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昔は褒められても心から受け取らず、自信がなく、ほんとに本気で「そんなことない」などと思ってました。今はちゃんと受け取るようにしてありがとうというようになりました。今日も言いました。さらに伸ばそうとしていこうと思います。
私も「ありがとう」と受け止めるようにしよう!と日々思っています。「いぇいぇそんな〜🤚🏻」は、相手の言葉考えを否定することになると思うからです。言いがち思いがちなんだけど‥素直に受け止めて「そぅ言ってくださり感謝します」の気持ちを意識しています♡
褒めて頂いたら、褒めて頂いた事を伸ばしていきたいと思います。ありがとうございます。
相手の言葉や態度で心がブレないでいたいものです良きことをなし、悪きことをやめ、心を清らかに保つ常に自省し、精進したいと思いますきょうもありがとうございます
ありがとうございます。言われてみれば そうですね。心に留めておきます。合掌
褒められた❤感謝 からの上昇 🎉向上心❤😂
褒めてうかれるひとのことを見ると、褒められ慣れていないんだなともおもいます。私は幸せものだと、お話うかがったら余計にそう、思いました。褒めてくださる方が多かったから、うかれることもなく、褒めてくださることに感謝な気持ちとなっております
誉められたら、有り難うございます。それ程でもありませんがと謙遜して照れちゃうかな。先日、お客様が帰られる時一年生位の足の長い男の子を後ろから、「カッコいいんだけど」って思わず口にしたら、その子「ふふっ」って大人みたいに照れ笑いしてました。初めての方とお話する時は、相手の話を良く聞いて良いところを探して誉めるとぐっと距離が、縮まり話しやすくなります。
褒められたら、良きところを受け入れて更に伸ばしていけるようになりたいと思います。ありがとうございました。
とても分かりやすく教えてくださいました。ありがとうございます。
ショート動画からこの動画を拝見致しました。和尚様の答え合わせに心を打たれます。精進致します
毎日お話を聞かせていただいています。ありがとうございます。65歳になります。いつまで経っても、よく言われるような「(人間が)出来た人」にはなれません。若い時に、人間は一生かけて、「出来た人」になっていくんだ。と常に心に言い聞かせてきました。が、自分の出来なさを誤魔化そうとしたり、言うべき時に言えなかったり、人の噂をしてしまったり。その度に、自分が恥ずかしく、本当に嫌になって来て、辛く泣きたくなって来ます。なぜなのでしようか。ずっと何年も積みあげて来たはずなのにある時、ふとタガが外れた瞬間、崩壊してしまいます。「出来た人」になるってどうすれば良いのでしょう。
やったことがないよき事いい言葉ですね😊
有難う御座いますわかりました 自分の良きところを伸ばすよう 必ず努力します
二流、三流のお話を聞くと、自分のことを客観的に見る能力が重要なのかな? と感じました。自分の能力を客観的に把握できていないから、「褒められて初めて自分の能力を認識する」ってことですよね? だから調子に乗るのかと。自分の能力を客観的に把握できていないから、「自分の能力で期待に答えられるのか不安になる」ってことですよね? だから力んでしまうのかと。自分のことを、より客観的に見られるようになることは非常に重要なことだと思います。もちろん、完全な客観視が不可能な事は当然のことなのですが、できるだけ客観的に見ようとする姿勢は大切なのでしょう。自分が客観的に見られていないと、他者の言動で調子に乗ったり、意識して必要以上に力んでしまったりするのですから。『褒められたことを謙虚に受け止めて、さらに伸ばそうとする。』謙虚に受け止めるには、「褒められたという事実」を客観的に受け止めることが必要です。さらに伸ばそうとするには、「褒められたということは、それが必要とされているのだろう」と客観的に認識することが必要です。謙虚さと精進を正しく向上させるよう、自己を客観的に見られる能力を磨きたいと思います。
精進致します🙏
少し前までは、私は三流か二流だったかもしれません。一流を目指します!!ありがとうございます!!🙇💦
初めまして、今晩は。私は基本的に「不承不承」で生きていますが心の中には信心を持ち「不真面目に成らぬように生きているつもり」の人物です。例えばそれが「人間では抗う事ができぬもの」であり、私達がそれに「気付きもしないで生きている」場合、それと「どう向き合い、より良く過ごすのか」またはそれと「どう向き合い、心穏やかに過ごすのか」を漠然と、あるいはハッキリと意識しながら考え生きています。「褒める」の問に大愚和尚や私の中に眠る「深層の意識の様なもの」が「読み取れる」として、私や大愚和尚の中にある「褒められた私」と言うものに本当に「意味があるのだろうか」と言う「無意味な疑問」が浮き沈みします。個人的な感想としてはそこにある筈の「感情」は「刺激」により機能する「反応装置」の様なものなので「心波打つ現世」においては「ただ静かに平常を願うべし」との意識を置きたくなります。しかし残念なことにこれが上手く行くとしても消せない懸念は「外部からの悪意ある故意」には滅法弱いなと言う弱点があるのではないかと気が気ではいられないのが「残念な仕組み」ではありますよね。か弱き1個人としては、いま「褒めて」あと「1000年続く世界」切望せずにはいられない気分にはなります。失礼しました。
んなるほど、、、、、!!!力み倒してます笑
