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村上隆さんがスーパーフラットなどを提唱して、壮大に地ならしを済ませた後なので大多数の従来日本の美術概念は過去の地層になっています。これは歴史として固めらた事象ですから、いまさら表面をなぞっても滑るだけで、村上の活動が現代日本アートムーブメントの核であることを前提としなければ批評として成立しにくいです。いま以降制作していくなら村上芸術が見えにくくなるぐらい概念の上塗りができる可能性もありますが、現時点では彦坂さんの言っていることはすでに活きた評論活動になっておらず、20年ぐらい遅れている感じがしました。※画面外から糸崎さんの声聞こえたな~
ご指摘ありがとうございます。20年遅れであると言うのは確かです。しかし私は村上さんのパリのぬりえ展も、ニューヨークのリトルボーイも観に行ているのです。あなたは見に行っているのですか、それとも見ないで空論で村上評価しているのですか。村上さんは壮大な地ならしなどしていませんよ。ムダな事をしたのです。
村上が日本美術史においていまや超重要な存在であるという事実を認知されていないのは困りますそれは中学生むけ美術のテキストすら書けないという事態で個人の思想と社会の出来事を区別しない評論では意義は少ないです村上の活動でどれだけ顧客が動きどれだけ経済的取引が成立したかこれは日本美術史上最大級の出来事でしょう空論では無いのは明らかで展覧会動員やオークション取引数・落札額など村上の創造した「実際の価値」を見ましょうよ
@@hikosaka_kitaibunshi村上展を観たというのを根拠にしても説得力はない。理解力がなければわからないでしょう
いつまでもお若いですね。同じ国の超人気芸術家ともなれば悔しくて納得できなくて評価できない。そういった意固地なプライドが日本の芸術延いてはアートという独創性を衰退させていってるようにも思いました。
コメントありがとうございます。私は村上さんは羨ましくはないですよ。パリもニューヨクも見ていますが、今回が一番酷かったです。
作品にたいしての批評ではなく、京都の歴史とこふるさと納税とか周辺環境への批判することがどういう意味があるのか教えてほしい。辛口ではなく、芸術批評でもなく、街のおっさんが状況説明して批判しているように聞こえる。自分の芸術的な価値を論評してほしい。
京都の歴史は好きですよ。私は1972年に、アーティストとして京都でデビューした作家です。
お二人の対談は美術史で例えていうなら1920年に「セザンヌを認める・認めない」という論争をするぐらいの時間のズレでしょうとっくにフォービズムもキュビズムも沸き起こった時代にです2010年代以降には村上よりずっと後の世代が勃興しワチャワチャやって「ロッカクアヤコ」などがすでに日本美術の核になっているのが現代で「梅津庸一 」もすで歴史に組み込まれていますね。
コメントありがとうございます。今回のは、1980年代に起きる新人類の美術の評価を問題にしていて、それがフィクション・アートで、しかも密教化していて、狂気に還元されているということを問題にしたものです。ですので、ご指摘のセザンヌをめぐる問題とは関連していないと私は思います。ご指摘の、時代遅れというご批判は、分からないではないですが、私自身は生成AIアートに展開していて、今回の都現美のコレクションは古く見えるのです。
まあしかし彦坂氏の作品は古臭いです。批評が立つ作家の作品は大概つまらない物が多いですね。
私も。あなたのご意見が未熟で、退化していると見えます。作品を見る眼も幼くて、口先だけのものに見えます。あなたが頑張られて、あなたが望むような成功する大作家になれるかどうかを、自分でご覧なることをオススメします。私にはあなたの未来には興味がありません。
@@hikosaka_kitaibunshi 未熟で退化していて幼くて口先だけとの事ですが、安心しました。閉じた世界の方から見たらそうでないと。村上隆氏の作品については一部の立体作品には惹かれる点ありますが、絵画については特に興味ありません。ですが、村上隆氏は外に向けて発信し、リアクションを受けている点が古臭く閉塞感のある美術界と明らかに違い、素晴らしいと思います。異業種の方々が参加でき、経済を生む力強さに僕は惹かれるのです。丁寧なご返信ありがとうございました。
100年後どっちが評価されるか?
コメントありがとうございます。あんなにひどい作品は、残念だったと思います。
梅津庸一 クリスタルパレスはみましたか?
