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何だかんだ言っても日本型蒸機ではC51こそが至高の名機。
ご視聴いただきありがとうございます。名機はC59ですが、至高の名機はC51ですね!
C51はさぞかし優美だったでしょうね。動く姿を見てみたいです。
ご視聴頂きありがとうございます。優美と言うとC54と似てますね。早岐のC51。古いファンの方々が、C51/54が一番と言うのが最近良くわかるようになってきました。
C51の晩年を扱った動画/書籍は見た事が無く今回最高の動画でした。化粧煙突の意味など知らなかった事も多く勉強になりました。S40年代まで残った数両はATS装着で自分としては馴染み深い晩年の姿です。又キハ02が登場するとは思いもしませんでした。佐々機関区で佇んでいる写真が昔からすきでした。
ご視聴頂きありがとうございます。ご興味にミートしたことをとてもうれしく思います。C51とともにその当時の情景も失われましたので、今回だけでなく、これからも蒸気だけでなくそういうシーンも一緒に登場させてみようと思っています。
C51? 大丈夫、モチロン大好きですよ。写真でしか見たこと無いけど、デフが無い頃の姿が好きですね。美しい機関車だと思います。
ご視聴いただきありがとうございます。デフがない頃は18900でしょうか。C51は改造が多く様々見ていて興味深い機関車です。
C51形は保存機が僅か2両しか無いですが(他にカット化された保存機が2両あったみたいですが、既に解体された模様です)その2両が良好な状態で残っているのが慰めですね。動画にある改造内容は本当に様々で興味深く拝見させていただきました。基本ベースが良かった為に時代の流れや路線に合わせた様々な改造が行われたと言えるでしょうね。
ご視聴頂きありがとうございます。C51はロイヤルエンジンですから、その特集も組んでみたいです。今回のように批判覚悟で動画にすれば、議論が高まって皆さん興味を持ってくれると思っています。知っている方々がご健在なうちに古い機関車はどしどしやって行こうと思います。
C51は一番好きな機関車です。(父と兄はC53が好きでした。)C51は18900を名乗っていた頃のデフ無し、給水温め器なし、真空ブレーキ(ランボードがフラット)、螺子式連結器の姿を原型。煙突後ろに本省式給水温め器、空気式ブレーキ(ランボードが2段)、自動連結器を備えた姿を準原型と云ってよいと思います。デフは斜めにカットしていない姿、煙突は化粧煙突に継ぎ足しをした姿が好きです。お召装備も各機関区によって異なっていましたがいずれも「絵になる美しさ」でした。お召装備がこれ程似合う機関車は他になかったのではないでしょうか。特に東鉄の239号機と伊勢機関区の100号機が好きでした。(100号機はランボードの手摺が横1段で縦はアーチを描くようになっていました。煙室前に配管が来る伊勢地区のC51にマッチしていました。)父は何度か品川でお召装備のC51を見た事があったようで「模型の機関車かと思う程ピカピカして綺麗だった。当時(戦前)は機関車を凝視していると憲兵から叱られたので横目でしか見れなかったけど、そりゃ見事だった!」と語っておりました。梅小路の239号機がお召装備に戻ったのは良い事だと思いますが、どうせならば徹底して戻して欲しかったですね。鳳凰の飾りはC59108の物なのでC51には派手過ぎる気がします。
ご視聴いただきありがとうございます。また詳細な楽しいお話をお聞かせいただきありがとうございます。一般人が写真で鉄道情景や汽車の姿を残すことが始まったのは戦後でしょうから、18900の普段の姿があまり残っておらず目に触れることができないのは残念です。C51は数も多く、ロイヤルエンジンでしたから多くの方々の記憶にあると思います。私はここで公開することで、もっと現実的にC51を見ていただくことでファンになってもらいと言うのがこの動画の趣旨です。こういったことがこのチャンネルの使命だとも思っています。ちなみにお召ですと私はC59のほうが好きです。
C51とC59がお召牽引機の双璧ですね。古典機C51はモニタ屋根で木製の12号編成、究極のパシフィック機C59は切妻屋根で鋼製の2代目1号編成(現:3号編成)が似合うと思っています。モダン&スマート過ぎるC57に御料車は似合わないような気がします。子供の頃、交通博物館で最初に買ってもらった御土産がC51のタペストリー(手拭?)でベッドの枕元に貼っていました。昭和の御大典を含む104回ものお召運用、超特急「燕」牽引、国鉄を代表する機関車だと思います。
そうなんですよね。私はC51は恐れ多くて、あーだこーだ評論するのがためらわれるのです。
自分は大宮だと屋根もあるし安心です崖崩れで横転なんてないでしょうし
C51 好きです!! C51 のシンプルな姿やC57 と似てる長い煙突が似てるのが好きですね!
給水温め機を煙突の後ろに置いているところと、細いボイラーとスポーク動輪が好きなんです。
C51はクラシックなデザインが結構好みだったりします。戦前の原型にデフを取り付けたスタイルが個人的に好きですが、戦後に改造を重ねた姿も、使い込まれた感じがあり、中々、味わい深いです。あと、1:55のディーゼルカーですが、キハ35ではなくキハ25(キハ20系の片運転台バージョン)ですね。キハ20系は両運転台しか見たことがないので、このキハ25も珍しいと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。今回登場したのはお召を前年にけん引した亀山の176号以外みんな使い込まれた感じですね。それもなかなかいい味を出しています。キハ25の件は教えていただきありがとうございます。原版を再確認したのですが、3にも2にも見えますがおっしゃる内容でキハ25ということで理解いたしました。ありがとうございます。
C51は煙突など、丸っこいデザインが暖かみがあって良いですね。C55やC57みたいなカッチリしたデザインの機関車も格好良いですけど。
鉄道模型大好きおじさん 、ご視聴頂きありがとうございます。大正の機関車はみんな古さと重厚さを兼ね備えたスタイルで大好きです。
ヤバい・・・カッコ良すぎだよ、あと動画内に映ってた車両達が俺の心のツボを刺激しまくりだよ〜(たまらん)
ご視聴いただきありがとうございます。ご関心のある車両たちと動画の内容がミートしたことは嬉しく思います。
たまらん位いいね〜
初めて買って貰った鉄道模型(HOゲージ)がキハ02でした。そんな運用があったんですね。
昭和45年ぐらいまでは、日本は鉄道を中心に経済が回っていたような気がします。ですから、バスより絶対線路のある鉄道が良いと思う気持ちがみんなに刷り込まれていたんですね。
私の特に好きな蒸気機関車はC51 C53 D50 9600 で、強いて比較的近代機を挙げるとすれば C59でしょうか。そして最も好きな形式は確実にC51。特に266号機と276号機が心に残っています。確かに給水加熱器無しの18900に近い形が最も優美だとは思いますが、燕を牽引した頃の給水加熱器有りの力強いフォルムと、デフ無し、カンテラみたいな初期型ヘッドライト付きに魅かれます。正直申せばボックス動輪やパイプ煙突には・・・です。(笑)小学生の頃毎日の様に見かけていましたが、いつの間にかC57に置き換えられてしまい、なんだか寂しい思いをした事を思い出します。 私にとっての貴婦人はやっぱり絶対にC57では無くてC51なんです。
