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一宮制が始まったのは平安時代から律令時代では各地の神社の神主が年に一度都に赴いて国の神官から御札を授かる制度があったんだけど、都から遠い所にある国の神主が取りに来なくなった以降は神主の代わりに国司が都に行って御札を授かり地元の神社に収める制度が出来上がり、国司が優先して参拝する神社に序列を付けたのが一宮制度のはじまりです。
茨城県の御岩神社がある賀毘礼の山にも縄文時代の祭祀遺跡が発見されているそうです。鹿島神宮も武御雷(天照サイドの柱)より以前に何かしらの神を祀っていたとされています。御岩神社は山、鹿島神宮は海ですが、(御岩神社も比較的海に近いですが)列島では東側に位置している事が太陽信仰と関係がありそうな気がします。天照にどのように侵略されていったのかが非常に興味ある所です。
ラブ&ピースと言うが、タケミカヅチやフツヌシのような武神を派遣して、強引にオオクニヌシに国譲りを迫ったりするのは、ラブでもピースでもないような…。
ラブ&ピースは理想のゴールを素敵な目標にしているだけで、実際はそのラブが一番卑しい愛、そして妬ましい欲に繋がり、世界はピースというゴールに辿り着くまでに、ホモサピエンスから今まで辿り着けていない戦いだらけの人類なのです😅先祖が唯一ピースに近かったのは長く続いた縄文時代に学ぶべき礎があるかもしれませんね😊
外国人が自国の神話を学ぶように日本人も日本神話を一度は学ぶべき学ぶと淡路島→四国→徳島へと繋がる伊予の国 徳島が熱い
ふむ。でも邪馬台国は四国にはないからね。
@@たけいいちろう-b6s 九州説,畿内説が有名ですが深掘りすると阿波説もあるんじゃないかなと思います。100%ではないとこが歴史の面白いところだと感じます。
三ツ鳥居が普通に見られるのは元伊勢と云われる摂社の檜原神社ですね。神宮に参拝後に大神神社と檜原神社に参拝するのが好きです。近鉄特急に乗ればそう遠くありません。
埼玉の三峰神社も三ツ鳥居ですね。山岳信仰から考えても、何かしらの繋がりがありそうな感じをします。
大神神社、関東住みの私が何度でも足を運びたいくらい凄く神聖で心洗われる場所。今までに足を運んだ神社の中で間違いなく一番落ち着く神社。関西方面に旅行に行く時は絶対予定に組み込んでしまう。
以前磐座のある山頂まで登ったことがある。撮影禁止だけど今の時代撮ってる奴いるでしょうね。ここは三島由紀夫の豊饒の海の舞台の一つでもある
好きな神社の1つです。
大神神社、大和神社、玉置神社、幣掛神社、石上神宮、勝手神社、檜原神社、生國魂神社、井光神社なんかは全部、紀元前に建てられてるし奈良県にあるってのも良いよね
とてもわかりやすくて素晴らしい動画でした。感謝します。
キリスト教の三位一体は4世紀頃に成立したものだから、三輪山のそれと関連付けるのはかなり無理があります。無視すべものですね。
三位一体はあとづけだけど三柱というのはユダヤ教~イスラム以前で古くからある、ユダヤ教だと4千年前?三柱の一つが月と豊穣の女神アッラーフ(性別ないとか男って説も)
@@zoob6510世界で初めての一神教が3500年くらい前のエジプトだから、ユダヤ教は4000年もないと思う
教科書的にはそれであってますが、考え方自体はもっと古くからありますよ
キリスト教がユダヤ教の亜種で、ユダヤ教はユダヤ人のみ救われると言う宗教
東にはかなり古い神社があり、どうも古事記や神話と辻褄があわないのはそもそも人種や信仰してる神が違ったからということでしょうな。
大国主の和魂が大物主で、大国主が困ったときに現われたという話が、なんだか大物主が大国主のスタンドみたいだな~とか、古代史と全然関係ない事を考えてしまった(笑)
大陸から弥生人かもたらしたって話がよく引用されがちだけど〜米とか鉄とか神社の鳥居を建てたのが弥生人だとしたら大陸に鳥居や神社のような建造物(構造物)があるってことですよね?🙄聞いたことないけど?
Wikipediaでさえ鳥居で検索したら海外の類似がたくさん画像付きでありますですよ
北部九州の朝倉にある大己貴神社(おおなむちじんじゃ)が日本最古の神社という話もあります。
うちの本家がその土地にいます神社がある訳でなく由来も分からない磐座と神木を祀ってる場所を、掃除したり山が見えるように伐採したりずっと管理してます先祖代々の氏神みたいなものだと思いますけど、ロマンありますよね
いにしえに思いをはせられるすばらしい神社です。縄文、ヤマト王権、今、生きている我が身、時空を超えて原初の日本に辿りつけられます。蛇足ですが、大神神社を通る山の辺の道もすばらしいですし、ヤマトは国のまほろばと語ったヤマトタケル様の存在も感じられます。
大神神社のキーホルダーを愛用しているYO! 三輪山は古代の信仰の原風景だと思うYO!
大神神社は福岡の大己貴神社の移転先の神社。邪馬台国九州説、地名の一致、安曇族と出雲、大国主神三韓征伐と神功皇后と卑弥呼。1本ミステリーハンターで動画が出来るくらい面白いですよ
象形文字で思い出したけど、大和三山も昔は蛇の形を信仰したもの。だから奈良の大和三山は、あとの時代に真似して着けただけの名前。本当の大和三山は、福岡の香春岳、うねび山と並んだ3つの山。
大神神社が正一位となり現在で奈良県に祀られたのは平安時代、元は九州北部にありました。ご神体の三輪山も本来三連山の意味で九州にある香春岳だったようです。香春岳は石灰岩でできており昔は木も生えず真っ白い三連山で、ご神体にふさわしい姿をしていたそうです。この地から弥生文化が日本全体にひろがりました。弥生文化を運んだ人たちは入植先でも大物主(オオナムチ、スクナビコナ)、いわゆる天神様を祀り、ミワ、ミノワという古い地名とともに全国に神社を残しています。まさに日本人にとって大神神社は最古の神社であり、大物主は米づくり、酒造りの神様です。後のヤマト政権、その後の政変でその名を隠しもっとも位の高い神様を変えたかったようです。古事記では大国主を同じものとしています。
勉強になります
初耳ですね記紀では紀元前と成っている様ですがどちらの資料で調べられますか🤔
@@田中しんじ-h9c 福永晋三先生の説です。講演の動画を拾ってみました。もともと漢文の先生で、記紀、万葉集ほかを読み解いて説明されています。十分な論拠をもった説と思います。th-cam.com/video/7JC7_dvVxrY/w-d-xo.htmlth-cam.com/video/l7CwiFgE9xA/w-d-xo.html
磐座の存在から、遅くとも古墳時代には神格化されていたと思われますので、ちょっと同意しかねる話ですね。正一位に任じられたのは平安時代でも、創建されたのはもっと古いのでは?
