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幕末の頃は、まだ蒸気船が海運の主役ではない帆船最後の時代ですから、幾ら日本海は干満の差が比較的穏やかな海とは言えども、冬になれば荒波逆巻く冷たい北の海。その荒れる海を、船の到着を首を長くして待ちわびる街の人たちの為に、文字通り命を賭けて物資を運んだ、北の海の男衆たち。カッコイイですね。本当に、彼らの活躍なくして今の北海道の繁栄無しです。昔の海の猛者たちに感謝です。
何時も有難うございます。旧余市運上家、良い施設ですね!カツ丼の筍いいですね!鉄道は無くしてはいけないと思います。夕張の鉄道をなくしたのは、大失敗だと思います。😊😊😊
函館本線山線の廃止は、私は大反対です。ただしここ最近、バス事業者が決まらず廃止撤回の可能性が出てきています。状況を注視していきたいと思います。
13:00 13:06 16:46 いい雲大正時代に映画館のあったあたりといい都民からすると憧れる景色
ラーメンのメニュー豊富なの嬉しいな😅
なんか今日は偶然に道内TH-camチャンネルで余市町取材レポート動画が多いですね!特に鉄道交通系で・・今、余市町が熱い!?
余市町私もすんでおりました‼️懐かしいバス🚌
こんばんは、ヨイチ運上家、気になっていたので、少し見れて良かったです。ただ、薄暗いのはちょと怖いですね(笑)私の居る村から峠を通り古平に抜けて札幌に行くのですが、余市の馴染みの道や建物が見れちょっと安心です。国道より内側はそんな感じなのですね。札幌から夜に5号線を通る時、近道しホクレンのガススタンドの踏切を渡ろうと止まるのですが、夜だからか1両列車が多いです。ですが、何か哀愁があっていいですね(DECMOの形以外)
鮮魚店の向かいは、マルニさんという文房具屋さんでした。小池獣医さんの向かいの茶色の建物は、叶屋さんという製麺所でした。
余市町は小樽市のとなり街くらいの印象でしたがなかなか味わい深い街ですよね😉みらく食堂のかつ丼美味しそう😋🍴💕ホワイト急便の看板はすっかり見なくなりましたね😅
みらく食堂は1942年(昭和17年)創業。現在の位置に移転したのは昭和27年頃。昭和50年代まではこの余市西部地区(沢町・富沢町)にみらく食堂の他、松月・かつしん食堂・かもめ食堂・華月飯店など数店舗ありトリトンだっかな喫茶店モドキや、すし安・最近までは菊鮨もあった。今はみらく食堂だけ。
私のような道外の者が申し上げるのも何ですが、やはり中央バスを欠席裁判的にした最初の話し合いから泥沼化しているように思えますね。道庁の考え方はわかりませんけど、果たして公共交通のことをどれだけ真剣に考えているのでしょうか…ただバス利用者の中には駅から遠いという方々もおられるでしょうから、鉄道とバスの連携によるネットワーク形成もひとつの手だと思います。以上失礼しました。
いろいろコメントしたいことはありますがJR北海道は余市まで電車を増やしたり便利にしたら栄えるんじゃないの?って思いました。新千歳~余市とか余市~札幌までの電車増やすとか。旧ヨイチ運上家は来年帰省した時に行ってみたいと思いました。
一昨年度の様に豪雪や悪天候にて年間に何日間か前線不通になる様な状態でも赤字がちらつく路線ではそれも厳しいか?と思いますよ。たとえ余市〜小樽〜札幌間が黒字路線になったと仮定しても他路線が大赤字にて足を引っ張る形になっては元も子もないですしね(笑)
縦型の三角柱ポールの看板の上下に段付きのモールが飾られているのは昭和三十年代によく見かけた様式ですね。特に病院の看板や不動産屋なんかの信用商売のものが多かった記憶。
中華飯店よく行きました。醤油ラーメンがあっさりしていてうまかった。小樽の中華屋さんで修行していた大将でした。残念です。
渡辺製麺所ですよ
キッドマンさんが霊感強いから、よびよせたのでは。棺に物を入れるのと同じで、物に人の思いが移るのは、あると思います。
運上屋跡は大きな建造物で素敵ですよね~…って言いたいんですが何分建造物内部が暗すぎて人形がかなり怖いっす(笑)昔 北海道博物館(旧開拓記念館)にて松前藩時代や開拓使着手時代までは和人とアイヌ民族間の物々交換時はかなりアイヌ側に不利益な取引がされていたと習いましたが民間業者との交換取引は五分五分位の価値観にて取引されていたのでしょうかね?機会が有れば立ち寄って色々と勉強したい建物だと思いました。余市市内に昔 ソースカツ丼が美味い店があり出張時の昼食にチョイチョイお邪魔して堪能していたことを思いだしました。たしか廃業されたと風のうわさで聞いてます。残念です。しかしながら今回のXさんの食べてるカツ丼も超美味そうですね~!
