日本の一人当たりGDPはウィキ List of regions by past GDP (PPP) per capita によれば中印欧に比べて歴史的にずっと低く、日本人自身には明治維新とか日露戦争で一気に先進国入りしたイメージ持たれてそうだけど、実際に先進国に並んだのはその二次産業から三次産業にシフトしつつあった1970年代でした。GDP割合が 一次に集中してる国 貧国 二次に集中してる国 途上国 三次に集中してる国 先進国 で、これはブルシットジョブでもこのチャンネルでも言い続けている、必要性の高い産業に携わっている人は貧しい事が国規模でも言える訳です。1950~70年代の日本で二次割合が高かったのは先進国では無い事の特権でもありました。そして当時の国民に現状維持とこの少子化した2020年代とどっちが良いかを訊いたらまずみんな20年代の方が良いと答えたでしょう。隣の芝は青いし皆自分だけは厳しい競争に勝ち残れるとも思っているし、変化しない事自体が「動」物として耐えられないんです。堅強は死の徒、他のコメ者が俺と違って理系的視点から素晴らしい分析をしていますが(名前失念、あなたより先にコメ書いた人です)日本は硬直しがちな国民性。動物としての本能とは矛盾するけど、皆失われた30年状態を変える事よりもその状態を崩す事によって治安の良さを失う事を嫌っている。 二次社会から三次社会に進化する代償としてメリトクラシーなり少子化するのは分かるけど、東欧は共産独裁全体主義によって二次シフトが日本より早く始まったのに今も続いている上に、GraphToChartで東欧各国の人口推移を眺めると少子化や人口減少も日本より10年は早かった。共産下では三次への進化が許されず、ソ連崩壊後は南欧と共に事実上EU盟主であるドイツの植民地になっている。労働力も人材も貿易収入も吸い上げられて奪われているのです。バブル直前、1985年プラザ合意直前でジャパンバッシングされてた日本が以後も二次に拘っていたら世界中の他の国の二次産業が育たなくてどのみちアメリカの代わりに日本に圧力をかけるなり孤立させたり、或いはバブル期みたいに景気が良すぎて労働力が足りなくなって移民受け入れてそこに日本の民族主義的排性が加わってレイシストで溢れて移民は蜂起して、というようにこれまたどのみち社会分断したでしょう。二次である程度儲かった国は世界の経済バランスからもこのチャンネルで言うブレーキを掛ける、三次産業にシフトして貿易赤字を受け入れる、そこに抗い続けるという不自然な事をした方が一層大きな代償を払う事になります。少子化は先進国でいるための自然な代償の一形態です。少子化を辞めたいなら他の代償を払う必要があるけど日本の国民性はそのリスクの全てを拒む。 他でも書いたけど人生で成功する要素は 運>金>遺伝 です。優性思想も強まるけどそれ以上に親の金が子の人生を決める。皆漠然とメリトクラシーという言葉を主さんに釣られて使っているようだけどその定義だけは主さんにして欲しかった、直訳的な解釈なら能力功績主義、もう少し具体的には学歴経歴(キャリア)主義ですね。金持ちの子ほど高学歴になる、遺伝要素はふんだんに教育資金を注ぎ込んだ環境で概ね覆せる。コロンビアの取り違え二組双子でも一方は大卒銀行員、一方は肉屋と、遺伝子が事実上無効化されている事の良い例です。また他の問題として近代優性思想を持ち出したヨーロッパは倫理面でそこを乗り越え始めている、今は胎児になった時点で発達障害の有無が確認できる、医療業界でその技術を無かったことにしないのは国民に先天的障害をタブー視しない倫理観がそれなりにあるから。日本の社会倫理はその壁を超えられない。 相模原事件は犯人に会った事もないから良く知らんけど、俺には犯人自身の主張を真に受けるつもりはありません。サイコパスは自身の思考や感情を素直に吐露する事なんかないし、してもそれを理解できるのは似たような歪み方をした人だけです。無差別殺人は組織テロでない限りはだいたい犯人自身が強者から虐められて来たから自分も弱者を虐める事で心の帳尻合わせをする目的で起こる。今年だったか関東で母親が子供と電車に飛び込んで心中した、世間は「死ぬなら勝手に死ね! 子供が可哀想だろ!」と非難した。でも母親は世間に自分の悲しさを知って欲しいから目立つ死に方をしてるんです。他人に心中したいなら海に飛び込んでも良いし山で生き埋めになっても良い。都市部でやる事に意味がある。母親は「自分は幼少期から家でも学校でも虐められて来た」「夫にも逃げられた」「行政もろくな保障をしてくれない」「世間も自己責任論で批判してくる」「私はこんな社会もう大嫌いだ」「子供をこんな社会に生かしておいたら可哀想」あるいは「子供に満足な環境を与えられなかった」「その罪を償いたい」「それには正攻法で金を手にして解決するか、自分が精神的に苦しむかの二択」「自虐的に自分をもっと苦しめよう、子供をもっと不幸にする事で自分の罪悪感をもっと大きくしよう」という心理が働いてる筈なんです。麻薬や博打などの中毒者も同じ。浪費が辞められない罪悪感を中途半端に持っていると自分を裁きたくなる、自分を精神的に追い込んで苦しむ事で償った気になる、その追い込み方として選べるのは中毒度を一層高める事。万引きでも次々と高額な万引きをしていく事で自己肯定感と自己否定感を満たすんです。無差別殺人犯はだいたい社会から孤立してる、表面上は分からなくても輪の中に加われないような、心の居場所が社会に無い状態。そういう人は家とか学校とかで親やクラスメートから拒絶されたから自身も他人や社会を拒むんです。拒んでて信用してない相手に素直な会話なんてしないし、本当は理解されたいけど理解されたらそれまで孤立して苦しんで来た自分を裏切る事にもなってしまう、自分が敵視してきた社会と和解し同列になる事は自己否定にもなる、だから心を閉ざす。相模原の犯人に限ってはそうじゃないかもしれないけど大概の犯人の心理ってそんなもんなので、そいつにも自身を優性だと思っている点と劣勢だと思っている点の両方があったんじゃないかと思います。自身が劣っている意識が強いから社会弱者に対して同族嫌悪もあったかもしれない、主さんの言う「俺こそが最弱!」意識です。自尊心を保つ上で強いか弱いかよりも大事なのはオンリーワンやナンバーワンである事。でもあなたのそのコメからはそういう理解をまるで感じない、なんとなく悲劇的な雰囲気に浸っているだけ。それはあなた自身はそこまでの疎外感を得た事が無いからかもしれずそれはめでたい事だけど、痛みを知らない人は無意識に他人を傷つけてしまいます。痛みを知りすぎる人は意図的にも他人を傷つけやすい。あなたが犯人に会った事があって会話もしてただの差別主義者だと確信したんなら話は変わります。俺はマスコミの犯人の見せ方をろくに信用しません。宮崎勤も分かりやすい犯人像を演出されていたし、俺自身テレビや雑誌のヤラセに関わった事があって業界の汚らわしさを肌で知っているからです。
最近の子育てや教育は「ガチ勢が先鋭化し過ぎて新規参入者がもはや手を出せなくなった対戦ゲーム」と同じ様相になっているように感じる。
で、そういう上位層が「〇〇できなきゃ子育てはするべきじゃない」と批評し、初心者はうわこれ無理ゲーと諦めていく
まるで難しすぎて衰退した格ゲーみたいだなw(スト6は初心者よりで頑張ってくれたけど)
クラロワかな?
予備校は課金要素
たまにログインボーナスが入って全員教育費に課金するんですよね
いくら課金して育てても、個体値によって成長率も能力限界も大きく異なる。
ゲームではそのことにすぐ気付くのに、現実ではなぜか盲目的になる奴が多い。
最近の容姿端麗、高身長、エリートに育てあげられないから子供はいらないみたいなの考え
ポケモンの厳選じゃないんだぞって思うけど
そんな理想個体以外無価値みたいな考えになる世の中がしんどいよな
100年前に5人産んで2人夭折みたいな状況に対して、もっと健康に育って欲しいと思い続けた結果こうなってるんだろうから欲や悩みにはきりが無いね。俺は寿命まで生きる自信どころか年を越せる自信も無いから子供の事なんて考える余裕もない。20年前にホームレスになって以後ずっと似たような生活レベル。他国で日当10円の事もあった。俺がそう低空飛行してるのは親のせいでもあるんだけど(アスペとかパーソナリティ障害とか姉が統失とか)、俺が結婚しても子には俺が毎日自殺する事ばかり考えてた幼少期以上の環境はあげらないからとても結婚する気になれない。俺が女だったら良いんだよ、有能な男を捕まえればなんとかなる。でも女は上昇婚指向だから俺は俺以下の女としか結婚できない。夫婦揃って子にまともな環境を与えるのに合計100点必要として俺は40点しかない、その俺と結婚する可能性があるのは30~35点の女だけ。実際俺が関わった女は発達障碍者とか重度の境界性パーソナリティ症候群でDV喰らったりと問題ばかり、夫婦合わせて70点程度の家で子供が不幸にならない訳が無い。子供も不幸、親も元々至らない上に一層不幸、そういう家庭はかなりの確率で家の外の人にも迷惑かける。
イタリアではバザリア法と言って精神病院を潰して障碍者の面倒を地域住人に見させようとした。それが成功したのかどうかは知らない、ググっても現地人の主観しか出て来ないから自分で現地で肌で感じるしか方法が無い。イタリア人は寛容な訳でも無いだろうし出生率は日本以下。経済的にドイツの植民地になってて、折角少数精鋭で育てた人材も金の力でドイツに移民されてしまうそうな。院卒が当たり前の場に高卒がいても事実上知的障碍者扱いされる、されなくても本人がいたたまれなくなる。社会の居場所って自分がマジョリティでいられる場にしか作れない。
そりゃ仕方ない、だって子供を育てるために必要な時間や金や精神力は親の半生まるごと使い切るほどなんだから、人間元々誰も本能レベルじゃ子供を心底求めてるわけじゃないんだ。
昔は子供を産むことが社会の一員として認められる条件の一つだったから、望む望まないに関わらずみんな子供を産もうとしてたんだよ。
でも今は、子供を産んだからには幸せにするのが親の役目、っていうのが昔よりも俄然強く言われるようになったから、ただでさえ大変な子育てが輪をかけてヤバい負担を親におしつけるようになってしまった。
しかも昔は子育てなんて両親二人でするもんじゃなく、村社会っていう野生動物でいうとこの群れでやってたのに、今はまず金や情報や知識がないとロクに社会に助けすら求められないんだぞ。
挙句の果ては、心の病気までもがクローズアップされるようになって、現代は「生きづらさ」の指標までもが可視化されるようになったから、余計に幸せそうに見えない子供が目立つようになってしまった。
こういう様々なリスクを見て、子供を持つことに恐怖心を持つ人は増えてったんだよ。
そんなん一部の反出生主義者以外から聞いたことないけどな
SNSがガチであかん、不幸しか生まないだろ
中高年女性の度を超えた「大谷翔平礼讃」にそういった闇を感じる。ああいう理想的(に見える)個体を「仮想的な息子」と捉えて応援していくのは、それこここの動画が言ってる「種としての弱体化」に繋がる。羽生結弦礼讃、藤井聡太礼讃にも同じことが言える。こういった流れは、少子化ゆえ数少ない子供に過度に入れ込んで期待する傾向とセットだと思う。昔の親はもっと子育てに関して雑でルーズだったし醒めていた。それで良かったんだよ。子供が一定数事故や伝染病で亡くなることも現代より受け入れていたと思う。
確かに学歴の高い人間が社会のルールを構築していて、そのルールを学歴の高い人間以外には理解しがたい複雑な内容にすることによって、学歴の低い人間を搾取していくという構造には問題があると思う。弁護士とか税理士とかそういう人たちは、その恩恵を受けていて、既得権益化している。農業とか流通とか社会インフラを担う仕事よりも高給を得ているのはなんだかなぁと思う。
弁護士や税理士なんかは動画で言われてるように複雑化を価値換算したような存在だからね。ただ複雑なのに価値を下げた場合果たして担い手はいるのか?それこそ今の農業や建設業みたいにならないか
社会インフラを担う職業も場合によっては知識を必要とする層の就業が必要だろ
SNSなどでいろいろな主張をする人が現れ始めているのはいいことですが、いかんせんメリトクラシー主義者向けなものが多いのが現状。この動画主のように知識よりも仕組みを提案する人が増えてほしい。
競争させちゃだめなものまで競争させちゃってる今の世の中はあかんよなぁ
資本の論理
つまり資本主義の問題点ですね
パーキンソンの法則的に競争する余力と余地があると競争せずにいられない。競争要素が存在しなくてもその場に居合わせた人たちの本能が強引にそれを作り出す。差別要素も同じ。「今」の世の中に限った事じゃなくて昔どころかサル社会の頃からそうです。社会が悪くなってるとか昔は良かったみたいな錯覚をミーンワールド症候群とかバラ色の回顧とか言います。格差が拡大し続けていたり、その規模は世界規模では人類史上最大でもあるのは確かに最悪だけど、日本では交通事故が減ってたり戦争で取る首の数を競争してない点では良くなっている。揚げ足取ってるんじゃなくて普段からそういう事考えてたらきっと無意識にでも「今の」って言わないと思います。
@meroppa1
パーキンソンの法則って仕事や支出に関するものじゃありませんか?
サピエンス全史を読むと所有できる余剰が発生しない原始狩猟採集社会では人類は幸福に生きているように感じます
ただ近世では時代によって波があるでしょうね
戦後、戦争によって格差が是正され中間層が豊かになった数十年間は確かに今より幸福だったと思います
江戸時代なんて大名行列の豪華さで競争があったらしいからね。(幕府が疲弊目的で規模を強制してたというのは後付の理屈。実際は大名側が見栄の張り合いしてた)。木端役人なんてたいした仕事してないし別に有能じゃなくてもいいのに、ラクゆえに応募の倍率すごいから採用のさいに無駄に競争おきちゃってるよね。人類がその力をビジネスアイデアとか発明につぎ込めてたらもっと良い世の中になってた気がする
@@katuragi123大名行列は大名の力を浪費させて反乱が起きないようにするためだからね。
徳川幕府ははなから権力維持しか考えてないってこと。
現代なら北朝鮮とかも同じかな。
個々人がどれだけ椅子取りゲームで勝ち残るスキルを身につける努力をしたとしても、社会全体としての豊かさが増えるわけではない
マクロ的に物事を考える姿勢がこの社会には圧倒的に不足している
椅子取りゲームになるのは大学や会社の都合ミクロの問題であって、社会を豊かにすることを考えてその椅子を用意してるわけじゃないからな。
それこそ大きな信じるべきフィクションを失ってしまったことが致命的なんだと思う
ただ寄る辺なく流れる社会を彷徨う子羊状態になってるというか社会は自分たちが作っているという意識が失われている
違う面もあるよね。
起業家とかは、完全に未開拓分野とか世界の創造みたいなレベルの事もしてきたよ。
まぁ、その分世界に混乱をもたらしたとも取れるけどねw
そのための政治家でしょ。
@@msss8036世論がどういう反応するかよね。競争で豊かになるのは一定ラインまで、という認識がどこまであるか…
世の中もっとシンプルにあるべきだ。
今の人間は幸せになる為に生きているのではなく、幸せに見える為に生きている様な気がする。
良い視点だと思いました。SNSでの過剰な消費自慢、加工しまくった写真の投稿等、人間の長期的な幸福とは乖離しているとしか思えない行動をする人が本当に多いなと感じています。このチャンネルに出会ってから自分が感じでいた違和感が正しかったのだと証明されたようで嬉しかったです。
誰かが良いものを、楽をするために新しいことを開発していくと必ずというわけではないが複雑かはしちゃうよねって
シンプルのままというのはとても難しいのです
良い言葉ですね〜😍名言すぎ😂
そのとおりだと自分の人生を振り返って思います。
~であるべきなんて言葉は使わない方がいいんじゃないかな
そんなものキミが決めることじゃないと思うよ
とはいえ欲しいが数が限られている物を手に入れるために競争が発生するのは仕方ない。でも確かに本当には欲しくもないのに見栄を張るために無駄な労力をかけるのは考えものだとは思う。競争が起こる原因は大抵後者だからそちらを排除するだけで十分社会は機能するはずだ。
介護保険に関わる仕事していますが、つぎはぎの健康保険と違い1から構築された制度のはずなのに無駄に複雑で、事務処理に忙殺される構造になっています。そして原則にうるさい割に妙な例外も多く、知らないことで損することも多いです。社会の複雑化のもたらす問題の指摘にはとても共感します。
不動産屋や会計士なんてそれで食っているようなもんだしな・・・・・あの業界が構造シンプルになっちゃったら勉強しまくって複雑さを身に着けたひとたちが全員失業しちゃうよなと
おそらく外国人労働者を排除する目的でしょう。日本人の雇用を守る。ちゃんと日本語を勉強してる外国人だけを雇う。言葉が不自由でもちゃんと仕事できる人だったら雇用してしかるべきなのですが、それだと大量に雇用されてしまい、労働過剰になって人件費が暴落してしまう
受験時代、自習室の予約戦争や行列を作る浪人生の群れを見て
これって社会的にとんでもない損失なんじゃ...と子供心に思ったことを思い出した😢
実際そうだった。経営者や技術者として大成するのは大した時間もかけず努力をしなくても物事をできちゃえる利口な人で、その余力つかって色んな経験を積めた人で、あまりテストでは上位にはならない。長く勉強にコストや時間を注ぎ込まなくちゃ覚えられないひとってのは実は科学者や経営者としては不適。だからテストの上位者の多くは本来はエリートになっちゃいけない人たち。実業界では受験が激化した年度の学生が優秀だったという話はほとんどきかれない。宝塚もモーニング娘もたいして倍率がなく受験が楽だったときのほうが全体レベルは低かったがばらつきが大きく、後藤真希などの逸材が頭一つ抜け出ていて容易に逸材がとりこめた。ハロプロやヅカガールがブランド化し人気となってな倍率あがってくると全体レベルと量はあがったが個々の差がなくなり、受験対策に時間をかけまくった富裕層やガリ勉タイプが大量に試験に殺到し伸び悩むあまり才能がない凡庸な人しか受からなくなってしまい、容易に逸材が受からなくなった。
@@katuragi123問題なのってそういう上位者が台頭しないことじゃなくて全体のリソースが本質じゃないところで食われることじゃないの?結局、宝塚やモー娘に入る人が弱くなったとしても、才能がある人が他の団体に流れれば業界としてのパワーは下がらないし
才能あるべき人が座らなきゃいけない重要なポジションに、場にふさわしくない才能ないやつが居座ってしまうのが問題なのです。試験はパソコンのベンチマークテストに例えられます。試験で高得点とれるように努力の量を増やしてもその人の脳スペックはあがらないのです・@@安倍晋三-n5v
@@安倍晋三-n5v 全くその通りです
私もその主旨で書きました。
@@katuragi123別に経営者とかなら東大卒のエリートじゃなきゃいけないわけじゃないし関係なくね?
言語化がうますぎる。
過去動画の説明をかいつまんで何回も繰り返し説明してくれるので定着しやすく助かります
待ってました、今回も良い動画でした!