辺津磐座から発掘された5世紀ごろの山ノ神遺跡からは祭祀用具が多く出土している。平安時代はあり得ないですね。
14:24 大神神社のご神紋は三つ巴ではなく三杉のはず。
神宮よりも古いと言うのはあまり効果的ではない。伊勢に奉じられたのはすいぶん後になってからだから。大神神社は古いと言っても限界が地理的条件と地学的条件がある。最古と言えるのは限定は出来ないが、東日本の古い諏訪、熱田、三峰、香取、鹿島だろうが、神社として成立したのはほぼ同時期とも考えられる。
あとは島根県の須賀神社も最古の一つとして崇められてますね。
須我神社は日本における最初の和歌が遺る神社として最古と言われてますよね?ヤマタノオロチ伝説の由緒にも通ずる神社のはずです。なので「文字」に通じる以上、西日本の神社です。記紀の由緒を持つ神社である以上ではないと考えます。大神神社が地理的と地学的と言うのは、鬼界カルデラ噴火による西日本全体が過疎化した現実があるからです。東日本側は多少の影響はあったにしろ、その後の生活を遮られる事はありませんでした。この大災害により東西の文化と主権的立場の差は安易に埋められる差ではないのです。熊本の幣立神社、大分の宇佐神宮もそういう条件で再入植後に成立した神社と考察出来るのです。
諏訪の方が古い気がする
蛇、三輪山・・・・龍蛇信仰、そして太陽信仰と三輪山は女体と生命の誕生と再生・・・・古代出雲王国そのままでしょう。
この動画と関係あるようでない話だけど、神話って面白いよなそもそも神が人の姿をしているというのは主にキリスト教的な考え方で、動物や植物、山や川にさえ生命というか霊が宿るというのが日本古来の考え方じゃあ日本の神話である時(古事記くらいかな?)を境にメインで語られるようになる神=人型はどこからもたらされたのか日本にも文明が発達するにつれて人=万物の霊長という考え方をする者が現れてもおかしくはないし、動画で少し触れられている渡来人の影響があったのかもしれない渡来人の全てが大陸からやって来たとも限らず、たまたま流れ着いた西洋人、数奇な縁で何世代も経てわずかに思想を受け継ぎながら大陸を伝わり渡来人となった家系の者かもしれないそうなるとユダヤ教やキリスト教の影響説がトンデモとも言い切れないわけで全部が全部じゃなくてそういう小さな要素、思想、宗教観が少しずつ混ざり合ってできたのかもと思うと奥深さと果てしなさを感じる〇〇の理由はこれ!と断定したい人にはモヤッとして気持ちの悪い話かもしれないけどね
なかなか面白い動画でした。でも、弥生人が渡来人という説は、今では否定されていると思うよ。
月読尊は、他国の神話と違って、男性神ですよね?🤔
うぅ〜ん、比較的近くに住んでて何度も行ってるのに中に入る事が無かった、と言う事は呼ばれていなかったんだな…中に入りたかったのに…御神体が蛇って聞いてなるほど!と。蛇、メッチャ苦手なんだよ。嫌いじゃないが近寄れないんだ。だから呼ばれなかったのかも!?橿原神宮には一度だけ行った。三輪神社は何度も行ったのに…
5:22疫病が治まったのは崇神天皇(大物主の子孫)が大物主を祀ったからではなく、その後の太田田根子(大物主の男系子孫)が大物主を祀ったからではなかったでしょうか。
しめ縄も男女の蛇の合体だとかの説もあったような
出雲大社も大神神社と同じく御神体は山で縄文時代からの複合遺跡だよ。大神神社と同じく、いわゆる国津神の系統だね。アマテラスの天津神とは姉弟のスサノオ→6代後の大国主命。それと、ユダヤ系の秦氏とて、元は縄文系のUターン族との話もある。殷や三星坦なんかも怪しいよね。
三輪山を歩く時、会話が禁止されてるとは知りませんでした。思いっ切り喋ってました。反省
大学院で祭祀考古学を専攻しています。この類の動画を見ていると誤った認識が多く、もやもやするので少し書き留めます。まず神道が縄文時代から続く(この動画にもある)というのがありますが、誤りです。基本的に神道は農耕祭祀から生まれたものなので、それまでの狩猟祭祀を基礎とした縄文祭祀とは隔絶があります。もちろんミクロで祭祀の連続があるかもしれませんが、マクロで見ると縄文時代と弥生時代の祭祀は連続性が見られません。そして神体山として山が祀られることはよくありますが(三輪山もそう)、これも山は農耕に必要な水を与えてくれる場所として信仰が集まったからとされ、やはり弥生時代以降です。さて、それでは三輪山に関してですが、三輪山で祭祀が明確に見られるのは4世紀後半からです。弥生時代どころか古墳時代からです。確かに弥生時代の土器も見つかっていますが少量であり、大量の祭祀具が見つかるようになるには4世紀後半からです。動画で縄文時代(一万年前!?)と言ってますが、誤りです。大神神社は日本最古の神社と言われたりしていますが、正直私にはその根拠がわかりません。本殿がないから最古と言われても、山をご神体としている神社なんていくらでもありますし、まだ伊勢神宮の方が弥生時代の農耕祭祀を受け継いでいますし、建築も高床式から影響を受けているので、個人的には伊勢神宮の方が古いと言えると思っています。このような動画で、アカデミックで一般的に言われている言説を言っているのは見たことがなく、ほとんどが怪しい話だけを言っておりうーんと思っています。もし何かありましたら返信をお願いします。
縄文時代にも栗や陸稲などの管理栽培はあったんでないの?宗像神社の沖ノ島にも6千年前からの祭壇があるそうだけど…?
@@たぬ-w8k ありがとうございます。最初の問いに関しましては、私の伝え方が悪かったです。大場磐氏や柳田国男氏が言うように(著・神道考古学講座)、神道というのは大陸から農耕が伝わったときにその人たちが信仰していた宗教です。そのため縄文時代、弥生時代というのではなく、農耕が伝わったタイミングが正しいですね。私が伝えたかったのは、このような動画では「神道は縄文時代から(何万年前から続く)宗教」という意味を込めて縄文時代から続くとしていますが(この動画もそう)、そんなことはないということです。沖の島の祭祀については、6000年前というのはどのような祭祀のものでしょうか?
