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知り合いの方の親御さんが若かりし頃中島飛行機に勤めていた話思い出しました、大変な時代生きられていたと感じました。
動画でこんな映像があるなんてたまげた
戦争関係なく本気の職人の顔はかっこいい✨
うちの工場より自動化進んどる
何を作ってるんだ君はw
えぇ……
これは貴重な動画。
当時の生産工程を見られるのは貴重、米国の兵器製造動画も見たけどあちらは桁違いだった
工場の大きさから10倍くらいありそう
創業者が生前「当時のベルト盤は力が無く、径の大きい品物や硬い鋳物は思う様に加工できなかった、手の早い奴(勘の良いスキルのある者)は大型旋盤や数モノを淡々と1人で加工する職場へ異動になった」と言ってました。
先輩方ありがとうございます🙏
この映像の熟練工を戦場に送り出して始めてから日本軍の戦闘機は粗悪品だらけに成って地獄を見だしたのだよなアメリカの戦闘機は帰還して燃料弾薬を補充したら即発進日本軍機は帰還したら2日~3日は簡単には再発進が出来ない代物だったとか…
四式戦闘機も誉エンジンも粗製乱造の山になってしまいましたね。
当時アメリカでは製品に公差や製造方法の統一したマニュアルを持ち込んでいたので、他社のものでもつかえた。日本の製造業にアメリカの製造のやり方が浸透したのは朝鮮戦争でアメリカ軍の兵器生産をしてから。
一次性飞机…… 有些飞机再也没回来过 这样很消耗飞行员……
戦時中の兵器弾薬の製造工場の映像は貴重ですね。若い勤労学徒の若者たちが一生懸命働いてるの見ると、本当に感謝しかありませんね🎉❤😃👏我々の祖父母の世代の人々は、この祖国日本を守るために、国民一丸となって働いていたのですね。 本当にその愛国心と滅私奉公の心に頭が下がる思いです🎉❤😃👏13:52 安倍晋三 元首相の祖父に当たる、岸信介 商工 大臣が発言していますね。
私の母はこの頃、府中の東芝工場で無線機の組み立てをしていたと聞きました。父はラバウルのニューブリテン島で飛行場建設に従事してたとの事でした。戦後二人は結婚する事になったのですが、国の為に尽くした父と母は立派だと思います。二人とも戦後国を恨むような言葉は一切言いませんでした。
4:44 17:35九七式中戦車の工場シーンは個人的好きです帝国陸軍の主力戦車がここから生まれてくるシーンは感動的です!
70年前のプロパガンダ映像に騙される雑魚ネトウヨ乙 w
@@anti_NTUY196 ネトウヨはもっと酷いんだよなぁ…
@@anti_NTUY196 そんなに人を煽って楽しいかい?ん?好きなシーンを言ってるだけなのに余程君はストレスが溜まってるのかな?
@@anti_NTUY196 🧠🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮
@@anti_NTUY196 you are too obsessed
貴重な映像の掘り出し映像には感謝です。熟練工員を召集した東條の無策、陸海軍機の性能がた落ちをまねいた。御前会議がこの東條を選びました。
戦時中のリアルなんとも言えないなぁ…与えられた責務を全うする先人の皆様を尊敬します
ここに映ってる人達が戦後は平和的な産業に移動して、高度成長を支えてくれました。それを思うと原始的だろうと茶化す気にはなりません🥲
巻き込まれとかめっちゃ気になる…事故とか多かったんやろな
旋盤なんかは今のとたいして変わらん。
既に確立した技術ということでしょうかね
1940年と1956年が同じ工業力の水準っていわれるのがよくわかった気がした。
@@KT-ii7bl 戦争に負けて品質が向上したのか。負けてないと、中国みたくなっていたか。しかし相変わらず、規格化は下手だよね。
@@室井修-k1r さん戦前にあった工場や腕利きの職人さんが戦争で、消失してしまったので、劣悪なモノしか作れない状態から、外国の支援と職人の育成で、それくらいの期間が必要だったらしいです。ただ、日本に支援した外国に多くの工業製品で追いぬくにはバブルの前位迄掛かってはいるけれどね(それでも、MRJみたいに失われたまんまなのはあるけどね)
11:54ねじの規格がインチネジ(ユニファイねじ)だったのですね。
戦車、戦闘機の材料を確保するために銀座のネオンなどを調達し戦車、戦闘機を作っていたんですね
まじでこの時の工場見学してみたい。零観の新品見たら吐きそう。
タイムマシンができたらやりたいことの一つだね
戦前は「鬼畜米英」と言っていた先生。急に「親米」と言い出した先生。「先生なんて信じられない」と、ある生徒が言っていたソウナ。
小学生の時に終戦を迎えた世代の人は、大人(特に教師)に対して強い不信感を持ってますよ。小学校4年生で終戦を迎えたうちの父はハッキリと言ってます。
だって日教組だもん
@@adakidam2348日教組がなにか知らなそう
@@tennnouheika 戦後な日本の教育会を牛耳って見せると言ったんだぞ
@@adakidam2348 コメ主の話と関係ないじゃん。そもそも日教組が出来たの戦後だし。
素晴らしい工場に意欲ある労働者。戦後メイドインジャパンが米国市場を圧倒した事を思えば、誤っていたのは国家戦略であったということなんだろう。
普通に技術不足が起因して生産力はクソザコだったぞ
@@mizinkokokokoko 日本の生産力がクソザコだったらフランスやイタリアもクソザコだぞ
むしろ軍国主義に突き進んで嫌でも重工業化を進めたという国家戦略が戦後の発展を後押ししたのかもしれません。
戦後しばらくは、メイドインジャパンと言えば粗悪品の代名詞でしたよ。米国式の品質管理法が広まって、ようやくまともになったんです。
日本は中国との戦争を解決した後、アメリカに宣戦布告すべきである。
冒頭のアナウンスは、竹脇無我さんのお父様・竹脇アナウンサーですね。
設計と製造に関わっていた方々が戦後は重機、船舶、市販車もといレーシングカーの設計に関わると思うと感傷深い
新幹線なんかもそうですね
最新鋭の機体を牛車や筏で運ぶとか色んな意味で信じられないな…
最新鋭の製品を有人トラックで運ぶとか色んな意味で信じられないな…
@@poop_making_machine 未来から来たんかwまあ2024年にはその有人トラックも来なくなるがな
砂利道を飛行場までトラックで輸送すると轍の起伏で機体が損傷しちゃうんですよね。工場の直ぐ隣に飛行場があればよかったんですが。
トラックを多用してたアメリカが異常なだけで、ドイツ軍ですら輸送に馬を使ってた。
日本のインフラ事情は戦後になってもしばらく劣悪だったので…その…トラックが通れる道が少なすぎてあっても運べないっす…
About some English subtitles? It would be greatly appreciated....
最初はかっこいい97式中戦車、戦闘機(名前知らない)だったけど、途中から女性がほぼ真顔で働いている....最後ぐらいは子供たちが...今日は2023/08/06午前8時15分平和を祈ります🙏🕊️
Probably Korean children
「ハチブンノサンのタップを立てる!」この頃インチネジ使ってんのな。切削工具は炭素鋼だから見るからに切削速度が遅い。超硬やサーメットが出てくるのは戦後。
08:37 標語「磨く技能に終点なし」、昔の人の日本語は綺麗だなしっかし15:00あたりの戦時型旋盤の解説・・・、ようは「省資源化」からの「使う人に技量を必要とさせる」仕様になってるんだよね。資源の乏しい日本だから「人的資源は”産めよ増やせよ”で無限に増えるけど資源は有限」と言う「熟練工(これは兵士でも同じ)を育てるのは大変」と言う考え方がすっぽ抜けた発想。一方アメリカでは身体障碍者(要は戦場では使えない)までも国家総力戦に含ませるために「バカでも操作できる機械」を作って生産力と資源の無駄を減らす方向で進むので生産力の差は益々開くんだよなぁ。このあらゆる面での「人命軽視(技術軽視)」的な発想がゼロ戦の防弾装備(まぁそれ以外でもそうだが)に繋がるんだよな、アメリカじゃ「撃墜されても生きて帰ってくれば少しづつ経験値が増える」「飛行機は誰でも作れるんだから」と言う考えだから大戦末期には「人材・資源」の両面で欠乏することになる・・・
These are great videos…very enjoyable and informative….thank you.