ご視聴いただきありがとうございます。意見が同じところがあって嬉しいです。私はC59が国鉄の中では最も好きです。またC57貴婦人は違うでしょう?と思っています。C51は好きとか嫌いとかを超越した存在ですね。ロイヤルエンジンでしょうか。そうこう考えているとC54がかなり好きになっていました。
C51といえば、御召専用機の239号機もさることながら、やはり超特急『燕』の牽引機としてのイメージが強いですね。後ろにミキを引き連れて走行中の乗務員交代、後補機の走行開放など、考え得るあらゆる手を尽くして所要時間の短縮を図った鉄道省の意地を感じる列車ですね。
toshi horichiさん、ご視聴いただき本当にありがとうございました。標準軌論争に終止符を打ったとされるC51ですので、C51がなければ日本は標準軌とナローゲージになっていたかもしれません。
C51の本線現役時代は見たことがありません。私が撮り鉄を始めた頃はもう全廃でした😅ちょっと遅かったです。もうこの機関車が本線を走ることはありえないですよね?大井川鐵道さんが復元してくれたら良いですね!C61 20は日豊本線で現役客車牽引しているところは写真撮ってますが・・
ご視聴いただきありがとうございます。C51は良くできたパシフィックで、東京でも成田線ではC57の前がそうでした。結局、C55,C57に追われていったのですが、DD51に追われた後継機より幸せだったのでしょう。
中型パシフィック好きなんですよね均整が取れてて綺麗ですし
ご視聴頂きありがとうございます。C51が登場した当時は重量級だったのでしょう。結果としてC54-55-57と改良がくわえられていくわけですが、急行用機関車としてはC62に通じていると思っています。
@@Yukkuri-Lab たしかに登場当初は軸重の重さから主要幹線にしか入れなかったようですしそれが原因でC54の登場につながっていますからねとはいえバランスの取れたシルエットや綺麗なスポーク輪などは個人的にどストライクですね
早岐の219号の絵を見ていただくとお分かりのように、このように改造するとC54にそっくりですね。動輪もC54は強化され一本多くて。給水温め機も目立たないので、C54って良いなぁと思っています。でもC51のメカメカしたところはぞくぞくしますよね。
@@Yukkuri-Lab C54の過渡期的な外見もいいですけどもC51のメカメカしさ全開だけど美しさもあるっていうのがいいんですよね
エプロンの傾斜が特徴だね。車幅、胴太さ、高さのバランスが綺麗でスポーク動輪が繊細でいいね
ご視聴頂きありがとうございます。まさに黄金比ですね。スポークも良いのですが、ボックス化された姿も別の機関車みたいで良く見ると良いなぁって思います。
後ろのDCはキハ25です。
ご視聴頂きありがとうございます。先ほど視聴者様よりご指摘ありネガを確認したら2とも3とも読めたので、間違えてしまいました。ご指摘ありがとうございます。またよろしくお願いいたします。
お疲れ様です。趣味誌でも余り取り上げられることが少ないC51.、資料集め大変でしたでしょうね。京都駅の山陰線側の様子、懐かしい風景です。ところで、京都駅には1番線ホームが無いんですよ。1番線は東海道上り本線で貨物が通過するんですよね。昔は線番号とホームナンバーが違った為、業務放送と旅客案内放送が同じ線に対して違う数字になり混乱が。それで1番線から左に分岐していた線に接するホームを0番に。他の駅のように1番ホームの本屋側に作られた0番線とはちょっと意味が違うんです。現在は全て整理され線番とホームは一致してます。
ご視聴頂き有難うございます。京都駅はそれだけで番組が組めるようですしさまざまな方がアップしていますね。京都駅は細かなところに昔の面影が残っていて良いですね。
@@Yukkuri-Lab 様C51に関しては全くといって良いほど知識が無く、土崎工に教習用に切開された1両が有ったくらいしか。
そうですね。梅小路の239号は綺麗にしていますので見てやってください。土崎のは44号機で人体解剖のようなカットモデルですよね。それにもかからわずかなり状態が酷いようで。どうするつもりなんでしょうね?
@@Yukkuri-Lab 様梅小路は子供が大きくなってからは行く機会が無く、その内に一度とは思ってました。オープン当時に比べて施設が充実しているようなので楽しみです。
梅小路オープン当時は煙もくもくで本物の機関区より煙たかったですよ。周りの雰囲気も現役時代とあまり変わらなかったです。先日10年ぶりぐらいに行ってかなり驚きました。
スエ29904!ツイートで拝見しました。特急用28400系の生き残りまで撮られてるのすごいです。
たまたま映っていただけです。早岐は良いところでしたよ。
スポーク動輪の世界華麗なる パシフィックC51・54・55(誠文堂新光社)出版の写真集が素晴らしい!
さすらいのアルバトロスさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はC54のアンバランスなスタイルと美しい動輪が好きです。
私の地元は熊本ですが、同じ九州内で活躍したSLやレールバスが登場して嬉しかったです❗😆ループ線は水上線が現役ですが、九州内には休止中の肥薩線、廃止された山野線があります。機会があれば、動画を見たいです😊
ご視聴いただきありがとうございます。昔の時刻表の鉄道地図を見ると九州のループ線が目立っていましたね。肥薩線はどうして当時ハゲ山だったのでしょうね?植林がされていなかった。撮影には便利だったですが、以前にも豪雨で大畑駅埋まってしまいましたが(その時の岩が残っている)、現在は復旧も急がないようで鉄道に対する期待度が相当低くなったんだなぁと思っています。
C51は廃車が早かったので現役では見ていません。見たのは梅小路の239と門司駅構内に放置されていた62のみ。鉄道ファンに以前現役時代の62と青梅にある9608との交換場面の写真があった。撮影は勿論大御所の西尾克三郎氏
SKTさん、ご視聴頂きありがとうございます。C51の最後は吉松でなんか最後がC51のイメージとずれるのですね。C51の九州の活躍の動画も是非ご覧ください。
主要幹線から地方線まで、どこにいてもクラシックで品のある機関車ですね。ダブルループ客車の優等列車を引いている姿や地方幹線の普通列車まで颯爽として夢があります。企画ありがとうございました!解体前の赤錆たC51しか知らないので、本当に楽しい動画です。
ご視聴頂き有難う御座います。気に入っていただき有難うございます。かなり古くてマニアックな内容になりすぎたかなと思ってます。80歳ぐらいのファンの方ですとピンとくるでしょうね。機関車がもし動いても取り巻く情景が現在だと中々しっくり行かないので、周りの情景も一緒に見てもらおうと思いました。
C51は、大正時代にデビューしたので、当時は18900形と名乗ったが、昭和の初めになると新形式に改めてました。そのため、改称後は新製時からC51を名乗るようになりました。
久保さん、ご視聴頂きありがとうございます。ALCOから輸入した8900をベースにしたから18900なんでしょうね。
私はC-54のファンです
ご視聴いただきありがとうございます。私もC54は好きです。
C51の晩年期は私の幼少期C55より記憶は曖昧ながら微かながら覚えています。半世紀前の1972(昭和47)年の鉄道ファンの5月号の中でC51に関する記事や写真も掲載されておりました!