最近では縄文時代から定住し農耕していたと思われる。稲は在来種を使用した、世界初の農耕。栗等保存する為の土器開発。その応用で煮炊き。今、縄文時代が熱いですね。
伝承では三輪山ふもとの檜原神社を出発した倭姫が創建したのが伊勢神宮とされているから、そういうことなんじゃないかな。祭祀跡にしても、そもそも禁足地の調査なんかできないから、現状の発掘で時期を決めつけるのも違うし。縄文云々と三輪山は関係がないというのはその通りだね
@@ハンドレッツチャンネル ありがとうございます。ご存知かも知れませんが、禁足地も意外と調査されています。和田萃氏の「三輪山祭祀の再検討」では三輪山の祭祀遺跡を23箇所挙げられており、うち2箇所は禁足地です。また1984年に防災の観点から禁足地に工事が必要で、その時の調査で斎場が見つかったり、また昭和初期の神道考古学者はこっそり三輪山に入って表採を調査しています。それらの上で祭具どころか4世紀後半より遡る遺物はほとんど見つかっていない(ほんの少しの弥生時代の土器はある)ので、もちろんないとは言い切れませんが、一つ言えることは4世紀後半から盛んになっている、ということは言えます。これもまぁ見つかっていない禁足地から2世紀の祭具が大量に見つかる可能性もありますが、そんなことを言えば三輪山に限らずほとんどが「あるかも知れない」に支配されるのであまり好きではありません。大事なことは現状で考えうる最も妥当性のある結論を出し、あとは未来の新しい発見に際し少しでも貢献になることを残したいくらいですね。それと檜原神社のことに関しては、記紀のことは最大限評価したい気持ちはありますが、三輪山から伊勢に行ったというのは個人的にはうーんと思っています。やはり記紀は前提として疑わないといけないですし、考古学的に連続性が見られたらいいんですがね。面白い考えとしては黒田龍二さんの「纏向から伊勢、出雲へ」という本があります。三輪山の麓にあった纏向遺跡の建物が伊勢神宮の建築と似ていることなどから、また記紀の内容と照らし合わせ「纏向→伊勢」を考えられています。これなら檜原神社の考えても一致していますね。
中国の奥地に弥生人と同じ様に木彫りの鳥を乗せた鳥居、貫頭衣、米づくり、盟神探湯、高床式住居の文化を持つ一族があって、鳥居は山の神様を出迎えて豊穣や自分達の幸福を願うためのものだそうです
梅原猛氏によると、鳥は現世と神の国を行き来する魂が具現化したものという思想があり、鳥居はその鳥が行き来するための目標で空港の様なものかな。その鳥居が三つあるというのは向かう神の国が三つあったと考えられないだろうか?つまり、祀られている神は三柱あり、それぞれ別系統の出自の神ということで鳥居も三つ必要としたのかもしれません。
太陽アマテラス月ツクヨミ大地スサノオこの3つで別々に祀られていたなら、太陽信仰と海洋民族であった昔の縄文人との繋がりや、百襲姫は卑弥呼って説と少しだけ繋がってきますね😊ただ3つの鳥居の3つは後付けで、別の三山があっただのどうだのありますし、まだまだ分からんですな~😅カルデラ大噴火で九州やもう少し下の大陸ボロボロになった時期がシュメール文明や縄文時代に影響を与えてるのも含め、大神神社は運良く残っていたと考えたいですが、もっと書物などが見つかると存在を裏付けるんですが、時間がかかりそうですね😵💫
補足、三位一体はアレキサンドリアの大司教アタナシウスの学説とされています。
サントリーとウィスキーは必然やったということやな
毎日、三輪山の麓で住んでいるので、身近な存在でした。愛子さまも橿原神宮じゃなくて、先に大神神社に参詣しても良かったかも😮
年代がわかるような文献や遺物は5世紀くらいが限度だからな。それ以前のものも多くあるだろうけど年代を推定するのは難しい。
大神神社は「三輪明神」と呼んだりもしますよね御神体の三輪山は隣の「薬の神様」狭井神社から登ることが出来ます
拝殿まで3分のところに住んでいる。25年くらい前までは静かな神社だったのに…。今は正月に車が出せない。地元民は悲喜こもごも…。
天理の石上神宮、大和神社も日本最古と謳っていた様な。 大和神社は戦艦大和内にも祀られていた事でも有名
天理市の大和神社は戦艦大和の名前の由来になっています。
京都の松尾大社にも岩座が在りますね これも禁足地だったかな
昔は美和乃御諸宮、大神大物主神社、三輪明神と呼ばれ、明治時代になって「大神神社」と改名された。日本最古の一つなのに「大社」でもなくい神社のランクでは4番目
大神神社は大好きな神社です。二の鳥居をくぐって参道を歩いているととても気持ちがいいです。卵とお酒を奉納するんですけど門前の商店街では10個パックの卵しか売ってないので残り9個を旅の最後まで持ち歩いていました。参拝後のそうめんも楽しみのひとつです。
特に九州や畿内の地名の漢字は、日本に漢字が入ってからそれまで伝わってきた地名に音を宛てただけだから漢字の意味から考察するのは間違いしかないな
奈良は三輪山から朝日が昇り二上山に落日します。
旧約聖書のモーセ以下ヘブライ人がシナイ山を拝んでいたように、我々日本人の祖先も三輪山を拝んでいたのでしょうね。
神社や神に格式とか、無い。現地に行くと分かる。自ずと理解する。私は無宗教者だけど、古代からの人の思いは感じるものです。
福岡に大巳貴神社がある。三輪山も。地名がめっちゃ被ってるんだよね。
移動した際に同じ名前をつけたんだろうな
福岡と三輪山近郊に共通の地名が多いのは割に有名ですが、三輪山近郊には出雲という地名もあるんだよね。
綺麗な三角なシルエット、ピラミッドって事は無いですよね?秋田のピラミッド、黒又山と大湯環状列石の隣接具合と、ご神体と鳥居の関係に重なって仕方が無いのです。
某オカルト伝奇小説の中では、「ピラミッドの本来が "奇麗な稜線の自然山" で、エジプトでは山が無いから石で模造したんだよ!」Ω ΩΩ ナ、ナンダッテー!!と言う説を唱えていました。
私しは会員なんだけど三諸杉は本当に旨いぞ。
「和合」 の精神 のちの茶の湯の一座建立かな!
2024年6月17日(月曜日☁15時31分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
HELLO🎉菊谷
ヘビと神道とか風習って、色々結びついてる話多いんだよな。鏡餅もヘビのとぐろとか言われてるし
毎年お詣りに行っています。ある時、参道の石垣を白蛇さんが登っていて、「おぉ、流石は大神神社」と思いながら手を合わせていたら隣をツアー客が通りかかり、添乗員が「あぁ、アオダイショウですな」と一瞥して行ってしまいました。いや、もぅちっと言い方あるだろうにw
古事記以前の神社なは見た目は今とは違うのでしょうね。
ミワヤマじゃなくてミワサンって呼んでたわ。昔、神社の木に白い蛇がいて、そいつのために卵をお供えしてる人がいた
三ツ鳥居は、中国では廟などに普通に用いられているので、渡来人が持ち込んだと考えるのが自然だと思います。
ずんだもん、オーテピアの蔵書「神人系譜」に大物主の事が記されているのだ🎵
今はおもいっきり観光地だし、その昔は豪族、武将なので血生臭い歴史も有るでしょうが、現在に至るまで代々阿蘇氏当主が神職を務められる阿蘇神社も紀元前から存在するそうです。
地元栃木にも大神神社がある。何やら縁があるようだけど、よくわからん(*'▽')
海外からの観光客は禁足地で撮影禁止の看板が有っても平気で撮影している神や仏の罰当たりが大規模災害に繋がる。かも?