0:47 この頃から、わーくにだったのか
13:28 岸信介??
多分そうです。
岸信介は東条内閣の商工大臣だったからね商工省が軍需省に改組されて東条首相が軍需大臣を兼務してからは軍需次官になったような…
銃後じゃ粗悪品とはいえ国民一致団結して頑張ってたのに前線じゃ海軍と陸軍が仲悪くて作戦が上手く行かなかったり、輸送船がバカスカ沈められて届かなかったり…やるせないなぁ
それでいて戦後になると「生産力が違いすぎるんだから勝てるわけがない。そんなことはわかりきったことだった」との御高説をしゃあしゃあと抜かす「高級軍人」が叢生したのだからな。乏しい国力での精一杯の努力を国民に強いたのだから、その上でどうやって敵の侵圧をはねのけるかを考案実行するのが軍人の任務たるべきもののはずだ。「勝てるわけがないと思ったので終戦工作やりましたぁ」なんて元軍人が褒められる様な倒錯した価値観がまかり通っているうちは、押し付け憲法改正なんぞ無理だろうと無念な思いでいる。
工員達の本音は、忙しいのに偉い奴 ワザワザ来て … 喋ったら サッサッと帰ってくれ! だと思う。
吉田悳中将は自衛隊戦車部隊の魂を作った男ですが、そんな彼は工場の自動化、今で言えばロボットアームによってガンガン作れれば人的資源の節約になり、その分戦闘員にできると断言しています。そしてそれを日本はやろうとしたのですが、産業革命が起こって長い歴史があるイギリスはともかく、日本は確かに江戸時代蒸気機関を真似したらすぐできたくらいには優秀でもそれは個々の技術ありきで爆発的生産は難しいものでした。ドイツですらMG34汎用機関銃は職人がいなければ作れなかった。日独は大変でした。思っていたより機械化、工業化は進んでいたようですがね。
そんなイギリスはドイツとアメリカに産業の勢いで割とすぐに負けてしまいましたけどね…。
イギリスはドイツ製が売れるから、そんならドイツは悪者だからドイツ製ってはっきり書いとけよってドイツに言ったらドイツ製というのが一目でわかって助かるということで余計に売れたので仕方なくドイツに技術視察行ったり…。ヘタリアは国を擬人化した夢女子の為の作品ではなくきちんと歴史解説があるので参考になります。
Japanese aircraft of that era were very graceful...good aerodynamics
拝見するにつけ悔し涙がこぼれる、敬礼!
旋盤は現代と変わらないな
すごいですよね!
物量云々以前に日本はアメリカに比べ量産技術が圧倒的に劣ってた大量の汎用旋盤を素人が回すみたいな生産ラインはアメリカではすでに無くて、カム式ながらほぼ加工工程などは自動化されていた。
汎用工作機械のいいところは導入が素早くできて仕様変更もすぐできるところアメリカさんみたいに無限の金と資材と置き場があるなら別だけど 日本はこれが身の丈に合った設備だったってこと
ドミノピザができた経緯みたい
13:28当時東條内閣で商工大臣だった岸信介ですね
この映像に映っている某国策企業に勤めていた者です。入社後に当時を知る古参社員からその当時の話を何度か聞きました。敗戦後すぐにGHQの査察を逃れるために、図面類は全て焼却し、工場では釜や鍋などを作り始め「民需工場」を装ったそうです。運動場に大きな穴を掘り、兵器加工のための専用工具や専用治具、部品などをごっそり埋め、埋めた上に芋を植えて畑に偽装したそうです。埋めた部分は戦後は社員の駐車場になりましたが、バブル崩壊後の波を受けて工場敷地を次々と売却し、現在はマンション群になっています。会社が倒産した後も管財処理において駐車場(埋め立て跡地)は最後まで売却されませんでした。釜を作るなら鋳造で大体の形を作ってから最後に仕上げ削りをするのが普通です。鍋を作るなら金属板からプレス加工した方が圧倒的に安く早く作れます。両者ともに、金属からの削り出しなんて絶対にしません。不自然に大きな運動場に不自然に盛り上がった畑があり、それも明らかに最近造成された畑に時期違いの作物が植えられているのも、絶対に変だった筈です。恐らくGHQの査察団も解っていたと思います。敗戦国はその後どうなるのかなんて誰にも解りませんし、「殺されたくない」という一心だったのではないかと思います。ドイツは敗戦後、米ソ間で技術者の争奪戦がありました。V-2ミサイルの開発陣が両国に強制移住させられ、スプートニクショックやアポロ計画などで戦後の宇宙開発の礎となったことは有名ですが、その他の多くの技術においてもドイツの技術者は争奪戦の対象でした。ところが残念乍ら日本の技術は争奪する価値の無い、低いものばかりでした。12:48の映像には、機械から天井に無数に延びる黒い線が映っています。これは「タイミングベルト」というもので、工場の隅に1台だけあるモーターの動力を各機械に伝達するためのものです。モーターすら満足に用意することができなかったのです。物資が徹底的に乏しい中、子供までも動員して練度を高めて生産性を上げるという、文字通り「末期的」な状況で、軍需工場やその従事者は民間人とは見做されず、皮肉なことにそれが市街地への空襲の大義名分となりました。GHQの査察団は、市街地の学校を軍需工場に仕立て、年端も行かぬ子供まで動員して、ボロボロの設備で必死に兵器を作っていた日本の状況を見て、「非人道的な鬼畜の所業」と感じたのでしょうか。それとも「憐れ」と思ったのでしょうか。昨年近くに寄る機会があったので行ってみたら、問題の埋め立てた跡地はマンション群の中心の森林公園となっていました。結局掘り返せなかったようで、今も眠っています。
森林公園のしたは貝塚ならぬ鉄塚になってるのですね
思うところ、感じるところ多き貴重なお話を、ありがとうございました。
しかしながら一般市民たる非戦闘人に対する無差別爆撃は正当化はできませんし、そもそもこの大東亜戦争が米英による対日エネルギー制限による事も我々は知る必要があります。GHQはその戦後教育(日教組)でこの事も消し戦前の本も焚書していた訳ですが。当時のお話ありがとうございました🙇
@@yasutakashi7663 仰る通りですが、日本だって同じことをしていました。西欧列強はアフリカや南北アメリカ、アジアオセアニアなど、西欧圏以外の全ての地域で植民地争奪戦の国盗り合戦をしていました。大東亜共栄圏とは西欧列強による植民地支配からアジア諸国を解放するというのが大義名分でしたが、その実は遅ればせながらの国盗り合戦への参戦に他なりません。日本は日清・日露・WW1・満州事変など、10~15年おきに大きな戦争をして、その度に鉄や石炭や石油やガタパーチャなどの戦略資源、砂糖や穀物や海産物などの生活物資を獲得し、目に見えて生活が豊かになっていき、軍備も急速に拡大させていました。こうした中での対日経済制裁は、中国の海軍力が脅威になっているから対中経済制裁をしよう、という現在の米国の基本政策と全く同じ構図です。一方的なイジワルをされた、と捉えるべきではありません。ナチス・ドイツに抗するために作った原爆を、もう帰趨が見えている日本に落とした理由は、欧州の戦争が終結したのにズルズルと日本と戦っている間に東欧諸国が次々と共産化していくことに焦りを感じた米国政府が早期終結を企図したのが真相です。この際、日本の民間人への無差別攻撃を正当化するために用いられたプロパガンダが「リメンバ・パールハーバー」です。先に民間人を攻撃したのは日本だ、という民意を醸成することに成功し、未だ多くのアメリカ人に根付いています。ですが、日本も「鬼畜米英」というプロパガンダを行っていました。戦後処理において東京裁判でA級戦犯の被告として裁かれた28名は有名ですが、「交戦法規違反(B級)」および「人道に対する罪(C級)」のいわゆるBC級戦犯の容疑者は36,529名にものぼります。これは生き残った兵士の中の数字ですから、全体では夥しい数の戦争犯罪がなされていたことは容易に想像できます。広島の原爆シ没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この過ちとは、「誰の」「どんな過ち」なのでしょうか。現代の日本人にとって「戦争の惨禍」とは、「戦時中の苦しい暮らし、空襲、原爆、戦後の混乱」あたりでしょう。ですが、空襲や原爆を含め、国内の民間人の犠牲者はおよそ80万人なのに対し、戦地で散華した日本兵はその2.5倍の212万人です。戦後教育の最も愚かな点は、「日本だってやることやってた」ということをスッカリ忘れてしまっていることです。現在の日本の基本政策は「経済的互恵関係を築く」というものです。敵対するより仲良くなった方がお得ですよ、という認識を多くの国に持ってもらうというもので、その結果が「戦後79年間の戦シ者ゼロ」に繋がっているのだと思います。この人類史上稀有な平和状態を1日でも長く伸ばすために、後世の我々は碑文に対する自問自答を続けなければならないのだと思います。長文失礼。
今現在でもそうですが日本に対しての原爆使用は戦勝国の勝手な理由でしかない。それは間違い無く非人道的行為であり広島長崎だけではない計画であった事は米側一次資料でも明らかになっております(林千勝氏)これが何を意味するのか?本来開戦時に西へ進軍すべきが何故真珠湾攻撃へ変更されたのか?GHQ後の歴史教育では知る事すら出来ません。何故でしょうか??原爆資料館内にある英文Japanese➔Japanへと変更もされました。ここは林氏も指摘されてましたが一番に意味の有る変更だと思われます。
生産ラインはやはりアメリカみたいにコンベアラインで機械化されてはいないな。手作りで作ってたら、どれだけ優秀な機体でも間に合わんな。
実は戦争中の民間人動員総数は日米共に大差なかった。更に言えば工場におけるプロ(熟練工)とアマチュア(動員された素人)の比率でいえば日本の方が熟練工の比率が大きかった。生産数に大差がついたのは技術だけでなく素人を一人前に育てる教育マニュアルの充実ぶりにおいても、米国が日本を圧倒していた。
いくら熟練工が多くても機械工業には敵わないんよな簡単に言えば機械と人間で言えば、圧倒的に機械の方が大量生産が可能
実際今の工場もこの流れを汲んでるんだよなあ
旧日本軍の戦車たち、めちゃめちゃかわいい❤ 女工さんたちの制服も素敵✨ うp感謝!
