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うちの父が大内先生のファンで豪快な攻め将棋だったんだよって言ってました😊
たしか、「この時チンドン屋の音色が聞こえてきて、それで将棋の読みがくるって、後で指す手を先に指してしまった。」みたいなことを言ってませんでしたっけ。ホントかどうか知らんけど……
名人戦なんて神の領域だと思いますけど、本当に人間と人間の戦うドラマなんだなと。
丁度高校の将棋部だった頃でこの将棋は良く憶えています。大内先生を応援していたのでとても残念に思いました。やはり名人位だけは選ばれたものしか獲れない特別なタイトルなのだと強く感じました。
大内先生は選ばれなかったのですね(´ . .̫ . `)私も大内ファンなので残念です。心中察するに余りある。
名人戦の中でも有名なこの対局を取り上げていただき嬉しく思います。そらさんの解説付きで、一手一手追って行きますと、前半からすでに、その後の大波乱を暗示するような不穏な展開になっていたこともよく分かりました。名人の価値が今よりずっと重かった時代だから生まれたともいえる一つのドラマですね。(すいません。7一角で逆転して大内八段が負けてしまったのだと勘違いしていました。)
当時中大将棋部の夏の合宿(長野県大六旅館)に来ていただき、この一局の手順前後を悔やんでいました。懐かしい思い出です。
学生名人になったK川君の年代かな(中大将棋部OB)
有名な将棋ですね。このころは名人戦で神風が吹いたりしていました。
プロともなると一手に人生の分岐点が掛かってくるんだなあ
中原名人は相手が悪手を指すと1度 離席することで有名だったのもこの71角のドラマを際立だたせますよね。
直近の名人戦第一局でも豊島九段が明らかに優勢なところで、数手先の手を指してしまったのかなってことがありましたね長考する将棋の方が手順を間違えやすいのかもしれないですね
大内殴打流が9割方名人を手中にして逃した将棋ですね、指しなおし局は完敗でした
高校生のときの対局で、大内八段が、5手先の手を指した為、持将棋→引き分け→指し直しとなった。このとき対局室にいた、原田九段が「馬鹿な手を」言い、また大内八段が「今角(☗7一角)を打たないで、☗4五歩なら勝ちですね」と、言ったようだ。中原の王の逃げ足は早く、大山名人から名人を奪取した第7局・谷川名人から名人を奪還した第1局目もそうだ。この名人戦の9番勝負は、十段戦の加藤十段と大山名人の、八番勝負を上回ったが、後に中原名人と加藤十段との、十番勝負がこれを越えた。結局指し直しで、大内八段は、石田流に組まず、☖1三桂戦法を採用して敗れた。名人戦の事件というと、森八段の剃髪事件や、森内名人が「私の考慮時間に、扇子を鳴らさないで下さい」と発言した事だ。
高校生の頃大内先生の棋書で勉強しますた(^^)
棋士はつらいよ
古くは挑戦者決定戦、高野山の決戦の升田八段の頓死があり、森下八段の8三桂とか森内名人の9八銀とか、痛恨の一手は数あります。だから大事件というのはどうかと。この時は、千日手指し直しの次の対局の先後がどうかとか、(本局の持将棋で生じた)第八局の日程をどうするとか対局前にいろいろあったことで印象に残っています。
大内先生は、無欲で冷静に徹すれば、7一角の後でも、望みがあったのでは?何処かに勝ち筋を逃さない別れがあり、そこをAIで調べて欲しい…と思ってしまう「観る将」です。😓
だいぶ後年になって、とある大盤解説会に、大内先生が登場されました。手が止まって大内先生がお客さんに質問があれば答えますと言われました。そしたら痛恨の7一角を指された後の心鏡は?と質問したバカがいました。大内先生は君はあの将棋の内容も観戦記も知ってるの?と逆質問。客は知ってると答えますと大内先生はただひと言 なら答えねえよ! でした。この時は会場が凍りついていたのを思い出します。
レバタラは誰にでもあるが,それがどんな舞台で起きるかということ。大内八段(当時)は,中原名人が強いと思わないと常日頃言っており,中原先生の名人位初戴冠の棋譜解説でも,大山先生の失着を庇うような口ぶりでした。
37分!。
