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とても興味深い考察でした!出雲の伝承によれば、二人の姫巫女が1人の卑弥呼として伝わった話があり、初めにヤマトの倭迹迹日百襲姫、次に九州の宇佐豊玉姫、その1人の宇佐豊玉姫が金印を授かった卑弥呼という説を聞いた事がありましたね!卑弥呼、邪馬台国の謎いろんな説があって興味深いですね!次回もいろんな考察を楽しみにしてます!
アーカイブのサイトを作って欲しくお願いします今年は貴重な七夕をお迎え出来そうな予感がします
過去動画も見れなくなって、お声も変わって、"泣きっ面に蜂"でしたが、卑弥呼=公孫氏の考察にまた会えました〜引き続き楽しみにしております〜
卑弥呼渡来説。なるほどアリですね。次回も楽しみです❤
やはりえりえなさんは素晴らしいです✨👏
九鬼文書からすると 鬼=神 なので鬼道 = 神道 という解釈も出来ますね。言語学から言うと半島の古語と日本語の古語は同一説があります。あと10年くらいで古史古伝、言語学、人DNA3つの共通項が見つかりそうな気がしていますますます面白くなりそうです。
半島の古語と日本語の古語は多分長江河口域、殷で用いられていた言葉だろうと思います。その言葉を使う集団が「倭族」でしょう。
半島の古語と日本の古語は多分長江河口域の殷あたりで使われていた言葉だと思います。「倭族」と呼ばれる集団は彼等とその末裔ですね。稲作技術や青銅器製造技術を持っていました。対馬を住まいとする安曇族もその一部ですから、半島でも九州でも交易活動ができました。
とても詳細なところまで解説頂いていますが、私の歴史の知識が少ないから、少し難しかったです。ありがとうございます。m(_ _)m
最高!
「宣帝之平公孫氏」を「宣帝が公孫氏を平らぐる」と訳すのが従来のようですが、「之」の字がなければ、その訳でOKな気もしますが、「之」があると「宣帝之平」は公孫氏を修飾しているだけで、この動画の解釈が正しいように思えます。はよ続編を!
その後、漢文の理解度が深まると「宣帝が公孫氏を平らげると」とする従来の解釈が正しいように思えてきましたので、私なりに調べた内容を以下に記します。「AがCをBする」という前提で、漢文で「A所BC」と記述すると「AがBするC」という意味になります。もし「宣帝所平公孫氏也」と記述されていたならば、「宣帝が平らげた公孫氏」つまり「卑弥呼は公孫氏」ということになります。最初は「之」も「所」と同じようなものと思っていたのですが、「之」の用法は異なり、「A之BC」は「AがCをBすること」の意味になります。古文の枕草子を例にとって説明します。「春はあけぼの~~紫だちたる雲の細くたなびきたる」通常の文章であれば「紫だちたる雲、細くたなびきたり」ですが、「たなびきたる」と連体形にすることで体言止めのような効果を出しています。この場合、体言を修飾するので「雲」には「の」を付けて、名詞を修飾する場合と同じようにします。この「の」と「之」が同じような使われ方なので枕草子を例にとりました。この「の+連体形」により、「~雲のたなびきたる」は名詞句として使えますので「~雲の細くたなびきたる いとをかし」のように文を続けることができます。もちろん「~雲、細くたなびきたり いとをかし」とも言えますが、後者は2つの文ですが、前者は1つの文です。つまり「之」を使うことにより「宣帝之平公孫氏也」は句(也を伴っている場合は副詞句)となり、「其女王遣使~」を含めて1つの文として捉えるべきということです。3:46大半の歴史学者の解釈が正しいことになります。
