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【訂正】18:50- 宣長の長男・春庭が失明したため、弟子の大平(おおひら)に家督を継がせました。そのあと、内遠(うちとお)、豊穎(とよかい)、長世(ながよ)と続きますので、長世さんは五代目となります。
万葉集に「言霊の幸わう国」とあったような。言葉を大切にすれば幸せになる、すべての物に魂が宿るという、日本古来からの精神文化。一言一言に願いがこもっているように感じる日本語(やまとことば)は美しい。義務教育期間は、子供達にもっと国語をと思います。国際人を目指す前に、良き日本人であって欲しいと思ってます。外来文化を理解するのも大切ですが、まず根っこを育てないと、根無し草になって誇りがなくなってしまうような気がします。先人達が哀しみます。
しきしまの 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ人麻呂が遣唐使に贈った歌ですね。
古事記が忘れ去られていたとは驚きです。同時に、伝統が途絶えそうになっても、志ある人が研鑽を積めば、思ったより多くのことができるという意味で希望を感じました。また、神道式の墓「だけ」を作れと頑なになるのではなく、仏教式のお墓もそれはそれで認める所に「やまとごころ」を感じました。
本居先生のこと単なる国学者と思ってましたか、すごいです。尊敬です。古事記がそんなに忘れられていたとは全く知りませんでした。こうやって市井の学者や人々の尽力があって私達は今様々な勉強ができるのだと思いました。本当にありがたいばかりです。
茂木先生日本には偉大な人が居られんですね。感謝です。ありがとうございます。
いかにも本居先生の奥墓らしい佇まいですね。苔むした石の階段、鳥の声、風の音シンプルだけど存在感あります。日本そのものな感じが致します。日本を日本足らしめている人々の想いを何とか次世代にも繋げていきたいです。桜の咲く頃にお参りしたいなぁ。茂木先生いつもありがとうございます。
いつも日本人の復古に氣づかされ、魂が共鳴し、心の奥から涙が溢れます。ありがとうございます。
平田篤胤公の本居宣長先生に対する強烈な憧憬は、理屈を超えた崇高で尊いものだと思いました。我々現代人は、日本や日本人を深く理解するためにも、英語など外国語よりも、寧ろ国学をもっと学ぶ必要があるのかも知れない。日本語の美しさや、日本人の持つ「もののあわれ」「大和心」の理解を疎かにして、一体誰がこの日本を守り繋いでいくのでしょうか・・・と改めて反省しています。
同感です。
本居宣長氏没後200年後に遺言通りのお墓が建てられ。其処を訪ねた茂木の声を通して宣長先生の意思を汲み取る事が出来ました。感動しました。そして御苦労でした。素晴らしい動画。個人的に【保存】したく思います。有難う御座います。
たおやめぶりとますらおぶり、なぜか胸があつくなりました。茂木先生ありがとうございます。
本居先生のことを何も知っていないことがわかりました。日本人として恥ずかしく思います。教えてくださり有難うございました。もっと学びたいと思います。私も奥墓にお参りに行きたいと思います。
配信感謝致します。古事記に失われていた期間があったとは思いもよりませんでした。本居先生によって広く国民が知る所となり、古事記なくしては日本史を語れないと思いますと、その功績は大変なものと思われます。動画を通して、茂木先生に大切な場所にいつも同行させて頂きありがとうございます。感謝致します。
勉強になりました!まさか古事記が江戸時代に一度忘れ去られていたとは思いもしませんでした、、、
奥墓があったのですね。知らなかった。願い通りの山気清い山桜のもとに眠っておられる。自分ではとても行けない奥墓ですので、配信が有難いです。改めて、美しい大和言葉を大切にしたいと思いました。
毎回勉強させていただいてます。ありがとうございます。先人のためにも子孫のためにも踏ん張りどころですね。
日本人として誇りを感じる事ができます、茂木先生ありがとう
いつも、ありがとうございます。茂木さん発信を樂しみにしてします。これからも、よろしくお願いします。😊
私も、本居宣長奥墓は2007年12月16日に訪問しました。たいへん懐かしく思い出しました。その他にも、特別史跡 本居宣長旧宅にもお邪魔しました。動画のアップありがとうございました。
GWは帯状疱疹で引きこもりでしたが、一緒に奥墓にお参りさせていただいた気持ちになれました。ありがとうございます。おくつきの 茂る草木 たおやめの 誠に誓う やまとごころよ
大変でしたね。お大事になさってください。
ありがとうございます🙏
「たおやめぶり」が本来の日本人らしさ、というところが興味深かったです。そこを深めるお話など聴けるとうれしいです。
茂木先生!本居宣長様の奥墓を紹介、お参りいただきありがとうございます。
ルネサンス時代のラテン語、ローマ時代の研究と古事記再発見の比較がとてもすとんと落ちました!宣長先生の古事記伝、日本のルネサンスですね!中国人は日本を中華文化圏だと思っている節があり、日本で春節が行われていないことに驚く人もいるとか。日本のナショナリズム、今こそ再々発見すべき時!先ほど我那覇さんの動画を拝聴してきたところで、そんな思いを強く持った次第です。学び多い配信をありがとうございます😊
お疲れ様です、古事記は恥ずかしながらこの年になってから勉強中であります。 皆さん息切れを指摘してますけど、階段上りながらレポートして一人で収録するのは想像以上に大変だと思います。単なるウォーキングとは全然違いますから ご自愛ください。
足元が大変な場所から解説して頂いて有難うございます!この方が居なかったら私も燻ったまま死んでいったかもしれません。有難い。この方はやっぱりスピリチュアルな人だと思います。
なぜでしょう、感動して涙が出そうになりましたこうして動画で多くの人に本居宣長先生の教えてくださった、古来のいえ、今も実は日本人が本来持っているやまとごころを知らせてくださっている。茂木先生も本居宣長先生の魂が受け継がれてお弟子さんになられているのでしょうね。素晴らしい動画をありがとうございました。いつか、馬渕睦夫先生と茂木先生の対談も見てみたい。馬渕睦夫さんもいつも「からごころ」「やまとごころ」の話をされます。
先日、222回目の奥墓墓前祭に参加させて頂きました。ありがとうございます。
古事記と万葉集の原文を読むのが好きです。本居宣長先生の奥墓を拝ませていただき、茂木先生に感謝いたします。やまとことばも勉強しなくちゃナと思いました。
貴重な動画、大変ありがとうございました。私も画面を通してですが、合掌をさせていただきました。再度お礼を申し上げます。
茂木先生、本居宣長の奥墓ご案内下さり有難うございます。岡野弘彦先生の源氏物語全講開(エンゼルカレッジ)の居り、度々本居宣長先生のお話しが有り、奥墓はどんな処かと思って居りました。桜時期は花が美しい、昭和?の改修の折にお墓の側に移築したとか………。
今この時代に新たな日本のルネサンスを!
