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私も、令和2年野麦峠のお助け小屋ヘ行って来ましたが、資料館は、遣ってなくて、がっかりして帰って来ました。是非とも残してほしいものですね。
山本茂美氏の著書「あ、野麦峠」は17年という年月をかけて関係者を取材して現地にも赴き、映画にもなり反響が大きかったと思います。主人公は実在した人物で正井みねさん、兄は辰次郎さんです。みねさんの亡くなるまでの経緯が映画と相違があったりで様々な捉え方があるようですが(みねさんは結核ではなく腹膜炎で死去など。)私は、みねさんを看取った兄、辰次郎氏が、みねの死後に50年という年月を費やしてみねさんのお墓があるお寺に地蔵を寄進しています。何のために?50年という人生の大半を大金を投じて地蔵を完成させたのは若くして病で亡くなった妹の無念と弔うためと健康保険もなく労働組合意識すらない時代に辰次郎氏の怒りと執念すら感じます。辰次郎氏は、そういった思いを後世に遺したいために地蔵を寄進したのではないだろうか?当時、取材を受けた辰次郎氏はかなりの高齢で記憶も曖昧で信憑性もないのではと捉える人もいるかもしれませんが、みねさんのお墓に詣でる辰次郎氏の表情を写真を通してですが嘘偽りのない表情で、それがすべてだと私は捉えました。
コメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
@@hironobu-orita さま。こちらこそ返信遅れましたがありがとうございます。
とても感動してしまい、涙が止まりませんでした。ひんこんと、じよせいの、なんとも、切なく、感じました、。ありがとうございました。がつしよう。
1:45 全国唯一の峠の資料館(字幕) ← そうだったんですか1:57 カイコの一生 カイコの変態3:32 「野麦」の地名は 50~60年に一度 クマザサに花が咲き ← そんなレアな笹があるのかぁ★〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜★〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜★映画を見て、このサイトにたどり着きました(おすすめに現れました)珍しい資料館の御蔭でいろいろ知ることが出来ました100年前の日本人の痕跡を深堀することができ、感謝しております🙂 (おすすめにしてくらたグーグル先生にも感謝しております)
@@ヤマトウズメ-r1o 様返信が遅くなり失礼いたしました。わざわざ丁寧に、リンクまで用意してくださり丁寧なお返事に感謝申し上げます。映画の経緯、当時の状況などを教えて、ありがとうございます。>映画も、見ていると工場を経営する資本家当時の日本は、酒を交わしながら、「資本家の手先か」などと議論されたのを雑誌やテレビで見かけたことはありましたが、この映画がプロパガンダとは、露とも知りませんでした>微細な糸の塵で肺を病む女工など、教えてくださり、感謝申し上げますさまざまな背景等を学んだ良い機会となしました。今後とも、ご教示下さると、幸福に感じます。よろしくお願いいたします。 草々
th-cam.com/video/HnJ4BeBsv2k/w-d-xo.html富岡製糸場で働く工女は、華族(大名の一族)や士族(武士の一族)の女性がほとんどで、いわばエリート中のエリート。 快適な環境の女工館など、労働環境でにも恵まれていたそうです。「山本茂実」という作家が書き、その初版を朝日新聞社から刊行した「あゝ野麦峠」というルポルタ-ジュ形式の小説も「嘘」であることが判ってきました。過激な学生運動を展開していた「団塊の世代」は、共産主義運動の教科書どうり、国民を階級闘争に立ち上がらせようと必死だったことを覚えています。警察に捕まったりして、まともな就職が出来無かろう・・と思う学生が、なぜか朝日新聞社とか毎日新聞社、NHKなどに就職が決まって、「こんなやつを入れたら新聞社が滅茶苦茶にされるのでは?」などと心配をしていた時代です。(現実に滅茶苦茶になりましたね)この映画も、見ていると工場を経営する資本家と、安い賃金で競争させられながら重労働をしている女工という構成で、階級闘争を意識させる筋立てになっています。吹雪の中で遭難する女工、権力を乱用する中間管理職と懲罰、微細な糸の塵で肺を病む女工など、涙なしでは見られない作品に仕上がっていますが・・・・しかし、どうやらその実情は全く違っていたようです。東京都北区の区立谷端小学校で昨年2月、新年度から歴史の授業が始まる5年生に学習の意義を教えようと、岩切洋一校長(52)が自ら教壇に立ったそうです。その授業のテーマが「『あゝ野麦峠』を再検討する」というものでした。戦前の製糸場で出された食事と現在の食事を比べたスライドを見せ、休日が月2日しかなかったことなどを話してから、当時その製糸工場で働いていた女工達に行ったアンケート調査の結果が90%「製糸場に行ってよかった」と答えていることを話し、「ええ~、何で?」とどよめく児童に、女工たちの故郷の農家では工場より貧しい食生活だったことや、過酷な農作業を一日も休めなかったという実態に気付かせ、歴史の学び方を教えるということなのです。「歴史には光と影があるが、日本の近現代史は影の部分が強調されることが多く、子供たちを歴史嫌いにする恐れがある。このため歴史の授業が始まる前の5年生に、先人たちの生き方を現代の視点からだけでなく、当時の視点からも考えるよう指導したかった」とは、校長先生の弁です。つまり、一遍の小説や映画を見ただけで、今の価値観で判断してはいけないということが理解されるようにしたかったのでしょう。やっぱりテレビ・映画・小説は基本的に(左よりの)プロパガンダが内包されていると思って軽く読む程度にしておいたほうが良いみたいです。(70年代後半から特に)娯楽だと思って油断していると洗脳されます。テレビは見なくても生きていけます。
私も、令和2年野麦峠のお助け小屋ヘ行って来ましたが、資料館は、遣ってなくて、がっかりして帰って来ました。是非とも残してほしいものですね。
山本茂美氏の著書「あ、野麦峠」は17年という年月をかけて関係者を取材して現地にも赴き、映画にもなり反響が大きかったと思います。
主人公は実在した人物で正井みねさん、兄は辰次郎さんです。
みねさんの亡くなるまでの経緯が映画と相違があったりで様々な捉え方があるようですが(みねさんは結核ではなく腹膜炎で死去など。)私は、みねさんを看取った兄、辰次郎氏が、みねの死後に50年という年月を費やしてみねさんのお墓があるお寺に地蔵を寄進しています。何のために?50年という人生の大半を大金を投じて地蔵を完成させたのは若くして病で亡くなった妹の無念と弔うためと健康保険もなく労働組合意識すらない時代に辰次郎氏の怒りと執念すら感じます。辰次郎氏は、そういった思いを後世に遺したいために地蔵を寄進したのではないだろうか?