旋盤工が保護眼鏡🥽してないのに驚きです。当時は生産第一で安全は無視だったんでしょうね。労災なんかも無かったのでは。
あるわけない
しかも生産を遅らせない為に工員の食事と一緒にヒロポンの錠剤を飲まされた。
粉塵もまって肺もやられます。死んでも何も保証なし
ワイ、旋盤工だけど、保護メガネしてないよ
有給なんて言葉すら知らなかっただろうな。
こんだけ一生懸命つくってもバカスカ壊されちゃあ...
壊すのは本当一瞬だからな…
映像は残っていても設計図は残ってないの尊い
技術力が継承されたのが唯一の救いです。
尊い?どういうこと?
尊い?
なんかロマンを感じる的な?
出来た飛行機を車やフォークでけん引せず手押しって時点でなんかな、、、。銃弾や砲弾は規格化したんだろうが、日立の戦車に三菱の砲塔はつかない標準化の遅れ、武器弾薬に全振りで食料他の生産が落ち込んでて、米軍との対比が面白い。米国もフォードとか一部が過労死一歩手前まで働いてただろうけど、あのチョコやジープまで量産する余裕が羨ましい。
5.00→97式中戦車。敵M4シヤ-マン戦車に、かなわなかつたんだよな~。😢😥😔
零式水上観測機を押し出す小さな小さな子供達……😢
自動車が普及してない時代によくこれだけのものを作ったもんだ…
叔父は中島飛行機で設計を、別の叔父は川崎飛行機で設計を、もう一人の叔父は立川飛行機で企画をやっていました。母は自由学園の生徒でしたが学徒動員となり中島飛行機で零戦のエンジンのタペットを旋盤で製作していました。皆あんな風に働いていたんだなあと感無量でした。
零式輸送機 最後に写ってますぞ!
工作機械がその国の戦力の指標になるっておもしろいな。現在でも工作機械が日本のお家芸てのがまたおもしろい。
初めて観ました。こんな映像に出会うなんて思ってもみませんでした。不思議な気持ちです。ソ連やウクライナでも「こっちが強いとわかれば戦うことをやめるだろう」と洗脳されています。ノーベル賞で有名なノーベルさんも実際は「人類を壊滅させるものを作れば戦いはしないだろう」とアレを売り歩いたそうです。特にフランスで売れたとラジオで聞きました。
アレとは、ダイナマイトですかな?
米主何言ってるんだろ?
@@トルネードらん原子爆弾ですね。
陸海工場に居た職人が居なくなった代わりに女性や子供がきても今までの精度の製品が作れるとは思えない…大丈夫だったんですかね。
実際 戦争後期になるほど工作精度や品質管理がダメダメすぎてトラブル起きまくりだったみたいですね。
そりゃそうなりますよねぇ…
一例として、公営に近い形態を採っていた中島飛行機でしたが、軍行政査察で名指しで下請けの品質管理能力低下を指摘されるなど、下請け業者の能力低下が特に酷かったようです。あと、「ベテランの招集による影響」と言うより「法外な生産量の押付け」の方が問題だったようで、当然ですが、突然生産量を倍にしろと言われてもいくらベテランが残っていても家内制手工業の影響が残る日本では無理な話だったのです。米国当たりですと、工員の環境整備(子供の預り施設や女性用着替え室等々)から始まり、工場生産に携わる前の教育(自分が何を造っているか、どうやって造るか等々)を行ったり文字が読めなくても支障が無いように記号で表したりして効率化を計っています。
@@marisa1906 戦争後期は工員の能力が問題だったのではなく、潜水艦による通商破壊とそれに伴う物資不足、それを品質の悪い素材で補ったことが最大の原因ですよ。
@@Michinokuya-Channel戦時中アメリカの軍需工場での厚生福利の待遇は今の日本でも出来無い程、充実して居る。
当時の日本はASIAではずば抜けた工業立国やったんやね。
凄い映像。カラーにして高画質化したら今と変わらないんだろうな
東条英機が工場の視察で来た、貴重な動画だ。 2:47
旋盤が今と変わらない気がする…
この映像だけ観ると重苦しく感じる方居いらっしゃると思いますが当時の日常亡くなった祖母は戦時中明治製菓で働いてました夏は山登りしてキャンプでカレー作ったり楽しかったと言ってました戦後 砂糖が沢山出回る様になり甘党になり糖尿病で亡くなりました 80まで昭和 平成生きてくれました
大量に作るのはいいが、前線に武器が届くことは少ない。
ドイツでは熟練工を極力徴兵しないで生産を確保してアメリカは素人が生産しても品質を保ち大量生産出来る様に高性能で素人が扱える工作機械を開発したが日本は熟練工を徴兵して軍需工場に熟練工の代わりに工業系学校の生徒を工作機械の操作させれば良い物を工業系学校の生徒は農作業をさせて女学校や工業系に関係無い学生を工場で働かせた。軍隊も役所で徴兵して徴兵した人の職歴を考慮しないで部隊配置したのでシャバでは車の整備士をしていたなら戦車部隊や自動車部隊の整備に配属すれば良いのを機械整備に関係無い隊に回されたのが有った。軍隊として徴兵したメンツが有るなら熟練工だけでの部隊を作り、隊として各地の軍需工場に派遣して生産すれば効率的なのに。
その通りなんですけど、そんな合理的な考えが出来たらそもそも戦争していないでしょうね。。。
ドイツの生産力を支えていたのは不眠不休タダ働きさせられたユダヤ人や東欧やロシアで捕まえたウンターメンシュなのに無視されてかわいそうあいつらがドイツ兵器の4割か半分くらいは命削って作ったのに
メンツのために合理性を無視してきた日本政府と軍の組織主義の成れの果て
@@honnexzまぁな。最終的には戦争に追い詰められただろうが、史実の形ではなかったろうな。
@@sushi-love日中戦争継続のために南仏進駐してアメリカ怒らせただけだから追い詰められたってのも正しくない。言わば戦争のための戦争を真面目にやってるわけだからこの場合は勝手に追い込まれていったという表現の方が合ってるよ。
旋盤見て思ったのですが、70年代基本形は新潟や池貝で十分でしたが、それの部品の1000分台の工作機械は高価な米国製だった。戦前、米国製の工作機械が入らなくて国産機械が直せなかったことを古老に聞いたなあ。マクロメータの精度が保てなかったことも…
零式観測機製造レアですな
7:21あたりで流れているクラシック曲、誰か分かりませんか?