お疲れ様です。過去の動画でも、卑弥呼と扶余族の関係性は語られていたかと。改めて拝見して少し整理が進みました。福永晋三さんという研究者のお話(TH-camで見ました)ですが、応神記の阿加留比売と言われる人が韓半島に一度嫁入りして、戻ってきて卑弥呼になったのではないかと。この動画を見て、その嫁ぎ先が扶余一族ということなのかもと思いました。また、戻ってからは倭迹迹日百襲姫と呼ばれた人物ではないかと言っていたように思います。香春町の比売語曾神社の社伝? 韓国息長大姫大自命という女性が出てくるところからの推論のようです。この女性を追って都怒我阿羅斯等が渡ってきて、あちこち席巻しまくって、敦賀の土地に落ち着いたとか。その武力は相当なものだったようです。女王が立ったから大乱が治まったというよりも、武力平定の裏が隠れているような気がします。この系譜の先に神功皇后が生まれたとか。気性の激しい血脈です。諸説あるとはいえ、この時代、韓半島の一部と日本列島の一部は密接な関係にあったように思います。国境と言う概念のない海洋国家ならではでしょう。ちなみに福永氏は九州説ですが、"壱"ではなく"臺"表記を推してます。君が代の1番は卑弥呼を歌ったものだとも。(福永氏の動画は結構多いので、特定できなくてすいません)
すご~い(*⌒▽⌒)”毎回 どっから見つけてくるの? 名前的に 中国の孫呉と 日本の呉(くれ)も 繋がりがありそうだね で、フェニキアと八咫烏と 九州か滅んでないのは 日本海のお陰だなぁ➰いつも ありがと(*⌒▽⌒)今回も楽しかった✨✨ 戦前の資料が読めれば 現代より 詳しく載ってるんだろね➰🐾
これは凄い説ですね
各国でも農耕にいそしみ耕作の豊穣を喜び祭りし鬼道が国より神道になり太陽の恵みを祝ってたのですね
お邪魔しました。😮😊😮
漢文の也には何々の時と言う意味もあるそうなので宣帝之平公孫氏也の訳は宣帝が公孫氏を平定した時卑弥呼はすぐ遣使したと訳すのではないでしょうか。
土地の話をする時はバックに地図があれば助かります🙇♀あと過去動画も見れれば助かります🙇♀
朝鮮半島に倭人が大挙して住んでいたのは確定事項だが、はたして異民族卑弥呼が倭人の由緒という尊厳も無く倭国共立の女王になれるだろうか?言語の問題も大きい。また中国大陸出身の倭王なら、中国人はもっと大々的に歴史書に書くであろう。魏志倭人伝を「素直に」解釈すれば、この解釈はいかがなものか?
卑弥呼は若い娘なのか、それとも来年死ぬような婆さんなのか?
倭人相乱れるという描写は中国北東部、または朝鮮半島の状況の事ではないのかと思っていました。そもそも中国にとって、海の向こうの島国で内乱があったとしてもさして関心は無いでしょう。倭国と表記されているとすぐ日本の話だと考えるから、古代史が混乱しているのだと思います。😊
公孫淵 許黄玉 神武 卑弥呼
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 は七八十年争っていたという意味ではなく、男性の王が立ってから七八十年後という事です。後漢書には 桓靈間倭國大亂 更相攻伐歴年無主 有一女子名曰卑彌呼 と書かれていますから、倭国大乱は西暦168年を挟んだ約8年間の出来事であり、卑弥呼の擁立は西暦172年頃ということになります。これは新羅本紀の西暦173年に卑弥呼から送られた使者が来たという記事とも一致します。公孫氏が朝鮮半島に進出するのはそのおよそ20年後ですから、時期が合わないのではないでしょうか?