外国人は入山禁止にしないと
日本は法治国家なので法に抵触しない古い慣習や宗教のしきたりは強制できないからね。日本はこういう法に依らないルールが多いから外国人が増えるとトラブルも多くなるだろうね。
@@zennin375 法律とか関係無く、世の中不思議な事が起こることもある。特に言葉にした時などに本当に起こり得ることがある、よく分からないけど長年の経験則等で禁止されている事を破ればどうなるか、今でも道の途中とか変な場所に動かせていない障らずの処が日本中に在る。
@@Kei-cp2kt そういう宗教的なのも秩序を守るために作られたものだよね。同じ信心とか価値観を持った集団の中でしか通用しないと思うよ。
いくら宗教がちがうからといってルールは守ってほしい。
百襲姫命は卑弥呼じゃないかと言われてる人ですね。あと、近くの檜原神社(サムネのやつかな)も三ツ鳥居ですね。
モモソヒメが御祭神の神社が讃岐に多いです。讃岐一宮田村神社の御祭神もヤマトトヒモモソヒメです。
流石に三ツ鳥居とキリスト教との関係はちょっと穿ち過ぎのような気がしますけれど。まあ飛鳥時代頃には厩戸皇子は母親の間人皇后が厩で産気づいて生まれたとか、いろんな面でキリスト教の影響と見られるものがありますけど、この時期にはネストリウス派のキリスト教が大陸から来日した渡来人によって伝えられていたみたいですが。そういえば、青森にはキリストの墓もあったっけ、、、って事は影響があってもあながち不思議じゃないのかな?
そういやキリストのシンボルって魚なんだよねトルコには魚の好きな兄は東へ行って日本人になったって言う伝承があるというが、それってもしかしてキリスト本人じゃないにしてもなんかあるかもね
あれ?と思って聞いてたら大物主が大国主なのね。
同時進行でコミュケ手段の変遷❓
ケルト神話みたいだ
古事記とかは面白いけど一族の正当化みたいに思うけど、多神教は最高だと思う。一神教の他は邪教って考え方やめて欲しいわ。結局自分達の都合ゴリ押しに思う。
三ツ鳥居の上を瓦にしたら 日本の門 神棚にも門が有る
上古の時代では神社=公共窓口兼行政庁舎兼祭祀場だった訳だからしょうがないね
大国主=大物主ラダゴンとはマリカである…?
かぐや姫…三寸ばかり成人…三ヶ月で成長…3月… 3は神の数字?
「今では拝殿に ご神体を祀るようになったが」 ?ご神体を祀るのは 本殿。拝殿に ご神体は無い。拝殿から ご神体(三輪山)を拝む。
何にしても古さ比べは鬼界カルデラ噴火で九州はリセットかかってるから答えが出ないと思うなぁ。
17:01 「鳥居っていうのは、女性が脚を開いて立っている姿」。それは「参拝時に縄(男根)を振り鈴(玉)を鳴らし、ドピュっと賽銭(供物)を吐き出す」というのと同次元の解釈www
秦氏がユダヤ人でキリスト教の元になったのがユダヤ教であってそれ故日ユ同祖論(日本人とユダヤ人は祖先が同じなのではないかという説)というものがある事も説明すべきだろ、そこまで書くなら
サムネは檜原神社かな?
旨し酒、三輪の枕詞ですね。
「礼節、尊敬」と言えば高尚に聞こえますが、「ラブ&ピース」と言ってしまうと、いきなり陳腐になってしまいますね(笑)
おいおいこのチャンネルもオカルトかよって思ったらwまとめ方綺麗ねw
若宮例祭は鳥肌たったな~。
アダムとイブに禁断の果実を食べるようにそそのかしたのも蛇だったんじゃ?
考古学者は三輪王朝が現皇統の前に有ったと言っていた。
厩戸皇子がニケーア公会議によって異端とされたネストリウス派キリスト教の関係があった様に、ヘビを祀る神社に三位一体の教義のイメージを押し付けたという妄想が捗りましたw
なんだか…蟲師を感じるな…ネタの元に含まれてるのかな…
三ツ鳥居ってめちゃくちゃ大陸の三門に似てるやん
今でも弊立神宮が最も古来からある神社だと思っています。。(願望)
諏訪人ですけど諏訪大社ってつくほうが位が高いって思ってたんだが違うのかい?
😂😂😂😂😂😂調べるが良い若者よ
古代日本で信仰されてた自然崇拝の対象だった三輪山が後から神社のシステムに組み込まれたのかな?
興味深い情報をいつも有難うございます。動画を見ていて思ったのですが、渡来人という名称で呼ぶ前から多くの縄文日本人とは異なった種族が流れついたりして縄文日本に融和し仲良く暮らしていたのだと思いますが、ある時、九州あたりに流れ着き居住していて後に渡来人と呼ばれる異人種が東征というテロ等を行い、旧来からの居住者の人身や富等を簒奪し、国家らしきものを作ったのではないでしようか?!単純に考えるならば、同じ人種や意識を持ったものならば征伐等する必要などありませんからね。一説には火山への生け贄信仰や顔面への刺青を無くすためとか言われていたりしますが、腑に落ちないですね。まあその後も大化の改新等の紆余曲折はあるようですが。また、大神神社の巳、三が元になって原始基督教の三身一体が出来たのではないでしょうか?!このように想像が膨らみますので、今後も面白くためになる情報動画をお願いします。
いやぁ~、流石に箸が刺さったときは痛かったですねぇ
伊勢の神の故郷、三輪山。思えば伊勢の神と三輪の神一体二神の御事。今更何を岩倉や!(能楽。三輪より)そもそも、出雲の国教、幸の神信仰の神々を出雲より奉迎して鎮祭するのが三輪山。南となりの鳥見(トビ)山の霊畤(祭場)から三輪山を望んで姫巫女が祭祀を行った。その最後の姫巫女、登美の佐保日女命が大和から追放されて伊勢に至り、女神の形代とされた平縁の神獣円鏡(元は物部の鏡)を鎮祭したのが内宮の端緒
日本の初代天皇はニギハヤヒであるニギハヤヒは奈良の三輪山に葬られている
京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)や松尾大社なんかも元々背後の山を祀る土着信仰の場だったところへ後付けで日本神話の神を祀る社を立てたタイプですね。これらの「いつできたかよくわからん」系の神社は大和王権やさらにはその前の卑弥呼の時代の倭国統一政権樹立の歴史の一端が伺える縁起を持ってる事が多いです。
家の近辺だけでもクソみたいに神社あってさ御先祖様エグいよ🥺
高千穂の北上神社とくしふる神社は古神道の神社だから神道が伝わる前から存在する最古の神社の一つ。両方共御神体は山でありお社は無かった。
大神神社から太陽が登る方向に「三重県」、これも「三」つながり?