爆弾に炸薬を溶填する映像初めて見た
MC-20と言う旅客機を知らなかった。日本は量産しやすい様な設計をしなかったし動員された婦人、学徒達は大変だっただろうな。
Great!!
今さら音声削除してどないすんねん!
マニアックでメッチャ良い!!
日本人はこんな光景にはまだ慣れて居ないが、産業戦争史でしか無い西欧文明では、欧米人は慣れきっとるからな
米国の産業人が見てたら、日本はチョロいと思っただろうな。
これ見てからB-29の工場見ると実力差に悲しくなってくる
他界した父親も、小学生の時に陸軍憲兵が来て、よく山の松の木から『松根油』という不足した航空機燃料や航空😂機エンジンのOILを取りに行かされたと証言して聞かされました。航空機燃料のオクタン価もOILの耐熱性能もあったもんじゃありません😅。だいたい、せいぜい10分台か、100分の5㍉以上のベアリング作れないで、伊号潜水艦で地道にはーるか遠くのドイツから1000分台精度のP級(精度級)航空機用ベアリングを戦争中に運んで輸入してたんじゃ話しになりませんわ↘。😅
毎日何人の人が労災で死んだんだろうな
結構しっかり作ってる。
@@Oosansyouuo_tatsugoro717 70年前のプロパガンダ映像に騙される雑魚ネトウヨ乙 w
@@anti_NTUY196 意外としっかり作ってるもう少し資源があったら良いのが作れたかも資源が少ない中頑張ってくれた人達に感謝要するにこういう事、理解したかなw
@@Oosansyouuo_tatsugoro717 英霊?負けたらアホや!
@@NomuraIsamu なんだぁてめぇ…
@@白熊-m5e やんのか?コラァ
ここで一心不乱に働いてる人達は、アメリカの工業力の凄まじさを知らないんだろうな…😭
工場も長野、群馬、甲府あたりの地下に作ればよかったですね。
サムネの戦車(多分type98?)が一瞬38(t)に見えた
60年前までサムライの国とは思えない発展ぶり
カンカン叩いて割ってたの、計器板のガラスかな?だとすると、めちゃくちゃ原始的だね
それっぽいですよね
俺がやったら全部割りそうで怖い。
これがカタヌキへと発展する
アメリカの航空機工場の動画も見ましたがオートメ化が進んでおり、次から次へと航空機を工場から出荷してましたね。また女性もチラホラ働いてました。工業力は日本の10倍ですから日本が1機つくる間にアメリカは10機生産できる計算です。資源も豊富、なぜあんな戦争をしたのか・・・
日本は生産力が低いと言われますが逆にこのやり方でよくあれだけの兵器を作れたもんだと感心しますよ
指先折損、失明、大火傷とか、日常茶飯事だったんだろうな
日本の工場だけに限った話ではない。
昔はどの国も労災意識無いから
ラジウムガールズ
残念。アメリカには安全第一。品質第二と言う概念が浸透し出しました。ミドリ十字にも安全第一。と有るけどこれに品質第二が意図的に削られているのは、昔も今も日本は変わらないと言える。
@@tochigiken110 日本だけとは言ってねえだろ
資源を確保出来なくなった時点で帝国日本の敗北は決定していたんやね。
Manchurian shale oil transported by way of motorized gliders
何でもかんでも召集令状で戦地に連れて行くからやな?
工場の柱の感じがジオン脅威のメカニズムを感じる
日本の工業力は、ドイツ・米国に遅れていた。 考えが及ばなかった点が多い。
アメリカは当時、オ-トメイション化して作業を標準化していたらしい。精神だけで勝てるはずがない。300万人の犠牲をはらい領土も取られた。戦争はむなしい。
日本連投に原爆全部落とせば日本人消えてましたね。
戦わなかったらどうなってたか考えてみて。そんなコメントすら書けない国になってたんだぞ。降参したら勘弁してもらえるなどと思ってるんじゃない。アングロサクソンは甘くないぞ
@@sakuraji138ABCD包囲網を敷かれてにっちもさっちもいかなくなった原因を作ったのは日本でしょうが。遂行する意味の無い日中戦争を継続させるために援蒋ルートを遮断する目的で南部仏印に進駐し、それがアメリカ等の反感を買ったわけですから。
@@sakuraji138 戦って負けた割にはコメント書けてて草戦わず回避するのと戦って負けるのなら後者の方が悪い状況になるだろ ハル・ノート受け入れたよりも悪い状況になってるし笑
@@sakuraji138降伏したけど
NHKの国営放送の『本質』 この2023年夏に戦禍に散った人々・長崎・広島に黙とう。不戦の誓いを改めて誓う。
勘違いしてる方が多いがここに映ってるような女工さんは児童労働者ではなく正規の職人が大半ですよ戦前の日本は紡績などを中心に女性職人は割といました戦後に少ない少ないと言われたのはあくまでも米国より相対的に少なかっただけの話です歴史を知らないと正しい結論にたどり着けませんよ
ここに映ってる女工の大半は動員だよ。だからこそのこのニュース映像で使ってる。国家総動員の例として。
「御奉公の誠」「打ちてし止まん」だって、いやだなーこんな時代。えっ今もか?
戦争で工場の熟練工まで兵隊に出したため、勤労動員された「素人工」がおこなうので、まともな飛行機ができる訳がない。連合艦隊司令長官だった豊田副武大将が軍需工場を視察した時、完成した飛行機を見たら、機体のリベットがポロポロ取れる「これで飛べるのか?」と思ったそうだが、考えてみれば熟練工が10年、20年やってきた事を素人工ができる訳がない。そして工作機械の性能不良・台数自体の不足の問題もあった。勤労動員された人が扱う機械がアメリカ製のインチ仕様だったため、使いこなすのに苦労したと言う。そして日本工業の「すそ野の狭さ」だろう。ドイツの場合、小さい町工場で部品を造り、大きな工場に運んで、最終組み立てをおこなう。たとえ空襲で大きな工場が破壊されても別の大きな工場で、生産を続行できるが、日本の場合は「町工場」が少ないため、部品造りから完成までひとつの大工場で行う必要があったため、空襲でその工場が破壊されれば、その兵器生産は、そのまま終了してしまう。その上大戦末期頃になると工業原料の不足が加わえる。これでは工業生産力がアメリカに追い付かないのは当然だろう工業生産力だけでもアメリカに負けていた。
オマケにアメリカのしていたロット製品管理の概念も無かったらしい…
@@KENTAFURUYAMA 日本は、いわゆる「鍛冶屋」的工業ですから、熟練工の存在が重要だったのですが、その熟練工が居なくなるのは、工業生産としては痛いですね。
@@KENTAFURUYAMAロット管理とか、企画の統一意識が低かったり、守られない事もあったから同じ銃や機関銃でも部品交換や共食い整備が出来ず悲惨なことに…部品が合うモノ同士を探したりする羽目になった。
もっと基礎科学に力いれるべきだった
13:30安倍さんのおじいさん
手作業で作る日本と大量生産で数に勝るアメリカとの違いが強いね
お偉いさん方にもっとアメリカの生産能力の高さを冷静に評価できる人間がいれば、あんな割に合わん戦争しなかったのにね
偉い連中はわかってた人のほうが多かった。アメリカとの妥協を世論が許さなかったんだから仕方ない。いつの時代も日本人は国民がお客様気質。コロナ禍のときも自分達が剥き出しの感情論で公務員を叩いて有事の医療資源を縮小させてたのに負の遺産を押し付けられた側の政府を叩いてたりね。
知り合いの方の親御さんが若かりし頃中島飛行機に勤めていた話思い出しました、大変な時代生きられていたと感じました。
動画でこんな映像があるなんてたまげた
戦争関係なく本気の職人の顔はかっこいい✨
うちの工場より自動化進んどる
何を作ってるんだ君はw
えぇ……
これは貴重な動画。
当時の生産工程を見られるのは貴重、米国の兵器製造動画も見たけどあちらは桁違いだった
工場の大きさから10倍くらいありそう
創業者が生前「当時のベルト盤は力が無く、径の大きい品物や硬い鋳物は思う様に加工できなかった、手の早い奴(勘の良いスキルのある者)は大型旋盤や数モノを淡々と1人で加工する職場へ異動になった」と言ってました。
先輩方ありがとうございます🙏
この映像の熟練工を戦場に送り出して始めてから
日本軍の戦闘機は粗悪品だらけに成って地獄を見だしたのだよな
アメリカの戦闘機は帰還して燃料弾薬を補充したら即発進
日本軍機は帰還したら2日~3日は簡単には再発進が出来ない代物だったとか…
四式戦闘機も誉エンジンも粗製乱造の山になってしまいましたね。
当時アメリカでは製品に公差や製造方法の統一したマニュアルを持ち込んでいたので、他社のものでもつかえた。
日本の製造業にアメリカの製造のやり方が浸透したのは朝鮮戦争でアメリカ軍の兵器生産をしてから。
一次性飞机…… 有些飞机再也没回来过 这样很消耗飞行员……
戦時中の兵器弾薬の製造工場の映像は貴重ですね。若い勤労学徒の若者たちが一生懸命働いてるの見ると、本当に感謝しかありませんね🎉❤😃👏我々の祖父母の世代の人々は、この祖国日本を守るために、国民一丸となって働いていたのですね。 本当にその愛国心と滅私奉公の心に頭が下がる思いです🎉❤😃👏13:52 安倍晋三 元首相の祖父に当たる、岸信介 商工 大臣が発言していますね。
私の母はこの頃、府中の東芝工場で無線機の組み立てをしていたと聞きました。
父はラバウルのニューブリテン島で飛行場建設に従事してたとの事でした。
戦後二人は結婚する事になったのですが、国の為に尽くした父と母は立派だと思います。
二人とも戦後国を恨むような言葉は一切言いませんでした。
4:44 17:35九七式中戦車の工場シーンは個人的好きです
帝国陸軍の主力戦車がここから生まれてくるシーンは感動的です!