学生の頃に「受験戦争」って言葉に感じた違和感が、何十年か越しに氷解した。
戦争と呼ばれるほどに消耗して、その結果として何を得ているのか?
「テスト」の対策を叩き込むことに特化した塾や学校。
学校の勉強は、直接仕事の役には立たないから、社会人になってまた勉強のやり直し。
絶対に何かおかしいと当時からずっと思ってたが、やっとその意味が分かったような。
全世界でメリトクラシーで失われているリソースの合計を考えると背筋が冷たくなる気がする。
要は、コミュニティー内で税金を取って、それをコミュニティ内での競争のために使おう!という矛盾
@@v_yi メリトクラシーの説明?
間違いなく大半の知識は使う機会のないものだった。
ただ、必要な知識がある際に短期間で吸収し切る能力は育めたから全く無意味というほどではなかった。
ただその利用は、能力主義の下で個人が相対的に優位に立つために生かされた部分が大きくて、受験戦争が空費している競争労力は集団全体の幸福度を上げるためとは言えないほどに加熱し過ぎている
@@ぴゃっぴゃらぴゃー そういうことやな。受験戦争で勝ってもコミュ力0だったら、恋愛も出来ないし会社でもトラブル起こす。
受験戦争で勝つのが目的だから、将来やりたいことがなかったりするし、良い大学を出た。っていうブランドだけで会社の役員になったりして、会社の運営、管理はできても新しいビジョン、将来を作ることが出来ない。
日本の半導体産業とかまさにそれで、戦中から戦後すぐに電子工学勉強して半導体研究した日本人は、大量の半導体工場を日本にもたらした。
その後は有名な大学を卒業した人間が経営に回ってから研究部門とかにいる人間の給料をあげなかった。
会社に数多の特許や機会をもたらした人が、年収600〜800万円で、年下の役員や社長の一族はその何倍も貰う。
嫌気が指して、会社を辞めると韓国企業が、その給料の3倍から10倍の給料で雇用して、入社したら盛大なパーティを開く。
そして韓国では同じ嫌気が指して辞めた日本人とめちゃくちゃ有能な韓国人部下がいて、皮肉なことに韓国内でオールジャパンの半導体が完成。
日本の営業、セールスは、壊れにくい半導体だったが、韓国では格安の半導体。
シェアを急速に奪われ韓国に敗北した。
今では韓国企業の半導体工場を日本に誘致するために政府が300億円支払うという。
過度な受験戦争は、経済に結びつかないどころか停滞・・・敗北を招く。
ガンダムUCで言ってたな、過酷な世界の中で生きていくために社会システムを作ったのに、いつのまにか複雑なシステムを維持するために生きていくようになって、生きづらくなったって。
税金とか、社会制度もっと簡単にしてくれと思う。
簡単、やめたらいいねん。
わざと難してくしてアホから搾取するのが狙い
@@rimo9001 様
その通り!納税は悪!
社会制度をもっと簡単にすると、より強い人間が勝てるようになります。
例えば、100m走で考えると、
簡単なルールでは、足が速い人だけが勝つ状態です。
それを不公平と考えて、
足が速い人には重いものを持つルールが作られ、
足が遅い人は、走る距離が80mになるルールが作られ、
走れない人は、他の人に運んでもらえるルールが作られ…、
という形で、社会制度が複雑になっています。
なので、簡単なルールにする事だけを目的にするのは、
間違った考えだと思います。
@@torteapricot 様
複雑なルールになってますよね。
こういう大きな社会問題に対して思考の出発点を人類の進化や本能、集団規範などという視点まで抽象化してから始めることで、現代社会を構造的に捉えることがしやすいということを知ることができたことに感謝してます。
どれだけ競争しても勝者の絶対数は変わらないから豊かにならないというのは残念な現実ですね…
日本では医者が最も安定して稼げるから競争に勝ってきた人材が軒並み医学部に行ってしまって研究者・技術者が人材不足になっている=新たな余剰が生まれづらい、という話も資本主義の欠点と言えるでしょうね
しかも医療業界は国民皆保険で賄われてるから、一番競争で稼ぐ必要のない産業
それは一概には言えないよね。
日本で生まれて革新的な技術を開発した人は別にエリートでもなんでもない人が多い。
勝者の定義を聞かせてもらいたいが・・・。医師の中にも勝者になり切れない人もいる。
研究者技術者は、優れた人というイメージが強いが、なんとなくその道を歩んだ人やそうするしかなかった人もいる。
そして日本のそういう人材の多くに言えることだが、営業が下手。
国からお金がもらえないなら民間の業者から支援を受け取ろうなんてする人がほとんどいない。
アメリカの場合は、優秀な教授が民間から金を引っ張ってきて研究者を育成したり、研究者自身が色んな企業と話して支援を得ようとする。
民主主義の欠点などではなく、日本の問題で教育の問題だと思うよ。
@@虎釣りなるほど、確かに研究者が研究に専念、没頭すればよい結果が生まれる。ように見える。
しかし実際問題、国がお金を与えるというのは、国が、一般人に成果をアピールしやすい分野に偏りが生まれやすいですね。
これは武田邦彦さんの談ですが、「ダイオキシンが悪い。」となるとみんなその研究ばかりするようになって、どれだけダイオキシンが悪いものか研究し、資金援助をもらおうとする。
結果、ダイオキシン類の一番毒性の強い物質は、ものすごい微量で多数のネズミを斃せるとわかっただけで、そのダイオキシンは自然界にはほぼ存在しないものであった。らしいです
最近ノーベル賞を受賞した眞鍋淑郎氏の話だと。
彼は1958年当時は工業生産で増加する二酸化炭素によって引き起こされる温室効果ガスの問題などを研究したわけですが、そういったものは当時の国家では全く求められていないものであり、研究費を獲得することもできなかった。ので渡米する結果となりました。
そしてアメリカでは、目立った成果が出ないのに何年もアメリカの教授が資金援助をし続けてくれたそのおかげで、ノーベル賞を取ることができたのだ。とおっしゃっていました。
これらが、研究者が自分で営業を行わないことの弊害だと思います。
次に日本で営業をした人の成功?例ですと、バッタ研究の有名な方がいらっしゃると思いますが、
彼はいわゆる営業をして、一般人にもウケやすい知名度やパフォーマンスで研究の続行を勝ち得ている。これは国に対してもですね。
そして若新氏も慶應義塾の看板を使って、生徒などの代わりに自分が一般企業に営業をかけ資金を獲得している。そのプレゼン研究は、お金をもらう企業と直接的に関係のないものだが、看板の知名度も借りて資金援助してもらっている。とのことでした。
資本主義の問題は、実はある程度資本主義でカバーできる。
ただ日本の場合、民間が資金援助するような。そういう土壌が育っていないのと、研究者自身のプレゼンテーションの問題があるのかな。と思います。
眞鍋淑郎氏の話を出すと、彼は日本国内だけではなくアメリカにも売り込みを図っているわけですので、もう少し研究者は営業努力をするのも必要なのかな。と思います。
まぁもちろん大学で色々忙しいのはわかるんですが、それらも実際は国家の制度上の問題とかがあるのではないか。と思います。
進撃の巨人で苛烈な競争に勝利して選択肢を得た上位者たちがこぞって巨人と戦う必要も苛烈な競争もない楽なぬるま湯集団である憲兵になろうとしていたのがその象徴だよな。。。。公務員なんて楽なんだからバカにまかせておけばええやん、受験競争突破できる才能あるなら東大卒業者はこぞって起業家や技術者になれよっていつも思う@@v_yi
むしろ格差が広がったほうが(中間層がいなくなったほうが)、「正しい」ってことか。
中間層を増やすっていうのは、個人の異質性を無視することになるから、「豊かだけど正しくない」ってことになるんですね。
「昔はみんな平等だった」ってのは、もしかしたら多様性が否定されていた、もしくは認識されていなかった状態、つまり「正しくない状態」だったかもしれないことを理解しました。
こう考えると、幼少期に「あなたは普通だ」と教わるのか、「あなたは特別だ」と教わるかで、だいぶ変わってきますね。
「実はあなたには特別な才能がある!」なんて話は、もしかしたら悪魔のささやきかもしれませんね。
昔は競争したくてもなかなかできない時代だった
どんなイケメンでも結婚相手はお見合いで決められる
日本人と多様性の相性が悪すぎる
結局社会主義や全他主義に近くなると思うで
このチャンネルの動画を待ってたんだよ…今回も日常的に感じていることを言語化してくれる…
動画が長いので、全てに言及するのは難しいが、共感したところを一部あげると、優秀な人間はテストしなくても優秀だという事実は変わらないこと。それをわざわざテストするのは、時間の無駄。だけど証拠がないと納得出来ない奴が多いから、それをするしかない。全く怒りが湧いてくる…
昔の優秀な人間は、人の為に役に立とうとしたと思うが、今の人間は優秀さを可視化したところで、自分にしか力を使わない。身勝手な人間しかいない。そんなことして何の意味があるのか。
しかし、最後の方でも言われてる通り、豊かさを阻害する複雑化を否定しようとして、主張するとそれも複雑化を進めてしまうというのは分かるし、何とももどかしいものだなと思いました。
すでに競争という段階は現実社会では終わっていると思います、能力以前に生まれで殆ど全て決まっています
何故なら資本をあまりにも多く集めた勝者がほぼ確定しており、それ以外の労働を伴う奴隷と、労働を貨幣が行ってくれる貴族という階層社会にシフトしているからです
そして、教育格差により更に固定化されるという負の連鎖が続いている現状です
更に日本政府はその資本を多く持っている側へ更に貨幣供給を続け格差は開き続けています、金融所得と通常所得を合算して累進課税化しない限りこの差はどんどん拡がる一方です
ベーシックインカム等の給付政策によってある程度緩和すると思われますが、現在の勝者は確実に拒否するでしょうもしくは 財源でもなんでもない税負担を上げてくると予想されます
このチャンネルで何度も書いてますがworld ineqiality databaseによると、国民下位半分の平均資産と上位1割の資産の差は先進国はだいたい60~70倍です。日本は60倍だから下位5千万人の資産が500万円だとしたら上位1千万人は3億円。先進国で最も格差が小さいのはオランダで27倍。最大はアメリカ235倍。200~250倍は一次大戦以前のほとんどの国の格差幅です。フランスは18世紀末の革命から一次大戦までずっと200~250倍だった、革命で国民に権利意識は芽生えても肝心の格差は全く縮まらなかった。日本も明治維新があっても格差は変わらなかった。史上最も格差を縮めたイベントは二次大戦で、金持ち同士が財を溶かし合うから結果的に庶民との格差が小さくなります。しかし二次大戦後そこまでのイベントは起きていないので世界全体が再びじわじわ格差を広げつつあります。
人生で成功する要因は 運>金>遺伝>>>努力です。運とだけ漠然と言うと何の運なのかって話になるのでそれを無効と見做せばあなたの言う通り金が一番大事です。また格差縮小には収入格差よりも資産格差を縮める事の方が効果的で、日本でも(日本語でも)今年あたりから漸くその話が語られるようになりました。資産の利息の方が経済成長より早いので資産家は何もしなくても格差拡大の波に乗れている。世界の資産家上位40人は10年で資産が2倍になるけど、世界の下位半分の40億人の資産は1.2倍にしかならない。大事なのは収入に課す税ではなく資産に課す税です。相続税を重くするとかですね。その相続税が先進国では1980年頃からどんどん安くなって行って今の大格差状況の一因になりました。それも1929年大恐慌以後ニューディール政策あるいは共産国家の誕生などの影響があってか左翼的経済が流行り、それが1970年代に行き詰まりそれまでの反動で右翼的経済の新自由主義に。それがもたらしたのはグローバル経済と相続税率低下による世界的格差です。アメリカでは金持ちの税率が8割とかあったのが3割とか、ロシアも13%とか、中国に至っては相続税ゼロ。1億円の資産のうち13%しか持って行かれなかったら子はその8700万円で更に周囲の同世代と差をつける事が出来ます。そしてそれもまた2000年頃に行き詰まりはじめ、2010年頃には各国の国民も深刻な状態だと気づき、反グローバルなりこういうBI話等での反動を起こしています。16年のトランプ当選や20年のブレグジットにも格差縮小を願う国民の意思が反映されています。政治でも宗教でも経済でも一つのイデオロギーに固執すると必ず行き詰まるので困ったら反対方向に舵取りすればいいだけ、これもこのチャンネルのコメ欄で過去に何度か書かれて来ました。でも日本は右翼的保守的な国民税なので経済学好きの間では今も新自由主義信者が優勢です。細かい事を言うと日系アメリカ人経済学者のフランシスフクヤマが1990年頃にソ連解体を見た勢いによってか「世界の経済は自由主義が絶対正義である事が証明されたしそれは以後二度と変わらない」などと言ってしまったために、今の世界の経済学者は日本人経済学者と対談したり日本メディアのインタビューを受ける度に「日本と言えばフクヤマだけど彼が言った事は間違ってたね」と定番フレーズのように突っ込みまくっています。ひたすら競争する事が集団全体にとっても最も理想的だなんて単純な話ではなかった。
50代以下の若い経済学者なり政治学者はソ連解体なんてものにいつまでも心を奪われようもないので、今の時勢に合った左派的主張をする人が多いです。学者として世界的権威になるには50歳でも若い方。そしてそれら若手が主張するのは、やはり相続税率を高める事と、タックスヘイブンを世界的に禁止なり制限しようって事です。それらは庶民対金持ちではなく、金持ち対大金持ちの戦いになるので、我々庶民がどうこう言っても何の影響も与えられません。フランス革命のように金持ちや新興エリートが大金持ちをシバく時の大義名分として利用されるだけです。王のせいで国民がパンも食えなくて困ってるでしょと。でも王を葬ったバラスなりロベスピエールらは今度は自分たちが権力や財を奪い合っただけで、結局国民の事は顧みませんでした。但し何の恩恵も無かった訳では無く、国民が国を動かす事に関わったという自信と前歴が、後に女子供や障碍者の人権を得る事に繋がっていきました。またナポレオンが採用した法律も今の先進国に強く影響を残しているので我にも恩恵が与えられています。国民はそういう考察を100年も経ってようやく可能になるので、もしタックスヘイブン潰しに世界中の庶民が間接的に加わらされて、90億人いる時にそれが起き成功したとして、金持ちでない80億人は勝利したと聞かされても何も分からずなんとなく勝利に酔いしれるだけだろうし、それによって世界の庶民に恩恵がすぐもたらされるとも思えません。タックヘイブンは増々地下に潜るかもしないし、すぐ得するのはそれで潰された層のすぐ下にいる金持ちです。大戦以外で格差縮小するのって難しい、日本は一度も革命が成功した事が無いほど権威者に弱い国なので猶更望み薄です。みんなこういう所でああだこうだ文句言うにとどまり、いざデモやストライキするかってなるとそれをしている人を痛々しいような目で見る。それは現状を維持し権威者を利する態度、それが権威主義社会なんです。国民は将来よりも目先の秩序維持に自他から固執させられている。欧米のデモやストライキや暴動を見ては日本に生まれて良かったなどと言って大人しい羊でいる自分を肯定する。まず一人一人が親や先生や上司や天皇家という権威者に対して臆さない所から始めなければ羊体質は変わりません。てな事を言うと必ずストローマン野郎が「おっ反社のテロ宣言か?」みたいに決めつける。本人には「長年の権威的社会からそう決めつけるよう刷り込まれている」という自覚がありません。日本に生まれてなかったらそんなコメ書かないですよね。意見の異なる人を無暗に否定している訳ではありません。俺は格差の大きさに困ってるからそれを縮めたいと言ってるだけで、生活困窮している証拠があります。ここ6年で食べた物の8割は期限切れ、食費は1日300円、今年は食費以外に使った金は一度だけ乗った電車賃千円だけです。車も自転車も持ってません。もしこの俺に「お前が左翼に洗脳されてるだけ」と言う人がいるなら俺よりも困窮してないと納得出来ません。
また国民はよく減税を訴えますが、一番大事なのは累進課税です。減税減税言ってても非貧民も金持ちも一律減税したら格差は増々広がります。具体的には累進課税率を変える、金持ちから多く取って貧民からは取らない。まずその理想論にすら到達してない人が多い。主さん的にはそんな非現実的な事言ってても仕方無いって事でBIを主張している訳です。また結婚も格差拡大に繋がっています。夫婦は収入や能力や人格など釣り合いの取れる者同士がする事なので、金持ちは買持ち同士、貧民は貧民同士でくっ付き、子孫にもその傾向を強めさせます。少子化対策に皆「日本は結婚さえすれば子供を作る! だからすべきは子育て支援じゃなく結婚支援だ!」などと言いたがりますが、単に結婚しても格差解消には繋がりません。むしろ本来は結婚を避けた筈の経済的にギリギリな層(男で年収250万円あたり)が無理に結婚したため、その子の代での格差はもっと広がっている可能性があります。格差が解消されないのなら国民は結婚したがらない事に変わりないので結婚支援も一過性で終わるか、もっとエスカレートした非現実的な支援が必要になってしまいます。それを防ぐには貧乏夫婦の下に生まれた子は私立校も塾も教育費ゼロが大学まで保証されるくらいのこれまた非現実的な支援が必要です。
BIを実験した国はたくさんあり、いずれも期間や人数が減退的であるために決定的な結果は何一つ出ていませんが、それでも傾向は色々と確認されています。俺はこのチャンネルの動画のコメを、俺自身がコメツリー立てる前に書かれたものは全て見てますが、誰一人としてBI結果を擬態的に書いていないのです。支持したいからという気持ちだけで無条件に支持する、支持したくないから失敗した国もあるぞみたいに雑に自説の根拠づけをする。そんなんじゃなくて例えば「アフリカのコーヒー豆はフルーティだから浅炒りで低温向きだし、中南米のはフルロースト粗びきが向いている」みたいな、国ごとの国民性に応じた詳細な知識を書くべきだし、これだけの人数の視聴者がいるんだから真面目な人が集まってその気になったらとっくに具体像が出来上がっている筈なんです。大勢で大学論文一つ書けてるでしょうね。でもみんな実は大して興味も無いから思い付きレベルの事を書き殴ってばかり。更にこういうツリー形式の場って他人のコメを読む必要が乏しいからコメが淘汰されていかずレベルアップしないんです。2chみたいな掲示板形式だと常にレスバが起きるからコメレベルがそれなりに磨かれて行く、その代わりに少数意見は正しくても多数派に圧死させられる。ツリー形式の良い点は少数意見でも生き残れる事です。少数意見の尊重と議論の交わし合いのバランスが良い事が理想。youtubeはsnsとかと比べて最もポジティブ(治安が良い)と言われるけど、コメ欄の生産性が高いとも言えません。特に塗動画主が真面目だったり義理堅い人だとくだらないコメにも全部目を通す事になるので大変な損失です。例えば「コメを書く際には既に同じ事を言ってる人がいないか確認して、他人と被るコメは書かない」みたいな風潮が起きたら効率的です。そういうルールを儲けすぎても閉鎖的になってしまい過疎るジレンマがあります。
俺はBI実施した各国の結果傾向をそれなりに把握しているつもりですが、自分が苦労して搔き集めた情報をろくに真面目に吟味する気も無い人たちに向けて書くのはアホらしいので書いてません。吟味とはどんな国民性の国でどういう形でやったかまで把握する事です。主さんにだけ読まれるのなら喜んで書きたいけど、主さんなら俺が知ってるくらいの事は一通り知ってるだろうからそれもまた無意味になってしまいます。
@@meroppa1
せっかく長文読んだから返信しますね
あなたは自分は賢いと思っているあまり社会の役に立たない人間です
2chのコメントがレベル高いという発言ですでにおかしさを露呈していますが
ビジネス上の秘匿情報とかでないなら情報は開示した方が他の方の役に立ちますし
あなたの望むレベルの高いコメ欄になるんじゃないですか?