昔は褒められても心から受け取らず、自信がなく、ほんとに本気で「そんなことない」などと思ってました。
今はちゃんと受け取るようにしてありがとうというようになりました。今日も言いました。さらに伸ばそうとしていこうと思います。
私も「ありがとう」と受け止めるようにしよう!と日々思っています。
「いぇいぇそんな〜🤚🏻」は、相手の言葉考えを否定することになると思うからです。言いがち思いがちなんだけど‥
素直に受け止めて「そぅ言ってくださり感謝します」の気持ちを意識しています♡
褒めて頂いたら、褒めて頂いた事を伸ばしていきたいと思います。
ありがとうございます。
相手の言葉や態度で心がブレないでいたいものです
良きことをなし、悪きことをやめ、心を清らかに保つ
常に自省し、精進したいと思います
きょうもありがとうございます
ありがとうございます。言われてみれば そうですね。心に留めておきます。合掌
褒められた❤感謝 からの
上昇 🎉向上心❤😂
褒めてうかれるひとのことを見ると、褒められ慣れていないんだなともおもいます。私は幸せものだと、お話うかがったら余計にそう、思いました。褒めてくださる方が多かったから、うかれることもなく、褒めてくださることに感謝な気持ちとなっております
誉められたら、有り難うございます。それ程でもありませんがと謙遜して照れちゃうかな。
先日、お客様が帰られる時一年生位の足の長い男の子を後ろから、「カッコいいんだけど」って思わず口にしたら、その子「ふふっ」って大人みたいに照れ笑いしてました。
初めての方とお話する時は、相手の話を良く聞いて良いところを探して誉めるとぐっと距離が、縮まり話しやすくなります。
褒められたら、良きところを受け入れて更に伸ばしていけるようになりたいと思います。
ありがとうございました。
とても分かりやすく教えてくださいました。ありがとうございます。
ショート動画からこの動画を拝見致しました。和尚様の答え合わせに心を打たれます。精進致します
毎日お話を聞かせていただいています。ありがとうございます。
65歳になります。
いつまで経っても、よく言われるような「(人間が)出来た人」にはなれません。若い時に、人間は一生かけて、「出来た人」になっていくんだ。と常に心に言い聞かせてきました。
が、自分の出来なさを誤魔化そうとしたり、言うべき時に言えなかったり、人の噂をしてしまったり。
その度に、自分が恥ずかしく、本当に嫌になって来て、辛く泣きたくなって来ます。なぜなのでしようか。ずっと何年も積みあげて来たはずなのにある時、ふとタガが外れた瞬間、崩壊してしまいます。「出来た人」になるってどうすれば良いのでしょう。
やったことがないよき事
いい言葉ですね😊
有難う御座います
わかりました 自分の良きところを伸ばすよう 必ず努力します
二流、三流のお話を聞くと、自分のことを客観的に見る能力が重要なのかな? と感じました。
自分の能力を客観的に把握できていないから、「褒められて初めて自分の能力を認識する」ってことですよね? だから調子に乗るのかと。
自分の能力を客観的に把握できていないから、「自分の能力で期待に答えられるのか不安になる」ってことですよね? だから力んでしまうのかと。
自分のことを、より客観的に見られるようになることは非常に重要なことだと思います。
もちろん、完全な客観視が不可能な事は当然のことなのですが、できるだけ客観的に見ようとする姿勢は大切なのでしょう。
自分が客観的に見られていないと、他者の言動で調子に乗ったり、意識して必要以上に力んでしまったりするのですから。
『褒められたことを謙虚に受け止めて、さらに伸ばそうとする。』
謙虚に受け止めるには、「褒められたという事実」を客観的に受け止めることが必要です。
さらに伸ばそうとするには、「褒められたということは、それが必要とされているのだろう」と客観的に認識することが必要です。
謙虚さと精進を正しく向上させるよう、自己を客観的に見られる能力を磨きたいと思います。
精進致します🙏
少し前までは、私は三流か二流だったかもしれません。
一流を目指します!!
ありがとうございます!!🙇💦
初めまして、今晩は。
私は基本的に「不承不承」で生きていますが心の中には信心を持ち「不真面目に成らぬように生きているつもり」の人物です。
例えばそれが「人間では抗う事ができぬもの」であり、私達がそれに「気付きもしないで生きている」場合、それと「どう向き合い、より良く過ごすのか」またはそれと「どう向き合い、心穏やかに過ごすのか」を漠然と、あるいはハッキリと意識しながら考え生きています。
「褒める」の問に大愚和尚や私の中に眠る「深層の意識の様なもの」が「読み取れる」として、私や大愚和尚の中にある「褒められた私」と言うものに本当に「意味があるのだろうか」と言う「無意味な疑問」が浮き沈みします。
個人的な感想としてはそこにある筈の「感情」は「刺激」により機能する「反応装置」の様なものなので「心波打つ現世」においては「ただ静かに平常を願うべし」との意識を置きたくなります。
しかし残念なことにこれが上手く行くとしても消せない懸念は「外部からの悪意ある故意」には滅法弱いなと言う弱点があるのではないかと気が気ではいられないのが「残念な仕組み」ではありますよね。
か弱き1個人としては、いま「褒めて」あと「1000年続く世界」切望せずにはいられない気分にはなります。
失礼しました。
んなるほど、、、、、!!!
力み倒してます笑