70年前のプロパガンダ映像に騙される雑魚ネトウヨ乙 w
@@anti_NTUY196 ネトウヨはもっと酷いんだよなぁ…
@@anti_NTUY196 そんなに人を煽って楽しいかい?ん?好きなシーンを言ってるだけなのに余程君はストレスが溜まってるのかな?
@@anti_NTUY196 🧠🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮
@@anti_NTUY196 you are too obsessed
貴重な映像の掘り出し映像には感謝です。熟練工員を召集した東條の無策、陸海軍機の性能がた落ちをまねいた。御前会議がこの東條を選びました。
戦時中のリアル
なんとも言えないなぁ…
与えられた責務を全うする先人の皆様を尊敬します
ここに映ってる人達が戦後は平和的な産業に移動して、高度成長を支えてくれました。それを思うと原始的だろうと茶化す気にはなりません🥲
巻き込まれとかめっちゃ気になる…
事故とか多かったんやろな
旋盤なんかは今のとたいして変わらん。
既に確立した技術ということ
でしょうかね
1940年と1956年が同じ工業力の水準っていわれるのがよくわかった気がした。
@@KT-ii7bl 戦争に負けて品質が向上したのか。負けてないと、中国みたくなっていたか。しかし相変わらず、規格化は下手だよね。
@@室井修-k1r さん
戦前にあった工場や腕利きの職人さんが戦争で、消失してしまったので、劣悪なモノしか作れない状態から、外国の支援と職人の育成で、それくらいの期間が必要だったらしいです。
ただ、日本に支援した外国に多くの工業製品で追いぬくにはバブルの前位迄掛かってはいるけれどね(それでも、MRJみたいに失われたまんまなのはあるけどね)
11:54ねじの規格がインチネジ(ユニファイねじ)だったのですね。
戦車、戦闘機の材料を確保するために銀座のネオンなどを調達し戦車、戦闘機を作っていたんですね
まじでこの時の工場見学してみたい。零観の新品見たら吐きそう。
タイムマシンができたらやりたいことの一つだね
戦前は「鬼畜米英」と言っていた先生。急に「親米」と言い出した先生。「先生なんて信じられない」と、ある生徒が言っていたソウナ。
小学生の時に終戦を迎えた世代の人は、大人(特に教師)に対して強い不信感を持ってますよ。
小学校4年生で終戦を迎えたうちの父はハッキリと言ってます。
だって日教組だもん
@@adakidam2348日教組がなにか知らなそう
@@tennnouheika 戦後な日本の教育会を牛耳って見せると言ったんだぞ
@@adakidam2348 コメ主の話と関係ないじゃん。そもそも日教組が出来たの戦後だし。
素晴らしい工場に意欲ある労働者。戦後メイドインジャパンが米国市場を圧倒した事を思えば、誤っていたのは国家戦略であったということなんだろう。
普通に技術不足が起因して生産力はクソザコだったぞ
@@mizinkokokokoko 日本の生産力がクソザコだったらフランスやイタリアもクソザコだぞ
むしろ軍国主義に突き進んで嫌でも重工業化を進めたという国家戦略が戦後の発展を後押ししたのかもしれません。
戦後しばらくは、メイドインジャパンと言えば粗悪品の代名詞でしたよ。米国式の品質管理法が広まって、ようやくまともになったんです。
日本は中国との戦争を解決した後、アメリカに宣戦布告すべきである。
冒頭のアナウンスは、竹脇無我さんのお父様・竹脇アナウンサーですね。
設計と製造に関わっていた方々が戦後は重機、船舶、市販車もといレーシングカーの設計に関わると思うと感傷深い
新幹線なんかもそうですね
最新鋭の機体を牛車や筏で運ぶとか色んな意味で信じられないな…
最新鋭の製品を有人トラックで運ぶとか色んな意味で信じられないな…
@@poop_making_machine 未来から来たんかw
まあ2024年にはその有人トラックも来なくなるがな
砂利道を飛行場までトラックで輸送すると轍の起伏で機体が損傷しちゃうんですよね。工場の直ぐ隣に飛行場があればよかったんですが。
トラックを多用してたアメリカが異常なだけで、ドイツ軍ですら輸送に馬を使ってた。
日本のインフラ事情は戦後になってもしばらく劣悪だったので…その…トラックが通れる道が少なすぎてあっても運べないっす…
About some English subtitles? It would be greatly appreciated....
最初はかっこいい97式中戦車、戦闘機(名前知らない)だったけど、途中から女性がほぼ真顔で働いている....最後ぐらいは子供たちが...
今日は2023/08/06午前8時15分
平和を祈ります🙏🕊️
Probably Korean children
「ハチブンノサンのタップを立てる!」この頃インチネジ使ってんのな。切削工具は炭素鋼だから見るからに切削速度が遅い。超硬やサーメットが出てくるのは戦後。
08:37 標語「磨く技能に終点なし」、昔の人の日本語は綺麗だな
しっかし15:00あたりの戦時型旋盤の解説・・・、ようは「省資源化」からの「使う人に技量を必要とさせる」仕様になってるんだよね。
資源の乏しい日本だから「人的資源は”産めよ増やせよ”で無限に増えるけど資源は有限」と言う「熟練工(これは兵士でも同じ)を育てるのは大変」と言う考え方がすっぽ抜けた発想。
一方アメリカでは身体障碍者(要は戦場では使えない)までも国家総力戦に含ませるために「バカでも操作できる機械」を作って生産力と資源の無駄を減らす方向で進むので生産力の差は益々開くんだよなぁ。
このあらゆる面での「人命軽視(技術軽視)」的な発想がゼロ戦の防弾装備(まぁそれ以外でもそうだが)に繋がるんだよな、アメリカじゃ「撃墜されても生きて帰ってくれば少しづつ経験値が増える」「飛行機は誰でも作れるんだから」と言う考えだから大戦末期には「人材・資源」の両面で欠乏することになる・・・
These are great videos…very enjoyable and informative….thank you.