どこの国か忘れましたけど「学習は他者の役に立つことをもって初めて意味をなす」
というスローガンを掲げて教育改革に成功した事例があります
具体的に言うと、ミレニアム問題などの未証明の数学問題の答えを知っている人物がいても
それを世に発表しなければ、その人個人には意味があっても社会にとっては何の役にも立たないじゃないですか
だからこそ、日本だけでなく世界中でペーパー試験だけに偏るのではなく探究・発表までも学習に含めこちらの比重を増やしています
あなたの目的がハイレベルのコメントなら情報を広げることが成長思考的でより目的を達成します
あなたは証明思考で自身の能力の高さを認めさせることが目的になっています
しかも、あなたが言うにはレベルの低いコメント欄でそれを示そうとしています
過ちを改むるに憚ることなかれ
そう言う態度は改めた方が社会にとってもあなたにとっても有益だと思いますよ
@@user-zfthgrj どちらの意見も理解できるのでコメントします
こういう話は本人が賢いと思っているよりは、それがその人にとっての普通である事が多いですね。
ギフテッドとかがそうです。そして人の平均から外れた人たちは孤独であり周りに理解されない事に苦悩を抱えています。
そして人は自分と異なるもの、異質なものを排除したがります。
本能なのでしょうがないといえばしょうがないですが。
「学習は他者の役に立つことをもって初めて意味をなす」については私もそうだと思います。
さかなクンや江頭2:50(敬称略)が皆に受け入れられているのは、
その才能や魅力を社会の為に使っているから。それが嫌であれば世捨て人になるか。
異質な者同士が手を取り合うには、軋轢はどうしても生まれると思います。
でも手を取りあえれば個人では出来ない事も出来ます。それが人間の魅力であり醍醐味。
異質なものとして非難し排除するのはお互いにとっての損失だと、私は思います。
@@kurage3814
良いコメントでしたので返信します
ギフテッドの人っぽいですね
アカウントみたら中国語の動画上げてますし、多言語話者っぽいですね
2chを持ち上げる、頭でっかちな人間だと思ってコメントしてました
さかなクンやエガちゃんは私も好きです、本当に好きなこと追求してる姿に好感が持てます
エガちゃんもよくよく考えたらギフテッドの類ですね
直近で成長思考の本を読んでいたので証明思考的な衒学的な空気を文面に感じたのでつい指摘してしまいました
異質を排除するというのは本意ではないですし、想像力が足りなかった点もあったと思います
また過ちを改むるに憚ることのない人間でいたいので謝罪します
@meroppa1
気分を害されたようでしたら申し訳ございません
意図としては、そんな長文普通の人は誰も読まないし、賢く見せるよりも実際に世の中の役に立つ方が有益だということを言いたかったです
賢く見せる気はなかったのならすいません、ただあまりに長い文は読む気も失せますし、相手に伝えることを意図して簡潔に述べた方がいいと思います
2chに関しては高度なコメント欄とは思えないですね
むしろ攻撃的なネットカルチャーを生み出した悪の巣窟だと私は思います
自身の主張はしますが、あまり社会の役に立たないと言った点は
あなたを傷つける発言でしたのでその点に関しては謝罪します
工業化社会(ブルーカラー中心)だった昭和時代は、社会が人々に求める学歴や能力がそれほど高くなく、能力が平凡あるいは低い人間でも結婚して子孫を残せた。
対して、情報化社会(ホワイトカラー中心)の現代は、大卒にくわえて高いコミュニケーション能力や資格、平均以上の容姿を兼ね備えた人間でないと結婚も子孫を残すのも難しくなってしまった。(マイルドヤンキーといった例外はいるけど)
こういう状況になれば当然少子化は加速し、人口のボリュームゾーンである中間層が再生産されず、豊かな社会の維持が難しくなってゆく。
優秀な個人を優遇するメリトクラシーは優生思想と親和性が高く、(あくまで個人的な予測だけど)メリトクラシー・学歴社会の行き着く先は、エリートや大谷翔平・藤井聡太クラスの超逸材と、相模原殺傷事件の被告のような優生思想に毒されまくった危険人物しか生き残れないディストピア的な社会だろう。
まあ動画でも言っているように、こういったメリトクラシー批判は根本的な解決にはつながらないし、メリトクラシー肯定派との対立により大衆同士の団結が阻害され社会運動を起こせなくなる。(いわゆる分割統治状態になる)
メリトクラシー肯定派・否定派の間で分断が起こり、プラスの競争だけでなくマイナスの競争も発生するようになった今の社会は、権力者や支配者にとっては理想的な世界なのかもしれない。
今は恋愛ですらマッチングアプリでの競争が必須な時代
真に問題なのはそのことすら認識していない、まだお見合いの時代の常識に囚われてる高齢者
日本の一人当たりGDPはウィキ List of regions by past GDP (PPP) per capita によれば中印欧に比べて歴史的にずっと低く、日本人自身には明治維新とか日露戦争で一気に先進国入りしたイメージ持たれてそうだけど、実際に先進国に並んだのはその二次産業から三次産業にシフトしつつあった1970年代でした。GDP割合が
一次に集中してる国 貧国
二次に集中してる国 途上国
三次に集中してる国 先進国
で、これはブルシットジョブでもこのチャンネルでも言い続けている、必要性の高い産業に携わっている人は貧しい事が国規模でも言える訳です。1950~70年代の日本で二次割合が高かったのは先進国では無い事の特権でもありました。そして当時の国民に現状維持とこの少子化した2020年代とどっちが良いかを訊いたらまずみんな20年代の方が良いと答えたでしょう。隣の芝は青いし皆自分だけは厳しい競争に勝ち残れるとも思っているし、変化しない事自体が「動」物として耐えられないんです。堅強は死の徒、他のコメ者が俺と違って理系的視点から素晴らしい分析をしていますが(名前失念、あなたより先にコメ書いた人です)日本は硬直しがちな国民性。動物としての本能とは矛盾するけど、皆失われた30年状態を変える事よりもその状態を崩す事によって治安の良さを失う事を嫌っている。
二次社会から三次社会に進化する代償としてメリトクラシーなり少子化するのは分かるけど、東欧は共産独裁全体主義によって二次シフトが日本より早く始まったのに今も続いている上に、GraphToChartで東欧各国の人口推移を眺めると少子化や人口減少も日本より10年は早かった。共産下では三次への進化が許されず、ソ連崩壊後は南欧と共に事実上EU盟主であるドイツの植民地になっている。労働力も人材も貿易収入も吸い上げられて奪われているのです。バブル直前、1985年プラザ合意直前でジャパンバッシングされてた日本が以後も二次に拘っていたら世界中の他の国の二次産業が育たなくてどのみちアメリカの代わりに日本に圧力をかけるなり孤立させたり、或いはバブル期みたいに景気が良すぎて労働力が足りなくなって移民受け入れてそこに日本の民族主義的排性が加わってレイシストで溢れて移民は蜂起して、というようにこれまたどのみち社会分断したでしょう。二次である程度儲かった国は世界の経済バランスからもこのチャンネルで言うブレーキを掛ける、三次産業にシフトして貿易赤字を受け入れる、そこに抗い続けるという不自然な事をした方が一層大きな代償を払う事になります。少子化は先進国でいるための自然な代償の一形態です。少子化を辞めたいなら他の代償を払う必要があるけど日本の国民性はそのリスクの全てを拒む。
他でも書いたけど人生で成功する要素は 運>金>遺伝 です。優性思想も強まるけどそれ以上に親の金が子の人生を決める。皆漠然とメリトクラシーという言葉を主さんに釣られて使っているようだけどその定義だけは主さんにして欲しかった、直訳的な解釈なら能力功績主義、もう少し具体的には学歴経歴(キャリア)主義ですね。金持ちの子ほど高学歴になる、遺伝要素はふんだんに教育資金を注ぎ込んだ環境で概ね覆せる。コロンビアの取り違え二組双子でも一方は大卒銀行員、一方は肉屋と、遺伝子が事実上無効化されている事の良い例です。また他の問題として近代優性思想を持ち出したヨーロッパは倫理面でそこを乗り越え始めている、今は胎児になった時点で発達障害の有無が確認できる、医療業界でその技術を無かったことにしないのは国民に先天的障害をタブー視しない倫理観がそれなりにあるから。日本の社会倫理はその壁を超えられない。
相模原事件は犯人に会った事もないから良く知らんけど、俺には犯人自身の主張を真に受けるつもりはありません。サイコパスは自身の思考や感情を素直に吐露する事なんかないし、してもそれを理解できるのは似たような歪み方をした人だけです。無差別殺人は組織テロでない限りはだいたい犯人自身が強者から虐められて来たから自分も弱者を虐める事で心の帳尻合わせをする目的で起こる。今年だったか関東で母親が子供と電車に飛び込んで心中した、世間は「死ぬなら勝手に死ね! 子供が可哀想だろ!」と非難した。でも母親は世間に自分の悲しさを知って欲しいから目立つ死に方をしてるんです。他人に心中したいなら海に飛び込んでも良いし山で生き埋めになっても良い。都市部でやる事に意味がある。母親は「自分は幼少期から家でも学校でも虐められて来た」「夫にも逃げられた」「行政もろくな保障をしてくれない」「世間も自己責任論で批判してくる」「私はこんな社会もう大嫌いだ」「子供をこんな社会に生かしておいたら可哀想」あるいは「子供に満足な環境を与えられなかった」「その罪を償いたい」「それには正攻法で金を手にして解決するか、自分が精神的に苦しむかの二択」「自虐的に自分をもっと苦しめよう、子供をもっと不幸にする事で自分の罪悪感をもっと大きくしよう」という心理が働いてる筈なんです。麻薬や博打などの中毒者も同じ。浪費が辞められない罪悪感を中途半端に持っていると自分を裁きたくなる、自分を精神的に追い込んで苦しむ事で償った気になる、その追い込み方として選べるのは中毒度を一層高める事。万引きでも次々と高額な万引きをしていく事で自己肯定感と自己否定感を満たすんです。無差別殺人犯はだいたい社会から孤立してる、表面上は分からなくても輪の中に加われないような、心の居場所が社会に無い状態。そういう人は家とか学校とかで親やクラスメートから拒絶されたから自身も他人や社会を拒むんです。拒んでて信用してない相手に素直な会話なんてしないし、本当は理解されたいけど理解されたらそれまで孤立して苦しんで来た自分を裏切る事にもなってしまう、自分が敵視してきた社会と和解し同列になる事は自己否定にもなる、だから心を閉ざす。相模原の犯人に限ってはそうじゃないかもしれないけど大概の犯人の心理ってそんなもんなので、そいつにも自身を優性だと思っている点と劣勢だと思っている点の両方があったんじゃないかと思います。自身が劣っている意識が強いから社会弱者に対して同族嫌悪もあったかもしれない、主さんの言う「俺こそが最弱!」意識です。自尊心を保つ上で強いか弱いかよりも大事なのはオンリーワンやナンバーワンである事。でもあなたのそのコメからはそういう理解をまるで感じない、なんとなく悲劇的な雰囲気に浸っているだけ。それはあなた自身はそこまでの疎外感を得た事が無いからかもしれずそれはめでたい事だけど、痛みを知らない人は無意識に他人を傷つけてしまいます。痛みを知りすぎる人は意図的にも他人を傷つけやすい。あなたが犯人に会った事があって会話もしてただの差別主義者だと確信したんなら話は変わります。俺はマスコミの犯人の見せ方をろくに信用しません。宮崎勤も分かりやすい犯人像を演出されていたし、俺自身テレビや雑誌のヤラセに関わった事があって業界の汚らわしさを肌で知っているからです。
権力者にとって最も大事なは自身の地位が安泰である事です。国民が分断されてる方が都合が良い事も悪い事もある。目下同士がケンカしてくれれば目下が自分に対して持つ不満が中和される、でもケンカがエスカレートしたらいずれ権力者が責任者として責任とらされるし、国民同士のケンカは国力衰退にも繋がります。株が好きな人は先読みが外れて欲しくないし、世界が平和である方が確実に儲けられるので平和を望む、権力者にも投資家の面があるので平和な方が基本的に得です。パプア原住民の酋長は人口調整が最大の仕事だった、限られた食料環境の中で人口が増え過ぎるとまず内部争いが起きて、それがエスカレートすると酋長が罪を問われて殺されるし、生き残れても内戦で人口が減ったら近隣部族に攻め滅ぼされる。億単位の集団だとそれが実感しにくいだろうけど150人程度の集団だったらどうでしょう。或いは10人の子供がいる大家族の親でも良い。子供たちがケンカしすぎてケガしたり親に愚痴ったりしすぎたら面倒だし病院代もかさむ、ケンカの裁きをするにもどれだけ公平にしてもケンカ当事者は納得行かなくて裁判長である親を恨む。でも群れて階層を作る動物は必ずスケープゴートを必要とするので社会分断なり他国敵視は絶対に無くならない、権力者が仕向けようが仕向けまいが国民は勝手に分断を作る、権力者の仕事はその幅の調整です。アメリカ大統領なら白人が黒人を虐め過ぎても行けないし、虐めさせ過ぎてもいけない。ラテン系には人権は与えるけど金は与えないという扱い方でバランスをとっている、全て与えると白人が優越意識を持てなくなって文句言うし何も与えないとラテン系が票を入れてくれない。分断はすればするほど良いみたいな単純な話ではありません。
改行して
素晴らしい洞察力と解説力で、地頭も良くなく学歴も低い自分でも少しは現代社会の構造や問題点を理解した気になる。と同時にみんながそこそこ納得してそれなりに充実した人生を送れる世界には簡単にはできない事を思い知らされる😢
結局争えばなくなる。分け合えば余る。この概念が今の世の中には根付く必要があるんだろうなあ。
ならなんで共産主義のソ連で物が全く無かったの?
相田みつをさんの有名な言葉ですね
うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい、わけ合えばやすらぎ
うばい合えばにくしみ、わけ合えばよろこび
うばい合えば不満、わけ合えば感謝
うばい合えば戦争、わけ合えば平和
うばい合えば地獄、わけ合えば極楽
@@Fuuuchan_cat 資本主義社会において資本家が富を独占しているのに物は溢れ返るほどある。なのになぜ共産主義社会では富が独占されると物がなくなるのでしょうか?
@@Fuuuchan_catつまり抜け駆けは絶対出てくるから資本主義が現実的には人間の性に合うわけね
結局制度がよくても人間が扱う以上なにかしらの欠陥は発生すると思うの
分けあおうが奪い合おうがね
サピエンス全史では「嘘を信じる」ではなく、たしか「虚構を信じる能力」という表現だった。「虚構」とは要するに「金」「法」「契約」「人権」「神」「道徳」のようなもののことで、実体として存在しないのにみんなが信じるからこそ意味をなすようなもののことを言ってるはず。
わたしは最近養老孟司にどはまりして動画見てたが、面白い話がある。養老氏曰く「数学を教えてると、x=3とかA=Bとかを受け入れられない子がいる。だってAとBは別の文字でしょ?と。A=Bが成り立つなら何でもアリだなと」そして彼は「人間と動物の最大の違いはイコールにする能力」と言った。実は“感覚・五感“に注目すると、イコールなものは自然界に何も無いと続ける。葉っぱも人の声も似ていても全て違っていてなにひとつ同じものは無い。
わたしはこの「イコールにする能力」もハラリの言う認知革命で起きたことの一例だと思った。そういう意味でつまり認知革命とは、「五感で得られる感覚以上のことをさも存在する・正しいかのように知覚し、重要視できるようになったこと」だと解釈している。
現代の人間社会では明らかにそのような「虚構」を信じられる人の方が賢いとされている。数学者・弁護士・投資家・神父らはまさにそう。だから「嘘を信じてしまうアホでも集団になると強い」みたいな説明は正直意味がわからない。この文脈では「嘘を信じられる」のは能力主義の最上位なわけだから。
「結婚」についても視点が一方的すぎる。ホモサピエンスはもともとつがいになろうとする本能的性質を完全とは言わないが持っている。浮気されると不安な気持ちになったり、一途になったりするのは、我々を「つがい」に仕向ける遺伝子のはたらきと言っていい。我々はたしかにそういう“感覚”を持っていて、社会制度がなくてもホモサピエンスはなるべくつがいを形成することでオス同士が協力関係を築くことが可能になった霊長類だ。つまり「結婚」という要素の大部分は自然・本能・個人重視の側にもあり、それが集団の利益もつながる。そのように個体の利益が同時に集団の利益にもなるという例はいくらでもある。逆に言えばそういう種こそ強いことが動物を見ていればわかる。
結局のところローカルのコミュニティが必要なのだという話にわたしはおそらくそう反対ではない気がする。が、それまでの話は不必要としか思われない。インボイスや軽減税率を批判するために相対的に全体主義の有用性を主張するような必要はないはず。
前半の文章は確かにその通りと思ってしまいました。ただ、つがいになる性質というのは、近代のものではないですか?
つまり、それが本能的と言い切ってしまうのは疑問が湧きます。また、つがいの形成がオス同士の協力の結びつきが不明です。オス同士の協力はつがいでなくても、単なる力の上下関係でも成り立つと思うのですが、どういうプロセスなのでしょう?