いつもご視聴頂きありがとうございます。C51は急行旅客用の礎を築いた機関車ですから、その偉業とともに忘れないようにしたいと思います。
レールバスは最初に買ったエンドウのHOだったよ
ご視聴頂きありがとうございます。別の方もそう仰っていましたので、模型のレールバスは人気あるのですね。
C51と言ったらなんと言っても特急燕。東京=大坂を8時間20分で結ぶと言った計画で、客車は7両編成、水、石炭の補充による時間のロスを減らす為テンダーを二両連結、直ぐに専用の給水車が造られた。後に丹那トンネルが開通して更に8時間に短縮された。
芋谷さん、ご視聴ありがとうございました。そうなんですね、超特急燕の速さの要因は車両の軽さが、一つのキーです。戦後のつばめは鋼体車両ですからかなり重いはずで、C51では全くダメだったのです。
九州のC51と言えば……長崎への原爆投下の直後に爆心地近くまで一番乗りして、救援活動に挺身した 68号機(当時 長崎区所属)もいましたね。
ご視聴いただきありがとうございます。そのお話を入れようと思いましたが、写真が入手できずに諦めました。いつか取り上げたい良いお話ですね。
亀山に居た225号機を生で見てみたかったその頃生まれてませんけど化粧煙突にスポーク動輪、239のように小さくもなく大鉄式のように大きくもないデフ、そして形式入りナンバープレート…個人的には最も美しい機関車だと思っています
ご視聴頂きありがとうございます。形式プレートの有無とはどのような基準で決まるのでしょうね?(お召は別として)亀山は末期には機関車がかなり汚れていて、名門機関区が残念なことになりました。
C51の化粧煙突とパイプ煙突化の理由、239号機の天井部など、今回も興味深い内容の動画をありがとうございます。最後のセリフは、自分は大幹線から都落ちしたんじゃなくて、軌道の改良強化を促し日本各地に活躍の場を広げていったんだというC51のプライドがチラ見えしますね(笑)
いつもご視聴頂きありがとうございます。最後のセリフは、C62なんか改造車じゃないか!と次回以降の伏線を貼りました。C62もC51に対して、燕を速く牽けたのは、牽引定数が少ないからだろ!という言葉を一応年長者に気を配って飲み込んだものです。
2コブと、8620譲りのランボード周りの曲線デザインが好感です。と、化粧煙突の方が格好が良いですね。ただ、ボイラー径に対して給水温め器がデカく見えてしまうのが、なんとも....
ご視聴頂きありがとうございます。たしかに給水温め器が無い梅小路のC51はすっきりしていますね。テンダーにそれを格納したタイプもあるとか。そちらが良いですね。
C51形といえば私は真っ先に水槽車ミキ20形を連結した「超特急燕」を連想します。・・・C51形に会いたくなった・・・!
ご視聴頂きありがとうございます。燕は前回の動画でやったので、今回は地方幹線に絞ってみました。そちらも是非ご覧ください。
ローカル線にも入線出来たので長く活躍出来た、ということなのでしょうか?🙄もしもそうだとしたら、8620や9600は本当に凄いと思います。🙇改造形態の種類も多くて、色々調べるのは、めちゃくちゃ大変そうですね。😂昭和41年まで活躍とのことですが、優等列車はいつ頃まで牽引していたのか、それも気になります。👀優等列車牽引の華やかな姿も見てみたいです。💓
ご視聴頂きありがとうございます。ローカル線というより地方の幹線ですね。軸重は重くC61よりありますから、支線では無理だったことでしょう。改造を一つ一つ調べるのも楽しいでしょう。優等列車ですが、軸重が災いし甲線ではC53、C59の登場に取って代わられましたが、関西本線では動画の中の参宮快速を補機として押していた程度でしょうか?早岐や長崎のC51が急行を牽引したという記事は見たことが無いので、それらはC57が担当していたでしょう。
@@Yukkuri-Lab 様、返信ありがとうございます。軸重がC61よりも重いのはビックリしました。😲やっぱり、C51よりも新しくて性能が高い機関車はたくさん有るので、優等列車の仕事は割と早く無くなってしまったのは、しょうがないのでしょうね。😢
C61の軸重の軽さは異常です。尤も重量は重いです。
@@Yukkuri-Lab 様、2軸従台車の威力は抜群、ということですね。🧐
C61の従台車にはNSKの転がり軸受使っていますしね。
昔の京都駅の山陰線ホームはやたらと糞便臭くて近付きたくない場所だった記憶がある。今は・・・どうなんだろうか?
ご視聴いただきありがとうございます。確かにそうですね!嫌なこと思い出しました。やっぱり山陰なんだなぁ、と。
C51に成りましたがこれは此れで良かったかもしれませんね🐤つばめを引いたC53C55の流線形とか有ったらお願いします
ご視聴頂きありがとうございます。低視聴率覚悟ですが、今回も好きなように作ってみました。
C515号機がさいたま大宮鉄道博物館とC51239号機が京都鉄道博物館にお召し列車仕様で静態保存されている。C51239号機は、EF5861号機が登場するまで、250回以上のお召し列車牽引回数を誇る。晩年は、山陰本線で生涯を閉じる。お召し列車牽引回数の多さが決め手となり、梅小路蒸気機関車館、現在の京都鉄道博物館に保存されている。
いつもご視聴頂きありがとうございます。C51はいかがだったでしょうか?ほとんどの方々見たことが無い機関車でなじみが薄いのですが、関心は高いですね。第一線を退くと何で南や北に行くのでしょうね?これからの時代では地方から都会にお古が回るようになるかもしれませんね。
@@Yukkuri-Lab 様、最後のC622号機の怒りが面白い。「私こそが、栄光の急行列車牽引蒸気機関車だ‼️😠💢忘れてもらっては、困る‼️💢😡」とC51形を牽制していた。次回は、栄光の急行ニセコ号C622号機で行きましょう。
内緒ですが、今週末は2号機を取り上げようかと。北海道に左遷され悲嘆に暮れるところからスタートしようかなと思います。いかがでしょう?
@@Yukkuri-Lab 様、東海道本線全線電化開業から、スタートですか。ここから行きましょう。
京都の気動車は、キハ20だけどC51 の晩年期 正面から見ると昭和生まれのカマに見える。ても、化粧煙突からパイプ煙突の違い、ボックス動輪の改造してあるけど、キャブ形状は、やっぱり古典機なんだよな と、つくづく思う。昭和41年で全滅 蒸気全滅まで数年の差でしかないけど、あちこちからC57の転配で押し出されたのでは仕方ない。晩年、京都、九州、新潟にしかいなかった。のは知らなかった。
ご視聴いただきありがとうございます。気動車のことですが視聴者様より、「キハ35ではなくキハ25(キハ20系の片運転台バージョン)ですね。』とご指摘いただき解説で訂正させていただきました。キャブ形状で大正の機関車と分かりますね。最後の吉松のC51の中にはC57のキャブと交換しているものがあって、これは殆どC51とは言えないなぁと思いました。蒸気はどうやっても寿命が25〜35年ぐらいでしょうか?主要幹線ではさらに短いでしょうから、C51も地方で延命ということでは長く持った方かもしれません。
うおっしゃーC51だー!
ご視聴頂きありがとうございます。最後の場面見ていただけましたでしょうか?そこがエッセンスで次につながるところです。
@@Yukkuri-Lab 次の動画はC62だという伏線?