0:47 この頃から、わーくにだったのか
13:28 岸信介??
多分そうです。
岸信介は東条内閣の商工大臣だったからね
商工省が軍需省に改組されて東条首相が軍需大臣を兼務してからは軍需次官になったような…
銃後じゃ粗悪品とはいえ国民一致団結して頑張ってたのに前線じゃ海軍と陸軍が仲悪くて作戦が上手く行かなかったり、輸送船がバカスカ沈められて届かなかったり…やるせないなぁ
それでいて戦後になると
「生産力が違いすぎるんだから勝てるわけがない。そんなことはわかりきったことだった」
との御高説をしゃあしゃあと抜かす「高級軍人」が叢生したのだからな。
乏しい国力での精一杯の努力を国民に強いたのだから、その上でどうやって敵の侵圧をはねのけるかを考案実行するのが軍人の任務たるべきもののはずだ。
「勝てるわけがないと思ったので終戦工作やりましたぁ」
なんて元軍人が褒められる様な倒錯した価値観がまかり通っているうちは、押し付け憲法改正なんぞ無理だろうと無念な思いでいる。
工員達の本音は、忙しいのに
偉い奴 ワザワザ来て … 喋ったら サッサッと帰ってくれ! だと思う。
吉田悳中将は自衛隊戦車部隊の魂を作った男ですが、そんな彼は工場の自動化、今で言えばロボットアームによってガンガン作れれば人的資源の節約になり、その分戦闘員にできると断言しています。そしてそれを日本はやろうとしたのですが、産業革命が起こって長い歴史があるイギリスはともかく、日本は確かに江戸時代蒸気機関を真似したらすぐできたくらいには優秀でもそれは個々の技術ありきで爆発的生産は難しいものでした。ドイツですらMG34汎用機関銃は職人がいなければ作れなかった。日独は大変でした。思っていたより機械化、工業化は進んでいたようですがね。
そんなイギリスはドイツとアメリカに産業の勢いで割とすぐに負けてしまいましたけどね…。
イギリスはドイツ製が売れるから、そんならドイツは悪者だからドイツ製ってはっきり書いとけよってドイツに言ったらドイツ製というのが一目でわかって助かるということで余計に売れたので仕方なくドイツに技術視察行ったり…。ヘタリアは国を擬人化した夢女子の為の作品ではなくきちんと歴史解説があるので参考になります。
Japanese aircraft of that era were very graceful...good aerodynamics
拝見するにつけ悔し涙がこぼれる、敬礼!
旋盤は現代と変わらないな
すごいですよね!
物量云々以前に日本はアメリカに比べ量産技術が圧倒的に劣ってた
大量の汎用旋盤を素人が回すみたいな生産ラインはアメリカではすでに無くて、カム式ながらほぼ加工工程などは自動化されていた。
汎用工作機械のいいところは導入が素早くできて仕様変更もすぐできるところ
アメリカさんみたいに無限の金と資材と置き場があるなら別だけど 日本はこれが身の丈に合った設備だったってこと
ドミノピザができた経緯みたい
13:28当時東條内閣で商工大臣だった岸信介ですね
この映像に映っている某国策企業に勤めていた者です。入社後に当時を知る古参社員からその当時の話を何度か聞きました。
敗戦後すぐにGHQの査察を逃れるために、図面類は全て焼却し、工場では釜や鍋などを作り始め「民需工場」を装ったそうです。運動場に大きな穴を掘り、兵器加工のための専用工具や専用治具、部品などをごっそり埋め、埋めた上に芋を植えて畑に偽装したそうです。
埋めた部分は戦後は社員の駐車場になりましたが、バブル崩壊後の波を受けて工場敷地を次々と売却し、現在はマンション群になっています。会社が倒産した後も管財処理において駐車場(埋め立て跡地)は最後まで売却されませんでした。
釜を作るなら鋳造で大体の形を作ってから最後に仕上げ削りをするのが普通です。
鍋を作るなら金属板からプレス加工した方が圧倒的に安く早く作れます。
両者ともに、金属からの削り出しなんて絶対にしません。
不自然に大きな運動場に不自然に盛り上がった畑があり、それも明らかに最近造成された畑に時期違いの作物が植えられているのも、絶対に変だった筈です。
恐らくGHQの査察団も解っていたと思います。敗戦国はその後どうなるのかなんて誰にも解りませんし、「殺されたくない」という一心だったのではないかと思います。
ドイツは敗戦後、米ソ間で技術者の争奪戦がありました。V-2ミサイルの開発陣が両国に強制移住させられ、スプートニクショックやアポロ計画などで戦後の宇宙開発の礎となったことは有名ですが、その他の多くの技術においてもドイツの技術者は争奪戦の対象でした。
ところが残念乍ら日本の技術は争奪する価値の無い、低いものばかりでした。12:48の映像には、機械から天井に無数に延びる黒い線が映っています。これは「タイミングベルト」というもので、工場の隅に1台だけあるモーターの動力を各機械に伝達するためのものです。モーターすら満足に用意することができなかったのです。物資が徹底的に乏しい中、子供までも動員して練度を高めて生産性を上げるという、文字通り「末期的」な状況で、軍需工場やその従事者は民間人とは見做されず、皮肉なことにそれが市街地への空襲の大義名分となりました。
GHQの査察団は、市街地の学校を軍需工場に仕立て、年端も行かぬ子供まで動員して、ボロボロの設備で必死に兵器を作っていた日本の状況を見て、「非人道的な鬼畜の所業」と感じたのでしょうか。それとも「憐れ」と思ったのでしょうか。
昨年近くに寄る機会があったので行ってみたら、問題の埋め立てた跡地はマンション群の中心の森林公園となっていました。結局掘り返せなかったようで、今も眠っています。
森林公園のしたは貝塚ならぬ鉄塚になってるのですね
思うところ、感じるところ多き貴重なお話を、ありがとうございました。
しかしながら一般市民たる非戦闘人に対する無差別爆撃は正当化はできませんし、そもそもこの大東亜戦争が米英による対日エネルギー制限による事も我々は知る必要があります。GHQはその戦後教育(日教組)でこの事も消し戦前の本も焚書していた訳ですが。
当時のお話ありがとうございました🙇
@@yasutakashi7663 仰る通りですが、日本だって同じことをしていました。
西欧列強はアフリカや南北アメリカ、アジアオセアニアなど、西欧圏以外の全ての地域で植民地争奪戦の国盗り合戦をしていました。大東亜共栄圏とは西欧列強による植民地支配からアジア諸国を解放するというのが大義名分でしたが、その実は遅ればせながらの国盗り合戦への参戦に他なりません。
日本は日清・日露・WW1・満州事変など、10~15年おきに大きな戦争をして、その度に鉄や石炭や石油やガタパーチャなどの戦略資源、砂糖や穀物や海産物などの生活物資を獲得し、目に見えて生活が豊かになっていき、軍備も急速に拡大させていました。
こうした中での対日経済制裁は、中国の海軍力が脅威になっているから対中経済制裁をしよう、という現在の米国の基本政策と全く同じ構図です。一方的なイジワルをされた、と捉えるべきではありません。
ナチス・ドイツに抗するために作った原爆を、もう帰趨が見えている日本に落とした理由は、欧州の戦争が終結したのにズルズルと日本と戦っている間に東欧諸国が次々と共産化していくことに焦りを感じた米国政府が早期終結を企図したのが真相です。
この際、日本の民間人への無差別攻撃を正当化するために用いられたプロパガンダが「リメンバ・パールハーバー」です。先に民間人を攻撃したのは日本だ、という民意を醸成することに成功し、未だ多くのアメリカ人に根付いています。
ですが、日本も「鬼畜米英」というプロパガンダを行っていました。
戦後処理において東京裁判でA級戦犯の被告として裁かれた28名は有名ですが、「交戦法規違反(B級)」および「人道に対する罪(C級)」のいわゆるBC級戦犯の容疑者は36,529名にものぼります。これは生き残った兵士の中の数字ですから、全体では夥しい数の戦争犯罪がなされていたことは容易に想像できます。
広島の原爆シ没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この過ちとは、「誰の」「どんな過ち」なのでしょうか。
現代の日本人にとって「戦争の惨禍」とは、「戦時中の苦しい暮らし、空襲、原爆、戦後の混乱」あたりでしょう。ですが、空襲や原爆を含め、国内の民間人の犠牲者はおよそ80万人なのに対し、戦地で散華した日本兵はその2.5倍の212万人です。
戦後教育の最も愚かな点は、「日本だってやることやってた」ということをスッカリ忘れてしまっていることです。
現在の日本の基本政策は「経済的互恵関係を築く」というものです。敵対するより仲良くなった方がお得ですよ、という認識を多くの国に持ってもらうというもので、その結果が「戦後79年間の戦シ者ゼロ」に繋がっているのだと思います。
この人類史上稀有な平和状態を1日でも長く伸ばすために、後世の我々は碑文に対する自問自答を続けなければならないのだと思います。
長文失礼。
今現在でもそうですが日本に対しての原爆使用は戦勝国の勝手な理由でしかない。それは間違い無く非人道的行為であり広島長崎だけではない計画であった事は米側一次資料でも明らかになっております(林千勝氏)
これが何を意味するのか?本来開戦時に西へ進軍すべきが何故真珠湾攻撃へ変更されたのか?GHQ後の歴史教育では知る事すら出来ません。何故でしょうか??
