念である。

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