三輪山の夏至の日の上る方角にあるのは二見ヶ浦の夫婦岩だと言われてます。
奈良にはホントいろいろ残ってるね。今では主流ではないけど、地元神や精霊信仰とか。整理されてない原初の信仰対象とかが見えて興味が尽きない。
「最上位の神社」って、まぁ日本語として意味の通ってる叙述文ではあるのですが、日本の八百万神にそれぞれ位(くらひ)などないわけで。罪咎憂いばかりでできてる私の肉体の内神さんと大神神社に恐れ多くもいまします大物主神さんと、序列なんぞないわけで・・・。かしこし、かしこし👐👐☺
徳島の谷の親父様は大物主はスサノオとのことスサノオも複数人いたようだし役職名だからわかりづらいよね
一宮制が始まったのは平安時代から
律令時代では各地の神社の神主が年に一度都に赴いて国の神官から御札を授かる制度があったんだけど、都から遠い所にある国の神主が取りに来なくなった
以降は神主の代わりに国司が都に行って御札を授かり地元の神社に収める制度が出来上がり、国司が優先して参拝する神社に序列を付けたのが一宮制度のはじまりです。
茨城県の御岩神社がある賀毘礼の山にも縄文時代の祭祀遺跡が発見されているそうです。
鹿島神宮も武御雷(天照サイドの柱)より以前に何かしらの神を祀っていたとされています。
御岩神社は山、鹿島神宮は海ですが、(御岩神社も比較的海に近いですが)
列島では東側に位置している事が太陽信仰と関係がありそうな気がします。
天照にどのように侵略されていったのかが非常に興味ある所です。
ラブ&ピースと言うが、タケミカヅチやフツヌシのような武神を派遣して、強引にオオクニヌシに国譲りを迫ったりするのは、ラブでもピースでもないような…。
ラブ&ピースは理想のゴールを素敵な目標にしているだけで、実際はそのラブが一番卑しい愛、そして妬ましい欲に繋がり、世界はピースというゴールに辿り着くまでに、ホモサピエンスから今まで辿り着けていない戦いだらけの人類なのです😅
先祖が唯一ピースに近かったのは長く続いた縄文時代に学ぶべき礎があるかもしれませんね😊
外国人が自国の神話を学ぶように
日本人も日本神話を一度は学ぶべき
学ぶと淡路島→四国→徳島へと繋がる
伊予の国 徳島が熱い
ふむ。
でも邪馬台国は四国にはないからね。
@@たけいいちろう-b6s 九州説,畿内説が有名ですが深掘りすると阿波説もあるんじゃないかなと思います。
100%ではないとこが歴史の面白いところだと感じます。
三ツ鳥居が普通に見られるのは元伊勢と云われる摂社の檜原神社ですね。神宮に参拝後に大神神社と檜原神社に参拝するのが好きです。近鉄特急に乗ればそう遠くありません。
埼玉の三峰神社も三ツ鳥居ですね。
山岳信仰から考えても、何かしらの繋がりがありそうな感じをします。
大神神社、関東住みの私が何度でも足を運びたいくらい凄く神聖で心洗われる場所。今までに足を運んだ神社の中で間違いなく一番落ち着く神社。関西方面に旅行に行く時は絶対予定に組み込んでしまう。
以前磐座のある山頂まで登ったことがある。撮影禁止だけど今の時代撮ってる奴いるでしょうね。
ここは三島由紀夫の豊饒の海の舞台の一つでもある
好きな神社の1つです。
大神神社、大和神社、玉置神社、幣掛神社、石上神宮、勝手神社、檜原神社、生國魂神社、井光神社
なんかは全部、紀元前に建てられてるし奈良県にあるってのも良いよね
とてもわかりやすくて素晴らしい動画でした。感謝します。
キリスト教の三位一体は4世紀頃に成立したものだから、三輪山のそれと関連付けるのはかなり無理があります。無視すべものですね。
三位一体はあとづけだけど三柱というのはユダヤ教~イスラム以前で古くからある、ユダヤ教だと4千年前?
三柱の一つが月と豊穣の女神アッラーフ(性別ないとか男って説も)
@@zoob6510
世界で初めての一神教が3500年くらい前のエジプトだから、ユダヤ教は4000年もないと思う
教科書的にはそれであってますが、考え方自体はもっと古くからありますよ
キリスト教がユダヤ教の亜種で、ユダヤ教はユダヤ人のみ救われると言う宗教
東にはかなり古い神社があり、どうも古事記や神話と辻褄があわないのはそもそも人種や信仰してる神が違ったからということでしょうな。
大国主の和魂が大物主で、大国主が困ったときに現われたという話が、なんだか大物主が大国主のスタンドみたいだな~とか、古代史と全然関係ない事を考えてしまった(笑)
大陸から弥生人かもたらしたって話がよく引用されがちだけど〜米とか鉄とか
神社の鳥居を建てたのが弥生人だとしたら大陸に鳥居や神社のような建造物(構造物)があるってことですよね?🙄聞いたことないけど?
Wikipediaでさえ鳥居で検索したら
海外の類似がたくさん画像付きでありますですよ
北部九州の朝倉にある大己貴神社(おおなむちじんじゃ)が日本最古の神社という話もあります。
うちの本家がその土地にいます
神社がある訳でなく由来も分からない磐座と神木を祀ってる場所を、掃除したり山が見えるように伐採したりずっと管理してます
先祖代々の氏神みたいなものだと思いますけど、ロマンありますよね
いにしえに思いをはせられるすばらしい神社です。縄文、ヤマト王権、今、生きている我が身、時空を超えて原初の日本に辿りつけられます。蛇足ですが、大神神社を通る山の辺の道もすばらしいですし、ヤマトは国のまほろばと語ったヤマトタケル様の存在も感じられます。
大神神社のキーホルダーを愛用しているYO! 三輪山は古代の信仰の原風景だと思うYO!
大神神社は福岡の大己貴神社の移転先の神社。
邪馬台国九州説、地名の一致、安曇族と出雲、大国主神
三韓征伐と神功皇后と卑弥呼。
1本ミステリーハンターで動画が出来るくらい面白いですよ
象形文字で思い出したけど、大和三山も昔は蛇の形を信仰したもの。だから奈良の大和三山は、あとの時代に真似して着けただけの名前。本当の大和三山は、福岡の香春岳、うねび山と並んだ3つの山。
大神神社が正一位となり現在で奈良県に祀られたのは平安時代、元は九州北部にありました。ご神体の三輪山も本来三連山の意味で九州にある香春岳だったようです。香春岳は石灰岩でできており昔は木も生えず真っ白い三連山で、ご神体にふさわしい姿をしていたそうです。この地から弥生文化が日本全体にひろがりました。弥生文化を運んだ人たちは入植先でも大物主(オオナムチ、スクナビコナ)、いわゆる天神様を祀り、ミワ、ミノワという古い地名とともに全国に神社を残しています。まさに日本人にとって大神神社は最古の神社であり、大物主は米づくり、酒造りの神様です。後のヤマト政権、その後の政変でその名を隠しもっとも位の高い神様を変えたかったようです。古事記では大国主を同じものとしています。
勉強になります
初耳ですね
記紀では紀元前と成っている様ですがどちらの資料で調べられますか🤔
@@田中しんじ-h9c 福永晋三先生の説です。講演の動画を拾ってみました。もともと漢文の先生で、記紀、万葉集ほかを読み解いて説明されています。十分な論拠をもった説と思います。
th-cam.com/video/7JC7_dvVxrY/w-d-xo.html
th-cam.com/video/l7CwiFgE9xA/w-d-xo.html
磐座の存在から、遅くとも古墳時代には神格化されていたと思われますので、ちょっと同意しかねる話ですね。正一位に任じられたのは平安時代でも、創建されたのはもっと古いのでは?