素晴らしい内容です。『やまとことば』の音を大切にし たいですね!
やまとごころを取り戻せ、今も通じる言葉だと思います。本居宣長は中華思想からの脱却を目指しましたが、今の日本は西欧の思想に呑み込まれ掛かっています。やまとごころを今一度見直し、守っていきたいですね。
ありがとうございました。
中学生時代の遠足で2回ほど行ったことがあります。
日本の深奥にわけ入る、吸引力に満ちた、画面でした。小林秀雄先生の絶筆、《本居宣長》を、読んでみるつもりです。
故勝谷誠彦氏が「保守とはメンテナンスである」と言っておられたとか。氏への是非は別にして、動画を見ていてふと思い出しました。私は「汚れたら洗えばいい、壊れたら直せばいいの精神」と言っています。今も一柱としてこの国を見守って居られるんですね。有り難いことです。
この動画にはモグラが出てきますが、モグラは土中を常に掘り進みまくるイメージがありますが、モグラは保守的でご先祖の巣を常にメンテナンスをしながら子孫に引き継ぐらしいです。保守とはメンテナンスの事、をこの動画で示されていて不思議な感じがいたします。
先生いつも色々の興味深いお話ありがとうございます。このTH-camを見た後、偶然に「松阪市行政チャンネル」がリストに上がって来て、本居先生の生い立ちや業績が三話のTH-camにまとめられたものがありました。余り多くの試聴はされていませんでしたが良くまとめられたものでした。これも何かの導きかと。
たおやめ、美しい響きだなと感じました。それから、奥墓は、山深い中に静かに、そしてなんだか堂々と存在されているように感じました。山に守られているように思います。配信ありがとうございます。
いつもありがとうございます。今の日本人にも本居先生を紹介していただけるように、茂木先生に執筆頂けたら幸いです。
『日本思想マトリックス』、準備中です。
@@maomao96363 期待せざるを得ない
@@maomao96363 ありがとうございます!
本居宣長奥墓がご本人が望んだ通りに改修されたことを知りました。以前は、平田篤胤の名を刻んだ石碑がほんの1メートルほど開けて、本居宣長の墓碑に並んでいたのです。同じ高さでもありました。見せて頂いた歌碑ではありませんでした。私は、それを見て、大変不愉快だったことを覚えています。ありがとうございます。本当によかったです。
先生、感動しました〜‼️いつもありがとうございます😊
素晴らしい動画でした。
田舎はどこでもそうですけど、違和感がありますね。江戸時代の田舎の光景は、まったく違っていたでしょう。昭和時代と比較しても、森や林が暗くなりました。南方熊楠が鎮守の森を伐採しないでくれと訴えたわけですけど、本居宣長の奥墓でさえ、まわりの杉が百年経っていない。若い杉林です。小川も枯れてしまいました。本来の日本の森林は、こんな光景ではありません。空き地を放置すると、20年くらいで雑木林になり、そこから元気の良い広葉樹が大きく枝を張り出して大木になってゆきます。昭和時代には農家が元気だったので、広葉樹林の下草を刈っていました。明るい広葉樹林はとても美しいです。四季折々に様々な花が咲き、夏には虫たちの楽園になり、秋にはキノコや木ノ実が実ります。鳥たちの鳴き声が響き、リスやイノシシ、鹿の姿が見えます。しかしお金にはならない。建築に使える杉やヒノキが植えられて、今日の暗い森になりました。そして旧民主党時代に、コンクリートから人へ、の政策で、道路族の議員さんや官僚が排斥されました。外材の方が品質がいいですし、安いので、日本の針葉樹林はほったらかし状態。さすがに本居宣長の奥墓のまわりの杉は、手入れがされています。手前の杉林は荒れ放題ですね。広葉樹林でないので、菌根菌ネットワークも薄く、雨水を貯めておくこともできずに、小川が枯れました。真の保守ですが、まずは日本の森林を再生することから始めてほしい。森林浴をするのが楽しくてしかたない森を取り戻してほしいです。日本の国土の70パーセントは森林ですから、森林が元気でなれば、日本も元気になります。今の森林では、もののけも住めないよ。大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花。広葉樹林なら、若葉の時期に山桜は咲きますから、奥墓に朝日が入るんですけどね。宣長さんも、こんなはずじゃなかったと思って、墓の下で悲しんでいるでしょう。日光の東照宮のように数百年経った杉林ならわかりますが、そうした神社をモデルにして小さな神社の佇まいを考えるから、おかしなことになります。宣長さんがお墓を作ろうと思った時代の樹木は、一本もなさそうですね。
今の日本は明治維新および敗戦に匹敵するような大きな危機の中にあると思います。明治維新で洋才を取り入れて以来、日本人の中からどんどん和魂が失われ、もはや今だけ金だけ自分だけの情けない姿に成り下がってしまいました。今こそ日本人の本来の魂に立ち返る時です。私は最近『ホツマツタヱ』を学び始めました。記紀の元になった文献とも江戸期に書かれた偽書とも言われていますが、そこには日本人本来の伝統精神を再認識することができます。とにかく心が温かくなる内容です。わかりやすく解説した動画がyoutubeにありますのでおすすめです。
CGSでのお話、感動しました!😊
奥墓までどうも御足労いただき、ありがとうございます。
この参道は凄い。熊野古道を彷彿する。昨今の寺社改築も見習って欲しい。(弓月神社も今年灯籠など新築?され趣が無くなりました)神道式墓地は前方後円墳みたい。(前方後円墳といいながら教科書や資料の図上は必ず逆さまの円側を上にするのはなぜなのでしょう?)中華の侵食が随分以前からなのも初めて認識出来ました。感謝です。
参拝者から見て手前が「方」だからですね。
@@maomao96363 さまありがとうございます。 なるほど、納得です。
たおやめぶり深く学びたいと思いました。ありがとうございます。
ありがとうございました。古事記伝を購入して、冒頭の部分を読んでいますが、確かに頭が下がる思いがします。その宣長先生の奥墓に案内して頂き感激しました。
配信有り難うございました