原爆資料館内にある英文Japanese➔Japan
へと変更もされました。ここは林氏も指摘されてましたが一番に意味の有る変更だと思われます。
生産ラインはやはりアメリカみたいにコンベアラインで機械化されてはいないな。手作りで作ってたら、どれだけ優秀な機体でも間に合わんな。
実は戦争中の民間人動員総数
は日米共に大差なかった。
更に言えば工場における
プロ(熟練工)とアマチュア(動員された素人)の比率でいえば
日本の方が熟練工の比率が大きかった。
生産数に大差がついたのは技術だけでなく
素人を一人前に育てる教育マニュアルの
充実ぶりにおいても、米国が日本を圧倒
していた。
いくら熟練工が多くても機械工業には敵わないんよな
簡単に言えば機械と人間で言えば、圧倒的に機械の方が大量生産が可能
実際今の工場もこの流れを汲んでるんだよなあ
旧日本軍の戦車たち、めちゃめちゃかわいい❤ 女工さんたちの制服も素敵✨ うp感謝!
旋盤工が保護眼鏡🥽してないのに驚きです。当時は生産第一で安全は無視だったんでしょうね。労災なんかも無かったのでは。
あるわけない
しかも生産を遅らせない為に工員の食事と一緒にヒロポンの錠剤を飲まされた。
粉塵もまって肺もやられます。
死んでも何も保証なし
ワイ、旋盤工だけど、保護メガネしてないよ
有給なんて言葉すら知らなかっただろうな。
こんだけ一生懸命つくってもバカスカ壊されちゃあ...
壊すのは本当一瞬だからな…
映像は残っていても設計図は残ってないの尊い
技術力が継承されたのが唯一の救いです。
尊い?
どういうこと?
尊い?
なんかロマンを感じる的な?
出来た飛行機を車やフォークでけん引せず手押しって時点でなんかな、、、。
銃弾や砲弾は規格化したんだろうが、日立の戦車に三菱の砲塔はつかない標準化の遅れ、
武器弾薬に全振りで食料他の生産が落ち込んでて、米軍との対比が面白い。
米国もフォードとか一部が過労死一歩手前まで働いてただろうけど、あのチョコやジープまで量産する余裕が羨ましい。
5.00→97式中戦車。敵M4シヤ-マン戦車に、かなわなかつたんだよな~。😢😥😔
零式水上観測機を押し出す小さな小さな子供達……😢
自動車が普及してない時代によくこれだけのものを作ったもんだ…
叔父は中島飛行機で設計を、別の叔父は川崎飛行機で設計を、もう一人の叔父は立川飛行機で企画をやっていました。母は自由学園の生徒でしたが学徒動員となり中島飛行機で零戦のエンジンのタペットを旋盤で製作していました。皆あんな風に働いていたんだなあと感無量でした。
零式輸送機 最後に写ってますぞ!
工作機械がその国の戦力の指標になるっておもしろいな。
現在でも工作機械が日本のお家芸てのがまたおもしろい。
初めて観ました。こんな映像に出会うなんて思ってもみませんでした。不思議な気持ちです。ソ連やウクライナでも「こっちが強いとわかれば戦うことをやめるだろう」と洗脳されています。ノーベル賞で有名なノーベルさんも実際は「人類を壊滅させるものを作れば戦いはしないだろう」とアレを売り歩いたそうです。特にフランスで売れたとラジオで聞きました。
アレとは、ダイナマイトですかな?
アレとは、ダイナマイトですかな?
アレとは、ダイナマイトですかな?
米主何言ってるんだろ?
@@トルネードらん
原子爆弾ですね。
陸海工場に居た職人が居なくなった代わりに女性や子供がきても今までの精度の製品が作れるとは思えない…大丈夫だったんですかね。
実際 戦争後期になるほど工作精度や品質管理がダメダメすぎてトラブル起きまくりだったみたいですね。
そりゃそうなりますよねぇ…
一例として、公営に近い形態を採っていた中島飛行機でしたが、軍行政査察で名指しで下請けの品質管理能力低下を指摘されるなど、下請け業者の能力低下が特に酷かったようです。あと、「ベテランの招集による影響」と言うより「法外な生産量の押付け」の方が問題だったようで、当然ですが、突然生産量を倍にしろと言われてもいくらベテランが残っていても家内制手工業の影響が残る日本では無理な話だったのです。米国当たりですと、工員の環境整備(子供の預り施設や女性用着替え室等々)から始まり、工場生産に携わる前の教育(自分が何を造っているか、どうやって造るか等々)を行ったり文字が読めなくても支障が無いように記号で表したりして効率化を計っています。
@@marisa1906 戦争後期は工員の能力が問題だったのではなく、潜水艦による通商破壊とそれに伴う物資不足、それを品質の悪い素材で補ったことが最大の原因ですよ。
@@Michinokuya-Channel戦時中アメリカの軍需工場での厚生福利の待遇は今の日本でも出来無い程、充実して居る。
当時の日本はASIAではずば抜けた工業立国やったんやね。
凄い映像。カラーにして高画質化したら今と変わらないんだろうな
東条英機が工場の視察で来た、貴重な動画だ。 2:47
旋盤が今と変わらない気がする…
この映像だけ観ると重苦しく感じる方居いらっしゃると思いますが当時の日常
亡くなった祖母は戦時中
明治製菓で働いてました
夏は山登りしてキャンプでカレー作ったり楽しかったと言ってました
戦後 砂糖が沢山出回る様になり甘党になり糖尿病で亡くなりました 80まで昭和 平成生きてくれました
大量に作るのはいいが、前線に武器が届くことは少ない。
ドイツでは熟練工を極力徴兵しないで生産を確保してアメリカは素人が生産しても品質を保ち大量生産出来る様に高性能で素人が扱える工作機械を開発したが日本は熟練工を徴兵して軍需工場に熟練工の代わりに工業系学校の生徒を工作機械の操作させれば良い物を工業系学校の生徒は農作業をさせて女学校や工業系に関係無い学生を工場で働かせた。軍隊も役所で徴兵して徴兵した人の職歴を考慮しないで部隊配置したのでシャバでは車の整備士をしていたなら戦車部隊や自動車部隊の整備に配属すれば良いのを機械整備に関係無い隊に回されたのが有った。軍隊として徴兵したメンツが有るなら熟練工だけでの部隊を作り、隊として各地の軍需工場に派遣して生産すれば効率的なのに。
その通りなんですけど、そんな合理的な考えが出来たらそもそも戦争していないでしょうね。。。
ドイツの生産力を支えていたのは不眠不休タダ働きさせられたユダヤ人や東欧やロシアで捕まえたウンターメンシュなのに無視されてかわいそう
あいつらがドイツ兵器の4割か半分くらいは命削って作ったのに
メンツのために合理性を無視してきた日本政府と軍の組織主義の成れの果て
@@honnexzまぁな。最終的には戦争に追い詰められただろうが、史実の形ではなかったろうな。
@@sushi-love日中戦争継続のために南仏進駐してアメリカ怒らせただけだから追い詰められたってのも正しくない。言わば戦争のための戦争を真面目にやってるわけだからこの場合は勝手に追い込まれていったという表現の方が合ってるよ。
旋盤見て思ったのですが、70年代基本形は新潟や池貝で十分でしたが、それの部品の1000分台の工作機械は高価な米国製だった。戦前、米国製の工作機械が入らなくて国産機械が直せなかったことを古老に聞いたなあ。マクロメータの精度が保てなかったことも…
零式観測機製造レアですな
7:21あたりで流れているクラシック曲、誰か分かりませんか?