華中鉄道のC51も気になります。
ご視聴頂きありがとうございます。華中鉄道のことは、前回のC51で詳しく取り上げましたので、是非ご覧ください。
この後に続く国産蒸気機関車の基本形であり、ある意味限界。焚口はチェーン式で、左手でチェーンを握って開け閉めして、右手で小スコップを握って投炭した。それも、東海道の優等列車で。後継機は足踏み弁で蒸気で開閉、そして両手シャベルで投炭出来る様になった。それは皆で苦労して実績と意見をあげたからなんだろうなぁ。元青梅、現大宮の5号機。梅小路の239号機。239号機は、平成から令和への改元記念にお召し仕様に装備されて、『特別企画展 鉄路を駆け抜けた鳳凰〜お召し列車と貴賓室』での主役の一角を担った。5号機は、青梅鉄道公園から大宮の鉄道博物館に移転(栄転?)後は、天井も低い片隅に追いやられて、少し不憫。(C57 135が目立ちすぎ)
ご視聴頂きありがとうございます。C51の焚口チェーンでしたね。機関助手の重労働って半端なかったですね。投炭訓練のニュースみてこれはやりたくないなぁと思いました。ただどうなんでしょう、東海道の優等列車にはカロリーの高い石炭だったはずで、定数も低いので一旦スピードが乗ると石炭をくべ続けているわけではないのでは?
@@Yukkuri-Lab 「国内生産の石炭の1/4は鉄道省が使用する」「鉄道省の予算の1/5は石炭代」と言われ、「石炭節約」「経費節減」「黒煙防止」が至上命題だったから、片手スコップによる少量ずつの等間隔の投炭が推奨されたと聞いています。両手シャベルが使える車両でも、客車が9両を超えていない場合は、両手シャベルの使用は禁止されていたと聞きますし、両手シャベルが使えないC51の機関助士は相当に過酷な投炭を強いられ、機関士は慎重な蒸気の使用を心がけていたのではないかなと思います。C51は優美な外観な分、火室やボイラーが小さく、蒸気発生量にも限界があるので、使い慣れていたとは言っても、C53やC59への交代は、時代の流れだったのでしょうね。
機関車の石炭について動画をやってみようと思い調べたことがあります。まさにおっしゃる通りですね。私も特に「黒煙防止」というスローガンが頭にあったので、後期のSLブームで訳もなく黒煙を吐いてくれるアピールには違和感がありました。たなびくようなグレーの煙が一番格好いいと思っています。ですから、現役時代の写真を見ると意識して撮っていないこともあり爆煙写真が少ないんです。ニセコあれは別ですね。
特に理由は無いのですがC51は新潟エリアの印象が強いです。ボックス動輪された機体がそれなりにありますが、交換が必要になった際「どうせ同じサイズなんだからボックス動輪でいいだろ」なのでしょうか?
いつもご視聴頂きありがとうございます。ボックス動輪一対をC57から持ってきてボルトオンで使えたとは思えず、台枠も違いますので専用に作り直したはずです。C54の19本スポーク動輪だったらそのまま装着できたと思いますが。たしかにその例はあったようです。そもそも交換するような時代になったらスポーク動輪は製造できなかったのではないかな?と思っています。
ワタクシの おじいちゃんが天皇をお乗せして C51を動かしていました。おじいちゃんと赤羽に住んでましたが 尾久に機関区があるから おじいちゃんは赤羽に家を建てたんだ!と気がつきました。普段は都内に5輌あったC62の機関士でした。(╹◡╹)
コロコロ DIY派さん、ご視聴頂きありがとうございます。お召し列車の機関士さん!すごいお話!嬉しいです。勤務中は宮内庁職員になられるのですよね。C62は常磐線ですね。映画「ある機関助士」と同じ勤務先なんですね。一時期尾久にはC59もいました。C62が上野から高崎まで高崎線を走ったかどうか確証が無く、お聞きしたかったです。上野から常磐線にかけてのC62のことは度々動画にしていますので、是非ご覧になってください。
@@Yukkuri-Lab ありがとうございます。戦時中は赤羽に停車中に母たち姉妹が機関車に やみ米を受け取りに行ったと聴いています。客車だと憲兵に見つかってしまうので!(╹◡╹)
ショート動画を上げました。昔からある高そうな おぼんをひっくり返してみたら⁉️(╹◡╹)あらぁ
私の家もコメと野菜の交換(@埼玉・千葉)で和服が全て無くなりました。
@@Yukkuri-Lab おじいちゃんは仕事の話を全くしなくて…。でも模型屋さんの前から おじいちゃんが動かなくなって何を見てるのか?と思ったら C62の模型を見てボクが動かしてた機関車だ。と❗️ワタクシはが おじいちゃんが C62の機関士だったと知った瞬間でした。(╹◡╹)
スエ29904の写真のツイートでの会話見ました。みなさん詳しいですね
電車、気動車、客車、貨車は私は動画で論じるほどの知見が無いのが良くないなぁと思っています。
@@Yukkuri-Lab 機関車一筋なんですね。私の周りには全部好きな人が多いので逆に新鮮に感じます。
さらに我儘言わせていただいて、DLはDF50、ELはEF58、EH10以外は好きではありません。
@@Yukkuri-Lab マジですか。どこで好みが分かれるんですか?
やはり蒸気は出かける頻度=金をかける優先順位が高いので、ELだったらまぁいいやとかですね。頻度が下がれば会う回数も減るので愛着も減ると言うことでしょう。旅費と写真代が膨大にかかる趣味ですから。DLは蒸気を追いやったやつなので最初から好きではないですが、DF50はELに似ているからまぁ良いかなと。ただレア物は日本人の常としてなんでも興味あります。
C51の化粧煙突はあまり意味がなかったんですね😅でもあの曲線美が好きです。それにしても61の初期の流線形は💦
ご視聴いただきありがとうございます。化粧煙突は機能的には意味がなかったようですが、お召機はちゃんと付けていましたから「化粧」という役目では重要だったのかもしれませんね。私も8620も9600、D50/60もやはり化粧煙突の方を良く写真撮っていましたので、パイプ煙突よりインパクトがあったと思います。
梅小路のC51も何とか再整備して動態保存機となり、構内だけでもいいからカマに火を入れて自力走行させてもらいたいものです。
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路にのは殆どドンガラですからまぁ無理ではないでしょうか?新製した方が早いかもです。
@@Yukkuri-Lab さんなるほど、「テセウスのC51」ですね(笑)
静態保存機って…、ドンガラになってるんですか?ボイラーはムリでも、空気圧で動かせる様にしてもらえたら嬉しいですね。先日40年振りに京都へ行って来ましたが、連結機が固定されてたのがショックでした…。
新潟の国鉄の鉄道学園の教習用だったと思いますが、土に還る前に梅小路で展示することになりました。一応外回りは立派になりましたが、ボイラーやシリンダーはそのままですので、火を入れることはあり得ないでしょう。今のC62-1号機と同じようなものだと思います。
Cにも、51形があるのですね………。今日は、瀬野川公園のD51 720号蒸気機関車に会いに行ってきましたのでよろしかったら見に来てください。🙏お願いします。🙏
いつもご視聴頂きありがとうございます。後で見に行きますね。
C51も、廃車が1966年と比較的早く、保存機が少なく残念です。写真を見ていると、みなどこか改造されていますね。オリジナルを見かけません。
C51動画も見ていただきありがとうございます。奈良駅の亀山のC51はお召機ということもありほぼ原形だと思います。
もう、40年位前に青梅の239が土砂崩れで転落した時はショックでした。あ、訂正で5号でしたね。
ご視聴頂きありがとうございます。私もショックでした。その頃は地元に近かったので。あの辺りは山を切り開いた造成地だったのでそもそもヤバい場所なんですよ。でも239でなくて、5号機ですよね。
何だかんだ言っても日本型蒸機ではC51こそが至高の名機。
ご視聴いただきありがとうございます。
名機はC59ですが、至高の名機はC51ですね!