幕末の頃は、まだ蒸気船が海運の主役ではない帆船最後の時代ですから、幾ら日本海は干満の差が比較的穏やかな海とは言えども、冬になれば荒波逆巻く冷たい北の海。
その荒れる海を、船の到着を首を長くして待ちわびる街の人たちの為に、文字通り命を賭けて物資を運んだ、北の海の男衆たち。カッコイイですね。
本当に、彼らの活躍なくして今の北海道の繁栄無しです。昔の海の猛者たちに感謝です。
何時も有難うございます。旧余市運上家、良い施設ですね!カツ丼の筍いいですね!鉄道は無くしてはいけないと思います。夕張の鉄道をなくしたのは、大失敗だと思います。😊😊😊
函館本線山線の廃止は、私は大反対です。ただしここ最近、バス事業者が決まらず廃止撤回の可能性が出てきています。状況を注視していきたいと思います。
13:00 13:06 16:46 いい雲
大正時代に映画館のあったあたりといい都民からすると憧れる景色
ラーメンのメニュー豊富なの
嬉しいな😅
なんか今日は偶然に道内TH-camチャンネルで余市町取材レポート動画が多いですね!
特に鉄道交通系で・・
今、余市町が熱い!?
余市町私もすんでおりました‼️懐かしいバス🚌
こんばんは、
ヨイチ運上家、気になっていたので、少し見れて良かったです。ただ、薄暗いのはちょと怖いですね(笑)
私の居る村から峠を通り古平に抜けて札幌に行くのですが、余市の馴染みの道や建物が見れちょっと安心です。国道より内側はそんな感じなのですね。
札幌から夜に5号線を通る時、近道しホクレンのガススタンドの踏切を渡ろうと止まるのですが、夜だからか1両列車が多いです。ですが、何か哀愁があっていいですね(DECMOの形以外)
鮮魚店の向かいは、マルニさんという文房具屋さんでした。小池獣医さんの向かいの茶色の建物は、叶屋さんという製麺所でした。
余市町は小樽市のとなり街くらいの印象でしたがなかなか味わい深い街ですよね😉みらく食堂のかつ丼美味しそう😋🍴💕ホワイト急便の看板はすっかり見なくなりましたね😅
みらく食堂は1942年(昭和17年)創業。現在の位置に移転したのは昭和27年頃。
昭和50年代まではこの余市西部地区(沢町・富沢町)にみらく食堂の他、松月・かつしん食堂・かもめ食堂・華月飯店など数店舗ありトリトンだっかな喫茶店モドキや、すし安・最近までは菊鮨もあった。
今はみらく食堂だけ。
私のような道外の者が申し上げるのも何ですが、やはり中央バスを欠席裁判的にした最初の話し合いから泥沼化しているように思えますね。
道庁の考え方はわかりませんけど、果たして公共交通のことをどれだけ真剣に考えているのでしょうか…
ただバス利用者の中には駅から遠いという方々もおられるでしょうから、鉄道とバスの連携によるネットワーク形成もひとつの手だと思います。
以上失礼しました。
いろいろコメントしたいことはありますが
JR北海道は余市まで電車を増やしたり便利にしたら栄えるんじゃないの?って思いました。
新千歳~余市とか
余市~札幌までの電車増やすとか。
旧ヨイチ運上家は来年帰省した時に行ってみたいと思いました。
一昨年度の様に豪雪や悪天候にて年間に何日間か前線不通になる様な状態でも赤字がちらつく路線ではそれも厳しいか?と思いますよ。たとえ余市〜小樽〜札幌間が黒字路線になったと仮定しても他路線が大赤字にて足を引っ張る形になっては元も子もないですしね(笑)
縦型の三角柱ポールの看板の上下に段付きのモールが飾られているのは昭和三十年代によく見かけた様式ですね。特に病院の看板や不動産屋なんかの信用商売のものが多かった記憶。
中華飯店よく行きました。醤油ラーメンがあっさりしていてうまかった。小樽の中華屋さんで修行していた大将でした。残念です。
渡辺製麺所ですよ
キッドマンさんが霊感強いから、よびよせたのでは。棺に物を入れるのと同じで、物に人の思いが移るのは、あると思います。
運上屋跡は大きな建造物で素敵ですよね~…って言いたいんですが何分建造物内部が暗すぎて人形がかなり怖いっす(笑)昔 北海道博物館(旧開拓記念館)にて松前藩時代や開拓使着手時代までは和人とアイヌ民族間の物々交換時はかなりアイヌ側に不利益な取引がされていたと習いましたが民間業者との交換取引は五分五分位の価値観にて取引されていたのでしょうかね?機会が有れば立ち寄って色々と勉強したい建物だと思いました。余市市内に昔 ソースカツ丼が美味い店があり出張時の昼食にチョイチョイお邪魔して堪能していたことを思いだしました。たしか廃業されたと風のうわさで聞いてます。残念です。しかしながら今回のXさんの食べてるカツ丼も超美味そうですね~!