卑弥呼は倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)です。
親魏倭王。ではありません。また、↑の人とは約100年程の開きが有ります。ただ、魏志倭人伝の言う卑弥呼の前半部分は百襲日女命(瀬織津日女命)の事を伝えているそうです。
瀬織津姫は時代が違います。
姫の刀良
動画主さんも最後部分で触れておられましたが、こういうのは、自己の権威を高める意図で、儒教的に我田引水になっていて、特にアジアでは、真相からは遊離しているものです。もう、御存じとは思いますが、73代:竹内宿禰の睦泰さんが、真相を暴露してくださっていて、卑弥呼(日巫女)は、姫巫女なんでしょうが、その出自は、聖書の祭祀の家系なので、ヤコブの3男 レヴィ族であり、実は、聖母マリアもレヴィ族である事が聖書には暗示されているそうで、イエスは王統の、ユダの家系ではないのです。祭祀の巫女が、斎王システムで、一生を処女で終える犠牲ゆえに、国体を整えれるやくじが起きます。これが、初期の日本の国体を支えていました。実際の卑弥呼の家系とは?7代:孝霊天皇の娘である事が伝えられており、10代:崇神天皇の叔母に該当し、本名が? 「やまとと とひもも ももそひめ」とおっしゃいます。つまり、イエスキリストの最初の妻は、この花咲くや姫でしたが、銀河連合いわくイエス瓊瓊杵尊の不用意な発言につまずき、富士山に投身自殺したそうなので、後妻の玉依姫との4男が、初代の神武天皇なので、一応は レヴィ家の末裔です。(神武の天皇への就任が、AD57年だそうです)ユダヤ教は、母親は無条件にユダヤ教であり、その子供も無条件にユダヤ教になる母系相続社会なので、イエスも、神武も、ユダヤ教徒という話になります。そうなると、ウガヤフキアエズ皇統の ラストの73代目が神武であり、その前の70代目がイエスキリストとなります。イエスは、UFO内での試験管ベイビーだったので、マリアは処女懐胎の扱いでした。イエスは三つ子で、次男が 十字架で身代わりになったイシキリで、三男が、猿田彦です。 ↑この話しを、三重県の内弟子の 大和竜二氏に暴露してしまったので、73代は、2020年1月13日に わずか53歳で魔界に暗殺されたと思います。尚、斎王システムを続けた室町時代までは、なんとか国体を維持できましたが、やめた途端、南北朝に分裂したので、聖書の神ヤハウエ=アヌンナキのエンリル(神になりすまし)は、女性の犠牲を強いる 悪魔的な性格をしている事がわかります。ヤハウエ=八幡=聖書と同じ悪魔教です。ヤハウエ=蛇とのハーフの悪魔エンリル=造化三神の天之御主中神=伊勢の外宮の豊受大神=ゼウス=アフラマズダ― ↑ これら全て、同一人物です。人類史は、善悪習合のひっかけ問題で、宇宙王族への神試験になっていました。ワクチンを接種されると、神不合格で、もう地球では転生が出来ません。聖徳太子の三論宗 98年時 導士 白い兄こと 髙原義仁より2024年6月26日㈬ 12:42 書き込み・
とても興味深い考察でした!
出雲の伝承によれば、二人の姫巫女が1人の卑弥呼として伝わった話があり、初めにヤマトの倭迹迹日百襲姫、次に九州の宇佐豊玉姫、その1人の宇佐豊玉姫が金印を授かった卑弥呼という説を聞いた事がありましたね!
卑弥呼、邪馬台国の謎いろんな説があって興味深いですね!
次回もいろんな考察を楽しみにしてます!
アーカイブのサイトを作って欲しくお願いします
今年は貴重な七夕をお迎え出来そうな予感がします
過去動画も見れなくなって、
お声も変わって、
"泣きっ面に蜂"でしたが、卑弥呼=公孫氏の考察にまた会えました〜
引き続き楽しみにしております〜
卑弥呼渡来説。なるほどアリですね。次回も楽しみです❤
やはりえりえなさんは素晴らしいです✨👏
九鬼文書からすると 鬼=神 なので
鬼道 = 神道 という解釈も出来ますね。
言語学から言うと
半島の古語と日本語の古語は同一説があります。
あと10年くらいで
古史古伝、言語学、人DNA
3つの共通項が見つかりそうな気がしています
ますます面白くなりそうです。
半島の古語と日本語の古語は多分長江河口域、殷で用いられていた言葉だろうと思います。
その言葉を使う集団が「倭族」でしょう。
半島の古語と日本の古語は多分長江河口域の殷あたりで使われていた言葉だと思います。「倭族」と呼ばれる集団は彼等とその末裔ですね。
稲作技術や青銅器製造技術を持っていました。対馬を住まいとする安曇族もその一部ですから、半島でも九州でも交易活動ができました。
とても詳細なところまで解説頂いていますが、
私の歴史の知識が少ないから、少し難しかったです。
ありがとうございます。
m(_ _)m
最高!
「宣帝之平公孫氏」を「宣帝が公孫氏を平らぐる」と訳すのが従来のようですが、「之」の字がなければ、その訳でOKな気もしますが、「之」があると「宣帝之平」は公孫氏を修飾しているだけで、この動画の解釈が正しいように思えます。はよ続編を!