C51はさぞかし優美だったでしょうね。動く姿を見てみたいです。
ご視聴頂きありがとうございます。
優美と言うとC54と似てますね。早岐のC51。古いファンの方々が、C51/54が一番と言うのが最近良くわかるようになってきました。
C51の晩年を扱った動画/書籍は見た事が無く今回最高の動画でした。化粧煙突の意味など知らなかった事も多く勉強になりました。S40年代まで残った数両はATS装着で自分としては馴染み深い晩年の姿です。又キハ02が登場するとは思いもしませんでした。佐々機関区で佇んでいる写真が昔からすきでした。
ご視聴頂きありがとうございます。ご興味にミートしたことをとてもうれしく思います。C51とともにその当時の情景も失われましたので、今回だけでなく、これからも蒸気だけでなくそういうシーンも一緒に登場させてみようと思っています。
C51? 大丈夫、モチロン大好きですよ。
写真でしか見たこと無いけど、デフが無い頃の姿が好きですね。
美しい機関車だと思います。
ご視聴いただきありがとうございます。デフがない頃は18900でしょうか。C51は改造が多く様々見ていて興味深い機関車です。
C51形は保存機が僅か2両しか無いですが(他にカット化された保存機が2両あったみたいですが、既に解体された模様です)その2両が良好な状態で残っているのが慰めですね。
動画にある改造内容は本当に様々で興味深く拝見させていただきました。
基本ベースが良かった為に時代の流れや路線に合わせた様々な改造が行われたと言えるでしょうね。
ご視聴頂きありがとうございます。C51はロイヤルエンジンですから、その特集も組んでみたいです。今回のように批判覚悟で動画にすれば、議論が高まって皆さん興味を持ってくれると思っています。知っている方々がご健在なうちに古い機関車はどしどしやって行こうと思います。
C51は一番好きな機関車です。(父と兄はC53が好きでした。)
C51は18900を名乗っていた頃のデフ無し、給水温め器なし、真空ブレーキ(ランボードがフラット)、螺子式連結器の姿を原型。
煙突後ろに本省式給水温め器、空気式ブレーキ(ランボードが2段)、自動連結器を備えた姿を準原型と云ってよいと思います。
デフは斜めにカットしていない姿、煙突は化粧煙突に継ぎ足しをした姿が好きです。
お召装備も各機関区によって異なっていましたがいずれも「絵になる美しさ」でした。お召装備がこれ程似合う機関車は他になかったのではないでしょうか。特に東鉄の239号機と伊勢機関区の100号機が好きでした。(100号機はランボードの手摺が横1段で縦はアーチを描くようになっていました。煙室前に配管が来る伊勢地区のC51にマッチしていました。)
父は何度か品川でお召装備のC51を見た事があったようで「模型の機関車かと思う程ピカピカして綺麗だった。当時(戦前)は機関車を凝視していると憲兵から叱られたので横目でしか見れなかったけど、そりゃ見事だった!」と語っておりました。
梅小路の239号機がお召装備に戻ったのは良い事だと思いますが、どうせならば徹底して戻して欲しかったですね。鳳凰の飾りはC59108の物なのでC51には派手過ぎる気がします。
ご視聴いただきありがとうございます。また詳細な楽しいお話をお聞かせいただきありがとうございます。一般人が写真で鉄道情景や汽車の姿を残すことが始まったのは戦後でしょうから、18900の普段の姿があまり残っておらず目に触れることができないのは残念です。C51は数も多く、ロイヤルエンジンでしたから多くの方々の記憶にあると思います。私はここで公開することで、もっと現実的にC51を見ていただくことでファンになってもらいと言うのがこの動画の趣旨です。
こういったことがこのチャンネルの使命だとも思っています。
ちなみにお召ですと私はC59のほうが好きです。
C51とC59がお召牽引機の双璧ですね。
古典機C51はモニタ屋根で木製の12号編成、究極のパシフィック機C59は切妻屋根で鋼製の2代目1号編成(現:3号編成)が似合うと思っています。
モダン&スマート過ぎるC57に御料車は似合わないような気がします。
子供の頃、交通博物館で最初に買ってもらった御土産がC51のタペストリー(手拭?)でベッドの枕元に貼っていました。
昭和の御大典を含む104回ものお召運用、超特急「燕」牽引、国鉄を代表する機関車だと思います。
そうなんですよね。私はC51は恐れ多くて、あーだこーだ評論するのがためらわれるのです。
自分は大宮だと屋根もあるし安心です
崖崩れで横転なんてないでしょうし
C51 好きです!! C51 のシンプルな姿やC57 と似てる長い煙突が似てるのが好きですね!
給水温め機を煙突の後ろに置いているところと、細いボイラーとスポーク動輪が好きなんです。
C51はクラシックなデザインが結構好みだったりします。戦前の原型にデフを取り付けたスタイルが個人的に好きですが、戦後に改造を重ねた姿も、使い込まれた感じがあり、中々、味わい深いです。あと、1:55のディーゼルカーですが、キハ35ではなくキハ25(キハ20系の片運転台バージョン)ですね。キハ20系は両運転台しか見たことがないので、このキハ25も珍しいと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。今回登場したのはお召を前年にけん引した亀山の176号以外みんな使い込まれた感じですね。それもなかなかいい味を出しています。キハ25の件は教えていただきありがとうございます。原版を再確認したのですが、3にも2にも見えますがおっしゃる内容でキハ25ということで理解いたしました。ありがとうございます。
C51は煙突など、丸っこいデザインが暖かみがあって良いですね。
C55やC57みたいなカッチリしたデザインの機関車も格好良いですけど。
鉄道模型大好きおじさん 、ご視聴頂きありがとうございます。
大正の機関車はみんな古さと重厚さを兼ね備えたスタイルで大好きです。
ヤバい・・・カッコ良すぎだよ、あと動画内に映ってた車両達が俺の心のツボを刺激しまくりだよ〜(たまらん)
ご視聴いただきありがとうございます。ご関心のある車両たちと動画の内容がミートしたことは嬉しく思います。
たまらん位いいね〜
初めて買って貰った鉄道模型(HOゲージ)がキハ02でした。そんな運用があったんですね。
昭和45年ぐらいまでは、日本は鉄道を中心に経済が回っていたような気がします。
ですから、バスより絶対線路のある鉄道が良いと思う気持ちがみんなに刷り込まれていたんですね。
私の特に好きな蒸気機関車はC51 C53 D50 9600 で、強いて比較的近代機を挙げるとすれば C59でしょうか。
そして最も好きな形式は確実にC51。特に266号機と276号機が心に残っています。
確かに給水加熱器無しの18900に近い形が最も優美だとは思いますが、燕を牽引した頃の給水加熱器有りの
力強いフォルムと、デフ無し、カンテラみたいな初期型ヘッドライト付きに魅かれます。
正直申せばボックス動輪やパイプ煙突には・・・です。(笑)
小学生の頃毎日の様に見かけていましたが、いつの間にかC57に置き換えられてしまい、なんだか寂しい思い
をした事を思い出します。 私にとっての貴婦人はやっぱり絶対にC57では無くてC51なんです。
ご視聴いただきありがとうございます。意見が同じところがあって嬉しいです。私はC59が国鉄の中では最も好きです。またC57貴婦人は違うでしょう?と思っています。C51は好きとか嫌いとかを超越した存在ですね。ロイヤルエンジンでしょうか。
そうこう考えているとC54がかなり好きになっていました。
C51といえば、御召専用機の239号機もさることながら、やはり超特急『燕』の牽引機としてのイメージが強いですね。
後ろにミキを引き連れて走行中の乗務員交代、後補機の走行開放など、考え得るあらゆる手を尽くして所要時間の短縮を図った鉄道省の意地を感じる列車ですね。
toshi horichiさん、ご視聴いただき本当にありがとうございました。
標準軌論争に終止符を打ったとされるC51ですので、C51がなければ日本は標準軌とナローゲージになっていたかもしれません。
C51の本線現役時代は見たことがありません。私が撮り鉄を始めた頃はもう全廃でした😅ちょっと遅かったです。もうこの機関車が本線を走ることはありえないですよね?大井川鐵道さんが復元してくれたら良いですね!