単純に疑問というか質問でした。
@@さいとうじゃじゃいあん 「浮気されると人は怒る」誰もが当然と思っているこの常識を考えてみてほしい。結婚してないティーンのカップルも当然怒る、ときには部外者も他人の浮気に怒る。この怒りは本能ではないのか。結果的にこの怒りがあることで、われわれを軽々しく浮気できないよう自制させている。それはもう結婚という社会制度の準備が整っているようなもの。
チンパンジーは浮気されても怒らない可能性がある。一般的にチンパンジーは「乱婚」という形式をとると言われていて、つがい(オスとメスのペア)になる気がはじめからないのかもしれない。
さらに根本的な一例を出すと、「〇〇ちゃんが好き」大人も子どもも口にするこの感覚、これは本能ではないのか。「特定の誰かを好き」だという感覚は、われわれにはあたりまえすぎるように感じられるが、動物界全体を見るとおそらくかなり珍しい部類にある。これもつがいになる準備が整っているようなもの。
「つがいにならずともオス同士で協力できるのではないか」
そういう方法が全く無いとは言わない。が、「つがいにならずに力の上下関係で協力しろ」というのは、「弱いオスはメスと接触せずにただ強いオスに協力しろ」と言ってるみたいなもの。そういう例は自然界にはたくさんあり、ハーレムとよばれる。典型的なハーレムでは、シンプルに弱いオスは群れから出ていく。で、虎視眈々とハーレムのっとりの機会を伺う。つまりクーデター。このとき大いに子殺し(前ボスから生まれた子どもを新ボスが殺す)が伴う。協力と真逆の原理がはたらく。
細かいことをいうと中にはオス同士の協力関係が一部築けているようなハーレム体制もおそらくある。が、「つがいの形成」で協力体制を保証しているホモサピエンスのそれとは協力のレベルが段違いと言っていい。イーロンマスクのような人物ですら、“公然と“一夫多妻制をとったりとろうとしたりしない。実はそういうあたりまえに見えることが自然界からすると注目に値することなのであり、そうであるからこそロケットや電気自動車製造のような超高度な協力が可能となっている。
「結婚」→「しばられるのが嫌」という本能があるのも事実。ここから「結婚は本能と無縁の社会的につくられた制度」だと考える人もいるのだろう。
実際、ホモサピエンスのつがい形成本能は、強固だと言い難い面もある。結局つがいになろうとするのと、ハーレムになろうとするのの間には綱引きが生じている。
が、多くの人がわかっていないのは、「つがいになろうとする本能を少なからず持っていること」がどれだけすごいことか。
ヒトや類人猿や他のサルの繁殖形態?について見つけたので貼っておきます。
以下引用
①まず、そもそもヒトに近いとされる類人猿は
□チンパンジー=【多夫多婦】
□ゴリラ=【一夫多婦】
□テナガザル=【一夫一婦】
と多種多様でどれが主流だとは言えません。
②さらには、霊長類の中でも
□ミドリザル=1つのコミュニティの中で【多夫多婦】を維持
□チンパンジー=1つのコミュニティの中で【多夫多婦】だが、さらに婦子で1つ1つコミュニティを形成する
□マーモセット=1つのコミュニティの中で【多夫多婦】だが、発情して交尾する婦は1匹であるため、配偶関係は【多夫一婦】になる
□ゴリラ・パタスザル=1つのコミュニティの中で【一夫多婦】を維持
□マントヒヒ・ゲラダヒヒ=【一夫多婦】のコミュニティが集まり、重層的な社会コミュニティを形成する
□ガラゴ=【一夫多婦】のコミュニティを形成するが、婦が移動して他コミュニティとも関係を持つため、配偶関係は【多夫多婦】になる
□テナガザル=【一夫一婦】で1つのコミュニティを形成する
というように、【一夫一婦】【一夫多婦】【多夫多婦】【多夫一婦】の4パターンが様々に入り乱れています。
また、同じ種族でも地域によってコミュニティ形成の仕方が異なる場合も多いです。
これらはハッキリ言って偶然の要素が強く、実際、進化の過程は必然のように語られることが多いですが、うまく説明できないことの方が圧倒的多数なのです。
③そして本題のヒトですが、それこそ最も知能の発達した種族であるがゆえに、地域・文化によって【一夫一婦】【一夫多婦】【多夫多婦】【多夫一婦】の4パターンが様々に入り乱れたコミュニティを形成しており、一言で表すことはできません。
ヒト=【一夫一婦】という前提に立たれていますが、残念ながらそうだとは言い切れませんし、どれだと指定するのも難しい議題です。
むしろ、比較的【一夫多婦】が多いと言えるのではないでしょうか。
20世紀の半ばにおいて、世界にある238の文化コミュニティのうち、【一夫一婦】以外を禁じる制度を持つのは43コミュニティしかないとされています。
戦後、ますますキリスト教文化のグローバル化が進んだことで、【一夫一婦】が国際的常識のようになりましたが、生物学的にヒトが【一夫一婦】であるとはとても言えません。
キリスト教も一概にまとめられるものではありませんが、【一夫一婦】的な傾向が強いのは、激しい迫害の中で強固な規律と貞操を維持するためであるとともに、性感染症の蔓延による被害が大きかった経験によるものだとする説などが挙げられています。
④日本でも、正式に【一夫一婦】となってからわずか100年強しか経っていません。
縄文時代は【多夫多婦】を基本とした群婚コミュニティを形成していたようで、1家族の中は【多夫多婦】【一夫多婦】【多夫一婦】パターンが入り乱れ、【一夫一婦】は確認されていません。
年数で言いますと、この期間が圧倒的に長いです。
弥生時代以降明治時代までは【一夫多婦】がメインだとされます。
『魏志倭人伝』にも「貴人は妻を4~5人、庶民でも2~3人」との記述があります。
律令体制以降の戸籍でも、正式には【一夫一婦】制としながらも、妻と妾を区別して載せることで【一夫多婦】の実態に則すよう運用され続けました。
ただし、江戸時代までの日本人は結婚・離婚・再婚を比較的容易に繰り返していましたから、事実上【多夫多婦】と言っても差し支えないかもしれません。
戸籍には「独り親×子」というパターンが異常に多く見られ、それぞれ実家暮らしをしながら通い婚をし、子供はどちらかが養育する形も一般的だったようです。
明治維新後も「刑法」において妾を妻と同じ二親等へ格上げするなど、むしろ【一夫多婦】制度が強化されました。
これらが禁止され、正式に【一夫一婦】制度のみが「民法」で規定されたのは明治31年=1989年のことです。
しかし、公然と愛人とその子をもうける文化は続き、大正天皇から皇族も側室を廃止したことによって、ようやく【一夫一婦】が根付いたと言えるでしょう。
@@さいとうじゃじゃいあんつがいを明確にしないと、オス達は互いを潜在的な生殖相手のメスを奪い合う競争相手(上下関係)とみなすでしょ
集団の力という生存戦略を取るなら、つがいをつくって不要な争いを失くした方がいい
そっちの方が平和的な群れを形成できる
攻撃的なオスという存在は、人類にとって都合が悪かったんだよ
@@さいとうじゃじゃいあん 「つがい・結婚は本能の側」というのは反対です。例えば東出昌大さんとかは強いオスの代表例みたいな方ですが、彼は不倫したり、直近では3人の彼女を作ってその内の1人と再婚したり、時差的な一夫多妻を実現していますよね。まあ彼は極端な例ではありますが、人間は必ず飽きる生き物でありパートナーへの愛情も短期間で薄れるのが「自然」であって、できることなら多くの異性を関係を持ちたいと思ってはいるが、結婚という虚構を作り上げることでうまくやってきた...という感じかなと。
受験を通して気づいたこの考えを超まとめてくれててうれしい
要は、コミュニティー内で税金を取って、それをコミュニティ内での競争のために使おう!という矛盾
@@v_yi ???
地頭の良い子の市場価値(収入)をUPさせた引き換えに、
その他大勢を落ちこぼれにし、市場価値をdownさせる、それが受験社会だ、と。
@@デューク西郷-r5n いや。地頭関係ない。
教育に金をかけられる人間の市場価値を上がるだけ。
地頭がいいのは、その辺のヤンキーや半グレの指示役とか。
そいつらは地頭がいいのに、教育とか精神性を延ばせる良い「機会」に恵まれなかった。そのせいで社会的な利益に還元させることができず、個人的な利益追求のために知能犯のような犯罪を犯す。
ヤンキーとか不良でしっかり教育するとその辺の有名大卒よりも仕事ができたりするのはよくある。
受験のテストっていうのは地頭が良くてもノー勉じゃ受からない。
そのテストに特化させた勉強にリソースを割かないとそもそものスタートラインに立てないし、社会的地位を決定してしまう為、全力でテスト勉強にリソースを割かないといけない。
さらに競争に直接関係のない能力は軽視され、知性が偏り多様性が無くなる。
それは社会全体で見れば無駄が多く生産性も下がるし、失うものが多すぎる。
って事だと認識した。
地球全体で見ると、自然に戻ろうとする力が働いているんですかね。
人間増えすぎ → (自然の力で)人口減少
人間強くなりすぎ → (自然の力で)メリトクラシーで弱体化
日頃感じていることを見事に言語化してくれて感動する!
今まさに、会社の中で「簡易化」に取り組んでます
医学部が学歴競争のトップだけど、優秀な人材が高齢医療、整形外科に取られているとも考えられる
とてもわかり易い説明でした。ありがとうございます。能力主義が実は能力の競争ではなく、能力の可視化の複雑な手続きの競争で、その手続きによってリソースが浪費されるんですね
投稿ありがとうございます
多様性が個人の格差を広げるような可能性がある考え方は非常に面白かったです
学歴競争を促すだけの教育が育成ではなく選別の効果しか実際には無いっていうのは本当にそう。
偏差値高い学校でもそうじゃない学校でも変わらんっていう研究がその象徴。
教育があるようで無い。
ベンチマークテストにCPU性能をアップさせる効能はないよね
難しいこと、理解しにくいことを知っている人は周りに
「どうだ!知っててすごいだろ!何で知らないの?勉強しろ!」など、まるで知っていることが偉く威張る感じがありますね。
さらに知らない人たちに対し、知らないお前らは情弱とかバカとか言っててなんだかなぁ。って感じます。
面白かったです。自分と似たようなことを考えていましたが、正しさと豊かさという概念を対立させて整理していてとてもわかりやすく、自分の考えを整理できました。ありがとうございます。これからも応援しています。
ありがとうございます!
嬉しいです🥹🥹🥹
時間をかけて頑張れる理由があればね。だから自分が好きなことは複雑でも続けられるし
この人の考え方を聞くと、
自分がいかに(無意識レベルで)バイヤスにかかってるかハッとする。
すごい視点として面白いです
もはや複雑化が進みすぎて暗号化の域にまで達していそうです
プラスチック袋の有料化も複雑化だよな。めんどくさくなってる。あれやめてほしい。
意識高い人たちって無能なんで暇だらけなんだって。そういう人が躍起になって「我々がここまで頑張ってやったんだから役に立たないはずがない」って労働価値説やマルクス主義みたいなこと言ってくるから、いまさら「これ無駄なんで・・」っていえずになくならないんだと。
仕事で様々な課題解決に取り組んでいますが、問題のほとんどがシンプルに考えることで解決します。主観的な見方しかできない人間が多く、自分が理解していることが、相手にとって複雑なものかどうかを判断できません。これもメリトクラシーであり、自分が理解しているやり方で相手より上に立とうとする動きだと考えています。
ただ、それだと結局大抵のことがうまくいかないため、私のように客観的に問題を整理するような、何も生産しない仕事が成り立っています。
競争自体が仕事になり、それを無くすことも仕事になる。どちらも何も生み出さないですが、社会的には価値が高いとされます。
こういった人々は本当に消費しか考えていません。国が衰退し、持続できなくなっていることに対し、競争することが解決策になると考えてます。
私は競争を推進する教育と、消費を賞賛するメディアに全ての悪があると考えています。
コンサルティング業の方でしょうか?非常に示唆に富むコメントで勉強になりました!
平易な文章ですが奥がふ~かいですね。。
馬鹿ほど次元の数を増やすよね
積極的に困ろうとするのマジ意味わからん
私は感情主導の未熟者なので、そのような分析をするとニヒルな嘲笑主義者に留まってしまいそうです。
ご自分の考えの矛盾や限界に挫折せず(正しいかは別として)具体的なBIに活路を見出すまで前進させられる聡明さに痺れます。
それだけ賢いならば理論構築中の欺瞞に自覚されてると思いますが、どーやってそれを乗り越えられたのですか?投稿者の自己説得に関心があります!
この人の思想がもっと広がってほしい
僕も最近目覚めちゃって、柄谷行人やらデヴィッドグレーバーやら読み始めてますが、やっぱこの社会ちょっとイカれてますよね?
こういうチャンネルがあると同じように考えてる人がいるんだと励みになります。ありがとうございます!
俺以外に柄谷さんに触れた人を初めて見た、嬉しい。
陰謀論とかにハマらんようにな
陰謀論は欲望を肯定するから、ここでいう正しさの側にあるかもな…
昨日今日で一気にすべての動画を見させていただきました。最近(ここ数年間)で最も刺激を受けた動画内容で、すごく感謝しています。ありがとうございます。「政府とローカルが対立することによって「豊かさ」が再評価されるようになっていく」、という話の続きをぜひ期待します。ところで、率直に思ったことなのですが、「貴方はいったい何者?」なのですか?プロフィールのようなものも見当たらないし、「頭が良い方だ」ということはわかるのですが、例えば「サピエンス全史」以外の参考文献があるのか?それとも、あなたの全くのオリジナルな考えをアップされているのか?等々。。
努力しなければ幸福になれないような社会なんて不幸そのものです。
努力が常に苦しみを伴う訳じゃあないけど
苦しみがあるからこそ楽があって、なにもせずに幸せが手に入るならその幸せを認識することは次第にできなくなると思うよ
ただ幸せとか苦しみとかって個々によって大きく異なる点だから制度変えようが解決することはないだろうけどね
そうですね。
幸せは勝ち取るものだという社会は不幸そのものです、そこに分かち合いは存在せず、幸せの奪い合いは地獄でしょう。
資本主義、社会主義、共産主義、封建制度、いままで庶民が努力せずにすんだ時代なんて皆無なので諦めてください。歴史的にはいまはまだもっとも一番楽な部類ですよ。AIが発達してくればもはや庶民など不要になってしまうかもしれないのが今後の恐ろしいところ。
生命という種は、種の繁栄のために不幸を望みそして与えているようにも思います。
人間というのはなんとも生きづらいものです。
でも努力しなければ最先端の技術どころか便利な道具は存在し得ないんですよ。質の高いモノには限りがあるから結局はみんながそれを手に入れることはできないんですよ。
私なりに「豊かさ」と「正しさ」を「量への作用」と「質への作用」に言い換えて、このシリーズを観るのだけども...
今まで全ての動画を観てきて思うのが、資本主義がいつのまにか市場競争という質への作用に依存し過ぎて"質本" 主義に成り変わってしまったのかなと思えてしまうなあ。
スーパーサンクスありがとうございます!
励みになります😭
はじめてコメントさせていただきます。毎回興味深く拝見させていただいております。お話の展開はじつに哲学的な思考の仕方だなと感じます。今後の動画も楽しみにしております。
私は中国史が好きなので、この動画を視聴して
隋以降に導入された『科挙』こそがメリトクラシーを象徴する歴史的な事象であるとの感想を持ちました。
科挙とは試験により有能な個人を高級官僚に抜擢する制度ですが、
古代から中世にかけて、世界各地の国家で一般的だったのは
高官へ任官できるのは血統によるもので、個人の能力や努力が認められない社会、いわゆる貴族制でした。
科挙は出自にとらわれない人材登用を可能にした非常に画期的な制度でした。
しかし科挙が本格的に運用されるようになった宋代からは
社会的に受験勉強が過熱しました。
合格すると「進士(科挙合格者)は日月も動かす」と揶揄される程の巨大な権勢が手に入る事から
多くの人々が一族をあげて合格を目指すようになり中国社会は受験を中心に動いていくようになりました。
やがて時代は近代帝国主義の社会に突入しましたが、旧来の儒教の知識や詩作の能力を問われる科挙を突破した
科挙官僚たちは軍事や経済政策などの実務に疎く、西欧列強はそうした清朝の官僚をマンダリンと呼んで軽蔑しました。
そして清朝の科挙官僚は隣国日本の様に文明開化に対応しきれず国土を列強に蚕食されてしまいます。
これはメリトクラシーが社会を脆弱化させる顕著な事例だと思います。
俺はイデオロギーが少数特定の物事に偏っていると集団でも個人でも行き詰まると思っています。野菜を嫌って肉ばかり食ってると健康を損なう、仲の良い人とばかり付き合ってると対人スキルが育たないし思想嗜好行動も偏る。集団でも健全な状態を保つには多様性が必要です。多様性は効率を犠牲にした保険のようなもの。権力分布に於いて王侯貴族の世襲が続く状態が最も多様性に欠けた状態、科挙はそれよりは社会流動性があるけど選抜方法と政治力がほとんど重なってない。でも中世までの政治教科書って世界中どこでも大雑把な古典しかなくて、新旧聖書・四書五経・クルアーン・ギリシャ哲学にしてもそれらは異集団間で生じた軋轢をどう解決するか試行錯誤した過程で出来たもので、それらを超えるものを作るにはそれらを超える軋轢を経験する必要があります。
中国社会で影響力の強い政治や倫理の古典はほとんど春秋戦国期に出来たもの。西周以前の人口密度が低かった頃は恐らく都市国家間の戦争が緩やかだった、東周期には各都市国家の人口増加に伴いそれまでに経験した事の無い都市間の軋轢が生じた。予想では春秋戦国の初めと終わりで人口が1千万人強から倍に増えたのではないかと。3人家族で1つの風呂トイレを共有するのは問題無いけど家族が6人に増えたらどうやって使うかで揉める、ルール作るにも家長が自分に都合良いルールにしようとしたり、ケンカが起きれば風呂場を長時間占拠する奴が出て来たり、効率を求めて2人で入浴するようになったり誰とペアで入るかでまた揉めたり、腹立てた人や気が弱い人は外の公園のトイレに行ったり銭湯に通うようになったり、その際に雨に降られればまた話がこじれたり。俺はその試行錯誤が政治や倫理の哲学発明だと思っています。1万年前に世界で人口が飽和状態になった時も農耕牧畜飲乳が発明される前後で戦争の規模と頻度も巨大化したし、その時に人類最初の政治哲学、動画でいう認知革命も誕生したのではないかと。もう一つトイレ作れば良いじゃないという解決策は農耕やハーバーボッシュ並みのレア発明です。集団構成人数が増えていきいくつかあるダンバー数の山を越える度に新しい思想が作られる、集団が新しい困難に置かれる度に新しい嘘(神等のイデオロギー洗脳)が浸透する。そして中国の置かれた状況は戦国時代からアヘン戦争頃までほとんど変わってない。戦争も中原中心の漢民族間か、華南の生産性の低い山岳部を攻めるか、北と西の遊牧民に攻められるかの3択です。チベットより西の勢力とか海路での遠方集団との衝突はほとんど経験してない、だから哲学も進歩しない、いつまでも春秋戦国期の古典が語られ続ける。大学を出た時点で一切の勉強を辞めて週刊誌とかヤフー記事とかsnsとかのタブロイド時事ネタ記事ばかり読み続けて、能動的に教科書レベルをステップアップさせようとしていないようなもの。インドもアステカも同じです。自分たちが地域で最強だったために内戦はしても数千キロの遠方の文化や人種が全く違う集団とはガチ戦争する必要も無かったし、それら遠方をアレクサンダーやジンギスカンみたいにただ野心に駆られるように侵略しようとも思わなかった。皇帝がそれを望んだとしても家臣や国民にはその必要性の有無も実感しようが無いのでうまく進まない。日本も日本史好きがいつまでも戦国時代の話ばかりしたがるのは哲学的思考をレベルアップさせる気が無い様が中国の紀元前古典に対する執着と似ている、日中ともに社会があまり変化してないから国民の意識も進化しない、或いは社会や世界が変化しててもるのに国民は大国の内側でぬくぬく自国の昔の事だけ考えてれば個人としての人生の要は足りるかられ以上意識を変えようとしない。日本人は自分たちが自国の歴史に関心持つ事を肯定したがるけど、見方を変えれば新しい事や他国への関心は低いんです。最悪なのは2500年前の栄光に囚われ続けているギリシャでしょう。トルコから独立した際の民族運動意識の引きずりやナショナリズム感情を固める必要性も背景にあるでしょうが。似たような境遇のイタリアは歴史にあまり興味が無く今を見ているように感じるけど将来も見ていない。
社会構造的には殷成立の紀元前2000~1500年くらいが儒教思想の始まりで、その父権社会を否定しつつ新しいイデオロギーを作ろうとしたのが秦の法治でしたが漢のせいで元に戻ってしまいました。春秋戦国期に大勢の戦争犠牲者の遺産として生じた諸子百家の哲学思想が法家と言う集大成になったのにそれが半分無駄になったんです。儒教≒父権主義直系家族社会の行き詰まりを法で中和しようとしたのに劉家は結局父権思想を優先した、ほんの数十年では国土を覆う儒教思想を消せなかったし都合良く残した。漢はまだ良いとしても唐宋清は漢民族の古くて悪い部分までなぞらなくて良いのに迎合してなぞってしまう、表面上は支配してても中身は支配されている。江戸も朱子学採用した時点で権威者の目先都合の保守性が優先された事が世界的な遅れを強めて原爆というツケになったので同類です。そしてその保守性は官民揃って少子化対策しない事からも歴史から学ばない様は源氏用維持されています。明は漢民族らしさが反元の大義名分だから仕方ない。いずれにしろ中国ではイギリスにマウント取られるまで意識改革がほとんど起きなかった。清の科挙合格者も江戸の朱子学も教養の質は同レベルでしょう。近代的でも科学的でもない権威的儒教思想を自他に洗脳させるのだから。細かい例では中国では小学生向けの十八史略が江戸時代は真面目な教科書として採用されていたなんて話もありますね。俺も今でこそたまに中国古典を原文で読もうともするけど(台湾中研院の漢籍全文資料庫が多いです。それ以上のレベルのは台湾のあちこちの図書館の古典本を眺めてその難易度に俺には無理だと思いました)。高校生頃にはやはり十八史略を喜んで読んでました。科挙試験勉強が政治の役に立たないのは同意だけどアヘン戦争当時はそうでないヨーロッパだけが異質だったし、日本はヨーロッパに一歩、中国は三歩、インドは五歩遅れていたという五十歩百歩な点は変わりません。科挙はメリトクラシーの良い例だというのには同意ですがそこだけに触れると清朝没落がまるで全て科挙のせいみたいにもなってしまいます。もしイギリスが広州でなく天津で最初に暴れたらどうだったでしょう? 黒船が東京湾でなく長崎に行っていたら? 洋務運動は失敗したにしても孫文たちが明治維新的な事をした点は日本と同じです。
古代ギリシャも都市国家間で同盟(事実上アテネなどへの属国化)する過程で各都市の氏神が一か所に合体させられたために神話上でも神々に階層が設けられました。ゼウスが何でもかんでも兼ねてる万能ぶりは各都市国家神を一神にまとめる事で都市国家民に認知革命を起こさせる一神教への秒読み段階とも考えられます。ギリシャ本土のペロポネソスではそう自都市の権威に拘ったけど、そこからの移民が作ったイオニア(トルコ西南岸)の都市は歴史が浅く権威的でなく風通しが良かったために自然科学が発展しました。科挙が肯定や親に服従するための学問ならアテネやスパルタのは都市覇権のための学問、イオニアのは都市自身なり自分個人の損得を純粋に考える事が可能な学問です。ソクラテスは最近の日本ではよくひろゆきっぽいレスバ王みたいに笑いのネタにされるけど、ウィキにもあるように既得権益層と庶民間の権力争いに巻き込まれたり、アテネの権威的イデオロギーに対してイオニア的で開放的な学問と思想を主張していたために敵を作りました。イオニアとソクラテスの意思はアリストテレス等が継げたのが大きく、前漢のように新しい思想を潰されたままでは終わらず、スペインのイスラム期にはそれが社会学や人類学まで発展させられていたり、ヨーロッパでも15世紀に都市部が発展するとともにキリスト教思想への反発としても自然科学が復活しました。でも中国では権威者への反発がそこまで発展する前に鎮圧されてしまうのはなぜなのでしょう? なぜ科挙制度を辞めたり実用的試験内容に変えられなっかたのでしょう? 皇帝による愚民政策ならばなぜそれを覆せなかったのでしょう?
