ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
関東大震災、東京の大火災による死傷者が報道されがちで津波に関する記録が少ないからこの映像は本当に貴重だと思う。見つかってよかった
貴重な動画をお見せいただきありがとうございます。まだまだ暑い日が続いていますのでどうかご自愛ください😄
この地震…帝都ばかりが注目されてたがまさか津波が来てたとは今初めて知りました。
映像ってつくづく凄いなその時、その時代に(映像を通して)行けるんだから
テープの手入れ?が終わって、どこかの博物館でもいいから全部見られる日がくることを期待。
今の時代に建ってても遜色ない、現代風の民家が写っててビックリした。
レンガ造りの家ですね。5000年前くらいから使われてる優秀な建材です。
21世紀以降、昔のフィルムの経年劣化が問題になっているが、長年忘れられたフィルムが復元可能な状態で残っていたのは僥倖だった
これに内容的に類似したものに、篠山市教育委員会所蔵の兵阪新聞記者撮影の、三島付近から東京市内に至る記録の伊東市付近の巻がありますね。
静岡県伊東でもこんなに悲惨な状況だったのか・・・被災状況は絵画や文字では伝わりにくいが、写真や動画ではリアルに時間を超えて伝わってきます。東京は首都、大都会で復旧に早く手が付けられたが、伊東ではどうだっのか?恐らく、災害以前の日常生活レベル戻るには東京の何倍も年月がかかったのかも知れない。出来れば、カラー化した映像も見たいです。
素晴らしい仕事
今までどこで保存されてなぜ夜に出てきたのか知りたかったなあ。
貴重な資料ですな
初めて見ました!
傷もなくいい状態で残っていたものですね。
損傷が進んでいたので、復元を依頼したみたいですよ。ネットニュースの記事に書いてありました。
フィルム扱う際、素手でなくて手袋をした方が良いよね。
なんか、石川の地震とかなり特徴が似てる気がしますね。最初の破壊は内陸で直下型かと思いきや、海底にも連動して短時間で大津波が来たような。
今まで何処にあったん?
IMAGICAの箱って今は青なんですか
テープが古いです📼
映像って何年前から日本にあったんだよ?
関ケ原の戦いの頃にビデオあったらなぁ
よくあったよな
コメントいる? 映像内容に対しての話がききたいわ
他の方への返信のコピーです。関東大震災において伊東では津波の被害があって人も亡くなってます。また伊東市宇佐美(当時宇佐美村)では過去の伝承に基づき住民が避難したため人的被害がなかったそうです。この違いは伊藤は外部からの移住者が多く津波による過去の被害の記憶が薄れ、宇佐美村では古老の指示で皆高所の竹藪に避難したそうです。宇佐美村では留田、城宿、八幡地区が罹災し現宇佐美駅またJR伊東線線路付近まで浸水したようです。伊東でも海岸より500メートルほど離れた猪戸地区まで波が押し寄せたと聞いています。宇佐美小学校には当時の小学生の地震についての作文が残されていました。(今から30年ほど前に伊東で教員をしている時に見た記憶があります)地震が内陸部?神奈川沖ではなかったですか?
映像内容まだ語るほどわからんのやろ
犠牲、被害無くして進化なし!こうして人間は進化してきた。東日本大震災は予想外だったのだろう。大きな犠牲、被害が出た。しかし、それをバネに人は進化した。これの繰り返しで人間は強くなる!
関東大震災当時は台風と重なり、大雨だったはずです。津波があったのかどうかは謎です。映像を見ても地面は水たまりがあるだけで何とも言えません。その前に津波があった場合人も流されてるはずなので、見た限りでは津波は無かったようにも思えます。台風で大雨だったのは判ります。追記です津波に関して、暴風雨により家屋が圧し潰された被害が多くて津波の痕跡は見当たらない。もし津波があったとしても津波と言えるほどではないと思います。何故か?震源地が陸地・内陸部だからです。地震の歴史で陸地・内陸部で津波が起きて被害にあう事は何年経ってもメカニズムは同じで起こりえません。当時は被災したのは確かですが津波が起きたとしても、恐らく陸側には津波は発生せず、震源地が近すぎるので津波はあったとしても最大3~4m程度です。昔の人って大袈裟にみせる人が多いですからね、津波の映像が撮られてないのも察しましょう。
関東大震災において伊東では津波の被害があって人も亡くなってます。また伊東市宇佐美(当時宇佐美村)では過去の伝承に基づき住民が避難したため人的被害がなかったそうです。この違いは伊藤は外部からの移住者が多く津波による過去の被害の記憶が薄れ、宇佐美村では古老の指示で皆高所の竹藪に避難したそうです。宇佐美村では留田、城宿、八幡地区が罹災し現宇佐美駅またJR伊東線線路付近まで浸水したようです。伊東でも海岸より500メートルほど離れた猪戸地区まで波が押し寄せたと聞いています。宇佐美小学校には当時の小学生の地震についての作文が残されていました。(今から30年ほど前に伊東で教員をしている時に見た記憶があります)自身が内陸部?神奈川沖ではなかったですか?
