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恥ずかしながら、知ってるようで知らない事が多い歴史の一部でしたので、大変参考になり、面白かったです‼️有り難うございます
ありがとうございます!
ず~~~~いぶん昔の東映時代劇映画で、曽我兄弟の仇討をテーマにした作品が有りました。東千代之介(曽我十郎)、中村錦之助(曽我五郎)、片岡千恵蔵(頼朝)、北大路欣也(頼家)、月形龍之介(工藤 祐経)という顔触れだったと思います。随分懐かしい映画を思い出させて頂きました、有難う御座いました。
曽我兄弟の仇討ちの話が江戸時代に歌舞伎となり一番有名な演目(寿曽我対面)が作られ舞踊ものも作られ歌舞伎十八番(助六由縁江戸桜)を含む助六物や(外郎売り)、(矢の根)という演目が作られました、歌舞伎の曽我対面、助六、外郎売り、矢の根などで描かれた曽我兄弟と工藤祐経の名前は曽我五郎は(曽我五郎時政)、曽我十郎は(曽我十郎祐成)、工藤祐経は(工藤左衛門祐経)と変更されています
大河の後に復習として、やすひろさんの動画を見て理解を深めています。大河だけでは曽我兄弟の事がよくわからなかったので、とても腑に落ちました。歴史って全てが実の事として伝えられているわけではないんだということも改めて認識しました。次回の大河の後に、範頼の動画見ます!楽しみ!
ありがとうございます!これからもゆっくりですが動画を投稿するので、ぜひ復習にお使いください
実家近くに、寅を奉った虎御前神社があります。子供の頃、どんと焼き、お掃除に行ってました。
十郎・五郎は、当然頼朝が祐経を消し掛けた事は、知ってたと思います。何故なら、平治の乱で頼朝は伊藤祐親のもとで預かりになり、祐親が大番役で上洛している間に、頼朝と祐親の娘八重姫が恋仲になり、2人の子供千鶴丸が産まれますが、帰ってきた祐親がその事実を知り、平家からの処分を恐れ、千鶴丸を川に沈めて、娘を頼朝と離縁させた過去があります。頼朝としても恨み骨髄な訳です。河津祐泰死後、祐親が十郎・五郎に一連の話を明かして、けしかけて仇討ちに発展した可能性は、高いと思われます。資料によると仇討ちで亡くなってる方がかなり多い事から、単なる仇討ちでは無く、曽我兄弟の乱だったと思います。
子供の時に、東映の映画で十郎と五郎の敵討ちを観ました。
曾我兄弟の仇討ちって蘇我入鹿のことだと思っていたけれど他にも居たんだ。でも1富士2鷹3なすびの1富士は蘇我入鹿の仇討ちだよね。
説明が分かり易いですね。但し、後妻の読みは「こうさい」ではなく普通は「ごさい」では・・・(こうさいとも言うかもしれないけど)
ご指摘ありがとうございます
@@ch-zy4ee いえいえ、どう致しまして。
恥ずかしながら、知ってるようで知らない事が多い歴史の一部でしたので、大変参考になり、面白かったです‼️有り難うございます
ありがとうございます!
ず~~~~いぶん昔の東映時代劇映画で、曽我兄弟の仇討をテーマにした作品が有りました。東千代之介(曽我十郎)、中村錦之助(曽我五郎)、片岡千恵蔵(頼朝)、北大路欣也(頼家)、月形龍之介(工藤 祐経)という顔触れだったと思います。随分懐かしい映画を思い出させて頂きました、有難う御座いました。
曽我兄弟の仇討ちの話が江戸時代に歌舞伎となり一番有名な演目(寿曽我対面)が作られ舞踊ものも作られ歌舞伎十八番(助六由縁江戸桜)を含む助六物や(外郎売り)、(矢の根)という演目が作られました、歌舞伎の曽我対面、助六、外郎売り、矢の根などで描かれた曽我兄弟と工藤祐経の名前は曽我五郎は(曽我五郎時政)、曽我十郎は(曽我十郎祐成)、工藤祐経は(工藤左衛門祐経)と変更されています
大河の後に復習として、やすひろさんの動画を見て理解を深めています。大河だけでは曽我兄弟の事がよくわからなかったので、とても腑に落ちました。
歴史って全てが実の事として伝えられているわけではないんだということも改めて認識しました。次回の大河の後に、範頼の動画見ます!楽しみ!
ありがとうございます!
これからもゆっくりですが動画を投稿するので、ぜひ復習にお使いください
実家近くに、寅を奉った虎御前神社があります。子供の頃、どんと焼き、お掃除に行ってました。
十郎・五郎は、当然頼朝が祐経を消し掛けた事は、知ってたと思います。
何故なら、平治の乱で頼朝は伊藤祐親のもとで預かりになり、祐親が大番役で上洛している間に、頼朝と祐親の娘八重姫が恋仲になり、2人の子供千鶴丸が産まれますが、帰ってきた祐親がその事実を知り、平家からの処分を恐れ、千鶴丸を川に沈めて、娘を頼朝と離縁させた過去があります。
頼朝としても恨み骨髄な訳です。
河津祐泰死後、祐親が十郎・五郎に一連の話を明かして、けしかけて仇討ちに発展した可能性は、高いと思われます。
資料によると仇討ちで亡くなってる方がかなり多い事から、単なる仇討ちでは無く、曽我兄弟の乱だったと思います。
子供の時に、東映の映画で十郎と五郎の敵討ちを観ました。
曾我兄弟の仇討ちって蘇我入鹿のことだと思っていたけれど他にも居たんだ。
でも1富士2鷹3なすびの1富士は蘇我入鹿の仇討ちだよね。
説明が分かり易いですね。但し、後妻の読みは「こうさい」ではなく普通は「ごさい」では・・・(こうさいとも言うかもしれないけど)
ご指摘ありがとうございます
@@ch-zy4ee いえいえ、どう致しまして。