俺は人類学的に集団は数年千スパンで歳を取り、老いる程権威的硬直的になっていく説を支持しています。欧米は若い社会だから権威的ではない、中東やインドは古い社会だから権威度が高い。中国は中東やインドに比べたらまだ若いけど日本から見たら古い起源の社会だから不合理に見える。その感覚は欧米人から見た日本社会の権威的な部分が重苦しいのと同じです。エマニュエルトッドは
核家族社会→権威主義直系家族社会→権威主義平等家族社会→内婚社会
の順に老いていくと言います。中国は殷の時期から権威直系社会、論語が語られた時期は既に父権主義成立から千年以上経ってるのである意味オワコン、法家を含む諸子百家は同時期のギリシャ哲学だけでなく近代ヨーロッパで哲学が生まれ続けたのとも似ています。ヨーロッパでは権威直系社会から若返りその代表的表出がフランス革命ですが、中国は若返れなかった理由には権威直系社会に入って時間が経ちすぎていたのと、海外から幅広い刺激を得られなかった事が考えられます。その集団年齢に沿ったイデオロギーの一部が、国民の権威性バーソナリティぶりが科挙という形で表れている。科挙があるから国を弱体化させるのではない。不健康だから癌細胞が取り返しのつかない規模に増えてしまうのであって、癌細胞が出来たから不健康になるのではない。毛沢東が戦争や扇動が上手かったから共産国家になったのではなく、国民が平等意識が強いから共産を掲げる毛沢東を支持した。加藤徹の講演会に行った事があるけど彼は日本でまだ人類学がろくに注目されていなかった20年も前に中国の歴史上の平等家族社会ぶりを既に把握していたのは流石です(「加藤徹 中国の人口の歴史」でさらっと見られます)。最近の日本の反フェミも若返りに対する反動です。日本のフェミの発端はアメリカ輸入だけど男女平等の筈のアメリカでもフェミと反フェミの対立図が出来てしまうのは、アメリカは集団年齢としてではなく元々国内に黒人なり先住民というスケープゴートありきの国だから国民が分断されてる状態の方が自然でいられる事、天皇家や英王室のような権威者が存在していないから国民が権利意識を持ちやすく、国民同士でそれをぶつけやすいであろう背景が日本と違います。日本世間自身はたぶん考えた事もないけどフェミも他の他国輸入文化同様に日本式に改造されているのです。
とここまで動画で言ってる傍からメリトクラート的なコメを書きましたが、エリートと言えばドイツではフランクフルト学派、フランスならアナール学派、アメリカならシカゴ学派と言うように中心地と流行と分野間融合があります。特にアナール学派は歴史を歴史自身からだけではなく、経済・民族・人類・生物・心理・哲学など幅広い視点から眺めるのを100年も前からやっています。日本ではせいぜいここ5年くらいで地政学という地理と歴史の融合がされ始めた程度でまだまだ視点が足りません。先に中国では長期間哲学思想が誕生していないと書いたけど日本も同様で、中江兆民曰く日本には古より今に至るまで哲学無し。千年くらい前に列島が同化されてしまって民族間軋轢を経験する機会も無いから哲学も生まれようが無い、だから0から1を産めない、一時的平和の代償です。日本も自力では朱子学を捨てられませんでした。歴史から歴史を見るのは小泉構文みたいな循環論法で説得力にも生産性にも欠ける。そしてアナール的人文学者たちはこの主さん同様にメリトクラシーに対しても色々考えています。よくあるのが「エリートが増えると社会が不安定になる」説。科挙と清朝と言えば科挙に受からなかった奴が太平天国の乱を起こしたと、まるで子供がダダを捏ねたみたいに言われますが、それは半分当たっていて「俺はこんなに勉強して教養あるのにそれに見合う地位と収入を得られないのが許せない」という権利意識や被害者意識が芽生えます。ヒトラーも同じように言われますね。でもフランス革命だって18世紀中盤に識字率が高まると共に自身の努力と教養に見合う権利を得たがった新興エリートが革命の原動力の一部になっています。パンも食えない貧民が起こしたのではなく、王の権利を横取りしようとした貴族と新興エリートが貧民救済を大義名分に権利闘争しただけ。貧民には直接的には何の恩恵もありませんでした。今の日本でも大勢の博士レベルの学者たちがそれぞれの論ので政治批判しています。そこには俺を政治家にしろという私情、或いは責任とらされる政治家にはなりたくないけど自分が勉強してきた蘊蓄で政治批判して食っていきたいという私情も含まれているのでしょう。政治批判が増えると政治家は落ち着いていられない、それが民主主義の良い所、とはならず、クレームが多すぎると落ち着いた政治もできません。総理もコロコロ変わるのはGHQも国民をそれを望んだからで、普通の人が何らかの仕事を始めたり移住したりしてもそれに慣れて職場を仕切ったり出来るようになるのには3~4年かかるのに、腰も座らないうちにすぐ引きずり降ろされてしまうのでは効果的な政策も出来ません。初めてやる仕事で1年で成果を出さなければクビと言われたら短期的で時間割引率の高い政策しか出来ません。菅も岸田も就任当日からsns上の子供たちは管辞めろ岸田辞めろなどと悪戯のように言って遊んでいました。じゃあお前が総理になってそれをやられて、毎日一挙手一投足の揚げ足を取られて、しかもそのレベルの批判が実際に失脚させられる強制力も持っている中で何が出来るんだよと。20代くらいまでなら仕方ないなとも思うけど中年者もその程度のコメをいっぱい書いてますよね。そういう人たちはノイジーマイノリティに過ぎないとしても国民の一部を表出している事に代わりありません。昔は末は博士か大臣かと言われたけど、今は博士はメリトクラシーによって掃いて捨てるほど居て、彼らはだいたい30代を学者としての地位確保奔走で過ごし、こんなに勉強してきたのになんでそれを活かす仕事がろくに見つからないのかと不満を言いたがります。研究者が補償を得られないのは政治のせいだ、政治経済の学者なら猶更俺に政治やらせろともなるでしょう。しかしやはり高学歴者が有能な政治家になれる訳ではない、ノーベル賞経済学賞レベルの学者たちだって意見が正反対の事はザラです。あなたは科挙官僚を批判しましたが、俺は社会がそうなるのは人類学的には必然である事、そして現代は科挙合格レベル者が溢れるた事が政治を不安定させ、そこに気付かない国民が在野博士を支持して一層政治を不安定にさせている可能性があるのを指摘します。現にこのコメ欄でもインフルエンサーを支持している人がちらほらいます。理解度を高めるのは良いけどあんまり意見しすぎるのも問題です。車を運転してる時に助手席や後部座席から早く割り込めとかもっと丁寧に走れとか大勢にいちいち指図されてたら運転し難くて堪りません。「そんなのに動揺する奴は政治家の資格無し」「いや指図が足りないから政治が上手く行ってないんだろ」みたいな事を、政治家経験も無い人たちが、博士でも科挙合格者でも無い人たちが言いまくります。俺だって政治経験は無いけど管理職としてヒラから浴びる好き勝手な文句には辟易させられました。地位が一段違うだけで知識量と感情はこんなに違っちゃうんだなと。
@@meroppa1 最後まで一気に読んでしまいました。
博識がある文で私も共感する部分が多くありました。
管理職はもはや政治ですよね。同じ年代かもしれません。
そして痛感するのはひとは理屈ではなく感情で動くものだと。そしてその向かう先は必ずしも正しさではないというのが。
どんなに組織を良くしようとしても管理職に力など無く、結局は構成員の質や指向性で決まってしまいます。
個人的に『管理職』は管理ではなく経営層とのバッファーなのだから『中間職』という名前が正しい呼び方だと思います。
@@meroppa1
複雑な人だなぁ〜・・・
理性vs本能ではなく、理性で補強された本能vs社会制度、という構図は目から鱗でした
この間友達と話題になったんだけど、受験してきて(偉そう振りたいわけではなく)一応高学歴と言われる大学をでてる俺たちが「ん…ちょっと待て」と一回真剣に制度と睨めっこせんと内容を理解できない時点で相当ヤバい制度だと思う。
インボイスとか簿記2級持ってても「ん〜、ちょっと待って」ってなる。
@@細雪涼秋あれ税理士とかすら完全に理解できてる人おらんみたいやからな
@@botpkatsu4320
それどころか、制度設計をした官僚すら理解できていないようです😅
いや、それな!
そもそも裁判に頼らないといけないような法律が終わってるでしょ
医学部受験で例えると、受験勉強させずに ぶっつけでテスト受けさせて、余った時間で医者としての職業訓練を早く開始した方が社会全体では得かもしれない、ということか
だれも得しなくないか…?
仮に医者になれなかったとして、医者の職業訓練が役に立つ類いならまだ生かせるがそうじゃない仕事に就こうとしたらまた一から職業訓練だぞ?
時間も、さらにお金も余計にかかるだけかと思うよ
どんな人にも門が開かれてると聞くと聞こえはいいかもだけど、できない人間を門前払いする機能も大事かなーって
どっちかというと、学歴に依存しない医者育成が大事な気がする。看護師とか鍼灸師とかを数十年勤めて一定の試験パスした人は医者の資格も取れるみたいな。若しくは医者の業務を細分化・専門化して仕事を代替できるようにしたり。今は大学行かないといけないとかで間口が狭すぎるし一人に負わせ過ぎな気がする。
あなたは職業訓練してからテストを受けるべきと思っているんですか?
流石にそれは愚かすぎるかと…
@@細雪涼秋 一芸に秀でさせるドイツ社会がそれに近いですね。大卒率は低いけど特許取得率は人口比では世界トップレベル。でもバランス型に育てられた日本人はドイツ人の能力のアンバランスさが耐えられない。楽器10種類弾けるけどボタン取れたのを自分で縫えないみたいな。日本でもインターナショナルスクールに通うと伸び伸びとモンテッソーリ教育受けられる代償として例えば小学校高学年になっても掛け算九九がろくに出来ないとか。それが当たり前の国ならそれで用が足りるけど、皆が出来る事を自分だけが出来ないと現実的に大きなハンデになる。だから国民なりお上がどういう分野に価値を置いた教育に持って行くか、それが現実的にどれだけロスがなくて合理的でいられるかが重要になります。東アジアは幼少期から結果を求めすぎ、北欧は気力を重視してて、九九みたいな基本的能力はどのみち中学生くらいには皆均等になる事を理解してるから結果を急がない。英才教育も2歳から始めても5歳からでも結果にはほとんど影響ない事などいろんな統計論文があります。
先日も研修医の犠牲が出たらしいけどそれには日本の完璧主義な国民性が影響してるでしょうね。韓国もそういう所がある。それ以上の事情は俺は医療業界にろくに関わった事が無いから知らない。例えば老人をいつまでも延命させないでさっさと諦めさせる事ができれば医師たちはラクになるでしょう。でも収入も減って医師も減って結局一人当たりの負担は変わらないかも知れないし、現実的には国民性に合った対策しか取れない以上は老人はさっさと氏ねみたいな事言っても仕方無い。俺は両親が大嫌いだからさっさと消えて欲しいとしか思ってないけど、過半数の人は親をそんな風にネガティブに思ってないから老人医療減らすなんて賛成しないだろうし。
@@ux-ss6ds う〜ん。訓練なしでするテストって5教科とかの基礎教養のテストだから、実務でほぼ役に立たないわけだよ。
エッセンシャルワーカーたる医者を増やして豊かさを確保すべきって目的があるんだから、訓練や実務で働いた経験が長い人の方が生産的だと思うんだがねぇ。
あと話の本質はリソースの最適化なわけだから、予め実務をこなしてる人を育成した方が無駄が少ないんじゃないかな。
過去動画の内容を毎回丁寧に言ってくれるのはありがたいですが、流石に何回も聞きすぎているので、過去動画を見ている人向けに、「知っている人は何分まで飛ばして大丈夫です。」みたいなシステムが欲しいです。よろしくお願いします。
要望に便乗させてもらいます(動画の内容自体は素晴らしいです)。
・アイコンの画像が怖い。もうちょっとこう……なんとかならないでしょうか?
・再生リストが欲しい。全動画入ったやつ(動画の数が増えたら内容別に)。自分は自分で1つ1つポチポチしてリスト作ったけど、この作業って本来ユーザー側がやる作業ではないと思うのです。「古い動画から順番に動画を全部聞く」はリストが無いと出来ない挙動なので。リストが無いと他のチャンネルに飛ばされるんですよね。
・内容の重複:自分は一回では動画の内容を理解出来ないので何度も聞くんですが、複数の動画で内容が重複していると、一部の内容が物凄い回数の重複になるので、新規の内容はそれだけの動画が欲しいです(今回みたいな全部入り1時間超えみたいな内容は、他でいう総集編ですね)。
不満言ってるやつは切り抜きでも作れよ。
@@mono081 それら二つのコメもいかにも日本らしい完璧主義且つ、行き過ぎた競争の末の要求だね。他言語のコメ欄ではこの手の注文はまず付かない。国民性に沿う必要もあるけど国民性自体が理想的ではないのならそこは変えないといけない。
二人とも、主さんが動画内容を充実させる事に尽力するのと、見せ方に尽力するのとどっちが有意義だと思うの? 見難いのは視聴者が能動的に対応する事で解決できるけど、話の内容は視聴者には協力できないでしょ。話のレベルは今のまま維持するか今以上を求めつつ、見せ方まで良くしろってのは我儘だな。主さんがこれで生活できるくらいの広告収入得てるんなら多少は言っても良いけどたぶんまだその資格を得てないでしょう。
日本人はサービスを提供する側は至れり尽くせりで、享受側に何一つ不満を持たせない事が絶対的理想だと思っている。その意識がサービスのレベルを高める事にもクレーマー体質にも繋がる。店員と客が全くの対等だと国規模では技術が磨かれないし、お客様を神様にすると神様は堕落して専門分野以外での能力がゼロになって簡単に詐欺にひっかかるようになったり、店員が突然何もしてくれなくなったら神様は自分では幼児みたいに何も出来なくて立往生する。レールの上しか走った事がないからレールが歪んでたりすると文句言いたくなる、でも自然界には本来レールなんて不自然なものは存在してない。突然レール外されたら日本人は何も出来ない。
サービスする側の至らなさってのはそれが適度な範囲なら、それを感じた側が応用力対応力を身に着ける機会なんだよ。例えば俺は無料拡張機能つけて5秒単位で飛ばしたり、早さも0.1倍かせ10倍以上まで0.1倍単位でこまめに変えて見てる。動画見ながら気になった部分はPC上でメモしつつコメ書きながら見てる。
話が重複する部分は飛ばしたいってのは分からなくは無いけどこの主さんの話の持って行き方からして、それをしたら流れが不自然になるのも分かるでしょう。文句ある人はまず動画じゃなくて主さんのブログを読むべき。全部字に起こして1ページにしてるんだからそれを自分のペースで読めばいいだけ。飛ばしたい箇所も一目瞭然。
俺だって揚げ足取り大会に参加するとしたらいくらでも取りまくるよ。99点を99.9点にしろとかね。でもそんな人間になりたくない。そして主さんがそういうのを言われないようなバランス取れた人だったらそもそもこのチャンネル立てられてない。ネガティブなサムネも恐らく暗い過去があるとかの被害者意識を持ってるから、自身はなぜ不遇なのか考えた末に社会に理由を求める事になってこうして語ってるんじゃないかと。満たされてたら問題意識も持たないしな。サムネにケチつける事は主さんの背景を否定する事になる。それとも二人とも主さんに本心を隠して明るく振舞ってて欲しいのか? そういう事の積み重ねがヒトや世の中の本質を見抜く目を衰えさせるのに。末端なり外ヅラの帳尻を合わせる事よりも素直で居る事の方が遥かに尊い。サムネ如き許容できない人は他人の心を考えられないって事だから社会学とか政治の話に加わったってろくな話できねえだろ。
@@-huruhuru1219 この作業は特定個人のためのモノすぎるので、投稿者がする必要はないと思います
アイコンは恐らく『罪と罰』のラスコーリニコフかな(手斧の刃を自分に向けて老婆を柄で撲殺する)であるなら作者の思想が乗っているので個人的には安易に変えてほしくないかな。それにこういうグロ可愛なアイコンは今では社会的に許容される表現だと思います
再生リストやチャプターなんかはあったら助かるとは思うけれど、そもそもこの動画シリーズはたくさん図表を用意したり語る内容が良く整理させていたりかなり手間がかかっているのが窺えるので作者の作業量が増えてモチベーションが下がったりするのが怖いです。@@-huruhuru1219
今回の動画も勉強になりました♪
この社会が少しでも本質的な世になることを願っています😊
おもしろい考察ですね
まだ全部は見れてないけど気になった点を2つほど
だれか議論付き合ってくれたら幸い
①メリトクラシー(複雑化)という前提条件に疑義。
「複雑化は社会のリソースを浪費し集団を弱める。だからメリトクラシーはダメ」という論だがその二つを抱き合わせで議論していいのか?