その後、漢文の理解度が深まると「宣帝が公孫氏を平らげると」とする従来の解釈が正しいように思えてきましたので、私なりに調べた内容を以下に記します。
「AがCをBする」という前提で、漢文で「A所BC」と記述すると「AがBするC」という意味になります。もし「宣帝所平公孫氏也」と記述されていたならば、「宣帝が平らげた公孫氏」つまり「卑弥呼は公孫氏」ということになります。最初は「之」も「所」と同じようなものと思っていたのですが、「之」の用法は異なり、「A之BC」は「AがCをBすること」の意味になります。
古文の枕草子を例にとって説明します。
「春はあけぼの~~紫だちたる雲の細くたなびきたる」
通常の文章であれば「紫だちたる雲、細くたなびきたり」ですが、「たなびきたる」と連体形にすることで体言止めのような効果を出しています。
この場合、体言を修飾するので「雲」には「の」を付けて、名詞を修飾する場合と同じようにします。この「の」と「之」が同じような使われ方なので枕草子を例にとりました。
この「の+連体形」により、「~雲のたなびきたる」は名詞句として使えますので「~雲の細くたなびきたる いとをかし」のように文を続けることができます。もちろん「~雲、細くたなびきたり いとをかし」とも言えますが、後者は2つの文ですが、前者は1つの文です。
つまり「之」を使うことにより「宣帝之平公孫氏也」は句(也を伴っている場合は副詞句)となり、「其女王遣使~」を含めて1つの文として捉えるべきということです。3:46大半の歴史学者の解釈が正しいことになります。
お疲れ様です。
過去の動画でも、卑弥呼と扶余族の関係性は語られていたかと。改めて拝見して少し整理が進みました。
福永晋三さんという研究者のお話(TH-camで見ました)ですが、応神記の阿加留比売と言われる人が韓半島に一度嫁入りして、戻ってきて卑弥呼になったのではないかと。
この動画を見て、その嫁ぎ先が扶余一族ということなのかもと思いました。また、戻ってからは倭迹迹日百襲姫と呼ばれた人物ではないかと言っていたように思います。
香春町の比売語曾神社の社伝? 韓国息長大姫大自命という女性が出てくるところからの推論のようです。
この女性を追って都怒我阿羅斯等が渡ってきて、あちこち席巻しまくって、敦賀の土地に落ち着いたとか。その武力は相当なものだったようです。
女王が立ったから大乱が治まったというよりも、武力平定の裏が隠れているような気がします。この系譜の先に神功皇后が生まれたとか。気性の激しい血脈です。
諸説あるとはいえ、この時代、韓半島の一部と日本列島の一部は密接な関係にあったように思います。国境と言う概念のない海洋国家ならではでしょう。
ちなみに福永氏は九州説ですが、"壱"ではなく"臺"表記を推してます。君が代の1番は卑弥呼を歌ったものだとも。
(福永氏の動画は結構多いので、特定できなくてすいません)
すご~い(*⌒▽⌒)”毎回 どっから見つけてくるの?
名前的に 中国の孫呉と 日本の呉(くれ)も 繋がりがありそうだね
で、フェニキアと八咫烏と 九州か
滅んでないのは 日本海のお陰だなぁ➰
いつも ありがと(*⌒▽⌒)今回も楽しかった✨✨
戦前の資料が読めれば 現代より 詳しく載ってるんだろね➰🐾
これは凄い説ですね
各国でも農耕にいそしみ耕作の豊穣を喜び祭りし鬼道が国より神道になり太陽の恵みを祝ってたのですね
お邪魔しました。😮😊😮
漢文の也には何々の時と言う意味もあるそうなので宣帝之平公孫氏也の訳は宣帝が公孫氏を平定した時卑弥呼はすぐ遣使したと訳すのではないでしょうか。
土地の話をする時はバックに地図があれば助かります🙇♀
あと過去動画も見れれば助かります🙇♀
朝鮮半島に倭人が大挙して住んでいたのは確定事項だが、はたして異民族卑弥呼が倭人の由緒という尊厳も無く倭国共立の女王になれるだろうか?
言語の問題も大きい。
また中国大陸出身の倭王なら、中国人はもっと大々的に歴史書に書くであろう。
魏志倭人伝を「素直に」解釈すれば、この解釈はいかがなものか?
卑弥呼は若い娘なのか、それとも来年死ぬような婆さんなのか?