辺津磐座から発掘された5世紀ごろの山ノ神遺跡からは祭祀用具が多く出土している。平安時代はあり得ないですね。
14:24 大神神社のご神紋は三つ巴ではなく三杉のはず。
神宮よりも古いと言うのはあまり効果的ではない。伊勢に奉じられたのはすいぶん後になってからだから。
大神神社は古いと言っても限界が地理的条件と地学的条件がある。最古と言えるのは限定は出来ないが、東日本の古い諏訪、熱田、三峰、香取、鹿島だろうが、神社として成立したのはほぼ同時期とも考えられる。
あとは島根県の須賀神社も最古の一つとして崇められてますね。
須我神社は日本における最初の和歌が遺る神社として最古と言われてますよね?
ヤマタノオロチ伝説の由緒にも通ずる神社のはずです。
なので「文字」に通じる以上、西日本の神社です。記紀の由緒を持つ神社である以上ではないと考えます。
大神神社が地理的と地学的と言うのは、鬼界カルデラ噴火による西日本全体が過疎化した現実があるからです。東日本側は多少の影響はあったにしろ、その後の生活を遮られる事はありませんでした。この大災害により東西の文化と主権的立場の差は安易に埋められる差ではないのです。
熊本の幣立神社、大分の宇佐神宮もそういう条件で再入植後に成立した神社と考察出来るのです。
諏訪の方が古い気がする
蛇、三輪山・・・・龍蛇信仰、そして太陽信仰と三輪山は女体と生命の誕生と再生・・・・古代出雲王国そのままでしょう。
この動画と関係あるようでない話だけど、神話って面白いよな
そもそも神が人の姿をしているというのは主にキリスト教的な考え方で、動物や植物、山や川にさえ生命というか霊が宿るというのが日本古来の考え方
じゃあ日本の神話である時(古事記くらいかな?)を境にメインで語られるようになる神=人型はどこからもたらされたのか
日本にも文明が発達するにつれて人=万物の霊長という考え方をする者が現れてもおかしくはないし、動画で少し触れられている渡来人の影響があったのかもしれない
渡来人の全てが大陸からやって来たとも限らず、たまたま流れ着いた西洋人、数奇な縁で何世代も経てわずかに思想を受け継ぎながら大陸を伝わり渡来人となった家系の者かもしれない
そうなるとユダヤ教やキリスト教の影響説がトンデモとも言い切れないわけで
全部が全部じゃなくてそういう小さな要素、思想、宗教観が少しずつ混ざり合ってできたのかもと思うと奥深さと果てしなさを感じる
〇〇の理由はこれ!と断定したい人にはモヤッとして気持ちの悪い話かもしれないけどね
なかなか面白い動画でした。
でも、弥生人が渡来人という説は、今では否定されていると思うよ。
月読尊は、他国の神話と違って、男性神ですよね?🤔
うぅ〜ん、比較的近くに住んでて何度も行ってるのに中に入る事が無かった、と言う事は呼ばれていなかったんだな…
中に入りたかったのに…御神体が蛇って聞いてなるほど!と。
蛇、メッチャ苦手なんだよ。嫌いじゃないが近寄れないんだ。だから呼ばれなかったのかも!?
橿原神宮には一度だけ行った。三輪神社は何度も行ったのに…
5:22
疫病が治まったのは崇神天皇(大物主の子孫)が大物主を祀ったからではなく、その後の太田田根子(大物主の男系子孫)が大物主を祀ったからではなかったでしょうか。
しめ縄も男女の蛇の合体だとかの説もあったような
出雲大社も大神神社と同じく御神体は山で縄文時代からの複合遺跡だよ。
大神神社と同じく、いわゆる国津神の系統だね。
アマテラスの天津神とは姉弟のスサノオ→6代後の大国主命。
それと、ユダヤ系の秦氏とて、元は縄文系のUターン族との話もある。
殷や三星坦なんかも怪しいよね。
三輪山を歩く時、会話が禁止されてるとは知りませんでした。思いっ切り喋ってました。反省
大学院で祭祀考古学を専攻しています。この類の動画を見ていると誤った認識が多く、もやもやするので少し書き留めます。
まず神道が縄文時代から続く(この動画にもある)というのがありますが、誤りです。基本的に神道は農耕祭祀から生まれたものなので、それまでの狩猟祭祀を基礎とした縄文祭祀とは隔絶があります。もちろんミクロで祭祀の連続があるかもしれませんが、マクロで見ると縄文時代と弥生時代の祭祀は連続性が見られません。
そして神体山として山が祀られることはよくありますが(三輪山もそう)、これも山は農耕に必要な水を与えてくれる場所として信仰が集まったからとされ、やはり弥生時代以降です。
さて、それでは三輪山に関してですが、三輪山で祭祀が明確に見られるのは4世紀後半からです。弥生時代どころか古墳時代からです。確かに弥生時代の土器も見つかっていますが少量であり、大量の祭祀具が見つかるようになるには4世紀後半からです。動画で縄文時代(一万年前!?)と言ってますが、誤りです。
大神神社は日本最古の神社と言われたりしていますが、正直私にはその根拠がわかりません。本殿がないから最古と言われても、山をご神体としている神社なんていくらでもありますし、まだ伊勢神宮の方が弥生時代の農耕祭祀を受け継いでいますし、建築も高床式から影響を受けているので、個人的には伊勢神宮の方が古いと言えると思っています。
このような動画で、アカデミックで一般的に言われている言説を言っているのは見たことがなく、ほとんどが怪しい話だけを言っておりうーんと思っています。もし何かありましたら返信をお願いします。
縄文時代にも栗や陸稲などの管理栽培はあったんでないの?
宗像神社の沖ノ島にも6千年前からの祭壇があるそうだけど…?
@@たぬ-w8k
ありがとうございます。
最初の問いに関しましては、私の伝え方が悪かったです。大場磐氏や柳田国男氏が言うように(著・神道考古学講座)、神道というのは大陸から農耕が伝わったときにその人たちが信仰していた宗教です。そのため縄文時代、弥生時代というのではなく、農耕が伝わったタイミングが正しいですね。私が伝えたかったのは、このような動画では「神道は縄文時代から(何万年前から続く)宗教」という意味を込めて縄文時代から続くとしていますが(この動画もそう)、そんなことはないということです。
沖の島の祭祀については、6000年前というのはどのような祭祀のものでしょうか?