C61 20は日豊本線で現役客車牽引しているところは写真撮ってますが・・
ご視聴いただきありがとうございます。
C51は良くできたパシフィックで、東京でも成田線ではC57の前がそうでした。
結局、C55,C57に追われていったのですが、DD51に追われた後継機より幸せだったのでしょう。
中型パシフィック好きなんですよね
均整が取れてて綺麗ですし
ご視聴頂きありがとうございます。C51が登場した当時は重量級だったのでしょう。結果としてC54-55-57と改良がくわえられていくわけですが、急行用機関車としてはC62に通じていると思っています。
@@Yukkuri-Lab
たしかに登場当初は軸重の重さから主要幹線にしか入れなかったようですしそれが原因でC54の登場につながっていますからね
とはいえバランスの取れたシルエットや綺麗なスポーク輪などは個人的にどストライクですね
早岐の219号の絵を見ていただくとお分かりのように、このように改造するとC54にそっくりですね。動輪もC54は強化され一本多くて。給水温め機も目立たないので、C54って良いなぁと思っています。
でもC51のメカメカしたところはぞくぞくしますよね。
@@Yukkuri-Lab C54の過渡期的な外見もいいですけどもC51のメカメカしさ全開だけど美しさもあるっていうのがいいんですよね
エプロンの傾斜が特徴だね。車幅、胴太さ、高さのバランスが綺麗でスポーク動輪が繊細でいいね
ご視聴頂きありがとうございます。
まさに黄金比ですね。スポークも良いのですが、ボックス化された姿も別の機関車みたいで良く見ると良いなぁって思います。
後ろのDCはキハ25です。
ご視聴頂きありがとうございます。先ほど視聴者様よりご指摘ありネガを確認したら2とも3とも読めたので、間違えてしまいました。ご指摘ありがとうございます。またよろしくお願いいたします。
お疲れ様です。趣味誌でも余り取り上げられることが少ないC51.、資料集め大変でしたでしょうね。
京都駅の山陰線側の様子、懐かしい風景です。
ところで、京都駅には1番線ホームが無いんですよ。1番線は東海道上り本線で貨物が通過するんですよね。
昔は線番号とホームナンバーが違った為、業務放送と旅客案内放送が同じ線に対して違う数字になり混乱が。
それで1番線から左に分岐していた線に接するホームを0番に。他の駅のように1番ホームの本屋側に作られた
0番線とはちょっと意味が違うんです。現在は全て整理され線番とホームは一致してます。
ご視聴頂き有難うございます。京都駅はそれだけで番組が組めるようですしさまざまな方がアップしていますね。京都駅は細かなところに昔の面影が残っていて良いですね。
@@Yukkuri-Lab 様
C51に関しては全くといって良いほど知識が無く、
土崎工に教習用に切開された1両が有ったくらいしか。
そうですね。梅小路の239号は綺麗にしていますので見てやってください。土崎のは44号機で人体解剖のようなカットモデルですよね。それにもかからわずかなり状態が酷いようで。どうするつもりなんでしょうね?
@@Yukkuri-Lab 様
梅小路は子供が大きくなってからは行く機会が無く、その内に一度とは思ってました。
オープン当時に比べて施設が充実しているようなので楽しみです。
梅小路オープン当時は煙もくもくで本物の機関区より煙たかったですよ。周りの雰囲気も現役時代とあまり変わらなかったです。先日10年ぶりぐらいに行ってかなり驚きました。
スエ29904!ツイートで拝見しました。
特急用28400系の生き残りまで撮られてるのすごいです。
たまたま映っていただけです。早岐は良いところでしたよ。
スポーク動輪の世界
華麗なる パシフィック
C51・54・55
(誠文堂新光社)出版の
写真集が素晴らしい!
さすらいのアルバトロスさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はC54のアンバランスなスタイルと美しい動輪が好きです。
私の地元は熊本ですが、同じ九州内で活躍したSLやレールバスが登場して嬉しかったです❗😆
ループ線は水上線が現役ですが、九州内には休止中の肥薩線、廃止された山野線があります。機会があれば、動画を見たいです😊
ご視聴いただきありがとうございます。昔の時刻表の鉄道地図を見ると九州のループ線が目立っていましたね。肥薩線はどうして当時ハゲ山だったのでしょうね?植林がされていなかった。撮影には便利だったですが、以前にも豪雨で大畑駅埋まってしまいましたが(その時の岩が残っている)、現在は復旧も急がないようで鉄道に対する期待度が相当低くなったんだなぁと思っています。
C51は廃車が早かったので現役では見ていません。見たのは梅小路の239と門司駅構内に放置されていた62のみ。鉄道ファンに以前現役時代の62と青梅にある9608との交換場面の写真があった。撮影は勿論大御所の西尾克三郎氏
SKTさん、ご視聴頂きありがとうございます。C51の最後は吉松でなんか最後がC51のイメージとずれるのですね。C51の九州の活躍の動画も是非ご覧ください。
主要幹線から地方線まで、どこにいてもクラシックで品のある機関車ですね。ダブルループ客車の優等列車を引いている姿や地方幹線の普通列車まで颯爽として夢があります。企画ありがとうございました!
解体前の赤錆たC51しか知らないので、本当に楽しい動画です。
ご視聴頂き有難う御座います。気に入っていただき有難うございます。
かなり古くてマニアックな内容になりすぎたかなと思ってます。80歳ぐらいのファンの方ですとピンとくるでしょうね。機関車がもし動いても取り巻く情景が現在だと中々しっくり行かないので、周りの情景も一緒に見てもらおうと思いました。
C51は、大正時代にデビューしたので、当時は18900形と名乗ったが、昭和の初めになると新形式に改めてました。そのため、改称後は新製時からC51を名乗るようになりました。
久保さん、ご視聴頂きありがとうございます。
ALCOから輸入した8900をベースにしたから18900なんでしょうね。
私はC-54のファンです
ご視聴いただきありがとうございます。私もC54は好きです。
C51の晩年期は私の幼少期
C55より記憶は曖昧ながら
微かながら覚えています。
半世紀前の1972(昭和47)年の
鉄道ファンの5月号の中で
C51に関する記事や写真も
掲載されておりました!