複雑化の弊害論は同意するが、その矛先を能力主義に向けるのは論理の飛躍では?
複雑化が問題ならを伴わない能力主義を目指せばいいだけに思える。
いわゆる能力の高い人って複雑な問題を単純化できる能力が高い人を指してる場合が経験的にも多いから、複雑化と能力主義をくっつける必要性はないと思う。
②メリトクラシーのせいで少子化が進行って正しい?
一般的な「子供を産めるのに産まない理由」ってお金が足りないか自由を失いたくないがほとんどのイメージで、能力主義or社会の複雑化を理由に挙げている人を見たことない。
メリトクラシー→少子化の間のステップを飛躍なく説明してもらえないと同意しかねる。
というかそこはぼかして論進めているように見える。
フロム「なんやかんや言って偉いヤツの言うこと聞いて暮らせりゃ幸せになれる、それでしくじっても偉いヤツのせいにできる生き方を望むのが大半さ」(自由からの逃走)
なぜ伝統的な仕組みが長く存続し、伝統たり得たのかって話よね
多少個人に制限があっても全体が豊かになるから存続してきた
その伝統のおかげで余剰が生まれ、余剰→余裕から個人主義が生まれてこれまでのリソースを食い潰すようになった
この社会では天才は能力を発揮することではなく周りの人間を幸せにすることを考えるから社会には天才が現れにくくなるんですよね
能力を求めるのは間違いではないと思うが、能力の使用先が大多数を残す方向に向いてないのが現代の異常さ。
滅私奉公しろとは思わないが、あまりにも私利私欲と保身のみに走る人々が金や権利を独占している。
それらの人々を取り締まるために規則が複雑化していく訳ですね!、
競争するのはええと思うんよ
競争に負けてもゲームのように体力と気力がリセットして再戦できるようにして欲しいかな
日本においては1回限りです
再戦は上級国民から許されない
伽藍とバザールですね
すべてのルールには意味がある。自分を助けてくれた幾つかのルールには感謝できる。
けど自分に関係ない数多ルールの把握を求められるのは、生きづらい..
だからこそどちらかに偏らないでほしいですね。
働かなくても暮らせるだけの財力があるものに限られるけど競争がから降りた中国の寝そべり族は行き過ぎた能力主義に対する反乱みたいなものか。
ヒトは平等ではないです。公平に機会を与えられるべきなだけです。だからこそ、BIを導入し、競争に参加し勝者になりたい、何かに対して究極を求めたいという意欲的な人間が社会をバージョンアップさせる原動力となり、その意欲がないもの(意欲がないことが悪い事ではない)は社会の中で人生を全うすることに意欲を注ぐことに集中できる社会になってほしいと思います。
能力主義と効率主義の行き着く先は、競争の果ての双方の自滅です。
最後のほうとか、正しさにリソースを割きすぎて不便みたいなことはすごい共感するけど、いくつかもやっとするところもある
特に、サピエンス全史の「嘘を信じるようになったから生存競争に勝った」的な、なんか納得できるようでなんか曖昧な考え方が思った以上に理論の重要な場面に出てくるところがもやもやする
読んだことないから何とも言えないけど、もう少し別の言葉で置き換えてくれないと納得できない感じがする
次に、集団のための仕事をさせる条件というものがあいまいで、「西洋化・近代化・個人主義によって日本人本来の和の心を失ったから、それを批判していればその心が復活して本来の生き方に戻る」的なレベルの話になりそうな不安がちょっとある
集団のためにすることが個人のためになるという理屈のつけ方以外に方法が思い浮かばないけど、それをどういう風にするのか見えてこない
例えば、出産が社会のための行為とされてるけど、少子化の話題の中では子供の人権が高まり、「自分のための労働者にすること、暴力をふるうこと、間引き」といういわば子供をなんぼか奴隷として使って親個人の幸福追求をするということが出来にくくなってることが少子化を生んでいるという意見もあり、これは真実かどうかは別としても、伝統社会においてもそういうことで集団と個人の利益を結び付けていたところもあったのではないかと思う
そういうことをベーシックインカムどうやって肩代わりするのかわからない
専門用語は使い過ぎても避け過ぎても分かりにくいと文句言われる、万人に受け入れられる表現も無い。認知革命≒嘘をどう表現するか主さんも迷った筈。確かに俺も読んで無かったら分からなくてモヤっただろうけど、主さんは以前の動画でも触れてるからくどくど説明したくなかったんだろうし、はっきり把握したければレビューなり感想を書いたブログでも読みに行けば良い。その手間を惜しむ人はどのみち話し手には付いて行き続けられない。レビュー読んでもいまいちよく分からなくても、やるだけやったという納得感が得られる。俺も読みながらわからん事があったら一つ一つ検索してる、ネット無しで本だけで読む気がしない。モヤったまま読んでても充実もしないし楽しくないし。検索しなきゃ分からない事が多すぎるならはそれはその本なり動画が自分に向いてないって事。趣味が合わないか、予備知識が足りないって事だからレベルが合わない。
コメ読んでても大勢が「ローカルってつまり昔の日本に戻せって事だろ」みたいなのが多いけど、それってナショナリズム感情が先走り過ぎてて、内集団対外集団って図しか条件反射的に想像出来ないせいなんだよな。少子化の話にしても大勢がすぐ「昔みたいに女を家に閉じ込めろ」とか言い出す。今か昔という選択肢しか持とうとしない。それも普段テーマに対して能動的に本読んだり考えようとしてないせい、つまりろくに関心が無い。関心が乏しいってのは思考の大部分が空白であり、人は物理的にも精神的にも空白をそのままにしておけない、だから具体的知識が無いと感情で空白を埋め尽くしてしまう。しかもほとんどがエゴ感情であって他人のためじゃない。まとめると関心が乏しい物事に対する意見はエゴ多めで醜くなる。そういう暴走を抑止するのは話を具体化するのが効果的に考えられるけど、具体的な事をどれだけ言っても納得や共感をしない人は出続けるし、肯定にも否定にも大した論理は添えられずやっぱり大部分の人がエゴ感情をぶつけるだけになったり揚げ足取ったり。俺は主さんは無理に具体的な話までせずこのままでも良いと思う。
専門用語は使い過ぎても避け過ぎても分かりにくいと文句言われる、万人に受け入れられる表現も無い。認知革命≒嘘をどう表現するか主さんも迷った筈。確かに俺も読んで無かったら分からなくてモヤっただろうけど、主さんは以前の動画でも触れてるからくどくど説明したくなかったんだろうし、はっきり把握したければレビューなり感想を書いたブログでも読みに行けば良い。その手間を惜しむ人はどのみち話し手には付いて行き続けられない。レビュー読んでもいまいちよく分からなくても、やるだけやったという納得感が得られる。俺も読みながらわからん事があったら一つ一つ検索してる、ネット無しで本だけで読む気がしない。モヤったまま読んでても充実もしないし楽しくないし。検索しなきゃ分からない事が多すぎるならはそれはその本なり動画が自分に向いてないって事。趣味が合わないか、予備知識が足りないって事だからレベルが合わない。
コメ読んでても大勢が「ローカルってつまり昔の日本に戻せって事だろ」みたいなのが多いけど、それってナショナリズム感情が先走り過ぎてて、内集団対外集団って図しか条件反射的に想像出来ないせいなんだよな。少子化の話にしても大勢がすぐ「昔みたいに女を家に閉じ込めろ」とか言い出す。今か昔という選択肢しか持とうとしない。それも普段テーマに対して能動的に本読んだり考えようとしてないせい、つまりろくに関心が無い。関心が乏しいってのは思考の大部分が空白であり、人は物理的にも精神的にも空白をそのままにしておけない、だから具体的知識が無いと感情で空白を埋め尽くしてしまう。しかもほとんどがエゴ感情であって他人のためじゃない。まとめると関心が乏しい物事に対する意見はエゴ多めで醜くなる。そういう暴走を抑止するのは話を具体化するのが効果的に考えられるけど、具体的な事をどれだけ言っても納得や共感をしない人は出続けるし、肯定にも否定にも大した論理は添えられずやっぱり大部分の人がエゴ感情をぶつけるだけになったり揚げ足取ったり。俺は主さんは無理に具体的な話までせずこのままでも良いと思う。
@@meroppa1
動画主も別にソースをそこまで徹底し出してないし、ほかのコメントで「そのことが正しさの過剰をもたらすと思ってるのでは」っていう考えもあったので、まぁそんな意図はないかもしれんけど、別に学術議論じゃないんだし、それをしたいならこんなとこで出してるほうが悪いので、なんの努力もせずに語らせてもらいますよ
私はこの動画の出典だのなんだのより自分のロジックで語るやり方は好きなんで、そういう解釈で話させてもらう
で、続けますけど、調べないから認知革命でも「嘘(「その概念を自分含めたそれぞれがそれぞれに対して相互に共有している考えることで機能する社会モデル」と言ったところでしょうか)」なんでもいいけど、動画の文脈的に「社会という嘘を共有することで情報伝達や人間関係を強化することで人間という集団は強くなったのに、遺伝的優位や本能を幸福の基準としたことでその逆に向かってしまっているから、集団として弱くなっている」ぐらいの意味しか読み取れないんだけども、でも資本主義とかメリトクラシーとかって「トリクルダウン」みたいな嘘(どういう経緯で否定されたかは詳しくないんスけども)をついてたよね、と思う
単に本能的・遺伝的なものによって資本主義やメリトクラシーってわけではないんじゃない、むしろそういうダーウィニズム的なものすら「物語」の一部だから、ただ「豊かさをもたらすと錯誤しやすい」なんてものではなくて、そういうもの適者生存的な理論が「集団のため」というような物語を作らてしまってるんじゃないかって話で、競争によって豊かさがなくなるというのが、この動画では本能に根差したもので認知革命に反することだから集団を弱くしていると語っていたけど、メリトクラシーみたいなものも「嘘」のパターンの一つだとしたら、「嘘を信じてても集団は弱くなる」ってことにならないかと思った
なんというか、プラトンの『ゴルギアス』に出てくるカリクレスみたいな「優秀な人間を嫉妬で足引っ張ってる」みたいな言論って「優秀なら足引っ張られるなよ」と思うんですけど、そういう「自然の正義」って「優生を保護する」みたいな、すごく社会的な部分があるように思うから、ただ自然に回帰してるっていう風に思えないんですよね
その辺がまとまらないストレスでなんか「嘘を信じる」っていう表現の説明要求みたいになったけど、そういう問題はこの用語では回避されてるのかなと思う
で、ほかのところでも「昔の日本に戻せというのか」という議論が多いとのことでしたが、メリトクラシーの否定が「認知革命を原理とすればメリトクラシーとか競争主義は克服される」みたいな話だと、メリトクラシーと認知革命が対立概念になってるように見えるし、そうすると「嘘」ってやつが古典的な「倫理、道徳、伝統」に限定されてそうだなぁと思う
「嘘を信じる」って別に伝統社会に限ったことじゃないんじゃないかと思うし、「トリクルダウン的な嘘」が幅を利かせているなか、それに代わるような新しい「嘘」ってなんだろう、示されないなら昔にもどるの?っていうふうには当然なると思いますよ
まぁ動画進めば納得する回答が出てきそうだし、いや、あるいはもう出てんのか知らんですけど、今は週刊連載みたいに一喜一憂させてもらうし、前回のこともほどほどに忘れながら見ますのでよろしくって感じですね
動画主にはいろいろ言うかもしれないし、理解の足りないところもあるかもしれないけど気楽に続けてほしいと思ってますよ
どんな批判があろうがこれだけの情報を整理した功績はコメントで便乗してる我々とは格別なものがあるのですから
で、今回の返信、情報の豊かさに寄与せず自分の正当性のみを主張して優位を得ようとする感じが実に「正しい人」って感じですけども、あなたほうからお勉強した内容を語る用意はありますか?
下準備が足りなければ理解できないのはその通りなので、それならそれでいいですし、わかりづらいところがあっても、必ずしも「わかりやすくするのが正しい」とは言わないですから、認知革命の理解が違うなら「ここが違う」、「昔の日本に戻せと言うことか」というのが間違いなら「ここが間違い」
私が理解できなかったり、癇癪起こしても、もしかしたらそれで「そういうことか」と思えるの目のある人がいるかもしれませんし、動画主のわずかな助けにもなるかもしれませんよ
資本主義の成熟を感じました。
「資本主義から脱却すべき」という考え方に対して、今までは反対意見だったんですけど、もうそういうところから社会のスケールをもう一段階高めないといけないなと思います。昔の共産主義がただしかったとは言えないと思うんですけど、とりあえず今の資本主義が社会の終着点にしては行けないということだけはわかる。
社会主義がダメなのは市場に頼らないからだよ。
だから市場の欠点をうまくカバーできるような仕組みがあれば良いんだけど…
そんな絶望的なメリトクラシー社会の産物であるスマホやゲーム機などの電子機器類が、子どもの興味関心の行先を大きく限定するので、いま仮にメリトクラシー社会から急に脱却しても、もう大多数の若者は豊かな社会を構築できなくなってるんですよね。強烈な悪循環だ…
気になったのですが、なぜスマホやゲーム機がメリトクラシー社会の産物になるのですか?それ自体が競争させるものではないと思うのですが?
この動画では行き過ぎた学歴や試験、制度などが問題だって言ってると自分は理解しています
user-je4by9on2cさんが単純にスマホやゲームが嫌いなだけで誤った理解をしてるようにしか見えないのですが?
この動画を見てなんとなく赤軍とか学生運動とかそこら辺の事象の出発点の人は、実はものすごく理知的で穏やかな人だったんじゃないかって気がした。
メリトクラシーという言葉を初めて聞きました。
動画を観て気になったのはユダヤ人が世界的に繁栄した理由。これは、メリトクラシー的な能力主義や才能の出現によるものなのか。あるいは、ユダヤ教の信仰という認知革命や同質性を肯定する社会制度によるものなのか。という事です。
ユダヤ繁栄の理由なんて学者の数だけあるので誰もが納得する説も存在し得ません。俺の考えでは教育熱心な点が理由の一つです。6歳頃から教会に通わせて読み書きを習わせるって事をローマ時代からやってた。他の国、例えばヨーロッパでそれが定着したのは17世紀にコメニウスが教育制度作ろうぜって言い出してから。16世紀の宗教改革も活版印刷によって識字率が高まった事が切欠、18世紀のフランス革命もその50年くらい前にヨーロッパ各地で識字率が高まって国民の思想が世俗化してカトリックの価値間に縛られなくなったり教養を身に着けた事が一因です。教養とは「そうか俺たち今まで搾取されてたんだ」と気づきを得たみたいな分かりやすい理由ではなく、「俺は字も書けるし本もいっぱい読んだし各国の事情にも通じてるし化学知識だってあるのになんで王侯貴族からはただの庶民扱いされて貧しい生活しなきゃいけないんだ」という、学歴を誇る意識によってです。平等を望んでるんじゃなくて、高い地位について高級取りになって良い思いをすべきは勉強してきた俺だと言う正にメリトクラシーな意識。学歴と言っても何々大を出たとかの肩書きに限らず、有名な本をどれだけ読んでるかとかです。アラブの春も同じ、生活に困ってる底辺層からの革命じゃなくて、既得権益層と新興知識層との権力闘争であり、新興層は貧民をうまく味方につけて革命の大義名分にするんです。
ユダヤ人が裕福なのは一部の天才だけだよ
ユダヤ人全体が裕福なわけない
@@v_yi コメントありがとうございます。
一部の天才によるものであれば能力主義という事ですね。
豊かさを求め同質を良しとする伝統的社会制度であれば、その個人すべてが裕福である必要があり、
能力主義において裕福なユダヤ人が一部でしかないのは、おっしゃる通りだと思います。
その資本主義において影響力を持ったのユダヤ人が、同質性ともいえる信仰を持つのか。社会性はどうなっているのか。
メリトクラシーの問題点を克服しているのか。とても興味深いのですが、私も腑に落ちていません。
あと、裕福さは幸福度ともまた違う気がします。
ちなみにアジアでは華僑という人たちもいますね。
そのユダヤ人が近代の科学を発展させ影響力を持ち、現代において資本主義が世界を席巻しているのは
人類は正しさを求めている…?彼らは伝統的社会制度の捕食者なのか。
もっとも資本主義・能力主義が永続的なものかは分かりません。
簡易化の一番身近にある例は、スーパーにあるプライベートブランド商品がとっても分かりやすいですね。
自社が売りたいものを自社の力で生産するわけですからね。
ナショナルブランドの商品を品質のいいものだと思っている消費者に対して、
別にブランドで商品の品質は決まらない、それどころかもっと安く買える商品はあるという有用性を認めさせたわけですからね
主はこれほどまで熟考できるほど環境が整っていてすごいと思う反面、
とてもとても社会に生きづらいと思う。
思うけども、こうやって一つの動画として練れるくらいには生活できていてそれだけは安心。
能力主義は正義か?