最近では縄文時代から定住し農耕していたと思われる。
稲は在来種を使用した、世界初の農耕。
栗等保存する為の土器開発。
その応用で煮炊き。
今、縄文時代が熱いですね。
伝承では三輪山ふもとの檜原神社を出発した倭姫が創建したのが伊勢神宮とされているから、そういうことなんじゃないかな。祭祀跡にしても、そもそも禁足地の調査なんかできないから、現状の発掘で時期を決めつけるのも違うし。縄文云々と三輪山は関係がないというのはその通りだね
@@ハンドレッツチャンネル ありがとうございます。
ご存知かも知れませんが、禁足地も意外と調査されています。和田萃氏の「三輪山祭祀の再検討」では三輪山の祭祀遺跡を23箇所挙げられており、うち2箇所は禁足地です。また1984年に防災の観点から禁足地に工事が必要で、その時の調査で斎場が見つかったり、また昭和初期の神道考古学者はこっそり三輪山に入って表採を調査しています。それらの上で祭具どころか4世紀後半より遡る遺物はほとんど見つかっていない(ほんの少しの弥生時代の土器はある)ので、もちろんないとは言い切れませんが、一つ言えることは4世紀後半から盛んになっている、ということは言えます。これもまぁ見つかっていない禁足地から2世紀の祭具が大量に見つかる可能性もありますが、そんなことを言えば三輪山に限らずほとんどが「あるかも知れない」に支配されるのであまり好きではありません。大事なことは現状で考えうる最も妥当性のある結論を出し、あとは未来の新しい発見に際し少しでも貢献になることを残したいくらいですね。
それと檜原神社のことに関しては、記紀のことは最大限評価したい気持ちはありますが、三輪山から伊勢に行ったというのは個人的にはうーんと思っています。やはり記紀は前提として疑わないといけないですし、考古学的に連続性が見られたらいいんですがね。面白い考えとしては黒田龍二さんの「纏向から伊勢、出雲へ」という本があります。三輪山の麓にあった纏向遺跡の建物が伊勢神宮の建築と似ていることなどから、また記紀の内容と照らし合わせ「纏向→伊勢」を考えられています。これなら檜原神社の考えても一致していますね。
中国の奥地に弥生人と同じ様に
木彫りの鳥を乗せた鳥居、貫頭衣、米づくり、盟神探湯、高床式住居の文化を持つ一族があって、鳥居は山の神様を出迎えて豊穣や自分達の幸福を願うためのものだそうです
梅原猛氏によると、鳥は現世と神の国を行き来する魂が具現化したものという思想があり、鳥居はその鳥が行き来するための目標で空港の様なものかな。
その鳥居が三つあるというのは向かう神の国が三つあったと考えられないだろうか?
つまり、祀られている神は三柱あり、それぞれ別系統の出自の神ということで鳥居も三つ必要としたのかもしれません。
太陽アマテラス
月ツクヨミ
大地スサノオ
この3つで別々に祀られていたなら、太陽信仰と海洋民族であった昔の縄文人との繋がりや、百襲姫は卑弥呼って説と少しだけ繋がってきますね😊
ただ3つの鳥居の3つは後付けで、別の三山があっただのどうだのありますし、まだまだ分からんですな~😅
カルデラ大噴火で九州やもう少し下の大陸ボロボロになった時期がシュメール文明や縄文時代に影響を与えてるのも含め、大神神社は運良く残っていたと考えたいですが、もっと書物などが見つかると存在を裏付けるんですが、時間がかかりそうですね😵💫
補足、三位一体はアレキサンドリアの大司教アタナシウスの学説とされています。
サントリーとウィスキーは必然やったということやな
毎日、三輪山の麓で住んでいるので、身近な存在でした。
愛子さまも橿原神宮じゃなくて、先に大神神社に参詣しても良かったかも😮
年代がわかるような文献や遺物は5世紀くらいが限度だからな。それ以前のものも多くあるだろうけど年代を推定するのは難しい。
大神神社は「三輪明神」と呼んだりもしますよね
御神体の三輪山は隣の「薬の神様」狭井神社から登ることが出来ます
拝殿まで3分のところに住んでいる。25年くらい前までは静かな神社だったのに…。
今は正月に車が出せない。地元民は悲喜こもごも…。
天理の石上神宮、大和神社も日本最古と謳っていた様な。 大和神社は戦艦大和内にも祀られていた事でも有名
天理市の大和神社は戦艦大和の名前の由来になっています。
京都の松尾大社にも岩座が在りますね これも禁足地だったかな
昔は美和乃御諸宮、大神大物主神社、三輪明神と呼ばれ、
明治時代になって「大神神社」と改名された。
日本最古の一つなのに「大社」でもなくい神社のランクでは4番目
大神神社は大好きな神社です。二の鳥居をくぐって参道を歩いているととても気持ちがいいです。卵とお酒を奉納するんですけど門前の商店街では10個パックの卵しか売ってないので残り9個を旅の最後まで持ち歩いていました。参拝後のそうめんも楽しみのひとつです。
特に九州や畿内の地名の漢字は、日本に漢字が入ってからそれまで伝わってきた地名に音を宛てただけだから漢字の意味から考察するのは間違いしかないな
奈良は三輪山から朝日が昇り二上山に落日します。
旧約聖書のモーセ以下ヘブライ人がシナイ山を拝んでいたように、我々日本人の祖先も三輪山を拝んでいたのでしょうね。
神社や神に格式とか、無い。現地に行くと分かる。自ずと理解する。私は無宗教者だけど、古代からの人の思いは感じるものです。
福岡に大巳貴神社がある。三輪山も。地名がめっちゃ被ってるんだよね。
移動した際に同じ名前をつけたんだろうな
福岡と三輪山近郊に共通の地名が多いのは割に有名ですが、三輪山近郊には出雲という地名もあるんだよね。
綺麗な三角なシルエット、ピラミッドって事は無いですよね?
秋田のピラミッド、黒又山と大湯環状列石の隣接具合と、
ご神体と鳥居の関係に重なって仕方が無いのです。
某オカルト伝奇小説の中では、
「ピラミッドの本来が "奇麗な稜線の自然山" で、エジプトでは山が無いから石で模造したんだよ!」
Ω ΩΩ ナ、ナンダッテー!!
と言う説を唱えていました。
私しは会員なんだけど三諸杉は本当に旨いぞ。
「和合」 の精神 のちの茶の湯の一座建立かな!
2024年6月17日(月曜日☁15時31分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
HELLO🎉菊谷
ヘビと神道とか風習って、色々結びついてる話多いんだよな。
鏡餅もヘビのとぐろとか言われてるし
毎年お詣りに行っています。
ある時、参道の石垣を白蛇さんが登っていて、「おぉ、流石は大神神社」と思いながら手を合わせていたら
隣をツアー客が通りかかり、添乗員が「あぁ、アオダイショウですな」と一瞥して行ってしまいました。
いや、もぅちっと言い方あるだろうにw
古事記以前の神社なは見た目は今とは違うのでしょうね。
ミワヤマじゃなくてミワサンって呼んでたわ。
昔、神社の木に白い蛇がいて、そいつのために卵をお供えしてる人がいた
三ツ鳥居は、中国では廟などに普通に用いられているので、渡来人が持ち込んだと考えるのが自然だと思います。
ずんだもん、オーテピアの蔵書「神人系譜」に大物主の事が記されているのだ🎵
今はおもいっきり観光地だし、その昔は豪族、武将なので血生臭い歴史も有るでしょうが、現在に至るまで代々阿蘇氏当主が神職を務められる阿蘇神社も紀元前から存在するそうです。
地元栃木にも大神神社がある。何やら縁があるようだけど、よくわからん(*'▽')
海外からの観光客は禁足地で撮影禁止の看板が有っても平気で撮影している神や仏の罰当たりが大規模災害に繋がる。かも?