なんか語ってるけど人生楽しく生きような!
1.当時の気象データによれば、午前中に雨は上がり、台風は熱帯低気圧となって本州から離れつつあった1923年9月1日の気象庁HPによれば、静岡県・山梨県内にあった気象官署では午前中にはいずれも雨は上がり、震災発生の正午頃には上がっていたようです。朝のうちは確かに数十ミリの雨を観測。なお、台風に関しては前日に九州に接近、9月1日の朝6時には北陸地方で996hPa程度(熱帯低気圧?)だったようです。12時頃には既に本州中部を離れていましたが、南からの風が強かった天気の配置だったと伝わります。2.伊東町の津波は最大波高9mと伝わるなお、津波に関しては、波高9m程度の津波が地震後まもなく襲い、家屋流失などの被害が伊東町(現・伊東市)でも起きたと言います。3.震央は確かに陸域とするのが有力だが、当然「相模湾」にも震源域は及んでいて津波は起こっていたちなみに、震源(厳密には震央):地震の起こり始めの現在の通説は「陸域」ですが、それが相模湾内の海底にも達していたとされます。震央と震源域の混同が見られますが、地震の起こり始めが内陸だったとしても内陸だけでM8級の巨大地震はあの範囲では起きないため海にも達し、そういった領域が波源域となって津波が発生したと考えられています。
関東大震災、東京の大火災による死傷者が報道されがちで津波に関する記録が少ないからこの映像は本当に貴重だと思う。見つかってよかった
貴重な動画をお見せいただきありがとうございます。まだまだ暑い日が続いていますのでどうかご自愛ください😄
この地震…帝都ばかりが注目されてたがまさか津波が来てたとは今初めて知りました。
映像ってつくづく凄いな
その時、その時代に(映像を通して)行けるんだから
テープの手入れ?が終わって、どこかの博物館でもいいから全部見られる日がくることを期待。
今の時代に建ってても遜色ない、現代風の民家が写っててビックリした。
レンガ造りの家ですね。5000年前くらいから使われてる優秀な建材です。
21世紀以降、昔のフィルムの経年劣化が問題になっているが、長年忘れられたフィルムが復元可能な状態で残っていたのは僥倖だった
これに内容的に類似したものに、篠山市教育委員会所蔵の兵阪新聞記者撮影の、三島付近から東京市内に至る記録の伊東市付近の巻がありますね。
静岡県伊東でもこんなに悲惨な状況だったのか・・・
被災状況は絵画や文字では伝わりにくいが、写真や動画ではリアルに時間を超えて伝わってきます。
東京は首都、大都会で復旧に早く手が付けられたが、伊東ではどうだっのか?恐らく、災害以前の日常生活レベル戻るには東京の何倍も年月がかかったのかも知れない。
出来れば、カラー化した映像も見たいです。
素晴らしい仕事
今までどこで保存されてなぜ夜に出てきたのか知りたかったなあ。
貴重な資料ですな
初めて見ました!
傷もなくいい状態で残っていたものですね。
損傷が進んでいたので、復元を依頼したみたいですよ。ネットニュースの記事に書いてありました。
フィルム扱う際、素手でなくて手袋をした方が良いよね。
なんか、石川の地震とかなり特徴が似てる気がしますね。最初の破壊は内陸で直下型かと思いきや、海底にも連動して短時間で大津波が来たような。
今まで何処にあったん?
IMAGICAの箱って今は青なんですか
テープが古いです📼
映像って何年前から日本にあったんだよ?