日本思想史マトリックスで、国学を知り本居宣長先生の功績を理解できました。先生の本居宣長シリーズ(と言ってよいのか)は、先生の本居宣長先生に対する敬愛の思いが伝わり繰り返し拝見させて頂いています。やまとごころ、もののあわれ、とても素敵な言葉です。保守思想とはなにかも理解できました。右翼と保守でワンセット…ざけんな~っですねこれからも精力的なご活躍期待しておりますが、ご無理のないようお身体ご自愛下さい。
墓石に刻まれた「奥津城」と言う文字を数年前に霊園で幾つか見掛けて、神道式お墓の呼称であることを知った次第(何も知らずに数十年生きてきてしまった💦)。古語では奥墓と書くのですね。馬渕元大使も昨今、大和ごころと唐ごころのお話を重ねてされてらっしゃいますね。宣長翁が探し出して下さった埋もれていた「大和ごころ」を、その後明治の世から敗戦後にかけて、わたし達は再度失ってしまったということなんだろうなと感じています。
「たおやめぶり」と「ますらおぶり」とは対比のようでもありますが、陰陽の関係と言えないんですよね。陰陽思想は“からごころ”ですし。調和を図る、バランスを取るというよりは、「たおやめぶり」と「ますらおぶり」の両面を兼ね備えた民族性が日本人にはあるのかもしれません。人間とは矛盾を兼ね備えた存在ですからね。バランスをとると言うよりはそのアンビバレントな感情に揺られながら、時に雄々しく、時に優美であるのが日本人かもしれません。
「からごころ」は硬直した儒学思想のことですから、老荘思想、陰陽思想はむしろ「やまとごころ」と通じるものがあると感じます。
@@maomao96363 コメントありがとうございます。陰陽思想は朱子学の理気説などとの関係も鑑みて「からごころ」だと思っていましたが、成程考えてみれば確かに通じる部分もありますね。老荘思想のなかでも、特に荘子の思想は「やまとごころ」と似ている部分があります。四季の巡りなど変化する今を慈しみ、ありのままを受け容れる姿勢という点でですね。
【たおやめぶり】正にそうですね。神話に描かれた木花咲耶姫豊玉姫玉依姫象徴的です。大国主と沼河姫との相聞歌…❤これが縄文歌垣の世界観であり、万葉集へとつながってゆきます。古事記は歴史がそのまま書かれているわけではありません。政治的なことも、男女の歌にして書かれている凄い感性の書物だと思っています。宣長先生ありがとうございます♪茂木先生ご紹介ありがとうございます♪
静岡東部在住ですが、この辺りは神道の葬儀を上げる家庭が多いです。その理由は宝永噴火で生活の余裕がないから、お寺と付き合うのはお金がかかりすぎると檀家を止めて神道に変える家が多かったからだそうです。
なるほど!
すごい階段の数ですね😮
素敵な配信をありがとうございます🙏✨たおやめぶりわかる方は、ずーっと伝えようとされていらしたことに大変感銘を受けました。たおやめぶり♪(*´∇`*)口ずさみまーす♪それが1番大事〜♪( ´θ`)♪♪
茂木先生には、渡部昇一先生のプライベートライブラリー引き継いで欲しいです。本当の価値が分かるのは現代では茂木先生しか居ないと思います。頑張って下さい!
置き場所がありません😅
私も行ったことがある。小学校6年で母に連れられて鈴の屋に行った。当時はまた松阪市中にあった。60歳を過ぎて、(松坂城内に移転してから)2回記念館を訪ねた。3回目にこの奥津城を訪ねた。多分小林秀雄の『本居宣長』を読んでからだろう。宣長は紀州の徳川家へ進講に行った際帰路は旧美杉村に迂回して北畠家を訪ねている。北畠親房は後醍醐天皇に仕えた高官で『神皇正統記』を著した。その北畠に宣長の父が仕えている。また長谷川三千子『からごころ』日本精神の逆説 (中公文庫)も読んでますます宣長に関心を深めた。漢意とはまさにグローバリズムのこと。あの時代にやまとごころに覚醒した人物がいたのである。混迷を深める時代に茂木氏の動画は時宜にあったものだろう。
今が暗い夜明け前。でありますように祈
石畳の階段、本当に素敵ですね。 たおやめぶり、もののあわれ、素晴しい大和心ですね。でもそれで悪辣なグローバリストに戦えるのでしょうか? その辺りも教えていただきたいです。
外向きには「ますらおぶり」。大魔神です。
日本は中華文明圏ではなく独自の言語文学宗教を持っているんだよ のくだりで胸が熱くなりました毎々素晴らしい動画有難うございます余計なことですがスロージョグで心肺機能強化されてはいかがでしょうか、失礼いたしました
実際には30分くらい山道を登るんですが、動画では短くカットしてます。
奥墓を訪れたのが、3年前くらいだったかな。ちょうど昨日に仕事の帰りで近くを通りました。生粋の保守、日本男児を自認しております。一方数十年前から宇宙創造神の勉強もしており、日本神道よりはるかに奥深いものも感じております。これは対立するものではなく、霊魂の根源や目的は一致するものである、と浅学ながら思っております。特に古事記で伝える宇宙創造の過程は旧約聖書や中華の道書と全く違いがありません。国学、日本書記、古事記、縄文等は今回の人生でおそらく勉強する時間はないと思いますが、可能な限り心がけていくつもりであります。
茂木先生 拝礼の時、何を願ったのか?・・ 弟子の端に・・? 大変良い眼でした。関係ありませんが私の田舎では魚が釣れなかった時には「すでぶり」といいます。(笑)わたくしも今日は「たおやめぶり」を収穫いたしました。ありがとうございます。
『古事記』の精神、大和心。グローバルと國家との相剋。
せっかく三重県に住んでいるので、今年の春は奥墓に行って朝日に匂う山桜花を写真に収めてこようと思います。
二十年前後前、行きましたが、石や木の階段ではない、土嚢(オレンジ袋)の登りがあった。
ものすごく「奥」ですね。道中の植林の森が荒れているのが気になってしまいました。
本居長世は宣長の孫だと年代が合わない。孫ではなく来孫(五世孫)だったはず。
ご教示、ありがとうございます。固定コメントで訂正しました。
なんとなく西行さんのお墓みたいですね、うちの孫の小学校が近くにあります。僕たちもお城の方の書斎には何度か言ったことがあるんですが奥墓がここにあることは知りませんでした。今度孫と一緒に行ってみま~す
西行さんの墓、残っているんですね!