動画をアップしていただきましてありがとうございます。
競争の弱者を配慮することは競争の否定ではなく競争の肯定というのが本当に鳥肌立った
無意識に生きることは競争する事だと思っていたが、伝統的な社会はその競争を減らす事で無駄な争いを止め、その浮いたリソースを発展に向かわせていたというのは現代よりよっぽど合理的な社会だと感じた
本当中学生の感想みたいな言葉しか出てこないけど、主は素晴らしい洞察力の持ち主だと感心致します
これ言語化できるのスゴイ。
語り主の言ってることは、俺も働きながら感じていたが、俺の頭が悪くてうまく言語化できないので、メリトクラシー至上主義者に反論できない。
こういうこと即座に言えるように、もっと地頭力上げたい。
このチャンネルを肯定的に見ている人は皆そうだと思います。主さんの主張を支持するかどうかじゃ無くて、主さんの掲げているテーマに関心があるとか真面目に考えている人です。そして誰でも自力ではうまく言語化も整理もできないので、ひたすらこの分野の本を読むしかありません。皆がファクトフルネスとかサピエンス全史レベルの難易度の本を100冊も読んでたらコメ欄は今より遥かに充実していたでしょう。日常生活では得ようがない単語はその分野に身を浸す事でしか得られません。一冊も読んでないと頭が空白になる、そこを感情と偏見ばかりが埋めてとても世界に堂々と主張できるようなコメではなくなってしまう。皆何の責任もリスクも持ってないから思い付きを並べてる、ある哲学者はその様を「2分で終わる儚い提案合戦」と形容しているけど、知識と責任があったら具体的論理的に主張出来てますよ。何の本も読まなくても問題意識を持っていたら自身の経験くらいは説得力を添えて述べられている。
地頭力なんて言葉、もう使うな
メリトクラシー的にも弱い
この人やっぱすげぇや…。動画の印象以上に挑戦的。
「正しさを認めさせること自体がメリトクラシーに吸収されがち」「現代の問題解決のフォーマットが複雑化に向かう」というのが目から鱗。各々が良かれと思って思考・行動した結果、むしろ望まない競争を加熱させてるってのは確かにあるかも。
今まで理解しにくかったローカルなコミュニティも、「簡易化」「直接的」等のキーワードや補足説明のおかげで、なんとなく真意が分かってきた気がする。
ただ、現代の日本の法律や常識はほとんど一億総中流時代に発明されている
複雑な事はシンプルになりません。もしシンプル化出来る事象があるとしたら、ただその初期設定を間違っていただけ、または多くの犠牲者を無視してるだけかと
時代が経過するにつれて色んなケースが考えられて複雑化が進みやすいと思っています。
多くの利害関係者が関わる部分の複雑化は妥当としても、利害関係者が少ない場合の簡易化は豊かさ向上のために必要かなと考えます。
橘玲氏の著作を好んで読んでいて、重なる部分があるなと思うと同時に、さらに一歩も二歩も踏み込んで解説されていて、より解像度高く理解できました。
ちなみにAIについてはどのように考えていらっしゃいますか? 複雑化が進む結果、「AIに任せればいいや」と考える人も増えそうで、ますますBIの重要性が高まりそうです。よければ今後の動画で取り上げていただければ嬉しいです。
わかる。でもその『過度』はどう判断するんだ?動画のロジックの組み立てにはとても納得するけれど、それは哲学的思弁的で何か身のある実証ではない気がする....。
ローカルなコミュニティーを作るにしても現在の多様なサービスや物質的な豊かさを維持するためには結局様々な職業と膨大な労力、専門性が必要になるわけで、コミュニティーの規模によるけど結局コミュニティー内でメリトクラシーは生まれるんじゃないかな
メリトクラシーという形かどうかは分からんけどヒエラルキー闘争は必ず付いて来るでしょうね。うちの町内会でも些細な事でムキになりがちな奴らが政治の場を独占状態でいつもケンカしてるから、そのケンカに加わりたくない大部分の町民は自治に関われない。本当はその大部分の人たちが団結してノイジーマイノリティの存在をかき消さないといけないのに。ムキと言っても人権に関わるような問題に対してなら良いけど、例えば時期柄「公民館に子供の為にクリスマスツリーを飾るべきだ!」「いやそんなの無駄使いだ!」って互いに顔真っ赤にしてケンカしてる。公民館でなんてやろうがやるまいがほとんどの子供は幼稚園なり小学校でその手の遊びをしてるし、でなくてもショッピングモールにでも行けばそれなりの雰囲気に浸れるんだから、公民館でどうこうなんてそんなに議論しないで多数決でもとって済ませりゃ良いでしょと。俺は基本的には多数決が嫌いだけど、少数派が多数派を覆すなら少なくとも子供自身の意見が必要。どうしても耐えがたいトラウマがあるからツリーは見たくないとか、持病で遠くに行けない久手ここでしかクリスマスに浸る機会がないからどうしても見たいとか。でも熱くなってるのは自身の嗜好を戦わせてる大人たち。
俺が子供の頃は典型的な田舎の封建型縦型社会で、スクールカーストがあったのも親たちにカーストがあったせい。代々地主だとかね。離島生活時代には島民が地元出身者だろうが本土からの移民だろうがみんな棒姉妹穴兄弟でとても加わる気にもなれなかった。性的倫理観がどうとかじゃなくて、皆その公私や表裏を場面ごとに都合良く使い分ける欲深さが耐えられなかった。主さんの言うローカルって地域的なものとは限らなくてネット上のグループも指すんだろうけど、俺は少なくとも日本でのローカル社会には何一つ良い思い出が無い。国によってはそうでもなくて、車もろくに通らない山奥原住民部落ですら開放的でサバサバしてたりするんだけどね。
メリトクラシーはただの選抜の原理だから、能力主義だからといって別に専門性が自然に生まれるわけではない
メリトクラシーは主に「質」だよね。でもコミュニティ内で「ある程度」の内容を達成すれば、良しってことにすればいい。。
昭和のころの日本って色々ガバガバだったよね。そんな感じよ。
メリトクラシーの複雑さを抑えて、様々な活動を必要最低限にすれば、総体的に利益になる。
何か事件があって大きな損をする人が出ても最低限度の保証しかされない。
個人としては大きな損かもしれないが総体的に大きな利益になる。
@@v_yi今度は昔のドイツのような自我を持つまでに自分の役割が選別されて夢も希望もない社会になると予想。
複雑なことをシンプルに
することができるのが
本当の頭の良さです。
ただの処理能・コピペをありがたがるのはやめてほしい。
思考力・想像力・共感力が欠損してる、
(お受験)勉強のみ・高学歴の
メリトクラシーモドキが引っ張る社会がどうなったか、結果は出てますよ。
何が本当か決めるのはキミじゃないし何をありがたがるかは個人の自由だよ
処理脳はAIで淘汰されそうですね。
残念ながら、高学歴ほど知能が高いという研究結果は出てるし、しかもあなたちゃんと動画見てないでしょ?動画をちゃんと見て理解してからコメントするようにしましょうね。
主さんの動画は話を分かりやすく整理しきっているのか、耳だけで聞いてても目だけで追ってても頭に入って来やすいです。俺にはむしろ視覚と聴覚どちらか片方に絞って聞いてる方が脳を話の理解に全振り出来て理解が捗る、普段主さんと同じ事に関心持ってるせいでもあるかもしれません。
040 前も書いたけどブルシットジョブでイギリス自治体が生活保護申請方法を複雑化する事で国民に申請を諦めさせている話が面白かったです。日本でも自治体予算の1/3は自治体職員の給料に使われているって話ももどかしい、どこかに合理化出来る余地があるのではないかと被害者意識を持たずにいられない。でも人体もカロリーの大半は臓器等の身体の維持に消費されているので、生産性を求めすぎると個人も自治体(集団)も不健康になるんでしょう。
居酒屋でのゲロ掃除から事務管理職までやったけど親が底辺層根性が逞しかったせいかこのチャンネルで言う現場末端エッセンシャルワークに最も生産性と必要性が感じられ、事務や管理職してると何も生み出してないどころか窃盗をしている罪悪感に囚われました。心理学的にも心身にストレスが掛かっている方が働いてる実感を得られたり、場合によっては必要のないストレスまで得に行ってしまう事がそのギャップを生むんでしょう。例えばゴミをゴミ袋にぞんざいに入れても丁寧に揃えて入れても結果は同じだとしても無駄に揃えずにいられない人が多い。
一方でエッセンシャルワークの単純労働ぶりにも自分個人にとっては単に時間を売ってるだけという点で遣り甲斐を感じもしないし何のスキルも身につかない事が焦りやストレスに繋がり耐えられません。ハイレベルな仕事しつつ同時に金・スキル・地位・生き甲斐・充実感まで全て積み重ねて行く人たちに比べて、底辺職にばかり携わる俺は何も積めないばかりかただ歳食ってるだけで実質トータルでむしろ価値を下げている。ハイレベルな仕事してる人と底辺労働者で互いの日常が1日続けば全ての格差が1日分開く。じゃあ月に50万円も貰える仕事をするかってなっても他人より貰い過ぎる事が罪悪感に包まれる。気が弱い人や給料に見合う責任を背負ってない人は、高い給料を得る事、誰かのために他の誰かから分捕る事に躊躇してしまい富を力強く掴めないのです。例えば家族を養うためには誰かを少々騙して、本来1万円しか貰うべきではない所を1万5千円貰う必要がある、それも責任を背負っているからこそ割り切れる。千人の企業の社長は社員とその家族を養う責任感を持っているから少々の環境破壊をする事にも躊躇が無い。しかし社会底辺にいると何も守るものが無いし往々にして自分自身の命すらどうでも良くなってるから他人から分捕る事を猶更肯定出来なくなる、心理的に一層底辺化していく。ブルシットジョブに出て来る、筆者に自身の職業モラルを訴えていた人々や、筆者がもっと優遇すべきだと主張しているエッセンシャルワーカーの中にも、俺みたいな葛藤を持っている人が一杯いるんだろうなと思います。
俺がどんな仕事してても釈然としない最大の理由はきっと好きな事を仕事に出来てないから。心理学的には俺がアイデンティティ形成しきれていないからだろうなとも思っています(ジェームズマーシャのアイデンティティ4タイプ)。幼少期から些細な物事、日常の一瞬一瞬でしたいと思った事を素直にし続けられないと自己形成出来ません。そうなる原因は親や社会が権威的抑圧的だったり、反対に甘やかされる事だったり。権威社会はそれ自体に個々の精神面のリソースを十分に生かしきらないロスがあります。人は誰でも自分が一番好きなのに親のため国のため会社のため世間体のための意識を背負わされているとポジティブに生きられなくなる、仕事も勉強も身が入らなくなる。
過剰なデジタル化も複雑化による社会ロスの一例です。国民全員が簡単に使いこなせて且つ誰でも持てる金額のPCやスマホで日常生活を送れるならば良いけど、国によっては行政でも学校でも会社でもファイル冷解凍やインストールを多用させるハイスペックなPCなりそれら使いこなしの能力が求められる、国民はそれを使いこなす能力と金を身に着ける事に過剰な労力を注がされる。郵便ポストが減っているけどアナログ手段は全廃してはいけない。手段はハイリスクハイリターンでさえあれば良いのではなく、多様性が正義なんです。主さんは動画の最後で少々の多様性は犠牲にしろ的な締め方をしているけどんなに対してどれくらいかは言っていないので俺の考えは一致するのか対立するのかも不明。この不明な部分に対して都合よく解釈してケンカ売るストローマンが今回もコメ欄で目立ちました。そんなことをケンカの焦点にしても不毛なだけだろと。
2:12 古代ギリシャは個人の損得競争のために弁論術を磨く事に精を出した事が没落の一因になりました。それは集団の得にはならない。アラ50になって思う、何歳になっても勉強し続けなきゃならないのは単純に同世代と競争し続けなければいけないからだけではなく、まして向上心を持ち続ける事がなんとなく理想的だからでもなく、先に書いたIT化のように新しく出て来る物事にもついて行き続けなければいけないせいだと。10歳では自転車に乗れれば良かった、20歳では車に乗れれば良かった、ではその車レベルでもう交通力は生涯磨かなくて良いかというとそうは行かず、30歳でLCCが増えればどの便が安いか検索能力を磨かないと周囲に付いて行けない、40歳でセグウェイや一輪スクーターや空飛ぶバイクが出現しドローンも普及すればそれらも一通りマスターしなきゃ社会に居場所が無くなる、自分の子供くらい年が離れた下の世代にも老害扱いされる、更に50になれば自動運転の車・バス・船の使い方や注意点もマスターしないといけない、PCやスマホも新しく出続けるアプリを使いこなし続けないといけない、という風にいつまで経っても社会の発明について行く事に労力を消費させられ続けていて、これってトータルでは個人にとっても社会にとってもどこまで合理的って言えるんだろと。よく料理動画を見るけど国民の料理レベルも上がり続けている、100年前に既に缶詰とかの保存食や外食文化が定着していて人生で一度も料理しなくても寿命まで生きられる環境になってるのに、人々はパーキンソンの法則のように社会が便利になればなるほどそれで生じた余力を競争に注ぐ。料理の腕を競い続けて料理サイトや動画のレベルが高まり続けている、その反動で「料理も家事も頑張らなくて良いよ」と言って見せて人気を得る人がいる一方で、一時は禁止されつつあったキャラ弁もこっそり復活していたりと結局競争は辞められない。アフリカの狩猟採集集団の子供は勉強なんて小学校に10歳くらいまで行けば良く、後は自然界で動植物を得る事は現場で少しずつ身に着けているようだけど、そこに都市部なり他国からの経済なり学歴社会が入ってくると子供は自然界から人工的競争社会に引きずり戻される。相対的剥奪感が必ず存在する以上、りんごをそのまま齧れば済むものをわざわざフルーツアートみたいに切り刻む技術も身につけないと社会に居場所を確保出来なくなる。野生生物も本来不必要な能力や身体をどれだけ持てているかが性淘汰されないための競争ポイントだけど、生物学的にはそれを競い過ぎる種もやはり絶滅しやすいと言われます。ギリシャの弁論術と同じで個体としてのエゴを優先しすぎ体力を繁殖行動のために消耗し合うと動画で言ってるように集団としては生命力が弱体化していずれ他の種の獲物になってしまう、それを分かっていても誰も目先の競争を辞められない。人類に限らずどの生物種でも乗り越えられないジレンマです。そしてやはり、そのバランスをどうするかって話だよねってチャンネルなのに、「競争も新自由主義も絶対正義だ! 共産主義者は悪だ!」とか「とにかくメリトクラシーを無くせ!」みたいな二極的な事ばかり言いたがる人が未だに多い。このチャンネル初見でこの1時間動画見る人って1割もいないでしょう。今回冒頭では複雑化を批判してるけど、物事を単純に考えすぎる者も未熟です。異性と付き合う際に「自分の事を好きか嫌いか」なんて単純には考えない、趣味や食べ物の嗜好は一致するか、相性はどうかなど細かく考えるのに、関心が乏しい事には目一杯単純に考えうとする。関心の乏しさは必要に迫られてないせい。今のメリトクラシー社会下でも負け組ではないんでしょう。或いは生存競争に負けて瀕死の状態で全てを諦めている人。このへんも動画後半で「エリートは底辺の事も考えている」と触れているけど、底辺による底辺への触れ方と、エリートメリトクラートの底辺への触れ方は違います。底辺を根本的長期的に救うか、一時的短期的かの違いです。
2:51 6:32 レスバもメリトクラシー且つ能力表現可視化競争というメタ視点は面白いですね。以前からの50:21も含めて主さんは政治経済だけでなく哲学的要素を持つ人の本もたくさん読んでいるように感じます。最近マルクスガブリエルの本を読みましたが彼もBI支持者、俺は彼を基本支持するけど彼の各方面への主張には肯否半々です。
4:25 過去に何度か書きましたが「圧縮された近代」と「双減」ですね。子作り子育てが韓国では量から質にシフトし続けてストレスも大きくなって自殺率も今世紀に入って益々高まった、でも日本同様に硬直が好きな国民性と社会だから自らは何も対策できない、遠くに危機がある事を皆理解していても皆今手にしているものを何一つ捨てられない、先に捨てた奴が社会から振り落とされる。集団のための犠牲者になんてなりたくない。それは韓国から見て隣の北朝鮮でも、他の国民のために現体制を壊すテロリストになんてなりたくないって思ってるであろう事と似ています。過剰な保守性は時間割引率が高い。
一方習近平は去年から国民に子作り子育てを質より量に仕向けようと民間塾を禁止したり家での勉強時間を香川ゲーム条例みたいに制限した、親たちに大卒1人作らせるのではなく高卒2人作らせようとしている。独裁国ならではの強引な政策です。でも学歴や地位に代わるイデオロギーが設けられない以上は国民は子に勉強させる事を辞めないでしょう。中国は政府に全てが集中してしまっているようにまずイデオロギーが寡頭である事に問題があるのです。大工としての技術が優れているならワードエクセル使えなくて良いよ、農作物の生産量が他の農家よりも多いならば珍しい作物作ってなくて良いよ、英語は中学生レベルでもナーロッパ書いて生活出来てるなら文句無いよ、というように価値観に多様性のある社会ならば競争種目が細分化される事で競争の程度も緩和されるけど、社会で成功する方法は唯一学歴だけだよってなったら10億人がその競争に参加する、競争が過酷な割に個人にとっても国にとっても現実的に必要な能力を磨く事に繋がる競争ではないために国全体の生活レベルは向上しない。成立して数千年経っている古い社会集団は長い戦争の歴史から平等意識と権威意識を強く持っている、それが結果的に却って一強独裁者を作り出してしまい不平等を招いている。人口密度が低い原始時代は皆好き勝手に野生動物狩ってれば良かった、人間関係が嫌なら集団を離脱して空白地へ旅立てば良かった。人口が飽和してくると人間同士での生存競争が激しくなる、集団は階層を設けた方が戦争に強くなりやすいので権威者を立てる、権威者にならなかった人はそこに羊のように従う癖を身に着ける。女王バチと働きバチの違いのように。更に下剋上などの生存競争が激しくなるとそれを抑制する案として平等意識が強まって共産的になる、でも権威主義を捨てないままそれをやると平等を実行する権利を権威者なり資本家に託して却って不平等になる。人は「俺が平等な社会を作ってやる!」と言ってても、いざ権力や財力を手にすると結局それを再分配せず独占してしまうのも古代ギリシャローマから既に理解されていた事です。実際に質素な生活した共産主義者はカストロとポルポトくらい。寡頭政治なり価値観の一元化は国民を特定分野での競争に追い込む事にも繋がります。せめて中共が独裁を辞められれば、国民も政治に関わるにしても複数の政党で活躍なり地位争いする事を考えるので競争が緩和されるでしょう。
子供の質と量って掛け算だと思います。5の力を持つ子を5人育てるのが25になって最も見返りが多い。クローンみたいな同質を5人並べるのではなく、能力はリーダー向きとか現場向きとかばらつきがあっていいからトータルでバランスが保たれていれば良い。そこを親たちが自分の子だけは8の能力を持ったリーダーにさせたいとか言い出すと、8の能力の子が2人だけになり集団としての力が16で終わり25に勝てない。万人が納得できるバランスは存在しないけど、少なくとも個人の精神面、幸福感に限ればバランスが良い事が最も幸福度も高くなります。他人が羨む飛び抜けたステータスがある事よりも致命的欠点を持たない事の方が幸福に繋がりやすい、それは学校や会社で身に着ける金になるスキルというよりも、社交スキルや家事スキルのような数字に表れにくい能力、更には強さや楽しさや温かさという精神的価値観のバランスです。この動画で言っている事に当て嵌めれば社会では強さにばかり価値が置かれて楽しさ温かさが軽視されているために個人の心もそう偏ってしまう。