この時代はまだがばがばだったのか。
うちの父が大内先生のファンで豪快な攻め将棋だったんだよって言ってました😊
たしか、「この時チンドン屋の音色が聞こえてきて、それで将棋の読みがくるって、後で指す手を先に指してしまった。」みたいなことを言ってませんでしたっけ。ホントかどうか知らんけど……
名人戦なんて神の領域だと思いますけど、本当に人間と人間の戦うドラマなんだなと。
丁度高校の将棋部だった頃でこの将棋は良く憶えています。大内先生を応援していたのでとても残念に思いました。やはり名人位だけは選ばれたものしか獲れない特別なタイトルなのだと強く感じました。
大内先生は選ばれなかったのですね(´ . .̫ . `)
私も大内ファンなので残念です。
心中察するに余りある。
名人戦の中でも有名なこの対局を取り上げていただき嬉しく思います。そらさんの解説付きで、一手一手追って行きますと、前半からすでに、その後の大波乱を暗示するような不穏な展開になっていたこともよく分かりました。名人の価値が今よりずっと重かった時代だから生まれたともいえる一つのドラマですね。(すいません。7一角で逆転して大内八段が負けてしまったのだと勘違いしていました。)
当時中大将棋部の夏の合宿(長野県大六旅館)に来ていただき、この一局の手順前後を悔やんでいました。懐かしい思い出です。
学生名人になったK川君の年代かな
(中大将棋部OB)
有名な将棋ですね。このころは名人戦で神風が吹いたりしていました。
プロともなると一手に人生の分岐点が掛かってくるんだなあ
中原名人は相手が悪手を指すと1度 離席することで有名だったのもこの71角のドラマを際立だたせますよね。
直近の名人戦第一局でも豊島九段が明らかに優勢なところで、数手先の手を指してしまったのかなってことがありましたね
長考する将棋の方が手順を間違えやすいのかもしれないですね
大内殴打流が9割方名人を手中にして逃した将棋ですね、指しなおし局は完敗でした
高校生のときの対局で、大内八段が、5手先の手を指した為、持将棋→引き分け→指し直しとなった。このとき対局室にいた、原田九段が「馬鹿な手を」言い、また大内八段が「今角(☗7一角)を打たないで、☗4五歩なら勝ちですね」と、言ったようだ。中原の王の逃げ足は早く、大山名人から名人を奪取した第7局・谷川名人から名人を奪還した第1局目もそうだ。この名人戦の9番勝負は、十段戦の加藤十段と大山名人の、八番勝負を上回ったが、後に中原名人と加藤十段との、十番勝負がこれを越えた。結局指し直しで、大内八段は、石田流に組まず、☖1三桂戦法を採用して敗れた。名人戦の事件というと、森八段の剃髪事件や、森内名人が「私の考慮時間に、扇子を鳴らさないで下さい」と発言した事だ。
高校生の頃大内先生の棋書で勉強しますた(^^)
棋士はつらいよ
古くは挑戦者決定戦、高野山の決戦の升田八段の頓死があり、森下八段の8三桂とか森内名人の9八銀とか、痛恨の一手は数あります。だから大事件というのはどうかと。この時は、千日手指し直しの次の対局の先後がどうかとか、(本局の持将棋で生じた)第八局の日程をどうするとか対局前にいろいろあったことで印象に残っています。
大内先生は、無欲で冷静に徹すれば、7一角の後でも、望みがあったのでは?
何処かに勝ち筋を逃さない別れがあり、
そこをAIで調べて欲しい…と思ってしまう「観る将」です。😓
だいぶ後年になって、
とある大盤解説会に、
大内先生が登場されました。
手が止まって大内先生がお客さんに質問があれば答えますと言われました。
そしたら痛恨の7一角を指された後の心鏡は?と
質問したバカがいました。
大内先生は君はあの将棋の
内容も観戦記も知ってるの?と逆質問。客は知ってると答えますと大内先生はただひと言 なら答えねえよ! でした。この時は会場が凍りついていたのを思い出します。
レバタラは誰にでもあるが,それがどんな舞台で起きるかということ。大内八段(当時)は,中原名人が強いと思わないと常日頃言っており,中原先生の名人位初戴冠の棋譜解説でも,大山先生の失着を庇うような口ぶりでした。
37分!。
この時代はまだがばがばだったのか。