私も西行のお墓を思い出していました。間を何メートルか空けて、西行を慕う お名前を忘れましたが、その方のお墓が向かいあって建っていました。独りで行ったのですが、別の時空に行きそうな気がふっとしました。気のせいです。
🌸 茂木先生、見た感じ強面。(笑) でも、何処かしら品位の高さが醸し出されて、、。🌿 奥墓お参り後、三歩下がって背を見せず。🍀 本物は何気無い所作の中に現れる。🌼 当に!敬礼 申し上げます。🌿
茂木先生、坂を登るのが辛そうなので「ナンバ歩き」を習得することを勧めます。youtubeに動画たくさんあります。
これで合ってますか?th-cam.com/video/-5myS5AJ1t4/w-d-xo.html
@@maomao96363 この動画です
江戸時代には古事記は忘れられていた!
奥津城がみえた瞬間、『宣長先生が、泣いている』ように感じました(泣)
日本神話に帰依してたんだねえ
よた話しに取られても構わないですが仏教の神様はそれ以前からいる神様を敬ってましたよ~ 間借りしているとも言ってました 真相は判りません 考える程の知恵も知識もありませんがすんなり入ってきましたよ 見えないからないなんて間違いですよ 世の中は見えるものだけで出来ている訳じゃないんですよね~今は体験出来たことに感謝してます。
そういうことではなくて純潔日本文明の神髄は何か?に興味があったのではないですか渡来人や渡来宗教や渡来文化が、日本で侵略的だったか親和的だったかはあまり関係ない問題でしょう
@@トワスト総研 様 議論をする気はありません 自分が感じてそう思うことを言った迄です。
青森県の碧猫舎から→「奥津城」有難うございました!本居宣長からの「神霊廟」大切なもの確認させて頂きました。動画配信への感謝を申し上げます!【碧猫の尻尾研究所】2023/7/7七夕まつり
昭和32年生まれです。親父は特攻志願(しかなかった?)だったそうです。山桜が好きと言っていました。俺は親父のようには成りたくないと生きてきました。彼は、何を見、何を勉強し、何になろうとしたのでしょうか。ありがとうございます。お袋は存命です(92歳)大切にしたいと思いますナショナリズムとグローバリズム(?)地政学じゃないけど平等なんてない。WinWinなんでないと思うけど、お互いに搾取しないで尊重しあえるようにオープンに言いたいことを言えば良いのに!
茂木先生、いつも世界史の授業を拝見させてもらっています。動画とは関係ないのですが、アメリカと民主党と共和党が2つとも党のイメージと逆の外交をしてしまうのはなぜでしたっけ?例えば、平和そうなオバマ大統領は戦争を平然とやったり抑圧的なトランプ大統領はあまり戦争をしませんでした。先生の授業で見た気がするのですが探しても出てきません。ご回答のほうよろしくお願いします
戦争は「相手」がいるからです。相手からアメリカがどう見られるか、ということです。
14:06む、ムネオ先生…!?北方領土問題の経緯や鈴木宗男先生の話についても動画にしていただければ嬉しいです
紀貫之の古今和歌集 仮名序を想起しました。「やまとうたは 人の心を種として よろずの言の葉とぞ なれりける・・・・・・花に鳴く鶯、水に住むかわづの声を聞けば、生きとし生きるもの いづれか歌をよまざりける・・・・・・
神道の墓石は上部が扁平ではなく三角形だそうです。本居宣長扇の墓石の上部が三角にとがって見えますが、どうでしょうか?映画天外者(てんがらもん)故三浦春馬さん主演作品の主人公の江戸末期実業家・五代友厚が神道の形で葬儀が行われ墓石も神道式です。墓石は今、中国から輸入がするしかなく、とても高値でもあります。神道の埋葬を復活させてはどうでしょうか。日本の石、小さい物、木製で交換を繰り返すなど方法はあると思います。本居宣長の神道の復活がなかったら、日本はどうなっていたでしょう。
なんで泣けるのだろう…
本居先生が幕末いらっしゃったらどうなってましたかね?! 本居先生のお墓:神式があるのは知りませんでした:教えて頂きありがとうございます。私も お墓はまではいらないですが、神式のお葬式が良いな~!(お骨の形でない遺灰は故郷の山谷でも)。ところで、いわれは色々あるようですが、位牌は古式神道由来と聞きましたがどうなんでしょう?)
私も散骨してもらいます。位牌は鎌倉以降の習慣のようですね。
馬渕大使とか田中英道先生とかがよく言ってる思想ですね、江戸時代でもからごころだったのですね、明治になって脚光を浴びたのかなぁ、知らんけど以前2600年ばかり聞く皇紀が気になって皇紀2500年とかググると江戸時代なので明治にできた皇紀はまだないとか言われてなんだかなぁでした、みんな勝手なことばかり言っててよくわからんです
皇紀は近代の産物です。
@@maomao96363 御指導ありがとうございます!ま、まさか、たみのかまどの話も…(震え
安倍元首相の外交はたおやめぶりでしたね。素晴らしい大和魂外交だったと私は思っています。
もぐらさえ 教えを乞うや 奥墓の山路に問える 我が国の元
現在の人類学的知見によれば、日本人は3回に分けて列島に移住してきており、それぞれ縄文人、弥生人、古墳人とされている。縄文人は琉球民族やアイヌ民族と関連が深く、弥生人・古墳人はいわゆる大和民族と関連が深い。そして今多くの移民が来日しているが、これが第4の日本人となれば、日本人という概念、日本人の持つ性質も変化していくだろう。そのような中で「本来の保守」というものを規定していくことは困難を伴うと私には思われる。
1:34 山室に千年の春の宿しめて風にしられぬ花をこそ見ぬでは意味が通らない。係り結びにもなっていない。山室に千年の春の宿しめて風にしられぬ花をこそ見めが正しい。
古事記ではなくカタカムナに出会っていたらどうなっていたのだろう、アマテル神はマスラオ心とするのか。
秋田県人です。秋田出身の平田篤胤は本居宣長を崇敬した国学者。秋田県民歌の歌詞にも登場する偉大な人物。なのに、秋田大学裏にあるお墓は周辺整備もされず粗末なものです。おそらく、秋田藩が、奥羽越列藩同盟から脱退することになった攘夷思想や、明治に入り廃仏毀釈運動を進めた新政府の政策に影響を与えたことで、その後、特に終戦後は神道思想を排除しようとするアメリカの洗脳もあり、秋田県ではほとんど評価されていないのだと思います。いまこそ必要なのに、残念!