当時、取材を受けた辰次郎氏はかなりの高齢で記憶も曖昧で信憑性もないのではと捉える人もいるかもしれませんが、みねさんのお墓に詣でる辰次郎氏の表情を写真を通してですが嘘偽りのない表情で、それがすべてだと私は捉えました。
コメントありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
@@hironobu-orita さま。
こちらこそ返信遅れましたがありがとうございます。
とても感動してしまい、涙が止まりませんでした。ひんこんと、じよせいの、なんとも、切なく、感じました、。ありがとうございました。がつしよう。
コメントありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
1:45 全国唯一の峠の資料館(字幕) ← そうだったんですか
1:57 カイコの一生 カイコの変態
3:32 「野麦」の地名は 50~60年に一度
クマザサに花が咲き ← そんなレアな笹があるのかぁ
★〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜★〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜★
映画を見て、このサイトにたどり着きました(おすすめに現れました)
珍しい資料館の御蔭でいろいろ知ることが出来ました
100年前の日本人の痕跡を深堀することができ、感謝しております🙂
(おすすめにしてくらたグーグル先生にも感謝しております)
@@ヤマトウズメ-r1o 様
返信が遅くなり失礼いたしました。
わざわざ丁寧に、リンクまで用意してくださり
丁寧なお返事に感謝申し上げます。
映画の経緯、当時の状況などを教えて、ありがとうございます。
>映画も、見ていると工場を経営する資本家
当時の日本は、酒を交わしながら、「資本家の手先か」
などと議論されたのを雑誌やテレビで見かけたことはありましたが、
この映画がプロパガンダとは、露とも知りませんでした
>微細な糸の塵で肺を病む女工
など、教えてくださり、感謝申し上げます
さまざまな背景等を学んだ良い機会となしました。
今後とも、ご教示下さると、幸福に感じます。
よろしくお願いいたします。 草々
th-cam.com/video/HnJ4BeBsv2k/w-d-xo.html
富岡製糸場で働く工女は、
華族(大名の一族)や士族(武士の一族)の女性がほとんどで、
いわばエリート中のエリート。
快適な環境の女工館など、労働環境でにも恵まれていたそうです。
「山本茂実」という作家が書き、その初版を朝日新聞社から刊行した「あゝ野麦峠」というルポルタ-ジュ形式の小説も「嘘」であることが判ってきました。
過激な学生運動を展開していた「団塊の世代」は、共産主義運動の教科書どうり、
国民を階級闘争に立ち上がらせようと必死だったことを覚えています。
警察に捕まったりして、まともな就職が出来無かろう・・と思う学生が、
なぜか朝日新聞社とか毎日新聞社、NHKなどに就職が決まって、
「こんなやつを入れたら新聞社が滅茶苦茶にされるのでは?」などと心配をしていた時代です。
(現実に滅茶苦茶になりましたね)
この映画も、見ていると工場を経営する資本家と、安い賃金で競争させられながら
重労働をしている女工という構成で、階級闘争を意識させる筋立てになっています。
吹雪の中で遭難する女工、権力を乱用する中間管理職と懲罰、微細な糸の塵で肺を病む女工など、
涙なしでは見られない作品に仕上がっていますが・・・・
しかし、どうやらその実情は全く違っていたようです。
東京都北区の区立谷端小学校で昨年2月、新年度から歴史の授業が始まる
5年生に学習の意義を教えようと、岩切洋一校長(52)が自ら教壇に立ったそうです。
その授業のテーマが「『あゝ野麦峠』を再検討する」というものでした。
戦前の製糸場で出された食事と現在の食事を比べたスライドを見せ、
休日が月2日しかなかったことなどを話してから、当時その製糸工場で働いていた女工達に行った
アンケート調査の結果が90%「製糸場に行ってよかった」と答えていることを話し、
「ええ~、何で?」とどよめく児童に、
女工たちの故郷の農家では工場より貧しい食生活だったことや、過酷な農作業を一日も
休めなかったという実態に気付かせ、歴史の学び方を教えるということなのです。
「歴史には光と影があるが、日本の近現代史は影の部分が強調されることが多く、
子供たちを歴史嫌いにする恐れがある。
このため歴史の授業が始まる前の5年生に、先人たちの生き方を現代の視点からだけでなく、
当時の視点からも考えるよう指導したかった」とは、校長先生の弁です。
つまり、一遍の小説や映画を見ただけで、今の価値観で判断してはいけないということが
理解されるようにしたかったのでしょう。
やっぱりテレビ・映画・小説は基本的に(左よりの)プロパガンダが内包されていると思って
軽く読む程度にしておいたほうが良いみたいです。(70年代後半から特に)
娯楽だと思って油断していると洗脳されます。テレビは見なくても生きていけます。