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正に難攻不落の名城😳武田信玄公や上杉謙信公が力攻めでも落とせなかったのが納得です。秀吉が力攻めで石垣山城を築かなければ落ちなかったのかも。でも…国替えで家康はこの城に入らなかったことが歴史のおもしろいことです😊
かいのすけさんお疲れ様です総構えは私も初めて拝見しました👍
小田原城総構のスケールの大きさが伝われば嬉しいです!
UPお疲れ様です。小田原の国道一号線(旧東海道)を東京方面から下ってくると「新宿」という交差点で旧東海道は左折し、次の角を右折して続いていきます。「新宿」交差点を直進する現国道一号線は、江戸時代は城への「大手筋」であり、宿や民家の多かった東海道とは違い、家臣たちの屋敷が多かったそうです。そのまま進んでいくと「小田原市民会館前」というT字交差点に突き当り、一号線は左折する形になっています。このあたりは三の丸の城壁や堀があったところで、左折したすぐのところに江戸時代の大手門跡があります。これまでこのT字交差点の正面には名称通り市民会館が建っていました。市や市民には申し訳ありませんが、この建物のおかげで一号線からは全く城が見えません。JR駅から真っ直ぐに道(大手前通り)が伸び、その先に天守閣群が遠望できる姫路城とは大違い。城好きとしては残念に思っていました。ところが年末に関東に帰省した際に数年ぶりに小田原に干物やカマボコを買いに行ったところ、市民会館が解体されて無くなっていることに気付きました。車で通り過ぎただけだったので、一号線から天守閣が見えるか確認できなかったのですが、次回の帰省が楽しみになりました。なお、Googleマップではまだ市民会館が建っていてストリートビューでは見えませんでした。残念w
コメントありがとうございます。国道1号を東から走ってきても小田原城天守は見えませんね。小田原市民会館の位置は天守からまっすぐなので、城好きとしてはついつい期待してしまいます!ですが、今回は蓮上院から八幡山古郭への移動に東海道より東(海側)の道を通ってしまいました。海側にも惣構遺構らしきものが無いかな・・と考えていたからです。そこから小田原城の南を通って八幡山へ・・。次回近くを通りましたら市民会館の様子もチェックしたいと思います。
現在の小田原城は江戸時代に建てられた天守を戦後コンクリートで作られたものが中心となっているものの、天守閣とお堀というお城らしさがあるのはおそらく関東では小田原だけなので、外国人を含め観光客が多いのでと思います。その構えを作り、守りに徹したものの、秀吉の農作業を行わない年中兵隊という組織がいつまでたっても攻めの体制を変えることが無かったことが、降伏に繋がったと思います。
小田原城の惣構、秀吉の遠征に慌てて突貫工事で造った割に整い過ぎていて違和感があるんですよね。籠城中も築造していたのでしょうが、戦後に入城した大久保忠世によって江戸の守りとして増改築された部分もあるかも知れません。
正に難攻不落の名城😳武田信玄公や上杉謙信公が力攻めでも落とせなかったのが納得です。秀吉が力攻めで石垣山城を築かなければ落ちなかったのかも。でも…国替えで家康はこの城に入らなかったことが歴史のおもしろいことです😊
かいのすけさんお疲れ様です総構えは私も初めて拝見しました👍
小田原城総構のスケールの大きさが伝われば嬉しいです!
UPお疲れ様です。
小田原の国道一号線(旧東海道)を東京方面から下ってくると「新宿」という交差点で旧東海道は左折し、次の角を右折して続いていきます。「新宿」交差点を直進する現国道一号線は、江戸時代は城への「大手筋」であり、宿や民家の多かった東海道とは違い、家臣たちの屋敷が多かったそうです。そのまま進んでいくと「小田原市民会館前」というT字交差点に突き当り、一号線は左折する形になっています。このあたりは三の丸の城壁や堀があったところで、左折したすぐのところに江戸時代の大手門跡があります。
これまでこのT字交差点の正面には名称通り市民会館が建っていました。市や市民には申し訳ありませんが、この建物のおかげで一号線からは全く城が見えません。JR駅から真っ直ぐに道(大手前通り)が伸び、その先に天守閣群が遠望できる姫路城とは大違い。城好きとしては残念に思っていました。
ところが年末に関東に帰省した際に数年ぶりに小田原に干物やカマボコを買いに行ったところ、市民会館が解体されて無くなっていることに気付きました。車で通り過ぎただけだったので、一号線から天守閣が見えるか確認できなかったのですが、次回の帰省が楽しみになりました。
なお、Googleマップではまだ市民会館が建っていてストリートビューでは見えませんでした。残念w
コメントありがとうございます。国道1号を東から走ってきても小田原城天守は見えませんね。小田原市民会館の位置は天守からまっすぐなので、城好きとしてはついつい期待してしまいます!
ですが、今回は蓮上院から八幡山古郭への移動に東海道より東(海側)の道を通ってしまいました。海側にも惣構遺構らしきものが無いかな・・と考えていたからです。そこから小田原城の南を通って八幡山へ・・。
次回近くを通りましたら市民会館の様子もチェックしたいと思います。
現在の小田原城は江戸時代に建てられた天守を戦後コンクリートで作られたものが中心となっているものの、天守閣とお堀というお城らしさがあるのはおそらく関東では小田原だけなので、外国人を含め観光客が多いのでと思います。
その構えを作り、守りに徹したものの、秀吉の農作業を行わない年中兵隊という組織がいつまでたっても攻めの体制を変えることが無かったことが、降伏に繋がったと思います。
小田原城の惣構、秀吉の遠征に慌てて突貫工事で造った割に整い過ぎていて違和感があるんですよね。
籠城中も築造していたのでしょうが、戦後に入城した大久保忠世によって江戸の守りとして増改築された部分もあるかも知れません。