【訂正】18:50- 宣長の長男・春庭が失明したため、弟子の大平(おおひら)に家督を継がせました。そのあと、内遠(うちとお)、豊穎(とよかい)、長世(ながよ)と続きますので、長世さんは五代目となります。
万葉集に「言霊の幸わう国」とあったような。言葉を大切にすれば幸せになる、すべての物に魂が宿るという、日本古来からの精神文化。一言一言に願いがこもっているように感じる日本語(やまとことば)は美しい。義務教育期間は、子供達にもっと国語をと思います。国際人を目指す前に、良き日本人であって欲しいと思ってます。外来文化を理解するのも大切ですが、まず根っこを育てないと、根無し草になって誇りがなくなってしまうような気がします。先人達が哀しみます。
しきしまの 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ
人麻呂が遣唐使に贈った歌ですね。
古事記が忘れ去られていたとは驚きです。同時に、伝統が途絶えそうになっても、志ある人が研鑽を積めば、思ったより多くのことができるという意味で希望を感じました。
また、神道式の墓「だけ」を作れと頑なになるのではなく、仏教式のお墓もそれはそれで認める所に「やまとごころ」を感じました。
本居先生のこと単なる国学者と思ってましたか、すごいです。尊敬です。古事記がそんなに忘れられていたとは全く知りませんでした。
こうやって市井の学者や人々の尽力があって私達は今様々な勉強ができるのだと思いました。本当にありがたいばかりです。
茂木先生日本には偉大な人が居られんですね。感謝です。ありがとうございます。
いかにも本居先生の奥墓らしい佇まいですね。苔むした石の階段、鳥の声、風の音シンプルだけど存在感あります。日本そのものな感じが致します。日本を日本足らしめている人々の想いを何とか次世代にも繋げていきたいです。桜の咲く頃にお参りしたいなぁ。茂木先生いつもありがとうございます。
いつも日本人の復古に氣づかされ、魂が共鳴し、心の奥から涙が溢れます。ありがとうございます。
平田篤胤公の本居宣長先生に対する強烈な憧憬は、理屈を超えた崇高で尊いものだと思いました。
我々現代人は、日本や日本人を深く理解するためにも、英語など外国語よりも、寧ろ国学をもっと学ぶ必要があるのかも知れない。
日本語の美しさや、日本人の持つ「もののあわれ」「大和心」の理解を疎かにして、一体誰がこの日本を守り繋いでいくのでしょうか・・・と改めて反省しています。
同感です。
本居宣長氏没後200年後に遺言通りのお墓が建てられ。其処を訪ねた茂木の声を通して宣長先生の意思を汲み取る事が出来ました。感動しました。そして御苦労でした。素晴らしい動画。個人的に【保存】したく思います。有難う御座います。
たおやめぶりとますらおぶり、なぜか胸があつくなりました。茂木先生ありがとうございます。
本居先生のことを何も知っていないことがわかりました。日本人として恥ずかしく思います。教えてくださり有難うございました。もっと学びたいと思います。私も奥墓にお参りに行きたいと思います。
配信感謝致します。
古事記に失われていた期間があったとは思いもよりませんでした。
本居先生によって広く国民が知る所となり、古事記なくしては日本史を語れないと思いますと、その功績は大変なものと思われます。
動画を通して、茂木先生に大切な場所にいつも同行させて頂きありがとうございます。感謝致します。
勉強になりました!
まさか古事記が江戸時代に一度忘れ去られていたとは思いもしませんでした、、、
奥墓があったのですね。知らなかった。願い通りの山気清い山桜のもとに眠っておられる。自分ではとても行けない奥墓ですので、配信が有難いです。改めて、美しい大和言葉を大切にしたいと思いました。
毎回勉強させていただいてます。
ありがとうございます。
先人のためにも
子孫のためにも
踏ん張りどころですね。
日本人として誇りを感じる事ができます、茂木先生ありがとう
いつも、ありがとうございます。茂木さん発信を樂しみにしてします。これからも、よろしくお願いします。😊
私も、本居宣長奥墓は2007年12月16日に訪問しました。たいへん懐かしく思い出しました。その他にも、特別史跡 本居宣長旧宅にもお邪魔しました。動画のアップありがとうございました。
GWは帯状疱疹で引きこもりでしたが、一緒に奥墓にお参りさせていただいた気持ちになれました。ありがとうございます。
おくつきの 茂る草木 たおやめの 誠に誓う やまとごころよ
大変でしたね。お大事になさってください。
ありがとうございます🙏
「たおやめぶり」が本来の日本人らしさ、というところが興味深かったです。そこを深めるお話など聴けるとうれしいです。
茂木先生!本居宣長様の奥墓を紹介、お参りいただきありがとうございます。
ルネサンス時代のラテン語、ローマ時代の研究と古事記再発見の比較がとてもすとんと落ちました!宣長先生の古事記伝、日本のルネサンスですね!
中国人は日本を中華文化圏だと思っている節があり、日本で春節が行われていないことに驚く人もいるとか。
日本のナショナリズム、今こそ再々発見すべき時!先ほど我那覇さんの動画を拝聴してきたところで、そんな思いを強く持った次第です。
学び多い配信をありがとうございます😊
お疲れ様です、古事記は恥ずかしながらこの年になってから勉強中であります。
皆さん息切れを指摘してますけど、階段上りながらレポートして一人で収録するのは想像以上に大変だと思います。単なるウォーキングとは全然違いますから ご自愛ください。
足元が大変な場所から解説して頂いて有難うございます!
この方が居なかったら私も燻ったまま死んでいったかもしれません。
有難い。
この方はやっぱりスピリチュアルな人だと思います。
なぜでしょう、感動して涙が出そうになりました
こうして動画で多くの人に本居宣長先生の教えてくださった、古来のいえ、今も実は日本人が本来持っているやまとごころを知らせてくださっている。
茂木先生も本居宣長先生の魂が受け継がれてお弟子さんになられているのでしょうね。
素晴らしい動画をありがとうございました。
いつか、馬渕睦夫先生と茂木先生の対談も見てみたい。馬渕睦夫さんもいつも「からごころ」「やまとごころ」の話をされます。
先日、222回目の奥墓墓前祭に参加させて頂きました。
ありがとうございます。
古事記と万葉集の原文を読むのが好きです。
本居宣長先生の奥墓を拝ませていただき、茂木先生に感謝いたします。
やまとことばも勉強しなくちゃナと思いました。
貴重な動画、大変ありがとうございました。私も画面を通してですが、合掌をさせていただきました。再度お礼を申し上げます。
茂木先生、本居宣長の奥墓ご案内下さり有難うございます。岡野弘彦先生の源氏物語全講開(エンゼルカレッジ)の居り、度々本居宣長先生のお話しが有り、奥墓はどんな処かと思って居りました。桜時期は花が美しい、昭和?の改修の折にお墓の側に移築したとか………。
今この時代に新たな日本のルネサンスを!