いつもご視聴頂きありがとうございます。C51は急行旅客用の礎を築いた機関車ですから、その偉業とともに忘れないようにしたいと思います。
レールバスは最初に買ったエンドウのHOだったよ
ご視聴頂きありがとうございます。別の方もそう仰っていましたので、模型のレールバスは人気あるのですね。
C51と言ったらなんと言っても特急燕。東京=大坂を8時間20分で結ぶと言った計画で、客車は7両編成、水、石炭の補充による時間のロスを減らす為テンダーを二両連結、直ぐに専用の給水車が造られた。後に丹那トンネルが開通して更に8時間に短縮された。
芋谷さん、ご視聴ありがとうございました。
そうなんですね、超特急燕の速さの要因は車両の軽さが、一つのキーです。戦後のつばめは鋼体車両ですからかなり重いはずで、C51では全くダメだったのです。
九州のC51と言えば……長崎への原爆投下の直後に爆心地近くまで一番乗りして、救援活動に挺身した 68号機(当時 長崎区所属)もいましたね。
ご視聴いただきありがとうございます。そのお話を入れようと思いましたが、写真が入手できずに諦めました。いつか取り上げたい良いお話ですね。
亀山に居た225号機を生で見てみたかった
その頃生まれてませんけど
化粧煙突にスポーク動輪、239のように小さくもなく大鉄式のように大きくもないデフ、そして形式入りナンバープレート…個人的には最も美しい機関車だと思っています
ご視聴頂きありがとうございます。形式プレートの有無とはどのような基準で決まるのでしょうね?(お召は別として)亀山は末期には機関車がかなり汚れていて、名門機関区が残念なことになりました。
C51の化粧煙突とパイプ煙突化の理由、239号機の天井部など、今回も興味深い内容の動画をありがとうございます。
最後のセリフは、自分は大幹線から都落ちしたんじゃなくて、軌道の改良強化を促し日本各地に活躍の場を広げていったんだというC51のプライドがチラ見えしますね(笑)
いつもご視聴頂きありがとうございます。最後のセリフは、C62なんか改造車じゃないか!と次回以降の伏線を貼りました。C62もC51に対して、燕を速く牽けたのは、牽引定数が少ないからだろ!という言葉を一応年長者に気を配って飲み込んだものです。
2コブと、8620譲りのランボード周りの曲線デザインが好感です。と、化粧煙突の方が格好が良いですね。
ただ、ボイラー径に対して給水温め器がデカく見えてしまうのが、なんとも....
ご視聴頂きありがとうございます。たしかに給水温め器が無い梅小路のC51はすっきりしていますね。テンダーにそれを格納したタイプもあるとか。そちらが良いですね。
C51形といえば私は真っ先に水槽車ミキ20形を連結した「超特急燕」を連想します。
・・・C51形に会いたくなった・・・!
ご視聴頂きありがとうございます。燕は前回の動画でやったので、今回は地方幹線に絞ってみました。そちらも是非ご覧ください。
ローカル線にも入線出来たので長く活躍出来た、ということなのでしょうか?🙄
もしもそうだとしたら、8620や9600は本当に凄いと思います。🙇
改造形態の種類も多くて、色々調べるのは、めちゃくちゃ大変そうですね。😂
昭和41年まで活躍とのことですが、優等列車はいつ頃まで牽引していたのか、それも気になります。👀
優等列車牽引の華やかな姿も見てみたいです。💓
ご視聴頂きありがとうございます。ローカル線というより地方の幹線ですね。軸重は重くC61よりありますから、支線では無理だったことでしょう。
改造を一つ一つ調べるのも楽しいでしょう。
優等列車ですが、軸重が災いし甲線ではC53、C59の登場に取って代わられましたが、関西本線では動画の中の参宮快速を補機として押していた程度でしょうか?
早岐や長崎のC51が急行を牽引したという記事は見たことが無いので、それらはC57が担当していたでしょう。
@@Yukkuri-Lab 様、
返信ありがとうございます。
軸重がC61よりも重いのはビックリしました。😲
やっぱり、C51よりも新しくて性能が高い機関車はたくさん有るので、優等列車の仕事は割と早く無くなってしまったのは、しょうがないのでしょうね。😢
C61の軸重の軽さは異常です。尤も重量は重いです。
@@Yukkuri-Lab 様、
2軸従台車の威力は抜群、ということですね。🧐
C61の従台車にはNSKの転がり軸受使っていますしね。
昔の京都駅の山陰線ホームはやたらと糞便臭くて
近付きたくない場所だった記憶がある。
今は・・・どうなんだろうか?
ご視聴いただきありがとうございます。
確かにそうですね!嫌なこと思い出しました。
やっぱり山陰なんだなぁ、と。
C51に成りましたがこれは此れで良かったかもしれませんね🐤
つばめを引いたC53C55の流線形とか有ったらお願いします
ご視聴頂きありがとうございます。
低視聴率覚悟ですが、今回も好きなように作ってみました。
C515号機がさいたま大宮鉄道博物館とC51239号機が京都鉄道博物館にお召し列車仕様で静態保存されている。
C51239号機は、EF5861号機が登場するまで、250回以上のお召し列車牽引回数を誇る。
晩年は、山陰本線で生涯を閉じる。
お召し列車牽引回数の多さが決め手となり、梅小路蒸気機関車館、現在の京都鉄道博物館に保存されている。
いつもご視聴頂きありがとうございます。C51はいかがだったでしょうか?ほとんどの方々見たことが無い機関車でなじみが薄いのですが、関心は高いですね。第一線を退くと何で南や北に行くのでしょうね?これからの時代では地方から都会にお古が回るようになるかもしれませんね。
@@Yukkuri-Lab 様、最後のC622号機の怒りが面白い。
「私こそが、栄光の急行列車牽引蒸気機関車だ‼️😠💢忘れてもらっては、困る‼️💢😡」とC51形を牽制していた。
次回は、栄光の急行ニセコ号C622号機で行きましょう。
内緒ですが、今週末は2号機を取り上げようかと。北海道に左遷され悲嘆に暮れるところからスタートしようかなと思います。いかがでしょう?
@@Yukkuri-Lab 様、東海道本線全線電化開業から、スタートですか。ここから行きましょう。
京都の気動車は、キハ20だけど
C51 の晩年期 正面から見ると昭和生まれのカマに見える。ても、化粧煙突からパイプ煙突の違い、ボックス動輪の改造してあるけど、キャブ形状は、やっぱり古典機なんだよな と、つくづく思う。
昭和41年で全滅 蒸気全滅まで数年の差でしかないけど、あちこちからC57の転配で押し出されたのでは仕方ない。
晩年、京都、九州、新潟にしかいなかった。のは知らなかった。
ご視聴いただきありがとうございます。気動車のことですが視聴者様より、「キハ35ではなくキハ25(キハ20系の片運転台バージョン)ですね。』とご指摘いただき解説で訂正させていただきました。
キャブ形状で大正の機関車と分かりますね。最後の吉松のC51の中にはC57のキャブと交換しているものがあって、これは殆どC51とは言えないなぁと思いました。蒸気はどうやっても寿命が25〜35年ぐらいでしょうか?主要幹線ではさらに短いでしょうから、C51も地方で延命ということでは長く持った方かもしれません。
うおっしゃーC51だー!
ご視聴頂きありがとうございます。最後の場面見ていただけましたでしょうか?そこがエッセンスで次につながるところです。
@@Yukkuri-Lab 次の動画はC62だという伏線?