観ませんでした。梅津さんとは、何回か見たり展覧会もやっているのですが、私の方が呆れて、一切見ナックなっています。ダメだと思います。
村上隆さんがスーパーフラットなどを提唱して、壮大に地ならしを済ませた後なので大多数の
従来日本の美術概念は過去の地層になっています。
これは歴史として固めらた事象ですから、いまさら表面をなぞっても滑るだけで、
村上の活動が現代日本アートムーブメントの核であることを前提としなければ批評として成立しにくいです。
いま以降制作していくなら村上芸術が見えにくくなるぐらい概念の上塗りができる可能性もありますが、
現時点では彦坂さんの言っていることはすでに活きた評論活動になっておらず、20年ぐらい遅れている感じがしました。
※画面外から糸崎さんの声聞こえたな~
ご指摘ありがとうございます。20年遅れであると言うのは確かです。しかし私は村上さんのパリのぬりえ展も、ニューヨークのリトルボーイも観に行ているのです。あなたは見に行っているのですか、それとも見ないで空論で村上評価しているのですか。村上さんは壮大な地ならしなどしていませんよ。ムダな事をしたのです。
村上が日本美術史においていまや超重要な存在であるという事実を認知されていないのは困ります
それは中学生むけ美術のテキストすら書けないという事態で
個人の思想と社会の出来事を区別しない評論では意義は少ないです
村上の活動で
どれだけ顧客が動き
どれだけ経済的取引が成立したか
これは日本美術史上最大級の出来事でしょう
空論では無いのは明らかで
展覧会動員やオークション取引数・落札額など
村上の創造した「実際の価値」を見ましょうよ
@@hikosaka_kitaibunshi
村上展を観たというのを根拠にしても説得力はない。
理解力がなければわからないでしょう
いつまでもお若いですね。
同じ国の超人気芸術家ともなれば悔しくて納得できなくて評価できない。
そういった意固地なプライドが日本の芸術延いてはアートという独創性を衰退させていってるようにも思いました。
コメントありがとうございます。私は村上さんは羨ましくはないですよ。パリもニューヨクも見ていますが、今回が一番酷かったです。
作品にたいしての批評ではなく、京都の歴史とこふるさと納税とか周辺環境への批判することがどういう意味があるのか教えてほしい。
辛口ではなく、芸術批評でもなく、街のおっさんが状況説明して批判しているように聞こえる。
自分の芸術的な価値を論評してほしい。
京都の歴史は好きですよ。私は1972年に、アーティストとして京都でデビューした作家です。
お二人の対談は美術史で例えていうなら
1920年に「セザンヌを認める・認めない」という論争をするぐらいの時間のズレでしょう
とっくにフォービズムもキュビズムも沸き起こった時代にです
2010年代以降には村上よりずっと後の世代が勃興しワチャワチャやって
「ロッカクアヤコ」などがすでに日本美術の核になっているのが現代で
「梅津庸一 」もすで歴史に組み込まれていますね。
コメントありがとうございます。今回のは、1980年代に起きる新人類の美術の評価を問題にしていて、それがフィクション・アートで、しかも密教化していて、狂気に還元されているということを問題にしたものです。ですので、ご指摘のセザンヌをめぐる問題とは関連していないと私は思います。ご指摘の、時代遅れというご批判は、分からないではないですが、私自身は生成AIアートに展開していて、今回の都現美のコレクションは古く見えるのです。
まあしかし彦坂氏の作品は古臭いです。批評が立つ作家の作品は大概つまらない物が多いですね。
私も。あなたのご意見が未熟で、退化していると見えます。作品を見る眼も幼くて、口先だけのものに見えます。あなたが頑張られて、あなたが望むような成功する大作家になれるかどうかを、自分でご覧なることをオススメします。私にはあなたの未来には興味がありません。
@@hikosaka_kitaibunshi 未熟で退化していて幼くて口先だけとの事ですが、安心しました。閉じた世界の方から見たらそうでないと。村上隆氏の作品については一部の立体作品には惹かれる点ありますが、絵画については特に興味ありません。ですが、村上隆氏は外に向けて発信し、リアクションを受けている点が古臭く閉塞感のある美術界と明らかに違い、素晴らしいと思います。異業種の方々が参加でき、経済を生む力強さに僕は惹かれるのです。丁寧なご返信ありがとうございました。
100年後どっちが評価されるか?
コメントありがとうございます。あんなにひどい作品は、残念だったと思います。
梅津庸一 クリスタルパレスはみましたか?
観ませんでした。梅津さんとは、何回か見たり展覧会もやっているのですが、私の方が呆れて、一切見ナックなっています。ダメだと思います。