素晴らしい内容です。『やまとことば』の音を大切にし たいですね!
やまとごころを取り戻せ、今も通じる言葉だと思います。
本居宣長は中華思想からの脱却を目指しましたが、今の日本は西欧の思想に呑み込まれ掛かっています。
やまとごころを今一度見直し、守っていきたいですね。
ありがとうございました。
中学生時代の遠足で2回ほど行ったことがあります。
日本の深奥にわけ入る、吸引力に満ちた、画面でした。
小林秀雄先生の絶筆、《本居宣長》を、読んでみるつもりです。
故勝谷誠彦氏が「保守とはメンテナンスである」と言っておられたとか。
氏への是非は別にして、動画を見ていてふと思い出しました。
私は「汚れたら洗えばいい、壊れたら直せばいいの精神」と言っています。
今も一柱としてこの国を見守って居られるんですね。有り難いことです。
この動画にはモグラが出てきますが、モグラは土中を常に掘り進みまくるイメージがありますが、モグラは保守的でご先祖の巣を常にメンテナンスをしながら子孫に引き継ぐらしいです。保守とはメンテナンスの事、をこの動画で示されていて不思議な感じがいたします。
先生いつも色々の興味深いお話ありがとうございます。
このTH-camを見た後、偶然に「松阪市行政チャンネル」がリストに上がって来て、本居先生の生い立ちや業績が三話のTH-camにまとめられたものがありました。
余り多くの試聴はされていませんでしたが良くまとめられたものでした。これも何かの導きかと。
たおやめ、美しい響きだなと感じました。
それから、奥墓は、山深い中に静かに、そしてなんだか堂々と存在されているように感じました。
山に守られているように思います。
配信ありがとうございます。
いつもありがとうございます。
今の日本人にも本居先生を紹介していただけるように、茂木先生に執筆頂けたら幸いです。
『日本思想マトリックス』、準備中です。
@@maomao96363 期待せざるを得ない
@@maomao96363 ありがとうございます!
本居宣長奥墓がご本人が望んだ通りに改修されたことを知りました。以前は、平田篤胤の名を刻んだ石碑がほんの1メートルほど開けて、本居宣長の墓碑に並んでいたのです。同じ高さでもありました。見せて頂いた歌碑ではありませんでした。私は、それを見て、大変不愉快だったことを覚えています。ありがとうございます。本当によかったです。
先生、感動しました〜‼️
いつもありがとうございます😊
素晴らしい動画でした。
田舎はどこでもそうですけど、違和感がありますね。江戸時代の田舎の光景は、まったく違っていたでしょう。昭和時代と比較しても、森や林が暗くなりました。南方熊楠が鎮守の森を伐採しないでくれと訴えたわけですけど、本居宣長の奥墓でさえ、まわりの杉が百年経っていない。若い杉林です。小川も枯れてしまいました。本来の日本の森林は、こんな光景ではありません。空き地を放置すると、20年くらいで雑木林になり、そこから元気の良い広葉樹が大きく枝を張り出して大木になってゆきます。昭和時代には農家が元気だったので、広葉樹林の下草を刈っていました。明るい広葉樹林はとても美しいです。四季折々に様々な花が咲き、夏には虫たちの楽園になり、秋にはキノコや木ノ実が実ります。鳥たちの鳴き声が響き、リスやイノシシ、鹿の姿が見えます。しかしお金にはならない。建築に使える杉やヒノキが植えられて、今日の暗い森になりました。そして旧民主党時代に、コンクリートから人へ、の政策で、道路族の議員さんや官僚が排斥されました。外材の方が品質がいいですし、安いので、日本の針葉樹林はほったらかし状態。さすがに本居宣長の奥墓のまわりの杉は、手入れがされています。手前の杉林は荒れ放題ですね。広葉樹林でないので、菌根菌ネットワークも薄く、雨水を貯めておくこともできずに、小川が枯れました。真の保守ですが、まずは日本の森林を再生することから始めてほしい。森林浴をするのが楽しくてしかたない森を取り戻してほしいです。日本の国土の70パーセントは森林ですから、森林が元気でなれば、日本も元気になります。今の森林では、もののけも住めないよ。大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花。広葉樹林なら、若葉の時期に山桜は咲きますから、奥墓に朝日が入るんですけどね。宣長さんも、こんなはずじゃなかったと思って、墓の下で悲しんでいるでしょう。日光の東照宮のように数百年経った杉林ならわかりますが、そうした神社をモデルにして小さな神社の佇まいを考えるから、おかしなことになります。宣長さんがお墓を作ろうと思った時代の樹木は、一本もなさそうですね。
今の日本は明治維新および敗戦に匹敵するような大きな危機の中にあると思います。明治維新で洋才を取り入れて以来、日本人の中からどんどん和魂が失われ、もはや今だけ金だけ自分だけの情けない姿に成り下がってしまいました。今こそ日本人の本来の魂に立ち返る時です。私は最近『ホツマツタヱ』を学び始めました。記紀の元になった文献とも江戸期に書かれた偽書とも言われていますが、そこには日本人本来の伝統精神を再認識することができます。とにかく心が温かくなる内容です。わかりやすく解説した動画がyoutubeにありますのでおすすめです。
CGSでのお話、感動しました!😊
奥墓までどうも御足労いただき、ありがとうございます。
この参道は凄い。熊野古道を彷彿する。昨今の寺社改築も見習って欲しい。(弓月神社も今年灯籠など新築?され趣が無くなりました)
神道式墓地は前方後円墳みたい。(前方後円墳といいながら教科書や資料の図上は必ず逆さまの円側を上にするのはなぜなのでしょう?)