外国人は入山禁止にしないと
日本は法治国家なので法に抵触しない古い慣習や宗教のしきたりは強制できないからね。
日本はこういう法に依らないルールが多いから外国人が増えるとトラブルも多くなるだろうね。
@@zennin375 法律とか関係無く、世の中不思議な事が起こることもある。特に言葉にした時などに本当に起こり得ることがある、よく分からないけど長年の経験則等で禁止されている事を破ればどうなるか、今でも道の途中とか変な場所に動かせていない障らずの処が日本中に在る。
@@Kei-cp2kt そういう宗教的なのも秩序を守るために作られたものだよね。
同じ信心とか価値観を持った集団の中でしか通用しないと思うよ。
いくら宗教がちがうからといってルールは守ってほしい。
百襲姫命は卑弥呼じゃないかと言われてる人ですね。あと、近くの檜原神社(サムネのやつかな)も三ツ鳥居ですね。
モモソヒメが御祭神の神社が讃岐に多いです。讃岐一宮田村神社の御祭神もヤマトトヒモモソヒメです。
流石に三ツ鳥居とキリスト教との関係はちょっと穿ち過ぎのような気がしますけれど。まあ飛鳥時代頃には厩戸皇子は母親の間人皇后が厩で産気づいて生まれたとか、いろんな面でキリスト教の影響と見られるものがありますけど、この時期にはネストリウス派のキリスト教が大陸から来日した渡来人によって伝えられていたみたいですが。そういえば、青森にはキリストの墓もあったっけ、、、って事は影響があってもあながち不思議じゃないのかな?
そういやキリストのシンボルって魚なんだよね
トルコには魚の好きな兄は東へ行って日本人になったって言う伝承があるというが、それってもしかして
キリスト本人じゃないにしてもなんかあるかもね
あれ?と思って聞いてたら大物主が大国主なのね。
同時進行でコミュケ手段の変遷❓
ケルト神話みたいだ
古事記とかは面白いけど一族の正当化みたいに思うけど、多神教は最高だと思う。
一神教の他は邪教って考え方やめて欲しいわ。
結局自分達の都合ゴリ押しに思う。
三ツ鳥居の上を瓦にしたら 日本の門
神棚にも門が有る
上古の時代では神社=公共窓口兼行政庁舎兼祭祀場だった訳だからしょうがないね
大国主=大物主
ラダゴンとはマリカである…?
かぐや姫…三寸ばかり成人…三ヶ月で成長…3月… 3は神の数字?
「今では拝殿に ご神体を祀るようになったが」 ?
ご神体を祀るのは 本殿。
拝殿に ご神体は無い。
拝殿から ご神体(三輪山)を拝む。
何にしても古さ比べは鬼界カルデラ噴火で九州はリセットかかってるから答えが出ないと思うなぁ。
17:01 「鳥居っていうのは、女性が脚を開いて立っている姿」。
それは「参拝時に縄(男根)を振り鈴(玉)を鳴らし、ドピュっと賽銭(供物)を吐き出す」というのと同次元の解釈www
秦氏がユダヤ人でキリスト教の元になったのがユダヤ教であってそれ故日ユ同祖論(日本人とユダヤ人は祖先が同じなのではないかという説)というものがある事も説明すべきだろ、そこまで書くなら
サムネは檜原神社かな?
旨し酒、三輪の枕詞ですね。
「礼節、尊敬」と言えば高尚に聞こえますが、
「ラブ&ピース」と言ってしまうと、いきなり陳腐になってしまいますね(笑)
おいおいこのチャンネルもオカルトかよって思ったらw
まとめ方綺麗ねw
若宮例祭は鳥肌たったな~。
アダムとイブに禁断の果実を食べるようにそそのかしたのも蛇だったんじゃ?
考古学者は三輪王朝が現皇統の前に有ったと言っていた。
厩戸皇子がニケーア公会議によって異端とされたネストリウス派キリスト教の関係があった様に、ヘビを祀る神社に三位一体の教義のイメージを押し付けたという妄想が捗りましたw
なんだか…蟲師を感じるな…ネタの元に含まれてるのかな…
三ツ鳥居ってめちゃくちゃ大陸の三門に似てるやん
今でも弊立神宮が最も古来からある神社だと思っています。。(願望)
諏訪人ですけど諏訪大社ってつくほうが位が高いって思ってたんだが
違うのかい?
😂😂😂😂😂😂
調べるが良い若者よ
古代日本で信仰されてた自然崇拝の対象だった三輪山が後から神社のシステムに組み込まれたのかな?
興味深い情報をいつも有難うございます。
動画を見ていて思ったのですが、
渡来人という名称で呼ぶ前から多くの縄文日本人とは異なった
種族が流れついたりして縄文日本に融和し仲良く暮らしていたのだと思いますが、
ある時、九州あたりに流れ着き居住していて後に渡来人と呼ばれる異人種が東征というテロ等を行い、旧来からの居住者の人身や富等を簒奪し、国家らしきものを作ったのではないでしようか?!単純に考えるならば、同じ人種や意識を持ったものならば征伐等する必要などありませんからね。
一説には火山への生け贄信仰や顔面への刺青を無くすためとか言われていたりしますが、腑に落ちないですね。まあその後も大化の改新等の紆余曲折はあるようですが。
また、大神神社の巳、三が元になって原始基督教の三身一体が
出来たのではないでしょうか?!
このように想像が膨らみますので、今後も面白くためになる情報動画をお願いします。
いやぁ~、流石に箸が刺さったときは痛かったですねぇ
伊勢の神の故郷、
三輪山。
思えば
伊勢の神と三輪の神
一体二神の御事。
今更何を岩倉や!
(能楽。三輪より)
そもそも、
出雲の国教、
幸の神信仰の神々を
出雲より奉迎して
鎮祭するのが
三輪山。
南となりの鳥見(トビ)山の霊畤(祭場)から
三輪山を望んで
姫巫女が祭祀を行った。
その最後の姫巫女、
登美の佐保日女命が
大和から追放されて
伊勢に至り、女神の形代とされた
平縁の神獣円鏡(元は物部の鏡)を鎮祭したのが内宮の端緒
日本の初代天皇はニギハヤヒである
ニギハヤヒは奈良の三輪山に葬られている
京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)や松尾大社なんかも元々背後の山を祀る土着信仰の場だったところへ後付けで日本神話の神を祀る社を立てたタイプですね。
これらの「いつできたかよくわからん」系の神社は大和王権やさらにはその前の卑弥呼の時代の倭国統一政権樹立の歴史の一端が伺える縁起を持ってる事が多いです。
家の近辺だけでもクソみたいに神社あってさ御先祖様エグいよ🥺
高千穂の北上神社とくしふる神社は古神道の神社だから神道が伝わる前から存在する最古の神社の一つ。両方共御神体は山でありお社は無かった。
大神神社から太陽が登る方向に「三重県」、これも「三」つながり?
三輪山の夏至の日の上る方角にあるのは二見ヶ浦の夫婦岩だと言われてます。
奈良にはホントいろいろ残ってるね。今では主流ではないけど、地元神や精霊信仰とか。整理されてない原初の信仰対象とかが見えて興味が尽きない。
「最上位の神社」って、まぁ日本語として意味の通ってる叙述文ではあるのですが、日本の八百万神にそれぞれ位(くらひ)などないわけで。罪咎憂いばかりでできてる私の肉体の内神さんと大神神社に恐れ多くもいまします大物主神さんと、序列なんぞないわけで・・・。かしこし、かしこし👐👐☺
徳島の谷の親父様は大物主はスサノオとのこと
スサノオも複数人いたようだし役職名だからわかりづらいよね