倭人相乱れるという描写は中国北東部、または朝鮮半島の状況の事ではないのかと思っていました。
そもそも中国にとって、海の向こうの島国で内乱があったとしてもさして関心は無いでしょう。
倭国と表記されているとすぐ日本の話だと考えるから、古代史が混乱しているのだと思います。😊
公孫淵 許黄玉 神武 卑弥呼
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 は七八十年争っていたという意味ではなく、男性の王が立ってから七八十年後という事です。後漢書には 桓靈間倭國大亂 更相攻伐歴年無主 有一女子名曰卑彌呼 と書かれていますから、倭国大乱は西暦168年を挟んだ約8年間の出来事であり、卑弥呼の擁立は西暦172年頃ということになります。これは新羅本紀の西暦173年に卑弥呼から送られた使者が来たという記事とも一致します。公孫氏が朝鮮半島に進出するのはそのおよそ20年後ですから、時期が合わないのではないでしょうか?
卑弥呼は倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)です。
親魏倭王。
ではありません。
また、
↑の人とは約100年程の開きが有ります。
ただ、
魏志倭人伝の言う卑弥呼の前半部分は
百襲日女命(瀬織津日女命)の事を伝えているそうです。
瀬織津姫は時代が違います。
姫の刀良
動画主さんも最後部分で触れておられましたが、
こういうのは、自己の権威を高める意図で、儒教的に我田引水になっていて、
特にアジアでは、真相からは遊離しているものです。
もう、御存じとは思いますが、
73代:竹内宿禰の睦泰さんが、真相を暴露してくださっていて、
卑弥呼(日巫女)は、姫巫女なんでしょうが、その出自は、聖書の祭祀の家系なので、
ヤコブの3男 レヴィ族であり、
実は、聖母マリアもレヴィ族である事が聖書には暗示されているそうで、
イエスは王統の、ユダの家系ではないのです。
祭祀の巫女が、斎王システムで、一生を処女で終える犠牲ゆえに、国体を整えれる
やくじが起きます。これが、初期の日本の国体を支えていました。
実際の卑弥呼の家系とは?
7代:孝霊天皇の娘である事が伝えられており、
10代:崇神天皇の叔母に該当し、本名が? 「やまとと とひもも ももそひめ」
とおっしゃいます。
つまり、
イエスキリストの最初の妻は、この花咲くや姫でしたが、銀河連合いわく
イエス瓊瓊杵尊の不用意な発言につまずき、富士山に投身自殺したそうなので、
後妻の玉依姫との4男が、初代の神武天皇なので、一応は レヴィ家の末裔です。
(神武の天皇への就任が、AD57年だそうです)
ユダヤ教は、母親は無条件にユダヤ教であり、その子供も無条件にユダヤ教になる
母系相続社会なので、
イエスも、神武も、ユダヤ教徒という話になります。
そうなると、ウガヤフキアエズ皇統の ラストの73代目が神武であり、
その前の70代目がイエスキリストとなります。
イエスは、UFO内での試験管ベイビーだったので、マリアは処女懐胎の扱いでした。
イエスは三つ子で、次男が 十字架で身代わりになったイシキリで、
三男が、猿田彦です。
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この話しを、三重県の内弟子の 大和竜二氏に暴露してしまったので、
73代は、2020年1月13日に わずか53歳で魔界に暗殺されたと思います。
尚、
斎王システムを続けた室町時代までは、なんとか国体を維持できましたが、
やめた途端、南北朝に分裂したので、聖書の神ヤハウエ=アヌンナキのエンリル
(神になりすまし)は、
女性の犠牲を強いる 悪魔的な性格をしている事がわかります。
ヤハウエ=八幡=聖書と同じ悪魔教です。
ヤハウエ=蛇とのハーフの悪魔エンリル=造化三神の天之御主中神
=伊勢の外宮の豊受大神
=ゼウス=アフラマズダ― ↑ これら全て、同一人物です。
人類史は、善悪習合のひっかけ問題で、宇宙王族への神試験になっていました。
ワクチンを接種されると、神不合格で、もう地球では転生が出来ません。
聖徳太子の三論宗 98年時 導士 白い兄こと 髙原義仁より
2024年6月26日㈬ 12:42 書き込み
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