華中鉄道のC51も気になります。
ご視聴頂きありがとうございます。華中鉄道のことは、前回のC51で詳しく取り上げましたので、是非ご覧ください。
この後に続く国産蒸気機関車の基本形であり、ある意味限界。
焚口はチェーン式で、左手でチェーンを握って開け閉めして、
右手で小スコップを握って投炭した。それも、東海道の優等列車で。
後継機は足踏み弁で蒸気で開閉、そして両手シャベルで投炭出来る様になった。
それは皆で苦労して実績と意見をあげたからなんだろうなぁ。
元青梅、現大宮の5号機。梅小路の239号機。
239号機は、平成から令和への改元記念にお召し仕様に装備されて、
『特別企画展 鉄路を駆け抜けた鳳凰〜お召し列車と貴賓室』
での主役の一角を担った。
5号機は、青梅鉄道公園から大宮の鉄道博物館に移転(栄転?)後は、
天井も低い片隅に追いやられて、少し不憫。(C57 135が目立ちすぎ)
ご視聴頂きありがとうございます。C51の焚口チェーンでしたね。
機関助手の重労働って半端なかったですね。投炭訓練のニュースみてこれはやりたくないなぁと思いました。ただどうなんでしょう、東海道の優等列車にはカロリーの高い石炭だったはずで、定数も低いので一旦スピードが乗ると石炭をくべ続けているわけではないのでは?
@@Yukkuri-Lab
「国内生産の石炭の1/4は鉄道省が使用する」
「鉄道省の予算の1/5は石炭代」
と言われ、「石炭節約」「経費節減」「黒煙防止」が至上命題だったから、
片手スコップによる少量ずつの等間隔の投炭が推奨されたと聞いています。
両手シャベルが使える車両でも、客車が9両を超えていない場合は、
両手シャベルの使用は禁止されていたと聞きますし、
両手シャベルが使えないC51の機関助士は相当に過酷な投炭を強いられ、
機関士は慎重な蒸気の使用を心がけていたのではないかなと思います。
C51は優美な外観な分、火室やボイラーが小さく、蒸気発生量にも限界があるので、
使い慣れていたとは言っても、C53やC59への交代は、
時代の流れだったのでしょうね。
機関車の石炭について動画をやってみようと思い調べたことがあります。
まさにおっしゃる通りですね。私も特に「黒煙防止」というスローガンが
頭にあったので、後期のSLブームで訳もなく黒煙を吐いてくれるアピールには
違和感がありました。たなびくようなグレーの煙が一番格好いいと思っています。
ですから、現役時代の写真を見ると意識して撮っていないこともあり爆煙写真が
少ないんです。ニセコあれは別ですね。
特に理由は無いのですがC51は新潟エリアの印象が強いです。
ボックス動輪された機体がそれなりにありますが、交換が必要になった際「どうせ同じサイズなんだからボックス動輪でいいだろ」なのでしょうか?
いつもご視聴頂きありがとうございます。ボックス動輪一対をC57から持ってきてボルトオンで使えたとは思えず、台枠も違いますので専用に作り直したはずです。C54の19本スポーク動輪だったらそのまま装着できたと思いますが。たしかにその例はあったようです。
そもそも交換するような時代になったらスポーク動輪は製造できなかったのではないかな?と思っています。
ワタクシの おじいちゃんが天皇をお乗せして C51を動かしていました。
おじいちゃんと赤羽に住んでましたが 尾久に機関区があるから おじいちゃんは赤羽に家を建てたんだ!と気がつきました。
普段は都内に5輌あったC62の機関士でした。
(╹◡╹)
コロコロ DIY派さん、ご視聴頂きありがとうございます。
お召し列車の機関士さん!すごいお話!嬉しいです。勤務中は宮内庁職員になられるのですよね。
C62は常磐線ですね。映画「ある機関助士」と同じ勤務先なんですね。一時期尾久にはC59もいました。C62が上野から高崎まで高崎線を走ったかどうか確証が無く、お聞きしたかったです。上野から常磐線にかけてのC62のことは度々動画にしていますので、是非ご覧になってください。
@@Yukkuri-Lab ありがとうございます。
戦時中は赤羽に停車中に母たち姉妹が
機関車に やみ米を受け取りに行ったと聴いています。客車だと憲兵に見つかってしまうので!
(╹◡╹)
ショート動画を上げました。昔からある高そうな おぼんをひっくり返してみたら⁉️
(╹◡╹)あらぁ
私の家もコメと野菜の交換(@埼玉・千葉)で和服が全て無くなりました。
@@Yukkuri-Lab おじいちゃんは仕事の話を全くしなくて…。でも模型屋さんの前から おじいちゃんが動かなくなって何を見てるのか?と思ったら C62の模型を見て
ボクが動かしてた機関車だ。と❗️ワタクシはが おじいちゃんが C62の機関士だったと知った瞬間でした。
(╹◡╹)
スエ29904の写真のツイートでの会話見ました。みなさん詳しいですね
電車、気動車、客車、貨車は私は動画で論じるほどの知見が無いのが良くないなぁと思っています。
@@Yukkuri-Lab
機関車一筋なんですね。
私の周りには全部好きな人が多いので逆に新鮮に感じます。
さらに我儘言わせていただいて、DLはDF50、ELはEF58、EH10以外は好きではありません。
@@Yukkuri-Lab
マジですか。どこで好みが分かれるんですか?
やはり蒸気は出かける頻度=金をかける優先順位が高いので、ELだったらまぁいいやとかですね。頻度が下がれば会う回数も減るので愛着も減ると言うことでしょう。旅費と写真代が膨大にかかる趣味ですから。DLは蒸気を追いやったやつなので最初から好きではないですが、DF50はELに似ているからまぁ良いかなと。ただレア物は日本人の常としてなんでも興味あります。
C51の化粧煙突はあまり意味がなかったんですね😅でもあの曲線美が好きです。それにしても61の初期の流線形は💦
ご視聴いただきありがとうございます。化粧煙突は機能的には意味がなかったようですが、お召機はちゃんと付けていましたから「化粧」という役目では重要だったのかもしれませんね。私も8620も9600、D50/60もやはり化粧煙突の方を良く写真撮っていましたので、パイプ煙突よりインパクトがあったと思います。
梅小路のC51も何とか再整備して動態保存機となり、構内だけでもいいからカマに火を入れて自力走行させてもらいたいものです。
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路にのは殆どドンガラですからまぁ無理ではないでしょうか?新製した方が早いかもです。
@@Yukkuri-Lab さん
なるほど、「テセウスのC51」ですね(笑)
静態保存機って…、ドンガラになってるんですか?
ボイラーはムリでも、空気圧で動かせる様にしてもらえたら嬉しいですね。
先日40年振りに京都へ行って来ましたが、連結機が固定されてたのがショックでした…。
新潟の国鉄の鉄道学園の教習用だったと思いますが、土に還る前に梅小路で展示することになりました。一応外回りは立派になりましたが、ボイラーやシリンダーはそのままですので、火を入れることはあり得ないでしょう。今のC62-1号機と同じようなものだと思います。
Cにも、51形があるのですね………。
今日は、瀬野川公園のD51 720号蒸気機関車に会いに行ってきましたのでよろしかったら見に来てください。
🙏お願いします。🙏
いつもご視聴頂きありがとうございます。後で見に行きますね。
C51も、廃車が1966年と比較的早く、保存機が少なく残念です。写真を見ていると、みなどこか改造されていますね。オリジナルを見かけません。
C51動画も見ていただきありがとうございます。奈良駅の亀山のC51はお召機ということもありほぼ原形だと思います。
もう、40年位前に青梅の239が土砂崩れで転落した時はショックでした。
あ、訂正で5号でしたね。
ご視聴頂きありがとうございます。私もショックでした。その頃は地元に近かったので。あの辺りは山を切り開いた造成地だったのでそもそもヤバい場所なんですよ。でも239でなくて、5号機ですよね。