12:01 主さんがこれまでBIを主張してきた事に対し、コメ住人が主さんをストローマン的に共産主義者扱いし競争否定者と決めつけて来た事に対する怒りを、一視聴者としてここに込めたい部分です。彼らは二重の意味で主さんを誤解した事になる。
13:27 ユヴァルノアハラリは日本のテレビ局のインタビューでイスラエルとハマス双方を具体的に批判せず漠然とした事だけ言った様が、茶を濁して逃げている或いは所詮イスラエル人としての立場を捨てられてないと映り、その番組の視聴者から支持を失っていました。でも彼にすればイスラエルも悪いなんて堂々と言ったら自国に住めなくなってしまう事を日本人視聴者は理解してません。例えばジャッキーチェンも中共の手先に成り下がったみたいに香港や台湾でも叩かれたけど、彼には彼自身の命だけでなく100人の弟子や香港映画関係者やそれら家族の生活を守る責任がある、そういう背景を無視して非現実的な事を要求するあたりか第三国である日本世間の身勝手さであり、そういう理解の浅さには日本自身の将来の危うさも感じるし辟易もしています。ハラリはネタニヤフの事は批判してるけどそれは他のイスラエ庶民にも許されている事であり、一国民としては世論を超えたと自国批判は出来ないって事でしょう。俺がハラリの言で嬉しいのは「誰もが加害者であり被害者だ」って所です。俺が昔から思ってた事と同じ。日本も例えばアメリカが日本を虐める、江戸幕府は薩摩藩を虐める、薩摩は琉球を虐める、沖縄本島は先島を虐める、西表の豪族は波照間の代表者を逆賊扱いして征伐する。或いは大日本帝国は東南アジアを植民地化する、現地のマレー人は原住民を虐めて来た、原住民も強い部族は過去に弱い部族を滅ぼした伝説を自分たちの武勇伝としか思ってない、その一方で自分たちを虐めるマレー民族や日本や欧米を一様に敵視もして来た。どの集団も共通してるのはエゴに忠実って事だけ、誰もどの集団も筋なんて通ってない。イギリスだってみんなブリカス言いたがるけどイギリスにも被害者としての歴史がたくさんあるでしょう。
認知革命=妄想によって突破したのがダンバー数ですね。クーリエジャポンの記事「進化心理学者ロビン・ダンバーが教える友情の秘密─ポイントは七本柱と30分ルール」は秀逸です。登録しないと全文読めないのが面倒だけど。霊長類学でも集団個体数は野生本能のままだと150を超えられない、ヒトも原始的生活している集団は他の要素が無い限りは150~200人で、それを超えると分裂してしまいます。18世紀に清朝の役人が台湾の台北あたりに乗り込んで調査した原住民部族はどこも150~200人の規模だった記録が残っています。サルからサピエンスになって1万年前まではずっとその規模の集団だったのではないかと。そして人類が世界で飽和状態になって農耕牧畜飲乳発明する必要に迫られたと共に認知革命も起きた、本来突破出来ない集団構成人数の天井を洗脳によって突破した。200人が外集団と団結する必要に迫られて千人になったり一万人になったり、その都度大規模集団向けの新しい洗脳が起きる、新しい神様が作られる。その果てにアニミズム→多神教→一神教になったと、ハラリ自身は「ホモデウス」で、他に柄谷行人も同様の事を言っています。ホモデウスはサピエンス全史と同じくらい好きです。テロは組織の力を世界に買いかぶって貰うためのショーだから世間が注目する方が却ってテロ組織の思うツボみたいな話には、テロもマスコミと商業スホーツなり芸能界との持ちつ持たれつな自作自演ぶりと本質は同じなんだなと思わされました。皆が無視すれば無効化出来る。
岡檀「生き心地の良い町」では徳島県旧海部町が自殺率全国最低である理由の一つに、地域住人が他人(選挙候補者)を経歴や肩書きに左右されず人間性を直接評価する事を指摘しました。同町は氏族単位ではなく家族単位での移民の街であり、派閥も形成されておらず歴史が浅いために風通しが良く、権威主義に陥っていません。言い換えると洗脳という認知革命が起きにくい、起きていると幸福度は最大値に達しない可能性があります(≒24:27)。ギリシャの自然科学が権威的なペロポネソス本土ではなく、そこからの移民都市群であるトルコ南西岸の歴史の浅いイオニアで盛んだったのと、或いはヨーロッパよりもイギリスの方が、更にアメリカの方が自由で合理的な学問が進んだのと似ています。権威社会では合理的学問が発展しにくい、今の日本を含むアジアは全て権威的社会です。天皇家という長期間に渡る権威の象徴の存在もその代表例だけど国民はそれを否定的には見られません。皇室の一人一人がどうこうではなく特定のものや長さに囚われる事が一種の認知革命です。俺は天皇が電車で隣でマスクして座ってても気づけないし何とも思わないでしょう、それが認知革命が起きていない自然な態度の取り方。礼儀正しい人だなとは思うだろうけどそれ以上は気にしない。認知的に大勢で幻想を抱くと集団としては得も多いけど、権利も幻想に託しただけ失う事になります。
21:27 霊長類の多くは一夫多妻、人も農耕開始前はそうだったと言われます。その本能を捨てた集団が勝ち残った。子孫を残せない大部分のオスは集団力増加に何の協力もしないけど、一夫一妻ならばほぼ全てのオスが自分の子孫を育てる事に協力する、長期的には種や集団の得、短期的にも権力者の得になる。損なのは大勢のメスを囲えたはずのオスと、くっつきたくないオスとくっつかせられるメスです。今の日中韓は経済格差拡大や先に書いた圧縮近代によってかその原始的な姿に戻りつつあるように見える。一方で世界最大の格差大国であるアメリカではフェミ論争はあるものの女は金持ち男を無理に捕まえようとしない事によってか男女平等は維持されている。そしてWASPのスケープゴートとして黒人とラテン移民が置かれ続ける。俺は今の日本のヒエラルキーは
①2割の上位男性>②8割の上位女性>③8割の下位男性>④2割の下位女性
だと思ってます。日本社会を権利でも金でも牛耳る①を②が批判する、我々女も政治なり企業経営に加わらせろと言う。でも②の一人一人は自分だけは①を捕まえて結婚したいとも思っている。沖縄県民が米軍を批判するものの本島民は自分だけは周囲を出し抜いて基地経済の甘い汁を吸って楽と得したいって思ってるのと同じです。軍雇用は今でも人気職。③は②が①ばかり追いかけている事に嫉妬と逆恨みをしてあれこれ叩く。女の方が社会で威張ってるぞとか。でも②に言わせれば①には抑圧され③にはセクハラされているという良い分もある。④だけがまるで蚊帳の外で話題にも上らない。その辺を全体主義的に一夫一妻が強制されれば話がシンプルに
男>女
だけの図になる。でも男尊女卑社会って先に書いたように長い目では損です。男が女を愚民化する、その愚かな女に育てられる息子も愚かになる、代々愚かな国になっていく。国の将来を保証する最低限の条件は男女平等です。でも女の権利を保護するならば女は配偶者と見なさない男と嫌々結婚するくらいなら一夫多妻のハーレムに入った方がましだという気持ちを行動に移す事も認めるべき事になる。更に袋小路に入るかのように、一夫多妻社会も男尊女卑なんです。西アフリカ内陸部の一夫多妻率は75%で、先の図のように
上位男性>>>>女>結婚できない男
というヒエラルキーになっている。今の日本は経済的に男性観格差が激しいし、女は上位男性を捕まえられないのならば独身でいたい、そう男女が共に本能のままでいると女は集団の上位で政治にも関われないし集団全体としても力は低下する。社会学者・人類学者・生物学者は皆この辺りで悶々としているんだと思います。
あなたの話もすげぇ面白い
俺自身も初めてバイトをした高校生の時からお金を貰うことに罪悪感があったのだが、最近はその感覚も薄れてきた
根本的に働きたくないという「ニート精神」が宿っていると、人にお金を支払わせることに罪の意識が孕む感覚がある
お金を貰うことも、使うことと同様に幸せな作業なのだと最近は感じる
個人的には、敵意にも似た競争心で、これ以上社会を是正するのは不可能であると思う
競争心で開く扉は全て先人が開いてしまっていて、今更復讐心やら正義やらをはらわたでぐつぐつ煮詰めてもそれは先人の後追いでしかない
そういう先人が描いた社会の結果が現代社会ならば、尚更違うアプローチが求められる
ちなみに、レスバやら不毛なネット論争には「問題解決の意思」が無く、ネット中毒もといスマホ中毒の副作用、孤独で行き場の無い現実感に苛まれて行われる「退廃的衝動」であると、俺は考えている
これって国の内部だけに目を向けた話だよね?他の国との関係はまだ競争状態だし、その競争に勝つためにリソースを消費すべきかもしれないけど、国の内部ではそうすべきではないって話よね
たとえば日本人はよりよい人と結婚するために日本だけではなくわざわざ外国まで結婚相手を探しに行く人なんかいないし、仮に世界中がそうなったとしても日本は傍観してるだけで十分。
わざわざ競争に加わる必要はない
教育格差の是正を目標とするボランティア活動や政治活動、教育社会学の思想に触れた中で抱え続けていた違和感を、この動画があまりにも綺麗に言語化してくれた。いいんですか、これが無料で見れて…という感じ。
確かに伝統的な価値観の強い村社会だと驚くほど簡素だよね。
複雑化によるリソースを全く持っていかれていない。
世の中には複雑化したことによる、複雑化を処理する専業の人が何百何千万人もいる。
その人が余剰の生産にリソースを注げたら世の中はもっと豊かになリますね。
個人でも集団でもリソースをどう有効に使うかよりも、リソースをとりあえず使い切る事の方が大事なんですよね。複雑化しているのはその不効率な事をするのが可能な余裕があるから。確かブルシットジョブにも実の無い三次産業や四次産業は失業者対策とも書かれていました。金が人から人に渡っているだけで物理的には何も生み出してないけど人々にヒマさせない役には立っている。三次四次割合が高い国は生活が豊かだけど貿易赤字になり易い。ユヴァルノアハラリは基本的に好きだけど彼までもがITに人の仕事が奪われ失業者問題が起きる事を危惧している、でも俺はそうは思わない、パーキンソンの法則的に人手リソースは使い切らずには居られないんです。洗濯機や車やネットなどの発明がされて人々の生活が豊かになったら、人々はそれで浮いた時間や労力で新しい産業を作り出した。特にソシャゲにはそういう社会的消化試合敵要素しか感じません。そこに関わる人と産業自体が丸ごと消えても誰も困らない。本来生活に必要のないものほど儲かる様をブルシットジョブでは理不尽だと批判し、主さんは自然な事だと受け入れる。
1900年頃のタイタニックに象徴されるベルエポック期、貧富格差の程度はそれ以前から数百年間全く変わっていなかったけど産業革命によって生活水準の底上げがされました。しかし今は金持ちの贅沢ぶりが認識され易かったり人権意識が高いせいか相対的剥奪感も立派に必要です。主さんは恐らく、格差縮小は不可能だからそれよりも集団全体の生活レベルを底上げしようと言ってるんだけど、俺は先進国では格差縮小の方が大事だと思っています。一つの目安というか根拠は日本もアメリカも食糧の3割を捨てるほど贅沢なレベルにある事。日本は格差が大きいとか小さいとか色々言われるけど格差ピラミッドの形が違って
普通の先進国 日本
富 富
富富 富富
中中中中中 中中中中
貧貧 貧貧貧
日本は貧困層割合が多い、でも金持ちは格別搾取してる訳でも無い。このへんはジニ係数では分かりにくいです。でも人々はあくまで自分の想像と知識と感情を優先したいためかジニ係数にすらろくに関心持たないで、被害者意識が強い人は「実際の格差はもっと大きい! 我々庶民は搾取されている!」と言いたがり、エリートや株話が好きな経済通は「欧米の富豪はものすごく金持ってるけど日本の金持ちはスケールが小さい」と言いたがる。主張よりもまず現状把握に個人リソースを払いましょうよ、詳細なデータを皆で見比べ合いましょうよと。その頻度が高まれば好き勝手な事を言う人は減っていきます。
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リソースの振り分けられる産業は重要ではありません。それらは各論で枝葉末節の議論です。
生産活動としてしいて上げるのであれば、女性の出産にリソースが振り分けられるのが重要です。
投稿主は個人の自由(正しさ、ブレーキ)の割合が多可になっていると指摘しており、まずは持続可能な社会(人口の維持できる社会)を確立しなければどっちみちオワコンです。まずはそれが最優先です。
女性の出産、育児のリソースが会社労働に吸い上げられており、女性のリソースが、出産、育児に向かわない(評価されない)ことが一番の問題と指摘しています。
私もブレーキ(個人の自由)ではなくアクセル(協力)を踏む必要があると考えています。それらは簡素化とイコールになります。
あなたの意見や思想は自由ですが、それらはブレーキに作用してしまいます。
「主張よりもまず現状把握に個人リソースを払いましょうよ、詳細なデータを皆で見比べ合いましょうよと。その頻度が高まれば好き勝手な事を言う人は減っていきます。」
これらは弱者の競争そのものであり、多くのリソースを持っていかれてしまいます。もっと簡素にいきましょう。
確かに大きくて瞬発力や平衡感覚に優れてるより寝ないでいいとか食べないでいいとか寒さに強いとかの方が「自然な」強さだよね
待ってました!
この世は資本をベースにした弱肉強食に傾きがちだから、どのようにバランスを取るかですかね。
ありがとうございます😊
ご支援ありがとうございます!
嬉しいです!
現代の生きづらさが理解できて気持ちいいです。
ただ、知ってどうにもできないのですがね。。
ゲーム理論の均衡的な詰みになってる。
競争社会だから人間はAIに全ての労働を押し付けて労働から解放!みたいな事も出来ないからな。
マジでクソすぎる。
会社に例えると、年功序列・終身雇用・イエスマンだらけ(もしくはワンマン経営)の会社が豊かな会社ということになるけど、
それが成立するのって、経営者・上層部も含めて待遇を横並びにするのが条件になると思います。
そうするともはや独裁的ではあるが超優秀なリーダーの元でしか成立しない社会主義的な組織になっていって、最終的に多くの組織は弱体化していきそうなんですが、どうんでしょう?
個人的に、学歴社会は能力主義ではないと考えてる。学歴社会は、才能や努力を評価する能力主義とは対立関係にあり、むしろ一定の特徴を持つ者を優遇する優生思想に近い。というのも、能力とは1つの指標で測ることは不可能だからだ。この動画の用語を引用するなら、ポテンシャルが人によって異なるためである。人には多様性があり、色んな個性が存在する。生物学的に見れば、その多様性を武器にし、分業することで人類は生存競争で勝ってきた。学歴社会は、人々の個性を潰し、他分野で才能を発揮できていた可能性のある人材を捨てている。また、能力は環境によって変化する。いつも面白い話をするお笑い芸人は一見コミュニーション能力が高いかのように見えるが、仮のその人が社会問題を扱う討論番組に出演した際にも、同様にコミュニケーション能力が高いと評価されるかは分からない。つまり、能力として機能するかは、環境によって左右されるのだ。このことからも、1つの指標で能力を測ることは困難だと言える。加えて、「多様性を尊重しよう」「人をリスペクトしよう」といった言葉が重要視されている現代社会において学歴社会は時代遅れとも言える。確かに、昔であれば学歴社会に一定の意義や利点はあったかもしれない。1945年、日本が戦争に降伏した後、2度にわたるベービーブームが起こり、子供の数が多かった。それに、当時は終身雇用制度が一般的であった。であれば、少数の大人たちで大量の子供たちを教育させ、社会に送り出さなければならなかったこと、1度の入社試験で本当に能力を持つ人材を採用する人必要があったことを踏まえ、理解はできる。しかし、少子高齢化が進む現代社会だからこそ、1人1人の個性を活かし、個性を伸ばす教育方針に日本は転換していくべきだ。
日本の医学部に関しても、海外から患者を受け付けるわけでも新たな手術法を生み出すわけでもないのに
どの大学においても医学部が一番偏差値が高くなってしまっている。
無駄な競争が分かりやすいゴールを必要として
その結果、医学部の箔付けをしてしまって、他の分野への人的リソースの配分を非効率化させている
交通インフラと3大ライフラインインフラを作るまでは資本主義はめちゃくちゃ都合がよい。限界効用は低減するので、維持と発展が問題となってしまう。
現在はITと金融が生産性を編集して搾取している環境でもある。
能力主義社会では能力のある人にとって、他人を搾取するのが一番楽に稼げる産業が一番人気よね
科挙を基に出来上がった現代日本のテストは、ある種のスポーツとなっている。頭が良くなるように、多角的に物事が考えられるようにする為でなく、テスト(試合)で良い点を取るための練習に過ぎない。実用英語と学問英語の差で、私はありありとそれを実感した。スポーツはスポーツで結構なんだが、それでその後の人生が左右されてしまうのはどうかと思っている。本人が”スポーツ選手”になりたいと思っているなら別だがね。
資本主義に於いては、「客から金をもらう」ことで生きていく権利を獲得するわけだが、その為のスキルとして”スポーツ”がどれだけ役に立つかという話。
幸いなことにプロになれなくても関連領域でスポーツをしてたことが有利に働くことがある。
e.g. スポーツインストラクター、ジムトレーナー、スポーツ科学、スポーツブランドなどなど
この動画の内容は、もっとさらに簡単な言葉に変えて日本中の中間層が知るべきだ
だれが配慮されるべき弱者か、というマイナスな競争もメリトクラシー、問題提起をして自分の主張を認めさせることもメリトクラシー、ということに初めて気づいた。近代教育によって身に着けた理性が、実は人類の発展に寄与した社会制度ではなく、もっと原始的な本能・自然な状態につながっているというのは皮肉なものだなと思った。
この動画において豊かさの定義において、テクノロジーへの言及があまり見られないように思います。
そこは敢えてなんだろうなと思いつつ、他のコンテンツで言及が無いか拝見させていただきます。
現代において豊かさの定義からテクノロジーを除外するのは中々困難ではないかと感じるのですが、
あるいは今後豊かさとテクノロジーについて扱ってくれるコンテンツを心待ちにします!
ただ、この動画視点で考えると昨今のテクノロジー(重工業を除く情報系や医療等)は多様性をより支援する面も強そうにも思われるので、
そもそも最新の情報・医療技術を豊かさから除外して考えることに挑戦しているのだろうか?等という考えもよぎりました。
最新医療と欲望… 手を広げ過ぎると発散するし、立ち位置も曖昧になりそうだし受けないか。
税金を払う側が、『そのためだけに本来ならナンの利益にもならないことに労力を使う仕組みはどうなんだ』と昔っから思ってました。だからそういう視点の動画に出会えて少し気持ちが晴れました。
あと5つくらい後に出る動画は余裕で3時間とかいってそう(小並感)
BGMが聴きやすいものになっててありがたい
とても勉強になります。
ありがとうございます。
正しさと豊かさのバランスについてよく考えてみますね。
突拍子も無い話ですが、20年前に学校で「人類はなぜ技術を発展させ続けるのか」という問いがあり、先生は「いずれ地球を脱出するため」と言っていました。全ての営みは、地球を脱出する(地球が無くなろうと種を存続させる)ということに帰結するという考えで、今でもその通りだと思っています。動画を拝見して思ったのが、技術は確かに発展し続けていますが、果たして効率的な発展の仕方なのか、脱出に間に合うのか、現状を続けると先に人間が滅びるのではないか、という考えがよぎるようになりました。
今回も見応えがすごかった!引き続き応援してます📣
合成の誤謬ですね
非常に興味深く勉強になります