中華の侵食が随分以前からなのも初めて認識出来ました。感謝です。
参拝者から見て手前が「方」だからですね。
@@maomao96363 さま
ありがとうございます。 なるほど、納得です。
たおやめぶり
深く学びたいと思いました。ありがとうございます。
ありがとうございました。古事記伝を購入して、冒頭の部分を読んでいますが、確かに頭が下がる思いがします。その宣長先生の奥墓に案内して頂き感激しました。
配信有り難うございました
日本思想史マトリックスで、国学を知り本居宣長先生の功績を理解できました。
先生の本居宣長シリーズ(と言ってよいのか)は、先生の本居宣長先生に対する敬愛の思いが伝わり繰り返し拝見させて頂いています。
やまとごころ、もののあわれ、とても素敵な言葉です。
保守思想とはなにかも理解できました。
右翼と保守でワンセット…
ざけんな~っですね
これからも精力的なご活躍期待しておりますが、ご無理のないようお身体ご自愛下さい。
墓石に刻まれた「奥津城」と言う文字を数年前に霊園で幾つか見掛けて、神道式お墓の呼称であることを知った次第(何も知らずに数十年生きてきてしまった💦)。
古語では奥墓と書くのですね。
馬渕元大使も昨今、大和ごころと唐ごころのお話を重ねてされてらっしゃいますね。宣長翁が探し出して下さった埋もれていた「大和ごころ」を、その後明治の世から敗戦後にかけて、わたし達は再度失ってしまったということなんだろうなと感じています。
「たおやめぶり」と「ますらおぶり」とは対比のようでもありますが、陰陽の関係と言えないんですよね。陰陽思想は“からごころ”ですし。
調和を図る、バランスを取るというよりは、「たおやめぶり」と「ますらおぶり」の両面を兼ね備えた民族性が日本人にはあるのかもしれません。
人間とは矛盾を兼ね備えた存在ですからね。バランスをとると言うよりはそのアンビバレントな感情に揺られながら、時に雄々しく、時に優美であるのが日本人かもしれません。
「からごころ」は硬直した儒学思想のことですから、老荘思想、陰陽思想はむしろ「やまとごころ」と通じるものがあると感じます。
@@maomao96363 コメントありがとうございます。
陰陽思想は朱子学の理気説などとの関係も鑑みて「からごころ」だと思っていましたが、成程考えてみれば確かに通じる部分もありますね。
老荘思想のなかでも、特に荘子の思想は「やまとごころ」と似ている部分があります。四季の巡りなど変化する今を慈しみ、ありのままを受け容れる姿勢という点でですね。
【たおやめぶり】
正にそうですね。
神話に描かれた
木花咲耶姫
豊玉姫
玉依姫
象徴的です。
大国主と沼河姫との相聞歌…❤
これが
縄文歌垣の世界観であり、
万葉集へとつながってゆきます。
古事記は
歴史がそのまま
書かれているわけではありません。
政治的なことも、
男女の歌にして書かれている
凄い感性の書物だと思っています。
宣長先生
ありがとうございます♪
茂木先生
ご紹介ありがとうございます♪
静岡東部在住ですが、この辺りは神道の葬儀を上げる家庭が多いです。その理由は宝永噴火で生活の余裕がないから、お寺と付き合うのはお金がかかりすぎると檀家を止めて神道に変える家が多かったからだそうです。
なるほど!
すごい階段の数ですね😮
素敵な配信をありがとうございます🙏✨
たおやめぶり
わかる方は、ずーっと伝えようとされていらしたことに
大変感銘を受けました。
たおやめぶり♪(*´∇`*)
口ずさみまーす♪
それが1番大事〜♪( ´θ`)♪♪
茂木先生には、渡部昇一先生のプライベートライブラリー引き継いで欲しいです。本当の価値が分かるのは現代では茂木先生しか居ないと思います。頑張って下さい!
置き場所がありません😅
私も行ったことがある。小学校6年で母に連れられて鈴の屋に行った。当時はまた松阪市中にあった。60歳を過ぎて、(松坂城内に移転してから)2回記念館を訪ねた。3回目にこの奥津城を訪ねた。多分小林秀雄の『本居宣長』を読んでからだろう。宣長は紀州の徳川家へ進講に行った際帰路は旧美杉村に迂回して北畠家を訪ねている。北畠親房は後醍醐天皇に仕えた高官で『神皇正統記』を著した。その北畠に宣長の父が仕えている。また長谷川三千子『からごころ』日本精神の逆説 (中公文庫)も読んでますます宣長に関心を深めた。漢意とはまさにグローバリズムのこと。あの時代にやまとごころに覚醒した人物がいたのである。混迷を深める時代に茂木氏の動画は時宜にあったものだろう。
今が暗い夜明け前。でありますように祈
石畳の階段、本当に素敵ですね。 たおやめぶり、もののあわれ、素晴しい大和心ですね。でもそれで悪辣なグローバリストに戦えるのでしょうか? その辺りも教えていただきたいです。
外向きには「ますらおぶり」。大魔神です。
日本は中華文明圏ではなく独自の言語文学宗教を持っているんだよ のくだりで胸が熱くなりました
毎々素晴らしい動画有難うございます
余計なことですがスロージョグで心肺機能強化されてはいかがでしょうか、失礼いたしました
実際には30分くらい山道を登るんですが、動画では短くカットしてます。
奥墓を訪れたのが、3年前くらいだったかな。ちょうど昨日に仕事の帰りで近くを通りました。生粋の保守、日本男児を自認しております。一方数十年前から宇宙創造神の勉強もしており、日本神道よりはるかに奥深いものも感じております。これは対立するものではなく、霊魂の根源や目的は一致するものである、と浅学ながら思っております。特に古事記で伝える宇宙創造の過程は旧約聖書や中華の道書と全く違いがありません。国学、日本書記、古事記、縄文等は今回の人生でおそらく勉強する時間はないと思いますが、可能な限り心がけていくつもりであります。
茂木先生 拝礼の時、何を願ったのか?・・ 弟子の端に・・? 大変良い眼でした。
関係ありませんが私の田舎では魚が釣れなかった時には「すでぶり」といいます。(笑)
わたくしも今日は「たおやめぶり」を収穫いたしました。ありがとうございます。
『古事記』の精神、大和心。グローバルと國家との相剋。
せっかく三重県に住んでいるので、今年の春は奥墓に行って朝日に匂う山桜花を写真に収めてこようと思います。
二十年前後前、行きましたが、石や木の階段ではない、土嚢(オレンジ袋)の登りがあった。
ものすごく「奥」ですね。
道中の植林の森が荒れているのが気になってしまいました。
本居長世は宣長の孫だと年代が合わない。孫ではなく来孫(五世孫)だったはず。
ご教示、ありがとうございます。固定コメントで訂正しました。
なんとなく西行さんのお墓みたいですね、うちの孫の小学校が近くにあります。
僕たちもお城の方の書斎には何度か言ったことがあるんですが奥墓がここにあることは知りませんでした。
今度孫と一緒に行ってみま~す
西行さんの墓、残っているんですね!