爆弾に炸薬を溶填する映像初めて見た
MC-20と言う旅客機を知らなかった。日本は量産しやすい様な設計をしなかったし動員された婦人、学徒達は大変だっただろうな。
Great!!
今さら音声削除してどないすんねん!
マニアックでメッチャ良い!!
日本人はこんな光景にはまだ慣れて居ないが、産業戦争史でしか無い西欧文明では、欧米人は慣れきっとるからな
米国の産業人が見てたら、日本はチョロいと思っただろうな。
これ見てからB-29の工場見ると実力差に悲しくなってくる
他界した父親も、小学生の時に陸軍憲兵が来て、よく山の松の木から『松根油』という不足した航空機燃料や航空😂機エンジンのOILを取りに行かされたと証言して聞かされました。航空機燃料のオクタン価もOILの耐熱性能もあったもんじゃありません😅。だいたい、せいぜい10分台か、100分の5㍉以上のベアリング作れないで、伊号潜水艦で地道にはーるか遠くのドイツから1000分台精度のP級(精度級)航空機用ベアリングを戦争中に運んで輸入してたんじゃ話しになりませんわ↘。😅
毎日何人の人が労災で死んだんだろうな
結構しっかり作ってる。
@@Oosansyouuo_tatsugoro717 70年前のプロパガンダ映像に騙される雑魚ネトウヨ乙 w
@@anti_NTUY196
意外としっかり作ってる
もう少し資源があったら良いのが作れたかも
資源が少ない中頑張ってくれた人達に感謝
要するにこういう事、理解したかなw
@@Oosansyouuo_tatsugoro717 英霊?負けたらアホや!
@@NomuraIsamu なんだぁてめぇ…
@@白熊-m5e やんのか?コラァ
ここで一心不乱に働いてる人達は、アメリカの工業力の凄まじさを知らないんだろうな…😭
工場も長野、群馬、甲府あたりの地下に作ればよかったですね。
サムネの戦車(多分type98?)が一瞬38(t)に見えた
60年前までサムライの国とは思えない発展ぶり
カンカン叩いて割ってたの、
計器板のガラスかな?
だとすると、めちゃくちゃ原始的だね
それっぽいですよね
俺がやったら全部割りそうで怖い。
これがカタヌキへと発展する
アメリカの航空機工場の動画も見ましたがオートメ化が進んでおり、次から次へと航空機を
工場から出荷してましたね。また女性もチラホラ働いてました。工業力は日本の10倍ですか
ら日本が1機つくる間にアメリカは10機生産できる計算です。資源も豊富、なぜあんな戦争
をしたのか・・・
日本は生産力が低いと言われますが逆にこのやり方でよくあれだけの兵器を作れたもんだと感心しますよ
指先折損、失明、大火傷とか、日常茶飯事だったんだろうな
日本の工場だけに限った話ではない。
昔はどの国も労災意識無いから
ラジウムガールズ
残念。アメリカには安全第一。品質第二と言う概念が浸透し出しました。
ミドリ十字にも安全第一。と有るけどこれに品質第二が意図的に削られているのは、昔も今も日本は変わらないと言える。
@@tochigiken110 日本だけとは言ってねえだろ
資源を確保出来なくなった時点で帝国日本の敗北は決定していたんやね。
Manchurian shale oil transported by way of motorized gliders
何でもかんでも召集令状で戦地に連れて行くからやな?
工場の柱の感じが
ジオン脅威のメカニズムを感じる
日本の工業力は、ドイツ・米国に遅れていた。 考えが及ばなかった点が多い。
アメリカは当時、オ-トメイション化して作業を標準化していたらしい。精神だけで勝てるはずがない。
300万人の犠牲をはらい領土も取られた。戦争はむなしい。
日本連投に原爆全部落とせば日本人消えてましたね。
戦わなかったらどうなってたか考えてみて。そんなコメントすら書けない国になってたんだぞ。降参したら勘弁してもらえるなどと思ってるんじゃない。アングロサクソンは甘くないぞ
@@sakuraji138
ABCD包囲網を敷かれてにっちもさっちもいかなくなった原因を作ったのは日本でしょうが。遂行する意味の無い日中戦争を継続させるために援蒋ルートを遮断する目的で南部仏印に進駐し、それがアメリカ等の反感を買ったわけですから。
@@sakuraji138 戦って負けた割にはコメント書けてて草
戦わず回避するのと戦って負けるのなら後者の方が悪い状況になるだろ ハル・ノート受け入れたよりも悪い状況になってるし笑
@@sakuraji138降伏したけど
NHKの国営放送の『本質』 この2023年夏に戦禍に散った人々・長崎・広島に黙とう。不戦の誓いを改めて誓う。
勘違いしてる方が多いが
ここに映ってるような女工さんは児童労働者ではなく正規の職人が大半ですよ
戦前の日本は紡績などを中心に女性職人は割といました
戦後に少ない少ないと言われたのはあくまでも米国より相対的に少なかっただけの話です
歴史を知らないと正しい結論にたどり着けませんよ
ここに映ってる女工の大半は動員だよ。だからこそのこのニュース映像で使ってる。
国家総動員の例として。
「御奉公の誠」「打ちてし止まん」だって、いやだなーこんな時代。えっ今もか?
戦争で工場の熟練工まで兵隊に出したため、勤労動員された「素人工」がおこなうので、まともな飛行機ができる訳がない。連合艦隊司令長官だった豊田副武大将が軍需工場を
視察した時、完成した飛行機を見たら、機体のリベットがポロポロ取れる「これで飛べるのか?」と思ったそうだが、考えてみれば熟練工が10年、20年やってきた事を素人工が
できる訳がない。そして工作機械の性能不良・台数自体の不足の問題もあった。勤労動員された人が扱う機械がアメリカ製のインチ仕様だったため、使いこなすのに苦労したと
言う。そして日本工業の「すそ野の狭さ」だろう。ドイツの場合、小さい町工場で部品を造り、大きな工場に運んで、最終組み立てをおこなう。たとえ空襲で大きな工場が破壊
されても別の大きな工場で、生産を続行できるが、日本の場合は「町工場」が少ないため、部品造りから完成までひとつの大工場で行う必要があったため、空襲でその工場が破
壊されれば、その兵器生産は、そのまま終了してしまう。その上大戦末期頃になると工業原料の不足が加わえる。これでは工業生産力がアメリカに追い付かないのは当然だろう
工業生産力だけでもアメリカに負けていた。
オマケにアメリカのしていたロット製品管理の概念も無かったらしい…
@@KENTAFURUYAMA 日本は、いわゆる「鍛冶屋」的工業ですから、熟練工の存在が重要だったのですが、その熟練工が居なくなるのは、工業生産としては痛いですね。
@@KENTAFURUYAMAロット管理とか、企画の統一意識が低かったり、守られない事もあったから同じ銃や機関銃でも部品交換や共食い整備が出来ず悲惨なことに…
部品が合うモノ同士を探したりする羽目になった。
もっと基礎科学に力いれるべきだった
13:30
安倍さんのおじいさん
手作業で作る日本と大量生産で数に勝るアメリカとの違いが強いね
お偉いさん方にもっとアメリカの生産能力の高さを冷静に評価できる人間がいれば、あんな割に合わん戦争しなかったのにね
偉い連中はわかってた人のほうが多かった。アメリカとの妥協を世論が許さなかったんだから仕方ない。いつの時代も日本人は国民がお客様気質。コロナ禍のときも自分達が剥き出しの感情論で公務員を叩いて有事の医療資源を縮小させてたのに負の遺産を押し付けられた側の政府を叩いてたりね。