関ケ原の戦いの頃にビデオあったらなぁ
よくあったよな
コメントいる?
映像内容に対しての話がききたいわ
他の方への返信のコピーです。関東大震災において伊東では津波の被害があって人も亡くなってます。また伊東市宇佐美(当時宇佐美村)では過去の伝承に基づき住民が避難したため人的被害がなかったそうです。この違いは伊藤は外部からの移住者が多く津波による過去の被害の記憶が薄れ、宇佐美村では古老の指示で皆高所の竹藪に避難したそうです。宇佐美村では留田、城宿、八幡地区が罹災し現宇佐美駅またJR伊東線線路付近まで浸水したようです。伊東でも海岸より500メートルほど離れた猪戸地区まで波が押し寄せたと聞いています。宇佐美小学校には当時の小学生の地震についての作文が残されていました。(今から30年ほど前に伊東で教員をしている時に見た記憶があります)地震が内陸部?神奈川沖ではなかったですか?
映像内容まだ語るほどわからんのやろ
犠牲、被害無くして進化なし!こうして人間は進化してきた。東日本大震災は予想外だったのだろう。大きな犠牲、被害が出た。しかし、それをバネに人は進化した。これの繰り返しで人間は強くなる!
関東大震災当時は台風と重なり、大雨だったはずです。
津波があったのかどうかは謎です。
映像を見ても地面は水たまりがあるだけで何とも言えません。
その前に津波があった場合人も流されてるはずなので、見た限りでは津波は無かったようにも思えます。
台風で大雨だったのは判ります。
追記です津波に関して、暴風雨により家屋が圧し潰された被害が多くて
津波の痕跡は見当たらない。
もし津波があったとしても津波と言えるほどではないと思います。
何故か?震源地が陸地・内陸部だからです。
地震の歴史で陸地・内陸部で津波が起きて被害にあう事は何年経ってもメカニズムは同じで起こりえません。当時は被災したのは確かですが津波が起きたとしても、恐らく陸側には津波は発生せず、震源地が近すぎるので津波はあったとしても最大3~4m程度です。
昔の人って大袈裟にみせる人が多いですからね、津波の映像が撮られてないのも察しましょう。
関東大震災において伊東では津波の被害があって人も亡くなってます。また伊東市宇佐美(当時宇佐美村)では過去の伝承に基づき住民が避難したため人的被害がなかったそうです。この違いは伊藤は外部からの移住者が多く津波による過去の被害の記憶が薄れ、宇佐美村では古老の指示で皆高所の竹藪に避難したそうです。宇佐美村では留田、城宿、八幡地区が罹災し現宇佐美駅またJR伊東線線路付近まで浸水したようです。伊東でも海岸より500メートルほど離れた猪戸地区まで波が押し寄せたと聞いています。宇佐美小学校には当時の小学生の地震についての作文が残されていました。(今から30年ほど前に伊東で教員をしている時に見た記憶があります)自身が内陸部?神奈川沖ではなかったですか?
なんか語ってるけど人生楽しく生きような!
1.当時の気象データによれば、午前中に雨は上がり、台風は熱帯低気圧となって本州から離れつつあった
1923年9月1日の気象庁HPによれば、静岡県・山梨県内にあった気象官署では午前中にはいずれも雨は上がり、震災発生の正午頃には上がっていたようです。朝のうちは確かに数十ミリの雨を観測。なお、台風に関しては前日に九州に接近、9月1日の朝6時には北陸地方で996hPa程度(熱帯低気圧?)だったようです。12時頃には既に本州中部を離れていましたが、南からの風が強かった天気の配置だったと伝わります。
2.伊東町の津波は最大波高9mと伝わる
なお、津波に関しては、波高9m程度の津波が地震後まもなく襲い、家屋流失などの被害が伊東町(現・伊東市)でも起きたと言います。
3.震央は確かに陸域とするのが有力だが、当然「相模湾」にも震源域は及んでいて津波は起こっていた
ちなみに、震源(厳密には震央):地震の起こり始めの現在の通説は「陸域」ですが、それが相模湾内の海底にも達していたとされます。震央と震源域の混同が見られますが、地震の起こり始めが内陸だったとしても内陸だけでM8級の巨大地震はあの範囲では起きないため海にも達し、そういった領域が波源域となって津波が発生したと考えられています。