私も西行のお墓を思い出していました。間を何メートルか空けて、西行を慕う お名前を忘れましたが、その方のお墓が向かいあって建っていました。独りで行ったのですが、別の時空に行きそうな気がふっとしました。気のせいです。
🌸 茂木先生、見た感じ強面。(笑) でも、何処かしら品位の高さが醸し出されて、、。🌿 奥墓お参り後、三歩下がって背を見せず。🍀 本物は何気無い所作の中に現れる。🌼 当に!敬礼 申し上げます。🌿
茂木先生、坂を登るのが辛そうなので「ナンバ歩き」を習得することを勧めます。youtubeに動画たくさんあります。
これで合ってますか?
th-cam.com/video/-5myS5AJ1t4/w-d-xo.html
@@maomao96363
この動画です
江戸時代には古事記は忘れられていた!
奥津城がみえた瞬間、『宣長先生が、泣いている』ように感じました(泣)
日本神話に帰依してたんだねえ
よた話しに取られても構わないですが仏教の神様はそれ以前からいる神様を敬ってましたよ~ 間借りしているとも言ってました 真相は判りません 考える程の知恵も知識もありませんがすんなり入ってきましたよ 見えないからないなんて間違いですよ 世の中は見えるものだけで出来ている訳じゃないんですよね~今は体験出来たことに感謝してます。
そういうことではなくて
純潔日本文明の神髄は何か?に興味があったのではないですか
渡来人や渡来宗教や渡来文化が、日本で侵略的だったか親和的だったかはあまり関係ない問題でしょう
@@トワスト総研 様 議論をする気はありません 自分が感じてそう思うことを言った迄です。
青森県の碧猫舎から→「奥津城」有難うございました!本居宣長からの「神霊廟」大切なもの確認させて頂きました。動画配信への感謝を申し上げます!【碧猫の尻尾研究所】2023/7/7七夕まつり
昭和32年生まれです。親父は特攻志願(しかなかった?)だったそうです。山桜が好きと言っていました。俺は親父のようには成りたくないと生きてきました。彼は、何を見、何を勉強し、何になろうとしたのでしょうか。ありがとうございます。お袋は存命です(92歳)大切にしたいと思います
ナショナリズムとグローバリズム(?)地政学じゃないけど平等なんてない。WinWinなんでないと思うけど、お互いに搾取しないで尊重しあえるようにオープンに言いたいことを言えば良いのに!
茂木先生、いつも世界史の授業を拝見させてもらっています。動画とは関係ないのですが、アメリカと民主党と共和党が2つとも党のイメージと逆の外交をしてしまうのはなぜでしたっけ?例えば、平和そうなオバマ大統領は戦争を平然とやったり抑圧的なトランプ大統領はあまり戦争をしませんでした。先生の授業で見た気がするのですが探しても出てきません。ご回答のほうよろしくお願いします
戦争は「相手」がいるからです。相手からアメリカがどう見られるか、ということです。
14:06
む、ムネオ先生…!?
北方領土問題の経緯や鈴木宗男先生の話についても動画にしていただければ嬉しいです
紀貫之の古今和歌集 仮名序を想起しました。
「やまとうたは 人の心を種として よろずの言の葉とぞ なれりける・・・・・・花に鳴く鶯、水に住むかわづの声を聞けば、生きとし生きるもの いづれか歌をよまざりける・・・・・・
神道の墓石は上部が扁平ではなく三角形だそうです。本居宣長扇の墓石の上部が三角にとがって見えますが、どうでしょうか?
映画天外者(てんがらもん)故三浦春馬さん主演作品の主人公の江戸末期実業家・五代友厚が神道の形で葬儀が行われ墓石も神道式です。
墓石は今、中国から輸入がするしかなく、とても高値でもあります。
神道の埋葬を復活させてはどうでしょうか。日本の石、小さい物、木製で交換を繰り返すなど方法はあると思います。
本居宣長の神道の復活がなかったら、日本はどうなっていたでしょう。
なんで泣けるのだろう…
本居先生が幕末いらっしゃったらどうなってましたかね?! 本居先生のお墓:神式があるのは知りませんでした:教えて頂きありがとうございます。
私も お墓はまではいらないですが、神式のお葬式が良いな~!(お骨の形でない遺灰は故郷の山谷でも)。ところで、いわれは色々あるようですが、位牌は古式神道由来と聞きましたがどうなんでしょう?)
私も散骨してもらいます。位牌は鎌倉以降の習慣のようですね。
馬渕大使とか田中英道先生とかがよく言ってる思想ですね、江戸時代でもからごころだったのですね、明治になって脚光を浴びたのかなぁ、知らんけど
以前2600年ばかり聞く皇紀が気になって皇紀2500年とかググると江戸時代なので明治にできた皇紀はまだないとか言われてなんだかなぁでした、みんな勝手なことばかり言っててよくわからんです
皇紀は近代の産物です。
@@maomao96363 御指導ありがとうございます!ま、まさか、たみのかまどの話も…(震え
安倍元首相の外交はたおやめぶりでしたね。素晴らしい大和魂外交だったと私は思っています。
もぐらさえ 教えを乞うや 奥墓の
山路に問える 我が国の元
現在の人類学的知見によれば、日本人は3回に分けて列島に移住してきており、それぞれ縄文人、弥生人、古墳人とされている。縄文人は琉球民族やアイヌ民族と関連が深く、弥生人・古墳人はいわゆる大和民族と関連が深い。そして今多くの移民が来日しているが、これが第4の日本人となれば、日本人という概念、日本人の持つ性質も変化していくだろう。そのような中で「本来の保守」というものを規定していくことは困難を伴うと私には思われる。
1:34
山室に千年の春の宿しめて風にしられぬ花をこそ見ぬ
では意味が通らない。係り結びにもなっていない。
山室に千年の春の宿しめて風にしられぬ花をこそ見め
が正しい。
古事記ではなくカタカムナに出会っていたらどうなっていたのだろう、アマテル神はマスラオ心とするのか。
秋田県人です。秋田出身の平田篤胤は本居宣長を崇敬した国学者。秋田県民歌の歌詞にも登場する偉大な人物。なのに、秋田大学裏にあるお墓は周辺整備もされず粗末なものです。おそらく、秋田藩が、奥羽越列藩同盟から脱退することになった攘夷思想や、明治に入り廃仏毀釈運動を進めた新政府の政策に影響を与えたことで、その後、特に終戦後は神道思想を排除しようとするアメリカの洗脳もあり、秋田県ではほとんど評価されていないのだと思います。いまこそ必要なのに、残念!